「ロストナンバーをひとり、保護してほしい」 そう言って、赤眼の世界司書、贖ノ森 火城は『導きの書』を繰った。 何故か溜め息混じりだ。 『その筋』の人を髣髴とさせる鋭利な雰囲気の男がするには似つかわしくない投げやりな表情で、「……名前はゲールハルト・ブルクヴィンケル。四十七歳の男だ。出現したのは壱番世界の日本、場所は大きなスクラップ工場。詳しくは、現地に先行した連中に聞いた方が――というか実物を見た方が早いだろう」 火城はそう言ってロストナンバーたちにチケットを投げて寄越した。「まあ、その……健闘を祈る」 淡々とした火城の口調の端々に、出来れば自分はあまり関わりたくない的な空気が滲んでいたような気がするが、きっと気の所為だ。 * * * * *「魔女なんだそうだ」 開口一番、神楽・プリギエーラの言ったそれに、到着したロストナンバーたちが顔全体で疑問を表現して見せたのは当然のことだっただろう。「いや、うん、見たら判るから、見たら」 神楽は普通の顔をしているが、隣に立つ細身の青年、シオン・ユングは若干疲れた表情だ。 いったいなにごとだろう、と首を傾げつつ、あっちあっち、とシオンに指し示されるまま視線を動かしたロストナンバーたちの動きが止まる。 固まった、と言うのが正しいかもしれない。 スクラップ工場の真ん中、大きなものは自動車、小さなものは釘までといった鉄くずが積み上げられた小山の頂上に『彼』はいた。 金髪に碧眼、彫りの深い、ノーブルと言って過言ではない顔立ちの壮年男性である。 身長は百九十cm近いだろう。いったいどんな鍛錬をしてきたのか、はちきれそうな筋肉によろわれた、分厚い胸板に野牛のような太腿、熊でも一撃で屠れそうな逞しい腕など、鋼のような隆々たる体躯の男だった。 が。「魔女って言っていいのか、アレ……?」 誰かがぽつりとこぼす。 どこから突っ込めばいいのか思案しているといった風情だ。 それも無理はない。 ――ふわふわのパニエとワンピースである。 フリルでレースで大きなリボンである。 ヒールの高いブーツに、華奢な印象の黒レースの手袋、頭にはつばの広い、所謂魔女の帽子。ご丁寧にピンクの大きなリボン。 黒を基調とし、繊細な縫い取りや装飾のなされた美しい衣装だ。 きっとこれを身に纏えば、さぞかし美しく神秘的な雰囲気を得られることだろう。 ――着る人間が筋骨逞しい男でさえなければ。 要するに、ロストナンバー、ゲールハルトは、上記のような衣装に身を包み、何かを叩いたらピコッとか音がしそうな、カラフルでキッチュなステッキを手にして、鉄くず山の天辺でなにごとかを高らかに――朗々と宣言しているのだった。 無駄毛の処理がきっちりしてあるのが更なる脱力を誘う。 それなのに何故か無精髭で頬には大きな刀傷があるのもやる気を削ぐ。「……まあ、つまるところ」 まったく動じていない神楽が淡々と説明を開始する。「ゲールハルト・ブルグヴィンケルは、世界の根幹に関わる魔女の家系に生まれたそうなんだが、すでに彼の世界でも魔女などは廃れて久しかったと」 鉄くず山の天辺で、裾の短いゴシックなワンピースに身を包んだマッシヴな巨漢が、どこかの三十分アニメに出てきそうなステッキを振り回しながら我が前にひれ伏せだのなんだの叫んでいる。 筋肉が隆起しすぎてワンピースが弾け飛ぶんじゃないか、などと要らぬ心配をしてしまう。 正直見たくない、そんなシーン。「そしてブルグヴィンケル家は魔女の家系として畏れられつつも時代遅れとの嘲笑も浴びせられてきており、魔女の家系でありながら男として生まれたゲールハルトは幼少時より馬鹿にされて育ったと」 その辺りのことは、ロストナンバーたちが到着する前に本人が胴間声で語ったようだが、神楽曰く嘘偽りの類いは感じなかったそうだ。「ゲールハルトはそういった連中に復讐するため必死に鍛錬と研究を重ね、ついに魔女の遺産を発掘、魔女の力を我が物とし、世界を魔女の前にひれ伏させるべく行動を開始しようとした……ところで覚醒したようだな」「それがアレ?」「そうだ」「何であの格好?」「魔女のしきたりなんだそうだ」「魔法使いじゃ駄目だったのかな」「魔女と魔法使いでは神槍グングニルと爪楊枝くらい力量に差があるらしい」「何だその比喩……っていうか、あれを保護しなきゃいけないのか……」 魔女っていうか魔女っ娘じゃん、と誰かがげんなりと呟くと、神楽はもっともらしく頷いた。「最近、壱番世界の日本では男の娘(オトコノコ)なる文化もあるようだから、問題はないのでは?」「いやあれは男の娘っていうより漢の娘(ヲトコノコ)だろ」 間髪を入れずシオンが突っ込む。「なるほど、巧いことを言う」「別に言いたくはなかったんだけどな!」 引き攣った笑いを浮かべつつ、「とりあえず、手当たり次第攻撃してくるとかじゃなかったから、そこまで悪い奴じゃないと思うんだよな。今ちょっと興奮してるみたいだし、一発殴るなりなんなりして正気に戻してから説得、ってのが妥当な線じゃないか?」 シオンが至極もっともな提案をすると同時に、ゲールハルトが呪文らしきなにかを叫んだ。途端に鉄くず山が鳴動し、巨大な鋼鉄の竜を創り出す。 鋼鉄の竜を従えたゲールハルトは、『我が前にひれ伏し、全員魔女になるがいい……!』 とかなんとか叫んでいるようだ。 復讐にしては何か色々と間違っている気がするが、今のゲールハルトに言っても通じまい。「ああ、ちなみに」 それを聞いてふと思い出したとでも言うように神楽が手を打った。