食料を担ぎ上げた男たちが列をなして歩いている。首に手ぬぐいを巻きつけ、丈に短い着物と草履を履いている彼らの風体は時代劇でよく見る農民のようだ。紅葉していた早草は水気を失い、長い冬の訪れを知らせる冷たい風に揺れカサカサと軽い音をさせた。冷気に当てられ、首をすくめた男たちの歩が鈍くなる。 ――――――――。 「? 何の音だ?」 一人の男がそう呟き辺りを見渡す。 「音? 何も聞こえないぞ」 「いや……ほら、この音。聞こえるだろ、綺麗な……風鈴の様な弦楽器の様な震え……る、オト」 彼以外、誰も音など聞こえず顔を見合わせていると、音を聞いたという男の腕がぼとり、と落ちる。一体何が起きたのか、まるで枯葉が砕けるようにぼろぼろと体が崩れていく仲間の姿を男たちはただ呆然と眺めるしかない。どさり、と担ぎ上げていた食料が地面に落る。仲間の成れの果てを潰し、砂塵と共に撒き散らしたそれを、男たちが言葉もなく目を丸くして見下ろしていると今度は頭上から枯葉が崩れ落ちてきた。男たちが空を見上げると、ばらばらと落ちる枯葉の欠片と共に巨大なムカデが落ちてきた。 月明かりを頼りに薄暗い森の中を駆け抜ける。視界にぼんやりとした灯りが見えると、イェンスは体を屈め身を隠した。森の向こうに武器をもった白兵達が休憩しているのを見つけ、イェンスは司書から聞いた情報を思い出す。 ――保護対象の名は業塵。大きなムカデだが、人の姿も取れる。世界は壱番世界の戦国、安土桃山時代にも似た有り様で機械と炎が存在していない。灯りは光る苔や花、果実を利用している―― 司書の言葉どおり、炎とは違う薄ぼんやりとした灯りの元に武装した男達が集まっていた。予想していなかった事態に直面したイェンスは暗闇に身を潜め、彼らの声が聞こえる場所まで慎重に移動する。 「で、黒王はなんて?」 「……全滅させろってよ」 「ひでぇ話だ」 「本当に、俺たちには感染してないんだろうな」 「種族が違うんだ、その辺は大丈夫さ」 「だといいが……。俺ァやだね、生きながら腐るのも体が崩れるのも……仲間を喰らうのも」 「誰だって嫌だろ、そんなの」 「じゃぁあいつらだって嫌だろ」 「だからどうした。逆らったら次は俺たち……先にガキ共だろうが」 「……なんでこんな事になっちまったのかなぁ」 身を隠したままイェンスが兵達を覗き見ると、彼らの背に白い羽がついている事に気がついた。疲れきった顔でぼんやりと地面を見下ろし、身につけている防具や武器も薄汚れてボロボロだ。その様子から彼らが連日、戦っている事が伺える。 遠くから号令が聞こえ、兵達がのろのろと立ち上がる。 「そういや、あのムカデどうすんだ? まだいるんだろうか」 「全滅ってんだ。殺せってことだろ」 「勝てるわけねぇよ……」 「もう旅立ってるといいなァ」 重たい足取りで歩む兵達の後をイェンスが追って行くが、遠くに村が見えたところで森が途絶えてしまう。少し考えた後、イェンスは彼らの姿が見えなくなるまで暗闇の中に佇んでいた。 「口ぶりからするに黒王というのが元凶、かな。彼らは人質を取られており、望まない戦いに赴いているようだが……さて、予想外だな。どうしたものか」 業塵が匿われているだろう村へと向かう兵達の姿を、イェンスは難しい顔で見送っていた。 「なんて酷い……」 イェンスがそう呟いてしまう程、村は酷い有様だった。崩れ落ちた家屋と息絶えた人の山、兵も村人も混ざり合い、奇声と怒号が飛び交う中で真っ当な生存者は見当たらない。 瓦礫を跨ぎ崩壊した村を歩いていると、イェンスの視界に真っ白い塊が目にはいる。 「……これは……繭?」 丸く真っ白い繭は糸束を屋根や壁へ伸ばし、イェンスの目の前に佇んでいる。じっと目を凝らすと中に何かあるように見えるが、特に動く気配はない。 イェンスが顔を見上げ辺りを見渡すと、同じ様な繭をいくつかみつけた。崩壊した家屋の中で高さと壁面を残した壁に繭がある事から、視界にある背の高い瓦礫には繭があるのだろう。 イェンスは改めて目の前の繭を見た後、ギアを取り出した。 「グィネヴィア、よろしく頼むよ」 愛しい人に囁くかの様にギアに声をかけ、繭に一閃を引く。ぱらりといくつかの糸がこぼれ落ち、束になった糸が開くと繭の中に人が入っていた。胎児のように体を丸めた成人男性が、繭の中ですぅすぅと眠っている。 イェンスが繭に手を伸ばした瞬間、ふっと辺りが暗くなる。イェンスが振り返ると周囲に影を落としている、巨大なムカデがそこにいた。真上の空を見上げる様にイェンスがムカデを見上げていると、ムカデの口から真っ白な糸束がイェンスに向けて吐き出される。