その日、キサは週一で行われる身体検査のため医務室に訪れていた。 世界計の欠片を宿したまま覚醒、保護という奇数な運命をたどったキサは心身ともにいつ異常が出てもおかしくない。 今回、ロストナンバーたちはそんなキサのお供である。「うん。身長、体重ともに変化なし」 クゥがボードの書類にチェックをいれる。キサは白いベッドに腰かけて足をぷらぷらしていた。 医務室の素敵なお兄さん、お姉さん、おじちゃん、おばちゃんたちはべろべろに甘く、お菓子をもらってご満悦である。「でも体重は短期間で増やしすぎだね。あまり炭水化物、特に甘いものは頻繁に食べないように」 ぱしっと食べていたチョコスティクを奪われたキサは顔をしかめる。「ひどい、クゥさん」「太るよ。虫歯にもなる、明日まで没収」「……けち」「健康管理は私の仕事だ」「……えい」 むにゅ。 傍にいて二人の口げんかをほほえましく見ていたロストナンバーたちは、キサが手を伸ばしてクゥの胸をつついたのにはぁ!? と硬直した。ちょ、キサ、そんな冒険を!? キサは不思議そうな顔をして目を瞬いてクゥを見る「ぺったんこ」 ぴしぃ! 再び部屋に気まずい空気が流れる。「……さて、次の検査まで時間があるからここで少し待ってて」 おお、クゥさんおとな対応! ロストナンバーたちがほっと安堵とするがキサはさらに爆弾を投げた。「ねぇねぇ、なんでクゥさんはぺったんこなの?」 やめてあげてつっこまないで、クゥさん本当は豊満な体格してるんだから! ロストナンバーたちの心の声をキサが聞くはずもない。「ねぇねぇ」「身体には常に個人差というものがある。ついでにいうとキサが先ほど触ったのは私のおなかだ」「ふーん。……あ、いま、びびっと、なんか受信した! あのね、うつぶせで寝ても苦しくない? 胸張って姿勢良くしても「ない胸はってもなー」って思う? 男のひとに貧乳好きって言われても死ねよとしか思えない? 谷間なんかなくてもいいじゃない、って明らかに谷間ないのが前提の慰められ方する? 無いのは分かってるのにだいえっとしたら真っ先に無くなっていくのって納得いかない? ……あれ、けど男の人って胸ないよね? 女の人はあるし……なんで?」 キサ、いま、どこからなにを受信して、そんな発言って、ああもう出たよ、子どもらしい疑問と発言!「今ターミナルに多いのは哺乳類。これは母体の乳房から出る乳で誕生初期の栄養を賄うタイプの種族だ。キサもそう。その乳を生成する乳腺の発達と脂肪の蓄積で大きくなる。壱番世界やインヤンガイの場合はこの乳生成を行うのが女性種。だから男性種には乳房が大きくならない。もちろん世界群には例外もいるよ」「子どものためなんだ。どうやったら子どもができるのー?」「世界群が違うと繁殖方法も全く違うから一概にはいえないね。例えば、ヴォロスには大人になってから一ヶ月ほど月明かりに照らされると卵を産む鳥がいる。ブルーインブルーのクラゲの中には事故や外傷で体が割かれると、そのまま二つの個体に増えるものがいるよ」「キサはー?」「……」「???」「……ええとね。キサ、君の場合は壱番世界の人類と同じ。性別が二つに分かれているタイプの繁殖方法だ」「どうやるの?」「…………植物で例えるとね。雌雄が分かれている植物の場合、雄花は花粉を生成し、雌花は花粉を受けて種を生成する。つまり父母の両方の特性を兼ね備えて子孫に託し、生命の種を存続させる。ターミナルにいると実感はわかないけれど、本来、大抵の生物は有限の生に縛られていて……」「むずかしいことよくわかんなーい。でも、めしべとかおしべって恋バナだよね! ねぇねぇクゥさんって恋したことあるのー? キサね、恋バナしてみたい! そしたらめしべとおしべがある意味もわかるかな」 ああ、話題があらぬ方向にいってるよ。どうしよう。