「迂闊に近づくと魔女化するビームとかいうのを出してくるから気をつけてくれ。……要するにああいう格好になって魔法を使うようになるということだ。それから、魔法も使ってくるし見ての通り直接的な攻撃力も高い。怪我には十分気をつけてくれ」 その言葉にギョッとなったロストナンバーたちがよくよく見ると、鉄くず山の麓には、ここの作業員だろうか、ゲールハルトとよく似た衣装を着せられたおっちゃんたちが放心状態で座り込んでいる。 おっちゃんたちの胸中を慮ると、涙なしには語れない。「あの衣装には防御効果もあるようだから、彼らの身の安全は心配しなくていい」 精神の安全はどうなんだろうと――しかしその方が事後処理的には楽かもしれない――思わざるを得ないようなことを言い、神楽がそんなわけで、と言を継ぐ。「一発殴って説得、ひとつよろしく頼む」 まるで他人事のような物言いからは、本人には何ら戦闘に関わるつもりがないことが伺えて、ロストナンバーたちを再度げんなりさせるものの、「……受けちゃったものは仕方ないよなあ……」 誰かが曖昧な笑みを浮かべて言い、他の誰かが曖昧に頷き、ゲールハルトがまずは力比べだだのなんだの叫んで鋼鉄の竜をけしかけると、なし崩しに戦闘開始となるのだった。
1.とりあえず逃げたい人たち ゲールハルトの攻撃が始まる数分前。 「あー……」 湊晨侘助の口から最初に出たのは諦観とも溜め息とも取れぬ呼気だった。 鋭利にして凛冽なる美貌の付喪神がするにはあまりにも間延びした表情であり仕草だったが、当人にはそんなことはどうでもいい。 「……せやったわ、わぇ、壱番世界の観光に行こうと思っててん。ほな、ちょっと見てまわって来るし、席外させてもらうわー」 なるべく漢の娘な魔女から視線を外そうとしつつ、しれっと言って踵を返そうとした侘助の首根っこを引っ掴むのは響慎二だ。 「いや、うん、俺も出来ればそれに便乗したいけど、たぶん駄目だろ」 「何でやのんーわぇひとりおらんかって皆がいてはったら逝けるってー」 「ちょ、侘助さん、字面字面!」 「後生やから行かせてやー、あんなんと戦ってビーム喰ろて、日本刀が西洋剣になってしもたらどうするのんー!」 じたばたと往生際悪く足掻く侘助の傍らで、 「じゃあ俺はお腹痛いからトイレに篭もってる」 至極真面目に、そんなわけでコンビニ行って来る! ついでにエロ本読んで時間潰してるからあとはよろしく! と爽やかに片手を挙げて立ち去ろうとしたロナルド・バロウズの前に、肩にフォックスフォームのセクタンを載せた日向蘇鉄と、身の丈17.5cmのツーリスト、陸 抗が立ち塞がる。 「蘇鉄君抗君、お腹の臨界点突破すると拙いから通してほしいんだけどな」 「ああ、そりゃ拙いな。まあそこは栓でもしときゃいいんじゃねぇ?」 「栓ってすごい荒業だな!? いや、その栓についてはもうノーコメントを貫くけど、ロナルドさん逃亡に関しては断固として阻止する。死なばもろと……もとい、全員で一丸になってかからなくてどうする」 「えー、だってー。同じ中年としてアレと対峙するのは胸が一杯お腹一杯っていうか酸っぱいっていうか」 「中年……」 「……あ、いや、俺は中年じゃないけど」 「本当に?」 「うん、そういうことにしといて。……それが優しさってもんよ! ね!」 何かが脳裏をよぎったのか、今はまったく関係のない部分で必死の主張をするロナルドの肩を、手伝う気もないらしい神楽がそこだけしゃしゃり出てきてぽんと叩く。シオンは突っ込む気力も潰えたか諦めたか、無言で保護対象を見ている。 「そうか、ここで三十代以上なのはロナルドと私だけだからな。しかしそういう時は中年と言わず年長者と言えばよろしい」 「ああなるほど……って、あれ、神楽君って三十代? 登録年齢は二十四歳になってたような」 「あれは私の精神年齢だ。たぶん」 「実年齢は?」 「三十七」 「え、じゃあ覚醒してからもう十年以上経ってるとかそういう?」 「覚醒したのはつい半年ほど前だ」 「え……ってことは単なる童顔? にしてもなんかおかしいよねソレ。何食べたらそんなに外見が変わらずにいられるの」 「人」 「えっ」 「えっ」 「……冗談だ」 「そうか、よかった……って、どこからどこまでが!?」 主に戦闘不参加者の横槍の所為で、戦いとはまったく関係のない部分で脱力系会話を繰り広げる面々、今でも逃げる気満々の侘助。 戦いが始まる前からぐだぐだな空気が漂う中、エルフのアークウィザード、レナ・フォルトゥスと冒険者テオドール・アンスランだけは、真面目な面持ちで咆哮を上げる鋼鉄竜とゲールハルトを見据えている。 「魔女……ね? でも、男なのよね? まあいいわ、大魔導師との格の違い、見せてあげましょう」 レナが太陽系を模したデザインの杖、トラベルギア『星杖・グランドクロス』を掲げて不敵に笑い、テオドールは知的で冷静な黄金の眼でゲールハルトを見つめた。レナがやる気満々なのに対して、テオドールの眼には共感と労わり、思いやりの色がある。 「しかし、ロストナンバーになって初めての冒険がこれって、切なすぎる……。まぁ、仕方ないけど。やれと言われりゃ全力で止めるだけだしな!」 侘助を羽交い絞めにしながらの慎二の言葉に、 「そうとも、一刻も早く止めなきゃ駄目だ! 俺はッ、オッサンの魔女ッ娘なんか絶対に認めねぇッ! 男として! 美魔女ッ娘の夢を! 絶対に守ってみせる……!」 