「父の日?」 キサ・アデルは不思議そうに小首を傾げた。 現在、ターミナルにて胎内にある世界計の欠片を取り出すためにも知識をつけようと奮闘する彼女は、今日も今日とても黒猫にゃんこの司書室を占領して勉強をしていた。 本日、家庭教師兼見守り役を仰せつかったロストナンバーはキサが以前母の日をお祝いしたのに、今日が壱番世界の父の日であることを思い出して話題を出したのだが、キサの顔はあからさまに険しくなる。まるで酸っぱい梅干しを食べたときみたいな顔だ。「……」 キサが沈黙を守るのに父の日についての概要を簡単に説明する。せっかく母の日をお祝いしたのならば父の日だってお祝いしたいと思ったのだが「キサ、パパのこと嫌いなのよね」 え?「パパ、キサのこと殺そうとしたの。世界計の欠片があるからって……そのあともパパ、キサのことを見ようとしなかったの。パパもキサにたいしていろいろとあるってみんな教えてくれたよ。けど、けど、それならキサはなんなのさああああ!」 キサが雄叫びをあげる。周りに諭されて必死にいろいろと抑えていたらしいが、とうとう爆発した。「もう、パパ嫌い、嫌い、嫌いよ! パパってなんなの? あ、まって欠片が教えてくれた! 人を死滅させるほど靴下臭いし、寒すぎるおやじギャグ飛ばすし、お酒のんで臭いし、ママにはとっても弱いし! なんなのこの生き物!」 え、えーと。いや、それは、ものすごく極論……「キサ、パパが嫌い。嫌いよ! けど、けど、けど」 しゅんとキサは肩を落とす。「みんなはある? パパが嫌いだっていうの。怖いのとか、そういうのどうやって克服したの?」 え?「それとも、みんなは家族と仲良しなの? 家族ってなに? キサ、よくわかんない。なんで一つの建物があって、それで、みんなで暮らすの?」 そ、それは「家族って、いいものなの? 悪いものなの?」
「とりあえず、休憩しようぜ」 坂上健は興奮と疑問いっぱいのキサに優しく声をかけた。このままこの話題を適当に濁したところで勉強の続きができないのは一目瞭然だ。 先ほど、司書がおやつにとクッキーとあたたかく香りのよい紅茶を持ってきたのも休憩に入るタイミングとしてはちょうどいい。 「何て言うか、キサの質問って……将来結婚して父親って生き物になる予定の俺としては結構イタタタって気分だな」 頭をぼりぼりとかく健の顔は渋い。それにぽんぽんと肩をあたたかいものに叩かれて見ると金色の鬣が美しくも気高いアレクサンダー・アレクサンドロス・ライオンハートが聡明な目で頷いた。 「紅茶をテーブルに並べたよ? みんな、座ろう」 とニワトコ。 ソファに腰かけて俯くキサの横でニワトコは頭にかぶる花冠の白花のように優しく、おっとりと微笑んだ。 「ぼくにはひとの言う所の「お父さん」も「お母さんも」いないから、キサさんの家族についてちゃんと教えてあげられるかわからないけど、誰かに嫌われるのは哀しいね」 ニワトコは生まれたとき、1人ぼっちだった。 彼の世界の住人は大地に根を張って動かない樹が主で、ニワトコのように人の姿を持つ存在は稀だ。その関係なのかは不明だが、ニワトコは生まれたときからずっと1人ぼっちで、いろんなところを転々としてきた。 「その相手のことを嫌いじゃなくて、仲良くしたいのならなおさら、ね」 「べ、べつに仲良くしたいわけじゃ、ない、もん」 キサは俯いたままもじもじする。 「ふーん、難しい話題ねぇ。あ、このクッキー、おいしー」 背中に大きな蜘蛛の脚を持つ蜘蛛の魔女はキサの反対側にどすっと腰かけて無遠慮にクッキーを頬張る。 「ってゆーかさぁ、父親とか母親とか、何で親が2人もいるの? 