そのとき図書館ホールにいた、サシャ・エルガシャ、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ、相沢優、シュマイト・ハーケズヤ、ジューンの5名を前に、リベル・セヴァンが提示したのは、何の変哲もない――というと語弊はあるが、スタンダードな依頼だった。「ロストナンバーの保護をお願いします。特に難しい案件ではないので、あなたがたなら問題はないでしょう。場所は、英国のロンドン近郊にある、かつての領主の館を改装したクラシックなホテルです。部屋から見えるテムズ河の眺めも素晴らしく、優雅な客室でアフタヌーンティーがいただけるということもあり、女性観光客にとても人気があるところなのですが」 リベルは言葉を切り、ため息をつく。「突如おこった幽霊騒ぎにより、ぱったりと客足が途絶えているそうなのです。というのも、転移したロストナンバーというのが、まだ幼い、イタズラな双子の妖精で、幽霊のふりをしては観光客を驚かして、物陰でキャッキャと喜んでいるようで。元の世界では、どうやら妖精王の娘として生まれ育ったようですが、いったいどんなしつけをされていたのやら……」 さらにリベルは、ホテル経営者の苦悩に思いを馳せる。「ヨーロッパには、かつて貴族や領主の館だったけれども、税金や維持費の関係でホテルになったものがたくさんあります。ロード・ペンタクルのようなお金持ちならともかく、観光客の激減は経営者には死活問題です。イタズラ妖精を捕獲したらきついお仕置きをしなければ! 即刻ターミナルに連行し、ロストレイル12車両の大掃除と図書館ホールのぞうきんがけを極めたうえで、赤の城の薔薇園……、は難しいでしょうから館長公邸のローズガーデンで長時間耐久正座をしてもらいましょう!」 どこかのイタズラ娘たちの所業がオーバーラップしたようで、リベルの語調がヒートアップする。 しかーし、真面目なリベルさんからチケットを受け取るやいなや、5人は円陣を組んで打ち合わせを始めた。「だったら、十分ロンドン観光する余裕があるね。英国はとっても奥が深い国だから、ロンドンだけでも見どころ満載だよ。いろいろ案内しちゃう!」「知識としては知っておっても、本格的な観光をしたことはないのう。いつもは依頼だけで終わっていたからの。楽しそうじゃな」「うん。イギリスは、一度ちゃんと観てみたかったんだ」「以前から興味のあった地だ。わたしの世界に似ているらしいと、書物で読んで感じた」「一惑星に多国家が存在する……。典型的な連盟未加入国家の状況なのですね。興味深いです」 全員、もうすっかり、観光旅行モードである。 日々、依頼ついでの壱番世界ツアーができそうな案件はないかと、待ちかまえていた甲斐があったというものだ。 これぞカモネギ。 棚からぼたもち。 渡りに船。 世界遺産にロストレイル。 なお、ロンドン市内だけでも4つの世界遺産がある。ウェストミンスター寺院、ロンドン塔、グリニッジ、王立植物園「キューガーデン」――「ワタシ、一所懸命ガイドするよ!」 サシャはぐっと拳を握りしめた。「そうそう、ベーカー街221Bは、シャーロック・ホームズ博物館になってるの。たしか地下鉄ベイカー・ストリート駅から徒歩3分」「……あなたがた。聞いてますか? この案件は」「おまかせください。不肖サシャ、はりきってこの大役を務めさせていただきます!」 聞いちゃあいるが、まったく違う意味でやる気全開なサシャたんだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>サシャ・エルガシャ(chsz4170)ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)相沢 優(ctcn6216)シュマイト・ハーケズヤ(cute5512)ジューン(cbhx5705)=========
