設楽 一意がインヤンガイに滞在して一週間が過ぎた。 まず住まいになる建物の改築はハフリと協力して三日かかったが人が住むことが可能で、一階の事務所には客がきてもなんら問題ない程度にきれいにした。 一意は悩んだ結果、探偵を開業することにした。これならば自分の技術を活かせると思ったからだ。 それに探偵ならば情報も入ってくる。 ハフリと一意は所詮、街の、インヤンガイではよそ者で、迫害されてもおかしくない。 常に先の先を考えて行動せよ。 師が口癖のように一意に教えてくれた。 多くの情報があればそれだけわが身を守る盾になる。疑り抜いて敵と味方の区別をせよ。どんな状態であっても己の立ち位置を確認し、周囲を観察せよ。 探偵ならば情報を集め、客というツテを作れる。仕事を通して誰かの弱味を掴むことだって出来る――ハフリには絶対に知られたくないが、この生活を守るためなら一意は汚い仕事だってする覚悟をしている。 探偵として仕事をするため、一意は今までのコネをフルに活用することにした。まず白龍に渡りをつけ、なにか小さな仕事でもいいから寄こしてほしいと頼んだ。 そうして小さな失せモノさがしから手始めに与えられ、一意はひとつ、またひとつと仕事をこなし、確実に実績をあげていった。 毎日の生活にも気を遣った。 「かずい」 「ん、なんだよ」 「これきらい」 「なら喰うな」 一刀両断されてハフリは泣きそうな顔をした。 「俺がわざわざ用意したのが食べれないなら喰うな」 「うー」 どんなに夜遅くとも朝の七時に起きて、身支度を整え、食事をする。一日のサイクルを作らないと誘惑の多いインヤンガイではたちまち付け込まれる。 朝はハフリよりも先に起きて新聞を買いにいくついでにだ街をぶらついて挨拶がわりに路地店で惣菜を買う。一週間も付き合うと顔と職を覚えられ、あれこれと世間話を屋台の人々と交わすようになった。とくに世話焼きな中年たちがあれこれと食べ物をおまけしてくれるのはありがたいかぎりだ。 「……」 ハフリはむっつりしたままフォークでトマトをつつく。 ハフリはかなりの偏食家で食も細い。 朝昼晩は絶対にバランスのいいものを食べさせようと一意は決めた。ハフリがいやだといっても毎朝、野菜と牛乳、焼きたてのパンを出す。 たいして一意はその細見に不似合なほどよく食べる。 「かずい、たべて」 「お前の分はお前が食べろ」 「かずいのばか」 一意は鼻を鳴らしてハフリを無視した。飴と鞭は使いようだ。 ハフリは観念してトマトを口にいれて大げさなほど顔を歪める。それでもきちんと飲み込むと、後片付けを開始する。 二人の生活で決めたのは食事の担当は一意で、後片付けはハフリ。 ハフリの背を見つめて一意は品の良い銀細工のように冷たい顔を綻ばせる。 ちょっと冷たいか、いや、けどな。 今まで躾らしいことをしていないハフリはまるで子猫のようにひっかいては、すり寄ってくる。そうして一意の心を計り、試そうとしている。それに一意も全力でぶつかる覚悟だ。 インヤンガイのルールはわからないが、最低限度の躾はしなくてはいけない。 それにハフリは中々に頑張り屋で部屋の掃除や客へのお茶出しなどもすすんでやっている。もちろん失敗するが、一意は怒らない。かわりにただどうすれば同じ失敗しないかをハフリが考えるように見守り、ときにはアドバイスを与える。 いつか、 二人で生きていくと決めても、何があるかわからない。ハフリが一人ぼっちになってもきちんと生きていけるように。 けれどそう思うたびに胸がきりりっと痛む。 ふと顔をあげて、はっとした。 キッチンに立つハフリの後ろ姿が夢で見た二十歳くらいの女性の姿に見えた。 視線に気がついたハフリが振り返るとたちまち幻想が壊れて、現実に戻る。幼いハフリだ。 「かずい、どうしたの?」 「え、あ、いや、なんでもねぇよ」 あの夢を見てからどうもハフリのことが気になって、困る。 そんなわけで一意は二階の部屋をまるまるハフリに与えて、好きにするように言い渡した。