公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
告解室と呼ばれるこの部屋は、人が立ち入ってよい時とそうでない時がはっきりと分かれている。ごく稀に、外の路上につながる最初の扉の鍵が開かれ自由に出入りをしてよい時もあるにはあったが、それはほんとうに珍しいこと。 入ってよい時とそうでない時を見分ける為には、最初の扉にかけられたドアプレートを注意深く読めばいい。人と秘密を招き入れることが出来る状態であれば、いつものように『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密』との言葉が書かれているはずだ。そうでない時、つまりすでに誰かがあの部屋に入って何事かを語っている間は、ドアプレートの文字はいつの間にか消えている。何故そのようになっているかは誰も知らない。これもきっと、格子窓の向こうにいる誰かの言葉を借りるなら、ここはそういうところ、だからそうなっている……それだけなのだろう。 由良久秀が初めて訪れたのは、ほんとうに珍しくこの部屋が開け放たれていた時のことだった。戦火の落ち着いた折、そこに秘密として運び込まれ匿われたモノや人々が溢れかえっていた日である。尤も、久秀が訪れたのはおおかたそこが片付いた後のことだったが。それでも、その日集まった人々が残していった喧騒や、元あった場所に運ばれていった様々なモノたちの気配。それが久秀にとっての第一印象であった。 だから、気づかなかったのだろう。目の前をよく通るこの、静けさを纏ったような建物が、その部屋だったということに。 「いつ通っても、何も書かれてなかったんでな」 「それは……なんだ、間の悪い。まあ、ようこそ。君を歓迎するよ」 初めて入った時の広さを思い出し、久秀は居心地悪そうにそっと、ベルベットのソファへ浅く腰掛ける。久秀自身、特に吐き出したい秘密は無い。そう、無いのだ。 「……俺が此処に来る前日だったか、厄介な荷物を預けに来た男を知っているか」 格子窓の向こうに居る者は、誰とも知れない。あの日やその前の日に居たとも限らないし、居たとしても答えてはくれないだろう。 「嗚呼……あの二日間は特例だった。この部屋を旅立っていった秘密たちは最早ここで守る必要はないだろう……ごく一部を除けば、だがね」 「そのごく一部を抱えた奴が知り合いに居ると苦労する」 はぐらかされたような答えに軽い溜息で応じる。 「知り合い……そうだな、知り合いだ」 「友人ではなく、かな」 久秀がここに預けたいと思う秘密は無い。だがこの部屋は久秀を受け入れた。そこに意味はあるのかもしれないし、無いのかもしれない。代わりにというわけではないが、ただ何となく、この部屋に来て思うこと、連想することといえばその知り合い……知り合いに言わせれば共犯者(久秀自身がそうは思っていなくても)の姿が浮かんだから、尋ねてみただけ。 「理解に苦しむ奴を友人とは呼ばない」 苦い顔で紙巻煙草に火をつける。サイドテーブルにいつもは無いはずの灰皿が置かれていたのは偶然だろうか。 「だけど気がつけば行動を共にしている。違うかい」 「……っ」 久秀が吸い込んだ煙に軽く噎せる。違うと言い切れたら楽だろう問いかけのせい……とは認めたくないらしく、答えの言葉の代わりに吸いさしの煙草を灰皿の縁に置いて、深く息を吐いた。 「最後までは聞かないほうがいい質問だったかな。代わりに何か、口直しの話でもしていくかね」 「……その方がいいだろうな」 無い袖は振れない、そういうわけではないが。 「あんた、小説は好きか」 ◆ 生憎、俺がここに渡せるような秘密は無い。さっきの知り合いの話も、どちらかといえばあんたが秘密としてもう抱えてる事だろうしな。……代わりに、こんな話をしよう。俺が居た世界で書かれた、短い小説の話だ。 理由は知らんが人を殺し、死体をバラバラに刻んで、完璧に隠蔽した男が居た。あとはその男が墓場まで秘密を持って行けば完全犯罪の出来上がりだと思うだろう。だが男にはそれが出来なかった。 小説の中では、被害者が殺された事は誰もが知っている事件だったが、それがいつどのように行われ、死体はどう処理されたのか、そもそも何故殺されなければならなかったのか、何もかもが謎……いや、男の脳みそひとつに納まっていた。それに耐え切れなかった男は群衆の真ん中で万人に罪をさらけ出してしまう、それだけの短い筋書きだ。 「ふむ。……読んでみたいね、タイトルを教えてくれるかい」 タイトル……ああ、何だったか。 そも、俺の世界にあった本なんだ、ここで探せるわけがない。 話を戻そう。 あんたなら分かるだろう。男が何故秘密を守れなかったかを。 「その為にこの部屋があると言っても過言ではないからね、宗教施設でもない、赦しを与えるわけでもないただのこの小さな部屋が」 そうだ、男も罪の意識からそうしたんじゃあない。 ただ話したくて堪らなくなった……完璧に、男意外の誰も知り得ないよう隠蔽してしまった、誰にも知られてはいけない秘密を抱えてしまったからこそ、その誘惑は大きかった。 その小説が俺には忘れられない。 仮に俺が秘密を抱えるような事になったら、決して頭の中には置いておかない……そういう教訓をくれた小説だ。言葉にしてしまうかもしれないと怯えるよりも、誰かに……例えばあんたやあいつのような奴に秘密を預けるより、既にモノとして在る何かを隠し続ける方が大分マシだ。何せもう在るんだからな。 それも無意味になる日が来るような気がしないでもない……。 ……いや、忘れてくれ。 ◆ 吐き出した紫煙に躊躇いの色は無かった。ただうっすらと濁って、晴れぬ霧のように久秀の視線の行き先をぼやけさせる。 「全く理解に苦しむ奴だ、一時とはいえこんなところに秘密を預けていくとはな」 「君もね。…………いや失礼、件のご友人ならそのように返すだろうかと思ったまでだ」 新しい紙巻煙草をくわえ、火はつけるまえに久秀は席を立つ。 「仮に友人と呼ぶなら、頭に"碌でもない"とでもつけなければやってられん」 「はは。仲良くね」 薄ら白い煙で真実という名の秘密の匂いを隠し、由良久秀は告解室を後にした。 あの小説に、タイトルは在ったのだろうか。
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