ACT.1◆妖精王の娘の名 「リベル司書、質問があります」 チケットを受け取りながら、ジューンは問う。 「何でしょうか?」 「双子の子どもたちの名前を、教えて下さい」 「名前……、ですか……」 なぜかリベルは言いよどんだ。彼女らしくもなく、視線を宙に泳がせる。 「保護対象に関心を示していただき、うれしく思います。ですが、その……」 「何か問題でもありますでしょうか? 幼い子どもの心を開き、意思疎通をはかるには、まず名前を呼びかけることから始めなければ」 「仰るとおりです。ただ……ちょっと、……いえ、…………あのぅ……ええと……」 「リベルさんがうつむいて口ごもってる……!?」 「大丈夫ですか? 疲れがでちゃったのかな?」 「日々多忙だからな。心身が休まる暇もないのだろう。無理もない」 「少し休んでからにしてはどうじゃ? 体調不良が激しいようなら医務室に行ったほうがよいぞ」 世界司書リベル・セヴァンの、前代未聞の口もごもご状態に、サシャ・エルガシャも相沢優もシュマイト・ハーケズヤもジュリエッタ・凛・アヴェルリーノも一様に驚いた。いや、驚きを通り越して過労が心配になり休養を勧めた。 「とても、まぎらわしい名前で……」 「教えてください」 ジューンに促され、リベルは、ようやく声を絞り出す。 「……『リベラ』と『エミリナ』です」 何やらどこかで聞いたことのあるような名前である。しかも、この妖精たち、双子とはいえ外見はあまり似ておらず、リベラは黒い肌に銀髪、青い瞳、エミリナは白い肌にピンクの髪、茶色の瞳という、これまた、どこかの誰かさんたちと偶然にも一致したカラーリングらしい。 「じゃあ、リベル様とエミリエちゃんを、子どもの妖精にした感じなんだね? 可愛い!」 にこにこと、きっぱり明るく言っちゃったサシャに、リベルは不承不承頷く。 「……そう喩えられると思ったので、言いにくかったのです……」 そのうえ、と、リベルは、ある意味、驚天動地の重大情報を付け加える。 「…………………姉のリベラのほうが、イタズラ好きなのです。エミリナはどちらかというと、リベラに振り回されているようで……」 と、消え入りそうな声で言い、リベルはそそくさとその場を離れる。発行したばかりの人数分チケットを握りしめたまま。 「リベルせんぱーい! チケット、チケット! まだ皆さんに渡してませんよ?」 「え? あぁ、そうでしたね、では、後の手配はお願いいたします」 通りがかった無名の司書にチケットを預け、リベルはふらつきながら図書館ホールを出る。どうも、本当に医務室に行くようだ。 ともあれ―― 思わぬ楽しみが増えた(?)5人の、ロストレイル乙女座号に乗り込む足取りは、いっそう軽やかになったのだった。 ACT.2◆倫敦横断欲張り紀行 「では、【マニア垂涎! 本物のメイドさんと豪華列車で行く倫敦浪漫紀行! ウェストミンスター・アビィ(寺院)→ロンドン科学博物館→大英博物館→シャーロック・ホームズ博物館→ロンドン塔→リージェントストリート経由で老舗百貨店ハロッズ→海事都市グリニッジ――霧の倫敦に向かった彼らを待ち受けるものは? 妖精さんがイタズラ活動するのは夜みたいだから、日中は観光しちゃえばいいんじゃないかな。なお、イギリスの食事は(ぴ〜)との定評がありますが、本日の宿泊ホテルのディナーは美味しいのでご安心ください。そうだサシャたん、あたしお土産はハロッズのマグカップがいいなって、優くんに伝えて〜】ツアーを開始します……って、いつの間にかチケットにキャッチコピーと日程表と私信がついてるー?」 サシャがそれに気づいたのは、食堂車で紅茶をサーブしつつ、観光場所の希望を聞き、スケジュールを組もうとしたときだった。無名の司書の走り書きのある付箋が、チケットの裏にくっつけられていたのである。 付箋を剥がし、茶目っ気たっぷりな、かつ、しとやかな仕草で、優に見せる。 「優様。無名の司書様より、一点集中狙い撃ちでお土産購入担当の任命オファーがございました」 「あはは。最初から司書さんたちにもお土産は買って帰るつもりだっんだけどな」 優は苦笑する。もともと、シャーロック・ホームズ博物館ではヴァン・A・ルルーに、ハロッズでは両親や友人や司書たちへのお土産を購入するつもりだった。だから、行きたい場所を挙げるとしたら、その二箇所だったのだ、と。 