アルド・ヴェルクアベルはやや挙動不審だった。ふわふわの尻尾は小刻みに上下しているし、快活な髭はぴくぴくと蠢いている。おまけに、握り締めた書類は右手と左手の間を忙しなく行き来しているのだ。「お待たせいたしました。次の方」「は、はい」 係の者に呼ばれ、アルドの髭が針金のように硬直した。「えっと、ヴォロス行きのチケットが欲しいんです。プランはこれで……」 必要事項を記入した書類を差し出す。担当者は早速文面に目を落とし、アルドの鼓動は否応なく高まった。判決でも待っている気分である。「はい、承ります」 ドンと許可の判が押された。「それでは手続きさせていただきます。チケットは二枚でよろしいですね?」「……うん!」 アルドはようやく相好を崩した。 ターミナルの時間は停まっているが、住まう皆までもが停滞しているわけではない。数多の存在が集えば流れが生まれる。せせらぎは時に奔流へ変わり、何もかもを呑み込まんと襲い来る。「何のつもりであるか」 飛天鴉刃は目の前のチケットとそれを持つアルドを見比べた。「一緒にヴォロスに行こうよ。ペアホルダーを買いに」「何故」「ほら、前に言ったでしょ?」 随分時間が経ってしまったけれどと呟くアルドに鴉刃は口許を歪めた。 確かに、以前見舞いに来てくれたアルドとそんな約束をした。とある地方の祭りを見に行こう、屋台街で買い物をしようと。アルドが見舞いに訪れたのは鴉刃が負傷したからで、負傷したのは乗っていたロストレイルを襲撃されたためである。敵は世界樹旅団の、「……百足め」 ざわり、と鴉刃の髭が波打つ。燃え上がるようなまなこの先で百足兵衛の幻影が嗤っている。彼奴を打倒するどころか対峙すら果たせていないのだ。 アルドは一歩踏み出し、鴉刃の視界に割り込むようにして彼女を覗き込んだ。「行こう? 約束だもん。お祭り、気分転換になると思うよ」「今は観光どころではないであろう」「鴉刃にとってはそうでも、僕は今じゃないと駄目なんだってば」 鴉刃の手の中に強引にチケットを握らせた。そのまま手を掴み、半ば鴉刃を引きずるように歩き出す。鎧じみた鱗に覆われた鴉刃の手は硬く、冷たい。「行かぬ」「連れてく」「離せ」 鴉刃の声に険が宿る。アルドはとうとう足を止め、振り返った。 絶えることのない雑踏が二人の脇を流れ過ぎていく。「鴉刃と百足のこと、知らないわけじゃないよ。旅団との戦いが激化してることだって」「だったら――」「だから今なんだよ」 アルドは毅然と胸を反らせながら告げた。鴉刃は無言のまま目を眇める。掴まれた手からアルドの震えが伝わってくるのだ。「土産物などいつでも買えるであろう」「もたもたしてたら売り切れちゃうかも知れない。それに、い、いつでも行けるとは限らないじゃないか」 言いながら、アルドの喉がこくりと上下する。鴉刃の手を掴む手に力がこもる。「ね、早く。列車出ちゃうよ」 鴉刃は何も言わない。アルドは再び先に立って鴉刃の手を引いた。歩いて行く。振り返らずに、真っ直ぐに。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アルド・ヴェルクアベル(cynd7157)飛天 鴉刃(cyfa4789)=========
列車は速度を落とし、霧のただ中へ没入していく。車窓が乳色に変じた瞬間、車内の室温が下がった気がした。 アルドは口を開かない。対面に腰掛ける鴉刃も同じだ。だが二人には決定的な差異があった。アルドは霧の景色を見据え、鴉刃は腕組みをして目を閉じている。 「ねえ」 口火を切ったのはアルドであった。 「鴉刃はどんなのがいいと思う?」 「何がだ」 「ペアホルダーだよ」 「任せる」 ぶつ切りの会話。交わらぬ視線。鴉刃は瞼を閉ざしたままだ。 列車がとうとう動きを止め、アルドは殊更に勢いをつけて立ち上がった。 「行こ」 鴉刃に向かって手を差し出す。鴉刃の瞼がゆっくりと開かれる。