「イゾルテの調査を行ってほしい」 そう告げたのは黒猫にゃんこ。現在は三十代のスーツを身に着けた黒に変身しており、尻尾がひらひらと泳いでいる。「本当はもっとはやく依頼するつもりだったんだが、あれこれと忙しくてな。悪いな」 黒は苦笑いして、チケットを差し出して説明をはじめた。 その世界は破滅の女神イゾルテによって作られたと言われている。 まるで時計のように一~十二の数字に別れたコミュニティは特定の政府はなく、それぞれがマフィアや有力者によって支配されている独断の都市として存在する。 この世界は怠惰を貪っている。 女神「イゾルテ」が十二時の階に閉じこもったとき世界からは女が消え、残された男たちの左胸には時計が埋められて死は破壊に変わった。またイゾルテの欠片が六時のコミュニティに落ち、それに寄生された者はフリークスという化け物となって狂い暴れる。 男たちはただイゾルテを直すという願いを抱き、生きている 渾沌と破滅、歪みと信仰の支配した世界。 現在、世界図書館は九時の支配者であるマフィアの「アビゲイル」のボスであり、世界図書館に身を置いている水薙・S・コウの義父であるギルガの協力の元、調査を行っている。ギルガ側からは定期的に六時のコミュニティに現れるというフリークス討伐依頼がされる、といった具合で関係は良好、というよりもある程度の距離をとって手探りでの関係作りといった段階だ。「現在、調査が進んでいるのは九時と六時だけだ。それで、今回は水薙の協力のもと、一時のコミュニティの調査をしたいと考えている。正直、ギルガの依頼でフリークスを倒してばかりではこの世界がどういうものかわからないからな」 黒がちらりと部屋の隅に佇んで黙っている水薙に視線を向けた。「一時は詳しいんだろう?」「ああ。あそこにはちょっと身を置いていたからな」 水薙は自分の故郷だというのに乗り気ではない素振りだ。水薙は自分の故郷の発見を喜ばず、むしろ、出来れば近づきたくないといった嫌悪感を隠そうとしない。けれどその理由について彼はあえて口を噤み続けているのに司書である黒はあえて何も言わず、自分から話しだすのを待っている。「一時のコミュニティの名前はクリムスクラムス。あそこはこの世界においての技術が密集している」 クリムスクラムスは別名を学楽の都市と呼ばれている。集うのはイゾルテに生きる以上必要とされる機械学などに秀でた科学者、技術者たちである。 いくつもの学校が集まり、それぞれに属する派閥の者たちが己の発明や技術を競い合っている。大変豊かな都市だ。「俺の人形作りもここで学んだものだ。今はどうなっているのかわらないが、この都市は世界で必要とされる時計やアンドロイドを一手に引き受けて作っているんだ。だから学楽、別の名では鉄鋼の都市とも言われている」 水薙は言葉少なく説明して黙るのに黒が続きを引き受けた。「だ、そうだ。そんなわけでお前たちには一時の都市クリムスクラムスに行って、イゾルテの技術がどんなものか、どれくらいすごいのかを調査してきてほしい。案内には水薙をつけておく。あと、ほぼコミュニティの調査になると思うんだが……この都市に対して俺の予言の書がひっかかりを覚えるんだ」 黒はそういうと自分の愛用している茶色の革手帳の予言の書を軽く撫でた。「俺の予言の書に一つの言葉が浮かんだ……『消えている』、と」 ロストナンバーたちは不思議そうに目を瞬かせる。 消えている、つまり、それはこの都市では失踪事件が起きている、ということなのだろうか?「既に始まっていることなのか、それとも未来のことなのか、とても曖昧なんだ。そもそもこの都市というのは、ちょっと他のコミュニティに比べて閉鎖的らしくてな」「技術を外に出さないための処置で、セキリティ関係はやたらとうるさいのさ。都市そのものが鋼の塀で囲まれているし、住人となった場合は肉体のどこかにチップが埋め込まれて勝手に逃亡できないように監視される」 と水薙が目を眇めて、くくっと笑った。