世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。 司書室とは、そういう場所だ。「はい、開けてください」 返事につられるように扉を開く。畳の匂いがふわりと身体を包む。 司書室に入った途端に眼につくのは、飴色フローリングの部屋の中央に置かれたシステム畳。畳の上には、一畳ほどの大きく丸いちゃぶ台。ちゃぶ台には、部屋の主がいつも抱えている『導きの書』や紙の束、削りかけの鉛筆が転がっている。 扉の正面には大きな窓、窓の左右には本棚。壁際の棚には旅人達からのもらい物だろうか、色んなものが大事そうに並んでいる。いくつものぬいぐるみやドライフラワーの束、何枚もの絵画、齧りかけの歯型のついた巨大な骨や何かの動物の蹄らしいもの、怖いお面に張子の虎、赤いリボンやお菓子やナッツの缶らしいものまである。探せばまだ色々発掘できそうだ。「こんにちは」 ちゃぶ台の正面の座布団にお座りしていた赤茶色の犬が、嬉しげに尻尾を振る。この司書室の主であるクロハナだ。 クロハナはちゃぶ台に両前肢をつき、後ろ肢で立ち上がる。二本足で歩いてあなたの足元に近寄る。「おやつ、食べる?」 今にもあなたの身体に前肢を掛けそうな勢いで笑う。そうして、くるりと肢を返し、駆け足でちゃぶ台に戻る。ちゃぶ台の下に頭だけ潜りこませ、お客様用の座布団を引きずり出す。「座ってすわって。お茶、飲む?」 クロハナはちゃぶ台の傍にぴしりとお座りの格好をする。黒い眼で、まっすぐにあなたを見る。「おはなしを、きかせてください」====●ご案内このシナリオは、世界司書クロハナの部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・司書室を訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。====
高く結い上げた紅の髪が揺れる。 「あら、クロハナさん」 すらりとした長身の訪問者が髪と同じ色の眼を艶やかに笑ませる。 「レナ」 顔見知りの訪ないに、犬の姿そのままの世界司書、クロハナは嬉しげに尻尾を振る。レナ・フォルトゥスは扉を潜る。レナの使い魔である栗毛と白毛のイタチが閉じようとする扉の隙間を抜ける。栗色のイタチが二本足で立ち上がり、小さな鼻を動かして部屋の匂いを嗅ぐ。白毛のイタチが畳の縁に小さな前肢を掛け、つぶらな眼を瞬かせる。 「遊びに来たわ」 レナは畳にそっと両膝をつく。魔法使いの繊細な掌を伸ばし、クロハナの三角耳の頭を撫でる。丁寧な手つきに、クロハナは黒い眼を気持ちよさげに細めた。ぐいぐいと頭をレナの掌に押し付ける。 レナの腕に茶色の小さな頭が触れる。白い毛に覆われた小さなイタチの前肢も触れる。撫でてとせがむような使い魔たちの仕種に、レナは困ったように微笑む。 「フォルテ、ピアノ」 使い魔たちに向け、おいでと腕を広げる。つぶらな眼をきらきらと輝かせ、茶色のフォルテと白色のピアノはレナの膝に駆け上がる。しなやかな身体でじゃれついてくる使い魔たちを両手で撫でて、レナはふと片手を翻す。魔法のように掌に包めるほどの赤いボールを取り出す。 「それなに? それなに?」 オモチャの気配に尻尾を振り始めるクロハナに、にこり、と悪戯っぽく笑いかけ、 「見ていて」 ボールをフローリングに叩きつける。ゴムで出来た赤いボールは、天井高く跳ね上がる。天井に当たって今度は床に、床から壁に、窓枠に、思いがけない弾み方で跳ね回る。 「ボール!」 大人しくお座りの格好をしていたクロハナが堪らず立ち上がる。尻尾を振り回し、跳ねるボールに飛び掛る。 「壱番世界の玩具よ」 両腕で胸に抱いた使い魔たちを離してやり、レナは畳の縁で靴を脱ぐ。慣れた仕種で靴を揃え、クロハナの出した座布団の上に横座る。壱番世界の東洋の風俗よね、と博識な大魔法使いは畳に触れる。正座と言う窮屈な座り方はどうしても慣れることが出来ないけれど。 「スーパーボール、って言うらしいわ」 「スーパー! ボール!」 クロハナはほとんど我を失った様子で必死にボールを追いかける。前肢で弾き、腹にボールがぶつかっては笑い、届かない天井の高さに跳ね上がったボールを見上げてひとこと吠える。あまりに楽しげなクロハナに、レナの傍らで大人しく控えていた使い魔たちがもじもじとレナを見仰ぐ。茶色のフォルテが、よろしいですか、とでも言いたげにレナの膝に両の前肢を乗せる。白色のピアノは小首を傾げてレナを見上げ続ける。 