自分は寝て仕事が出来る場所があればいいのだし。 「今日はお仕事あるの?」 「ああ、失せモノさがしが二つな。一個は朝のうちに兎を放っておいた。もう一つはこれだ」 一意が写真を出すと洗い物を終えたハフリがぱたぱたと近づいてきた。 写真には白と黒のブチ猫。首に赤いリボンをしている。 「かわいー!」 好奇心いっぱいのきらきらした目のハフリが一意を見つめる。 「依頼主は女の子でな、三日前にいなくなったそうだ。名前はリーニャ」 「すぐに見つけてあげて」 「そうしたいんだが……生き物だからな」 「だめなの」 「移動するだろう? それに兎と相性悪いんだよ」 兎たちが一生懸命探索し、発見したところで生き物である猫はすると逃げてしまう、さらに捕まえようにも兎たちの小さな手足では返り討ちにあうのがオチだ。 兎以外の式神を作るとなると、改めて頭のなかで考え、気を練り上げる必要がある。 「……私、手伝えないかな」 「ハフリ」 「かずい、おねがい! 深呼吸、ちゃんとしてるよ。力も安定してるよ」 ハフリは現在、神経を集中させる訓練をしている。 その訓練でハフリは己の心と向き合い、力を安定させるコツを掴みだしていた。しかし、力をハフリ自身が意識して使用する具体的な何かは考えていなかった。 「出来るのか?」 「たぶん」 自信なさげなハフリに一意は苦笑いする。 「やってみるか」 「うん」 何事もチャレンジだ。 一意は事務所のテーブルにハフリの力が暴走を止めるための術式を書いた紙を置き、それを挟む形でハフリと向き合った。ハフリが集中できるようにいつもの訓練を思い出させる。 はいった。 ハフリが目を閉じて、意識を深く潜らせたのを見届け、一意は白い額にそっと己の額をあてる。 未来視を利用し、依頼を受けて探している自分の未来の一つ――猫と遭遇したものがあるはずだ。 そのか細い、小さな未来の糸をハフリは掴み、見せようとする。 がつん! 頭が割れるような痛みのあと、良く知った通り、その行き止まりにブチ猫、目の前には凶暴そうな野犬。 この出来事はいつのことだ? 時間は―― 一意は必死に意識を集中させて、天を見上げた。太陽が一番上にある。昼だ。そう思った瞬間がくんと一意はその場に崩れた。 「っ、はぁ」 「かずい、大丈夫!」 ハフリが叫んで一意の体を支えた。 「いま、何時だ?」 「えっと、十一時」 ハフリの言葉に一意はよしと声を漏らした。 「あと、一時間か、急いで」 そこでドアが開いた。 「まあまぁ、それで、わたくしの依頼は達成していただけて?」 甲高い声に思わず胸やけがしそうだ。部屋いっぱいに甘い香水の匂いがぷんぷんと漂って鼻がひん曲がる。見ていると目が悪くなりそうな厚化粧。奇抜すぎる紫色のドレスに黒帽子――童話の魔女がそのまま出てきたみたいな姿だ。 本日の依頼の一つである資産家のタラ・カレア夫人が突然やってきたのだ。 依頼は旦那からプレゼントされた指輪。ダイヤのついたそれはそれは大きなもので、どうやってなくすんだ、こんなもんと思ったが、本人曰く指からうっかり外れたそうである。 「それで、どうなんでしょうか」 「ええ、まぁ」 一意は理性と精神力を総動員してスマイルを浮かべる。 いきなりアポなしで来たと思ったら、品を寄こせと言いだした挙句に無駄話をくっちゃべる。マッチが乗りそうな瞼がぱたぱたと動いて流し目を向けられる。 俺にババアの趣味はねぇよ! 「申し訳ありません、奥様の品はまだ」 「あらまぁ、そうなのぉ」 鳥肌が立ちそうな甘ったるい声だ。 ハフリはタラ夫人に恐れをなしてお茶を出して奥に引っ込んでいる。 くそー。 ちらりと時計を見る。もうすぐ十二時になってしまう。 苛々としたまま上客候補のタラと向かい合っていた一意はこの場から彼女を追いだす方法を探しあぐねいていた。 ああ、もう、どうする、どうすればいい。 俺しか知らない未来。 もしかしたらの未来。 変えられるかもしれない未来。 