「ここで学んだものは、肉体にチップをいれられ、他のコミュニティに行く場合は許可が必要になる。ほとんどの場合、ここから出ずに一生を終える者も珍しくない。イゾルテでは、技術者というのは特別な地位で、この都市に憧れないやつはいないからな」「そんなわけで、お前たちなりの調査とともに何か消えているのかもついでに噂なんかを聞いてきてくれ。それに、この一の都市はイゾルテが引きこもっている十二時のコミュニティに隣接している、もしかしたら、どんなふうにイゾルテが十二時に引きこもっているのか実際に見れるんじゃないかとも思う。そんなわけで現地では水薙、頼んだぞ」「……わかったよ。確かに、俺もイゾルテがどう引きこもっているのか知らないかなら、ちょっと見てみたい」 イゾルテは数字順に都市が隣接している。 イゾルテが引きこもっている十二時に行くとすれば十一時か、一時からでないといけないのだ。 イゾルテが引きこもった、というのは聞いたが実際に十二時がどんな状況なのかを知るいいチャンスかもしれない。「ただ、ここの支配者はあんまりかかわりたくねぇんだけど」 億劫げに肩を竦めた水薙は複雑な顔でぼりぼりと頭をかいて口を開いた「俺がいたころから変わっていなければ、この都市を支配しているのはアインシュ・リラって男だ。俺のアンドロイド学を教えた人で、楽奏師だ」「楽奏師?」とその場にいたロストナンバーは聞き慣れない単語を繰り返した。「リディアに捧げる曲を作る、楽器を作る人間のことだよ。ここの街の楽器はちょっと特殊でな。実際に見ればわかるさ。行くぞ」 水薙はそれ以上語りたくないといいたげに歩き出した。その背を見て黒は呆れとも諦めとも、彼の胸に秘めているだろう苦しみを察するような小さなため息をついた。
いつもまどろんでいる真っ白いシーアールシー ゼロは驚いて目を丸めた。まるで朝露に濡れた白薔薇の花びらのような瞳が瞬いて横にいる水薙を見つめる。 「くさいのですー」 「この街は技術者の街だからな。どこもかしこも実験やらして、かなり汚染されてる。そのせいで体を悪くするやつも多い」 「おおいのです? ゼロたちは大丈夫です?」 「一日だけなら問題ない」 水薙はそっけなく返事する。 ゼロは水薙の態度にはあえて何も言わず、大きな瞳で灰色の空を見る。そこには黒灰の煙、白い蒸気がいくつも立ち上っている。 視線を下に向けると煉瓦作りの道路、左手からどぼっ! 何か重いものが落ちる音がするのに目を向けると汚染された赤、青、緑の色鮮やかすぎる川、そのなかに少年たちがいた。 「すごいのですー、きらきらなのです、川遊びなのです?」 「あれは乞食がどぶ浚いしてんだよ。鉄があれば売れるからな」 興味津々にあっちこっちを見るゼロにほっておいては危険だと水薙は気に掛ける。 その二人から離れた位置に佇むのは黒いキャスケットに髪の毛を隠し、茶色の上着と黒ズボンで男装した吉備サクラがオウルセクタンのゆりりんを空へと放ち、この街の状況を見てくれるように頼んだ。 さる依頼で喉を傷めてしゃべれないサクラは胸の中にスケッチを抱いている。 ロストナンバー同士ならノートを使えば誰に知られることもなく会話できる。 ただ仲間以外の相手――イゾルテの住人と会話するならば、ノートを見せてはまずいと考えての処置だ。 それに自分の目にしたもので、何か気になるものがあればイラストとして残しておける。 ずらりと並ぶ煉瓦作りの建物は外から見ると縦に長く、横に狭い造りだ。 通りには乞食らしい子どもたちが走り回り、屋台がいくつも存在する。昼間からだというのに酒場も堂々と開いている。目につくのは圧倒的に多いのが二十代から三十代の男、彼らが熱心に言い合いをしている姿はあっちこっちで見れる。ときどき喧嘩だ! と声があがる。 ゼロは通りにあるソーセージ屋を指差した。 「なんだ、ほしいのか?」 「ゼロは気になっていのです。この世界の食料はどうやっているのです?」 「食料?」 「はいなのです。