相沢優と虎部隆が、複数回にわたり、樹海探索におもむいたのには理由があった。 ――探したいものが、あったのだ。 三日月灰人の、遺品である。「見つかったか?」「そっちは?」「……いや」「もしかしたら、ターミナル近辺だと難しいのかもしれないなぁ」「そうだな……。なんとか探せればと思ってたんだけど」 膝をつき、地表面のシダ植物をかきわけていた隆は、いったん立ち上がって枯れ草を払いとし、草むらに腰を降ろした。優も、それにならう。「……静かだな」「ああ」 今日は、ワームの気配はない。旅団員にも、遭遇しない。 見上げれば、枝葉が折り重なった林冠だけが、うっそりと空を隠すばかり。 どちらからともなく、言葉がこぼれた。 それは、今まで誰にも語ったことのなかった、己のすなおな本心―― 光となった、あの牧師も。 ブルーインブルーへ行った、あの少女も。《彼ら》は、自身の選択により、旅の終着を見いだした。それがどんなに過酷で悲劇的なものであれ、それは《彼ら》が、血を吐くような慟哭のなかで、その手につかんだひとつの答だ。 ――おそらくは。 今、ほんとうに見つけたいものは、かたちある遺品ではないのかもしれない。 ほんとうに解き明かしたいものは、大いなる謎などでさえ、ないのかもしれない。 その答はつねに、この心のうちにある。 ディラックの空の彼方を極めてさえも探索は不可能な、ひとつの異世界のなかに。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢優(ctcn6216)虎部隆(cuxx6990)========
広大な森林が波打つさまを、誰が最初に「樹海」と呼んだのだろう。 青木ヶ原樹海は、1200年ほどの歴史があるが、それでもまだ、樹海としては「浅く若い」のだそうだ。 優と隆が知っている壱番世界の樹海は、遊歩道が整備された、森林浴に最適な場所だ。「一度入ると二度と抜け出せない」という俗説もあるが、遊歩道を外れないよう留意してさえいれば、さほど危険な場所ではない。 だが、この樹海は―― どこか……、森に特有の生態系の存在を感じないといおうか、しんと静謐な空気に、世界の違いの哀しさが沁みるといおうか――とても、不思議な気持ちになってしまう。 この哀しみは何だろう。 〈真理〉に目覚めてからずっと、自分たちは異世界に触れてきた。 ターミナルに集うひとびとの、さまざまな価値観を知った。 いくつもの異世界に、旅をした。 ときには、その地に暮らすひとびととも、交流を持ってきた。 ――緑。はてしない森。 つらなる深緑。もえいずる若葉。 ――青。はるかなる蒼天。 交差する木々のあいだから見える空。かさなる世界のどうしようもない広さ。 (覚醒してから、三年と、少しか……) 葉の隙間から降ってきた空のかけらが、優の瞳に蒼いひかりを落とす。 目を細め、手をかざした。 空の蒼さは、それをうつしとった海原を思わせる。圧倒的な群青。海鳴りのように、感情がざわめく。 想いを馳せるたび、胸を刺す記憶をともなうあの海の世界で、『彼女』は今も、終わりのない冒険を続けている。 そして―― 優の、尽きぬ潮騒に似た後悔も、ずっと後を引いているのだ。 「しっかし、綾っちはどうしてるんだろうな」 隆の表情はやわらかく、その口調は軽快だった。 ちょっと小旅行に出かけた友人のことでも、話すかのように。優のこころを汲み、その重荷をひょいと取り除くかのように。 「あれだ、今頃、三等兵くらいにはなってるかな?」 「いや、それはどうだろう?」 「ははは、綾っちのこと話したのも久しぶりだな」 「……うん。ごめん」 「なに謝ってんだよ。んー、元気でいい奴だったけど、ちょっとあぶなかっしい所もあったっけなぁ」 深刻に考えることはないのだと、隆は言外に言う。森を吹き抜ける風のような声で。 「アリッサがパス預かってんだから、無事にやってるはずだよな。……そうだ、俺たちが海賊になれば会えるんじゃないか?」 「なんだそれ」 優は思わず吹き出した。 「そうかもしれないけど、その状況、どう考えても平和的な再会じゃないぞ?」 「よしよし、笑ったな?」 にやりとして、隆は軽く肘を優にぶつけた。 「それにしても、綾っちが優とつき合うとは思わなかったなー。俺を差し置いて」 「ええ? まさか隆」 「ああ、綾っちのことはまあ好きだったよ……!」 「まあ、って何だー!」 優は蹴りを入れるふりをし、隆は笑いながら身構える。 「一足先に脱KIRINしやがって、こんにゃろって感じだったけどな……、でもま、置いてかれたんだよな?」 「うっ」 「フラれたんだよな? お帰り優!」 「そのイイ笑顔は何だー!」 今度は、ふりではなく、思いっきり蹴りをかます。隆は大げさに顔をしかめた。 「だいたい、隆はもう、KIRINじゃないだろー?」 「あれ?」 よろけて、どさりと、シダの茂みに尻もちをつく。 「そういや、俺も今、その高みにいたっけ。ははは」 爽快な笑い声が、緑の森に響いた。 ◆ ◆ ◆ 「時々、思うんだ」 空を見上げ、ひとりごとのように、優は言う。 