▼ミスタ・テスラ、都市部中央駅内、駅舎にて 甲高いブレーキ音を立てながら、機関車がホームに停車する。 車輌のあちらこちらに伸びている蒸気動力菅から白い蒸気が噴き出し、駅の構内は一時、靄(もや)に包まれたかのように白く染まった。 漂う蒸気を抜けて機関車から降りるのは、何十人もの乗客たち。華やかな衣装に身を包んだ紳士・淑女、黄色い声を上げてお話に夢中の女学生グループ、くたびれた上着を羽織った工場労働者、使い込まれた鞄を片手に携えた旅人……。 そんな中に、少し変わった格好をした人物がいた。周囲と比べて明らかに浮いた、珍しい服装をしている二人。 けれど誰もが、二人の格好を自然と受け入れていた。それは〝旅人の外套〟という不思議な効果によって二人の存在が保護されており、注目を浴びないようになっているからだ。 すなわち、その二人はロストナンバーであった。「ここが、霧と蒸気のみやこ――」 白と黒のモノトーンで彩られたドレスの裾を揺らしながら、セリカ・カミシロは声を弾ませた。 仰ぎながら、構内をぐるりと見回す。噴き上がった蒸気越しに、硝子製の天蓋から伸びる光が差し込んで、光のカーテンを浮き上がらせている。むき出しになった鉄骨によって構成された駅の骨組み、砂色をした石の連なりで作られた壁面なども目に映る。上方には巨大な機械仕掛けの時計盤が飾られていて、見上げれば誰しもが時刻を確認できるようになっている。「故郷の世界と似ている部分があるわ。無骨さや素朴さの中に、洒落た奥ゆかしさを感じさせるこのつくり……」 遠い故郷の風景に想いを馳せながら、セリカは懐かしさにうっとりと目を細めて、ころころと周囲を見やる。 はしゃぐセリカから大分遅れて列車を降りたのは、肌を多く露出させた格好をしている少女だった。あまり肌を露にしない文化を構築させているミスタ・テスラでは、奇異の目を向けられてもおかしくない程に先進的・刺激的すぎる服装。 その少女スイート・ピーは、けだるげな表情で腰をさすりながら、旅行鞄を手にふらふらとホームへ降り立って。「ふぁ、やっと開放されたぁ……うぅ、お尻いたぁい……」 口に咥えた棒付きキャンディーをもごもご揺らしながら、スイートは億劫そうに溜息をもらす。故郷世界にあった電車とは比べ物にならないほど、椅子はかたいし車輌は揺れるしで、すっかり疲れてしまったのだった。 かたくなった全身をほぐすため、慎重に身体を動かしたり伸ばしたりしている彼女を見て、セリカはくすくすと控えめに笑う。「やだもう、スイートったら」「なんでセリカちゃんは平気なのよお、ずるぅい……あぁいたた」「私は慣れているから。コツは乗っているときに教えたでしょう?」「背筋伸ばしてピンとしながら寝るだなんて、そんなの無理だってばぁ……。 まぁいいや、早くいこ。これ以上、からだ動かさないと全身、石ころになっちゃいそぉ」「そうね、行きましょうスイート。ほら、手を。あなたすぐに転ぶし、迷子になるんだもの」「セリカちゃんが歩くの、早すぎるだけでしょおー」 ぶーと頬を膨らませながらもスイートは、差し出されたセリカの手をきゅっと握って。少女二人は並んで歩いていく。 † 駅舎を出た広場は混雑していた。 人々がめいめいの方向に行き交っている中、石畳を蹄(ひづめ)で踏みしめる硬い音を立てて、辻馬車が横切っていく。蒸気と黒い煙を噴き出しながらやって来た白い蒸気式自動車(ガーニー)が駅の前に横付けし、お仕着せの運転手がドアを開け、身なりの良い親子連れを降ろしている。 そんな中で二人は手を引きながら、ある人物との待ち合わせ場所へ向かう。 広場の中央に噴水と銅像がある。そこには地味な厚手のワンピースを着た金髪の若い女性が立っていて、手の中の懐中時計を見下ろしながら時折、周囲の人だかりに目をやっていた。 女性は二人に気がつくと、気の良さそうな笑みを向けながら小さく手を振った。「あ、きたきた。御機嫌よう、旅人のお嬢さん達。ここミスタ・テスラに帰属している元ロストナンバーの、クリスティ・ハドソンです。よろしくね」「セリカ・カミシロです。今回はお世話になります」「スイート・ピーだよ。