クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-14707 オファー日2011-12-30(金) 22:27

オファーPC 雪・ウーヴェイル・サツキガハラ(cfyy9814)ツーリスト 男 32歳 近衛騎士/ヨリシロ/罪人

<ノベル>

 閉ざした瞼が震える。
 横に転がされているのか鎖に繋がれ起こされているのか、それすら分からなかった。熱を帯びた身は、凍える牢の内に在るはずが、炎の只中に投げ込まれているかのように熱い。
 腫れ上がった喉を通り、金臭い呼気がひび割れた唇から零れる。血と汗を吸って不快に重い毛布の臭気が己の呼気と共に立ち昇る。慣れ切ったつもりでいた酷い臭いに、雪・ウーヴェイル・サツキガハラは弱く咳き込んだ。
 首から下を埋める打撲痕が、鞭痕が、刃痕が、鈍く痛む。乱れて散る漆黒の髪と同じ色した眉が微かに歪む。身体が縮むような細く長い息を吐き出し、雪は眼を薄く開く。牢の薄闇映して、月の光の色した瞳が瞬く。
 身体埋める傷の疼きは、息をする間に痺れにも似て消える。
 黒く湿った石床を汚すのは、己の血と、過去にこの牢で責め苦受けた罪人の血と汚物。その汚れた床に、数十枚もの紙が散らばっている。
 元は白かっただろう紙が、血や汚濁を吸って斑に汚れる。汚れてしまう。
 鉛と化したかの如く重い腕を持ち上げる。両手を束ねて巻き付けられた錆びた鎖が耳障りな音たてて床を擦る。満遍なく爪を剥がされた指が汚れた床を這う。生乾きの血が爛れた皮膚から剥がれ、ぼろぼろと零れる。焼け焦がされた手首に鎖の錆が噛み付いても、もう痛みは感じない。
 痛覚に慣れきって麻痺した指先が、やっとのことで紙の一枚に触れる。腫れ上がって満足に曲がらない指をゆっくりと折り曲げる。動かせば傷口の開く肘をゆっくりと曲げ、毛布に横たえた顔前に紙を引き寄せる。
 紙には、見知った同僚の近衛騎士の名がある。
『サツキガハラが王伯父殿下を弑するなど有り得ない』
『どうか恩赦を』
『せめて命は』
 同僚たちが必死に書き綴ってくれた文字と署名。紙に連なる同僚の名に血に塗れた指を伝わせ、雪は謝意を囁く。嘆願書を出すことで彼らに害が及ばなければ良いが。
 同僚たちの懸命の助命嘆願は一切受け入れられなかった。
 ――こんなものは無駄だ
 突然の処刑を告げに現れた尋問官は、雪の同僚たちの名が連なる助命嘆願の用紙を牢内に投げ入れて嗤った。
 ――どれだけ黙秘を貫こうと、お前は弑逆者として惨めに死ぬ
 雪の爪を一枚一枚丁寧に剥いだ時と同じに、皮膚に焼けた鉄を押し当てた時と同じに、横腹の皮膚を刃物で削いだ時と同じに、尋問官は楽しげな笑みを浮かべた。
 ――自白した方が楽だったかもな
 床に身を横たえたまま、雪は尋問官に眼を向ける。不快そうに眼を歪める尋問官の傍らを、古いドレス纏った女官の霊魂がふわりと過ぎる。尋問官には気配すら感じることかなわぬ古い霊は、汚れた毛布に身を横たえる雪見て痛ましげに眉を顰めた。牢の向こう側から鉄格子を擦り抜け、ほとんど透けた身体で雪の傍に膝をつく。蒼白く小さな掌で、恐る恐るといった風に傷で埋まる雪の身に触れる。
 死んで尚王城に留まり続けながらも、人の痛み悲しむやさしい霊に、雪は淡く笑む。
 ――尋問開始から数ヶ月、……短いよな
 意味の分からぬ笑み浮かべる雪から眼を逸らして、尋問官は呟いた。
 あの時尋問官が呟いていた言葉は何を意味するのだろう。一言の弁明も最早許さぬという王の御意志か、それとも、惨い尋問を短くしようという御慈悲か。それとも。
 ――お前を告発した上官の近衛騎士団長様も一安心てとこか
 尋問官の三日月形に細められた眼が脳裏を過ぎり、雪は黒い睫毛を伏せる。人の心を抉らねばならぬ仕事は、その心に如何程の負担が掛かるものだろうか。如何程、その心を歪めてしまわねばならぬのだろうか。
 ――親友だったんだってな? まあ、そう思ってたのはお前だけだろ
 明日死ぬのに尋問する価値も無いな、そう吐き捨て、尋問官は牢の前を去った。雪の傷を撫でていた女官の霊はいつか消えていた。