「えーと」 「んーと」 キサでなくとも誰もが一度は抱くであろう子供らしい素朴な疑問に、本日の家庭教師兼御目付け役たち――左に明るい緑の衣服を身に着けた司馬ユキノ、右にピンクとホワイトの可愛らしい外装のアイドルロボットことリニア・RXーF91――苦悩に満ちたため息をついた。 キサの無垢な瞳に見つめられてユキノは真っ赤になってあわあわと言葉にならない発音を繰り返した。 すると肩に乗ったセクタンのカリンに頬をぷにぷにと突かれて、どうにか咳払いまで場をとりなした。 「えーと、ごぼん! いい? キサちゃん、クゥさんが言ったみたいに植物に例えるとね、めしべとおしべがあるの」 「キサ、植物じゃないよ」 「あ、えっと、えっとね、これは物の例えなの。だから、女の人と男の人がいるでしょ? それがめしべとおしべで」 「どっちがめしべ?」 「お、女の人が」 「で、どうやって子どもできるの?」 「……」 矢継ぎ早の質問に、ユキノは困り果てて黙ってしまう。 あくまでクゥのような科学的説明……というか、きちんとした説明を心がけたいが間髪いれずにキサが質問を挟んでくるので一向に話が進まない。 しかし、キサ相手に生々しい男女の話なんてとてもユキノには出来そうにない。考えただけで頭がフットーし、彼女の耳先まで真っ赤に染まった。 ぐるぐる廻る視界、脳のキャパはとっくに限界。 ……十数秒、何も思い浮かばずクゥに視線で助けを求めるものの、ユキノ達がうまくやってくれるとクゥは責任放棄、否、クールな仕事人間らしく書類に目を向けていた。 「キサちゃん……なかなかスゴイことを言いますねぇ」 ごっくりとリニアが喉を鳴らす。 青いレンズの瞳にはロボットと思えない緊張の光が浮かんでいた。 そうだ、リニアちゃんなら年齢も近いからなんとかしてくれるかも! と天からの助けのようにリニアを見たが、それの考えはあまりにも甘かった。 「子供の造りかた、ですか」 「作るものなの?」 「あたしたちの場合だと、結婚したら製造工場に子供を作ってもらえるようにお願いしに……どーいう子ができるかはランダムですけど。あ、もちろん両親、親族の特徴から選択されますよ」 「工場? ランダム?」 キサの目は点となる。 「ほら、クゥさんも言っていたでしょ? この世界にはいろんなタイプの、えっと繁殖方法があるって」 ユキノが優しくとりなす。 「へぇ。じゃあ、リニアちゃんたちは、工場で子どもが生まれるの?」 「そうですよ。工場に専用のお医者様がいて、その人に相談して作ってもらうんです。夫婦のみが申告できるんですがその夫婦のハードとかスペックとかOSの学習記録、そんなメモリを提出するんです。だから親と子は外見と性格傾向が似るんですよ」 リニアの故郷はほとんどが機械によって成立する争いのない、心穏やかな優しい世界だ。機械、とくにロボットの人格も認められ、結婚や子孫を残す行為が認められている。 「ほえー。その工場の中はどうなってるの?」 キサは感心に目を大きく丸める。 「専用のお医者さましかわからないんです」 「ずるーい。そんなのじゃあ、どうやって子どもができるのかわからないじゃない」 「そうですね」 「あれ、それだと、お胸は?」 じっとキサの視線がリニアの胸に向けに向ける。無遠慮な視線にリニアは恥じらうようにさっと両手で自分の胸を隠した。 「子どもは、はじめは栄養のある天然オイルを食べます。そのあと、少しづつ成長過程で外装を整えたり、新調するんです」 「ふぅん」 まじまじとキサはしつこくリニアの胸を見つめる。 「じゃあ、お胸はいらないの? けど、おむねあるね、ちっちゃいの」 「うっ」 ロボットといえど乙女である、ついでにいうと新人アイドルであるリニアはその言葉に軽くダメージを受けたのはいうまでもない。 リニアの世界でも、女の子は胸の大きさを気にするのだよ、キサ。 