エクスクラメーションマークだらけの、やたら熱くカッコいいと錯覚しそうになるが実際言っていることは自分の都合一点張りという台詞を吐き――セクタンのカエデが突っ込みを入れるかの如くに彼の頭を叩いている――、 「そうとも、おっさんの世界はどうだったか知らねぇけど、ここでの魔女っ娘ってんのはなぁ、『女子』が変身する事に意義があるんだよっ。つまりおっさんは対象外だ! 突然現れて俺たちの夢を壊そうだなんて冗談じゃねーぜ。今すぐ男らしい格好に着替えて、見た目通り魔男って名乗りやがれー!」 雄々しく男らしく欲望に忠実な発言をしてから、蘇鉄は背負っていたリュックサックから特大の磁石を取り出した。 どこから手に入れてきたのか知らないが、ちょっとした庭石程度のサイズがあり、やたら重そうだ。 どうやら、この磁石で鋼鉄竜の動きを止めようと言うものであるらしい。 ――ただし、その大きさで小山のような鋼鉄竜をどうにか出来るのかは甚だ疑問だが。 「あの竜は俺に任せて皆は先に行け……!」 「ちょ、死亡フラグ……って、えっそれで!? ホントに行けるのかよ、そのサイズで!?」 「逝ける逝ける、ノーエンブレム!」 「字面字面! あとそれを言うなら多分ノープロブレムだから!」 傍らの抗が思わず突っ込む中、逃亡を諦めた、諦めざるを得なかった侘助とロナルドが、溜め息混じりにゲールハルトを見上げる。 「……はよ終わらせてさっさと帰ろ」 「うん……そうだね、気力が死滅する前に終わらせようか……」 鉄くず山では、折しも、ゲールハルトが力比べだのなんだの叫んで鋼鉄の竜をけしかけるところだった。 普通乗用車をまるかじり出来そうなあぎとを開いた無機質の竜が、スクラップ工場全体が振動するような咆哮を上げ、襲い掛かって来るのを目にして、ロストナンバーたちの表情が自然と引き締まる。 外見はアレで内容はコレでも、厳しい戦いが目前に迫っていることに違いはない。 「ゲールハルト氏の保護を最優先事項として設定、まずは竜の打倒と当人の沈静化を狙う。……この認識で問題はないだろうか?」 どこまでも冷静にテオドールが問うと、ロストナンバーたちからは同意の声と頷きが返る。 同時に、鈍く輝く鋼鉄竜が、取り付いていた鉄塔から跳躍、こちらへ突っ込んで来て、あっという間に戦いが始まる。 「……あのビーム喰らいそうになったら、慎二さん辺り盾にさせてもらおかな……」 戦いに臨みつつも戦々恐々とした侘助の小さな呟きを、当人が聞いていなかったのは幸か不幸か。 2.激戦、失意体前屈! 「ふむ、なら……まずは」 ロストナンバーたちを見渡し、レナが杖を掲げる。 「アクセラレーション!」 高らかに一声唱えると、杖が光を放ち、ロストナンバーたちの身体が淡い光をまとう。 「お、身体が軽くなった……なるほど、速度強化魔法ってやつかな。これなら更に力を使いやすそうだ、ありがとう」 ニッと笑って礼を言い、抗がふわりと宙に浮かび上がる。 彼の持つPK能力――抗の故郷では御龍使と呼ばれる――によるものだ。 「ひとまず俺はゲールハルト説得にまわるぜ」 「了解、気をつけて」 ウィンクする抗にレナが笑って手を振る。 ロナルドはトラベルギアの戦闘用ヴァイオリン【たらこ】を構えた。 もう片方の愛用ヴァイオリン【かずのこ】はおうちでお留守番中である。 ちなみに彼は別に魚卵の熱狂的な愛好家というわけではなく、『こ』がつけば日本人女性の名前になると信じているだけだ。 「準備はし過ぎってことはないからねー」 言いつつ弓を弦に当て、ほんの数十秒ほどメロディを奏でる。 たかだか数十秒の演奏でありながら、それはヒトの心を蕩かす力を持っていて、誰かが小さく感嘆の息をつく。 ボウイングの手法といい、多様にして重厚な表現といい、ここに壱番世界の音楽に詳しい人間がいたら、“無限の天才”ヤッシャ・ハイフェッツを思い起こしたかもしれない。 「ま、こんなもんかな。ちょっとでも足しになればおじさん嬉しいよ」 ロナルドが言う通り、『音楽』は彼らの身体にしみこんで行き、身体能力や防御力を底上げした。 「サンキュー、ロナルド! よっしゃ、いっちょ派手に逝くかー!」 「だから蘇鉄さん、字面ー!」 慎二に突っ込まれつつ、どこまでも暑苦しく拳を握った蘇鉄が飛び出していく。 その隣にテオドールが、その更にとなりに慎二が並んだ。 テオドールはトラベルギアであり普段の得物でもある双短剣を、慎二もトラベルギアの中国剣を手にしている。 「まずは、こちらが敵ではないと意思表示をしなくては」 テオドールの、どこまでも静かで理知的な――ゲールハルトのいでたちなど気にも留めていないといった風情の――言葉に慎二が頷く。 「だな。だとしたら竜はやっぱり邪魔だな……」 「心配すんな、その時は俺のこのミラクルマグネットが火を噴くぜ!」 「いやいやいや、まずそのネーミングで軽いジャブって感じだけど、磁石が火を噴くのも拙いしそもそもサイズ的にどうなのそれ」 「むう、鋭いところを突いて来るな、慎二」 「ああうん、いっこも鋭くないと思うけどな!」 やはりどこかぐだぐだな会話が交わされる中、エアーPKを駆使し、小さな身体を利用して竜のあぎとを掻い潜り、真っ先にゲールハルトの元へ辿りついたのは抗だった。 「おーい、とりあえず話を聴いてくれー」 太く逞しい腕を組み、仁王立ちで眼下を睥睨している魔女ッ(漢の)娘の周囲を飛び回りつつ、抗が説得を開始する。 「まあ、その……何だ、色々大変だったみたいだな」 共感を込めてうんうんと頷き、 「ま、あれだ。俺は歌って踊れる着せ替えフィギュアだからな。この前も絶世の美女目指してアニメのヒロイン的装いだったし、今回は妖精モードで対抗してやる! 