世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。 司書室とは、そういう場所だ。● 資料室。 シンプルな机と椅子、そして唯一生活感を感じさせる柄物のカーテンがなければ、初めて見る者の大多数にそう見えただろう。そんな部屋だった。 部屋の主である世界司書、ツギメ・シュタインは珍しい客人の姿を確認すると、一瞬だけ目を見開いて驚く素振りを見せた。「……いらっしゃい、か。この言葉に慣れていないことを再確認してしまうな」 肩を竦めてみせつつ、客人用にと随分前に用意したまま活躍の機会を逃していた椅子を勧める。 部屋の両左右には目立つ大きな本棚が置かれていた。並んでいる本はどれも小難しく、漫画と呼べるものは一冊も見当たらない。ただし端の方に控えめながら小説らしきものは見える。 入ってすぐに見える机と椅子の真後ろには、四角い窓と前述のカーテン。 今は隠れてしまって見えないが、どうやら窓は上に押し上げフックをかけて固定するタイプらしい。 カーテンは薄緑色のリーフ柄。その後ろに白の薄いレースカーテンが控えている。「なんだ、そんなに珍しいものでもないだろう。……ああ、茶菓子も何もなくてすまない、飲食物は基本的に持ち込んでいないものでな」 ツギメはこの部屋を資料の保管と依頼の説明を行う場、そしてほんの軽く休憩する場として使っていた。普段寝泊りしている部屋は他にあるため、余計に簡素な印象が強くなっている。飲食の際も自分から食堂へ足を運んでいた。「……で、こんな所へ何の用だ?」 面白いものなどないだろうに。 そんな疑問を表情に乗せ、答えを促すようにツギメは軽く首を傾けた。●ご案内このシナリオは、世界司書ツギメ・シュタインの部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・司書室を訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。
ターミナルの昼下がり。 気を抜けばまどろんでしまいそうな時間の中、クーラーボックスを肩からさげたジャック・ハートは廊下を真っ直ぐ歩いていた。 目指すドアはただ一つ。その前まで来ると、軽くノックをして中からの反応を待つ。 短く応じる声がした後、ドアを開けたのは褐色の肌と黄土色の髪、草食動物の角を持った世界司書ツギメ・シュタインだった。 見慣れた顔に口の端を上げ、ジャックは片手を揺らす。 「よっ、邪魔するぜ?」 ● ジャックを部屋へ招き入れ、ツギメは小さく笑う。 「てっきり他の司書かと思ったから驚いたぞ。ああ、そこに掛けてくれ」 イスを勧め、広げていた資料を横へ除ける。 「この前も覗いたんだが、その時は居なかったから帰った。そんなに部屋は使ってないのか?」 「そうだな……資料の確認と整理、あと休憩をしに来ることはあるが、タイミングによってはなかなか会えない可能性はある。……手間をかけさせたか」 「あー、いいんだよ。それより机の上、少し開けてくれ」 言い、クーラーボックスを足元に置いたジャックは片付けられた机の上へと物を広げていく。 銀色のカラトリーを包んできたランチョンマットを広げ、綺麗にしわを伸ばした後、その上へケーキセットを。 丸いコルクコースターも2枚取り出し、そう大きくない揃いのコップをのせる。 次に取り出したタンブラーは2種類。ツギメのコップには涼しげなミントアイスティーを、自分のコップには苦めのアイスコーヒーを注いだ。 「これは……」 「さっきキャルロッテでミルに見繕って貰った。場所を汚さない、ツギメの好きな物をってな。お前ここで物食わないだろ」 「ああ、落ち着いて物を食べる場には適していると思うが、なかなかな……」 延々と資料を確認する必要があった際は軽く携帯食料を持ってきたこともあったが、こういった楽しむための食事は経験がなかった。そもそも、キャルロッテで隠れて食べる以外で甘いものを口にする機会はとても少ない。 「しかし、なぜ」 「今日はジャックはお休みだ。ターミナル一の美人を眺めたくなったんだよ」 もう少し焦らしても良かったが、ジャックはさらりと理由を述べる。 「……そんな良いものでもないだろうに」 わざとらしく目を逸らして咳払い。 そろそろジャックの言動にも慣れてきた気がしたが、そうでもないらしい。 甘く熟したイチゴをスポンジに挟み込み、ジュレをのせたケーキは見た目よりはさっぱりとしていて美味しかった。 ミントアイスティーもツギメにとっては初めて飲む代物だったが、悪くない。 この男は自分の好みを把握しているのだろうか――いや、しているのだろう。こう見えて女性にはマメだと最近わかってきた。 そんなことを考えつつ、ツギメはジャックに視線を戻す。 