(ジーン)
 尋問官が弄ぶように切り裂いた胸の奥で、雪は己を弑逆者として告発した騎士団長を呼ぶ。
 名と共に浮かんだのは、あの日雪を告発した厳しい面差しの姿ではなく、
 ――スウ
 ススグでは呼び辛いと、そう呼んでくれた時の何の屈託もない笑顔。異国から渡ってきた雪を何の警戒もなく受け入れ、苦労しているだろうと手を伸べてくれた。王に引き合わせてくれ、騎士団への入団を推してくれた。
 異国に渡ってきた理由を問いもせずに温かな笑みだけを与えてくださった王を父と慕った。ジーン騎士団長を兄と想った。
 ジーンは故郷を棄ててきた私に命を懸けて護るべき存在を与えてくれた。
(何かのっぴきならない事情があるのだろう)
 今がその命を懸ける時なのだろうと思う。
 兄と慕うジーン騎士団長の手により投獄され、命が絶える寸前まで拷問を受けても、雪の瞳は揺らがない。襤褸布のように転がっていてさえ、王を父と、ジーンを兄と慕い続ける。
 天井に開いた小さな格子窓から金色の月の光が落ちる。降り注ぐ光の粒子を纏って、月色した蜻蛉の羽持つ精霊が無垢な舞を披露する。
 雪は人に見えぬものを見る金の眼を穏かに和ませる。月の精霊は雪の視線を受けて華やかに笑む。気紛れに天井よりも高く舞い上がり、その姿を消す。
(最期のその日に、)
 雪は牢越しの闇に眼を向ける。投獄されて以来、騎士団長にも王にも会えては居ない。せめてもと望む彼の人たちの言葉さえも聞けていない。けれど、この命消える処刑の日には、
(ジーンに会える)
 ジーンがこの眼の前に立ち、正式に処刑の命を下すだろう。
(王に拝謁叶う)
 王はこの命絶える様を見届けて下さるだろう。もしかすると、一言でもお言葉を頂けるかもしれない。
(……欲が過ぎるか)
 仲間たちが懸命にしたためてくれた嘆願書を握り締め、雪は笑みを零す。
 王や騎士団長にひと目会えればそれで良い。父と兄と慕う二人の姿をこの眼に焼き付けて、私は死ねる。それを喜びとせずに何とする。
 月の光に満ちる狭い牢の向こう側、血に汚れた石床の廊下を挟んでもうひとつの尋問牢がある。今は血錆に塗れた手枷と足枷が転がるばかりの空の牢に、ゆらり、蒼白い光が揺れる。ひとつ灯ったと思った次にはもうひとつ、ふたつ、十数にも増えた蒼白い人魂は重なり合い、その内に皮と骨ばかりとなった男の姿を映し出す。
 手枷足枷で縛められた過去の亡霊は、過酷な拷問に晒され息絶えたその時と同じに落ち窪み虚のようになった眼を弱々しく持ち上げる。
 乾いてひび割れ、血のこびり付いた唇を必死に動かし、最期に呟いただろう言葉を、肉体が失せて幾年過ぎた後も繰り返す。
「おれはやっていない」
 常人には見えぬ彼の姿も、報われずに終わったその訴えも、常にカミや霊と共に在る雪にははっきりと見える。聞こえる。
「おれはやっていない」
 無実の罪を叫び続ける亡霊をその金の眼に捉え、雪は唇を引き結ぶ。拷問による傷を多数負い、体力の落ちたその身に力を籠める。腕や腹や腿の筋肉が動く。塞がり切っていない傷口が開く。血が溢れる。汚れ捩れた長い黒髪が血を吸った毛布の上を滑る。
 呻き声の代わりに小さな息をひとつだけ吐いて、雪は身を起こす。背中を伸ばす。向かいの牢でただただ嘆く、死んだ男と向かい合う。
 男の顔は、王やその伯父をどこか思い起こさせた。
 過去にも王族間に問題があったのだろうか、雪は男に王の面影見て眼を顰める。彼は王族として生まれた為に何者かの陰謀に落ち、無実の罪で獄死させられたのだろうか。
(今回は)
 雪の頬をかなしい笑みが掠める。
 今回は、王派と王伯父派との水面下の争いが王伯父暗殺という最悪のかたちとなって現れてしまったのだろう。その罪を何らかの理由あって近衛騎士団のひとりである雪に被せざるを得なくなってしまったのだろう。
 雪はそう察する。
(私がここで黙して死ねばいいだけのこと)
 強い意志宿る瞳を瞬かせる。
 罪を己ひとりの腹に収めて処刑されれば、
(あとは彼らが巧くやる)