魔女っ娘ビームだってドンと来い! ……って、あれ?」 自虐ネタも含めて語りに入ろうとしていた抗は、致命的なことに気づいた。 「その前に俺が視界に入ってなくね!?」 何せ鋼鉄竜が咆哮しけ翼や尾、爪を振り回し、たたましい金属音を響かせる戦場である。身の丈17.5cmの抗は、まだゲールハルトに見つけてもらえていないのだった。 「ちょ、おい、おおーいって! ここだ、ここ!」 顔の周りを飛び回り、ぶんぶん手を振ると、ようやくゲールハルトの視線が抗を捕らえる。 「む、何とも小さき者が飛んでいるようだ。貴殿は妖精や精霊の類か」 「あー……まあそういうことにしてくれ。なあゲールハルトさん、俺たちはあんたを説得に来たんだよ」 言うと、ゲールハルトが高貴にして精悍な面で抗を真っ直ぐに見つめ、抗はその顔でそのいでたちってどうなのよと裏拳を唸らせたくなる衝動と必死で戦った。ここでボケツッコミを満喫している場合ではない。 「説得……とは?」 「ああ、いや、説明、かな。あんたが知らない色んなことを」 「ふむ……」 ゲールハルトが思案する様に理知を感じ、これなら行けるかも、と思った抗だったが、激しい勢いでかぶりを振ったゲールハルトが、 「いや、ならぬ! 私には、ブルグヴィンケル家の名誉のためになさねばならぬことがあるのだ……貴殿らの申し出は、受けられぬ!」 いきなり目から怪光線を放った。 擬音語にするとたぶん、ビカァ、である。 魔女化ビームって目から出るのかよ!? と突っ込む暇もなく抗はその光に飲み込まれ、――次の瞬間には、ゲールハルトと似たようないでたちに変身させられていたのだった。 フリルとレースとリボン満載の、ちょっとゴシックでロリータな、とても美しい仕上がりのワンピースではあったが、男という性別で決して手を出してはいけない代物であることに変わりはない。 「うわー……来やがったか……」 しかし、脱力し若干項垂れつつも、すでに多少の耐性が出来てしまっている抗にはそれほどのダメージではない。 「あ、そうだ、ほら、魔女には妖精が付きものじゃねーか? 俺があんたを導く妖精になってやるからさ、どうだ、俺と一緒にこっちの世界に来ないか? 悪くない話だと思うんだけどな」 身振り手振りを交えてここぞとばかりに説得もしくは懐柔に尽くすものの、ゲールハルトの目は最早抗を見ていなかった。キッチュでポップなステッキを振り上げ、鋼鉄の竜に何ごとかを命じただけだった。 それに応えるように竜が吼え、全身に稲妻を纏いつかせる。 「ぅおあッ、危ねぇッ!?」 巧い位置に磁石を設置しようと躍起になっていた蘇鉄が、雷撃を食らいかけて跳んで逃げる。身の丈十五メートルほどの竜だ、雷撃など喰らわずとも踏まれただけで危険ではあるが。 「あーくそ、面倒なことになってきたなあ……」 と、ぼやく抗に、 「抗、退いて! 一度ぶっ飛ばして目を覚まさせるわ!」 レナの鋭い声がかかる。 彼女の周囲を濃厚なエネルギーがたゆたっているのを感じ取り、抗は大急ぎでその場を離れた。 「言うなれば、これからが本番ってことね」 レナが、星杖・グランドクロスを高く掲げる。 「ファイアボール、ファイアボール、キロ・ファイアボール、メガ・ファイアボール!」 矢継ぎ早に呪文を唱え、様々なサイズの火球を生み出して、ゲールハルト目がけて撃ち放つ。 最大で大型乗用車ほどもある火球が恐るべき速さでゲールハルトを襲うが、彼はそれを真っ向から見据えて猛々しい笑みを浮かべた。そこだけ見れば大層男前なのに、と、とても残念な気分にさせられる精悍な笑みだった。 「笑止! 唸れ叡智の聖杖……我が魔力に震撼するがいい!」 どこまでも格式高い物言いで、ゲールハルトは、飛来する火球を――――例のステッキですべて打ち返した。 カキーン、という、清々しいほど高らかな音。 打ち返された火球は、空の向こうまですっ飛んでいき、見えなくなった。 「ちょっと、仮にも魔女なら魔法で対抗しなさいよー!?」 レナが驚愕と屈辱をごちゃ混ぜにした顔でエア裏拳を炸裂させる中、 「……あの火の球、どこかに石でも入ってたのかな……」 何故金属バットで硬球を打ち返したときよりもいい音がしたのかが気になって仕方ない慎二がぼそっと呟く。 「それよりもわぇは火の球を打ち返せるあの杖の原理が知りたいわぁ」 「ああ、それも気になる。……っていうか侘助さんは何で俺の後ろにばかりいるのかな?」 「えー、気の所為やて。気にしたらあかんえ。あー、ゲールハルトさん、あなたはすでに完全に包囲されてるんやでー、諦めて投降した方が主にわぇとかのためにええでー」 まったくもってやる気のない声と口調で、慎二の背後から一応説得らしき文言を投げかける侘助だが、当然、ゲールハルトは聴いていない。 「たぶん聴こえてないと思う……」 鋼鉄竜の尾による鞭のような攻撃と雷撃を避けながら慎二がぼそっと言うと、侘助は真面目な顔で頷いた。 「これでも頑張ってるんやでー? ……うん、まあちょっとでも解決に協力したみたいな立ち位置でいたらええかな、って。正直今すぐにでも回れ右したいんやけど」 「真面目な顔で本音が駄々漏れだよ侘助さん」 「西洋剣になりたないんやから仕方ないやろ!」 「うわあいきなり逆切れ」 「あんなビーム喰らったら、鞘の椿柄がファンシーな薔薇に変わってまうかもしれん……そんなんなったらわぇ、百年は引き篭もるわ……!」 モノとしての己に自信がある侘助としては、日本刀が西洋剣になるなど想像もつかないほど衝撃的な出来事だ。