クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-14288 オファー日2011-12-30(金) 22:01

オファーPC ハクア・クロスフォード(cxxr7037)ツーリスト 男 23歳 古人の末裔

<ノベル>

 手首の包帯を解く。最後まで残っていた一番深い傷も、今は赤い傷跡となって残るだけ。
 首筋や頬に纏わりつく、伸ばし放題の白の髪を緩く結わえる。
 膝に掛かる毛布を押し退け、床に置いた靴に素足を滑り込ませる。立ち上がる。立ち上がっても目眩に襲われないこと、足元がふらつかないこと、身体のどこにも倦怠が残っていないことを確かめる。細身の身体に満ちる力を確かめるように、手に拳を作り、開く。
 窓の外から差し込む朝陽に、深緑の眼を細める。
 起居する小屋の裏庭から、幼い妹の笑い声が聞こえる。裏庭の奥に広がる明るい森に揺れる木漏れ陽にも似たその声に、ハクア・クロスフォードは色味の薄い頬を僅かに和らげる。
(よく笑うようになった)
 妹を抱いた母に手を引かれ、体内に流れる古代人の血だけを利用しようとする教会の隔離施設から逃れ出たのはいつだったか。今はひどく遠い昔のようにも思えるが、追撃の手を払うために己の血を使い魔法を行使したことは記憶に新しい。その時に刃使って切り裂いた手首の傷も、人よりも早く癒えはするが未だ生々しい。
 追手から必死になって逃れ続けるうちに母を喪い、笑うことを忘れた。そんなことよりも一歩でも遠く追手から離れたかった。
 幼い妹を護ると、倒れた母親に誓った。けれど己が血の力を使い過ぎ、逃亡の半ばで倒れた。
 そのまま妹諸共凍え死ぬところを、神父に助けられた。
(……こればかりはあの変な神父のお陰か)
 古代人の末裔であるハクアたちの一族を異端視し、捕え利用した教会側の人間であるくせに、この小さな村の小さな教会の神父は、ハクアに言わせれば『変』だった。
 教会に属する神父のくせに、ハクアとその妹のオウカが教会の手から逃れてきた古代人の末裔だと気付いたくせに、
 ――俺は、異端だとかの教会の考え方は否定する
 あの日、己の信ずる神に真直ぐに向き合い、はっきりと宣言したギル神父の青空色の瞳を、ハクアは覚えている。礼拝堂のステンドグラスの極彩色の光がその青空色の瞳を彩っていたのも、よく覚えている。
 ギル神父の務める教会に匿われて、しばらくが経つ。
 妹の笑い声に混じって、小屋の主であるギル神父の声が聞こえる。小屋の隣に建つ礼拝堂で村人と向かい合い説教を行うからか、時折村の子どもたちを集めて識字教室を開いているからか、神父の声は離れていてもよく通る。
(教室というよりは)
 過酷な旅に疲れ果て、ベッドからさえ身体を動かせなかった頃に聞いた、傍の窓の外の庭で生徒の子どもたちと一緒になって転げ回る神父の笑い声を思い出す。
(あれでは友達だ)
 そう思って、思った途端に思い出した。
 ――友達が、出来るといいわね
 逃亡生活の合間、ふと追手の影が見えなくなった時、母はそう言って夢のように微笑んだ。あの時母が見せた木洩れ陽のような温かな笑顔を、今もはっきりと思い出せる。あの時、自分はなんと答えたか。
 朧な思い出を深緑の眼に沈ませて、ハクアは服の裾を捲る。窓を開け、部屋の扉を開け、寝起きしているベッドを整える。部屋の片隅に置かれた古い箒を手にする。神父がいつもしているように、狭い部屋の隅から丁寧に箒をかける。
 部屋から全ての埃を掃きだし、次は狭い廊下の箒掛けに取り掛かる。少し前まではこれだけ動いただけで息が切れた。どうしようもない目眩に襲われた。
 身体の動きを確かめながら廊下を掃く。神父が毎朝日課のように掃除するため、廊下にも部屋にも埃は少ない。
(友達)
 人里離れた土地で、一族で静かに暮らしていた幼い頃は友達が居た。弟も、父親も居た。
 穏かな日々を破ったのが教会の神父たちだった。一族諸共隔離施設に強制収容され、一族の血に宿る力を利用された。研究された。血を絞られ、利用し尽され、同胞たちは次々と死んだ。父も、弟も。
(……ああ)
 妹と神父の声が壁越しに聞こえる。廊下の突き当たりの扉が開く。朝の光と共に冷たい風が流れ込んで、集めようとしていた小さな埃がふわりと舞う。
 ――友達なんか、いらない
(確か、そう答えた)
「ハクアにぃ」
 小さな両手いっぱいに花を抱いて、オウカが駆けて来る。少女とも呼べぬほど幼い妹の危うげな足取りが気がかりで、ハクアは箒を片手に妹に寄る。
「にぃ!」
 甘えて鳴く子猫の声で、オウカは兄の足に花ごと抱きつく。朝陽に金色に透ける栗色の髪をふわふわと風に揺らし、兄と同じ深緑色の眼で兄を見仰ぐ。
「おかえり」
「ただいま!」
 ハクアが腰を屈めると、待ちかねたように首に抱きついてくる。ふわりとした柔らかく小さな身体は、どこか甘い土と緑の香りに満ちている。抱きつかれるままに片腕で抱き上げようとして、とっさに出来なかった。体力と共に筋力まで落ちた腕は、小さな妹を抱き上げることだけでも一苦労した。ずり落としそうになって、慌てて箒を壁に立てかけ両手で妹の身体を支える。
「無理するなよ」