1人いれば十分じゃないの?」 ニワトコと同じく、蜘蛛の魔女も親とは無縁な身だ。 だが魔女とは傲慢で身勝手、プライドの高く、生まれをまったく頓着しない。むしろ、面倒とも思えてしまう。 けど、キサがそんなこと言うと、ちょっと、ううん、気になってないんだからね! 蜘蛛の魔女がほっぺにクッキーの滓をつけて小首を傾げて口にする疑問にキサは何度も頷いた。 「ママがいればいいとキサは思うの。パパは怖いし、汚いって欠片がいってるし」 「汚いし怖いならいらないよねー」 「ねー!」 蜘蛛の魔女を味方につけたキサは勢いこむ。 「こらこら、そう言ってくれるなよ。わしはこれでも父親なんだぞ」 アレクサンダーが眉根を寄せて尻尾をひらひらとふる。 「ついでにいうと、俺はそれに将来的になりたいんだけどよー」 健が二人の乙女の容赦ない「パパいらない」宣言にダメージを受けてがっくりとうなだれる。うう、もし、俺に娘が出来て、年頃になったらいわれちまうのか? 生まれたときはかわいい娘たち、それがちょっと大きくなってそっけなくなったなーと思ったら、パパきたなーい、いらなーい、無視され……なんて……うおおおお! 「想像しただけで泣いちまうぜ! パパだって、パパだってお前たちが好きなんだ!」 「きゃあ!」 「ちょ、健ちゃん、私らは娘じゃないわよっ」 「健さんは、本当に、面白いね」 「ありゃ、馬鹿っていうんじゃないのか」 キサと蜘蛛の魔女を将来持つかもしれない可愛い娘に見立ててぎゅぅと抱きしめて男泣きする健にニワトコはのほほんと笑い、アレクサンダーは呆れた顔で容赦なくつっこんだ。 「いってー、ちょっとは手加減してひっかけよ!」 思いっきりぎゅうと抱きしめて男泣きしていた健を蜘蛛の魔女は自慢の脚でがりがりとひっかいた。 おかげで健の顔は見事なバッテン模様に彩られている。 「この蜘蛛の魔女さまとキサちゃんをぎゅうぎゅうしてそれだけで済んでありがたいと思いなさい! ふふーん、それとも、毒でずふっとやらたかったぁ?」 キキキキ。極悪な笑みを蜘蛛の魔女が浮かべたのに健は生命の危機を感じ取って反射的に頭を下げた。 「あ、うん。俺が悪かった。ちょう悪かった! ごめん、ごめんなさい!」 「キキキキ! 反省してる誠意ってもんを形でみせてもらおうじゃない!」 「ど、どうすれば」 「そうね。まずはあんたのおやつを貢いでもらおうじゃないさ!」 「うお、どうぞ。蜘蛛の魔女さま!」 床に両膝ついてクッキー皿を健が差し出すのにソファに腰かけた蜘蛛の魔女はふんぞりかえる 「どうしようかしらねー。じゃあ、あと健ちゃんの持つ御菓子、全部もらおうじゃない。その白衣の下のをね!」 「そ、そんなごむったいなぁ!」 「……あれが正しい男の人との付き合い方なの?」 二人の一連のやりとりを見てキサはニワトコとアレクサンダーに尋ねる。 「いや、あれは、カツアゲだ。真似するな」 「キサさん、ほしいなら、僕のわけてあげるよ」 「はっ! わ、私としたことが、じゃなくて、そうよ、これは正しいカツアゲよ。いい、キサちゃん? カツアゲはこうやるのよ! 私ってば、目的忘れてたわけじゃないんだからね!」 「カツアゲを教えてどうする」 「う。うう」 アレクサンダーが呆れて蜘蛛の魔女の頭を前足でぐりぐり。おしおきされて蜘蛛の魔女はしょんぼりと落ち込んだ。 「蜘蛛の魔女さん」キサがじっと蜘蛛の魔女を見つめる。「カツアゲと家族ってなにか繋がりあるの? キサに教えて! 魔女さんのこと信じてる!」 うお、まぶしぃ! な、なによ、なによ、このぴゅあなオーラは! こ、これが子どもオーラってやつなの! キ、キキキ! 