「あー、ごほん、ごほん!」 リニアが咳払いをして話題を変える。 「キサちゃんは自然発生タイプなんですよね」 「うん。ユキノさんとクゥさんがいうには、そういうタイプみたいだけど、リニアさん、わかる?」 「待ってくださいね、えーと」 リニアは両手の人差し指をこめかみにあてて、眼をとじる。 脳内検索がただいまフル活動中。フル活動中。たとえ計算や予測が苦手でも人が喜ぶことが大好きなリニアの検索機能はキサのためにもがんばるのだ。 ぴろろん、ぴろろん♪ (検索完了音) 「はい! 出ました」 「本当!」 「ええ。あたしのデータベースでは」 1.不思議な力で形作られる 2.どこからともなく現れる 3.両親の共同作業 「ですよ!」 リニアがにこっと笑ってあげた三つの言葉にキサは鳩が豆でっぽう食らった顔で目をぱちぱちさせる。 「不思議な力」 「はい」 「……どこからか現れるの?」 「はい!」 「両親の共同作業?」 「はい! あたしも人間と会うのは珍しいから、ターミナルでいろいろと聞いてわかったのはこれくらいです」 いまいちリニアの発言は頼りないし、信憑性に欠ける。だがキサは大いに満足したらしい。 「ふしぎー! おもしろい!」 「ええ! とっても」 リニアとキサは顔を見合わせて、ぱっと笑う。 その様子をはらはらと見ていたユキノも、なんとかことが収まりそうなのにほっとした。 「同じレベルが二人か」 ぼそっとクゥが呟いた。 「教えてほしくて、いろんな人に聞いても詳しくは教えてくれないんですよ。みんなちょっと言いにくそうなんです」 「どうしてだろう?」 「どうしてなんでしょう? やっぱり、不思議な力は大人になるまで秘密なんでしょうか? それに突然現れるのは大人もわからないのかも?」 んー、とリニアは人差し指を頬にあてて思案する。 「大人もわからないことあるんだね」 「そうですね。けど、大人は何でも知ってる顔をしないといけないから大変なんですよ。あ、けど、このなかで一番理解しやすそうなのが、両親の共同作業ですね」 「そうだね!」 お……おやおや? なんとか話が穏便な方向に誤魔化されて、まとまりそうだったのに、子どもたちの探究心はターミナルの青い空のように果てもなく、きらきらと、晴れているようだ。 リニアとキサの顔がくるっとユキノに向く。 「え」 ぎくっとユキノは身をかたくした。 「おしえて、おしえて」 「ぜひぜひ」 「え、えーと」 ユキノは苦笑いを浮かべて、二人のきらきら教えてビーム攻撃にたじろいだ。 ふと、キサの視線がユキノの顔、の、ちょっと下へ向かう。 「ユキノさんのおむね、おっきい……クゥより、ずっと」 「え! や、そんなこと」 「ねぇねぇなんで大きいの違うの? ……あ、なんかいま、きた、受信した! おっきいおむねかたこらないの? ブラジャーさがすの大変? ときどきそれをまくらにしてねむるの? ほふくぜんしんなんてもってのほか? Tシャツきるとデブに見えるのにタイトなシャツだときょうちょうしてるように見えるのがなやみのたね? マラソンなんかするといたいの?」 「き、キサちゃん、どこからそんなの受信しているの!」 ユキノは顔を真っ赤にして叫んだ。 小さく 「ぬぬぬぬんっ……!」 まるで地の底から唸るように響く声。 クゥは細い目をさらにぎらりと、よく研いだ手術用メスのように凄めて隣――白いカーテンを開けた。 白いシーツの敷かれたベッドに一つしかない目を閉じて寝っころがり、両手をキサの方向に向けて唸っているターミナルの一つ目萌え娘イテュセイがいた。 「ふぅ。そろそろキサちゃんに毒電波流すのも疲れてきたなあって、いたぁ」 「原因発見」 「きゃあ、ちょっとー、なんなのよー! か弱いレディが頭痛で寝ているのに! はたくなんてぇ! これ以上馬鹿に、ううん、はたかれすぎて天才になったらどうするのよ!」 