年が明ける。新しい年を迎えるというのは、どこの世界でも概ねめでたいことなのではないだろうか。 村山 静夫は年が明けたな、と漠然と思いながら布団から出て、身繕いをする。どこかに出かける予定があるわけではないが、年初めだ、しっかりと身だしなみを整えて過ごしたい。そうしなければなんとなく、失礼な気がするのだ。誰にというわけではないのだが。 鏡を見て毛づくろいをし、「よし」と小さく頷く。自室だからしてスーツのジャケットとネクタイは着用していないが、いつでも外に出られる格好だ。 繰り返すが、この時までは外に出る予定はなかった。だが、あえて言うならば何か予感めいたものを感じていたのかもしれない。それとも、とある人物の行動を読んでいたか。 (そういや飯、どうするか……) お節料理なんて用意しているはずもなく、冷蔵庫の中は正月らしくない以前に食材が乏しい。 「仕方ねぇ……」 バンッ! 何か調達しに行くか、そう思って冷蔵庫の扉を閉めた音とその音は重なって聞こえた。 勢い良く扉を押し開ける音。そして聞こえてきたのは聞き覚えのある声。 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくしなくて良い」 「へいへい」 聞いた感じ、丁寧語と命令口調の混ざった言葉は不思議な感じがするが、静夫にとってはある意味日常。彼はちっとも気にせずにその言葉に適当な返事を返し、ネクタイを手に取る。 「おめっとさんよぉ」 ネクタイを結びながらとりあえず返事を返したのだが。 「村山! なんだその言い方は! 新年の挨拶くらいきちっとしろよ!」 最初から決して上機嫌とは言えない表情をしていた突然の来訪者、ナウラは眉間にシワを刻んで、静夫を指さす。 「人を指さすんじゃねぇよ。あけましておめっとさん。これでいいだろ?」 きゅっ。ネクタイを締めた村山は、ハンガーに掛かっていたスーツのジャケットを取り、腕を通す。 「な、なんだ? どこか行くのか? 折角新年の挨拶に来てやったのに!」 「挨拶ならもう済んだだろ?」 「――うっ」 続けてコートを羽織った静夫の言葉にナウラは唸った。確かに開口一番挨拶は済ませてしまった。でも、だけどっ。 言外に「用がないなら帰れ」と言われると、寂しい。絶対に口には出さないけれど! 「村山、私もついていくぞ! ダメだとは言わせないからな!」 「へいへい。好きにしな」 噛み付くようにむきになって宣言をするナウラを狭い玄関から追い出し、静夫は靴べらを使って器用に靴を履くと、玄関扉に鍵をかけた。そういえば、昨日は鍵をかけ忘れたのだろうか? 「おい、どこに行くんだ?」 静夫の後ろを雛鳥のようについて歩きながらナウラが問う。所々目に映る住宅の玄関には門松や注連飾りを飾っているところもあって、目からも正月が来たことを感じられた。 風は冷たく、澄んでいる。新年の朝ということも相まって、いつもよりもすっきりとした気分にさせられる。 「村山、聞いているのか!」 しびれを切らしたのか、ナウラがたたたっと軽快な足取りで静夫の前に回った。そして答えるまで通さないぞとばかりに拗ねたような瞳で静夫を見つめて。 当初は朝食として食べるものを元旦でも開いている店で調達するだけのつもりだったのだが。静夫の頭の中にある行き先が浮かぶ。 「神社に初詣にいくんだよ」 「初詣!!」 その言葉は決してナウラを誘ったものではない。けれども二人一緒ならば初詣に行くのもいいかもしれない、そう思ったのも確かだ。こう言えば、ナウラがついてくるのも見越して。 予想通り、ナウラは初詣という言葉に瞳を輝かせ、機嫌を直したようだ。その足取りは軽くなっていた。 *-*-* 「神社、あったのか……」 「ああ」 二人が訪れたのは0世界の神社だ。石畳の参道に鳥居、本殿――それは壱番世界の日本と、そして静夫やナウラのいた世界のものと雰囲気が似ている。 参道の両脇には屋台が沢山並んでいて、食欲をそそる匂いが辺りに漂っている。本殿の近くでは餅つき大会や酒が振舞われているようで、木と紙でできた立て看板がそれを教えてくれた。墨で書かれた文字がそれらしさを増している。 「っ……」 ナウラは小さく唇を噛んだ。胸に沸き起こるのは郷愁。まるで元の世界での初詣の光景のようで、自分が元の世界に戻ったようにも感じられて。