なにか食べないとおなかがすくのです。けど、ゼロが知る限り、この世界は一次産業がないように思うのです」 「やってるにはやっているが」 「?」 「っーか、ここは室内で作ってるはずだ」 「???」 ゼロとサクラは水薙を見つめる。 「イゾルテの街は各コミュニティに別れているだろう? それぞれ得意とする分野がある。農産業などをメインにやるのは五時と七時で、あそこは農産業で他のコミュニティと取引をしていたはずだ。ま、そんなのは純粋主義者が口にする貴重品だな……基本、個々のコミュニティの一部に製造システムがある。ここの場合は街の端にある施設のなかで牛やら豚やらが研究された液体やらで育てられてる」 ゼロは目をぱちぱちさせる。 その横に立つサクラは微妙な顔だ。壱番世界の常識としてはそんなのは人体に害があるようなイメージが強いのだろう。しかし 「俺らにしてみれば外で育てられたものなんてどんな有害なものを口にしているかわからないからな、恐ろしくて口に出来ないのが常識だ」 「すべてのコミュニティは製造システムをもっているのです?」 「俺が知る限り、六時と一時は持っていたはずだ。あとは七時と五時との取引か」 「ゼロは出来れば、今知れている街以外のことを知りたかったのです」 水薙は思案するように眉根を寄せた。「俺もこの世界のすべてを知っているわけじゃない。知っているのは、先話した程度だ」 「この世界で貴重とされている物質はなんなのです?」 「物質? ……それなら、鉄、いや、正確には純鉄だな。あれを加工して特殊鉄を作ってアンドロイドなんかに利用する」 「わかったのですー」 ゼロは白い手のなかにあるナレッジキューブを鉄に変化させるとむくむくと巨大化した。 「おい、お前」 水薙が眉根を寄せる横でサクラもまたゼロをきょとんと見つめる。 ゼロは水薙くらいに巨大化して手の中で同じく大きくなった鉄を差しだした。 「割ってほしいのです」 「……一つ聞くが、それでなにするつもりだ」 「物々交換なのです」 「あー、どうして、イゾルテのお金にしないんだ、お前は」 額をおさえて天を仰ぐ水薙にゼロはまどろみの顔で微笑んだ。 「これでいいのですー」 近くにいる学生たちはゼロの持っている巨大鉄を見て驚き目を剥いた。とりあえず、ハンマーを借りて叩き割った。 その鉄をよだれを垂れ流さんばりかに見つめる技術者や学生を相手に交渉して通貨に換えることにした。 もともとゼロの巨大化によって大きくしたから小さな塊でもあればいくらだって増やすことは出来る。 「いいか? これが銀貨、こっちが金貨、それ以外はビルと呼ばれる細い銀鉄、これが金だ。難しいことは省くが、金貨は銀貨の十枚分、銀貨はビルの十枚分と覚えておけ。細かな買い物はこのビルで事足りる」 「うむうむなのです。けど水薙さん、ゼロがお金を作って、それで大きくなった場合、金貨もおっきくなるのですー。だからやっぱりこれでよかったのです」 「……お前はときどき頭がいいのか、悪いのかわからないな」 ゼロがもしイゾルテの金貨を知っていて、それで巨大化したら……ものすごいことになっていたかもしれないと想像して水薙は渋い顔になる。 『ゼロちゃんは、やっぱり頭がいいと思います』 「えっへんなのです!」 サクラが褒めるとゼロは、ちっちゃな可愛らしい胸を張った。水薙は遠くを見てあー、めんどくせぇと呟いた。 アツアツに焼いたソーセージを購入した。 サクラは恐る恐る、ゼロはまどみながらも積極的に、水薙はさしたる感慨もなく、串ソーセージを食べる。 「おいしいのです」 「ま、こんなもんだろう」 水薙は食べ終えた串をなんら躊躇いなく地面に捨てる。それにゼロとサクラが目を向けると、すぐに小さな丸い鉄に細い四つの腕のある不思議なロボットが近づき、串を拾いあげて頭にあたる場所から飲み込んだ。 「これはなんなのです」 「清掃マシンだな。