ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
遠くで風が静かな音色をたてている。キリル・ディクローズは小さな丘の上に目を向けていた。そこにはのんびりと廻る風車がある。風を編むように廻るそれに合わせ、風がしゃらしゃらと心地良い音を響かせているのだ。 くるぶしほどにまで伸びた草が風をうけて踊る。くすぐったさに目を細め、キリルはゆっくりと足を動かした。 周囲に広がっているのは見たこともない小さな村だ。木の柵のようなもので外界との仕切りを作り、悠々と広がる蒼穹の下、どこまでも続く草原の上に数軒の家が点在している。 キリルは、気がつくと村を眼下に眺めることのできる丘の上に立っていた。村はやはり広い草原の中にあり、いくぶんか離れた場所に大きな町があるのも見えた。 キリルは、ふと視線を風車に戻してみた。その下に子どもがひとり座っているのを見つけ、首をかしげた。子どもは膝の上にのせた画用紙の上にクレヨンのようなものを走らせ、幸福そうな笑みを頬に浮かべている。 画用紙の上にはあたたかな色合いの絵が次々と生みだされている。 ――あの子どもはきっと絵本を描いている。なぜかそう確信できて、キリルは草を蹴り走り出した。もっとあの子のそばで、あの子が描くものを見たい。 キリルの弾むような足取りに合わせ、風がしゃらしゃらと小さな音をたてて、 けれど次の瞬間、それは得体の知れない大きな怪物の咆哮のような怒号へと変じた。 蒼穹は、今は広がる黒雲に閉ざされている。鼻先をかすめるのは何かが焦げつく異臭。丘の下に広がる村から放たれた熱風が狂気の徒となって吹き荒れている。 誰かの悲鳴、たくさんの足音、逃げ惑い泣き叫ぶ声。そして、眼下に広がる一面の焦土。 広い草原はもう残されていない。世界は燃え盛る炎の中に飲み込まれ消えていた。 子どもが悲鳴をあげる。その声に振り向くと、子どもは画用紙を胸に抱えたまま泣き叫んでいるのが見えた。子どもは、よく見ればキリルよりもまだ幼い、稚さの残る少年だった。 空気を震わせ響いていた人々の悲鳴はすぐに途切れて消えていった。それが意味するものを、おそらくは少年も理解できたのだろう。大地に膝をつき絶望を浮かべた表情で丘の下の光景を眺めていた。 ――声を、声をかけてあげなければ。 考えながらふらつく足を動かし、キリルは少年の傍に、数歩ばかり歩み寄る。 「 声をかけようとした刹那、キリルは丘の上に向かってくる数知れぬ人間たちの足音を聞きとめた。ほどなくして姿を見せたのは、見た事もない軍服に身を包んだ厳つい風貌の男たちだった。 軍服を着た男がひとり、キリルの横をすり抜け、少年に向かって真っ直ぐに歩み寄って行く。まるでキリルの姿など見えていないかのようだ。――少年が危ない。咄嗟にそう考え、少年を守ろうとして走り出す。けれどもまるで雲の上を走っているかのように、足はもつれてうまく走ることができない。何度もまろびながら、キリルはそれでも両手を大きく伸ばし、叫んだ。叫びは声を成すことはなく、ただ空気ばかりが口から漏れ出る。幾度目か転げた後、キリルはもう立ち上がることさえ出来なくなっていた。 怖い 何が怖いのかは分からない。ただ、軍人が怖いわけではないような気がする。 震える両手で顔を覆い、視界を塞ごうとして指を這わせる。けれど、――けれども、なぜか、視界は何に塞がれることもない。まるで見届けることが定められたものであるかのように。 軍服の男が少年の腕を掴む。少年が、あるいはキリルが、小さな悲鳴をあげる。見てはいけない。見ないほうがいい。 少年は軍人に腕を掴まれた次の瞬間、悲鳴ではなく、地を揺るがすような咆哮をあげていた。