だから、心から漏れる『何か』を抑えるために唇を噛んだのだ。 (村山にだけは……) 悟られてたまるか。 「……元の世界を思い出したか?」 「!?」 だがその努力は実を結ばなかった。静夫には気づかれていたのだ。それは―― 「俺は、思い出したぜ」 ――静夫も、同じ気持だったから。今は遠い故郷を、思い出したから。 「……うん」 だから、ナウラも素直に頷いた。抑えていた涙がじわりと金色の瞳からにじみ出る。 「泣いてもいいんだぞ?」 「な、泣いてないっ!」 意地を張って否定したが、それでもにじみ出る涙は拭き取らない。もう少し、郷愁に浸っていたいから。 「お前こそ泣けばいいんだ、バーカ!」 涙を隠すためか、静夫の方を見ないでつかれた悪態。静夫はそれにふっと笑みを漏らしかけて。 「……笑わないでいてやる」 続けられた言葉に、ふと動きを止める。そして、口元に笑みを浮かべる静夫。 「馬鹿野郎、子供が気ぃ使いやがって」 静夫は自らのソフト帽を手に取り、そしてナウラの頭にぽふっと被せた。ソフト帽はナウラには少し大きくて、目の辺りに影を作る。 「何しやが、る……」 ナウラの語尾が尻窄みになっていく。それはソフト帽に残った静夫の体温から、彼の優しさを感じたからだった。 ほろり……ついに零れた涙。 しかしソフト帽のお陰で、誰にも見られることなく済んだ。 *-*-* 賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二礼二拍で参拝を行う。年長者ということもあり静夫の動作はしっかりとしたものであった。 ナウラはどうしたのか、と振り返ってみれば、静夫の後ろでポケットから鞄からひっくり返し、非常に慌てているようだ。後ろに並んだ他の参拝客達が、そんなナウラを面白そうに、そして困ったように見ていた。 「どうした?」 「さ……」 「さ?」 「財布がない……」 がくっ……そう告げたナウラは傍目に見ても分かるほど落ち込んでいるようで、しょぼーんと肩を落としている。静夫はため息を付き、自らの懐へと手を伸ばした。 「他の参拝客の迷惑になる前に、これで済ませてこい」 「え、でもっ……」 「いいから早く行け」 自分の財布を押し付けて、静夫はナウラの背を押す。せっかくの初詣なのだ、参拝ができないのは気の毒だ。それに……他の参拝客にこれ以上(列を止めたという意味で)迷惑をかけるのは避けたい。静夫はナウラが石畳に広げた荷物を拾い、邪魔にならぬよう列から外れた。 (全く、面倒くさいガキだ) だが、なぜだか怒る気にはならない。案外心の底では世話をやくのを楽しいと思っているのかもしれない。 手近にあった木に背を預け、賑わう境内を眺める。ロストナンバーたちで賑わう境内は、人種こそ様々だがやはり元の世界と似ている。 (帰りたいのか――? さぁな) 自問自答し、目を閉じる。ざわざわとした人の声と新年の音楽は心地良い騒音で、遠い遠い思い出を沸き起こさせる。 「村山っ!」 名を呼ばれ、過去に持って行かれかけた意識を引き戻す。目を開けるとナウラが、両手に何かを持っていた。よく見ると升と紙コップで、独特の香りが鼻についた。 「これで借りは返す!」 振る舞い酒をもらってきたのだ。静夫の財布を脇にはさんでいない方の手で升を差し出し、ナウラは照れたような表情で告げる。静夫が升を受け取ると、空いた手で脇にはさんでいた財布を手に取り、そしてずいっと差し出した。 「でも後でお金返す!」 「はいよ。ありがとな」 軽く礼を述べて財布を受け取る。胸元にしまい込んでから、升に口をつけた。冷たい日本酒が、喉をゆっくりと通過していくのが心地よい。 「うめぇな」 ちらりとナウラを見ると、彼女は紙コップに入った甘酒にふーふーと息を浮きかけてはちびっと飲んでいる。最初こそその味にうへぇっと舌を出していたが、そのうち慣れてしまったようだ。 「ナウラ、あれやらねぇか?」 すっかり升の中身を飲み干してしまった静夫は升を返却に行こうと動いて、数歩で足を止めた。そして振り返る。 彼が指した先にあったのは餅つきの会場。今まさにあつあつに蒸しあがったもち米が、臼に投入されたところだった。 掛け声と共に杵が振り下ろされる。返し手が素早く餅を返し、杵が再び降りてくる。