多くの学校や施設が寄せ集まってるから、いろんな研究者がその実験物を使用テストしてるんだ、研究、研究、研究、そして討論、ここにいる奴らはそういうのが大好きさ」 ゼロとサクラは十二時に面する場所に向かいたいと水薙に頼んだ。街を一通り巡るのにちょうど立ち寄れるという。 ゼロはきょろきょろとしながら住人たちに何か消えたものはないかと尋ねてまわるが、彼らは首を傾げてばかりだ。 さしたる収穫もないが、いくつもの店でゼロは掌に乗るほどの、生活を支えるための煙草つけ、小型ピンカメラといった発明品を購入していく。 大きな建物を見てゼロは学校があれば立ち寄りたいと水薙の腕をひっぱった。 イゾルテにある最新の発明や技術を見せてもらいたい。 しかし 「関係者以外が校内にはいることは固く禁じています」 門のところで止められてしまったのだ。 つぶらな瞳を大きくしてがーん! 効果音がするなら絶対そんな音がしそうな顔のゼロに水薙は平然と説明した。 「そりゃ、まぁ、そうだろう。説明したように「本当に隠したい技術」は建物のなかだからな」 街に溢れかえる試作品――法律的な手続きを申請しているから無防備に使用テスト出来るが研究中などの品などはすべて建物のなかに秘匿され、おいそれと部外者が入れない様になっている。 がーん、がーん、がーん、がーん……まるで除夜の鐘状態のゼロをサクラは背中を撫でて励ます。そのいかにも雨のなかに捨てられた犬のような憐みを誘う光景に水薙がため息をついた。 「あー、わかった。俺が籍を置いてた所なら……どうせ、道すがらあるし、行くか?」 「本当なのです!」 ぱっとゼロが笑う。 「俺のパスが使えるなら入れるはずだ」 水薙がゼロとサクラを連れてきたのは黒い鉄門に荘厳と優美さの漂うサンテレ大学。 門番はいないが入り口の前には銀の柱があり、そこに水薙は何かを入力すると硝子のドアが勝手に開いた。 「驚いた。まだここに在籍してることになってるのか」 「はいれるのでーす」 ゼロは嬉しそうになかにはいるのに水薙とサクラは後に続く。 床はぴかぴかに磨かれた大理石、いくつもの柱が立つロビー。広いが誰もいない。昼間は講義があるので真面目な学生は出歩いていないようだ。 基本的に学生たちが元気なのは夕方から夜、その時間帯ならゼロの見たい技術も見学できる可能性が高い。 「すごいのですー。いっぱい発明品を見たいのです、けどアンドロイドはお断りなのです」 ぜひとも発明品を持って返るつもりでいるがアンドロイドはさすがに鞄のなかにはいらない。 水薙はゼロとサクラを連れて大学の内部を案内するが、何か目的があるように奥へと奥へと進んでいることにゼロは気がついた。 「ところでどこに向かっているのです?」 「この学校の理事の部屋」 「?」 「アインシュ・リラのところだ。見学するにしろ、なんにしろ、挨拶しねーといけないからな」 水薙はひどく億劫げに告げた。 『ゼロちゃん、アンドロイドを作る人が楽奏師って言われると、アンドロイド自体が楽器の気がしません? 昨年の深夜帯であったんですよね、ユピテルの紡ぐ歌。それと似てる気がします』 「ユピテルの紡ぐ歌なのです?」 『アニメタイトルです』 元は天下無敵の腐乙女サクラは壱番世界にいたときは放送されるアニメを全網羅していた。 『詳しいことは省きますが、アンドロイド自体が楽器というものだったんです』 「アンドロイドが楽器なのです?」 ゼロが水薙を見つめる。 「違う」 水薙はあっさりと否定した。 「アンドロイドはただの生活を支える道具だ」 そのあと自分の説明がとても不足しているのに気がついたらしく水薙は頭をかいた。 「だから見ればわかる、としか言えない……あれは」 廊下の先に銀の髪、淡い赤色の瞳、メイド服姿の清楚な娘が立っていた。三人が目の前にくると娘は頭をぺこりとさげる。 「おかえりなさいませ、水薙さま、そしてお客様、旦那様がお待ちです。さぁ、ついてきてください。ご案内します」 「こいつがアンドロイドだ」 メイドアンドロイドは背を向けて歩き出す。 