▼ミスタ・テスラ、コルロディ島の屋敷にて ジングという名の少年型オートマタがいた。10歳前後の、愛らしい子どもの顔つきをしている。東洋風の長い衣に身を包んでいる。 二人の少女が、そんな彼の腕を抱くようにくっついていて、離れない。年頃は同じくらい。むき出しになった球体間接から、その少女たちもまたオートマタであることが分かる。 ぼーっと眠たそうな表情をしながらも、ジングの腕をしっかりと掴んで離さない少女は、ミオ。 ミオとは反対側の腕に抱きついて、唇を尖らせながら抗議の視線を彼女に送っている少女は、ティンカーベル。 「ジング……わたしと、遊ぼ……」 途切れ途切れに言葉を口にしながらも、はっきりとした声でミオがジングを誘う。彼の腕を引っ張る。 「むーっ。ねぇジング、ミオは放っておいて、ベルと一緒に遊びましょうよー」 ティンカーベルはミオに敵意をむき出しにしながら、負けぬようにと張り切ってジングを誘う。彼の腕を引っ張る。 「ご、ごめん、僕はこれから師匠と稽古があって……」 苦笑いをしながら、戸惑いがちにジングが返す。 (やれやれ、仲が良いことだ) 煌・白燕(こう・びゃくえん)はそんな彼らの様子を、庭先にある木陰から眺めていた。半分は微笑ましそうに、もう半分はあきれ混じりに。 ジングは、腕に絡みつくやんちゃな二輪の花の乙女を、やんわりと払って。ぱたぱたと逃げるように、白燕のもとへとやってくる。 「師匠、本日もよろしくお願いします」 「うむ。それでは稽古を始めよう」 胸の前で、掌へ握った拳を軽くあてて、礼をし合う。 マスターである白燕と、彼女が教育を担当するジングとの稽古が、厳かに始まる。 † その日の夜。 食事や入浴、オートマタの子達の整備も終え、寝巻き姿に着替えた白燕のもとに、ジングがやってきた。部屋の中に彼を入れると、席につくや否やこう切り出してくる。 「師匠……私は、どうすれば良いのでしょうか」 白燕は、まだ何も口にはしない。ただ黙って、ジングの言葉に耳を傾ける。 「私は、皆を大切な仲間と思っています。そこに差はありません。ティンカーベルもミオも、マヤやイーリスや瑠璃も、皆を大切にしたいのです……」 ジングはおろおろと迷いをにじませながら、言葉を紡ぐ。 「けれど、あの二人はそれを望んでいません。自分だけを選んでと、強くせがむのです。 しかし私には選べません。どちらかを切り捨てるようなことなど、できません。それでは二人を傷つけてしまう……。けれど……うぅ……」 ジングは重い溜息をつき、肩を落とすようにうなだれた。 今まで黙っていた白燕がおもむろに席を立ち、窓を開ける。 外は夜の闇に満ちていた。遠巻きに見えるぼんやりとした灯りの群れは、工業区の光だろう。昼夜を問わず、オートマタや従業員が工場を稼働させているのである。窓枠を額縁とすれば、まるでそうした景色を描いた一枚絵のようでもあって。 白燕は、ジングにこれを見せるようにしながら、静かに話し出す。 「例えばジング。外に見えるこの風景を、一枚の絵におさめたとしよう」 「はい」 「次の日、この同じ場所で同じように絵を描く。昨日の絵と今回の絵は、同じものになるか?」 「似たような絵にはなると思いますが、細かい部分はやはり違ってくると思います。光の数や量がいつも同じとは限りません。それに、絵の描き方も」 「そうだな。ひとの心も、それと同じなのだ」 「同じ……? 絵と同じ、ということですか」 ジングがきょとんと目を瞬かせる。白燕は腕を組みながら、夜の景色に改めて視線を注いだ。 「風が吹けば、葉は揺れて花弁が舞い、草木がそよぐ……同じものは、その一瞬にしかない。外からの影響を受けて、景色は常に変化していく」 やんわりとした風が窓から入ってきて、カーテンの布地をふわりと揺らす。 「心も同じだ。ミオやベルのジングへの気持ちは、これから変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。 しかし、全く同じままというわけではない。毎日の生活の中で、彼女らがジングをより慕うことになるかもしれない。 