当然、死んでも刀には変わらんとこ、と固く己に誓っている。 そして、魔女化ビームは慎二で防ぐ気満々である。 ……が、運命とは時に非情なものなのだ。 「まあ……凶悪犯じゃないし、ギアはまずいよな、やっぱり」 と、テオドールと蘇鉄が竜をいなしてくれている中、高い身体能力を活かしてゲールハルトの懐へ飛び込んだ慎二が、 「ここは男らしく拳で勝負!」 と、肉を切らせて骨を断つ覚悟で挑んだところで、 「ほほう……なかなかやるな。しかし……まだだ!」 巨体に似合わぬ軽やかな足運びで拳を避けたゲールハイトによってまたあのビカァの犠牲となり、華麗にビームを喰らってすっ転んだ、その一直線上に侘助もいたのだった。 「えっ……ちょ、流れ弾ならぬ流れビームとかホンマやめてほしいんやけど……!?」 ビームは慎二だけでは止まらず、狙い過たず侘助をも貫き、飲み込んだ。眩しい光に男ふたりが包まれたかと思うと、次の瞬間には前のめりで落ち込む魔女ッ(漢の)娘たちがその場に爆誕している次第である。 「さ、さすがに立ち直れない……こんなの見られたら、もう慎ちゃんお婿にいけない……ッ!」 残念すぎるくらい色男台なしで、溺愛している妹に見られたら生きていけないと地の底まで落ち込む慎二は、薄紫とラベンダー色を基調としたパンクテイストの魔女っ娘衣装に身を包まされていた。 動きやすいパニエ風のミニスカートに編み上げブーツ、ガーターベルトといういでたちで、手にした武器は魔法のステッキ……ではなく何故かハリセンだった。両サイドに縦書きで『色即是空』『なんでやねん!』と書いてある。 「それは俺が言いたいわああああああ!」 握り締めたハリセンに向かって突っ込むというネタ感満載の慎二(これでも海外では著名なミュージカル俳優)の傍らでは、首元や胸元、背中が大きく開いた、いわゆるローブ・デコルテ風のシックで妖艶なワンピースに身を包まされた侘助が失意体前屈の姿勢を取っている。 正直、凛冽な美貌の侘助にそれは似合っていたし、背中があらわになるデザインのため、優美な龍の刺青が見えていて、それがまた倒錯的な美しさを醸し出しているのだが、当人は何をいわれてもまったく嬉しくなかっただろう。 「うわー、阿鼻叫喚ってこういうことを言うのかなあ。いや、うん、ふたりとも似合ってるぜ!」 あまり堪えていない風の第一犠牲者、抗が一応フォローらしきものを入れてくれるが、それに対する返答は当然なかった。 「あああ……何でわぇがこんな目に……」 侘助はしばらく打ちひしがれた人妻のポーズでなにやらぶつぶつとつぶやいていたが、ややあってすっくと立ち上がると、無言かつ真顔で、ゲールハルトに向かって歩き出した。 「侘助さん、どうし……」 呼び止めようとした慎二は、侘助の目が恐ろしいほど据わっていることに気づいて言葉を飲み込んだ。今声をかけたらたぶん殺られる。 思わず我が身を庇う慎二の視線の先で、侘助が無言のままゲールハルトに殴りかかるのはその数秒後。 ――ギア? なにそれ美味しいの? 男なら拳で語れ……と言わんばかりの勢いで肉弾戦に持ち込む侘助に、ゲールハルトが楽しげな笑みを見せた。 「なるほど……我が身と魂は魔女の誇りに捧げたものなれど、拳と拳で語り合うことで勝負を付ける、貴殿の心意気には感嘆を禁じ得ぬ。……ならば私も参ろう、魂の触れ合いに」 握り締められた拳がぼきぼきと凶悪な音を立てる。 侘助はニヒルな笑みとともに地を蹴り、拳を振り下ろした。 鈍い打擲音、ぶつかり合う肉体、飛び散る汗。 ふたりの表情が、妙に判り合っているように――充足感に満ちて見えるのは気の所為だろうか。 「うん……絵的に超微妙……」 磁石を駆使して鋼鉄竜と絶賛交戦中の蘇鉄が、すっぱいようなしょっぱいような表情をした時、悲劇は起こった。 侘助と魂の語らいをするうちに何かが緩んだのか、ゲールハルトの両眼から例のビカァがほとばしり、蘇鉄と、その直線上にいたレナを巻き込んだのだ。 「げっ、カエデ、防御だ!」 巧くいけばケモ耳美少女魔女ッ娘が見られるかも、という自分の願望てんこ盛りの思惑とともにカエデを目の前に掲げる蘇鉄だったが、運命はやはり非情だった。 なぜならビームは、セクタンを逸れて蘇鉄のみを飲み込み、ついでにレナをも包み込んだのだ。 「え、ちょっと、あたしもー!?」 そもそも大魔導師なのだから魔女化してもあまり関係ないように思えるが、レナ的には青天の霹靂だったらしく、ものすごい驚愕が伝わって来る。 「あああああ……」 ボディラインがくっきりした、ボンデージ風魔女ッ娘ワンピースに身を包まされ、レナが前のめりに折れ曲がって打ちひしがれるのを、 「レナ、すげー似合ってる……俺ちょっと興奮しちまったぜ……!」 やっぱこういうのは女の子じゃなきゃ! とはしゃいだのち、自分のいでたちからは目をそらす蘇鉄である。見えてない見えてない、見えてないから着てないよ魔女ッ娘衣装なんて。 自分に念を送って誤魔化すが、膝から下がスースーするとか、身体を動かすたびに布地がふわっとゆれるのが判るとか、現実を直視したら何かが折れそうだ。 盾にはなれなかったカエデが、蘇鉄を慰めるように頭を叩くが、正直その慰めで立ち直ることは出来そうになかった。 ――とはいえ、戦闘は絶賛続行中である。 3.誇りの在り処 竜の尾が、あぎとが、雷撃がスクラップ工場を抉り、破壊する。 鉄くず山の近くに立つ鉄塔が、爆風や衝撃でぐらぐら揺れている。 「いや、うん、すごいな。