射すくめるような金のまなこがアルドの銀眼とぶつかった。 「着いたよ。行こうよ」 アルドはゆっくりと瞬きを返す。鴉刃は無言のまま立ち上がった。 霧の駅を二人は進む。 アルドはじろりと虚空を睨めつけた。 (今日は邪魔させないよ、百足) 一緒の時間がいつまでも続くとは限らない。それを思えば足が竦みそうになるけれど。 歩き続けて霧の谷を抜け、祭りの町へと辿り着いた。 太い街道に色とりどりの屋台が連なっている。威勢の良い呼び込み、原石を山と積む荷車。大人も子供も小麦色に焼け、土埃を立てて走り回っている。町並の先には尖った山が聳えていた。 「近くに鉱山があるんだよ」 尻尾を弾ませ、アルドが先に立つ。 「掘り出した鉱物で色んなアクセサリ作ってるんだって」 「そうか」 話す間にも腕まくりした鉱夫たちが通り過ぎていく。 「よっ、兄ちゃん達! 一つどうだい?」 「鴉刃は女の子!」 屋台の親父にアルドが憤然と応じた。鴉刃は親父をひと睨みしただけだ。鴉刃は別のことを考え続けている。 とはいえ不貞腐れているわけにもいかぬ。来た以上は付き合わねばなるまい。もっとも、気分転換になるかどうかは別であろうが。 色鮮やかな貴石たちが脇を通り過ぎていく。大地と職人が創り上げた輝きに一つとして同じ物はない。 いつでも買えるわけではないと理解してはいた。 「鴉刃、ここにする?」 腕を引かれて我に返る。銀の瞳が間近にあった。無邪気に煌めく大粒の目は、すべてを――町の賑わいも鴉刃のしかめっ面も――等しく映し出している。 「任せると言ったであろう」 鴉刃は無愛想に目を逸らすばかりだ。アルドは「うーん」と唸りながら慌ただしく商品を見定める。 「ペアになってるのはないみたい。違うとこ行こ」 「そうか」 せかせかと歩き出すアルドに鴉刃はただついて行く。 「ちゃんと対になってるのがあるといいよね。鴉刃はどんなのがいいと思う?」 「任せる。何度言わせるのだ」 「だって二人で持つ物だし」 アルドは珍しく語気を強めながら振り返った。 「ペアだって何度も言ってるじゃないか。鴉刃の意見も聞かせてよ」 「お前の方がお洒落であろう。私にセンスを聞かれても困る」 鴉刃は戦士で、アサシンだ。華やかな洋服や装飾とは無縁の世界に生きてきた。今はそれなりに興味が出てきたとはいえ、馴染みが薄いことに変わりはない。 「んーと、じゃあ……あっ」 きょろきょろしていたアルドは一軒の露店に駆け寄った。傷と曇りのある金銀の石が並んでいる。 「こんな感じのはどうかな。鴉刃と僕の目みたいだ」 「良いのではないか? では私は金のほうを買おう」 「んー、うーん……」 アルドは鼻の頭に皺を寄せて考え込んでいる。 「もうちょっと見てからにしよう。ね」 そしてすたすたと歩き出す。鴉刃は後を追いつつ首を傾げた。 「先刻から何を急いでいるのだ。帰りの列車は明日ではなかったか?」 「だって他の所も色々見て回りたいし」 「ならば今の屋台で用を済ませれば良かったであろう」 「そうだけど、そうじゃないんだってば」 何故だかアルドはむくれていた。 屋台を覗き、離れてはまた隣を覗き込む。対になる意匠の金銀の石はいくつかあった。しかしいびつであったり内包物があったりして、アルドはどうしても気に入らないらしい。 やがてとうとうぴったりの石を見出した。 「あ! これどうかな?」 透き通ったクオーツの中に星屑のような銀の破片が詰め込まれている。 「お客さん、お目が高いね。この石は不純物が多いんだ。これだけ透き通ったやつは珍しいよ」 早速売り子がやってくる。アルドは「うーん」と唸り、忙しなく視線を往復させた。 「これの色違いで、金のはないの?」 「金色はなあ……なくはないが滅多に出ない。銀色だってこの品質のはなかなかないがね」 「まずはこれだけ買ってしまえば良いのではないか」 鴉刃が事務的に提案する。アルドはまた「うーん」と唸った。 