わざと重いカーテンを引いて暗くし、硝子作りの照明から溢れるほのかなオレンジの灯りが照らすなか。 星川征秀は真剣な顔をしている女の子と向き直っていた。年のころは十六くらい、肩くらいの髪、つぶらな瞳がじっと二人の間に挟むように置かれている水晶を凝視する。いくら睨んだところでそこに映るのは自分の顔と淡い灯りではしかなくとも、諦めなければ何か見えると信じている無垢さに愛しさがこみ上げる。 「それで、内容は?」 「もちろん、運命のひとに会えるのか!」 元気よく少女が声をあげる。 「そのうち良い縁談に恵まれるでしよう」 「ぶー、またそれぇ」 頬を膨らませての可愛い文句を少女が口にすると征秀は肩を竦めた。 「そうとしか出ないんだから仕方ないだろう」 「ぶーぶー」 「イヴ、俺は運命をなんて教えた」 「運命とは! 自分で切り開くものー!」 イヴは不満げな声をあげて言い返し、占いに飽きたらしくさっさと立ち上がり指を鳴らした。とたんにカーテン、ランタンが消えてぱっと明るくなる。 そこは今亡き男の残した探偵事務所を、征秀が覚えている限りを伝えて再現してもらったものだ。奥にはイヴ専用の部屋としてベッドと机、可愛いピンク色の小物やらが置かれたスペースらしい――というのは実際に見たことがないのだ。さすがに男である征秀は入っていく勇気はない。 バーチャル世界である『壺中天』のスペースに作り出したプライベート空間は、いつ、ダイブしても驚くほどにリアルだ。 それは住んでいるイヴがあれこれと手入れをしていて、いつも綺麗にして過ごしやすい空間にしようと心を砕いているからだ。それも征秀がいつ来てもいいように、と。 「マサの占い、いつも同じ結果でつまんなーい」 「それは、お前がいつも同じことばかり言うからだろう、イヴ」 「だって、だって、はやく運命のひとに会いたいの!」 イヴは両手を広げて叫んだ。見た目が年頃の女の子のせいか、恋愛の話が大好きで暴走する癖があるのに征秀はほどほど手を焼いていた。 「そんなこと言われてもなぁ」 征秀は頭をぼりぼりとかいた。イヴは一度癇癪を起すとなかなかおさまらないのは経験上知っている。そして、この状態の彼女の機嫌がすぐによくなる方法が一つだけあることも。 「よし、イヴ、星を見るか?」 「星? うん! 見る!」 イヴが嬉しげに征秀の腕にしがみついてきた。 むにゅ。 なんかものすごく柔らかいがしたのに、ぎょっとした。 先ほどまで幼い娘だったイヴは、征秀とあまり変わらない二十歳くらいの外見となっているのだ。セクシー系なお姉さん系で! 「んふふ。うれしい? 嬉しい? お胸、おっきいの」 「ばっ、イヴ!」 声を荒らげるとイヴのつぶらな瞳が、まるでひっかくための小さな爪を持った子猫みたいに見開いて睨んでくる。 「戻りなさい」 「……ちぇ」 ふてくされたイヴはすぐに元の十六歳に戻った。 「お前、あんな外見どうしたんだ」 「……マサに喜んでもらおうと思って、外見プログラム組んで用意しておいたの。男のひとってセクシーで、ボインな女のひとに弱いって聞いたもん!」 思わずその情報をどこから手入れたんだと聞きたい、いや、どうせネットの海から適当な情報をぽいぽいと拾い上げて来たに決まっている。 頭が痛い。まったく。 出来るだけ有害な情報は規制してほしいと頼んだが、サーバー空間で生まれ育った成長型人工知能であるイヴ相手に完璧な規制なんて出来るはずがないと諦めるしかない。 だがイヴのやや過激ともいえる悪戯行動が結局のところは寂しさなのだと思うと可愛くもあり、申し訳なくなる。 俺はずっとここにいられないのにな。 「悪かった。怒って、寂しかったんだよな。それに、久しぶりに来た俺を喜ばそうとしたんだろう? けどな、イヴはイヴのままでいいんだ」 しょんぼりとしたイヴの頭を撫でて落ち着けて征秀は努めて明るく誘う。 「ほら、手を繋いで、星のルームにいこう、イヴ」 「うん!」 イヴはすぐに無邪気に笑って征秀の手をとった。 