ってことでもう帰っていいかな俺」 何が『ってことで』なのか判らないが踵を返そうとするロナルドの肩を、魔女ッ娘慎子ちゃんの力強い手が掴む。 「ひとりだけ逃亡、駄目、絶対」 「何でそんな標語っぽいの!? いや、だってさあああああ」 未だゲールハルトは侘助と殴り合っているし、鋼鉄竜はテオドールと蘇鉄、PKを駆使した抗、そしてちょっとヤケクソっぽいレナが相手取っている。 「おじさんがいなくたって何とかなるって、ね!? どう考えても俺がアレは拙いでしょ!?」 ロナルドがかなり本気で泣きそうになりながら言った時、ゲールハルトの拳が侘助を弾き飛ばし、彼を後方へと下がらせた。 「しゃーない……今日はこのくらいで勘弁したるわ……」 フッとニヒルに笑って口元に滲んだ血を拭う侘助、 「貴殿との語らい、実に有意義であった。またの機会があれば、いずれ……!」 精悍に笑って頷くゲールハルト。 ――どう見ても魔女とか魔法が絡んだ戦いじゃない。 「俺みたいなか弱い男にあそこに突っ込めとか絶対無茶だって」 「そりゃ確かにゲールハルトさんと比較したらここの全員か弱く見えますけど!」 ロナルドがどうあっても手を放してくれない慎二と押し問答をしていると、テオドールが竜の猛攻をかいくぐり、ゲールハルトの懐へと飛び込んだ。 鋼鉄竜はというと、レナが強化した蘇鉄持参の磁石に尻尾を縫い止められ、身動きしづらくなっている状態だ。 「よし、畳み掛けるぞ!」 勢いづいた蘇鉄が懐中電灯を取り出す。 彼のトラベルギアらしいが、その鈍器でどう畳み掛けるのかロナルドには判らない。 魔法で拳銃を練成したレナが援護射撃を行い、PKで持って抗が竜を内部から破壊して行く中、テオドールがゲールハルトと向かい合う。 「……話を聴いていただけませんか」 静かな声に、ゲールハルトが視線を向ける。 テオドールの、眩しいばかりの黄金の双眸には、魔女の衣装に身を包む逞しい巨漢への、いかなる負の感情も浮かんではおらず、むしろそこには共感と敬意すら見える。 ゲールハルトが話を聴く体勢を取ったのも、それゆえなのかもしれない。 「貴殿は」 「テオドール・アンスランと申します。我々はあなたの敵ではありません。いえ、そもそもここはあなたの世界ではないのです」 「……どういうことだ」 テオドールが小さく頷き、真理のこと、ロストナンバーのこと、世界図書館のことなどを淡々と、判りやすく説明していく。元々は知的で勤勉な男なのだろう、ゲールハルトはそれへ、大人しく耳を傾けているようだった。 数分後、 「そのようなことが、まさか……」 ゲールハルトの青い眼が、困惑と疑念を孕んで揺れる。 「私も、今あなたの竜と戦っている人たちも、同じような背景でロストナンバーとなり、世界図書館に所属しています。世界こそ違えど、あなたと我々は同胞なのです」 「むう……」 「魔女の血に誇りを抱くあなたの姿勢に敬意を表します、ゲールハルトさん。誇りや大切なものは、外見などによって左右されるものではないと、俺も思いますから」 「……その言葉、貴殿にも何かあったということだな」 「ああ、いえ……俺は、この眼が奇異だというので、白眼視されたことがありまして。俺にとっては敬愛する父から受け継いだというだけのことで、卑下するものではありませんでしたが……それでも、幼いころは、心ない視線と言葉が、痛かった」 「そう、か……」 テオドールの共感と敬意の意味を知ってか、更に逡巡しているゲールハルトの姿にロナルドは溜め息をつき、ふたりの元へと歩み寄った。 「要するに、このままだと復讐じゃなくてただの迷惑行為になっちゃうの。たぶんもう判ったと思うんだけど……やめてくれるよね?」 ロナルドの言葉に、ゲールハルトが眉間に皺を寄せる。 悩んでいる……というか、混乱はしているだろう、恐らく。 唐突に覚醒だの真理だの言われたところで、咄嗟に受け入れるのは難しい。 特に、ゲールハルトのように大いなる目的を持っているものにとっては。 しかし、本来は賢明で勤勉な、恐らく思いやりも深い男だからこそ、彼はこうして迷っているのだろう。 ロナルドも、それらを否定はしない。 音楽に置き換えれば、彼の怒りはよく判る。同じようなことをされたら、ロナルドも怒るはずだ。長い長い時間をかけて磨いてきた、自分をかたちづくり律するものを否定される、その苦しみを否定することは出来ない。 そう、ゲールハルトの怒りの中には、彼が傷つけられたことの他に、脈々と受け継がれる魔女の血を侮辱されたことも含まれているのだろう。 「だけどさ、考えてみてよ、ね?」 しかし、彼の方法は正しいと思えない。 「ご先祖様とか、あなた自身の誇りは肯定するの? 今の、力尽くで何かをしようとしてる状態をさ」 ゲールハルトがこれほどまで誇りに思い、我が身を捧げるものなのだ、代々受け継がれてきた『魔女』とはそんなものではないはずだ。 「何が正しいなんて俺に断言出来るわけはないけどさ、まずは冷静に理解を求めるべきなんじゃないの?」 「……それは」 「だって、ねえ、傷つけられた誇りに泥まで塗るの? 押し付けるだけじゃ、古臭いって笑った連中と同じだって、本当は判ってるんでしょ?」 ロナルドの言葉に、ゲールハルトが唇を引き結ぶ。 「ゲールハルトさん、判り合うことはいつでも出来ます」 そこに重ねられる、テオドールの穏やかな言葉。 ゲールハルトの逡巡している様子に、ちょっと頭も冷えてきたかな、これなら大丈夫かも……とロナルドが(色々な意味で)胸を撫で下ろそうとしたところで、 「だがッ、しかしッ!」 