「うん、これってワタシが考えてたコースとだいたい同じなんだ。だから、皆がいいなら、これでいこうかな」 付箋に記されたスポットを見直し、サシャは一同の意向を確認する。 「そうですね……。わたしは、皆さんのご希望に合わせるつもりでしたし、シャーロック・ホームズ博物館やロンドン科学博物館、大英博物館やロンドン塔に興味がありましたので、問題ありません。ただ、もし、リベラさんやエミリナさんを保護したあと時間の余裕があったら、彼女たちと一緒に観光できればと思います」 ジューンが、やわらかに微笑んだ。 「そっか……。双子の妖精のことを気にしてたものね。ジューンさんは優しいんだね」 「わたくしもそのスケジュールに賛同する」 ジュリエッタは大きく頷く。 「海事都市グリニッジを中心に観光したいと思っていたのだが、他の場所にも行けるのなら、それはそれでうれしい。バラエティに富んだ旅行になりそうじゃの」 「わたしは、ロンドン科学博物館と大英博物館、可能ならば、国会議事堂の時計塔――かのビッグベンを中から見たいと考えていた」 だから、そのスケジュールであれば、おおむね大丈夫だ、と、シュマイトも言う。少しだけ、思案の表情が残っているのは、彼女の大きな興味対象のひとつが含まれていなかったからだ。 「サシャ、あの大時計の内部を見るのは難しいのだろうか?」 「そうだね……。国会議事堂、っていうかウェストミンスター宮殿はウェストミンスター寺院のすぐ近くだし、ビッグベンの外観を見るのは簡単なんだけど」 サシャは記憶を探る。 「たしか、ビッグベンは、英国人以外は内部を見学できないはずだよ」 「観光客には開放されていないということか」 「もっと厳しい考え方なの。外国人が見たいと思ったら、英国の永住権が必要になるの」 「ずいぶんと厳格なのだな」 「永住権を取れたとしても、申請書を出して警察に調べられて、テロリストとかじゃないって証明されてから、やっと許可が出るみたい」 「ならば仕方がない。いさぎよくあきらめよう」 他にも見どころはたくさんあるのだしな、と、微笑むシュマイトに、サシャはしゅんとうなだれる。 「……ごめんね。シュマイトちゃんの行きたいところは、全部案内したかったのに」 伏せられた睫毛のいじらしさが、どこか小動物を連想させて、シュマイトは思わず吹き出した。 「サシャが謝ることではない。それより、サシャはどこに行きたいのだ? もし、このコースの中に入っていないのなら、わたしたちに気を遣わずに、大いに希望を言っていいのだぞ?」 「ありがとう、シュマイトちゃん。でも大丈夫だよ」 ――実はね、ウェストミンスター寺院は外せないな、って思ってたの。戴冠式の場所だったり、ダイアナ元妃の葬儀とかでも有名だけれど、ほら……、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式があったじゃない……? サシャは朗らかに言い、一同は真っ先に、ウェストミンスター寺院に向かうことになった。 ◇ 高くそびえるアーチ型の天井に、聖歌が響いている。 ウェストミンスター・アビィは、1066年のウィリアム征服王の戴冠以来、英国国王の戴冠式を執り行う教会としての歴史を歩んできた。国家的霊廟の役割も果たしてきたが、あにはかやんや、墓としては満員御礼、枠あまりはなしだそうである。ここに眠りたい王族は多いらしいのだが。 「すっごい荘厳でしょ?」 サシャはゆるやかに両手を広げる。 一同は、聖歌に耳を傾ける。 ジュリエッタは、ほう、と、感嘆のためいきを漏らした。 「イタリアの教会とはまた違う、重厚な装飾じゃのう……」 「すごいなぁ……。どこを見ても、すごいとしか言えない」 「歴史の重みを感じて、興味深いです」 優は、彫刻やステンドグラスに感動し、ジューンは冷静な感想を述べる。 国王たちはここで戴冠式を行い、結婚式を挙げ、そして――永遠の眠りにつく。 「わたくしもいつか、このような所で伴侶と式を挙げられる日がくるじゃろうか?」 乙女らしい夢をジュリエッタは語り、サシャも「そうだよね」と目を輝かせる。 