「さっき、ジャックはお休みだと言ったな。それは一体どういうことだ?」 「ジャックは氏族のナンバースリーって意味だ。名乗れる誇りはある。だが名乗る以上義務もある……どこに居ても、だ」 「……個人だけの名前ではなかったのか」 では、その地位に就くまではどう呼ばれていたのだろうか。 いわば自分の本来の持ち物は名前しかないツギメとしては気になるが、聞くのは憚る気がした。 疑問を振り払いつつ返す。 「なるほど、それでお休みか」 そういうことだ、とジャックは軽く頷く。 「俺の世界は厳しかった。命の数が食料プラントの能力に直結してるからな。1人生まれたら1人殺すか、他の食料プラントを奪うかしかない。その選択を最初にするのが俺だ。そしてキングが承認する」 「……不本意な選択をすることも多かったようだな」 「したさ、山ほど……数え切れないくらいな」 選択は「ジャック」がする。 しかし選びたい選択肢を実現可能かどうかは運と状況で決まるものだ。それはどうしようもない。 他の食料プラントを奪うと選択したところで、利が損失より多いか釣り合わなければ、それは賢くない選択をしたと周囲や上の者、敵から評価されるだろう。 その結果、皺寄せは弱い者に来る。 ジャックは弱者がそういう目に遭うのを好まない。 「俺は今でもジャックとして行動してる」 考え方を逸らさず、生きる場が変わったとしても、故郷に――エンドアに居た時と同じように振る舞い過ごす。 それは故郷のためであり、同胞のためであり、誇りのためだ。 「それでもな、たまに休みたくなる」 ジャックとて思考し行動する自我のある人間なのだ。 たまには……そう、時には気の迷いとも取れるほどだが、責任や責務を忘れ、心から休みたくなることがある。 それに適した場所がどこか考えていると、予てより同族に似ていると感じていたツギメの顔が浮かんだ、ということだ。 「そうか、私はお前の休める場になれているのか」 話の呑み込めたツギメは視線を足元に向けつつ言う。 ツギメは遥か昔、新米ロストナンバーに怖い、と表現されたことがある。 曰く、鬼教官でも前にしたかのように傍に居ると緊張してしまうのだという。その時は自分は相手をリラックスさせられる類の人間ではないのだなと思ったものだが、人生とはわからないものだ。 「お前はこんなに同族にそっくりなのに、俺の同族じゃない。お前は俺が死んでも気にしない。俺はお前を庇護する必要がない……それに安心する。悪いな、甘えて」 「……私は世界図書館の端末のような存在だ、少なくとも自分はそう思っている。故に確かに庇護は必要ではないが……」 「ないが?」 「そんな私に安心感を抱いて、ジャックはいいのか?」 「俺が安心する、って言ってるんだから良いんだよ。こんなこと軽い気持ちじゃ早々言わないぜ?」 隙を見せれば死に直接繋がる場所で生きてきた。 そんなジャックが安心すると嘘でもお世辞でもなく言うのなら――きっと、そうなのだろう。 「そうか。それなら疲れた時は何も気にせずに甘えるといい。私はどうも甘やかすのは下手だが、な」 そこで一旦目を伏せる。 「……良くないと分かっている場所に皆を送り出すことが私の仕事だが、皆にとって良いもの、良い場所を与えられるなら、吝かではない」 それにジャックが笑うと、ツギメも落としていた視線を上げて微笑んだ。 「だがお前が死んでも気にしないというのは頂けないな。私とて心配もすれば悲しみもする」 「なんだ、心配してくれるのか」 「お前が思うほどではないかもしれないが」 ジャックは歯を見せて笑う。 「じゃあお前がターミナル一美人だってのは譲らないぜ?」 同時にツギメはいやに湧いてくる気恥ずかしさを誤魔化すかのように、ケーキの最後の一切れを急いで口に入れたのだった。 ● ゴミや食器をすべてクーラーボックスにしまい、立ち上がったジャックはバラのブリザーブドフラワーをツギメに渡す。 小振りなビンに赤、白、ピンクのバラが入っている。花びらの隅々まで加工されているというのに、とても瑞々しい。 「美人に花を贈るのは俺の趣味だ。これなら邪魔にならないだろ」 前半に咳払いし、ツギメはそれを受け取った。 「そうだな……ジャックに貰った花はいつも目を楽しませてくれる。私も何か、お前を楽しませられるものを探さねばな」 そんなに気を使ったものはいらないのに……言いかけたところでツギメがドアを開ける。 「久しぶりにのんびりとした時間だった。また来るといい」 「ああ、そん時はまた美味いものでも持ってくるぜ」 「いつもすまないな……楽しみにしていよう」 見送りに出たツギメにジャックは軽く手を振り―― 「またな」 同族に声を掛けるかのように、一言だけ言った。
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