イテュセイがふんぞり返る。 どう見ても頭痛で寝込んでいるか弱いレディではない。 「イテュセイおねえちゃん!」 キサがぱっと嬉しそうに笑う。 「キサちゃん! 久しぶりね! 元気してた!」 イテュセイも元気よく笑ってキサに両手を広げて再会の抱擁を――しようとして、使い魔たちが飛び出した。それも主人であるイテュセイを蹴って。 『キサちゃんだ』『久しぶり~』『そっちのあたしたちは元気?』 「えへへ」 キサは嬉しそうにめっこ一号、二号、三号と頬すりしたり、抱擁したりと忙しい。その最中、主人たるイテュセイがようやく起き上がる。 「ちょっとー! 使い魔たち、なにするのよ」 『あ、あたし、いたんだ』『最近、人使い荒いのよー』『この世にはね、使うあたしと使われるあたししかいないのよね』 ちいさなめっこたちはしみじみとイテュセイを眺めて嘲笑い、睨みつけ、キサを盾にしてブーイング。 分身が本体――というか本人が本人に文句を言っている。ある意味、自分で自分を責める行為だ。 「むっかー! なんなのよ、あんたたち」 そして本人も喧嘩を受けちゃうし。 「イテュセイおねえちゃん、キサ、疑問があるの」 「ん? はいはい、キサちゃんの困ったときに颯爽と現れて、答えてあげるのがあたしの役目だもんね。どうしたの? 質問してごらんなさい」 「子どもってどうやってできるの?」 「え、子供の作り方? ……そんなのは、10000000000000年はやーい! その前にキサちんが「いいひと」ってやつを見つけないとだめよ。大人になればそのうち分かる!」 きっぱり、はっきり、断言するイテュセイ。 「いいひと?」 「そうよ、いいひとよ!」 キサが振りかえると、リニアが頷いた。 「ほら、夫婦じゃないと子どもの申請が出来ないっていいましたよね。クゥさんもめしべとおしべって」 「ああ、めしべとおしべなんだ! え、けど、なんで男の人と女の人なんだろう?」 キサは首を傾げるとリニアとともにイテュセイを見つめる。 「大人じゃないけど、知りたいよ」 「知りたいです」 無垢な二人の言葉にイテュセイは細い眉をぴくりと持ち上げてふん! 鼻息荒く腰に手をあてた。 「しかたないわねぇ!」 リニアとキサがきょとんと見つめる先で、イテュセイはなぜか黒いマントに身を包み、使い魔のちびめっこたちが大釜を用意した。 室内だというのに青い炎を燃やし始め、どろん、どろんと歌いながら踊りはじめた。 「……え、えーと」 ユキノ、リニア、キサは思わず正座に直り、窯の前で魔女さながらのなんかおぞましいイテュセイの動きに見入った。 見てみろ、このあやしすぎる一つ目っ娘! 「できろ、できろ、できろ……リンとカルシウム、炭素と水素と酸素! 大量にね! でも面倒だから水と鉛筆をこんもりで代用します。それをこの中に入れて十ヶ月煮込めば~~~! ……はいこちらに十ヶ月煮込んだものがあります。最後にブーケガルニを添えて完成っと!」 マントをとって無駄に爽やかな微笑。マントを脱いだ一瞬に目の前の釜を十ヵ月煮込んだ釜と交換した。らしい。 釜の中には灰色と黒、さらには紫のなんとなく危険な色の何か。若干、生臭い。 「え、えっと、これって」 「これぞ、キサちゃんのためにあたしたちが生み出したぁあああ、どろろろろん!」 こぼっ。ごぽごぽこぽっこっぽぽぽぽぼぼぽっつつつつ! 「ひゃあ!」 「あ、あわわわっ」 「!」 ユキノはお姉さんとしてリニアとキサをぎゅうと抱きしめる。リニアもキサを抱きしめる。キサは抱きしめられて、守られて、見たのは―― 黒い大釜から、黒くとろけた手がず、ずずんっと持ち上がりがしぃと縁をつかむ。黒い頭部が水面から姿を現す。それの中央には赤い目の印。 