オープニング

 桜が咲き乱れるチェンバーで花見が行われていた頃のこと。
 華やかで艶やかで所によっては阿鼻叫喚、そんな宴を遠くに聞きながら、別のチェンバーでは静かに楽器が奏でられていたという。


 薄曇りの空を仰ぎながら進めば、景色はいつしか夜へと移ろっていく。
 三本目は枝垂桜であった。闇の中、しるべのように浮かび上がる桜の下で彼女はヴァイオリンを奏でていた。思い通りにならないことでもあるのだろうか、時折手を止めては爪を噛んでいる。
 来訪者に気付くと、彼女は慌てて顔を上げた。
「あ、ごめんなさい、気付かなくて。あたし、鈿(ウズメ)といいます。よろしく」
 短い赤毛を揺らしながら、そばかす顔の彼女はぴょこんと頭を下げた。姉二人と同じく、彼女の名もまた日本の神に由来している。
「このチェンバーはあたしたち姉妹が借りてるんです、練習場として。いつかは館長公邸で楽を披露したいと思ってるんですけど、なかなか」
 鈿は眉尻を下げて苦笑した。三姉妹で楽団でも結成しているらしい。
 桜を抱く夜は奇妙に仄明るい。艶かしく枝を垂れ、誰かを手招きするかのように咲く桜を見つめていると悪寒に似た陶酔すら覚える。
「花明かりって言うんですって。不思議でしょ? 桜が咲いていると、夜でもうっすら明るいんです」
 あどけない鈿はこの桜には不似合いだが、その落差が却って花の情景を引き立たせている。
「闇の中の桜ってちょっと怖いけど……ううん、怖いからかな。怖いから、綺麗ですよね。――でも、花はすぐ散っちゃうんですって」
 再度ヴァイオリンを構えた鈿は弓を手に取った。
「それまでにあたしたちの曲も出来上がると良いんですけど。……あの、お願いがあるんです。旅人の方、ですよね?」
 そして遠慮がちに来訪者を見つめ、
「何か物語を聞かせてくれませんか? あたしたちロストメモリーはこの街から出られないんです。これじゃ曲のモチーフもなくなっちゃいますもん」
 吟遊詩人の如く、旅人の冒険譚を元に曲を奏でてみたいのだと。
 そう告げて、瑞々しく笑った。

品目シナリオ 管理番号454
クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
クリエイターコメント実験的なシナリオのお誘いです。
【旅人のコンチェルト】は三部作の形態を取っておりますが、三本とも内容は同じです。
同一PCさんでの複数シナリオへのエントリーはおやめ下さい。

形式はシナリオですが、内容はプライベートノベルです。
NPCはシナリオの体裁を保つために出しただけなので本文ではほぼ登場しません。

ただ、シナリオの形式上、少し制限がつきます。
・ノベルの上限字数は五千字です。
・ノベルのラスト付近に、桜や楽器の描写が入るかも知れません。
・描写は参加PC様お一人のみです。

尚、花嵐・花曇り・花明かりに雰囲気以上の意味はありませんし、楽器の差異にも意図はありません。
プライベートノベルのつもりで参加してみてくださいね。


※プライベートノベルとは?
シナリオはWRが提示したOPを元にPLさんがプレイングを書きます。
プライベートノベルでは、PLさんが提示した物語をWRに書かせることができます。
プレイングはそのまま物語のプロットとなります。自由に考えてみてください。