糸束がイェンスを通りすぎ開かれた繭をまた元通りに包むと、微動だにしなかったイェンスをムカデがじっと見下ろしていた。 「やぁ、貴方が業塵だね、はじめまして」 イェンスがそう声をかけると、ムカデが首をもたげ顔を近づけてきた。その仕草はどうして、なぜ、という疑問がありありと見て取れる。 「僕はイェンス、君を迎えに来んだよ。少し、話がしたいんだけれども、できたら人の姿になってもらえないかい? 首が痛いんだ」 苦笑気味に言うイェンスをムカデは暫くじっと見ていた。少しして身じろぎすると、ムカデの姿が小さくなり、イェンスの前に眠たそうな、鬱陶しい物を見るような目をした男が立っていた。 ロストナンバーについて、世界について。イェンスの話をずっと無言で聞いていた業塵は全ての話を聞いてもなお 「左様か」 と短く言うだけだ。聞きたい事も言いたい事も特に無いのか、それなりの長い沈黙が続き、イェンスは辺りが静かすぎる事に気がついた。 今回のイェンスの仕事はロストナンバーの保護であり、この争いを止める事ではない。イェンス一人であれだけ大勢の人を相手にするのも、この村を救うのも難しいだろう。加えていうなら、あれだけボロボロな、戦う意志の乏しい彼らと戦うのも気が進まない。しかし、どうやら業塵はこの村の人を救おうと動いているようだ。彼の繭に守られた村人たちは正常なまま、すやすやと眠りについている。イェンス一人では無理でも、事情さえわかれば少しは力になるだろうし、彼もこの地を去りやすい、そう考えたイェンスは穏やかな声を業塵にかける。 「兵達も引き上げたのかな。貴方さえよければ直ぐに移動するのだけれども……。どうだろう、よければこの村で何が起きているのか、教えてくれないだろうか?」 イェンスがそう聞くと、業塵はついて来いという仕草をし、無言のまま歩き出した。 業塵に案内された一際大きな屋敷には、業塵程ではないが、見上げる程大きな女性がいた。 「こんな時にまた旅人さんがいらっしゃるなんて……」 「はじめまして、女王様。お忙しい時に失礼します」 「まぁ、貴方はお話ができるのね」 「はい、貴方とも、もちろん彼ともできますよ。僕は彼を迎えに来たのです」 イェンスがそう言うと、女王は心底ホッとした表情を浮かべ微笑んだ。 「あぁ、本当によかったわ、仲間が迎えに来てくれて。話が通じなくてもなんとかやって来れたけれども、ご覧の通り……」 「よろしければ、事情をお聞かせ願えませんか?」 その言葉に女王は困惑した様な顔を見せる。とても悩んだのだろう、女王は深く重たい溜息をついた後、ゆっくりと口を開いた。 「いつだったか定かではありませんが、近くに黒王という者が城を構えました。私達と違い、同種族で集まって生活するのではなく、一人で城を作り生きていく黒王はいつしか自分の手足となって動く兵隊を欲しました。私たちを含め自身の城近くにいる種族を次々に捕まえ、彼の元には今二つの種族が仲間達を人質に取られ兵隊として動いています」 女王の言葉を業塵に伝えるべく、イェンスはオウム返しの様に繰り返す。 「兵隊に向かない種族は黒王の食料として捕獲していたのですが、ある種族の能力に目をつけた黒王は、私たちの種族で実験をはじめました。羽を震わせ、美しい音を奏でる種族、彼らの奏でる音で脳に刺激を与え肉体を変える……。黒王は永遠の命を欲し、死なない兵隊を作ろうとしているのです」 「村人に異常が起きているのはそのせい……」 「彼のおかげで、無事な子達は守られています。ですが、黒王を放っておけば、いずれ……」 ぼろり、と女王の腕が落ち、彼女の言葉が止まる。 「あぁ、もう私も、限界ですね。ごめんなさい、どうか、黒王を、私の、子供たち、を」 びくん、と身体が跳ね彼女の目から光が失われる。しんとした屋敷に残されたのは旅人が二人だ。 女王は最後まで言葉を伝えられなかった。旅人である業塵をこの場に留める事や、助けてもらうだけでも心苦しかったのだろう。危険だとわかっていたからこそ女王は言えず、しかし、死にゆく身では業塵に願いを託すしかない。ただ謝り、子を頼むと言う事しかできなかった。 「会話ができなくても、貴方は女王と子供達を助けようとしたのだね」 「……暇潰しよ」 ぼつり、と業塵が言葉を落とす。ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、女王を見上げる業塵の顔がイェンスにはどこか悲しそうにみえた。事情を知ったイェンスは何も言わず、ただ業塵を見守る。女王の願いも村人と関係を持ったのも、全て業塵だ。