苦悩の表情でゲールハルトが顔を覆い、 「こうしてここまで来てしまったのだ、今更、どうしろと……!」 彼が叫んだその瞬間、『ごめん漏れちゃった』的な唐突さで彼の指の隙間から例のビカァがほとばしって、まったく予想もしていなかったロナルドと、隣のテオドールを包み込んだ。 「えええ、このちょっといい展開でこうなるのー!?」 ロナルドのわりと悲痛な悲鳴。 隣のテオドールからも驚愕の呼気が伝わって来る。 ややあって光がおさまると、そこには膝上二十cmという色んな意味でギリギリの魔女ッ娘風ワンピースを身にまとわされたロナルドと、黒い布地に赤と金のレースやリボンが大変豪奢で美しい、パニエのふくらみも可愛らしいワンピース、胸元にどこかの三十分アニメで見かけそうな可愛い変身アイテム風胸飾といういでたちのテオドールが棒切れのように突っ立っているのだった。 「ぅわー……来た来た、来たよこれ。やばい、駄目だって、ダメダメ、現実を直視したら何か大切なものが折れる……!」 ロナルドとしてはその場に蹲ってこれは夢だ、そうともビューティフルファンタジードリームなんだと自分に言い聞かせていたかったのだが、 「大丈夫ですよロナルドさん」 どこまでも冷静にテオドールが笑ったので――ちなみにこの場で抗から「テオドール超似合ってる、可愛い」という声援が飛んだ――、すごい精神力、胆力だと感心しかけた。 が。 「そうですね、以前着た舞踏会用のドレスより動きやすいですし、何よりこの軽さはいい。……あの時は囮捜査で、女装ではなく『男がそのまま女性の服を着る』という現実に直面して世を儚みかけたものです。ええ、とてつもない抵抗でした……やはりああいう場合は、身体の線を隠す、丸みをつくるなどの工夫が必要なのではないかと」 「ああ、うん……そうだね、その通りだ……」 若干遠い目で自分の不利なことまで淡々と語り、さらには改善方法まで模索し始めているテオドールに、彼が現実逃避気味であることに気づいてロナルドをはじめ周囲の人々が涙をこらえる。 真面目で誠実なこの好青年にも、魔女化ビームは多大なダメージを与えてしまったものであるらしい。 これで戦闘参加者は全員魔女化が完了してしまったわけだが、外見さえ見なかったことに出来れば、魔法を使えるなら戦いを有利に運べる、と慎二や蘇鉄が気勢を上げる中、 ばちんッ! と音がして、見れば蘇鉄の磁石を弾き飛ばした竜が、大きなあぎとを開いて猛々しく咆哮するところだった。 びりびりと工場全体が震動する。 鉄くず山付近で現実逃避中の作業員の皆さんは気に留める様子もないが。 「ああもう、キリがないわ……!」 忌々しげにレナが舌打ちする。 ゲールハルトを見遣っても、まだ苦悩しているようで反応はない。 「……まずはあれを沈黙させることが先のようです」 「ああ、うん、そうだねテオ子ちゃん」 「そこはテオドラかテレーズでお願いします」 「えっ呼んじゃっていいんだ……」 一見冷静に見えるがどうも思考がちょっとずれてしまったと思しきテオドールが真顔で言う中、ロナルドは盛大な溜め息をついてトラベルギア【たらこ】を構えた。 「この格好で戦いとか正直埋まりたい」 ロナルドの独白にいくつもの頷きが返る。 しかし、やらねば終わらない。 そんなことは誰もが判っている。 「……清純派だからパンチラはなしだ」 誰も求めていないだろうが言わずにはいられなかった台詞を吐き、ロナルドは弓を弦に当てた。 それと同時に、ハリセンを手にした慎二と懐中電灯を手にした蘇鉄が飛び出していき、その背後ではレナの援護射撃が始まる。ブーメランになるウサギ耳の帽子を手にした抗もエアーPKでもって飛び出していったし、どこまで正気なのか判然としないテオドールもスカートの裾を華麗になびかせながら竜めがけて突っ込んでいった。 一仕事終えた顔の侘助だけは、あの妖艶な衣装に身を包んだまますでに神楽やシオンと談笑を始めていたが、そこは割愛する。 「っしゃ、今度こそ畳み掛けるぞッ!」 炎をまとわせた懐中電灯を振り上げた蘇鉄が鋼鉄竜の前脚を砕き、 「コノウラミハラサデオクベキカー!」 呪文らしきものを叫んだ慎二のハリセンが鋭い流水をほとばしらせて竜の尾を断ち、バランスを崩させたところで抗のブーメランが後脚にヒット、全長十五メートルの巨体を大きくぐらつかせる。 そこへ、 「ふ……ッ」 テオドールが低く鋭い呼気とともに跳躍し、速度と回転を加えながら激烈な踵落としを竜の頭部にお見舞いすると、顔面を半分砕かれた鋼鉄竜がガラスを引っ掻くような不快な咆哮とともに仰け反った。 ――ちなみに、テオドールの踵落としが決まると同時にスカートがふわりとたわんでその下のものがあらわになったような気がするが、テオドールの名誉にかけてきっと気の所為である。 「よしッ、とどめだッ! マジカル☆中年、恥・じ・ら・い・の・ソニックウェーブ!」 一見するとノリノリに見えるが実際にはヤケクソである。 ものすごい必殺技名を叫びつつ目の縁に滲む光る雫に、誰もが涙とともに共感せずにはいられなかった。 「もうホントおしまいにしようよお願いしますッ!」 ロナルドの本音ポロリとともにソニックウェーブが鋼鉄竜を襲う。 それはそもそもトラベルギア【たらこ】の持つ力なのだが、持ち主が魔女化している現在、【たらこ】から放たれた衝撃波はお花と虹と星屑の幻影を撒き散らしながら鋼鉄竜にぶち当たり、無数の金属片で出来た武骨な竜を打ち砕いたのだった。 