 玄関扉を閉めながら、神父がくすりと笑う。着崩した神父服の襟を更に緩め、青空色した明るい眼を楽しげに細める。裏庭の畑の泥がついた袖の腕には、摘みたての葉物野菜の入った小さな籠。
 ハクアは抱き上げた妹の丸い肩越しに神父を見遣る。
「長く世話になるつもりはない」
「まだゆっくりしてた方がいい」
 ハクアの言葉と神父の言葉がぶつかる。挑むようなハクアの視線と柔らかな笑み含んだ神父の視線がぶつかる。
 教会に通報はしないと神父は言ったが、この場所に長く留まれば留まるほど、教会からの追手に発見される可能性は高くなる。見つかれば、教会が異端視する古代人の末裔を匿ったとして、神父もただでは済むまい。
(わかっているのか)
 開きかけた口にふわり、オウカの柔らかな栗色の髪がかかる。
「にぃ」
 両手に持ちきれなかった花をぽろぽろと床に落としながら、幼い妹はハクアの首に力いっぱいしがみつく。
「おはか、ないの」
「墓?」
「かあさんの、おはか」
「……ああ」
 胸の底からこみ上げた溜息に押されて、ハクアは頷いた。
 逃避行の半ばで倒れた母の亡骸は、追手の激しい追撃のために埋めてやることすら出来なかった。死に行く母の手から託された妹を護るため、生き長らえるため、凍える森の奥に打ち捨てて来ざるを得なかった。
 雪に埋れたか、獣に食い散らされたか。母の亡骸の末を思うと、胸が重く詰まる。
「にぃ?」
 間近で首を傾げる妹の頭にそっと掌を置く。動揺を知られぬよう、出来得る限り優しく妹の頭を撫でる。母の墓などないことを、この幼い妹にどう説明すればいいだろう。
「森の中に村の共同墓地があるからな」
 それを見たからか、と神父が野菜籠を持ってキッチンのある部屋へと一度引っ込む。間を置かず、思いついたように顔をドアからひょこりと覗かせる。
「オウカ」
 何の躊躇いもない、明るい声で妹を呼ぶ。たくさん遊んでくれてたくさんご飯をくれる神父に、妹はよくなついている。
「じゃあ、建てるか」
 神父の言葉に、オウカは深い森の色した眼を輝かせる。両手の花を零してハクアの腕から滑り降りる。床に花の道を作って神父の傍に駆け寄る。神父の周りを大喜びで跳ね回る。
「な、ハクア」
 笑み含んだ神父の眼が真直ぐに向けられた瞬間、ハクアの胸に詰まっていた重苦しいものが痛みを帯びた。妹の手前、それを吐き出すことは堪える。ただ、きつい視線を神父に叩き付け、花の散らばる廊下を足早に過ぎる。玄関扉を開け、朝陽の中に身体を押し出す。
 眩しい朝の光と清涼な風に身体を晒して、ハクアは僅かの間立ち竦む。
 何処に行けばいいのか分からなかった。何処に行きたいのか分からなかった。
 身体に渦巻き、頭さえぐらぐらと揺さぶる感情を持て余して溜息を吐く。
 小さな庭を経た先に、小さな礼拝堂がある。朝の光を真白に浴びる、ハクアにとっては忌々しいだけの教会の箱。教会が祈り捧げる神の像が祀られ、祈り捧げる人々が集まる場所。神父が時折ひとりで長い祈りを捧げる場所。
 心を掴む怒りをぶつけるように、ハクアは大嫌いな場所へと足を向ける。
 木製の素朴な扉を押し開ける。全ての窓を飾るステンドグラスを通った朝陽が色とりどりの光を纏って押し寄せる。光を押し退け、瞳を上げる。正面に在る神の像を真直ぐに睨む。礼拝用の長椅子の間を大股に抜け、説教壇の前に立つ。言葉にならない怒りを胸に渦巻かせ、ただただ、光溢れる床を踏みしめる。
 真新しい風と光を背中に感じて、閉ざした扉が開かれたことを知る。オウカのものではないゆったりとした足音が背後の床を叩く。忌むべき血の末裔に近付くことに一切の躊躇いを抱かない足音の主を、ハクアは一人しか知らない。
「何故だ」
 神父に背を向けたまま、ハクアは問う。
「何故墓を建てると」
 押さえ込んでいた怒りを言葉にした途端、溢れた。
「父も母も、弟も、もう何処にも」
 腹の底から溢れ出す怒りを堪えようと、手をきつく拳にする。それでも、言葉も怒りも閉じ込めてはいられなかった。せめて背を向けたまま、歪む顔を見せぬまま、吐き出す。
「もう何処にも身体はないのに」
 何故、と繰り返せば肩が震えた。その肩に神父の掌が触れる。反射的にその手を振り払う。僅かもたじろがない眼をした神父と向き合う。
「お前とオウカの心は休まるだろう」
 静かに放たれた神父の言葉に、ハクアは眼を見開く。食いしばった歯の隙から、なんだそれは、と低い唸りが洩れる。思わず腕が伸びた。結んだ拳を開き、襟の緩んだ神父服を掴む。襟首を掴まれても一歩も引かない神父の態度にハクアは眉間に皺を刻む。神父から顔を逸らす。
「亡骸がない墓など意味がない」
 叫ぶ。
 父と弟の亡骸も、母の亡骸も、もう何処にも無い。全て投げ捨て逃げて来てしまった。己の全てを懸けても護りたかったのに、護れなかった。
「違う」
 襟首を掴む手を、神父の掌が包む。ひどく温かな掌と強い声に引き摺られ、ハクアは顔を上げる。
「墓があれば、形があれば、」
 神に祈り捧げるように、神父はハクアを真直ぐに見る。確りと言葉にする。
「お前達は家族の事を祈る事が出来る」
 厳しい色湛えた青空色の眼がふとにこりと笑む。
「ま、形なんてどんなもんでもいいけどな」
 ハクアは長い息を吐き出す。神父に掴まれた手を振り解けずに、
「本当に、変な神父だ」
 弱く弱く、ギルを罵る。


