「遠野ものがたり」と銘打った企画が受理され、司馬ユキノは居住まいを正す。 改めて、ヘンリーとロバートに、伝えたいことがあったのだ。 またも緊張で手が震えるのを、気力で押さえ込む。(しっかりしろ、私! 大事な話をするんだから!) 旅行の提案とは、違う。 もしかしたら、今後の人生を左右するかもしれない話だ。「あの、下見とか、事前にしなければならないこと、色々とあるんですよね? ……もしよろしければ、私を、ツアーの準備に同行させて頂けないでしょうか?」「おや、それは」「ヘンリー&ロバートリゾートカンパニーの仕事をお手伝いいただける、ということですか?」「はい!」 ユキノは大きく頷いた。「私、旅行が好きでよく行くんですけど、いつも自分が楽しんでばかりで……、それを支える皆さんがどういう気持ちなのか、考えたこともなくて。でも、きっと私が想像するよりずっと大変なお仕事なんだと思います」「楽しんでくださっているのなら、それでいいんですよ」「そのための事業なのでね」「それでも、楽しませてもらっている恩返しというわけではないんですが、皆さんが裏でどんな苦労をされているのか知りたい。私もそれを身をもって経験したいんです」「ユキノさん」「雑用でも使いっ走りでも何でもします、邪魔なら隅っこで大人しくしていても構いません。どうか……、お願いします!!」 ユキノは膝に頭がつくくらい、深々と頭を下げた。 しばらくヘンリーと顔を見合わせていたロバートは、やがて―― 彼女に負けぬほど深い、お辞儀を返す。「――ありがとう。感謝します。そう思ってくださるロストナンバーがいるということ自体が、僕たちの支えです。本当にありがとう」 * *「さて、新スタッフ誕生を記念して、お茶でも淹れようか。といっても、今は簡素な設備しかないので、アイスティーくらいしか出来ないけれど」「ロ」 ユキノは目をぱちくりさせた。「ロバート卿がお茶を?」 またも緊張で目眩がする。「大丈夫ですよ。そんなに不味くはないはずだから」 にこにこするヘンリーを、ロバートはちらりと睨む。「ターミナルには紅茶を淹れるのがたくみなひとびとが多いから、彼らと比べられると分が悪過ぎるけれどね。ヘンリーも飲むかい? そんなに不味くはないはずだから」「淹れてくれるのなら、文句はいわないよ」 そしてユキノは、アールグレイのアイスティーを受け取った。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>司馬 ユキノ(ccyp7493)ヘンリー・ベイフルック(cvsy8059)ロバート・エルトダウン(crpw7774)=========
***遠野麦酒の根回しを 「参加者リストを見せてくれないか。何名になっているかな?」 「はい、現在35名です」 「おや、なかなか個性ゆたかなメンバーだね」 下調べに向かうロストレイル車中、ロバートとユキノ、ヘンリーは、打ち合わせに余念がなかった。ユキノが取りまとめた参加者たちの資料が配られる。 「申し込み順に読み上げますね。シーアールシーゼロさま、川原撫子さま……」 ユキノがひとりひとり、申し込み順に名簿を音読していく。それに合わせ、ロバートは、原資料の申込書を一枚ずつチェックしながら付箋をつけ、書き込みながら言う。 「……アマリリス・リーゼンブルグ嬢、ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード氏もいらっしゃるのか。このメンバーだと」 「はい?」 「地ビールの在庫があっという間に足りなくなりそうだ」 「あっ」 そこですか! と、ユキノは一覧表を握りしめ、食い入るように見つめる。 「ガルバリュートさんとアマリリスさんは飲みくらべをするつもりだと、備考欄に書いてあるしね」 ヘンリーもにこやかに、申込書をなぞる。 「そうですね。それに、現地でお飲みになるかたは他にもいらっしゃるでしょうし」 ユキノは大きく頷いた。抱えていた資料ファイルから、遠野麦酒のパンフレットを取り出す。 「あと、お土産としての需要もあると思います」 「お土産、か。しかし、持ち帰るにしても、当該の遠野麦酒『ヴァイツェン』『ピルスナー』『アルト』はすべて瓶入りなので、個人の手持ちとなるとさほどの量を運べないのではないかな」 「ターミナルへの宅配は不可能だしねぇ」 「でも、購入者の数が多いとそれなりの量が必要になりますよ。