最期の咆哮を上げ、半分になった竜がゆっくりと倒れて行く。 安堵の息があちこちから漏れたのも束の間。 その先には、 「あ、拙い!」 抗が叫ぶ通り丈高い鉄塔があり、その傍らの鉄くず山にはゲールハルトが苦悩の表情で佇んでいるし、何よりその下にはまだ茫然自失中のおっちゃんたちの姿がある。 「しまっ……!」 どおん、があああああん。 鋼鉄の竜が鉄塔にぶち当たり、鉄塔ごと倒れて行く。 もうもうと砂埃が上がり、誰もが最悪の事態を予測した――次の瞬間。 4.なんだかんだで大団円? 「くそッ、大丈夫か、おっ、さ……ん……!?」 驚愕に顔を青褪めさせた蘇鉄の声が引っ繰り返ったのは、 「ていうかもうそれ魔女とか関係なくないかなあ」 呆れた声と顔で慎二が言うように、魔女の衣装がはちきれんばかりに筋肉を隆起させたゲールハルトが、倒れ込んで来た鉄塔を受け止め、持ち上げていたからだ。 ちなみにこの鉄塔、高さ十メートルを超える大きなものであることを蛇足ながら付け足しておく。 無論、軽々と、とは行かぬようで、今にも押し潰されてしまいそうではあったが、しかし、ゲールハルトの表情はどこか安らかだった。 「私が間違っていた……」 彼の青い目には、理解と納得、そして甘受の色がある。 「世界を異にするものたちが協力して戦う姿、実に美しかった。貴殿らは私を打ち倒しに来たのではなく、私を説得するために来てくれたのだな。それがよく判った……」 ならばこのまま斃れるとしても悔いはない、と笑うゲールハルトに溜め息をつき、 「よいしょ、っと!」 彼の傍まで飛んだ抗が、PKで鉄塔を支える。 「……妖精殿」 「俺は抗、陸 抗って言うんだ。でもまぁ、あんたの妖精になってやるって言ったもんな」 言って笑う抗を、ゲールハルトが眩しいものを見る目で見つめるのと、 「やれやれ……まあいいわ、穏便に事態が解決出来るなら」 武器召喚術で魔法のコメットハンマーをつくりだしたレナが、ふたりが支える鉄塔を特大のそれでぶん殴り、粉々に打ち砕くのとはほぼ同時だった。 がらがらがらっ、と、金属片が崩れ落ちてゆき、衝撃でしりもちをついたゲールハルトが、半ば呆然とロストナンバーたちを見つめている。 それと同時に皆の魔女化も解け、今度こそ本気の安堵が周囲を満たした。 疲労感満載の呼気を吐き出したロナルドが、 「世界が無数に存在するってのは今日知ったことだとは思うけど、それはつまり価値観も多種多様ってことだよ。零番世界は個々の文化や伝統が尊重されるし、魔法を使う人も多いから、見識を深めていけば理解者も現れるんじゃないのかな」 そう言ってゲールハルトに手を差し伸べる。 一瞬、きょとんとした表情でロナルドを見上げるゲールハルト。 「まぁ、そういうことやとわぇも思うで?」 もとの和装に戻れて心底嬉しそうな侘助がひょっこり顔を出し、ロナルドと一緒にゲールハルトを引っ張り起こした。 「あなたが戻るんか戻らんのかはわぇには判らんけど、ここはあなたの故郷とは違うし、あなたを馬鹿にしていた人らぁもおらん。見返す、いうのんは叶わんなった。やけど、これまであなたが頑張ってきたことは無駄にはならへんやろ? 零番世界で魔女としての道を極めてみるのもええやろし、まったく別の道を歩んだかてええと思うんや。せやし、一緒に行こ、な?」 やわらかな言葉で紡がれる誘いの言葉に微苦笑し、魔女の男は小さく頷いた。 それらを見守ったあと、微笑とともにテオドールが歩み寄る。 「悪事でなく善行で名を広めることこそ、家系とあなたご自身の誇りのためになるのでは、と俺も思います。今の俺たちは言うなれば世界のために働く組織の者。どうかあなたのお力をお貸しください、そしてともに行きましょう、ゲールハルトさん」 両手を広げるように、すべてを受け入れるように告げられるそれに、ゲールハルトの精悍な面立ちを喜色が満たす。 それと同時に何かしらの感慨が込み上げたのか、彼は目頭を押さえた。 「至らぬ私に真理をご教授くださったこと、礼を言う」 言って深々と頭を下げたゲールハルトの姿に、抗はまあよろしくなっと笑い、侘助はほな一緒に壱番世界の観光でも行こかーと肩を叩き、ロナルドはあーよかったこれで一件落着と胸を撫で下ろし、レナはしかしまた零番世界に変な人が増えるわねと遠い目もし、実は親友の代理でここへ来ていたテオドールはこの報告はもう少しダメージが回復してからにしようと心に決め、蘇鉄はカエデのケモ耳美少女魔女ッ娘姿見たかったなーなどと性懲りもなく思い、慎二はもう妹にバレなきゃなんでもいいやと今日の記憶を正当化することに努めた。 どうにかこうにか事態が収束し――おっちゃんたちの記憶はレナがちょっとだけいじって何もなかったことにした――、さあではロストレイルに乗って帰ろう、まあ何にせよ新しい仲間を無事に迎え入れられてよかった、というほのぼのとした空気が流れる。 その直後、 「不肖ゲールハルト・ブルグヴィンケル、これからはロストナンバーとして世界の真理と平和のために尽くす所存! 先達のご指導とご鞭撻、何卒よろしくお願い仕る!」 ゲールハルトがくわっと頭を上げた瞬間、目からまた例のアレがほとばしり――あとで判った話だが、元の世界から飛ばされた影響で気持ちが昂ぶると自然と出てしまうらしい――、ロストナンバー七名を再度、あっという間に魔女化させてしまった、というのはまた別の話である。
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