▼ターミナル、バトル・アリーナにて あなたには今、戦う必要がありました。強さを求める必要がありました。 ――今の自分を乗り越えたいから？ ――能力の具合を確かめたいから？ ――トラベルギアの試験運用をしたいから？ ――それとも、苦手な戦闘を克服したいから？ 理由は、人それぞれでしょう。 ともあれ。あなたは自らの意思で戦いを求めて、ここ――『白亜（はくあ）のバトル・アリーナ』にやってきたのです。 † ターミナルの一角に建造された、大きな建物。人が大勢集まって何かをできるくらいに広い建造物で、外観は壱番世界で言う近代西洋の雰囲気といったところ。白を基調とした色で染められています。まるで大きな劇場のようでした。 けれど、反して中身は殺風景です。奥に進むと、そこには高さ１００ｍ以上、幅や奥行きにいたっては数百ｍもある、広大なスペースが確保された部屋がありました。かたい床には外周をぐるりと囲むラインが引かれており、まるでスポーツか何かに使うコートのよう。 広いコートの中央には、円形のラインが引いてあります。そこには、猫耳フード付きの外套を羽織った小さな女の子がいました。あなたは歩を進めていきます。「今日和、バトル・アリーナへようこそ。あなたが今日の挑戦者ですね」 鈴が鳴るように弾んだ声で、少女は訊いてきます。 あらかじめ話は通してあります。あなたは少女の問いかけに、肯定の返事をしました。 少女は頷きを返すと、足元に置いてあった、使い込まれた感じの古めかしい皮製の鞄を開きます。中に詰まっているのは、不思議なデザインをしたカードの束。そこから数枚のカードを取り出しました。 彼女は、メルチェット・ナップルシュガー。今回、あなたの注文を受けて、戦闘人形を作成した人物です。 彼女の作る人形は『モデルとなった人物の持つ能力を模倣する』という特性があります。つまり、あなたがこれから戦う相手とは、自分自身にほかならないのです。 メルチェットは一枚のカードを掲げます。するとカードはひとつの光球をはじき出しました。両手で持つボールくらいの大きさだった光はぐむむと膨れ上がり、とあるシルエットを形作ります。やがて光が晴れて消失し、その下から姿を現したのは――あなたと全く同じ姿をした人形、通称〝フェイク〟でした。双眸をずっと閉じたままなのが唯一、あなたとの違いでしょうか。 数ｍの距離を挟んで。あなたは今、フェイクと向かい合っています。「用意はいいですか？ それではわたくし、メルチェット・ナップルシュガー製の戦闘人形〝フェイク・シリーズ〟が、あなたのお相手をさせていただきます――さ、きみ。仕事の時間よ、お願いね」 少女は親しげに人形へ話しかけた後、小走りであなたたちから離れていきます。始まるであろう戦いの余波を避けてのことです。人形は主であるメルチェットの指示なく、独立して稼動することができるのです。 あなたは己が持つ能力を発動させます。あるいはトラベルギアを具現化させるでしょうか。すると目の前のフェイクも、やや遅れて全く同じ動作を取りました。 あなたと、あなた自身との戦いが。 今、始まります――！
▼アリーナ内、バトルコートにて 「自分、か。おんなじ顔に囲まれんのは気分悪いね」 にまにまと軽い調子で口許を緩ませながら、ファーヴニールは自分の周囲に視線を巡らせた。己を中心に９体のフェイクが円の形で陣取り、取り囲んでいた。皆は同じ服装、同じ武器。アクセサリーがじゃらじゃらとたくさん付いたロングコートも、手に持つ獲物の銃剣エンヴィアイも、すべてが一緒だ。 「ま、サクッと片付けちゃいましょーかね。メルちゃん、宣言するよ！ ９体全部で３分半だ、１体につき２０秒ちょっとで決着つけよう」 銃剣を持たぬ片腕を天に伸ばし、ぴっと人差し指を立てた。視線は足元に落としたままだが、言葉はコートの外にいるメルチェットに向けていた。 「あ、そうだ。喋れないそっくりさん達に、ついでに声でも当てちゃおうか？」 いたずらっぽく笑うと、彼は銃剣を構えて戦闘態勢にうつる。 † 「ぐふっ――なんて速さと威力だ。完敗だ、ぜ――がくっ」 わざとらしく苦しげな台詞を（加えて「がくっ」という擬音も）言っているのは、口の利けないフェイクではなくファーヴニール自身だ。 手の獲物を振るい、串刺しにした人形を放る。周囲を改めて眺めてみれば、そこらじゅうに人形の残骸が転がっている。９体すべてのフェイクはあっという間に掃討されていた。 愛用の銃剣を軽く振るって刃に付いた人形の体液を払いながら、コートの外にいるメルチェットへと優雅に近づいていく。 「どうだった、俺の実力？ 宣言どおりだったでしょ。ってゆーかまだ時間に余裕あるんじゃない？」 意図的に余裕とキザっぽさを演出するため、前髪を手で払いながら、にかっと笑ってみせる。 「そうですね。宣言の３分半まで、あと１分ちょっとあります」 「お、そんなに残ってた？」 「ですから、まだ〝続けて〟も問題はないですね」 「え――」 淡々としている少女へ言葉の意味を問い返す前に、彼の体は凄まじい衝撃とともに横へ吹っ飛んだ。床をえぐり、土ぼこりを上げ、体を何度もバウンドさせながら、コートを転がっていく。 「何だよ、い――」 ファーヴニールがたたくはずだった軽口は、驚愕により途中で放棄された。