私は蜘蛛の魔女よ! 最強にして最悪の魔女! 挑まれたらたとえぴゅわオーラ全開のキサちゃん相手にだって負けないんだから――いやいや、戦ってないから 「えー、おっほん! カツアゲってのはね、自分の要求を相手に通すための技よ。技! 健ちゃん! あんた、キサちゃんと同じ人間なんだしさぁ、家族っていうのに1番詳しいんじゃない? ほら、教えなさいよ」 「え、あ、うーん、そうだな……壱番世界とインヤンガイは常識からして違うから、参考になるか分からないけど」 改めて健はソファに腰かけると、不思議そうな顔をしているキサと視線を合わせた。 純粋に知りたいと訴えている目を見ると、幼いころの妹を思い出した。自分のあとをいつもついてきていた可愛い妹。今はもうあとを追いかけてきたり、頼ったりしてくれることはないけど こうしてキサと向き合っているとなんだか頼りにされるお兄ちゃんに戻ったみたいでむずかゆい気持ちになった。 今の自分は父親ではないから、お兄ちゃんとしてなら父親についてキサにしゃべってやれることはいくつかあるかもしれない。 「父親って言うのは、自分が作り出した家族をそれ以外から守ろうとしたり、家族をまとめるのに不要な外的要因を排除するために戦う存在なのかなって思うよ。母親は自分が作り出した家族を守るために、家族内の調和を図ろうとするのと同じで、存在の裏表って言うか」 「外的? 要因? 裏表?」 さっぱりわかってないキサは目をぱちくりする。 「あ、ぁああ~~、キサには難しいか? キサにわかりやすくわかりやすく、わかりやすく」 うーんと健は言葉を切るとアレクサンダーに助けを求める視線を向けた。 「ヒトじゃないけど、あんたなら俺の言ってることわかると思うんだ」 「まぁな。わしは家族を持っていたからな」 赤絨毯の敷かれた床に優雅に寝そべったアレクサンダーはにぃと自慢の髭を片方持ち上げて不遜に笑ってみせた。 「男はな、女性と結ばれた時点で夫婦となるんだ。夫婦が子供を得たときに男は父となる存在なのじゃ。女性は子を生み出すために存在しており、母となるのじゃ。わしを始めとする父のやるべきことは、健が語ったように母と子を守るために、余所の連中と闘うべき存在なのじゃ! 敵は色々といる。だが、子を守るために、父と母は協力して相手に立ち向かっていかなくてはならないのじゃ!」 過酷な自然界でアレクサンダーは群れの分裂を狙う者や雌を狙う雄、ときとしてハイエナと戦うこともあった。 今までの培ってきた人生経験から紡がれる家族の成り立ち、父親の役目は迷いも淀みなく、その場にいた全員の耳から心へとしっかりと訴える力があった。 ニワトコは目を細めて微笑む。 父親も母親も知らないけれど、もしアレクサンダーが口にする家族は協力しあっていて、とても素敵に思えるし、憧れもする。 健は頭のなかの父親のイメージをぼんやりと考えていたが、自然界のなかで父親として家族を守っていたアレクサンダーの言葉には改めて共感と憧憬を抱いた。 健の父親は単身赴任で、アレクサンダーのようなそばで常に守ってくれることはなかった。むしろ、ほとんど一緒にいられなかった。会えたらすごくうれしくてたまらなかったが、いない間は自分が家族を守るのだと必要以上に健は責任を感じた。 もともと真面目な性格が暴走した結果、ターミナル一の武器オタクまで進化してしまったし……けれどその責任感の根源は父親の大きな背中に憧れたからだ。 幼いとき父親は大きくて、逞しくて、頼りになると全幅の信頼を寄せていた。今は父親の背を追い抜いて、背中も大きいとは思わないが、こうして話していると幼いころの純粋な気持ちが蘇るのがわかった。 