救いだした真っ白いイヴのデータを、征秀は以前、知り合いになった探偵の元に持っていった。 ロストナンバー相手にかなり警戒していた相手だけに自分の依頼を受けてくれるかは賭けだったが、ここ以外に頼る思いつかなかった。 古びた建物の前にはあのときのように人形が置いてあったのに、征秀は地面に両膝をついて頭をさげた。 ――頼む、助けてくれ。救いたい女の子がいるんだ! ――人の家の前でなにしてんだ、色男 声は背後からだった。 振り返ると、スポーツマンみたいな黒いインナーに白衣を身に着けて煙管を吹かした女がスーパーの袋を片手に立っていた。 彼女こそが、サイバー事件をメインに扱う探偵エマ、その人であったのだ。 エマは征秀を家にあげると事情をすべて聞いて、協力を承諾した。 ――なにかあったときは力を貸しておくれよ。色男。あと、酒はうまく飲みたいんでねぇ ――はぁ そんなわけで、あれよあれよという間に酒を飲むことになってしまっていた――よく見るこの家、酒瓶だらけの魔窟だったのに遅まきに気がついたときは手遅れだった。 エマによって酒をたらふく飲まされ(まあ好きだからいいか)、イヴをどうしたいのかとあれこれと相談して(酔っ払ったまま)、気がついたら朝には掃除洗濯、ついでに食事まで作ってしまったというなんだかよくわからない展開に陥った。 だが、エマはきっちりと約束は守って、イヴのデータの復元してくれた。 実は酔ったままの勢いでのリクエストしたのは覚えていてもどんなことを口にしたのか記憶が軽く飛んでいたので大丈夫だろうかと心配したが――希望した通りに、はじめて会ったイヴの外見となっていた。ただし、中身は真っ白いままで。 それから征秀は暇なときはチケットを片手にイヴに会いにいくようになった。エマにデータの管理をお願いしたが、彼女の責任を持つのは自分なのだという自負もあった。 何も知らないイヴは征秀の話を聞いて知識を吸収し、自分からも進んで勉強してどんどんませて……いや、歳相応の元気な女の子になった。 会えば愛しさがこみあげてきて、出来る限りのことをしたくなる。 けれど、 俺は故郷に帰属する、だからいつかはイヴとも別れなきゃいけない それまでにできるだけ彼女と会い、望みを叶えてやりたい 遠くない未来に選択を考えれば時間はあまりない。その間に、これから、自分がイヴになにがしてやれるだろうか? 今は出来るだけイヴと思い出を作って、話を重ねていきたい。たとえデータだとしても、彼女らしい人生を歩むための糧になるためにも 「マサ、マサ、ほら」 イヴの部屋の手前にある扉を開けてなかにはいると、光一つない闇に包まれる。先ほどの偽りのものとは違う、本物の暗黒のなかにいるのに不思議と自分の姿とイヴの姿を見失うことはない。そうイヴが空間設定しているからだ。 瞬く光。 赤、青、黄、銀色……星が歌う。 いくつもの煌びやかな幻想的な光に包まれる、宇宙空間をイメージした、イヴのお気に入りの部屋。 征秀が腰かけるとイヴはその膝に頭を置いて寝っころがる。 「あのね、イヴね、誰かにすごーく会いたいっていうのわかるけど、その人が誰かわからないの。……それって運命のひとじゃないの?」 「そうだな。そうかもな。けど、そういうのは、すごくがんばる必要があるんだ」 「がんばるの?」 「そうだ。占いっていうのは前にも言ったけど、きっかけなんだ。求めるなら動かなくちゃいけない」 「イヴも?」 「ああ。イヴはどこにもでもいけるだろう。もちろん、危ないことはだめだけど」 「けど、イヴは……人じゃないよ」 イヴはじっと征秀を見る。 「人じゃないのに、誰かに好いてもらえるかな?」 「イヴ、いいか、俺がいつも言うように、運命は自分で切り開くんだ。怖くても進みださなくちゃいけないんだ」 「進みだすの、怖いのに?」 「傷ついても、すすまなくちゃ、得られないものはあるんだ。痛くて苦しいときは俺、いや、エマに言えばいい。な?」 「マサは? マサには言っちゃだめなの」 「イヴ……俺はいつか、ここにこれなくなる日が来る。人は出会って、別れて、また進むんだ。