なに、この無限の可能性を探求した結果、ものすごくやばいものにぶちあたってしまったような結果は! 手を伸ばしてくる何かからリニアとキサを守るため、ユキノは二人を連れて壁まで下がる。 リニアのなかの危険にマニュピレイターが、がちょんと機械音を轟かせ、攻撃態勢に入った。 ビーム発射! 発射、発射、発射!! 灼熱を帯びた光の刃が全てを溶かす。……はずだった。 しかし! 窯から伸びた手はユキノの二の腕を確保。リニアに伸びた方の手は彼女を足をとる。 「き、きゃあああ。いゃああああ」 「え、ちょ、ああああ!」 腰に黒い影が巻き付いて、ぎゅうと締め付けられるユキノと逆さにぶらさげられてじたばたするリニア。 その様子にキサは涙目になっておろおろ。 「あれっクリーチャーになっちゃった! しっぱいしっぱい! てぺぺろん☆」 右拳でぽこんと頭を叩いて誤魔化すイテュセイ。いや、可愛さでそんな誤魔化しても、騙されないんだからぁ! 「い、イテュセイおねえちゃん、ど、どうしようっ」 「キサちゃん、覚えておきなさい……これが触手ぷれーよ」 「ぷ、ぷれー?」 「そうよ」 真剣な顔でなにいってる、おまえ 「い、いてゅせいさぁん、キサちゃんに、へ、へんなこと、教えないでください。いゃあ、スカートめくらないで!」 「あわ、あわわわ。離してください。もう!」 ユキノとリニアの悲鳴に、キサはハッと我に返った。 「ど、どうしよう! ふ、ふたりがぁ!」 「はい、キサちゃん。この前力の使い所を勉強したわよね? はい復習! 今は力を使っていいときですか?どう?」 「え、え、え、の、能力、え、え、え!?」 混乱したキサは自分の力を使うどころではない。イテュセイはため息をつく。 「駄目ね。どんなときも力を使うべき時に使えないとあたしみたいになれないわよ」 「けど、けどぉ! わぁーん、ユキノさんとリニアさんを離して! このへんなやつ、もうもう!」 混乱したキサは涙目で悲鳴をあげながらぽかぽかと黒い謎の「性別エックスちゃん(byイテュセイ)」を叩く。 と ごん! 無言でクゥが大釜を蹴り飛ばした。釜から這い出ていた化け物は窯の外に放り出され、じゅうと音と煙をあげて酷い悪臭と共に消滅する。 消滅を確認し、クゥが眼鏡の奥からイテュセイを睨みつけた。 「イテュセイ。ここがどこだか知ってるだろう。いい度胸だな」 「て、てぺぺろ★」 がしぃ! 青髪の可愛らしいポニテを鷲掴みに、クゥがイテュセイを引きずった。そして入り口で振り返り「キサは、二人とちゃんと勉強するんだよ」と言ってドアが閉まった。 五分後、イテュセイの悲鳴とともに化け物の残した悪臭が消えた。 戻ってくるなりちびめっこたちはせっせっと掃除に勤しむ。たまにクゥに視線を向け、ひぃと怯える姿にはいつもの生意気さのかけらもない。 「へい、オヤブン!」「ちがうでしょ、ボスでしょ」「ちがうわ、《reine》よ!」 ――知らないほうがいい、医務室の美しい謎がまた、ひとつ、うまれた。 「そうだ、恋バナ!」 ようやく部屋もきれいになった頃、キサは本来の目的を思い出した。 部屋と一緒に綺麗に誤魔化すつもりだったユキノは再度ピンチに陥った。頼りになるクゥもいない。 「ユキノさん、恋バナして!」 「ぜひ聞きたいです」 「こ、こ、こ、ここっ」 「こ?」 「鶏さんのマネですか?」 きょとんとする二人にユキノは我知らずに真っ赤になる。 こ、恋バナなんて無理無理無理無理! 絶対に無理! そんなの異世界のお話だよ! 「キサちゃん! そんなリアルな話より、お姫様の出てくる物語とか読むといいと思うんだ! ね、そうでしょ! そうだよ! 今ちょっと持ってくるから!」 「あ」 ユキノは、力いっぱいキサとリニアの前から敵前逃亡した。 それは、それは、素晴らしい走りであった。