 教会の奥に広がる森への道を歩く。素朴な野の花に彩られた石畳の道をしばらく辿れば、森は不意に丸く開ける。温かな木洩れ陽に縁取られた村の共同墓地を、けれど小さな花の苗を片手にしたハクアは見向きもせずに通り過ぎる。
 墓地の奥、草木に半ば隠れた獣道に分け入る。覆い被さる木苺の茨を腰を屈めて潜り、顔の高さに重なる木の枝をそっと押し退ける。そうして進んだ先に、ぽつりと小さく、秘密の小部屋のような場所がある。
 優しい色した樹の枝が、冷たい雨風から、無遠慮な人の眼から、その場所を護るように空を覆う。重なる枝葉を通り抜けた陽の光が金糸で編んだカーテンとなってその場所を彩る。
 そこには、神父が村の市場で求めて来た若木が植えられている。神父とオウカと共に、大人の腰にも満たない幼い樹を植えた日を思い出して、ハクアは白い頬を僅かに和らげる。
 ――樹、うえたいの
 石は冷たいから、そう言い出したのはオウカだった。墓の周りに撒くの、と。花の種の入った袋を抱いて、深い緑の色した瞳で必死に兄と神父を見上げた。兄と神父に交互に頭を撫でられて、くすぐったそうに笑った。
 皆で泥だらけになって植えた樹のぐるりを囲むのは、数え切れないほど芽吹いた双葉と、柔らかな色を咲かせる幾つもの野の花。
 樹の傍に膝をつき、ほとんど朽葉で出来た土を手で掘る。出来た穴に花の苗を丁寧に植える。苗にひとつきり咲いた花がそっと指先に触れて、ハクアは妹と同じ深い緑の眼を瞬かせる。金色の木洩れ陽に顔を上げ、妹が墓石の代わりとした若木を見つめる。
 祈るように唇に上ったのは、父と母と弟の名。
 ハクアは笑み含んだ息を吐く。確かめるようにもう一度、家族の墓に向けて、家族の魂の安息を祈る。


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 たぶん、ハクアさんにとっては安息の日々であっただろうおはなしをお届けにあがりました。
 神父さまや妹さまをもう一度描かせて頂きましてありがとうございます。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会い出来ますこと、楽しみにしております。
公開日時2012-02-06(月) 22:00

 

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