依頼を無事に終えて、0世界へと帰還した業塵とヴィンセント・コールは、アフターミーティングという程ではないが、気付いた点を話題にしようということで、前館長像のある噴水広場から少し離れた場所にある、緑の多い景色を臨むことができるオープンカフェで丸テーブルを挟み、向かい合って席についていた。 業塵は、折烏帽子に直垂姿で、特徴的なのは色白で細面の目の下が濃い隈があり、不健康そうに見えることだろうか。 いつも憂いを含んだような表情をしているが、それが業塵にとっては普通の表情なのだ。 ちなみに、寝不足にも見えるが、そうでもないらしい。 今は、丸テーブルの真ん中に置かれた一輪挿しの花をじっと見つめ、時折風が吹いては揺れる花の様子につられて視線を動かすだけだ。 じっと同じ所をいつまでも見つめているのが平気であるというから、それは業塵の趣味といって良いのではないだろうかとヴィンセントは思う。 対してヴィンセントは、業塵が和ならヴィンセントは洋だろう。 シックな色合いのアメリカン・トラッド・スーツに一分の隙もなく整えられた髪、理知的な青灰色の瞳は、大多数がイメージするであろう出来る秘書に近い。 事実、間違ってはいない。主が代理人で、副が秘書であるだけだ。 今回の依頼では、戦闘が起こったのだが、業塵はどうも相手を殺すという行為に対して、やや消極的に見えた。 かと思えば、誇りを感じさせるところなど無く、同情の余地もない相手には容赦せず、獰猛で残酷さすら感じさせる行為で相手を滅する。 普段は、今目の前に座っている様子とそう変わらない、ぼんやりとした業塵であるのに、依頼の時の業塵は、時々、別人であるのではと考えてしまう。 ヴィンセントは、『物の怪』について、人間とは価値観や存在意義も違うものと考えている。 覚醒してから、妖怪や武士の姿を持ったもの達を目にする機会はあったため、彼らを平均値に置き換えると、業塵は人間的な、というより人間臭い面を持っている希有な存在だ。 希有、というよりは、向こう側のものだというのに、こちら側にも通じるものを持って居るのだから、どちらかといえば、歪というのが最適な言葉なのかも知れない。 アフタヌーンティーセットが2つと、フルーツタルトが数種類、テーブルの上を飾った。 ティーカップには琥珀の液体がサーヴされた。 業塵はセイロンティー、ヴィンセントはニルギリ。 ティーポットにティーコゼーが被せられて、店員が去ると、ヴィンセントは業塵にどうぞ、と言葉をかける。 フルーツタルトは甘い物好きな業塵用だ。 訊ねたいことと引き替えにしたのだ。 ギブアンドテイク。 業塵は気にする風にはみえなかったが、これはどちらかと言えばヴィンセントの気持ちの持ちようだろう。 「気になったことをお聞きしても?」 「是」 小振りのタルトが一口で消えていく。 タルトを摘んでいた指が、手持ちぶさたになることもなく、次のタルトを早速摘む。 「ありがとうございます」 ヴィンセントが、ティーカップをソーサーに戻す。 「人間について、どう思いますか」 振り幅のある質問だが、業塵は簡潔に述べる方であったから、大丈夫だと思ったのだ。 簡潔に述べるということは、それだけ本質に近く、何も隠さなくとも良いと考えて居るからだろう。 「人間と“遊ぶ”のは楽しい。難儀する様は愉快」 「遊ぶ、ですか」 楽しい、愉快だと思う感情と相反する気持ち。 「死の危険のある戦いについては、どう思われますか」 何処か真剣な眼差しをした業塵がヴィンセントの問いについて考えて居るのかと思えば、実はそうではなく、次はトレイスタンドの3段皿のどの段から食べようと考えて居たらしい。 3段目の皿からマカロンを摘んで、ほろりと崩れる食感と甘さを堪能する。 「殺すのは容易い。生かす方が難しい。難しいのは面白い」 淡々と答える業塵。 矛盾した答えも、業塵の中では上手くかみ合っているのだろう。 けれど、ヴィンセントには、何処まで本気なのか見当がつかない。 それとも、そういったところも含めて業塵が他の物の怪と違って目に見え、感じるところで、ふと気がついた。 業塵という個で見れば、それは矛盾していてもかみ合い成立している。 一般的な物の怪も、外側からみれば知識として知り得ているものの範囲内で収まっていても、中に入れば違う点が見えて来る。 個性と呼ばれる物だ。 全く同じ、というのは壱番世界でいえばクローニングだが、組成は同じでも育成過程が違えば、違うとなるだろう。 同じでも違う、という。 人間的なカテゴライズに当てはめようとするのは、整理整頓、系統立てて細やかに分けていく、自身の職業病と言うべき点が関与していないとは言い切れない。 