※宮本の得手・不得手
得手…シリアス、静か、現代、和
不得手…ギャグ、コメディ、アクション、バトル、洋、専門知識や時代考証的なもの

参加者
脇坂 一人(cybt4588)コンダクター 男 29歳 JA職員

ノベル

 物語を請われたのは脇坂一人という青年であった。
 しかし彼の風情は女性を連想させるし、どういうわけか鉢植えの花を抱えている。紫色の花をつけたそれは壱番世界のスミレに似ていた。可憐だが、頭上の桜に比してあまりに小さく、華やかさに欠ける。
「旅人の冒険譚……ね。そうねえ、何がいいかしら」
 そっと苦笑いする脇坂の手の中、無言のスミレが所在なげに揺れている。ドングリフォームのセクタンが鉢の縁に腰掛け、不思議そうに首を傾げた。
「機械文明の黎明と落日、いにしえの城と囚われの美姫、宇宙空間の覇権をめぐる壮絶なコロニー戦争……」
 指を折って物語を挙げながら、
「そんな見栄えのするものではなくて、ね」
 つい、もう一度苦笑がこぼれた。
「誰かを探している誰かのお話。……そんな、平々凡々のお話よ」
 その瞬間、眼鏡の奥の瞳がわずかに伏せられたように鈿には見えた。
 しかし確かめる術はない。音もなく降る夜桜が、刹那、脇坂の表情を隠したから。


