その日、たまたまやってきたパレードに見惚れて昼食を食べ損なったことがシリル・ウェルマンの運命を、ささやかにも変えてしまった。 年頃からみれば十三歳くらい。銀の髪に緑の瞳をした小柄の少年の胸には冒険者の証である真新しい金のバッチが輝いていた。 同じ冒険者が見ればシリルが新人であること、そして風に愛されたエルフのハーフであることがわかっただろう。 現在、寝泊りしている宿のドアを開けたシリルは空腹を満たそうと歩き出す。 一階は酒場兼食堂、二階は宿。さらにマスターはギルドからの仕事斡旋もしているため、はじめて仕事をする冒険者は必ずこの宿の世話になるのが習わしだ。 シリルは二カ月前に冒険者養成学校を卒業したが、まだ仕事は一つもしていない。 あーあ。 つまんないなぁ。 エルフの母を持つシリルは当然のように風と旅を愛した。身長は父に似ず小柄だが、それでも小さな体に溢れるほどの冒険心とウタの才能を持っていたのに両親を説き伏せて成人の儀式――十歳で自分のなるべきものを決める儀式で冒険者になると宣言した。 努力の結果、ようやくスタート地点に立ったのに、そこで足踏みしている状態はシリルとしては大変不満だ。 退屈と空腹にとぼとぼとシリルはカウンターに座る。 「おい、シリルの坊や」 「坊やって、もう、やめてよ!」 カウンターのマスターは元冒険者だ。がっしりとした体にいくつもの武勇伝に事欠かさない傷がいくつもあって、食事のたびに退屈を紛らわす話をしてくれる。 「仕事、してみないか?」 「え! 本当?」 「おう、ただ、ちょいとめんどくせぇんだが」 「する、するする!」 シリルはこのチャンスを逃さないとばかりに身を乗りだす。仕事のできる興奮に空腹も吹っ飛んでいた。 「なにすればいいの! 僕、やる気はあるよ!」 「よし、なら平気だな。ちょっと奥にいけ。かなり込み入った話でな、あともう一人、探す必要があるんだ」 「う、うん?」 シリルは首を捻りつつ、カウンターの奥でマスターの娘が手をひらひらと振っているのに気がついた。この宿の看板娘であるそばかすが可愛い彼女がにこりと笑っている。 「?」 なんとなくいやな予感がしたが、はじめての仕事にシリルはすっかり浮かれていた。 トバイアス・ガードナーは冒険者として既に数年の経験を積んだ、ベテランだ。その強靭な肉体と大剣を使って主に護衛をメインとして仕事をしている。 彼の実力もそうだが、黙っていると剣呑さで雑魚ならば戦わずして蹴散らしてしまう。見た目だって護衛者には必要な要素だ。 トバイアスは今日、鈴虫の宴という冒険者なら一度は世話になる宿にきた。三日前に引き受けた護衛の仕事が完了してあたたかいベッドとシチューが恋しくなったのに店内にはいると、マスターがひらひらと手を振って呼びかけてきた。 「お前、仕事はしてないよな」 「ああ」 「よし、新しい仕事をしないか」 トバイアスは細い目を見開いた。 「またいきなりだな」 世話になっているマスターの手前、いきなり断ることはしないつもりだが、さすがに連続の仕事は勘弁してほしかった。 そのトバイアスの心を読み取ったように、マスターは下手に出てシチューとエールをトバイアスに無料で提供するかわりに仕事の内容だけでも聞けと頼んできた。 「それがよ、さるお嬢さんの護衛なんだが、人手がたりねぇんだ。お前、アーリィ商人を知ってるかい?」 「ああ、商品を格安で売っている、庶民の味方だとか」 「そ。そこの取引相手の息子さんが今月、結婚式をするんだ。なぁに隣国だから、馬車で三日くらいの門だ。しっかしよ、困ったことに父親がぎっくり腰で、絶対安静ときたもんだ」 あたたかなシチューとエールで疲れをとりながらトバイアスはついつい話に引き込まれていた。 「娘が代理ってことになったが、父親がえらく心配してるんだ。実は」 「庶民あがりのアーリィ家を馬鹿にして、姑息な嫌がらせをしているフゥ家だろう? 噂は耳にしてる」 ぱんっとマスターは手を叩いた。 「話がはやい! そういうことだ。自分はいいにしても、まだ嫁入り前の娘が危険に晒されるのはほっておけない。金はいつもの倍、急なことで今日には出てほしいっていうんだよ」 むむっとトバイアスは獣のように唸った。 「そんなことを聞いたら、お前さんは、ほっておけないだろう」 「……」 完全に性格を読まれた上で持ちかけられたということがわかってトバアイスはため息をついた。 「引き受けよう」 「そうでねぇとな。