ジング自身も変わり、あの二人を慕えるようになるかもしれない。彼女たち以外の誰かに、想いを寄せるようになるかもしれない」 「心とは、不安定なものなのですね……」 ジングは力の無い笑みを浮かべながら、ぽつりと返した。どこか寂しげに、自嘲を漂わせて。 「……ですが、私の心はあまりにも不安定であるように思えます。答えを導くことすら、できていません。これは私の内部回路に、何か問題があるからなのでしょうか……」 「それは違う」 ぴしゃり、と白燕が言い放つ。ジングへと翻り、凛々しさを漂わせる視線を向ける。 「心とは、明確にひとつのかたちを保ってはいられないのだ。今日、出した答えが、明日になれば揺らぐこともある」 「……」 ジングは椅子に座ったまま手元へ視線を落とし、苦そうな表情をしていた。納得ができない、という表情。口にこそ出さないが、納得がいかなければこうして顔に出てしまうのが、ジングという子であった。 良くも悪くも正直だな、と白燕は微笑ましい気持ちになる。 開いていた窓を閉じ、カーテンを閉めて。ジングは口許をやんわりと緩めながら、じっと動かないジングのもとへ静かに歩み寄る。 「……心の揺らぎは、迷いであると言えよう。しかしそうした葛藤に何度も悩まされ、風に吹かれる木の葉のように彷徨いながら、ひとは生きていくのだ。想いに迷うということ、己に悩むということは、心がある証拠だ」 そう言いながら、ジングの頭にぽふりと手を置き、撫でた。そして肩膝をつき、座ったままのジングと視線の高さを合わせる。戸惑うように目を漂わせる、ジングの不安そうな顔が見える。 白燕はジングの手をそっと取りながら、穏やかにゆっくりと話す。 「ジング、君は悩んでいるな」 「……はい」 「そうして悩むことは、恥ずべきことではない。すぐに答えを見出せなくとも、一向に構わんのだ。全く悩まない者など、そうはいない。 大切なことは、間違いを恐れないことだ。考え、悩み、迷い、失敗する。そうしたことを繰り返していくことに、意味がある」 「失敗を、繰り返す……」 主の言葉をかみ締めるように、ジングが言葉を口にする。 ジングの手は、人肌のような温かさはない。一部にのみ使用されている人工皮膚の柔らかさも、どこか造りものであるような違和感がある。それは彼が、オートマタという機械であるからだ。 けれど、白燕は思う。彼らは決して、物言わぬ鉄の玩具ではないと。生まれた過程や理由に、ヒトとは相違があるとしても。その心が発達していく様子は、ヒトと同じように思う。 だから。 そっと握った彼の手が、微妙な質感の人工皮膚であっても。そこから感じるのが、金属のような体温であっても。それが愛しいと、白燕は思うのだ。 愛に満ちた気持ちは、彼女の表情や声に表れている。母が子を慈しむようなあたたかい眼差しと、優しさに溢れた声音に。 「考えることや悩むことに疲れたら、休んでも構わない。 けど……決して、考えることをやめてはいけない。思考を放棄した者は、生きていても死んでいると同じになってしまう。生きることは悩むこと……それは、忘れてはいけないよ」 自然と、口調が変わる。強く言い切る戦士のような言葉遣いは、少し薄らいで。君主でありながらも少女であった、あの頃のような口調が。今は少しだけ、戻っていて。 「ジング、君はオートマタだ。機械の身体を持っている。けれどその胸の中には、ひとの心が宿っている。例え手足がつくりものであったとしても、心は君だけのものなのだ。自ら悩み、考え出した答えは、つくりものなどではない。意味のあることなんだ」 「意味の、ある……」 「あぁ。そうだとも」 普段から表情の変化に乏しい白燕の顔が。口許が、目元が。ふわりと緩む。 にこり、と白燕が笑う。 「自分だけのもの、それは命。心とはすなわち命。命とは生きるということ。生きるとは考えるということ。 たくさん悩み、考え、失敗し、そこから何かを得る……そうやって生きなさい、ジング」 そして白燕は、ジングの身体をそっと抱き寄せる。 ジングはどうすればいいか分からず、まごまごとしていたけれど。