 つい二時間ほど前、ターミナルを散策していた時のことである。
『私は此処に居ます』
 不意にそんな声が聞こえて、脇坂ははっと息を呑んだ。
 ――そこは花屋の前であった。
 この界隈には様々な世界の様々な品を扱う店舗が軒を連ねている。この花屋もそんな店のひとつであるのだろう。それなのに、店先に置かれているのは平凡なスミレの鉢なのだ。
 引き寄せられるように鉢に近付く。声に気を引かれたからではないと思うことにした。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょう」
 レジカウンターの奥から初老の男が顔を出した。店主だろうか、壱番世界の人間と変わらない姿をしている。
「あ……その。ちょっと、お花が見たくて」
 刹那、言葉に詰まった。しかし、人の良さそうな店主はにこにこと目を細めるだけだ。
「そうですか、そうですか。どうぞお入りください」
「お邪魔します」
 促されるまま中に入り、脇坂は小さな違和感を覚えた。
 店内を埋めるのは姿も形も様々の花。一人の他に客の姿はないし、店員も店主ひとりであるようだ。それなのに。
 ――さわさわさわ、こそこそこそ。
 どういうわけか、密やかな囁き声が満ちている。
「声を出す花を取り扱ってるんですよ。あちらの棚……上から順に、会話ができる花、歌う花、手紙の役割をする花です」
 店主の紹介に合わせるように花たちが揺れ、囁く。吐息、あるいは鼓動のように明滅しながら。
「へえ……珍しい。この花、姿はみんな壱番世界の物に似ていますね」
「お客さん、壱番世界のご出身で?」
「ええ。貴方は?」
「ぼくはツーリストです。覚醒したのはだいぶ前ですが、未だに」
 店主はその後に言葉を続けなかった。目尻の皺を深め、そっと目を細める。昨年覚醒したばかりの脇坂は「そうなんですか」とだけ応じた。
 さわさわさわ、こそこそこそ。
 二人を見つめる花たちは何を囁いているのだろう。二人を見て、何を思っているのだろう。
「あの」
 やがて脇坂は意を決して口を開いた。
「先程、あちらで喋るスミレを見たのですが――」
 刹那、言葉に詰まった。
 訊いてどうする。あのスミレを買って自室に飾るとでも言うのか。
「ああ……すみませんねえ。あれはぼくの私物なんです」
「……そう、ですか」
 安堵とも落胆ともつかぬ感情が胸を占めた。
「あのスミレはちょっと特別で。お売りするわけにはいかないんですが、時々外に出してやってるんですよ」
 ターミナルの空は停まっている。風が吹くことも、雲が流れることもない。しかし、可憐な紫は店先であどけなく揺れ続けている。
『私は此処に居ます』
 スミレは揺れる。スミレは囁く。吐息、あるいは鼓動のように明滅しながら。
「これは手紙花でしてね」
 葉柄から花弁へと愛おしそうに指を滑らせながら店主は呟いた。
「この言葉を託した人が今どこでどうしているのか……探そうとしたこともありましたが、分からないままなんですよ。相手と別れたのはだいぶ前です。花の言葉を聞いていると辛くなることもありますが、どうしてもね、手放せなくて。……相手が生きているような……忘れずにいてくれているような心地になるもんだから」
 独りごちる店主の後ろで、脇坂はただ顎を引いた。ロストナンバーの年齢は覚醒した時点で止まる。初老のこの店主が覚醒したのはだいぶ前だという。ならば、彼の実年齢は。元の世界に残された家族や知己たちは……。
 スミレを撫でていた店主はようやく一人を振り返った。目尻を皺くちゃにして、柔らかく自嘲した。
「浅ましいと笑って下さい」
 くすくすくす、さわさわさわ。
 途端にあちらこちらから笑い声が上がった。花たちは揺れていた。花たちは笑っていた。店主が笑えと言ったから。
 店主は何も言わない。眉尻を下げたまま、かすかに唇の端を震わせているだけだ。脇坂はかぶりを振って溜息をこぼした。憂いにも、苛立ちにも似た吐息だった。
 トラベルギアとして携えている鉈を軽く鞘から引き出し、
「やめなさい」
 一瞬ののち、ばちんという乱暴な音が花たちのさざめきを止めた。
 ……さわさわさわ、こそこそこそ。
 怖じた花たちが囁き合う。わざと音を立てて刀身を鞘に収めた脇坂のしぐさは花たちを脅したようにも見えた。
 店主は穏やかに苦笑した。
「花たちも悪気はありませんから。優しい方ですね」
「……いいえ。個人的な感情からです」
 ごめんなさいと付け加えて、脇坂はわずかに視線を伏せる。
 他人事には思えなかった。店主の姿に自分の境遇が重なった。ただ、それだけだ。
 店主は何かを見透かしたように目を細めた。
「失礼ですが、お客さんにも探し人が?」
 脇坂は答えなかった。だが、その沈黙が何より雄弁ないらえとなる。
 店主は「ちょっとお待ちくださいね」と言い置いて店の奥へと入って行った。
「よろしければ、おひとついかがですか。これも手紙花です」
 やがて店主が持って来たのは目の前のスミレと同じ花だった。
「いえ、私は。持ち合わせもありませんし」
「差し上げます。記念と……お礼の気持ちです」
 さっきは嬉しかったのだと店主が続けるから、また言葉に詰まりそうになる。だが、脇坂はしっかりと首を横に振った。
「貰えません。……多分……私は、諦めなければ相手に会えますから」
 言った後で、口の中に苦い味が広がった。貴方とは違うのだ、自分は貴方より幸せなのだと、意図せずに告げてしまった気がした。
 しかし、店主は温和に微笑んでスミレの鉢を差し出した。
「それでも、届けたい思いがあるでしょう?」
 くっと胸を締め付けられて、返す言葉を見失う。
 その隙に、小さな花がそっと腕の中に収まっていた。