昔からの、作業だ。 「む、村山がどうしてもっていうなら付き合ってやってもいいぞ」 「よし、決まりだ」 餅をついている男たちに声をかければ、快く参加をゆるしてくれて。静夫はコートとスーツのジャケットを脱いで、ワイシャツの袖を捲り上げた。そして杵を持つ。 「え、村山がそっち? ずりーぞっ!」 「俺が返し手をして毛が入ったらまずいだろう」 不満を口にしたナウラだったが。 「それとも俺の毛入りの餅、食いてぇか?」 そう言ってやったら、黙って臼の側にしゃがみこんだ。さすがに毛入り餅は嫌らしい。勿論静夫だって嫌だ。 「おし、行くぞ!」 ドスンッ! 勢い良く下ろされた杵が再び上げられたのを見て、ナウラが手を出す。 「あちっ!」 手に薄く水をつけてはいたが、もち米は熱々で、少し触っただけでもその熱が指先を攻撃する。 「ナウラ、休むな。餅が偏っちまう」 「わ、わかったよ」 リズミカルに降りてくる杵に対してナウラが手を出す回数は少ない。これでは餅にならずに冷めてしまう。 「怖がらないで一気に手を入れたほうがいいわよ。どうせそんなに長く手を入れていたら杵に潰されちゃうんだから、一瞬だけ我慢すればいいの」 返し手を務めていた中年のロストナンバーに教えられ、思い切ってナウラは手を入れる。 「えいっ!」 今度はうまく、中央に餅を返せた。それを静夫の振り下ろす杵が突く。もう一度、ナウラが手を出して返す。 怯えが先に立ったから、熱さにばかり気が行っていたのだと漸く気がついた。はっ、ほっ、と声を出しながらリズムに乗って繰り返し始めると、なんだか楽しい。 「あらあら、息がぴったり。仲良しさんねぇ」 中年女性が目を細めて笑った。 「仲良くなんかない!」 「だってよ」 ナウラはムキになって否定の声を上げる。それを聞いた静夫は、クックと笑った。 「もーっ、代われ、村山っ!」 照れから来る羞恥を紛らわしたいのかただしびれを切らしたのか、ナウラは突然立ち上がって静夫から杵を奪った。そしてふらふらしつつも上段に構える。 「おいおい、振りかぶりすぎだ」 「ほっとけ! おばちゃん、返し手やって!」 優しい中年女性が臼の側に付いてくれたのを見て、ナウラは思い切り杵を振り下ろした。 ごぉぉぉぉんっ!!! いったーぁぁぁっ!!! 鈍い音と悲鳴が境内に響き渡る。何事かと参拝客が足を止めてそちらを見た。 ナウラの渾身の一撃は、臼の縁を叩いたのであった。 *-*-* (そういえば、腹が減ったな……) 餅つきを終え、餅は女達の手で小さく丸めて味付けされている。後ほど振舞われるだろう。 静夫は朝食を済ませていないことを思い出し、屋台へと目をやった。屋台独特の食べ物の匂いが空腹を刺激する。 ちらっとナウラを見れば、女達に混ざって餅を丸める手伝いをしている。 (食料を調達してくるか) 静夫はそのまま、参道に広がる屋台へと向かった。 なんとなくではあるが、屋台で売られている食べ物は特別美味しそうに見える。値段としては普通に考えると高いものが多いのだが、雰囲気がそうさせるのだろう、ついつい手を出したくなるのが不思議だ。 食べ物だけでも焼きそば、お好み焼き、焼き鳥と串焼き、イカ焼きにたい焼き、大判焼き、たこ焼き、お汁粉や焼き団子。銀杏や綿菓子、チョコバナナなど目移りしそうなほどだ。他にも水ぶえやヨーヨー釣り、くじ引きなどあるというから、ナウラは喜びそうである。 (財布忘れたんだったか) とはいっても彼女は今日、財布を忘れてきたんだった。屋台では、指を咥えてみているしかないだろう。 「仕方ねぇ」 呟いて、静夫は屋台に近寄る。2つ、と告げればあいよ、と小気味良い返事が返ってきて。 餅つき会場の近くにある休憩所に戻ってきた静夫の手には、焼きとうもろこしや焼きそば、お好み焼きにイカ焼きが二人前ずつあった。 「ナウラはどこ行きやがった?」 だが、餅を成形していたナウラの姿が見えない。一緒に作業をしていた中年女性に聞けば、姿が見えなくなった静夫を探して参道へ向かったとのこと。 (すれ違ったか……) 壱番世界の神社のすし詰め状態ほどではないが、この神社もそれなりに人出がある。道の端と端にいれば人が壁になって、互いに気づかずにすれちがえるだろう。屋台で買い物をしている最中なら、なおさら。 