「金のと一緒じゃないと駄目だよ。もう少し探そ」 いつしか買い物は散策と化していた。 色とりどりの雑踏が二人の傍を流れていく。濃厚な青の石。屋台の主の白い前掛け。子らが翻す黄色い風車。鉱夫の作業着は緑色だ。街道の石畳は赤く焼け、活気を導くように延びている。着飾った女の橙のストールを視界の端にちらと捉え、鴉刃は黙々と足を進める。 アルドが足を止め、はあと息を吐いた。すうと吸い、再び吐き出す。 「賑やかだなあ」 鴉刃は無言でアルドの傍を通り過ぎる。浮かれた町は鴉刃とは何の関わりもない。 「あ、待ってよ」 置いて行かれそうになったアルドが慌てて鴉刃に追いついてくる。鴉刃は歩調を緩めない。鴉刃の頭は百足兵衛で占められている。 「待ってってば!」 逃がさぬとばかりに手を掴まれる。鴉刃はちらと振り向いたが、それだけだった。 雑踏は止まらない。誰かが誰かを追い越していく。誰かが誰かの元へ駆け寄る。別の誰かが屋台を覗いた。笑い声。呼び込み。誰かを呼ぶ言葉。 「離せ」 手首を掴む手を邪険に振り払う。しかしアルドはもう一度鴉刃の手を掴んだ。 「あのね、鴉刃」 アルドの口が震えながら開きかけた時、 「さあさ、らっしゃい!」 とびきりのどら声で台無しにされた。 喧騒が濃くなり、人波が一斉に流れ始める。街道の先の小さな広場に人だかりができているようだ。アルドは呆けたように口を開けていたが、すぐに目を輝かせた。 「行こう!」 鴉刃の返事も聞かずに広場へまっしぐらだ。 “ダーツ大会 賞品有り”。広場の入り口に大きな横断幕が渡されている。スコアに応じて各種の鉱石が贈呈されるらしい。 「石って、どんなの?」 アルドが早速受付に尋ねる。係員が見本のガラスケースを差し出し、アルドは再び目を煌めかせた。金色の貴石があったのだ。透明なクオーツの中に黄金の欠片が散っている。 「こちらは特別賞です」 アルドの視線に気付いた係が悪戯っぽく笑った。 「稀少品なので、的の真ん中に一度で当てていただかないと」 アルドと鴉刃は顔を見合わせた。 「僕がやる」 とアルドは言い張った。 「経験はあるのか?」 的を外して悔しがる出場者らを横目に鴉刃は冷静だ。 「私は似たような暗器を扱ったことがあるが」 「う……でも僕がやる!」 結局、アルドだけが出場を申し込んだ。 大会は滞りなく進む。規定は一人三投で、何人かが的の端に命中させた。アルドの視線は的と賞品の間を幾度も往復する。狙う石を誰かに先取りされては大変だ。 しかしそれは杞憂に終わった。誰一人として的の中央には命中させられなかったのである。 係員が三本のダーツを持ってアルドの元へやって来る。 「これだけでいいや」 アルドは一本だけ受け取って的の前に立った。 (どうせ一回で決めなきゃいけないんだ) 目を閉じ、深く息を吸う。吐く。そしてまた吸う。余分な緊張と力が抜け落ちた。 雑踏と喧騒が消えていく。 目を開いたアルドの前には的だけがあった。 見よう見まねで構える。狙いを定める。息を止めた。決してぶれてはならない。 トビウオのようにダーツが放たれ、的へと吸い込まれていく。 「お見事!」 主催者が高らかにハンドベルを鳴らした。アルドの矢は、狙い過たず的のど真ん中を射抜いていたのだ。 「やっ……やった、やった! 見た!?」 ピエロのように飛び跳ねながら鴉刃を振り返る。しかしアルドの尾はすぐにうなだれてしまった。 どうしても鴉刃と目が合わない。鴉刃は腕組みをして物思いに耽り続けている。 銀の石を見つけた屋台に戻り、金の石と共に加工してもらうことにした。細工には一晩かかるという。二人は翌朝の引取を予約して宿に入った。 部屋に備え付けの洗面台の前で鴉刃は軽く顔を清めた。 「なんというザマであるか」 鏡の前で自嘲する。吊り上がった目尻。鋼線のように張り詰めた髭。傷だらけの体。 (全く、美しさの欠片もない。