スイートって気軽に呼んでねぇ」 セリカが丁寧にお辞儀をする隣で、スイートは飴を相変わらず口に含んだまま、ゆったりとマイペースに手を振り返し。「あ。せっかくだしスイートの飴、あげるよぉ。ポケットにいっぱい入ってるの」「ちょっとスイート、初対面のひとに……」 徐にスイートが飴を差し出そうとするので、セリカは小声で注意を発し。「いいのいいの、気にしないでセリカさん。――ありがとう、スイートさん。いただくわね」 ハドソンはひらひらと軽く手を振りながらセリカをなだめ、スイートの飴をにこやかに受け取った。「……ところでハドソンさん。私たちは、これからどこへ?」「まずはガーニーに乗って、別荘へ案内するわ」「えー、また乗り物ぉ? スイートのお尻、壊れちゃうよぉ……」「……あなた達、まさか三等客室あたりの車輌でも利用したの? やだもぅ、せっかくの旅行なんだから、一等客室あたりをどーんと手配しちゃえばいいのに。 ――スイートさん、大丈夫よ。私のガーニーのクッションは一級品だから」 怪訝そうに腰をさするスイートに、ハドソンは悪戯っぽいウィンクを返して。 二人はハドソンとそんなやり取りを交わした後、離れたところに停めてあった彼女の蒸気式自動車(ガーニー)に乗り込んで、駅前広場を後にする。 †「――で、そこを横に入るとメインストリートね。ショッピングするならあそこがいいと思うわ。あ、いま通り過ぎたあの御店のスコーンは格別に美味しいから、一度立ち寄ってみてね。あぁ、百貨店内にあるスコーンの自動製造機械で買ってはダメよ。手軽ですぐに出てくるけど、大抵焦げてるから」 慣れた様子でガーニーを運転しながら、ハドソンは後部座席に座る二人へとミスタ・テスラの観光名所を早口に語る。「……セリカちゃん、すこーんってなあに? お菓子?」「パンみたいなものね、紅茶と一緒にいただくことが多いの。蜂蜜やジャムをつけて食べるのよ。スコーン自体が甘いものもあるようだけど」「へー、おいしそうだねえ。スイート、お砂糖いっぱいに掛けて食べたいなあ」「ほんと、スイートは甘いものが好きね」 にまーとゆるく笑みながら、スイートが物欲しそうに指先を咥える。そんな相方の姿を横目に、セリカは呆れ半分、愛らしさ半分に苦笑して。「そういえばハドソンさん、おすすめの観光名所はありますか?」「そうね。せっかくミスタ・テスラに来たのだし、ここの洋服を一式揃えてみるだとかは新鮮な刺激になると思うわ。セリカさんは、この世界の雰囲気に少し馴染みがあるみたいだけれど、スイートさんは全く別の世界に住んでいたようだから」「うん。スイートから見たら、何だかこの世界、古臭い感じがするんだよねぇ。嫌いじゃないけどさぁ」 新しい棒付きキャンディを舐めながら、スイートはのほほんと正直な感想を口にする。「あはは。まぁ、そうよね。 ともかく、百貨店でのショッピングが基本ではあるかしら。買い物の後、そのまま隣接する映画館にも行けるしね。蒸気画像で出力されたモノクロ映像は、独特の深みがあるの。 通りを外れて雑踏街に行けば、お祭り気分が味わえるわね。とても賑やかで騒がしいけど。あ、雑踏街に行くなら、ひらひらした服はやめておいた方がいいと思う。変に目立つ……のは、旅人の外套があるから関係ないか。でも絶対、どこかに引っかかったり踏まれたりするからオススメはしないわね」「そうなのですか? ……このドレス、お気に入りなのに」「違う服、買っちゃいなよぉ。セリカちゃんの服、スイートが見立ててあげよっかー?」「スイートのセンスに適合する服って、ここにあるのかしら……」 スイートが身につける服は、生地が薄くて露出が多い。みだりに肌を外に晒さない文化があるミスタ・テスラで、スイートのセンスに叶う服は果たしてあるのだろうか。セリカは不安と好奇心が入り混じった、複雑な表情をした。「他には、郊外に出るって言う手もあるかな。農家で手作りしてるパンや果物は、ほんとに美味しいんだから。人手があるに越したことはないだろうから、お手伝いしてみるのもいいかもしれない」「果物食べれるの? ふふ、おいしそお」「スイート、体力ないのに肉体労働なんてできるの?」「んー、大丈夫だよぉ。ほら、無理ならセリカちゃんに手伝ってもらうから」「そう来ると思ったわ……」 セリカは眉を潜め、呆れたように肩をすくめて。