クレヨンを握っていたか細い腕は、恐ろしい獣のそれへと変わった。爪は鋭利な刃物のようになり、幸福そうな笑みを浮かべていた口許には切先のような牙が伸びていた。全身からは黒い獣毛が生えていた。少年は……否、今やただの怪物となったそれは再度咆哮を――あるいは悲鳴を叫ぶ。軍人たちが銃身を構えたのが目の端に見えた。 恐ろしさに目を伏せ、両手で顔を覆ってうずくまっていたキリルは、ほどなく、静まり返った世界に恐怖を覚えながら、ゆっくりと顔を持ち上げる。 炎が世界を焼く音も、風の怒号も、少年の泣き叫ぶ声も、軍人たちの足音も、あの恐ろしい獣の咆哮も、すべてが嘘のように静まり返っている。 顔を覆っていた両手をおろし、ゆっくりと立ち上がって周囲を検め、――キリルは空気を引き裂くような悲鳴をあげた。 軍人はひとりも残らずに消えていた。硝煙の匂い、それを打ち消すように濃密な血の臭い。抉り取った土の匂い、散らばる血の海と臓物。それが軍人たちの成れの果てなのだと把握するまで、時間は多く要さなかった。 その惨劇の名残の中、獣がぽつりと立っている。全身を覆う黒い獣毛は血に塗れていた。それが真っ直ぐにキリルを見つめている。茶色い双眸がキリルの顔を見つめている。その目に浮かんでいるのは、吸い込まれそうになるほどの孤独と絶望だった。 恐ろしい、恐ろしい。――何が? 分からない。 吸い込まれるように怪物の双眸を見つめ返していたキリルは、やがて、自分の全身を包む変化に気付いて息を飲んだ。 両手に伸びる鋭利な爪、口許に伸びる牙。それらに気付いた頃には、身につけていた衣服が窮屈なサイズのものへと変じ、最後には破けて散ってしまった。自分の身体が大きくなっているのだと気付くまで、さほど時間は要さなかった。 風がしゃらしゃらと唄う音が聴こえ、次いで、 大丈夫ですか? そんな声が耳に触れたような気がして、キリルは思わず跳ね起きた。 手に触れるのは肌触りの良い敷布だ。周囲は薄い布で囲まれ、石を合わせて作ったものが吊るされているのが見える。決して広くはないが、狭さも感じられない、居心地の良い空間の中でキリルは眠りについていたようだ。 「大丈夫ですか?」 声の主は穏やかな面立ちの女だった。心配そうにキリルの顔を覗きこみ、汗をふくための布を差し伸べながら首をかしげる。 弾む息を整えながらどうにか首を横に振り、なんとか笑みを作ってみせようとしたが、口許はまるで固定されているかのように動かない。かろうじて「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と小さく応えることはできた。額から汗が流れて、顔を伝い落ちる。 恐ろしい。そう感じたものが何であったのか、目覚めた今は明らかなものとして把握できている。 ――恐ろしかったのだ、自分が、あの少年と同じように、怪物に、なっていく気がして。 あの少年のことも知っているような気がする。けれど、誰なのかが思い出せない。 ……違う、そうじゃない。 思い出してはいけないような、そんな気がするのだ。 女が心配そうにキリルの顔を覗きこむ。周囲を囲う薄布が風をうけてさらさらと揺れ、それに合わせて石を合わせて作ったものがしゃらしゃらと唄う。 キリルはわずかに笑って視線を移ろわせ女の顔を見つめ返して口を開いた。 「だいじょうぶ、だいじょうぶです。……だいじょうぶ、だよ」 それは女に向けて述べたものであるのか、それとも自分自身に向けてかけた言葉であったのか。 女はつかの間目を細めキリルの顔を見据えていたが、ほどなくしてやわらかな笑みを浮かべてうなずいた。 「そうですか。……それなら良かった」
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