廊下を進むと鉄のドアが存在し、メイドがノックして開けると、緋色の絨毯に木造の本棚、そこに白い衣服を身に着けた男が立っていた。 腰くらいまである髪の毛はひとつにまとめられているが雪のように白く、目だけが赤い。 「久しぶりだね、私の可愛い弟子、そしてお客様」 水薙がひどく困った顔をして口を噤んで視線を逸らすなか、ゼロが前に進み出た。 「はじめましてなのです。ゼロはゼロなのですー」 『こんにちは。吉備と言います』 リラは愛想よく客人たちにソファに座るように告げる。その間に無駄のない動きでメイドが紅茶を淹れてくれたのに口をつけると、ひどくおいしい。 「アンドロイドは決められたことならばなんだって出来る。人間のような怠惰を知らない。だからいつもおいしいものを提供してくれる。まぁ、データにないことは出来ないのだけども」 『早速なんですが貴方はリディアに捧げる曲を作る楽奏師だと伺いました。どんな曲か聞かせていただいてもいいですか』 「演奏を聞かせていただきたいのですー」 サクラが申し出るのにゼロも手をあげた。リラは少しだけ驚いた顔をして、楽しそうに笑った。 「ここでリディアの? イゾルテの姉に捧げる曲を?」 『はい。そもそもリディアはなんなんですか』 「水薙が君たちにリディアをなんと説明したか知らないが、彼女はイゾルテとは違う。……リディアとはそもそもイゾルテの姉の女神で、イゾルテに罰を与えた方のことだ」 「罰なのです?」 ゼロは不思議な顔をした。 「以前来たときも、リディア教があると聞いたのです。その神話ではイゾルテはお姉さんのリディアに憧れてこの世界を作ったと記されていたのです」 「そうだよ、イゾルテは無垢で無知、司るのは破滅。ゆえに何かを生み出す、教えるなんてことは出来ない」 少しだけ呆れた顔でリラは水薙を睨みつけた。 「ちゃんと教えないのは悪い癖だね、水薙。まぁときどきこの女神は二人なのか、それとも同一人物なのかは我々もわからず討論することはあるのだけども……私の信じることを述べれば、私たちが教え受けたのはリディアだとなっている。彼女は妹によって生み出された世界を憐れんで知識を与えた、と。彼女は終焉とはじまりを司る女神だからね。その女神にイゾルテはひどい罰を受けた。罰の内容までは知らないが、それを許されるときをこの世界の民とともに待っている。そのためにもイゾルテの許しを願ってリディアに曲を捧げる」 「つまり、みんなで悪いことをしてしまったイゾルテさんを許してくれるようにリディアさんにお願いしているのです?」 とゼロ。 「そうだよ、そして私は基本的に楽器を作れるけど、作曲は滅多にしない。それに弾くのは専門の者がいるしね。今日は客人にお近づきの印に」 リラは指を鳴らすとメイドアンドロイドがそれを運んできた。 小さな黒い箱だ。 リラが立ち上がって部屋の中央に移動して蓋を開けた瞬間にびっくり箱がひっくりかえったように、いくつものパイプと鍵盤。 「いくもの音を操るために開発したものだよ。無限といえる音を組み合わせ、練り上げ、女神に届ける」 リラの指が鍵盤に触れると、震える音が部屋のなかに零れ落ちる。高く、低く、溢れる水のように広がり、うねり、汲みあげられ、散っていく。 その演奏する様は踊っているようにも見えた。 まるで一人でワルツのステップを踏むかのよう。一人では寂しいから誰かが共に踊ってくれることを願うような姿だ。 ゼロとサクラは幻想的で美しいその光景をまじまじと見つめていた。 リラの演奏は短いもので、すぐに終わった。彼は足を止めて胸に手をあてて頭をさげたのにゼロもサクラも惜しみなく拍手した。 「アインシュさんはいくつ欠片を所有されているのです?」 ゼロの何気ない質問にはひと演奏終えたリラは表情を険しくさせた。 「欠片は危険なものだけど、イゾルテを直せる唯一の部品。それを所有することをおいそれと口にする愚か者はいないよ。私は君たちに言わなくてはいけない理由はない」 「出来れば教えてほしいのです」 ゼロが食い下がるがリラは首を横に振ったまま口を閉ざしてしまった。