ターミナルに爽やかに風を吹かせ、土埃をあげ、ぼうっとしていた女性のスカートをめくり、男のヅラを飛ばした――図書館に行くと、司書が「え、なに、あの影、は、はしっちゃだめよ~」「ごめんなさあい!」とやりとりをしつつ、児童の絵本コーナーに行くと、すちゃ、すちゃ、すちゃあああ! 無意識に本を手に取ってカウンターに行き「これ、お借りします!」と図書館中に響く大声をあげた。 ユキノが出て行ってから数分。 クゥにとられた御菓子を引き出しで発見し、リニアと二人で小さなチョコをもぐもぐしてご満悦のキサがいた。 がたぁ! 「ふえ」 「あ」 ぜーはーぜーはー。 肩で息をしながらユキノは戻ってきた。その右腕にはしっかりと絵本が抱かれている。 「も、持ってきたわ!」 キサは目を瞬かせ、リニアは小首を傾げる。 「これ! ……かぐや姫、雪女、天の羽衣って素敵な恋愛の」 日本昔話が多いのはユキノの趣味だ。出来れば、キサには日本のお話にも親しんでほしい。とっても素敵だから。 「素敵な……」 言ってから気が付いた。 すてきな れんあいの おはなしなんて、ここにあったっけ? 月に帰ってしまった女性、溶けてしまった女性、羽衣をとられて無理やり恋愛……悲しいことに日本の昔話は残酷な悲恋が多いのだ。 「っっ」 ユキノは己の無意識のチョイスに愕然とその場に崩れ、ばさばさと絵本も床に落ちる。 「ゆ、ユキノさん?」 「ど、どうしたの」 「今更、我に返って、ちょっとショックが……あっ、これ」 凹んで床に両手をついていたユキノは、傍らにある本を見て目を見開いた。 そっと「鉢かつぎ姫」を手に取ってユキノは微笑む。 「よかったら、私が読んであげるわね!」 「ほんとう?」 ぱっとキサが笑う、リニアも嬉しそうにジャンプした。 「うん」 「あ、じゃあ、こっちの本は? こっちも聞きたい」 「う。こ、これはね……読む? おすすめは、こっちなんだけど」 「おすすめは一番最後でいいもん! ほかのも、ほかのも!」 ユキノは苦笑いしつつ、キサとリニアの要望に絵本を手にベッドに腰かけ、キサとリニアは小さな椅子に座る。 ユキノはにこりと笑って、むかし、むかし……落ち着いた声で語り始めた。 お爺さんの時、お婆さんの時。 登場人物一人ひとりの口調を変え、絵本をめくるのもタイミングをはかり、リニアとキサの気持ちをじらして引きつけ、どきどきわくわくを高めるテクニックを駆使した。 自分の地元の物語を他の人に聞かせる訓練をしているので、朗読のポイントは心得ているのがいま、役立っていた。 「なんか、かなしいのがおおいね」 「そうですね」 お行儀よく聞いていた二人はしゅんと俯いた。ユキノの語りがうまいだけに、悲しい話ではブルーな気持ちも増してしまう。 ユキノはぎこちなく微笑んだ。 「えっとね、恋なんて甘いものじゃない、障害がつきものってことかな……わ、私にはわかんないけどね! でも、キサちゃんの「心」をちゃんと見て、好きになってくれる王子様が、いつか現れるといいね」 「王子様?」 キサは再びきょとんとする。 「そうよ。最後はおすすめの鉢かつぎ姫ね!」 ユキノは明るい声でキサにウィンクしてみせる。 信じてほしい。 苦しいことも、辛いことも、悲しいことも、きっと意味がある。 苦難を乗り越えて、その素敵な結末までちゃんと見てほしい。 絵本が教えてる。とっても素敵なことはラスト手前にくるものよ! ユキノのお話にキサとリニアはとっても満足したようだ。 しかし。 「子どもってどうやってできるんだろう」 まだそこから離れないのね! ユキノがなんと言おうか迷っているとがしゃーんとドアを力いっぱいあけて 「まったああああああ! あたしのことを呼んだかい! おーいぇい! 呼ばれなくても飛んできて、語るわよ!」 「い、イテュセイさん、お、おかえりなさい」 「語ってくれるんですか! わぁ! キサちゃん、真打登場ですよ」 とリニア。 