気を取り直し、ハドソンに問いかける。「ハドソンさん、他に何か面白そうなものはありますか?」「そうね……あ、そういえば5番区の工房で、一輪バイクの試乗体験会なんてやっていたかも」「一輪バイク? バイクって普通、タイヤは2つじゃなかったかなぁ。ねぇセリカちゃん」 スイートが顎に指をあてながら、不思議そうに呟く。セリカは少し考えた後、小首を傾げて。「私も聞いたことがないわ……どういったものなんですか、一輪バイクというものは」「うーん。大きなタイヤの中に入って運転するバイク、としか言いようがないかな」「……ハムスター?」 スイートは、小さな愛玩動物が猛烈にダッシュして、カラカラと回るタイヤの中で必死に運動している様子を思い浮かべた。「あはは。別に人力ってわけじゃないわ。まぁ行ってみれば分かると思う。 とにかく、ここは科学と神秘の技術によって作られた、あなた達からすれば物珍しい機械装置がいっぱいあるから。それに触れてみるのもいいかもしれないわね」 そうして二人は、ハドソンから観光に関するプランをいくつか聞いて。やがて、拠点である別荘へとガーニーはたどり着く。「――っと、さぁ着いたわよ。ここが、私の管理する別荘。あなた達が泊まるところ」「わぁ……すごいねぇ、セリカちゃん。お屋敷だよー! 絵本の中みたぁい」 ガーニーから荷物を降ろすのも忘れて、スイートは両手をいっぱいに広げながら、表情をぱああっと弾ませた。 青い屋根と白の壁が、昼下がりの太陽に照らされて眩しい。壁面には見事な彫刻がいたる場所に掘られており、屋敷そのものがひとつの芸術作品のよう。 屋敷の正面広場を背負うように振り向けば、遠くには庭と外とを隔てる門が見える。敷地は大分広いようだ。庭園には草花が咲き乱れ、丁寧に管理されている様子が伺えた。「えぇ、ほんとう。すごくお洒落よね。――お屋敷、とても素敵です。ハドソンさん」「うふふ。気に入ってくれたなら嬉しいわ。 さ、荷物を置いたら早速、出かけてきなさいな。都市部に出るならガーニーで送っていくけど、その後の〝足〟は自分達でお願いね。 食事は各自で済ませて頂戴。屋敷のキッチンを使ってもいいけれど、あちらで食べてくるのも悪くはないと思う。 門限は特に定めないけど、レディがあまり遅くならないようにね」「分かりました。ほらスイート、早く荷物を置きに行きましょ」「待ってよぉ。――あ、ハドソンさん。お部屋はどこ使っていいのぉ?」「どこでもお好きなところをどうぞ。相部屋でも何でもご自由に」「やったぁ! ねぇねぇセリカちゃん、お部屋どこにするー?」 はしゃぎながら二人は、足早に屋敷内へと入っていく。そんな少女達の背中に、ハドソンは優しい眼差しを注いで。 † そうして貴女たちは今回、自前で確保したチケットを片手に、ここミスタ・テスラへとやってきました。 この世界では、元ロストナンバー(且つコンダクター)でもあったシドニー・ウェリントンが、第2の故郷として帰属しています。他にも何人かのロストナンバーが帰属しており、その中のクリスティ・ハドソンという人物の厚意によって、ちょっとした別荘を貸してもらえました。 まるでお屋敷のように大きく、ヴィクトリアン情緒溢れたこの別荘を拠点にし、色々と遊ぶことができます。 ミスタ・テスラの街並みは、壱番世界で言う19世紀末(ヴィクトリア朝)のロンドンに似ています。ここは、前時代的で品のあるレトロっぽい雰囲気とアンティーク感の漂う文化が、独特の空気を感じさせる世界です。 石畳の街並みを行き交うのは、馬が引く車に乗り、クラシカルな衣装に身を包んだ上流階級の紳士や淑女、あるいは中流階級の企業家や学生たち。彼らが向かう先は、例えば名のあるブランドショップが立ち並ぶ百貨店通り。そこではショッピングをしたり、気軽なティータイムを愉しむことができます。 メインストリートでの散策で楽しめるものは、これだけではありません。 教育施設の碩学院(せきがくいん)に通う女学生の間では、篆刻写真(てんこくしゃしん)が人気だとか。篆刻写真とは細かい点で描かれた写真のことで、ショッピング・ストリートに設置されたその印刷機械は、セピア色をしたレトロ(ミスタ・テスラにおいてはレトロではなく、最新式という認識ですが)な雰囲気のある、味わい深い写真を出力してくれます。