別に少女が新たな人形を不意に繰り出したわけではなかった。短時間の間にほふったはずのフェイクどもが、既に何体も立ち上がっていたのだ。彼らの身体は一部が変異している。竜の鱗、蝙蝠のような翼、くねらせる太い尾、髪の間から生える禍々しく曲がりくねった角などがそれにあたる。 先ほど自分に初撃を加えた人形は、木の幹のように太く、鋼のように硬い鱗に覆われた尾を持っていた。こちらに感情のない顔を向けていた。 「真の力を操るのは、腕っぷしなどではなく心の強さです。支えるもの、守るべきものがあって初めて、力は統制できるのです。あなたは、まだ力を使いこなせていません」 「――っ」 陽炎のようにゆらりと怪しく立ち上がる、ほふられたはずの人形たち。それらに警戒しつつ、少女の言葉に耳を傾ける。最後の言葉には、顔を不快そうに歪め――けど、すぐににかりと涼しげに笑む。 「いいや、俺はきちんと力を手に入れたよ。この前のドラグレット戦争で、本当の強さを手に入れた」 「でも、まだ自在に使えないはずです。それは――」 「いいや、違うね！」 少女の言葉を遮って、ファーヴニールは乱暴に銃剣を床へ突き刺した。その様子を見つめる少女が悲しそうに眉をひそめたのを、彼は知らない。 「メルちゃんにも、そっくりさんのお人形たちにも見せてあげるよ。手に入れた俺の強さを――！」 胸に手を当て、双眸を閉じる。神経を研ぎ澄ませ、意識を集中させる。 ――彼の心の中にある、かたい何かが弾けた。 青年の身体が光に包まれ、姿を異形へと変貌させる。人型を捨てて、それは完全な竜の姿へと変わる。銀と青に彩られた、金属質な光沢を持つ竜鱗が全身を包む。すべてにおいて鋭さが目立つシルエットは攻撃性と凶暴性を内包している。 （見てろよ、新しい俺の力・ドラゴンハートを！） アリーナ全体を揺さぶるような、猛々しい咆哮を竜の彼はあげる。心と身体の底から湧き出てくる力の奔流と満ち溢れた自信が、蛇のような瞳を爛々と輝かせた。身体の一部を竜化させているだけの９つの紛い物など、造作もなく捻り潰せる。 視線だけで９つの標的に照準を合わせ、意識だけで稲妻を発生させた。凄まじい電圧が敵を焼き払っていく。活動限界である１０数秒のぎりぎりまで、竜の彼は稲妻で敵を蹂躙し続ける。 竜の彼がもとの姿へ戻る頃には、９つあった人形は黒く焼け焦げ、その場で立ち尽くす置物と化していた。ファーヴニールは勝利を確信し、不敵に笑った。 ――けれど。 雷撃に撃たれ、朽ちたはずの９つが同じ竜へと変貌し、彼をなぶり始めたのは、そのすぐ後だ。鎚のように太くて固い尾で殴り飛ばされ、爪で切り裂かれ、稲妻が身体を何度も撃った。 稲妻が宙をはしる重くも鋭い響き。床が粉砕される炸裂音。それらのせいで、コートの外にいる少女の呟きなど、本当なら耳に入らないはずだった。でもなぜか、まるで耳元で囁かれているように。少女の言葉は、こだまするような響きを持って彼の脳裏に響く。 「強さが何であるのか、よく考えてください。あなたが求める強さは、どんな強さなのですか」 銃剣や雷撃で反撃をしたが、そのすべては竜の前に展開した、工学回路模様をした光の壁に阻まれた。何回も銃剣で切りつけ、何発も雷撃を撃ち込んだ。でもその壁を貫通することは決してなかった。 「己に秘められた力に、ただ酔うだけでは――いつかあなたは、大切なものを失ってしまうでしょう」 異世界での戦争で手にした新たな力、絶対の自信。それは、業火に対する水の一滴にしか過ぎなかった。己では限界であるはずの１０数秒を超えても、フェイクたちの竜化は解除されることがない。彼は嵐の中で翻弄される木の葉のように、その身を蹂躙されるしかなかった。ぐちゃぐちゃにかき回される肉体感覚の中で、彼は悔しく思った。痛みと焦りと憤りで歪んだ顔に、涙がつたった。 （どうして？ どうして、あいつらが俺以上に、竜の力を扱えるんだ！） 竜たちによる攻撃で、廃墟のように荒らされたコート。その隅っこへ、襤褸雑巾のように吹き飛ばされる。体躯は血や埃で汚れ、自慢のロングコートもぼろぼろだ。負った傷も深い。かは、と咳き込むと血の塊が口から漏れた。心も含めたすべてが満身創痍だった。 「く、そ。偽物、なんかに」 「偽物――そうかもしれません。でもこの子たちは、あなたの鏡でもあります」 その言葉を聞きながら、ファーヴニールは９体のフェイクに目をやった。竜化に耐えられず崩壊していく人形がいる。暴走して同じフェイク同士で噛み付きあう人形がいる。それを止めるため、少女は手元のカードから新たな人形を召喚し、対処に当たらせている。 「こ、こいつは」 「どうか、お願いです。あなたがその力に目覚めたとき、心にあったはずの、何かを。よく思い出してください。……攻撃するだけの強さでは、悲しいことしか生まれないわ」 寂しげに見下ろす少女の双眸が、その日のファーヴニールが最後に見た光景となった。気絶した彼は医務室に運ばれて治療を受けることとなる。 目が覚めた時の面持ちは、どこか沈痛な色をにじませていたそうだ。 ＜ファーヴニールの旅は、これからも続く＞
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