「ワタシも、ロキ様と式を挙げたいな~」 サシャはうっとりと、胸の上で指を組み合わせた。その頬は薔薇色に上気して、歴代の花嫁の美しさに勝るとも劣らない。 「……そうか」 シュマイトは、それだけを言った。 こんなときには、さりげない笑顔で、祝福のことばを言うべきなのかも知れないが――万一、空疎な響きを感じ取られてしまっては、親友のサシャにも彼女の恋人にも申し訳ないと思ったので。 ◇ 「おまたせ! シュマイトちゃんご希望のロンドン科学博物館だよ」 「ありがとうサシャ。ぜひとも壱番世界の機械を見たかったのだ」 サウスケンジントン駅から徒歩10分ほど、ビクトリア&アルバータ博物館の向かいに、ロンドン科学博物館は建っている。入ってすぐの展示室は、蒸気機関を集めたエネルギー・ホールとなっていた。 「蒸気機関っていうとつい、機関車を思い浮かべるけど、それだけじゃないんだな……」 「迫力があるのう」 ホールの広さに驚きながら、優とジュリエッタは、展示物の多様さに目を見張る。 18世紀末に実用化された蒸気機関は、たとえば炭鉱の水抜きを行ったり、水門の開閉などに使用されていた、大がかりな固定の装置である。 ごくごく初期に、坑道や井戸で使われていた「実物」が、そこにあった。 「……これはまた」 動き続けていた「時間」に磨き抜かれた、黒く光る木と鉄でできた巨大な仕掛けが、シュマイトを圧倒する。 壱番世界には、魔法が存在しない。それは純粋に、機械技術のみにしか頼らざるを得ないということだ。シュマイトからすれば、相当に制限の大きい環境だと思うのに。 ジューンはゆっくりと、仕掛けの周りを歩く。 「仕組みは単純なので、理解はできます。ですが、これを考案し、使用に耐えうるように調整するために、どれほどの叡智が重ねられたことでしょう」 「やはりジューンは、当家の馬鹿メイドとは格が違うな。ぜひ、科学技術について語り合いたいものだ」 「ありがとうございます。ではあちらで、人工衛星の実物を拝見しながら、宇宙開発についてお話しましょう」 「人工衛星だと?」 シュマイトは、思わず声を上ずらせた。 200年前の蒸気機関から一転、ジューンのしめす先は、人工衛星やロケットエンジンの実物が置かれた宇宙開発展示室になっているではないか。奥のほうには、アポロ計画の月着陸船のレプリカが見える。 「……収蔵量を甘く見ていた。そして質も高い」 ――これは、ひとつひとつ動きをシミュレートするだけで1ヵ月はかかるぞ。 そう言いながらもシュマイトは、展示物の観賞に余念がなかった。 ◇ 「どの博物館も、とても1日じゃ回り切れないのがネックだけど、大英博物館は特にそうだよね」 「所蔵品は800万点に及ぶそうだからな。量からすれば無謀な目標だが、なるべく広く、壱番世界各地の文物を見たいものだ」 「ここだよ、グレートコート。ここで案内書を買うといいよ。あ、大英博物館グレート・コートはね、旧大英博物館図書館の書庫を取り壊して円形閲覧室だけを残して、博物館の各室をつないでいるの」 「円形閲覧室って、何となく、世界図書館のホールを思い出すな。デザインはぜんぜん似てないのに」 「事前に大英博物館の公式サイトにアクセスしたところ、『時間があまりない場合は、次の展示品をご覧いただくと、当博物館の多様なコレクションについてお分かりいただけます』という記載のもと、各階の主要展示物が紹介されていました」 「なんとも目まぐるしいが、このめまいのするような多様性が、壱番世界の特徴なのだろうな」 「ほんと、こういう場所だと、シュマイトちゃんは生き生きしてるね」 「知らない世界に触れるというのは心地良いものだよ。歴史や文学や美術は専門ではないが、人の求めた何かがそこにある」 「では、サシャ殿とジューン殿の貴重な情報に基づき、シュマイト殿の知的好奇心のおもむくままに、ダッシュで走り回……、もとい、閲覧を楽しむとしようかの」 ◇ 221b Baker Street, London. England―― その表記に心躍るものは多い。優もまた、そのひとりだ。 大英博物館をものすごい勢いで駆け回った5人だったが、まだまだ疲れていないばかりか、テンションは上がる一方だった。 