恋人や友人同士で一緒に写真を撮るが流行らしいとのこと。記念写真にいいかもしれません。 ミユディーズと呼ばれる「貸し本屋」は、いわばお金を出して利用できる図書館のようなもの。そこでミスタ・テスラの流行を追うのは、ファッションなどに気を遣う者であれば必須だそうです。 その後は個人商店の洋服店に赴き、ミユディーズで集めた情報をもとに服を仕立ててもらうのも一興かもしれません。 もちろん大型百貨店にて、有名ブランドが販売する素敵な既製品を購入するのもいいですが、新作発表と重なっていると、売り場では麗しき争奪戦が繰り広げられるのだそうです。お気をつけて。 服以外にも、香水・化粧品・アクセサリー・日傘・帽子といったものも、ミスタ・テスラ独特の味わいがあるものばかり。自分自身を、ミスタ・テスラ一色で染め上げてみるのも愉しいかもしれません。 メインストリートを外れて入り組んだ路地へと入ってゆけば、そこは肉体労働に従事する中流~下流市民たちでごった返す雑踏街。威勢のいい掛け声と活気に満ちた言葉が飛び交う、賑やかな場所となっています。 露店では衣類・食料・日用品といったものが並べられ、雑多に販売されています。粗末で粗悪なものも多くありますが、隠れた珍品・名品も存在しています。あなたが目利きや交渉術に長けているのなら、きっと良い買い物ができるはずでしょう。 郊外へと足を伸ばせば、そこはいまだ豊かな自然が残っており、緑溢れる荘園や農村などが見られます。都市部では一般的となった生活様式や文化もそこまでは浸透しておらず、わらや農作物を満載した荷車が動物に引かれる姿や、一面に広がる草原の中にできた地平線の向こうまで続く轍(わだち)など、古めかしくもあたたかい牧歌的な雰囲気を感じることができるでしょう。空に昇るひと筋の煙と漂う香ばしい匂いは、どこかでパンを焼いているのかもしれません。 小高い山の上に建造された古城には、物好きな貴族が住んでいるそうです。観光客や旅人に、お城の内部を公開してくれるとの噂です。 こうしたレトロな空気に充ちるミスタ・テスラ独自の特徴といえば、やはり「蒸気科学」と「魔道科学」です。 前者は科学の発展により導き出された方程式や数式を利用し、歯車と蒸気の力によって高度な演算を行い、様々な機械を動かす技術です。後者は古来から伝わる魔術や錬金術を応用し、エーテルと呼ばれるエネルギーを生み出すことによって、それを機械の動力源とする技術です。 これらをもとに生み出された機械装置を、一部では「機関(エンジン)」とも呼称しており、ミスタ・テスラの文化を形作っていると言っても過言ではありません。ミスタ・テスラは今まさに、蒸気科学と魔道科学によって目まぐるしい発展を遂げている真っ只中なのです。 蒸気式自動車(ガーニー)、蒸気式機関車、蒸気船、飛行船舶、自走式一輪バイク……蒸気を吹き出すロボットや、人間そっくりの姿をしたオートマタ。他にも蒸気画像、蒸気通信機、階差機関と呼ばれるパソコンにも似た大型機械などなど。壱番世界のものと比べて不安定で効率が悪く、大型で野暮ったい印象を受けるこれらの機械群に触れてみるのも、良い刺激や土産話になるかもしれません。 鉄と火薬と石炭と蒸気が生み出す、レトロでクラシカルな浪漫が溢れるミスタ・テスラ。 そこを彩る色合いは、瓦斯灯(ガスとう)が放つあたたかな光、黄金の如き真鍮のきらめき、色褪せた皮の茶色、黄色く変色した紙片の古めかしい色……。 レトロ&アンティークの情緒に満ちたこの世界で、貴女達ふたりは、どのようなひとときを過ごすのでしょうか。 ――これは、とあるロストナンバー達の、ちょっとした小旅行。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>セリカ・カミシロ(cmmh2120)スイート・ピー(cmmv3920)=========