ひとつの解が生まれれば、矛盾を抱え込んだものでも、成立している事実が目の前にあるのだから。 意外とすんなりと受け入れている自分を冷静に見つめ直す。 琥珀の表面に調った顔が映り込む。 「ありがとうございました。貴方のことを少し理解できた気がします」 興味深げな眼差しを向け、私の分もどうぞとデザートを示したのだった。 ■ *** ■ ティータイムを終えてから、芝生と樹木が目に優しい公園の中を食後の軽い運動を兼ねた散策をしていると、子どもの泣き声が聞こえてきた。 曲がった先に子どもがひとり。 男の子だ。 保護者らしき人も友達と呼べそうな人もいないらしく、どうも迷子であるらしかった。 その姿を認めると、業塵は眉を眉間に寄せて、嫌そうな表情を浮かべた。 「泣く童は好かぬ。煩うてかなわぬ」 広い公園の中を走り回って遊んでいるうちに、気付けば知らない場所にひとりでいることに気付いて、不安になって泣き出したのだろうと、予測はついた。 「さすがに、このままにしておくのは可哀想ですね」 出来れば、泣き止んで欲しいが、優しい言葉をかけるというのは、生憎と適任な人物はこの場にはいなかった。 なるべく怖がらせないよう、硬質的になりがちな自身の声を若干意識して、同じ目線にすべくヴィンセントはしゃがみ込んだ。 「誰と一緒だったのですか? 説明できますか」 ヴィンセントが子どもの相手をしている間に、業塵が蟲たちに命を与え、子どもの帰るべき家を探させる。 小さなつむじ風が拡散して、子どもと同じ匂いを持つ者、同じように不安になりながら、子どもを捜す者を目印にして。 近くのベンチに座らせて、泣くことよりも別の方へ意識を向けさせる。 一緒に帰るべき家まで送ることを伝え、安心させようとするが、つい先程まで大泣きしていた子どもである。 短かく切りそろえた髪が顔に張り付いているのを、そっと指で耳の後ろへとやってやり、ハンカチを差しだした。 「どうぞ、使って下さい。私の名前はヴィンセント。君の名前を教えて頂けますか」 何とか名前を聞き出し、全く知らない人から、名前を知っている人の間柄に進歩した。 業塵は子どもが泣き止んでからは、嫌そうな顔をしては居なかったが、いつ泣き出すのか分からないところも子どもという生き物である。 再び泣き出されてはかなわないと思ったのかは分からなかったが、今は子どもの保護者を捜すことに手を貸してくれている。 泣かれるのは好まないという業塵だが、ヴィンセントは共に赴いた依頼での出来事を思い出す。 業塵が刃を抜いたのは、子どもが殺されかけた時であったことを。 公園の外側へ歩き出す。 そのまま進めば、公園を出て住宅街に至る。 「見つけたのですか」 ヴィンセントの問いに、業塵は仕草で応えた。 指をさしたのは、下街に近い場所。 「送ります」 こくりと頷いた子どもは、ヴィンセントのジャケットの裾を掴む。 手を繋いで、親子関係ではないのに不審に思われても厄介であるから、自発的に子どもが裾を掴んでいる方がいいと判断し、そのままに歩き出す。 子どもの速度に合わせて、辿り着いた先では、下街に面した道路で子どもを捜す親の姿があった。 母親の元に駆けだした子どもの後ろ姿を長め、無事に母親の腕の中に収まったのを確認すると、業塵は背を向けて歩き出す。 何やら子どもが説明しているのを聞いた母親が慌てて、此方にお礼を伝えに来ようとするのを、仕草で押しとどめる。 子どもと母親がその場で深々と頭を下げた。 ヴィンセントは軽く笑みを浮かべ、子どもに手をあげ先に歩き出した業塵を追いかけ、隣に並ぶ。 「面倒臭い人ですね。色々大変でしょう?」 業塵が人という器に封じられた物の怪であるということは、報告書で知っていた。 人の心に触れて共にある内に、浸食されたのだろう。 浸食されで溶けあい、業塵という個になったのだと。 「お前等ほどではない」 「……確かに」 否定する要素が見つからず、ヴィンセントは思わず頷いてしまう。 自分の価値観や判断基準だけで、他人を推し量るから、面倒が起きるのだと、業塵はヴィンセントだけではなく、人に向けて言う。 透徹したような言葉は、ヴィンセントの心に響いた。 「……喋りすぎて疲れた」 大きな溜息をつき、業塵は歩みを送らせる。 「甘い物、入るのでしたら次のお店に向かいますか?」 「是非に」 「疲れたのではなかったのですか?」 「甘い物は別腹というらしい。それと同じだ」 別腹は女子だけではなく、男子にも適用されるらしい。 早速、業塵が好きな菓子を扱う店へと方向転換する。 真面目な話から一転無邪気さが面に出て来、ヴィンセントは面白いと感じたのだった。
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