ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
● 「勝った。勝ったぞ」 良い気分だ。賭けに勝った。なんて良い気分なんだろう。 さあ、帰るんだ。 自分の帰る場所。悪魔と契約した音楽家達の館。 「ただいま」 ホールに響くのは自分の声だけ。 人の気配がない。ワインの一本でも開けたい気分だというのに。どいつもこいつも間の悪い奴らだ。 「誰もいないの?」 常に全員集合というわけではないが、一人もいないということはないだろう。 館を彷徨い扉という扉を開けてみるも、誰もいない。 あぁもう部屋が脱ぎ散らかした服でぐちゃぐちゃじゃないか。カーテンも中途半端に開けられている。 この部屋の男はそんなにだらしのない男じゃなかったと思っていたのだが。みんなの指揮者はいつだってきっちりとしていた。何か緊急の用件でもあったのだろうか。 キッチンにも誰もいない。 ここでも誰が置いていったのか食卓には楽譜と一緒に食事の後の食器がそのまま残されている。ソースの瓶が倒れてテーブルクロスにシミが広がっていた。 バスルームも覗いてみる。やはり誰もいない。人がいたらそれはそれで問題だったかもしれないけど。 ぴとんっ……ぴちゃっ…… ちゃんとシャワーのコックが閉められていなかったのか水の滴る音が規則正しく鳴り響いていた。 「みんなしてどうしたっていうの?」 水音を止めなきゃとコックに手をかける。 ● せっかく帰ってきたのに誰もいない。 ――そういえば、俺は何で出かけて行ったんだっけ?―― 『探さないで下さい。解散して結構』 それは、悪魔が残した書置き。 「今更どうしろと?契約して何十年も経ているのに」 叫び惑う者もいた。 「主が居ないだけだ。好きにすれば良い」 己を見失わずに自分の道を歩もうとする者もいた。 けれど、どちらも不安や恐れを拭いきれず、次第にイライラとした楽団員達は互いに争い合うようになっていた。 争っても仕方ない。そう、せっかく解放されたんじゃないか。自分から捕らわれてどうする。 解散とは罠かだって? いや、違う。書き置きを見て右往左往する俺達を見て楽しんでるってところなんじゃないか? 完全に自分たちが奴から解放されるには、結局あの悪魔を見つけて直接、奴と話をつけなくてはいけないんじゃないだろうか。 そう、確か俺は悪魔を探す旅に出た……気がする。 それで、そう……どうしたっけ? 「来るな!」 皆が逃げまどっている。誰も彼もが悪魔に愛された者達だ。 悪あがきにクローゼットの衣服という衣服をぶつけられた。痛くも痒くもなかったけれど煩わしかった。 彼の落とした指揮棒を拾って突き刺した。蹲って呻き声を上げる彼に更に指揮棒を強く押し込んだ。 「帰ってきてたの? え? ちが……何をっ……!!」 扉が開く音に振り返ると、俺の足下をみて彼女が青ざめた。足下にある肉塊を蹴り飛ばして彼女に近づいた。 「やめてっ! どうしたっていうの!!」 俺は手を伸ばしたけれど、彼女は俺に背を向けて逃げ出す。俺は仕方なく後を追う。 まず向かうのはきっと食堂だ。さっきまでそこで楽譜をめくりながら食事をしていた男がいた。今はもういないけれど。今は。 食堂から悲鳴が上がった。 見つけたのだろう。もう二度と音楽を生み出すことのなくなってしまった男を。 彼女は次は何処へ行く? 外へ? でも、一番近い扉の方には俺がいる。 彼女は何処へ行く? 「いやっ! いやあぁぁっ!!」 金切り声が耳障りだった。彼女の奏でる音楽は実に心地よいのに。悲鳴はいただけない。邪魔な音。 「止めてしまおう」 シャワーカーテンがしっとりと濡れている。 ぴちゃん……ぴとっ……ぴとっ…… 水音が止まらない。けれど、シャワーのコックはきつく閉められたままだ。 猫足のバスタブにもたれかかっている彼女は素晴らしいピアニストだった。彼女が叩く鍵盤から紡ぎ出される旋律は称賛の的だった。 彼女の長い指先の爪は必ず短く揃えられていた。鍵盤を叩く時に長い爪は邪魔でしかない。最悪引っかかって割れて痛い思いをする事になる。ピアノの演奏を何よりも愛する彼女は、常に爪の手入れは怠らなかった。 でも、もうその心配もない。 彼女の指先は全て切り落としてあげたから。短くなった指先からこぼれ落ちる血がタイルを叩いた。彼女のピアノの演奏と同じように正確だ。 切り裂かれた喉から溢れ出す血はバスルーム全体をゆっくりゆっくりと赤く赤く染め上げていく。 ここにはもう誰もいない。人を探しながら部屋に戻る。 カタン 「血がっ!?」 「どうして……」 わけがわからないという顔をしている少女。何を悟ったのか険しい顔をする男。 「あぁ」 そこにいたんだ。二人とも。 ――逃げてくれ。逃げるなよ。逃げてくれ……―― 状況を把握しきれないのか戸惑う少女を庇うようにする男。やっぱりここぞという時はそうなるのだね。 彼女の喉から放たれる悲鳴は、きっとさっきの彼女とは違って素晴らしいものとなるだろう。 ● シャワールームから戻り、一人、途方にくれる。 ――賭け? 何の?―― 何だっけ? あぁ酔っぱらっているのかな。とにかく賭には勝ったのだ。 だって、こんなに気分がいいじゃないか。 ――誰と? 何を賭けた? 誰を?―― 「何で誰もいないの?」 ふと気づくと部屋に三味線と竹刀が落ちている。 「…………」 終わった。 ――すべて、みんな、終わり―― 終わった。その事に安堵するが、胸に鈍い痛み。鈍いのにじくじくとしつこくまとわりつくこの感覚は。 気づいたら目尻から頬にかけて伝うもの。 床にぽたりと落ちる透明の滴はその途中で何を洗い流したのか赤茶色に濁っていた。 何を賭けていたんだっけ。勝ったら何かをする筈だった。何をするはずだったんだっけ。思い出せない。 何を賭けていたんだっけ。あいつは勝ったらどうするんだったっけ。俺の負けはなんだったっけ。 「これを待っていた」 振り返ると悪魔がいる。そこにいるのは見慣れた顔。鏡のようにそっくりそのまま。いや、鏡の中でだけ見る顔がそこにいる。 「おかえり。ただいま」 (あぁ、賭けに勝ったんだ。お前が、俺が、お前が……おれは…………) 俺はここにいる。 だけどもう俺はどこにもいない。俺はもう何一つ残されていない。頭から爪先までもう何一つ俺のものじゃない。 愛すべき仲間達もいない。 すべて葬り去られた。 俺も、誰も、何もかも。 「賭けは終わりだ。契約は正しく遂行された」 ● 「……」 未来……? 吐き気がこみ上げる。 気を紛らわせたかった。煙草を探して胸元をまさぐっていると、ちりっとした痛みを感じた。 何かに引っかけて傷でもこさえただろうかと思って目線を落として言葉を失う。 「……」 悪魔の契約のサインから血が滲んでいる。 冗談じゃない。 「夢は夢だ」 夢か現か。 煙草に火を点ける。 「どうせ夢でしょ……」 夢は夢。 夢で終わらせるも終わらせないも、全ては自分次第。 深呼吸をするように煙を吸ってから、煙草を自分を夢へと誘った香炉に押しつけた。 香炉から二本の煙がゆらゆらとのびた。
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