「審問会の時に、綾をちゃんと守れていたら、って」 隆は何も言わない。同意も否定もしない。ただ、黙って聞いている。 「もし、ロストレイル襲撃の時、灰人さんが旅団に囚われなかったら」 「If」は禁物とは、わかっている。 けれど、それでも。 「フォンスさんの事を、もっと気に掛けていれば」 ……未練たらしいな。 次々にこぼれる、自責と自嘲のことば。 「どうしてもそう思ってしまうときがあるんだ。いくらそんなことを考えたって、現実は何も変わらないのに」 ◆ ◆ ◆ 「フォンスに関しては」 隆も、空を見る。 「俺たちは、どうしようもできなかったんだよ」 「……うん」 「キャンディポットを助けられなかったのが、悔しいけど」 「………うん」 「灰人さんは、馬鹿だよ。守るべきものを失ったからって自棄になることはなかったんだ」 「でも……」 「キャンディポットを見つけたじゃないか。その後には、娘も見つかったし」 「絶望――したんだよ」 「二度も絶望を感じた辛さは、わかるけどな」 ◆ ◆ ◆ 樹海の季節感は錯綜していた。 若々しい新緑が枝を伸ばすすぐそばで、金いろの黄葉と鮮烈な紅葉が、色彩に変化を与えている。 ――金。王者のいろ。黄金の鎖で玉座に縛られた、孤独な王。 「俺は、覚醒してからずっと、壱番世界を守る為なら、例え誰かを手に掛けても……、誰かに憎まれてもいいと思っていた」 それくらいの覚悟がなければ、壱番世界は救えない。 トラベルギアはそのための武器だ。それが優の想いだ。 支給されたギアが「剣」であったことが、その想いを補完する役目をはたした。 剣は、人を傷つけるためにある。 「護るための剣」ということばがあるけれど、それもまた、「誰かから傷つけられること」を前提にしている。 「ロバートみたいなこと、言ってんなぁ」 隆はあっさり看破した。 ――壱番世界を護るためなら、なんでもしよう。 そのありようが、はからずも、ロバート・エルトダウンの生きざまに酷似していたことを、優は知ってしまった。 「うん、だから……」 少し、迷っている。自分の考えは、これでいいのだろうかと。 何をしても。 どんな犠牲を払っても。 誰かを手に掛けても。 だが、それは、突き詰めれば、自分のいのちを賭すことに、なりはしないか。 「俺は、ロバートさんに幸福に生きてほしい。ひとりで孤独に生きてほしくなんてない」 綾にも、灰人さんにも、幸せになってほしかった。 それぞれが決めた道だとわかっていても、それでも。 いっぱいの笑顔で、大切なひとたちと、生きてほしかった。 ――綾。 きみの望みがかなうことを、俺はずっと、願っている。 強がりなきみは、そんな心配さえされたくないと、言うかもしれないけれど。 ◆ ◆ ◆ 「うーん」 隆は眉間に縦じわを寄せ、何ごとかを考えていたが。 突然に、はっと顔を上げる。 「ワーム針の仕組みはどうしても知りたいな!」 「それかよ!」 「チャイ=ブレに対抗できるかもしれないしな。ナラゴニアを探すとか?」 「それも一案かもな。あと、世界計の欠片も、あちこちに落ちてるみたいだし」 「なんにせよ、俺は何度絶望しても世界を諦めたりはしねえぞ!」 「頼もしいな、虎部隊長は」 「何度だって乗り越えてやる! フランも失わないぞ!」 「うん、応援してる」 「優はロバートと付き合っちゃえよ!」 「そこに落とすなよ!?」 ◆ ◆ ◆ 「じゃあ次の計画は、世界計と針の秘密探しだな! その前に、もっぺん粘ってみよっか」 虎部隊長の言葉を皮切りに、優は、灰人の遺品探しを再開した。 おそらくは、見つからないだろう。 それでも――探したかった。 (壱番世界を守りたい。でも、皆にも幸せになってほしい。俺は俺が大切だと思うひとに、幸せになってほしい) そのために、どうすればいいのか、まだわからないけれど。 もしかしたら、間違ってしまうこともあるかもしれないけれど。 それでも諦めず、俺たちはこれからも、旅を続けるだろう。 いつか自分自身の答を、得るために。 綾は、アリッサにパスを返却しようとした。 ……消えたかったのだ。 本当は、誰にも、何も言わずに。 俺は、何も聞かなかった。きみが言いたくないと、わかっていたから。 だからきみは、一切を、語らなくていい。思い出さなくていい。 引き止めようとした俺たちに、何の負い目も感じなくていい。 俺も、きみに、負い目がある。 ちゃんときみを守れなかったこと。 一緒に、行けなかったこと。 ただ、これだけは許してほしい。 きみが、その広大な海の世界で運命の羅針盤を見いだすことができるよう、願い続けることだけは。 今続けている旅が、いつか消えるときまでの、あてのない放浪であるとしたら。 きみが消えてしまう前に、その旅が終わることを、願う。 ずっとずっと、きみが願い続けてきたことがかなうよう――、 ブルーインブルーへの帰属がなされることを、祈っている。 目指すものは、違うけれど。 旅の羅針盤を探しているのは、俺たちも同じだから。 俺たちもずっと、迷い続けているのだから。
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