私も、無名の司書さんのお土産に買っていくつもりですし、他のかたがたもきっと」 「あの司書か……!」 穏やかだったロバートの表情に、ぴしりと青筋が立つ。 「彼女は執拗に地ビールのお土産を要求していたようだからね。僕たちにも『遠野はホップの生産日本一なんですよ! ロバート卿もヘンリーさんも下見に行くついでに両手に持てるだけ買ってきてください絶対ですよ約束ですよー』と、たいそううるさかった。参加者もさぞプレッシャーだろう。まったく迷惑極まりない」 「……ふむ。この330ミリリットル6本入りセットをふたつくらいなら、何とか」 「ヘンリー。きみは買わなくてよろしい」 ため息をつきながら、ロバートは腕組みをする。 「ブルワリーにお願いして、今ある在庫を全部、供出してもらうようだね」 ***関係諸氏への根回しを 真っ先に訪ねた遠野麦酒の製造もとは、旧く寛政元年からの酒造でもあるという。 ヘンリーとロバートとユキノの名刺を受け取った責任者は、この地の酒にまつわる伝説を話してくれた。 「昔、たいそう繁盛した造り酒屋がございましてね。しかしある日、番頭が酒樽を開けたとき、からになっていたんです。辺りには点々と河童の足跡があり、それは、近くの来内川まで続いていました。この話はすぐに町中の評判になりました。ここの酒は河童が川を上がって盗みに来るほどうまい、ということで、その酒造はいっそう繁盛したそうです」 「その造り酒屋とは、御社のことですか?」 「いいえ。ですが、実際にあったことと信じられていますし、私どもも、そんなお酒を造りたいと願っております。河童が飲み干しにきてくれるほどの」 責任者は誠実な笑みを見せ、自社商品を指し示す。大吟醸「遠野河童の盗み酒」である。 「すると、地ビールはかなり新しい商品ということになりますね?」 「はい、酒造りの伝統ということでしたら、二百年続けて来た自負がございます。『南部杜氏』としての誇りもございます」 「……。二百年ですか」 それはそのまま、自身の人生に符合する。その時間の長さを噛み締めるように、ロバートは復唱した。 「しかし私どもは、ビール造りには初心者です。それを常に忘れずに、地道に、手を抜かずに、美味しいものを提供していきたいと思っております」 遠くからいらっしゃる、たくさんの観光客のかたにご賞味いただけるのでしたら、できうる限りの協力をさせていだきます。 遠野麦酒の責任者は、そう請け負った。 * * 「地ビールの在庫については、これで大丈夫だと思うよ。あとは」 「遠野のひとは観光客を迎えるのに慣れているし、活気が増すのは大歓迎でしょうから、たとえば、自然を乱したりしなければ大丈夫……、とは思います」 「ユキノさんがそう感じるのなら、特に留意しなければならないことは少ないように思うけれどね」 資料を見直しながら言うヘンリーに、ユキノはかぶりを振る。 「いえ、逆に、私が地元のことを知ったつもりになってるせいで、見えていない部分もあると思うんです。おふたりから見て足りないところをどんどん指摘してください、お願いします」 「そうだねぇ、ロストナンバーたちは旅慣れたひとびとが多いので、それほど根回しをしなくても問題は起こらないだろうが、念のためということもある。ちょっと市長に、非公式にご挨拶をしてこよう」 ロバートは、さらっとそう言って市役所に向かい、さして時間も経たぬうちに戻って来た。 「あの、市長さんとどんなお話を?」 「なに、単なる世間話だよ。この市の恵まれた自然と風土や文化遺産を、創作世界の住人の服装に身を包んだ想像力あふれる観光客にも広く紹介し、市民との交流を通して観光振興と地域活性化に寄与したい、とね」 これで、どんなタイプの旅人が訪れようと、たいていの施設に受け入れてもらえるだろう、と、ロバートは言う。 「そうなんですか。リゾート企画では、いつもこういったことを?」 「先ほどの遠野麦酒の責任者のことばじゃないが、僕も、この事業に関しては初心者なのでね。それを常に忘れずに、地道に、手を抜かずに、ということになるのかな」 「勉強になります」 ユキノは感嘆して、何度も頷いた。 「じゃあ私も、私にできる限りのことをします。各施設の管理者さんや、夏祭りの主催者さんなど、お世話になるひとたちのところへご挨拶に行きますね」 「それなら私は、ユキノさんの補佐に回ることにしようかな」 おっとりと微笑むヘンリーに、ユキノは、えっそんな、と、両手を横に振るものの、 「賢明だねヘンリー。