 己を弑逆者の境遇に陥れたジーンの顔が心に浮かぶ。王の顔が浮かぶ。心に描くジーンと王は、どこまでも快活に穏かに笑むばかり。
 彼らに対する呪詛はない。
 血と汚泥に塗れ、数ヶ月に及ぶ拷問に疲れ果てて、けれど雪の顔に絶望はない。
「おれはやっていない」
 男が嗄れた声で呟く。男に応え、雪は力強く頷く。
「ああ、あなたはやっていない」
 何十年か、何百年か。長い年月を誰にも聞き入れられることのなかった無実の訴えを受け入れる言葉に、男は骸骨じみた顔を真直ぐに上げた。 虚ろな眼窩に光が灯る。光は透明な涙となってこけた頬を滑り落ちる。
「ありがとう」
 男は辛うじて残っていた命の全てを搾り出すような声で告げる。牢の壁を照らしていた蒼白い光が揺らめいて消える。死して尚牢に囚われていた男の姿はもう無い。
 あとには月の光が音もなく踊るばかり――否。
 男が去ったその場に、雪の傷をかなしい顔で撫でた女官の霊魂がひっそりと立っている。短く揃えた髪と古い女官の衣装を微かに震わせ、女は白い頬を上げた。確たる意志を秘めて、女官の瞳は月光にも似た光が宿る。
 鉄格子を二枚挟み、雪と女官は視線を交わす。
 女官の意志を量りかねながらも、雪は瞳を和らげる。雪の微笑みに勇気得たように、女官は色失った唇を薄く開いた。
「許してくれ、スウ」
 それは女の声ではなかった。
 己で己の身を裂くような、己の命を己で削るような、悲痛な嘆きの声。許しを乞う言葉でありながらも、決して許しを得られぬと確信している声。
「ジーン」
 女官の霊魂を通して伝えられた言葉の主の名を、雪は呟く。普段の明朗闊達さからは思いもつかぬ苦悶の声に、雪は思わず立ち上がる。立ち上がった瞬間、足枷が絡んだ。足元をすくわれ、石床に膝をつく。尋問官に散々打ち据えられた脛が痺れる。這い蹲る格好で、鉄格子の傍に寄る。
 女官は悲しげに眼を伏せ、城の何処かで拾い上げた騎士団長の嘆きを正確に再現する。
「代わりに俺が」
 雪は鉄格子を掴む。錆が掌に刺さるのにも構わない。女官に向け、兄と慕う騎士団長に向け、傷付いた掌を差し出す。
「……俺が死ねたら、どれだけよかったか」
 女官の霊は通路を挟んだ牢の内側に立ち尽くしたまま、動かない。
 錆び付いた鉄格子に腕の皮膚を削られながら、雪は手を伸ばし続ける。そうしながら、女官の霊が届けてくれた騎士団長の言葉の意味を理解する。
(間違いない)
 彼らが己に罪被せたことには事情がある。
 己が黙して死んでゆくことには意味がある。
 砂に雨が染み込むように、その実感は雪の心を尚更平らかにさせた。
 雪にとって、死は恐れるべきものではない。
 大気に満ちるカミや霊のようになるだけのこと。いのちの形を変えるだけのこと。
 ただ、意味もなく罪だけを被るのはやはり辛かった。
 けれど、決してそうではない。この死には意味がある。その確信を得ることが出来た。
 雪はここには居ない騎士団長に向け、笑みを向ける。
「嘆かないでくれ、ジーン」
 騎士団長の言葉を伝えるだけ伝え、女官の霊はその場に居るのが耐え切れぬといった風にかなしい顔で月光に姿を溶かした。
「私は、あなたたちのために死ねるならそれでいいんだ」
 何の虚飾もなく、素直な言葉を穏かに囁く。
「あなたや王が生きられるのなら、それでいい」
 伸ばした指先に、あたたかな手が触れた気がした。いつか、ジーンが触れてくれたように。王が触れてくれたように。
 雪の眼に、生を全うした者の笑みが浮かぶ。
 静かに眼を閉ざす。夜明けを待つ。


クリエイターコメント 大変お待たせいたしました。
 ここに至るまでのおはなし、お届けにあがりました。
 雪さまの雰囲気や元の世界のイメージが少しでも合っていますようにと願うばかりです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会い出来ますこと、楽しみにしております。
公開日時2012-02-29(水) 22:00

 

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