「これ、預かっててくれ」 中年女性に告げると、村山は再び参道へと繰り出した。 (迷子になるなんて子供かっ……いや、実際子供か) 心中でそんなことを思いながら、高い身長を利用してきょろきょろとナウラを探す。 何で自分はこんなにも必死に彼女を探しているのだろうか。一緒に来たわけではないのに。ただ、彼女が勝手についてきただけなのに。 いや、でも彼女がついてくることを見越してここに来たのは自分だ。そこで彼女が迷子になったなら、やはり探してやるのが筋ではないか。 (ったく……) 色々と御託を並べても、根底は同じだ。面倒くさいとおもっているのに放っておけない。きっと同郷の好でだ、そう言い訳をして。 「!」 きらり、屋台の電気に反射して、何かが光った。目をやれば、見覚えのある白い髪。黄色いヘアバンドがアクセントのその人物は、飴細工の屋台の前で佇んでいた。 「探したぞ」 「あ、村山! 迷子になったらダメじゃないか!」 「いや、迷子になったのはお前の方だろ」 悪態をつくも、彼女の瞳はすぐに並んだ飴細工へと戻る。そこには色々なセクタンの飴細工や鞠や花、動物などの飴細工が並んでいる。 「……欲しいのか?」 「そういうわけじゃ、ない、けど……」 歯切れの悪いその言葉に、村山は「素直じゃないな」と苦笑して。ナウラの瞳は店主の細やかな手つきに見入って、キラキラと輝いているのだ。 「オヤジ、こいつに一つ作ってやってくれ」 「あいよっ。嬢ちゃん、何がいい? 大抵のものは作れるぞ?」 「えっ」 突然のことに、ナウラは静夫と店主を交互に見て。 「俺からのお年玉だ。遠慮なんかするんじゃねぇぞ。好きなもの作って貰え」 ただ奢ってやる、ではすんなりと了承しないだろうから、少しひねくれた物言いをして。そんな静夫を数秒見つめて、ナウラは笑んだ。そして。 「おやっさん、オジロワシ作れるか?」 「……」 「……。あいよ」 店主は一度静夫を見て、そして何かを悟ったように口元に笑みを浮かべながら作業に入った。 *-*-* 買い過ぎちまったから、食え――休憩所で机に並べられた食べ物たちを見て。 「食べ物を無駄にしたらバチが当たるからな。仕方ないから食ってやるよ」 ナウラがそういった時、彼女のお腹がぐぅ~っと鳴った。静夫は思わずクックックと喉の奥で笑って。 「しかしなんでまた、そんなもん作ってもらったんだ?」 彼が爪の先で指したのは、先ほど飴細工の屋台で作ってもらったオジロワシ。細い棒の先にちょこんと止まったそれは、ゴミがつかないようにとビニールのカバーが掛けられている。よくよく見れば静夫によく似ている。特に目つきとか。 (あのオヤジ……俺をモデルにしやがったな) 「決まってるだろ。お前をこうしてパクっと食べてやるためだ!」 そう言ってナウラは大きく口を明けたが、食べるふりをしただけで包みを解く気配はない。それどころか、たまに見つめて嬉しそうに笑んでいる。 (まあ、いいか) 「とっとくなら涼しい所に置いとけよ。ドロッと溶けたら気分悪ぃからな」 さすがに自分に似た姿――自分を模したと思われるそれが溶けた姿はちょっと見たくない。 深く問うのをやめた静夫は、イカ焼きを噛み切り、咀嚼する。少し冷めてしまったが、味は抜群だった。 「そういえば」 焼きとうもろこしから顔を上げたナウラが、思い出したように村山を見た。 「村山は何を祈ったんだ?」 「あ?」 「参拝でだよ」 ああ、と最後の一口を飲み込み、静夫は意地悪い笑みを向けた。 「そういうのは、聞く前に自分の方から明かすもんだろ?」 「なっ……何で私の願い事を教えなくちゃならないんだ!」 「なら、俺のも内緒だ」 どうであれ静夫には自分の祈りの内容を明かすつもりはなかったのだが、ナウラは不満気に口の中でぶつぶつ言いながらも、やけのように焼きとうもろこしに噛み付いた。 『ロストナンバーの皆や元の世界の人達が今年を無事に過ごせますように』 ナウラの祈りの内容を、静夫は知らない。だが、静夫の祈りも彼女と似たような物だった。それを、ナウラは知らない。 二人の内容が相似であることを知っているのは、そこにおわす神だけである――。 【了】
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