ここに俺がこれなくなっても、知っていてほしいんだ。俺はずっとイヴの幸せを願ってる」 イヴは縋るように征秀の腕を握りしめて、納得できない顔のままだが渋々と小さく頷いた。征秀はイヴを甘やかすように抱きしめて頭をくしゃくしゃに撫でた。 運命は、自分で切り開く、か。 自分で告げた言葉が自分の胸を抉るのを、征秀は自覚した。 エマの事務所はいつきても汚いが、サイバーにダイブする設備だけはどこにも劣らないほどだ。 ダイブ後特有身体のふわふわする浮遊感をやり過ごしながら征秀は、エマにイヴにまた会いに行き、仲良くしてほしいと頼んだ。いつかエマに託せるように。 「女二人、仲良くするのもいいさ。それより、今夜は飲むかい?」 「いや、寄るところがあるんだ。エマ、その、知っているか?」 征秀の問いにエマはあからさまに眉を寄せて、ふうーと紫煙を吐いた。 「あんたも、ホント、お人よしだねぇ。変なのに憑かれるんじゃないよ」 「怖いこというなよ」 征秀は軽口で言い返した。 ――絵奈が破壊した街を見たい インヤンガイの騒動は耳にしていたが、それに絵奈がかかわっているとは思いもしなかった。 直接聞くことは出来ずに、親しくしている司書に相談すると彼女が依頼中に街を破壊してしまった真実を知った。 思えば四、五か月前から絵奈は沈みがちだったと、彼女の友人たちが口にするのに、ますます責任を覚えた。 実は、その時期、征秀はメイムで見た「夢」のせいで、絵奈にどう接したらいいのか困って、距離をとっていたのだ。 夢の内容を唯一知る添い寝としてくれた友人は夢に振り回されてはいけないと助言してくれ、自分もそうするつもりだったが、だめだった。 あの光景が瞼に、脳裏に、くっきりと焼きついて離れてくれない。 俺は、どうすればいいんだ。 ずっと一人で悩み続けて、ここ最近、一番そばにいるはずの絵奈の笑顔をまったく見ていないことに気がついた。 臆せず、話せばよかった。 あんな呪いのような夢を気にして、こんな結果になったのは誰でもない自分のせいだ。 形は違うが、夢が現実になったも同じじゃないか! 閉鎖された街の周辺を歩く。 大崩壊を経て、危険と判断された街はすみやかに結界が張られ、捨てられた。結界そのものは透明ゆえになかを目にする事自体は容易い。 砕けたビル、瓦礫、草も生えない更地。――壊れて、捨てられた大地。 藍、紺碧、茜色の見事なグラデーションを作った空、眠たくなるような蜂蜜色が世界を染める夕暮れ。捨てられた街も、征秀も包まれる。 生命の鼓動は失われ、かわりに冷たい静寂が、彷徨う魂のような風の寂しげに音が耳につく。 これは俺のせいでもあるんだ。 まだ現実になってない未来を恐れて、それで距離をとって、絵奈の一番必要とするときに傍にいてられなかった。 また。失敗したと報告書を見たときに生まれた後悔から征秀は酒に伸びかけた手を握りしめ、すぐにチケットを持った。無感動な文字だけでは何が起こったかの実感も湧くはずがなく、直接自分の目で見ようと決めた。それでもやっぱりぐたぐたと悩んで、今の今まで足を向けれなかった。けれどイヴに会って、話して勇気が湧いた。イヴの幼さは昔の絵奈を思い出させた。あの無垢さを自分はずっと守りたかった。今、ようやくその権利を取り戻したというのに、再び自分の愚かさで失うなんて、したくない。 「運命は自分で切り開く、か」 冷たい風が髪を弄ぶ。 「責任をとるべき、ちがう。俺は」 俺の責任とか絵奈の罪とか、許されたいとかそんなものじゃない。心の奥ではっきりと浮かんだのはたった一つの想い 絵奈を助けたい。だから、助けるんだ。 太陽が沈んで、完璧に夜となる。空を見ると、気の早い金色の一番星が輝くのに征秀は拳を握りしめた。 絵奈、お前は、一人じゃない。俺がいる。 世界は寂しいほどに静寂で、吹く風の冷たさは心を、魂を震わせる。 征秀は右拳を胸に置いて、目を伏せると失われた魂へ、生活へ、街へち謝罪と安らかな安寧への祈りをただひたすらに捧げた。
このライターへメールを送る