「わしは、子供の頃は父に守られているなんて知らなかったのじゃ。だが、大人になって分かったんじゃ。わしも、「余所者」となったからな」 キサは目をぱちぱちさせる。 「よそ者って?」 アレクサンダーはライオンなのに表情豊かで、苦笑い、を浮かべてみせた。 「わしらライオンの敵はライオンじゃ。大きくなって1人になれば群れを得るために戦わねばならん。わしらの世界はな、肉食獣は「子殺し」の宿命を持つかもしれないのじゃ。……自分の子を成すために、余所の血が混じった子を殺すんじゃ。わしが群れを得たときにやったことじゃ」 アレクサンダーの言葉にキサはショックを受けたように目をまん丸くして、茫然とする。 「じゃあ、アレクサンダーさんは、」 キサが迷うように俯くのにアレクサンダーはあたたかい舌を出して頬を舐めた。 「わしが怖いか?」 「ちょっと。けど、ふかふかであたたかくて、優しいの知ってる」 「ふふ。ありがとよ。しかし、これも自然なのじゃ」 「自然」 「あーら、それなら私も一緒よ」 黙って聞いていた蜘蛛の魔女が胸を張った。 「私、親のことはわかんないけど、子どもならいるもん」 「え?」 「は?」 「子どもぉ?」 「魔女さん、いるの?」 魔女以外の四人が信じられないと仰天する、そのあまりにも素直すぎる反応に蜘蛛の魔女はむきぃーと叫んで地団駄を踏んだ。 「なによ、なによ、失礼ね! 出ておいで!」 蜘蛛の魔女の声に反応してわらわらと黒く小さなものが魔女のドレス、足元、脚から出てくる。 ぞぞおおおお――キサは鳥肌をたてて飛びのくと健の腕にしがみついた。 「けけけけ、健さん、あれなに!」 「え、えええーと、あれは」 「蜘蛛じゃな」 「そうだね。ふふ、かわいい」 ライオンのアレクサンダーと樹であるニワトコは蜘蛛の魔女の子にもたいして動じない。しかし、現代っ子である健とキサは大いに怖がらせた。 「なによー。かわいいでしょー? 私が直接生んだわけじゃないけど、可愛い可愛い私の子供達よ。かわいいでしょ~? この小さな足、つぶらな瞳! 機敏な動き! もう、食べちゃいたい!」 子ども自慢に顔をとろかせる蜘蛛の魔女。だが周りは 「うん、かわいいとぼくは思うよ」 「小さすぎて可愛いかわからん。む。来るな、かゆいじゃろう」 「おおおおお、おもわない!」 「1匹や2匹なら、いや、悪い! ちょっと無理だ!」 ニワトコ以外の反応がいまいちなのに蜘蛛の魔女はぶーとぶうたれる。 「ふん、いいわよ。いいわよ! この子たちの可愛さは普通のやつにはわかんないんだから! けど、ニワトコはわかってるじゃない!」 「ふふ。蜘蛛さんは樹の枝にきれいな巣を作ったり、樹を困らせる害虫さんを食べてくれたりするものね」 「そうよ、蜘蛛はすごいんだから!」 蜘蛛の魔女が喜ぶと小さな子蜘蛛たちも嬉しげにわらわらと動く。二匹、三匹ほどはニワトコの花冠から香る甘い香りにふらふらとすりよっていく。 「この子たちはとってもとってもいい子なんだから! その親の私なんて超スーパーいい子なんだからね! って、えーと、あ、そうだ、そうだ。話は家族についてだっけ? ね、キサちゃん、アレクサンダーの話に、ちょっとショックだったみたいだけどさ、私とこの子達の関係もそんなかんじだよ?」 「そんな、かんじ?」 キサは健にしがみついたまま尋ねる。 「そ。この子達はさ、私がいないと生きられないのよ。私自身がこの子達に都合の良い環境を作っているし、寧ろ私の体そのものがこの子達の環境と言ってもいいわ。環境から外れちゃった子は餌にもありつけずに野たれ死にするだけ。