特に優ときたら、次の目的地がシャーロック・ホームズ博物館だという時点でそわそわしっぱなしであったため、サシャは思わず、サービス精神全開のメイドさん口調になる。 「優様っ!」 「う、うん?」 「ベイカーストリート駅はホームズがいっぱいです。秋のセクタン大発生もまっさおなくらいです。ホームズシリーズの名場面が駅の壁に組み込まれ、壁のタイルはどこもかしこもみっちりぎっしりホームズだらけ。小さいホームズの横顔がわらわら集まって大きなホームズの横顔を構成しています。ですが」 「ですが……?」 「そんなこんなな世界中のシャーロキアン大歓喜デザインは『ベーカー・ルー』ラインのベイカーストリート駅だけっぽいんですよ。ベイカーストリート駅ならどこでもいいってわけじゃないんです。ですから! ここは是非! ベーカー・ルーラインで行きましょう! いいよね? ねっ?」 「う、うん、うん、うん。サシャさんにまかせるよ」 ガイド魂に燃えるサシャに気圧されて、優はこくんこくんと、何度も頷いた。 ――そして、ベイカーストリート駅。 駅を出てすぐに、シャーロックホームズ像があった。 優は感動のあまり、思わずサシャの手を握りしめる。 「サシャさん。ありがとう。本当にありがとう。サシャさんのおかげです!」 「御礼を言われるようなことはしてないよっ!? まだ博物館についてないし、それより手」 「あ、ごめんなさい。ロキさんに悪かったですね」 「ロキ様もそうだけど、ロバート卿にも悪いよ」 「何でそこでロバートさんの名前が……!? あっと、そういえば、ロンドンにはロバートさんの会社の本社があったっけ」 「連絡してみたら? それで、このあと待ち合わせて、ふたりっきりでロンドン・アイに乗るといいよ。ガイドサシャ、相沢優様の抜け駆け単独行動を許します!」 「何でそこでふたりっきりで抜け駆けで大観覧車ロンドン・アイ!?」 そう言いながらも優は、トラベラーズノートを取り出した。 思えば英国は、ファミリーが生まれ育った地――始まりの場所だ。 その地をひと目見たいという気持ちが強かったため、優は今、ここにいる。 ――こんにちは、ロバートさん。 ――おや、優。珍しいね、こういうコンタクトは。 ――実は今、ロストナンバー保護依頼で、ロンドンにいるんです。 ――時間的に余裕があるので、皆で観光中といったところかな? ――これからシャーロック・ホームズ博物館に行くんですけど。……お忙しいですか? ――どういう状態を「忙しい」と言っていいのか、わからなくなって久しいけれども。もうじき、ある石油資源開発会社のトップと会食予定でね。時間があれば、むしろ僕のほうが招待したいところなのだが、申し訳ない。 ――そうですか……。 ――その代わり、というのもなんだが、何か、困ったことはないかい? 観光で便宜を図ってほしいことがあれば、ある程度は力になれるはずだ。 ――俺は特には……。そうだ、シュマイトさんがビッグベンの中を見たいらしいんですけど、英国人じゃないと無理なんですよね? ――シュマイト・ハーケズヤ嬢が? なるほど、いかにも発明家らしい興味のありようだ。少し前の話になるが、日本の80代の時計技師が見学を希望し、在英日本大使館が奔走して英議会が特別に認めたケースがあるにせよ、難題ではあるね。 ――すみません、言ってみただけなんです。シュマイトさんにとっても、心残りのない、いい思い出になってほしくて。 ――今すぐには動けないが、半日、待ってくれないか? 改めて、僕のほうから連絡する。 「ロバート卿、来れそう?」 「やっぱり、忙しいみたいですね」 「ロンドン・アイは無理かぁ。期待してたのに残念」 「何の期待!?」 それでも優は、どこか晴れやかな顔で、シャーロック・ホームズ館へ向かう。 シャーロック・ホームズが活躍したのは、ヴィクトリア朝時代という設定である。ゆえにこの博物館は、その時代背景のもと、ホームズとその親友ワトソンが下宿していた場所を再現している。 「うわぁ、行列ができてる。