だから男と言われるのだ) 心の隅の自我が嘲笑う。鴉刃は眼光ひとつでそれを追い出し、鏡の中と対峙した。 「今はそれどころではないのだ」 そしてディラックの空を幻視する。 鴉刃の傷のいくつかはまだ新しい。ロストレイル襲撃の痕がこの身にしかと刻み込まれている。知らず、傷口に爪を立てた。いっそ掻きむしってずたずたにしてやろうか。だが、この爪が引き裂くべきものは他にある。 「おのれ」 鱗の暗闇の中で金の双眸が燃え上がる。 その時、ドアが控え目にノックされた。 「鴉刃。ちょっといい?」 アルドの声だ。鴉刃は瞬きを繰り返し、そして我に返った。アルドと一緒に旅行に来ていたことをすっかり忘れていたのだ。 「今日はその……ワガママ言っちゃってごめん」 並んでソファに腰掛け、アルドはぺたりと耳を下げた。 「鴉刃は今日みたいなこといつでも出来るって思ってたみたいだけど……僕はそうは思わないから、さ」 「こちらとて理解はしているが」 鴉刃はむっつりと応じた。そして半ば唾棄するように続ける。 「放っておいて欲しかったのも事実だ」 アルドの肩が電流にでも貫かれたように震えた。 「お前が元気づけようとしてくれていることは分かる。だが何故、よりによって今でなければならぬのだ?」 「……今じゃないと駄目なんだよ」 アルドの声は静寂に掻き消されてしまいそうであった。 「何故であるか」 鴉刃の髭がむずりと蠢く。アルドは答えずに目を伏せた。 柱時計が足音のように沈黙を刻んでいる。 「だってさ」 やがてアルドがぽつりと口を開いた。 「鴉刃のコトだもん、帰ったらまた百足めーって言い出すだろ?」 「む……まあ、確かに」 鴉刃は頑なに腕を組む。たちまち眦が険しくなる。 「今も百足のことは―――」 「またそれ?」 アルドはきっと顔を上げ、とうとう真正面から鴉刃を見据えた。 「何なんだよ。僕のことは二の次でさ。あの襲撃の時、僕がどれだけ心配したか」 「しかし」 「しかし、何?」 ぎろりと鴉刃を睨めつける。 「『あの場にいなかったお前に何が分かる』?」 それはかつて鴉刃がアルドに向けた台詞であった。 「な、に?」 鴉刃が刹那揺らぎ、たじろぐ。アルドはその一瞬を逃さなかった。 「鴉刃、鴉刃、鴉刃!」 アルドは体ごと鴉刃に飛び込んでいた。抗う間もなく押し倒され、鴉刃は押し殺した悲鳴を上げる。悪寒が背筋を舐め回し、おぞましい過去が脳裏で瞬いた。全身の鱗が逆立つようなこの心地。 「鴉刃には分からないんだ! 僕があの時どれだけ恐くて悔しくて苦しかったか、僕が、僕が、どれだけ!」 「何を……他人であれば仕方な――」 懸命にアルドを跳ねのけようとする。しかしアルドの手が鴉刃の腕を封じた。鴉刃はぞくりとし、どきりとした。アルドはこんなにも力が強かったのか? 「百足百足って、いつもそればっかり!」 力任せに鴉刃の腕を開いていく。 「僕のことなんか見てくれない、僕はこんなに近くにいるのに! だからこうして誘ったのに!」 子供じみた告白であった。しかしアルドは百足が妬ましかった。どんな形であれ、鴉刃の心を占めてしまう――それは今のアルドにはどうしてもできないことだから――百足が憎かった。 「百足のことはお前には関係な……そもそもそれはどういう……」 「もう!」 こらえていたものをぶちまける。 「いい加減に気付いてよ、僕は鴉刃の事が好きなんだよ!」 決定的なその瞬間、鴉刃がどんな表情をしたのかアルドには分からない。 「アイツのコトで頭いっぱいなのなんて分かってるよ、けど、それでも!」 アルドの下で、鴉刃はアルドの想いを浴び続けた。奔流に呑み込まれ、茫然として、もはや目を逸らすことすらできなかった。 「僕だって鴉刃の傍に居たいんだよ!」 組み伏せた手から緩慢に力が抜けていく。
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