▼貸切のお店にて 「せっかくだし、洋裁屋さんでオーダーメイドのお洋服を仕立てて貰いたいな!」 スイートのそんな希望を叶えるため、クリスティ・ハドソンに紹介された洋裁屋へと向かった。 その店は、表通りを外れた場所にひっそりと佇んでいた。ロストナンバー達のためにとハドソンが貸し切ってくれており、料金などは前払い済みなので着せ替えはし放題。オーダーメイドにも応えてくれる。 そして何よりここの店主は、声をかけられない限りは客に無関心であり、いつも奥に引っ込んでいるのだ。他人の目を気にせず、気兼ねなく自由に服選びをできるという点では、確かにロストナンバー向きのお店であると言えるはずで。 † 一度に何十人も入れそうなくらい、無駄に広いフィッティングルームの中央で、二人は自前の服を脱いで下着姿になっていた。文化のすべてが物珍しく感じるスイートの提案もあって、その下着ですらもミスタ・テスラ特有のものに着替えてある。 「スイート、これ知ってる! かぼちゃパンツって言うんでしょ?」 「残念、これはズロースって言うの。かぼちゃパンツは下着に見えるけど、本当はズボンなんだって」 「へぇ、そうなんだぁ」 いつも履いているショーツとは違って、デザインもシンプルで肌を覆う布地も多いその下着を履いた自分を、スイートは大きな鏡越しから物珍しそうに眺めた。 セリカは、ワンピース・タイプのシュミーズと呼ばれる肌着の上から、皮と布とで作られた重厚な腰巻のようなものをスイートにあてがった。胸の下から腰にかけてをすっぽりと覆う。蔦や蔓のように絡んでいる紐をセリカがきゅっと引っ張ると、コルセットと呼ばれる補正下着がスイートの細い体躯をぎちっと強く締め上げた。 「ぐぇ」 「あ、いけない。クセで強く締めすぎちゃった! ごめんね、スイート」 潰された蛙のような苦しい悲鳴をスイートがもらすと、セリカは慌てて手元の編み紐を緩めて、コルセットを調整し直す。 「うぅ、絞られる雑巾ってあんな感じなのかなぁ……ここの人達やセリカちゃんて、こんなの鎧みたいなのつけてるの?」 巻かれたコルセットをスイートが怪訝そうに見下ろす横で、セリカは一人で手早く、慣れた手首の返しだけでコルセットの編み紐を引き絞っていた。 「あとは、うぅんと……スイートにはこの色が似合うかな。帽子はこれで、花飾りとリボンもつけて……あ、ううん、だめだめ。こっちの方がいいわね。あ、店主さん、これを裾上げして頂戴」 その後、セリカはフィッティングルームと衣装棚との間を何度もぱたぱたと往復しながら、スイートに似合う服を慎重に吟味していく。時々は店主を呼んで衣装の細かい調整をしてもらいつつ、二人はようやくコーディネイトが完了した。 「えへへー。セリカちゃん、どーお? レディに見えるかな」 全体のイメージカラーが藍色で構成されている格好のスイートは、くるんとその場でターンをしてみせた。 淡い藍色でほんのりと色づけられたスカートがふわりと浮かんで、ペチコートの白い裾がちらりと覗いた。活動的なスイートに合わせ、スカートもペチコートもほんの少しだけ裾を上げてあり、位置は膝と足首の間か、そのちょっと下くらい。履いた皮のブーツがはっきりと見える。これならば、走ろうとして裾を踏みつけてしまうこともなさそうだった。 上着は肩がふっくらと膨らんでいて、腕を包む布地は細くすらりとしている、巷で流行のタイプ。パフスリーブなんて言うらしい。襟をくるりと一周してフリルが付いており、首回りが華やかなのもポイントだ。袖の部分は、ひらいた花のようにそっと広がっている。 普段はふたつに分けて垂らしているピンク色の長髪も今は綺麗に結われ、リボンの付いた髪留めで後頭部にまとめられていた。 こうして髪型を調節したのも、帽子を被せるためである。帽子は小さめのハットで、白い鳥の羽飾りと、大きくふんわりとしたリボンがアクセントとして映えている。特にリボンは、垂れる帯が肩につくくらいにまで長く、首を左右に振れば一緒に揺れて気持ちよさそうになびく程だった。 そういった服装に身を包んだスイートは、すっかりミスタ・テスラのレディそのもの。レースとフリルとで愛らしく飾り立てられた日傘を拡げれば、すっかり上機嫌で気持ち良さそうにスイートは笑って。 「素敵よ、スイート」 セリカは微笑み返し、小さく拍手をした。そんなセリカもまた、服を新調してある。 こちらのイメージカラーは紺と白のふたつ。