ホームズって、ブロンテ姉妹のロマンス小説好きなワタシでも名前を知ってる有名人だから当然かぁ」 「架空の人物へのこれほどの情熱は、とても興味深いです」 「1階がギフトショップで、2階から博物館になっておるのじゃな」 「これがホームズの書斎だね。暖炉も再現されてる」 「作品にちなんだ小物や陶器、人形も展示されているようですね」 「『美しき自転車乗り』『バスカヴィル家の犬』『六つのナポレオン像』……、あっ、ホームズのヴァイオリン、ストラディバリウスがある! そういえば、ここ、写真撮影OKなんですよ。皆で、写真を撮りましょう。たしか、テーブルの上に……、ほら、ホームズの必須アイテムの帽子とパイプと拡大鏡が……! あ、あの、帽子かぶっていいですか」 「落ち着くのじゃ優殿。息を吸って〜、吐いて〜、居間の椅子は撮影スポットのようじゃから、帽子をかぶってパイプをくわえて座るが良いぞ。優ホームズを撮影してしんぜよう」 「あそこにあるのは、ワトソン博士の診療カバンのようだな」 「ワトソンとの関係は理想だよね! ワタシとシュマイトちゃんみたい……な~んて」 「……そう、思ってくれるか」 「どうしたの、シュマイトちゃん?」 「いや、何でもない」 優はギフトショップで、ホームズの横顔のシルエットがついたマグカップを、自分用に買った。 そしてルルーには、ホームズのコスチュームをしたベアを。 ベアにベアを贈るのはどうかとも思ったが、あまりの愛らしさに逆らえなかったので。 ◇ 「そんなこんなで、いつの間にかロンドン塔に到着! ロンドン塔って、ターミナルのホワイトタワーのモデルだよね」 「その用途と成り立ちからして、そうなのだろうな」 「たしかにここは、王位継承争いで破れた王妃や貴族や反逆者を閉じ込める場所として使われてきたみたいだしね」 「ホワイトタワー、ベルタワー、ブラッディタワー、ブラックタワー……、血塗られた歴史を感じます」 「ここに閉じ込められ、首を切り落とされることになる人々は、この『反逆者の門』をくぐっていったのじゃな」 「ブラッディタワーの廊下には、幼いときに殺されたエドワード5世と弟のヨーク大公の幽霊が出るって言われてるよ」 「子どもの幽霊というのは、哀しいですね。双子の妖精たちがロストナンバーなのは、むしろ、救いかもしれません」 ◇ 陽が沈みかけてきた。気温が、急激に下がる。 海事都市グリニッジの観光は、明日のメインイベントということになった。一同はハロッズに寄ってから、ホテルへ引き揚げることにしたのだ。 途中、リージェントストリートを通り抜ける。 「これは面白い。曲がりながら連続する街並みか」 「リージェントストリートは、ロンドンで唯一、ひとりの建築家が設計した街並みなんだよ。ここでロンドンは、西と東に分断されるの。シュマイトちゃんの故郷と少しは似てる?」 「無論、わたしの世界と同じとはいえないが……」 シュマイトは、懐かしそうに目を細めた。 「この通りだけではなく、今まで通ってきた街路も含め、思い出せる程度には似た雰囲気だ。石畳も、煉瓦の建物も」 ――突然。 サシャのトラベラーズノートに、思わぬところから連絡が入った。 ――やっほー、サシャたん。今からハロッズ? ――無名の司書さん!? なになに、どしたの? ――たった今仕入れた極秘情報をサシャたんに漏洩しようと思って。あのねー、ターミナルに百貨店ハローズってあるじゃない? あそこのスポンサー、ロバート卿なんだって。 ――ええ? ――クリスマスシーズンにベアを仕込むのも、ロバート卿の指示みたい。何でも、弟さんが小さいとき、おうちのあちこちにクリスマスプレゼントのベアを隠して謎の碑文を突きつける遊びがものすごくウケたからだって。 ――そうなんだ……。それで? ――そ れ だ け ♪ ――それだけかー! ……さて。 有名デパートや老舗の店舗が並ぶナイツブリッジに、ハロッズはある。夕闇の中、美しいイルミネーションに彩られたシルエットは幻想の宮殿のようで、高級感もひとしおだ。 迷路のように複雑なつくりの店舗は、撮影禁止ではないはずだが、カメラを向けるのがためらわれるほどの気品に満ちていた。 