忠実な使い魔たちに、レナは穏かに笑む。 「フォルテとピアノも遊んでみたら?」 主の嬉しい言葉に、使い魔たちは躍り上がる。短い肢で思いがけず高く跳躍する。 「すごいすごい!」 フォルテが跳ね回るボールを口にくわえて空中キャッチする。大興奮のクロハナの歓声を受けて、床に肢が着くより先に首を振り、ピアノへとボールを投げ渡す。純白の毛皮を閃かせて、ピアノが跳ぶ。ボールを口でくわえ取る。フォルテは床に、ピアノはクロハナの背に、音もなく着地する。 「上手ね」 「おみごとー!」 レナが微笑む。クロハナがピアノを背に乗せたまま四本足で駆け回る。 元気に転がりあい、はしゃぎ回る使い魔と世界司書を見守っていたレナの眼が、ちゃぶ台に置かれた『導きの書』を映す。緋色の明るい瞳がふと陰を帯びる。 「最近は物騒になってきたわねぇ」 フォルテとピアノを背に乗せて、クロハナがレナの隣に伏せる。飴玉でも噛むようにもぐもぐと噛んでいたボールを畳の上に落とす。もう逃すまいとばかり、両の前肢で押さえつける。 「世界旅団?」 「それもあるわね」 レナはクロハナの頭とフォルテとピアノの背を順繰りに撫でる。緋の色の睫毛の陰を白い頬に落とす。 カンダータの一件が落ち着いたかと思えば、次は世界旅団。 自身の世界から放逐され放浪の末辿り着いた零世界の上層部でさえ、最近の騒動を見るにつけ、どうやら一枚岩というわけでもなさそうだ。 「零世界も、ちょっとばかし焦りが見えてきてるっていうのかしら?」 世界図書館とは似て非なる、けれど同じように世界群を旅する世界樹旅団。彼らのような存在とこの広大な世界群の中で出会うということは、世界図書館にとって、おそらくは初めてのことではないだろうか。零世界のあちこちに漂う焦りの気配を、大魔導師であるレナはそう分析する。 己の世界にも出来得るならば早々に帰りたいと言うのに。仲間と共に、敵である魔族と決着を着けねばならないと言うのに。 争いの種は尽きない。 主の溜息に、使い魔たちは丸い耳をそばだてる。クロハナの背から主の膝へと飛び移る。元気を出してください、とでも言いたげに膝に二本足で立ち上がる。豊かな胸に両前肢を置いて、長い胴体を伸び上がらせる。主の頬に冷たい鼻をくっつけてキスをする。 「零世界の、焦り」 ボールに黒い鼻先を押し付けてしきりと匂いを嗅ぎながら、クロハナは三角耳をレナへと向ける。 「わたしは、わたしに出来ることをするだけ。それだけ」 使い魔たちを片手で抱いて、レナはクロハナの背中を撫でる。 「そうね」 頷くレナの隣で、クロハナは立ち上がる。三角耳の先から尻尾の先まで、ぐうっと伸びをする。ちゃぶ台の向こう側に回りこみ、自分の座布団の上できちんとお座りをし、 「おはなしを、きかせてください」 黒い眼でレナを真直ぐに見る。 「これが、今わたしにできること」 「ええ、いいわ」 レナは大輪の花が咲くような艶やかな笑みを赤い唇に浮かべる。 犬の司書に請われるまま、レナは螺旋に続く果て無き世界群の旅路を語る。 レナが覚醒した時、ディアスポラ現象によって飛ばされた世界の話。 巨大な羊歯や原生植物が生い茂り、どこまでも続く平原の先では地響きたてて火山が焼けた岩を吐き出し、巨大な鳥や蜥蜴や竜が闊歩する世界。 「後で調べたら、『恐竜界・ディノワールド』という世界だったわ」 言葉も意志も、何一つ通じる者の居ない弱肉強食の世界を、レナはただ一人、己の魔導のみで生き抜いた。 「世界図書館の存在も知らなかったしね」 世界図書館から迎えとして送られたロストナンバーと出会い、自身がロストナンバーとなったことを知らされたときは、 「驚いたわ」 でも、と強い笑みを浮かべる。 「仲間が居ると知って安心もしたわね」 ロストナンバーの運命を知り、世界図書館に所属した後、レナは様々の依頼を受けては世界群を飛び回った。 「『千年魔京・平安』」 神秘的なその世界では、朱塗りの欄干の上、自身の力に酔うた陰陽師と対峙した。 くすり、レナは勝気な笑みを唇に佩く。元の世界で最大級の称号さえ持つ大魔導師と力比べをしてしまった陰陽師の末路は、クロハナには聞かずとも分かる気がした。 「あ、……そうだ」 どこかしら怯えた風の犬の世界司書を怖がらせまいと、レナは違う世界の話を新しく始める。 「同じ世界で親しい仲間だった者が、元の世界からディアスポラ現象で異世界に飛ばされたから保護を、って。そういう依頼を受けたことがあったわ」 その依頼は、その時には揃っていた、元の世界の仲間たちと三人で向かった。 