だから、この子達は私の言う事なら何でも聞くし、その分私もこの子達を可愛がるの。因みに、言う事を聞かない悪い子は……」 蜘蛛の魔女はきょろきょろと見回して、足元でふらふら、ぎくしゃぐしている子蜘蛛を見つけると、すかさず持ち上げた。 なにをしようとしているのかキサはきょとんとする ぱく。 なんと蜘蛛の魔女は子蜘蛛を口のなかにほうりこんだ。そしてわざとキサの目を意識して白い歯を見せ、奥歯でぐしゃ! 子蜘蛛を潰した。 キサは瞠目し、ぎゅうと健の腕にしがみついている手に力をこめて震える。健はキサの不安や恐れを感じ取って、その背をぽんぽんと叩いた。 アレクサンダーもキサのショックを読み取ったが、あえて手出しせずじっと静かな湖のような瞳で見つめた。 ニワトコはアレクサンダーや蜘蛛の魔女が何を伝えたいのか、ぼんやりとだが理解する。それはたぶん人間というものと少し違う。けれど家族の大本のように思えるから黙っている。 「ちゃんと見てやってくれ、キサ」 「え、あ、だって」 「アレクサンダーと蜘蛛の魔女の考える家族なんだ。あれが……この世界にはさ、いろんな家族の形があるんだ。その1つなんだよ。アレクサンダーは自分の家族を作るために戦う。魔女もそうだぜ」 「ごっくん、んー、おいしかった! 悪い子はこうやって潰しちゃって私の養分にしちゃうけどねぇ。キキキキキ! さ、お前ら、帰っておいで!」 蜘蛛の魔女の集合に子蜘蛛たちは一斉に蜘蛛の魔女の口のなかに飛び込んで、あっという間に消えていった。 蜘蛛の魔女は子どもたちが全員戻ったのを小さな身体で感じ取ると、ふぅとため息をついてキサと向き合った。 先ほどの短気な少女の姿は消え、いまやどこか誇りらしげな、何かを守り、導く親の顔となっている。 「言う事を聞かないから殺す……これも一種の愛情表現さね。私は親として子を正しい方向へ導いてるの。私の言う事を聞かない子蜘蛛は、遅かれ早かれ死んじまうってことさ。ま、私のはアレクサンダーとはちょっと違うけど、これも1つってことで知っておいてよ」 「う、うん」 「難しいならば、ちょっとずつでよいんじゃ。こういうものもある程度でいい。知らないよりは知っておくことのほうが良いんじゃ」 蜘蛛の魔女の愛情表現、アレクサンダーの群れ……家族の在り方にキサはまだ疑問いっぱいで理解もできないでいるが、アレクサンダーが優しく諭す声に素直に頷くことは出来た。 知らないよりは、知っているほうがいい。 アレクサンダーは尻尾でキサの背中を叩いて、ニワトコの横に腰かけるように促した。キサが座るとニワトコは紅茶を差し出した。 「キサさん、ちょっとびっくりたね。ぼくもちょっとびっくりしたよ。お茶を飲むと落ち着くよ?あのね、ぼくは先も言ったけど、家族ってよくわからない、魔女さんをみると、ああいうものあるんだねって思うんだ」 「ニワトコさんも? けど、あんまり顔に出てない」 「ふふ、びっくりしてるよ。花冠がふわふわしてるのがその証だよ」 「……ニワトコさんはどうして家族がいないの?」 キサの子どもらしい無遠慮な問いをニワトコは少しだけ寂しげな顔で答えた。 「ぼくの世界はね、ぼくみたいなのが珍しいんだ。だから、いろいろと大変だったんだ」 いろいろと、ニワトコは今までのことを笑って告げた。 「ぼくはね、他の樹と姿かたちが違うから、ひとりぼっちだったんだ……嫌われている理由も、なおせるものだったらそうしたいけど、どうにもならないものだったら、どうしたらいいか分からなくなっちゃうよね。