「うわ……。気軽にお土産買える感じじゃないな」 優は気後れを感じたが、 「それがね、ハロッズのオリジナルグッズを集めたコーナーだけは、なぜか庶民的で親しみやすい雰囲気なんだ」 サシャが先導してくれ、ほっとひと息をつく。 オリジナルの、果実感たっぷりのジャムや香ばしいビスケット、ハイセンスな雑貨類。さまざまなデザインのマグカップも並んでいる。なぜかにわとり模様のものがあり、妙に心惹かれる。これなら、無名の司書のリクエストを果たせそうだ。 ――ふと。 壁ぎわの、真っ赤な花の小物に、目が止まる。 それはよく見ると、小さなオルゴールだった。 赤いジャージ姿の少女の、はじけるような笑顔が浮かび、思わず、手に取る。 そのまま、動きを止めて目を伏せ――やがて優は、オルゴールを元の位置に戻した。 「紅茶コーナーにも行こうね。ハロッズの定番ブレンドNo.14がすごく美味しいんだよ。ダージリンとアッサムとセイロンとケニアの4種類の茶葉をブレンドしてるの」 その様子を見ていたサシャは、気づかぬふりで、明るく声をかける。 「うん、紅茶は俺も見たいと思ってました。両親には紅茶を買っていこうかなって。……そうだ、このマグカップ、どう思います? にわとり模様ですよ、ハロッズブランドなのに」 優もにこやかに、お土産の選択に戻る。 「あ、でもこのイラストのにわとり、かわいい。クリスタル・パレスの従業員さんたちが使ってもハマるんじゃないかな」 「無名の司書さんへのお土産はこれにするとして、あと……、いくつ買えるかな?」 にわとり模様のマグカップの数と値段を計算し始めた優に、ジュリエッタが目を見張る。 「これ、優殿。何を考えておるのじゃ?」 「うん、閉店後のクリスタル・パレスで、お揃いのマグカップで、しだりや隆たちが、無名の司書さんやモリーオさんやラファエルさんやシオンさんと仲良くお茶飲んでる図を想像しちゃって、いっそ全員分って思って」 「それは楽しそうじゃ。わたくしも自分用に購入しようかの」 「じゃあワタシもロキ様とペアで買っちゃおう。司書さんたちへのお土産は紅茶にしようっと」 ACT.3◆迷子の邂逅 「おそらく子どもたちは、寂しいのではないでしょうか。いきなり知らない土地に来て、言葉も通じなくて」 ホテルにチェックインするなり、一同は「お仕事」モードになった。 妖精の気持ちを汲むジューンに、他の4人も頷く。 「まあ、妖精じゃからのう。イタズラを責めても仕方があるまい」 「だよね。早く保護して、連れ帰ってあげないと」 「具体的な手順を相談しないか。手分けすると効率的だ」 「お菓子のトラップを仕掛けるのはどうかな?」 「そうそう、妖精でもお腹空くよね? 英国のブラウニーって妖精には、お手伝いのご褒美に一杯のミルクやお椀に一盛りのクリームをあげたりするから、そんな感じでいこうか?」 ――まず。 騒ぎの起きる部屋に、あらかじめ、ミルクとビスケットを置く。 時間を置いて、シュマイトが、ギアで魔法弾丸《響》を撃ち、館内に悲鳴を響かせる。 おびきだされればよし、まだ出て来ないようなら、ジュリエッタが怖がるふりをしつつ、セクタンの視覚能力で隠れ場所を特定する。 そして、保護そのものは、子どもたちの警戒を解けるであろうジューンにまかせる。 首尾は、良好。 「こんにちは、リベラさん、エミリナさん。私たちは貴方たちのことが見えるし、お話もできます。リベラさんとエミリナさんを迎えに来ました。貴方たちが、世界の迷子になってしまったから」 ……そして私たちも、貴方たちと同じ、迷子なんですよ。 リベラとエミリナは、えぐえぐ泣きながら、ジューンのエプロンにしがみつくことになり―― 「もう駄目だよ、こんな事しちゃ! どうせ仕掛けるなら、誰かを困らせる悪戯じゃなく、笑わせる悪戯を考えよ? それがレディの嗜みだよ? ね、ワタシと約束」 「そうだよ。もっと楽しい悪戯が出来る場所があるんだ。0世界へ一緒に行こう」 「こら、そんな誘惑をしてどうする」 「ふふふ、わたくし達は別に怒ってはおらぬぞ〜? ただ、リベル殿という怖ーい方が0世界にはいるからのう、覚悟しておいた方が良いのう……」 ガクガクブルブルしなから、リベラとエミリナは、いっそう強くジューンにしがみつく。 