元の世界の、世界を救うべくして揃った勇者たち。依頼された保護すべき仲間は、その勇者一行のひとり。 「『楽園の島・リゾニア=パラディゾ』」 レナが口にした、どう聞いてもプラスの世界群に存在すると思われる異世界の名に、クロハナは思わず尻尾を振る。 「どんなところ?」 「絶叫マシーンがいっぱいあって、」 「ぜっきょうましーん」 「いろんな遊園施設もいっぱいあって、」 「遊園しせつ」 レナの言葉の意味が分かっているのかいないのか、鸚鵡返しに言いながら、クロハナの尻尾は激しくぱたぱたと揺れる。三角耳は言葉のひとつも聞き逃すまいとピンと立ち、黒い眼はどこまでも真直ぐにレナを見つめる。 「動物園もあり、水族館もあり、」 「動物園! 水族館!」 レナは楽園の島の施設を指折り数えながら、楽園の島でとうとう元の世界での仲間が四人揃った時のことを思い出す。 「更にはカジノまであるなんてね」 異世界で、という特殊な状況ではあったものの、散り散りに行方知れずとなっていた仲間が揃ったことを、あの時はとにかくも皆で喜び合った。折角の楽園の島で、ロストレイルの発車時刻ぎりぎりまで遊んだ。 「四人で色々楽しませていただいたわ」 あの時を、過ぎ去った束の間の休暇の思い出とするか、それとも。 「また、行ってみたいわ」 強気な魔法使いは楽しい思い出を新しい力にして、ふわりと微笑む。 「そうそう、ドッグランもあったわね」 クロハナが行けば楽しいのではないかしら、そう言いかけて、レナは寂しげに唇を閉ざす。クロハナはロストメモリーだ。特別の機会がない限り、零世界を飛び出して行くことは出来ない。 ふと感じた気まずさを打ち消すために、レナはちゃぶ台へと細く長い指を伸ばす。 「これは?」 示したのは、ちゃぶ台に散らばる紙の束のうちの数枚。半紙に墨で書かれた、上手いとは決して言えない大きな文字。文字の周りに、落書きのような鉛筆の文字が散らばっている。 「おしゅうじ。文字。れんしゅう」 興味を示してもらえたのが嬉しかったのか、クロハナは尻尾を振る。 「カンダー、た」 黒々とした墨の文字を、レナは白い指でなぞる。鉛筆のつたない文字も、クロハナが書いたもののようだ。 「さむい、えいきゅう凍土、マキーナ、」 文字を習い始めた子供の手蹟じみた、大きい上に歪みの酷い文字を、レナはゆっくりと辿る。クロハナはちゃぶ台の向かいでお座りしたまま、先生に添削を受ける生徒の仕種でレナの指先の動きをじっと眼で追う。 「とぶ・走る・掘りすすむ、マキーナ」 「ひとを殺すだけの、マキーナ」 レナに続き、書かれた文字を読み上げる。どこかしらしょんぼりとするクロハナの様子を上目遣いにちらりと見て、レナは別の紙を手にする。 そこに書かれているのは、戦のやむことのない世界群。争い続ける国々、魔物蔓延る世界。 「色々物騒なところもあるわねぇ……」 白い眉間に難しげな皺が寄る。 「この辺りも探索しないとね」 レナの言葉に、クロハナは小さく頷く。 「世界樹旅団がいつ乗っ取ってくるか、わからないし」 「できるだけ、『導きの書』、読みます」 お手をするように、ちゃぶ台に乗せた『導きの書』に片方の前肢を置く。 「わたし、まだ、『導きの書』、うまく読めないときがあります」 悲しい顔で俯く。 「レナの行きたい世界の予言、かならず出来ますとは、言えません」 探索の依頼が出来るとは断言できない、クロハナは首を横に振る。 「でも、できるだけがんばります」 「いい子ね」 魔法使いの華やかな笑顔と優しい言葉をもらい、クロハナは緊張が解けたように笑う。 レナの膝の上、いつの間にか丸くなって眠っていた使い魔たちが揃って小さな欠伸をする。レナは使い魔たちを優しく抱き上げる。 「色々、話し込んじゃったわね」 「おはなし、たのしかった」 「あたしもよ」 レナは立ち上がる。畳の縁に揃えて脱いでいた靴を履く。見送りに立つクロハナの背中を撫でる。 「それじゃあ、またね」 レナは軽く手を振る。肩越しに振り返って、 「それはクロハナにあげるわ」 クロハナの足元に転がるゴムのボールを示す。 「また、来てください」 クロハナの声に送り出され、レナとその使い魔は司書室の扉から司書室棟の廊下へと出る。次の場所へ颯爽と歩き始めるレナの後ろ、扉の向こうで、 「スーパー! ボール!」 賑やかなはしゃぎ声が聞こえ始める。 終
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