ぼくもそうだったから……ぼくがぼくのいた世界で1人ぼっちだったのは、周りの皆と「違う」から怖かったのかなって、あとになって気付いたけれど。……でももう、そのことを聞いたりはできないから……」 昔、自分のことを嫌っていた銀木犀のことをニワトコは思い出す。 「ニワトコさん、悲しいことあったの?」 「ううん。ありがとう。キサさん」 ニワトコは優しく微笑んで、キサの頭を優しく撫でた。キサのトラベルギアの花冠が揺れて、甘い香りを放つ。 「ぼくはちゃんと知らないけど、キサさんのお父さんも色々あるってことは、その中にはキサさんじゃあ、どうしようもない理由もあるんじゃないかな? それでも、ずっとお父さんに少しでも好きになってもらう努力をするキサさんはとても偉いしすごいと思う。キサさんもお父さんに対して色々思ってることがあるんだよって、伝えられると良いね。そうしたら少しは違うかもしれないし」 キサはじっとニワトコを見つめて、瞬いた。 「ぼく、健さんの家族について聞かせてほしいな。家族ってよくわからないけど憧れてはいるんだ」 ニワトコは言葉を切ると愛しい人のことを脳裏に浮かべて、口元をほころばせた。不思議だね、あなたのことを思うとこんなにも胸が嬉しくなる。護りたいし、笑っていてほしいって思う。それって家族ってものに近いのかな? 「ぼくにはよく分からないけれど、好きな人とは一緒に暮らしたいなって思うよ。でもね、もし何かの理由で離れた場所にいることになっても、きっとその気持ちは変わらないんじゃないかな? キサさんがターミナルにきてもお母さんのことが大好きなみたいにね」 優しい、花びらが風に撫でられるような声でニワトコは告げる。たとえ離れてしまっても、想いは変わらない。 「うーん、俺が思う家族ってやっぱり父親のことが1番はじめに浮かぶんだ。俺の親父は単身赴任でさ、ええっと、つまり、家族と離れて暮らしてたんだ。そうやって家族が生活する金を稼ぐためで、別に好きで1人暮らししてるんじゃないんだよな。だからニワトコがいうみたいにさ、離れても大切な気持ちの根っこは変わらないから家族だって、想うんだ。それって形とかじゃないから言葉にするのはわりぃ、正直難しい。 それでさ、俺は親父と虫取りやキャッチボールで充分うれしいんだけど、妹は違うんだ。ついてきてもむくれるだけで、そのうち親父に会いにいくのにもついても来なくなって。男と女の違いかな、とも思ったけど」 子どものころ、他の友達が父親と土日に遊んだりしているのが羨ましかった。 それはきっと妹も同じで、健よりもずっとはやく大人になることを選んだ。 女と男の違い、それもあるだろう。健が家族を守ろうとしたのと同じで、妹もまたはやく大人になろうと自分なりに考えたのだろう。寂しさや甘えたいという気持ちをはやくふっきってしまうために。 「人と人の絆とか馴染みやすさって、元々の気質の他に、その関係を作り上げようとした意志のやり取りの回数もあると思うんだ。うちは親父の単身赴任長くてさ、俺は平気だったけど妹は親父苦手みたいで。久しぶりに家族が揃っても親父と妹は相手の好みとか趣味が分からなくて会話ブツ切れ、みたいな。あ、けど仲が悪いとかじゃなくってさ。ええっと、妹にとって親父はストレンジャーだったのかな、とは最近思った。だから苦手なものは仕方ないし、家族でもうまくいかないっていうのはあるんだ。わりと娘と父親ってそういうものだって思うぜ。えーと、けど、互いが互いに家族で大切だっていうのは、ここでわかってるんだ」 健は自分の左胸を手でおさえた。 心でわかっている。 それがわかるのはやっぱり家族だからだ。互いにちゃんと家族だと思いあっているから。 