スイート程の華やかさはなく、全体的に控えめな印象だ。けれど一方で清潔感と落ち着きのある服装に仕上がっていた。 けれど別段、衣服に凝っていないというわけではない。上着はスイートと同じパフスリーブで、色は紺。所々に小さいリボンの飾りつけが添えられているのがポイントだ。 その上着から覗く白いブラウスの裾には大きな花柄の刺繍がいくつも施されており、美しさをひっそりとアピールしていた。襟元には、リボンとセットになったブローチが誇らしげに輝いている。 そんな服装と合わせ、普段はリボンで束ねている髪は今回、そのままさらりと垂らしている。 「セリカちゃん、素のままのロングでも素敵だねー。一度、くるって回ってみせてよ」 「えっ」 「ほら早くー」 スイートの催促に、セリカは開いた口を手でおさえ、瞳ぱちくり。恥ずかしそうにほんのりと顔を朱で染めるが、促されたので仕方なく、遠慮がちにターンする。 シルクを思わせるなしなやかさでセリカの髪が躍り、金糸のように美しく輝く。 「やーん、やっぱり綺麗! セリカちゃん、お姫様みたーいっ」 自分の頬に手をあてて、嬉しそうに声を上げるスイート。 「えへへ、こんな格好で歩くの、わくわくするなぁ。早く行こうよぉ」 「もう、スイートったらはしゃぎ過ぎ」 二人は房飾りのついた短いマントを羽織ると、日傘を片手に店の外へと繰り出していく。 ▼都市部にて スイートが差している日傘の中で、二人は寄り添って。仲良く手をつなぎながら、一緒に通りを進む。 ――みてみて、セリカちゃん、あれすごくなぁい? ――わ、あれすごいね綺麗! ――あれって何? 鞄なのにカシャカシャ動いてる! 見かけるもの全てが真新しく新鮮なものに見えて。 スイートは行き交う人物の格好を視線で追ったり、建物に施された美しい彫刻を見て急に立ち止まったり、蒸気を噴出しながら自走して持ち主の横をついて回る〝歩く旅行鞄〟を見てはしゃぎ声をあげたり。喜び・感動・びっくりをひたすら繰り返す。 セリカはつとめて冷静に、スイートの知らないものについて説明や注釈を挟んだり、失礼の無いように注意を促したりとブレーキ役に徹している。 ――ほら、人を指差さないの。 ――素敵ね。とても芸術的で、けれど暖かさのあるデザイン。 ――な、何かしらね? わ、私も初めて見るわ……! けれどセリカにとっても、ミスタ・テスラは驚きと興奮で溢れていた。彼女の世界はこうした豊かさや華やかな雰囲気はなく、似通った文明とはいえど、未知で興味の惹かれるものばかりなのだ。 表面上は淡白な反応を返してばかりだが、内心では興奮をおさえるためにかなり葛藤していたのは内緒である。 そんな風にしながら、二人の足は大型の百貨店へと向かってゆく。 † 煌びやかな百貨店内を、まるで本当のレディにようにすまして歩き回った。 化粧品、香水、アクセサリーなどを見て回り、流行だというシックな色のリボンをお揃いで購入する。 篆刻機械で記念写真を撮ると、それを洒落た意匠のロケット・ペンダントに入れて、今回の旅行の記念品として。 やがて、展示場の『機関コレクション』なる催し物を見かけると、二人は興味津々にそこへ足を運んだ。 小さな家なら何軒分にもなるか分からないほどに広い天蓋つきのスペースに、ミスタ・テスラの各地方から集められた自慢の自作機械群が、所狭しと並んでいた。 「展覧会、のようなものかしら」 「ねぇねぇ、あれすごくなーい? 騎士のロボットみたい!」 二人とも機械のことには詳しくない。 だが全長数mにもなる鉄巨人が、絨毯みたいな真紅のマントを背負いながら肩膝をついている様だとか。陶器のような鎧の滑らかや美しい意匠だとか、鎧の隙間から覗く詰め込まれた歯車や気筒の連なりだとか。そんなものを目の当たりにすれば、瞳を輝かせるしかなく。 「おじさんがこれ作ったのー?」 「そうとも。私は、ここからはちょっと遠い別の都市からやってきたものでね。こいつは巨人の鎧とも言われる大型機関で、人が乗って動かせる絡繰騎士なのだよ!」 レディとは言えないスイートの口調も気に留めることのない、気さくな紳士との会話を、セリカは苦笑しながら遠巻きに見つめ。 