そのお嬢さん、裏にいるから、会って来い」 「待て、裏……いま、ここにいるのか?」 「ほら、急なことだし、なにせ、狙われてるからな。敵の裏をかかなくちゃいけねーだろう」 マスターの言葉にトバイアスは自分が完全に罠にはめられたのだと知った。これはシチューとエール一杯では安すぎる。 しかし、あとにはもう引けなくなっていた。 「な、な、な!」 シリルは通された部屋のなかで話を聞きながら、渡されたドレスに目を落として仰天していた。 初めての仕事にどきどきしていたのは、依頼内容を聞いて一気にしぼみ、混乱に陥った。 「僕が、お、女の子になるの? 無理だよ!」 「なにいってるの! そこらへんの女の子よりも可愛いのに! あんた、声を変えたりとか変装とかも出来るんでしょ?」 ぎろっと睨まれてシリルはびくっと震えた。 「まぁ、けど」 「背格好もあんたくらいなのよね、そのお嬢さまって人」 「けどぉ」 「すべこべいわなーい! 仕事できるのよ! 待ってたでしょ!」 「う、うん」 女の子の恰好……と手に持った白とピンクのふりふりのドレスに目を向ける。 「冒険者はね、仕事を選ばない、人を助ける仕事なの!」 「う、うん」 「なら、きりきりやる! それとも着替えさせてほしいの?」 「自分でする!」 わきわきと手もみしながら襲い掛かろうとする娘に慌ててシリルは叫んでいた。 これも仕事、これも仕事……頭のなかで必死にいやだと思う気持ちやら恥ずかしさを押し殺してドレスを身に着ける。 本物のお嬢さまのものらしいがこれが予想外にぴったりだった。シリルとしては嬉しくない。年齢よりも幼く見えるが、まさか、それがこんなところで活用できるなんて 変装の仕上げにする化粧は娘も手伝ってくれ、シリルは立派なお嬢さまになった。 「いい? 今回、あなたは影武者なんだからね?」 「う、うん」 シリルは頷く。 商人のお嬢さまの影武者。それも自分たちは嫌がらせをしかけてくる敵の目をかいくぐって本道をいく。 実はこの情報は実はこっそりと流されているので敵もひっかかって狙ってくることが目的である。 本物のお嬢さまは、出発時間をずらした上で安全な裏道を行くことになっているのだ。……ここまではいいが、シリル側には本物らしくあるためにきちんと護衛までつけられるというのだ。 「その人って、僕の正体は」 「知らないわよ」 「えええ!」 「手抜きされたら困るでしょ?」 髪は変装でかつらをかぶり、そこにリボンまでして完璧女の子のシリルは俯いた。 「建物の裏にお嬢さまの使用人とかが待機してるから、その人たちの言うことを良く聞くのよ」 「う、うん。けど、そのさ、その護衛のひとを騙していいのかな。だって同じ冒険者なのに」 「仕方ないわ。どこで情報が漏れるかわからないもの。けど、トバイアスはいいやつよ」 「トバイアス?」 「そ。ささ、こっそり、こっそりと行くわよ」 「うん」 もう覚悟を決めるしかない。 シリルが出会ったトバイアスは威圧感のある大きな壁――第一印象はそれだ。自分の数倍のある身長、背中に背負った大きな剣。自分よりも冒険者としての経験を積んでいることは一目でわかった。 そんなトバイアスはシリル――お嬢様相手に少しだけ困ったように眉をひそめた。 「よろしく頼む」 「う……は、はい」 シリルは声を変え、緊張に返事をする。 お嬢さま、お嬢さま、お嬢さま……今、シリルは宿の裏手でトバイアスと向き合っていた。 こっそりと馬車と使用人たちが待機していたのに挨拶すると、彼らははじめからシリルをお嬢さまとして礼儀をもって接してくれた。 お嬢さまとして、今回護衛してくれるトバイアスに一言でも挨拶をしなくてはいけないのだが、もう重圧からいっぱいのシリルとしてはかちんこちんにかたまっていた。 「い、いきなりのことなんですが、お願いします」 「ああ……あまり、怖がるな。本当に大変だと思うが……護るのは俺の仕事だ。アーリィさん、あなたは自分のするべきことをすればいい」 しっかりと目を見て紡がれるトバイアスの言葉にシリルはどきりとした。 いきなり、しかも押し付けるような大変な仕事でも、文句を言わず本当に守ってくれようとしている。金だけが目的ではないと彼の細い瞳から見てとれた。 この人は、仕事を大切にしている。 関わった人をちゃんと大切にしようとしている。 自分の冒険者の目標がまるで目の前に現れたようにシリルには思えた。 馬車のなかで若い女中はシリルにあれこれと話しかけて緊張をほぐそうとしてくれた。 