あまり、ユキノくんの足を引っ張らないように」 「一緒について行くだけだから大丈夫だよ。彼女の隣で、おとなしくにこにこしているさ」 ということで、ユキノはヘンリー同伴で、各関係者回りをすることと相成った。 * * ――今回のお客さんは個性的でパワフルな方が多いです。負けないくらいの遠野パワーで迎えましょう! 熱く、繊細に、あたたかくアピールするユキノに感化され、関係者一同が全面協力を約束したのは言うまでもない。 ***自分自身への根回しを 観光スポットとして挙げた候補地域や施設を、彼らはひとつひとつ、自分の足で歩き、確認した。 机上の資料やネット情報だけでは、わからぬことも多い。 こういったツアーで求められるものは、何より「安全性」だ。 参加者がそれを求めるのではない限り、物理的な危険が及ばぬよう、道路の状態や足場の安定などをチェックしたのである。 遠野は自然に恵まれている地だが、それは同時に、舗装されていない場所も多々あるということだ。 草が鬱蒼と茂っていたり、誰かがつまずきそうな、不安定な足場があったりするかもしれない。 そして、ターミナルの住人はえてして気づかないことに、夏場の虫の多さがあった。 「虫よけスプレーとか渡した方がいいかもしれないですね」 ユキノのその提案は男性としては盲点だったので、ヘンリーとロバートは、なるほど、と、得心したのだった。 * * 挨拶回りと根回しが一段落し、各施設の貸し切り予約も滞りなく済んだ。 ユキノは、柏木平レイクリゾートのコテージを一棟借りることにした。休憩と、ロバートが写経に興味を示していることを汲んだためである。 清潔な和室が用意され、和机には、写経のお手本と写経用紙が並べられた。 正座したロバートは、墨を手に硯に向かう。墨がゆっくりと摺られ、透明だった水が徐々に艶めいた黒に変わっていく。 ほのかに立ちこめる、品の良い伽羅の香りは、ロバートが個人的に用意したものらしい。 「……その、お香持参とは思いませんでした」 「お香を焚くと、部屋全体と、自身の身体と心が清められると聞いたものでね」 おもむろに筆を取り、写経を始める。 仏説・摩訶般若波羅蜜多心経が、英国人らしからぬ鮮やかな筆さばきで活写されていく。 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄―― こと、り。 頃合いを見計らって、硝子の器に注がれた麦茶と、遠野銘菓「明がらす」が置かれた。 「……ユキノくん?」 「私のおじいちゃんも時々写経をしてました。心が清らかになって安心できるんだそうです」 リゾートカンパニーのお仕事って、大変だけど、やりがいがあって楽しいですね。そう言いながらも、ユキノは不安げな表情になる。 「……でも私……、皆さんが遠野を楽しんでくれるか、本当は不安なんです」 「企画者というのはつねに、そういうものだよ。運営者もね。誰も参加してくれなかったらどうしよう、仕切りがよろしくないと思われてしまったらどうしよう、とね」 「ロバート卿やヘンリーさんも、そうなんですか?」 「毎回、心臓によろしくないね」 「せっかくの企画をうまく活かせなかったら、企画を持ってきてくれたひとに悪い、というのはあるね」 外を眺めていたヘンリーが、振り向きざまにそう言った。 「同じなんですね――そうだ、私も、この気持ちを払拭したいので、一緒に写経させていただいていいですか?」 * * 「ところで」 ロバートがふと顔を上げ、一心不乱に写経を続けるユキノに声を掛けた。 「ユキノくんは、観光事業に興味があるのかな?」 「いろんなことを吸収したいんです。……どうしてですか?」 「いや、もしも将来的に、壱番世界で事業を行うつもりがあるのなら、何がしかの力になれればと思ってね」 「今は、まだそこまでは。でも、これからも色々とお手伝いさせてください」 ――ただついていくだけじゃなく、ゆくゆくは、私が自分で出来ることを見つけたいです。 波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経―― ユキノの闊達な筆が、最後の文字を写し取った。 ――Fin.
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