「ははは、冗談じゃ。0世界にはジューン殿のような優しい方もいる。きっと護ってくれるじゃろう」 「怖がらなくても大丈夫ですよ。せっかく異世界に来たのですもの。明日は一緒に観光しましょう? 今度はみんなの言葉も分かるから、きっと楽しいと思います」 かくして、幽霊騒ぎの終結を喜んだホテルのオーナーは、一同のディナーを、超絶スペシャルなものにしたのだった。 ◇ ――優。 ――あ、ロバートさん。 ――ふたつ、連絡がある。ひとつは、シュマイト嬢のビックベン見学についてだ。彼女ひとりだけなら、何とか内部に入れることになった。 ――本当ですか。ありがとうございます。 ――僕が同行する必要があるので、直接連絡するよう、彼女に伝えてくれたまえ。それと……。 ――はい? ――きみはハロッズで、何か自分の買い物をしたのかい? きみのことだから、自身へのお土産は後回しなのだろう? ――はい……? ――ホテルあてに、届けておいた。多少、荷物が増えてしまうが。 ――何をですか? ――おや、秘書長が呼んでいる。それでは、良い旅行を。 「相沢優さまに、お届けものです」 ホテルのオーナーから渡されたのは……。 ハロッズ特注のシルバープレートのマフィンウォーマーと、ハロッズの料理本(Harrods COOKERY BOOK)だった。 マフィンウォーマーは、底にお湯を張ることにより、マフィンを焼き立ての熱々のまま保温することができる。 また、1900年代の珍しい料理本には、マフィンの作り方はもちろん、クリスマスや狩猟時のピクニックバスケット等、英国における様々なシーンに対応できる料理が掲載されていたのだった。 ACT.4◆グリニッジで昼食を ジューンはかいがいしく、妖精たちの面倒を見ている。 「この国は昔病気が流行ったせいで、料理は何でも極限まで煮込む癖がついてしまったのですって。だから食事はさほど美味しくないと言われています。でも、思いがけない美味に出会えることもありますよ。……ここのデザートもとても美味しそうですね。リベラさんとエミリナさんは何が好きですか? どれから食べたいですか?」 一同は、グリニッジ・マーケットでそれぞれのランチを取っていた。 その中に、シュマイトは含まれていない。 ロバート卿と同行して、ビックベン内部の見学に赴いたからである。 「抜け駆けしてロバート卿とデートしたのがシュマイトちゃんって、超意外だよー」 そう言いながらもサシャは、シーフード料理とフィッシュ&チップス、焼きたてのスコーンを、優に勧める。 「……でも、良かった。サシャさんのお勧めはどれも美味しいしね」 スコーンにクリームとジャムを塗り、優はゆったりと紅茶を飲んでいる。 「ジューン殿の仰るとおり、英国の食事の評判は……、正直良くはないと記憶する。だが、サシャ殿の料理の腕前を見る限りそんな気配はなさそうじゃし、ここの食事は美味しそうじゃ」 料理に舌鼓を打ちながら、ジュリエッタは、かつて紅茶を運んだ帆船、カティ・サークを臨んでいる。 「今は飛行機で気楽に運べるのじゃろうが、昔は大陸からはるばると運んできたのじゃのう……、ふむ、小説のネタにできそうじゃな」 「ジュリエッタちゃん素敵。上海のエキゾチックな美少女と船員英国青年との恋愛とか!?」 「うむ、良い題材になりそうじゃ――しかし少女は売れっ子の娼妓、二人は手に手をとって船に乗り駆け落ち……、というのはどうじゃろうサシャ殿!」 「す て き !」 乙女たちが恋愛小説談義で盛り上がる一方で、ジューンは、妖精の双子に、甘いお菓子を紹介している。 ミンスパイ、バノフィーパイ、ルバーブのタルト、プラムプディング、アップルパイ……。 グリニッジの時報ボール、赤い球が、すとんと落ちる。 13時だ。 まだターミナルに帰るつもりはない一同は、顔を寄せて相談を始める。 シュマイトと合流後、今度はどこに行こうかと。
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