公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「約束通り、来たよ」 ムジカ・アンジェロは名乗らなかった。 この一言さえ告げれば、格子窓の向こうにいる彼の人物はきっと全てを悟ってくれる。そんな信頼があった。それは決して甘えや勝手な期待からではなく、ムジカもまた、この部屋が『そういうところ』だと知っているが故なのだろう。 「ああ、君か。待っていたよ」 告解を受ける者の返答は短いが、ムジカに必要な言葉はそこに全て詰まっている。 「物語の続きを、聞かせてくれるのかね」 まるで彼のようだなと、ムジカは少しだけ笑った。 ◆ 物語。 ……そうだな、やっと物語に出来るようになった。 だがその前に、おれの自白を聴いてはくれないか。 あんたには、いや、ここには全てを置いていかなくてはならないんだ。 「それが君の、護るべき秘密であるならば」 変わらないな。こう言うのも不思議な気分だが、嬉しいよ。 あんたもきっと、外の騒動を知っているだろう? おれがエドガーにした事の全てが、今は明るみに出ている。おれの手引きを受けたエドガーが今どこで何をしているかについてはこの際だ、端折っておくよ。あらためて言葉にするのは骨が折れるし、気も滅入る。 ……あんたは以前おれに言ったな。この街の常識に則って進言するなら、世界図書館に連絡をすべきじゃないのかと。あの問いかけに、おれは本当はこう答えたかったんだ。 この街の常識とは一体何だ? この街に法と呼べるものがあると思うか? この世界に縛られ動けない二つの家族は、罪と罰の境目を作らなかった。その歪みにただ一人落とされたのがエドガーだったんだ。この街は彼を忘れようとしていた、いや、殆ど忘れていただろう。それがホワイトタワーの崩壊と共に、本当に忘れられ見捨てられてしまった。彼だけが、だ。 エドガーの殺人を、この街の誰が罪として糾弾出来る? ここはそういう街だ。罪を犯し、己のためだけに生きようとする者はいくらでも居る。なのに何故、彼だけが? ……力のある者、声の大きい者の存在が無自覚に法のように振る舞うこの街は、おれにはひどく恐ろしいところに感じられるんだ。 ◆ はじまりの咎人は、はじまりであるという理由だけで咎人の烙印を押されたにすぎない。彼の行いはターミナルの罪としてではなく、ムジカが言うところの縛られた二つの家族……皮肉な言葉をあえて選ぶのなら彼ら彼女らの恥として、ホワイトタワー、白の城にひっそりと捨て置かれたのだろう。 「そんなところから彼を自由にしたかった、ただそれだけだ」 ただ、機会を与えたかった。 はじまりの咎人、その不名誉な仮面を割って。 彼の抱える全ての秘密を、偽りの死で守れると信じていた。 「利用するような真似をして、済まなかった」 此処なら、と。強く思った。 「此処なら彼を護ってくれると思った」 「それが仕事だ。二度もそう褒められると、いささか照れるね」 「……はは」 細く眇めたムジカの瞳に、光は差さない。 「その結果が、これか」 ◆ 後悔はしていない。 ホワイトタワーから連れ出した後の事には干渉しないと決めていたし、彼が持つこの街への悪意も、おれは興味が無いんだ。ただ、ただ、誰もが見えているのに見ようとしない歪みに落とされた彼を、彼の望む舞台に立たせてやりたかっただけで。 秘密は、秘密であるべきなんだ。 謎とは違う。 隠されているけれど暴けるのなら暴いていい、咎人だから暴かれても構わない……そう思い実際に行動する者のどれだけ多いことか。この街では力が無ければ秘密ひとつ護れない。それはファミリーですらそうなんだ、エドガーを咎人としてホワイトタワーに捨て置いたファミリーですら。こんな矛盾がまかり通る、そして誰も気づかない、ここはそういう街だ。 「……その言葉をここで聞けるのは、光栄なのだろうね」 そうだな、最大の褒め言葉かもしれない。 あんたはきっとこう言うんだろう、この部屋はそういうところだからだと。 ……いつか、詮索好きだと言ったのを撤回するよ。 今ならおれにもわかると言える、この部屋が何故この街に在るのかを。 「だから、ここへ来たのだろう?」 ◆ 「だから、ここへ来たのだろう? 咎人としてではなく、犯人として」 「ああ」 自白の意味は、罪も罰も曖昧なこの街では決して見つけられない。 ただ、この部屋を除いて。 「色々と世話になった。ありがとう」 敬意を込めて帽子を取り、ムジカは格子窓に向かって深く、深く頭を下げた。 「その礼は聞かなかったことにしても構わないかな」 「どういうことだ?」 帽子を被り直すムジカの目線が格子窓の向こうを静かに見通す。誰も居ないように見えるそこから、誰かと目が合ったような気がした。 「君がこの部屋を必要としなくなるまで、わたしは秘密を守り続けるからだよ」 「……そうか」 そう、ここは、そういうところなのだ。 秘密の漏れ出る香りは何人たりとも防ぐことは出来ない、だが、秘密は秘密のままに護ることは出来る。 この街がどんなに歪んでいようとも。
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