彼がしたいようにさせるのが一番だと思ったのだ。 業塵は懐から扇子を取り出すとパン、と音を鳴らし開く。舞う様に扇子を泳がせると、扇子の通った後に黒い線が残る。 「……相性はよかろうよ」 黒い線は膨らみ小さな点となって広がると、辺りに飛び散った。 兵士達の悲鳴が波の様に近づき、黒王の元へとやってくる。盛大な音をたて乱暴に開かれた扉から兵隊が数人、転げるように入ってくる。 「何事だ、騒々しい!」 「そ、そ、そ、それが、それが」 真っ青な顔で扉を指差す兵隊を黒王が蹴り飛ばす。黒王が忌々しそうな顔で扉をみると、そこには死んだはずの女王がいた。大勢の我が子達に大きな身体を持ち上げられ、兵隊達も皆恐怖のあまり道を開けている。遮るものは何もなく、堂々と進んでくるその姿は神輿に担がれた大名行列の様だ。 「ふ、ふは、ふはははは! いいぞいいぞ、不死の兵隊ができたではないか! どの旋律だ!」 自分の望み通り死なない兵隊が作れたと思った黒王は歓喜の声を上げ、演奏者達を見る。だが演奏者の殆どはぐったりと倒れており、辛うじて女王を見ている者ですら、恐怖に顔を引きつらせている。余りに様子がおかしく、黒王が改めて女王や村人達をみると、彼らは一歩歩くごとにぼろり、ぼろりと身体が崩れていた。空洞が広がる目やあらわになった白い骨。明らかに、生きていない者が、歩いている。 「と、止まれ! それ以上近づくな! えぇい何をやっている殺せ! いや壊せ! その、おかしなものをこれ以上近づけるな!」 黒王が叫ぶが、兵隊達も女王達には近づきたくないため、武器を構えたまま動かない。 「早くしろ! お前たちが使えないのなら、残りを出すだけだぞ!」 黒王の叫びと共に、天井からいくつもの白い糸が伸び、繭が落ちてくる。業塵の繭とは違い、身体をぐるぐると巻いた繭は、兵隊の仲間達が虚ろな目を向けていた。 意を決した兵隊が一人、女王達に襲いかかるが武器を振り上げた格好のままぴたりと止まり、ゆっくりと道を開けた。何をしている、と黒王が叫ぶ間もなく、周囲にいた兵隊達が次々と武器を手放していく。その異様な行動に黒王が忙しなく辺りを見渡すと、女王の後ろに兵達から聞いたムカデの旅人を見つけヒッ、と息を飲んだ。 じっとりとした視線を向けられ、死者がじりじりと近寄ってくる恐怖。兵達も使い物にならない今、成すすべがないと思った黒王は逃げ出そうと後ずさる。 「逃さぬよ」 業塵がそう言だけで、黒王の身体がいうことをきかなくなる。手も足も動かず、声もでない黒王に一歩、一歩と担がれた女王の影が迫ってくる。 黒王の眼前に女王の顔が来る。光の無い眼と見つめ合いたくない黒王が視線だけをあちこちに動かすが、自分を取り囲む死者が増える様を見てしまい、恐怖が膨れ上がるだけだ。 ぱちん、と音が鳴り扇子が閉じられる。女王とその子供達が黒王に群がった。 崩壊した村を眺めながらイェンスと業塵はロストレイルの到着を待っていた。 「なんと、言うたのか」 誰に問うでもなく業塵が小さく言う。業塵は己の能力を使い、女王とその子供達に本懐を遂げさせた。腐敗した死者の身体を動かしたせいもあり、女王の身体は灰となったのだが、最後の最後に、意識も自我もないはずの女王はまっすぐに業塵を見据え言葉を残した。言葉の通じない業塵には彼女の最後の言葉すら、わからない 「ありがとう。あなたは生きて……」 イェンスの声が聞こえ業塵が顔をあげると、イェンスが優しい微笑みを向けていた。彼女の伝えたかった言葉はそれが全てではないかもしれない。しかし、彼女が業塵に伝えたかった言葉だけは言えたはずだ。死者である彼女が、意思のないはずの彼女が最後に残した言葉なのだから。 二人の間を風が吹き抜けると、イェンスは業塵に手を差し伸べる。 「一緒に行こう」 業塵はイェンスの手をじっと見るが、いつまでもその手を取ろうとはしなかった。 遠く、風にのって汽笛が聞こえ二人は顔を上げる。イェンスは差し出した手を静かに握り引き戻す。少し離れた場所に簡易駅ができたのを見つけイェンスが歩き始めると、業塵は黙ってその後をついて来た。手を取る気はなくとも、今は一緒に来てくれるだけで良い。 冷たい風を背に受け、イェンスは改めてこの世界を振り返る。業塵を助けた村人たちは新たな女王を据え、力強く生きていくだろう。城に囚われていた人たちも、それぞれが住みやすい場所を求め旅立って行くはずだ。 「蟲人の世界、か。本当に色々な世界があるものだね」 ロストレイルの汽笛が 空に消えていった。
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