「――それで、結局貰って来ちゃったんだけど」
 枝垂桜の下でスミレの鉢を抱え、脇坂は緩く微苦笑する。
「ずっと迷ってるの。どんな言葉をかけたものやらと思ってね……」
 思案しながら、時間だけが流れた。まっすぐ帰る気にもなれず、考え込みながら歩くうちに偶然このチェンバーへと辿り着いたのだった。
「可愛らしい花ですね」
 スミレを覗き込んだ鈿はことりと首を傾げた。
「壱番世界の人に聞いたことがあります。スミレって、星なんですよね?」
「星? ああ……そういえば、そんな詩があったような」
 半ば人目をはばかるように、苔むす岩根に生え出たスミレ。ひとり佇むその姿は星の如く美しいと先人は詠った。
 鉢のスミレは何も言わない。桜と宵闇の艶やかな競演の下、小さく、楚々と背筋を伸ばしているだけだ。
(……スミレだなんて……ね)
 ――十年前の、あの日。
 引っ越すことになったと言い、少女は唐突に脇坂少年の前を去った。やがて少年は青年になった。少女は今も少女のままだ。ロストナンバーの時間は覚醒した時点で止まるから。
 スミレは色によって様々な花言葉を持つ。多くは真実の愛、純潔、貞節などと言われている。しかし、彼女への感情は恋愛と呼ぶには生々しさが足りない。
 ただ、ただ、心配で。会いたいのだ、親友に。
「星とスミレ。面白いたとえですよね。小さいけど綺麗ってところが同じ、かな」
 無邪気に笑う鈿に、脇坂は困ったように笑み返した。無邪気さは時に残酷さと同義だ。
 星は美しい。しかし、あまりに遠い。決して手が届かぬのではないかと思ってしまうほどに。
「ん。思いついた」
 脇坂の心情をよそに、鈿は生き生きとヴァイオリンを構えた。
「タイトルは……星とスミレの……えっと、思いつかないや。とにかく、聴いて下さい」
 流れるように、旋律が溢れ出す。最初は弱く。同じモチーフを追い掛けるように繰り返しながら、徐々に強く。
 宵闇に浮かぶ桜はしるべのようだ。興を添えるように花が舞う。艶かしく枝が揺れる。桜越しの夜空には星たちが滲んでいる。えも言われぬ風景を眼鏡だけに映し、脇坂は腕の中を見つめていた。抱いているのは、小さく儚い地上の星。
「いっそ星なら良かったのにね……」
 つい、泣きごとがこぼれた。痛切な真情はヴァイオリンの音が掻き消してくれたけれど。
 星は遠い。遠いが、逃げ回ることはない。脇坂の探し人と違って。
(……だったら)
 思考の泥沼にはまりそうになって、そっと、深く息を吸った。
(私のほうが星になればいいのよ)
 遠いからこそ星は輝く。
 此処に居るよと。どんなに遠くても、全身全霊でそう叫び続けるために。
「ねえ、鈿さん。アンダンテなんてどうかしら」
「え?」
「曲のタイトル。星とスミレのアンダンテ」
「いいですね」
 鈿はぱっと笑い、脇坂は穏やかな笑みを返した。
 アンダンテ――人が最も長く動き続けられる速さで曲は続いて行く。不思議な感覚だ。ヴァイオリンの音が響いているのに、花明かりの夜はこんなにも静かだ。
「……ごめんね。ありがとうね、ポッケちゃん」
 気遣わしげにすり寄ってくるセクタンを撫で、小さく笑う。
「もう、ちゃんと決めたから」
 セクタンを肩の上に座らせ、少女のように小さなスミレにそっと唇を寄せる。
 花は何も言わない。何も語らない。かすかに揺れながら脇坂を見上げている。
「――大丈夫。心配しないで」
 ごくごく小さな囁きだったから、他の者の耳には届かなかっただろう。
 思いを託された花だけが、星のまたたきのように、少女の瞳のように明滅した。


 スミレの花言葉は他にもいくつかあるという。
 例えば、“私のことを考えてください”。
 脇坂がそれを知っていたかどうか、定かではない。


<星の花・了>

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。
内容に合わせた副題を末尾に付しました。一緒にお納めください。

お花、脇坂さんのお名前に合わせてヒトリシズカが良いかなとも思いましたが。
星の比喩が欲しかったのと、「お花≒探し人さん」の構図のほうが相応しいと判断したのでスミレを選びました。
西洋の神話において、スミレは乙女や乙女の瞳の象徴として登場するそうなのでその辺りも意識しました。
しかし「乙女」と表記してしまうと探し人さんのイメージから乖離してしまうので、本文では触れませんでした。

ご参加ありがとうございました。
星と花の距離が縮まりますように。
公開日時2010-04-30(金) 23:40

 

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