「ふふ。あたしがキサちゃんの疑問難問に答えてあげる! ここにママのいい所があります。こっちにパパのいい所があります」 いつのまにか、イテュセイの両の手の上に「いいところ」と書いた塊が空中に浮いていた。それがどーんとぶつかりあう。 「こうやってくっつけて! はい、子供の出来上がり! ママとパパのいい所同士が合わさった新生物の誕生よ! だから自分を見れば親のいい所が見えてくる……人間は不完全な生き物なの。一人じゃ生きられないからくっついてるの。そのための道具が愛なのよ」 「い、イテュセイさん、愛を道具なんていわないでください」 ユキノの作ったなんかふんわりといい雰囲気は、イテュセイが三秒で追い散らした。 ついでに、てぺぺろっとごまかす。だって、一目っ娘だから☆ イテュセイの説明にリニアは懐から小さなボタンを取り出してと叩く。 ボタンを押す度、へぇへぇと音がなった。アイドルたるもの感心したときの表現もちょっとユニークなのだ! 「なんか、すごく今日一日で一番勉強になったかですね、キサちゃん」 へぇ、へぇ、へぇ~と鳴らしながらリニアがにこにこと笑うのにキサは不思議そうに自分を見る。 「……いいところ?」 「そうよ?」 「キサがパパとママのいいところ、できてるんだ……いつか、キサも、いいところあわせるの?」 「そうよ!」 「……私は、」 キサが俯いてはにかむ。その顔を見てイテュセイは穏やかに笑った。 無駄にユキノが真っ赤になっているのは気にしない。 「けど、キサ、イテュセイおねえちゃんすきだよ? 無理なの? いいところくつつけるの」 「あらあら、キサちゃんったら、あたしは必要ないわよ? 頂点は常にひとり!」 単純にイテュセイが大好きなキサはちょっと不服そうだ。 「キサ、イテュセイおねえちゃんすきなのに」 「ふふ。男の女の違いも、そのうち、そうね、いやでも人間の集団生活について学ぶ時期がくるわ。同じこという羽生えた優男がやってくるのよ。がんばれ! そのときはあたしもいるからね」 「???」 「なんのことでしょう?」 不思議がるキサとリニアに向け、イテュセイはエッヘンと無い胸を張った。 「ご苦労さま、お茶をいれるよ」 「あ、ありがとうございます」 数分後、戻ってきたクゥはユキノを労う。 キサとリニアは御菓子を食べている傍らで、逆さ吊りのイテュセイが「ちょっとおおおお!」と叫んでいた。 紅茶を一口、ユキノがふとクゥの顔を盗み見る。大人の女性であるクゥはやっぱり…… 「あの、クゥさんの恋話って……」 「……さぁ、ね」 口元に静かな笑みを湛え、クゥは窓の外へと視線を移す。そのしぐさの美しさにユキノの胸がきゅんと疼く。 「あ、あの……」 「寝る前に下着姿でコーラのんで、ぷはぁーうめぇとかいう娘が、なにを」 窓硝子に黒い猫、黒猫にゃんこ司書が貼りついていた 「!? え、あ、にゃんこさん、え、コーラ?」 「……まだクリスマスの時の話を……!」 わなわなと震えるクゥを無視して、にゃんこが窓を開けて室内にはいってきた。 「なかなかキサが戻らないから迎えに来たんだよ。ユキノちゃん、残念だったね。クゥにそんな大人な恋愛なんてねぇ期待しちゃだめだよぉ? それとも」 どろんと黒猫から三十代の男性姿に変身する。何が起きているのか分からないユキノの腰を抱いて顔を覗き込む。 「そんなに恋が知りたいなら、俺と素敵な思い出を作るかい? 子猫ちゃん」 「っ!?」 「子猫ちゃん発言は今時寒いぞ。黒。あと医務室に雑菌を持ち込むな。毛皮ごと消毒するぞ」 クゥと黒にはさまれたユキノは赤面すると 「わ、私には、まだ恋ははやすぎまぅ~!」 叫んで気絶した。
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