それがこくこくと近づいている。 もしかしたら、ハフリもそうなのだろうか? 人に未来を、破滅するような悪いものを見せるたびに罪悪感とともに、それを回避してほしいと願っていたのかもしれない。 しかし、ハフリの願いは虚しく、それは叶えられなかった。みな悪い波に飲み込まれ、すべての責任をハフリに押し付けた。 お前のせいだ。お前が見せたから、お前の、おまえの――オノレ魔女メ! ぞくりと背筋になにか冷たいものが過ぎた、気がした。 一瞬とはいえ思考が深く沈みすぎていた。ハフリの力を借りたから、彼女の心と繋がっていた名残りのせいらしい。 あれ、客が目の前にいないと思ったらババアは横に移動し、身を寄せている。 一意はなんとか笑顔を保つが ぎゃあああああ。ハフリ、助けてくれ、ハフリ! 心は悲鳴をあげていた。 「あ、あの、お客さまぁ」 「まぁ、そんなかしこまった言い方しなくても」 ソーセージみたいな手が太ももを撫でるのに一意は決断した。 よし、キレよう 貞操の危機だ。ぶんなぐっても正当防衛だ。 警察やらその他いろいろの言い訳を頭のなかで考えていた一意はハフリが部屋の隅っこから顔を出して手招いていたのに気がついた。 「すいません、ちょっと失礼します」 慌てて奥に逃げるとハフリの腕には兎がいた。それがダイヤの指輪をくわえているのに一意は神様と仏様を信じそうになった。 「お外にいたの、なかに入れなくて困ってたから窓から抱っこしていれたの」 「ハフリ、お前、最高だ!」 思わず力いっぱいハフリと兎を一意は抱きしめた。 「かずい、あの、いそがないと」 「よし、兎はちの七号」 きゅ? はの七号が可愛らしく鳴く。 「俺のために犠牲になれ」 きゅきゅ? はの七号とハフリは同時に首を傾げた。 五分後。 「んもぁ、ずいぶん長かったのね!」 「も、申し訳ありません、マダム、お探しのものを見つけてまいりましたぁ」 「あら、先よりも口調がちょっとたどたどしくないからし?」 奥の部屋から出てきた一意はにこりと幼い子どものように笑う。 「そうですか? マダム、これ、見つけました。あなたのお手手にあうとおもいます」 ずきゅーん! 先ほどまで手練れの狼のようだった男がいきなり兎のように純朴な笑顔をふりまいて指輪をはめてくれるのにタラの心臓は見事に撃ち抜かれた。 「いいの? はの七号ちゃんのこと!」 「俺のためにババアに食われろ!」 本物の一意とハフリは窓から外に抜け出して走っていた。ちなみに今、事務所でタラの相手をしているのは兎のはの七号が術で一意に化けたのだ。 「あとでたっぷりご褒美に術紙食わせてやるからなー!」 「かずいのおにー、あくまー!」 「えーい、うるせー、見つけた!」 汗だくで走る一意はハフリの叫びに反論しながら、それを発見した。 壁に追い込められた子猫と獰猛な犬。 「出てこい、兎ども!」 無数の兎たちがわらわらと現れて、犬に突撃した。 「ありがとう!」 少女は笑顔で猫を抱っこして帰っていく。その様子を一意は見つめてはぁと深いため息を吐いて事務所のなかに戻る。そこには兎たちと変身したはの七号がむしゃむしゃと術紙を食べている。 がんばってくれたご褒美中だ。 「かずいって、お仕事しているとき、別人だね」 「そうか」 「うん。気持ち悪い」 差し出されたお茶を受け取って一意はむすっとする。 「いつもの一意のほうが好き」 「……そうかよ」 「いっぱいがんばったね、かずい、いい子、いい子」 「おい、やめろ……っ、しかたねーなあ」 ハフリは微笑んで一意の膝に乗ると頭を撫でてくれるのにそっと身を寄せると抱きしめられた。 あたたかい、ハフリからのご褒美を一意が堪能していると ドアが乱暴に開けられた。 「いちゃついているところ悪いが、仕事を一つ頼みたい」 どかどかとなかにはいってきた白龍が冷やかに二人を睨んで吐き捨てた。
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