しばらくしてから、そっと抱き返してくれて。 † その晩、白燕はなかなか寝付けずに居た。あの後、何気なく問いかけてきたジングの言葉が、頭の中でこだましていた。 ――師匠にも……悩みは、あるのですか。悩みを抱き、葛藤していることがあるのですか。 ――ははは。悩みもなく、気楽に過ごしているように見えるか? ――いえ、そういうわけではありません。ただ……師匠は常に心穏やかで、まるで波の立たない水面のような方です。悩みが心を揺さぶるのであれば、なぜ師匠の心の水面は揺らぐことがないのでしょうか。 (揺らぎ、苛まれているさ。過去に) 白燕は、自嘲の笑みを浮かべた。 かつて犯した過ち。禁忌の術を用いたこと。それが覚醒につながってしまったことは、偶然ではあるけれど。 今でも、あれが本当に正しかったどうかは、白燕には分からない。確かめたくとも、今はそれすら不可能となってしまった。 符に封じた、友の魂。大戦符による召喚能力は制限されてしまっているため、その力を完全に引き出すことはできない。符の中の、物言わぬ兵隊となった友の声を、聞きだすことはできない。 使い手として経験を積めば、符の兵隊とも心を通わせることができると言う。いつか召喚能力が、本来のかたちに戻って。その時までに、自分が充分に成長していれば。符に封じた友の魂と対話することができるかもしれない。 (その時、おまえたちは……何と言ってくれるのだろうな) 自分を肯定するだろうか、否定するだろうか。思い出に残る友の声音は様々な感情をにじませて、白燕にたくさんの言葉を投げかけてくる。 友の反応は、想像するしかできない。どんな声でも受け止めたいとは思う。 けれど、自分の中で考えはまとまっている。少なくとも、あの時の自分は禁忌を犯してでも、友の命を救いたいと強く願った。死を肯定するわけにいかなかった。それは事実だった。 ジングとのやり取りが、つい先ほどの事のように感じる。己の言葉と彼の言葉とが、脳裏に響く。 ――常に私は悩んでいるよ。私はね、友の命を犠牲に生き延びたんだ。一日たりとも、そのことで悩まない日はない。 ――お辛くは、ないのですか。 ――そうだな……その過去は、時には私を励まし、背中を押してくれる。時には私を苛んで、悲しみに沈ませる。考え続けることは、やはり辛くて苦しい。 ――忘れたいと思ったことは、ないのですか。 ――逃げ出したくなったときもあるさ。だが私の生は、その友の結末と共にあると言ってもよい。私の命は、私だけのものではない。例え、涙や血にまみれても。私は、この過去をずっと背負っていくつもりだ。 過去を背負う白燕を、ジングはまるで己のことのように感じていたようで、辛そうにしていた。優しい子になってくれて嬉しい、と彼の頭を撫でた。 ジングの成長や変化を微笑ましく思いながら、白燕は寝台の上で己の過去に想いを馳せる。 (あれが正しいか間違っているかの答えは、ひょっとしたら見つけられないかもしれない。散々迷った末に、私は死を迎えるかもしれない) (だが、それでも構わない。友の死を抱え続けるということが、私の決意であり、使命であるのだから) 「そう思うだろう? なぁ、我が友よ」 白燕の中にいる二人の友は、何も言わず。 ただ、その口許が僅かに笑んでいることだけは、救いであったかもしれない。 † 次の日。 稽古をする場所に、何故かあの二人の少女オートマタが、わくわくした様子で待っていた。白燕やジングのように、東洋風のゆったりとした長衣に着替えてもいて。 「師匠、こ、これは」 「彼女たちも変わってきている、ということだろう。ただ気持ちを求めるだけではなく、自ら寄り添うことで、何かをつかもうとしているのだろうな」 苦笑しながら返す白燕は、ジングに二人への指導を命じる。 ぎこちなく少女に技を教える、ジングの背中へ注ぐ白燕の眼差しは、母性に溢れていて。とても、優しい。 (白燕と子ども達との生活は、続く)
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