「もう、はしゃいじゃって」 「マイ・マスターに戯れにお付き合いくださり、感謝いたします」 「あら、あなたは?」 「これは失礼致しました」 セリカに近づいてきたオートマタの青年は恭しく頭を垂れる。どうやら、鎧巨人を作った人物の使用人を務めているらしかった。 セリカは、彼の口元を見つめながら感心した様子で言う。 「あなたの唇はとても細かく、美しく動くのね」 「なんと。そのように褒められたのは始めてですね、恐縮です。唇に目を向けられるとは、何かご事情でも?」 「あ、ええっと。読唇術、をご存知かしら」 「なるほど、そういうことでしたか」 少し慌てた様子で返すセリカに、機械の青年は穏やかに返す。 そんな彼に、セリカは遠慮がちに問いかけた。 「……私の声は、あなたにどう聞こえますか?」 「貴女様のお声が、ですか? ……見た目相応に愛らしく、可憐な声と感じます。ただ少し、哀愁と緊張がにじんでいる印象を受けました」 嫌味もなければ憂いもない。ただ正直に、青年はそっと微笑みながら返答した。 何か思うところがあったのか、セリカはお礼の言葉を返した後、遠くを見つめるような表情で。天蓋越しの陽光を受けて輝く巨大な騎士を静かに見上げた。 視界の隅ではスイートがはしゃぎ声を上げながら、色々な蒸気機械を見て回っていた。 † 百貨店内の、天井が吹き抜けになっている中庭の隅に、それはあった。少女達の背丈より少し大きく、横には何倍も大きい装置。柱時計かパイプオルガンにも似ていて、装飾と細工が施された豪奢な絡繰機械。金にも似た光沢を放つ真鍮製の大型機械。近寄っていくと僅かな熱気と共に、甘くて香ばしい匂いが漂うそれ。 すなわちスコーンの自動製造機関を見かけて、スイートが顔を輝かせた。 「スイートの世界で言う、ジュースの自販機みたいなものだよね。どんな味するんだろぉ」 「やめておきなさいよ。ハドソンさんが、機関製のものはいつも焦げてるって――」 忠告は間に合わず、スイートは製造機にクレジット機関カードを差し込んでしまう。ハドソンの厚意で、ちょっとした〝おこづかい〟が振り込んであり、都市の一部にて前払いをすることができる、穴の開いた金属製のカードを。 装置の中で、ざ、がしゅ、という動作音が響いて。機械の内部が重くうごめき、伝票の紙切れが排出されてきた。 それから、装置の天辺から蒸気が噴出した。ごうんごうんと低く唸る駆動音が空気を震わせ、少女達のおなかを圧迫した。やがて、ちーんという小気味のいい澄んだ音が鳴り響く。硝子越しの取り出し口に見える皿へ、スコーンが無造作に落っこちてきた。 スイートはわくわくした様子で取り出すも、その熱さに手の上でスコーンを躍らせて。 「わ、熱っ、あつつ!」 「……ちょっと焦げてない?」 「え、でもこれくらいなら大丈夫だよぉ」 怪訝な視線を向けるセリカへ見せ付けるように、スイートは熱さに苦労しながらもスコーンをほお張って。 かり がじっ ばりりっ 「……ちょっと固い」 「だから言ったでしょう……」 少し不満げに顔を歪めるスイートの横で、セリカは苦笑するしかなく。勿体無いので、二人で協力しながら何とかその1こをお腹に詰め込んだ。 その後は百貨店内にあるお店に赴き、きちんとしたスコーンを注文した。 手作りであるスコーンは、淡い甘さと香ばしさを漂わせていた。自家製だというクロテッドクリームをたっぷり塗って、その上にストロベリージャムをのせてから頂くのだ。甘い苺を上質な砂糖でことこと煮詰めたジャムの甘い香りがそこに混ざって、少女達の食欲を刺激した。 そんなスコーンにかぶりつく。溶けかけた果肉は、果実らしい芳醇さを保ちながらも甘さがより引き立てられていて、スコーンの適度な柔らかさと歯ごたえの中で混ざり合う。それらに挟まれるかたちのクロテッドクリームは、バターを思わせる濃厚そうな色合いに反して、口の中に入れてもしつこさは無かった。じわ、と口の中で優しく溶ける食感はソフトクリームを思わせる。 スコーン、クリーム、ジャム。三つのそれらが口腔内で品良く調和して、コクを増す。素朴な外見からは想像できないほどに美味しいそれは、二人に舌鼓をうたせた。 ティーとセットになったうえにお値段が手頃なのも、乙女のお財布に優しい。 