欠片の話についてはかなり慎重になっているようだ。 『アインシュさん、誰かがイゾルテを甦らせた時、貴方や世界はどうなると思います?』 「わからない」 『イゾルテには最高の女の意味があるそうです。破滅の女神を直した者は、その愛と世界を統べる権利を手に入れられる。ギルガさんの言葉は結局そういう意味になります。破滅の女神を直してもこの世界が破滅するだけの気がしませんか? 今やってる事、女神とただ1人の男を残して世界を作り替える下準備の気がします。再生のためかもしれないけど、壊れている世界を完璧に壊す手伝いをしている気がするんです』 サクラが一気にまくしたてるようにスケッチに書き込んだ言葉。本当はゼロに相談しようと思っていたことだが、ここはリラにぶつけみることにした。 『……放っておいても壊れる世界なんでしょうか、ここは』 リラは静かに笑った。 「女神によって生まれ、そして滅ぶ、それはある意味道理だと思う。永遠なんてものはないのだから……今のこの状況こそが可笑しいんだよ。完全に時間が停止してしまったいまが」 「フリークスが現れなくなったら、欠片を所有する人たち同士で争うのです? ゼロは気になるのです、他の街のひとたちをどう思っているのですか? とくに九時のひとたちを」 「私はどちらにしろ積極的に争うつもりはないよ。誰とも。三時とはよくしているけれど、二時のあの狂信教者たちは苦手でね……ギルガは愚かだが、嫌いではないよ。水薙ともども」 リラの微笑みを深くした。 『最近技術者かアンドロイドの失踪事件は起きていませんか』 「技術者がいなくなればわかるよ。ただ、アンドロイドは……確かに、街にある試作品が消えたとは聞いたが事件とまでは言われてないな。よくある窃盗だろうと処理されているし」 『ぜひ、情報をください』 欠片などの情報提供は否定的だがそれ以外には協力的であったリラから図書館の利用許可をもらったゼロはいくつものアンドロイド技術の本を読み漁ったあと、校内売店でちいさな淡いブルーの石が埋め込められた懐中時計を購入した。 この都市がアンドロイドと同じく力を注いでいるのが時計だったからだ。 街の端――十二時の入り口には他のコミュニティにいくために存在する船はなく、溝には暗い闇が広がっていた。 「ゼロが大きくなるてのです」 ゼロは水薙とサクラを手の中に抱いてどんどん巨大化していく。それはひとつの都市と同じくらい、否、それ以上の大きくなる。 ようやく十二時らしい艶やかな黒い壁が見えた。そのなかに埋め込められた銀色の鋼鉄の兵士の姿。 「ソード。女神の兵士にして、最強の剣といわれている。あいつら、あんなところに……俺のいたころは各コミュニティのあちこちにいて治安を守っていたはずだが」 (ゆりりん、もっと近づいて) サクラはセクタンに頼むが、やはり壁しか見えない。 ゼロがいくら巨大化しても セクタンの目を通そうとしても 女神自らが侵入を否定するようにただ分厚い黒壁しか見せはしなかった。 帰りのロストレイルでゼロは手に入れた情報をどれから優先的に報告するのかをまどろみながらのほほんと考えていた。 「イゾルテの欠片が集まったら、あの壁が開くのです?」 「たぶんな。イゾルテの世界の者じゃあ、十二時に行くのは無理だろう。接近出来たところで十二時の扉が開かなければ落ちるしかない。もしくは女神の兵であるソードどもが起きて刺されるか」 水薙は皮肉ぽく笑って肩を竦めた。 サクラはそっとノートに独り言のように書き込んだ。 『破滅の女神を直したら終焉の女神はどうすると思います?』 その疑問に答えられる者など、ここには存在はしない。 たった一つだけ イゾルテの世界ではっきりしていることがある 破滅を司る、罰を与えられた女神イゾルテ 彼女は壊れた だから直さなくてはいけない。
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