壱番世界でも血が繋がっている家族なのに憎みあったり、疎んだり、悲しい事件はいっぱいある。そういうのから見れば健の家族はとても仲よくやっているほうだ。 喧嘩したり、顔を合わせなくても、すれ違っても、心がちゃんと家族でいる。 健はキサにそういう気持ちを理解してほしくてじっと見つめる。幼い妹が我儘いって泣いたときみたいに。 誤魔化したり、嘘をついたりせずに、ちゃんと1人の人間として。 「俺は将来、きちんと家族を守れる父親になりたい……俺の父親みたいな。うん、俺は俺の家族が好きだぜ。いろいろとあるけどさ、家族ってアレクサンダーや蜘蛛の魔女みたいに、いろんな形があるんだ。けどそういうなかで1番大切なのは、信頼とか思いあってることが、ここでわかっていることが家族なんじゃないのかなって……ああ、なんか言葉がからまってきちまったけど」 健は頭をかくのにキサは戸惑いがちに自分の左胸を手でおさえた。 「心臓の音しかしないよ」 「えーと、」 「キサさん、嬉しいと胸が太陽にあたったときみたいにほかほかしない? ぼくはそう感じるんだ。そういうのが心で、気持ちだって想うんだ。キサさんがお母さんのこと考えて、嬉しいって感じるみたいにね。お父さんのこと苦手だなって思っても、心のどこかでちゃんとお父さんのことを考えてあげるのが大切なんだと思うよ。もちろん、考えて胸のなかがほかほかになったら1番いいよね? 健さんはそういうことを言いたいんだと思うんだ」 「そうだよ、それだ! 俺もそれ言いたかったんだ」 「本当かのお」 「信用できなーい」 アレクサンダーと蜘蛛の魔女のつっこみに健はあー、こぼんと咳払いした。 「1度できた関係を変えるなら、今回はキサの側からしか出来ないと思う。どう考えてどう行動するか、全部キサ次第だろうな」 「キサ次第」 とたんにキサの顔が暗くなった。 「そう落ち込むな。お主の父は、お主の中にある世界計の力を恐れているだけじゃ。レポートとかも見たが、そういう感じらしいぞ」 アレクサンダーがすっとキサの足元で、ごろごろと喉を鳴らした。 「あのね、だったらお手紙とかどうかな?」 「ニワトコさん?」 「歩み寄るなら、いっぱいお互いにしゃべることが大切だって、ぼく、教えてもらったんだ。けど、顔を合わせるのが難しいなら、はじめはお手紙はどうかなって? 素敵な花を添えて、ね」 「……ん」 「キサ、無理意地は、俺らはしないぜ。けど、もしやってみたいなら、やってみようぜ。な」 健の励ましに迷っていたキサは小さく頷いた。 「よーし、なら私もひと肌脱いじゃうわよ! 私の子蜘蛛たちが編んだ蜘蛛の糸の封筒、これって頑丈なのよ!」 「花の飾り、一緒に考えよう、キサさん」 蜘蛛の魔女とニワトコの応援にキサは大きく頷く。 アレクサンダーは微笑み、尻尾で軽く健の背中を叩いた。健はそれに照れ笑いして肩を竦めた。 「よーし、じゃあ、俺の白衣のなかにある辞典を貸してやる! え、なんであるかって、そりゃあ、就活とかさ、俺は警察学校いくけど、それに面接とかあってさ、御礼状やらは慣れてるぜ!」 勉強をちょっとだけ中断して テーブルに五人は並び、 真っ白い封筒 言葉を選ぶ辞典を置いて、きれいな花飾りを作って、素敵な手紙を作り出す。 【はいけい パパへ キサからのお手紙です あのね、キサはパパのこときらいじゃない、とおもいます。けど、パパはどうですか?】 その手紙がインヤンガイのハワード・アデルに届いて、困惑させるのはまた別の話。
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