「お嬢さまそっくりですわ」 「そうなんだ」 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。 「その、お嬢さまのこと、いろいろと教えてほしいかな。僕、よくわかってないから」 「はい」 せめて、なんの事情も知らないトバアイスが守っても恥ずかしくないお嬢さまでいたい。 いま、この依頼中だけは。 その日はやはり野宿となった。 シリルは別にかまわないが女中や使用人たちはそういうことに慣れてはいなかった。とくにお嬢さまの父の補佐官はずっと不安そうであった。今回、本物を守るためにシリルに同伴しているため本物がいま、どうしていのるかわからないので苛々しているのだ。 「おい、はやく薪を集めろ!」 高飛車に怒鳴るのは事情を知るシリルでさえいやな気分に陥るほどだが、トバイアスは文句ひとつ言わずに淡々と薪を拾って、火を起こした。 自分のするべきことをしているその姿をシリルはじっと見つめ、食事を終えたのに思い切ってトバイアスに声をかけた。 「あの」 「ん」 「彼のこと、悪く思わないで、ください。ちょっと、苛々していて」 「構わない……こんな事態ともなれば、不安を覚えることはある。冒険者をしていて、もっとひどい雇い主には何度も会ってきた」 「そう、なんですか」 「むしろ、こうしていちいち気にしてもらえるこちらとしては申し訳ないくらいだ。貴女は父親の仕事を継ぐためにとてもがんばっている、ですね」 「そんなこと、だって、これは……やるべきことです」 「それを出来る人はきっと少ない」 シリルは黙った。彼の言葉が嬉しいと思うが、違う、自分は騙している。こんな誠実そうな人を。ずきりと胸が痛くなった。 黙ったシリルが怖がっているとトバイアスは勘違いして優しい声で、よかったら、と切り出した。 「俺の旅の話を聞かないか?」 「聞きたい、聞きたいです!」 トバイアスの冒険譚は武骨な男らしい戦いの話が多いがそれはシリルは目を輝かせて聞き入った。 ふと、トバイアスの顔に緊張が走った。 「逃げろ!」 シリルを抱き、声をあげる。 彼は真っ先にシリルを馬車のなかに逃がすと慣れない旅に疲れてすでに眠っていた使用人たちを叩き起こした。そのとき、わっと背後から剣を持つ男たちが襲い掛かってきた。 敵襲! 誰もが息を飲むなか、トバイアスは冷静だった。 「馬車で逃げろ!」 腰を抜かして動けない逃げ遅れた補佐官を立たせ、剣を振るい、敵を蹴散らすその姿をシリルはじっと見つめていた。 すごい。 胸が熱くなるような、興奮と羨望がその瞳に宿っていた。 結果として依頼は成功した。シリルが囮になったのにまんまんとライバルはひっかかってくれ、おかげで本物のお嬢さまは無事に辿りつくことができた。 街につくと護衛は終わりとなるのでトバイアスとお金を渡して別れた。そしてシリルも自動的に仕事は完了なので報酬をもらえば自由の身だ。 自分の本来の装備に着替えたシリルはまず宿へと向かった。 トバイアスが仕事を終えたら宿をとると口にしていたからだ。 この街には宿が二つあったが、そこでシリルはトバイアスのことを尋ね、探した。 どきどきと胸が高まっている。 もしかしたらいやだといわれるかもしれない。怒られるかもしれない。けど、決めたのだ。 風見鶏の歌という宿にトバイアスは身を寄せていていたのを発見したシリルは早速部屋を訪問した。 「おまえは?」 「はじめまして……いえ、先ほどまで会っていたんですが、あなたの護衛の仕事で」 「護衛だと?」 「アーリィ商人のお嬢さまの」 「……どういうことだ?」 トバイアスは目を丸めたのにシリルは早口で説明した。下手に口を挟まれたり、何か言われるまえに自分の気持ちもぶつけたいからだ。 「僕、まだまだ新米で、出来れば実力のある人の下で学びたいんです! 一緒に連れて行ってください」 ぺこんと頭をさげるシリルにトバイアスは呆れた顔をして、噴出した。 「あのお嬢さまがおまえ……あはははは! おまえには完全に騙されちまったぞ! いいぜ、俺と来るか? たいしたこと教えられるわけじゃないが」 「はい!」 ぱっとシリルは笑った。 トバイアスから知ることは多いだろう。それに彼の人柄に触れて、彼に惹かれた……なんてことは恥ずかしくて言えそうにない。 「よし、まずは腹ごしらえするか」 「うん!」
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