「えへへ、やっぱり手作りは違うねー」 「ほんとね。柔らかさも味も、何もかもが格別だわ」 「あ、セリカちゃん。お茶、熱かったらふーふーしたげよっか?」 「スイートったら。私、そんなに子どもじゃないわ」 楽しそうなお茶の時間を過ごす二人の笑いが、洒落た内装の店内に慎ましく響く。 ▼ハドソンの屋敷にて たくさん遊んで買い物をして、たくさんおいしいものを食べて。 夕方にはハドソンの屋敷につき、入浴や食事、ハドソンへのお土産話など、まったりとした時間を過ごした。 今は二人、寝巻き姿に着替えて。同じ部屋にて、大きなひとつのベッドの上で寄り添い、横になっている。 一緒に寝るのは最初こそ気恥ずかしかったが、今はもう二人とも慣れてしまって。暗がりの中、少女達は密やかに言葉を交し合う。 「スイート、あなたといると癒されるわ」 「ほんと? ありがとぉ。ごめんね、スイートの体質のせいでキスはできないけどぉ、でも今、キスしちゃいたいくらいにセリカちゃんが可愛いって思うよ」 「スイート……」 スイートの体液には凄まじい毒素が含まれている。だから軽い口付けであっても、かすかな唾液が触れてしまいかねない。そんな忌々しい体質をもつ自分のことを、あっけらかんとした様子でスイートは口にする。 それを聞いたセリカの、少し切なそうな声音が口からもれて。 するとセリカが、ごそごそと布団の上を滑って、スイートに近づいてくる。愛でるような仕草で、スイートの側頭部に両手を添えると、軽く引き寄せて。 ちゅ。 スイートの気持ちの代わりにと、セリカが彼女の額へ、愛しげにキスをした。 二人、くすくすと。ころころと。月夜の晩にひっそりと戯れる妖精のように、笑い合う。 (スイート。私、あなたとお出かけできて嬉しいわ) 「えへ、スイートもだよ! ……あれ?」 スイートはきょとんとする。がばっと布団から体を起こし、目をぱちくりさせながらセリカを見下ろした。 今、セリカの声が聞こえた。反芻した記憶の中で響く言葉のように、しゃらんと響いた。 セリカはぽかんとした様子のスイートを見上げて、嬉しそうに微笑んでいて。 (あ、同調できた、のかしら。スイート、これが聞こえてる?) 「うん……わ、何これ、すごいね! チョーノーリョクみたいっ」 (私のチカラなの。言葉がなくても、心で通じ合うことができるのよ) (……こうやって、スイートが思ってることも?) (えぇ、聞こえるわ。甘くて可愛いあなたの声が聞こえる) (ほんと? えっとぉ、セリカちゃんの声はね。美人さんな見た目どおりに、綺麗な声をしてるよ) 珍しい体験に心が躍るスイートは、セリカにがばっと抱きついた。二人で塊になって、布団の上を一緒にごろごろ転がる。 (やだ、お布団が絡まっちゃうわスイート) (でも――セリカちゃんの声はたまに、すごく寂しそう) ぴた、と戯れの転がりが止んで。切なそうなスイートの心が、セリカに伝わった。 スイートは、労わるようにセリカの体をきゅっと抱きしめて。 (何か辛いことがあったら、いつでも相談してね) (スイート……。ありがとう) (あのね、セリカちゃん……誰にも言えなかったスイートのヒミツ、聞いてくれる?) (えぇ、いいわよ) (どんな事でも、怒らない? スイートのこと、嫌いにならない?) (大丈夫よ。怒らないし嫌いにもならないって、誓うわ) (……ありがと。あのね、スイートね。元の世界にいた頃に、お仕事でね。たくさんの男の人を――) そうして過去の秘密を、思念を通じて伝え合う二人の夜は。言葉として発する音もなく、静かに静かに。ふけていく。 † そうして滞在期間を過ごし、二人の休日紀行はいつしか終わりを告げる。 0世界に戻った二人の手元には、同じロケットペンダントが握られていた。中にはミスタ・テスラのレディとなった二人の、篆刻写真が閉じられている。 その写真はモノクロであった。でも例え鮮やかな色がついていない古めかしい写真であっても、素敵な思い出には変わりない。色褪せている写真の中の二人は、虹色にも負けない明るさで笑っていた。 <おしまい>
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