「季節的に鬼退治されてみるのはどうだろう」 相変わらず前振りなど一切なく唐突に現われたのは、わすれもの屋の店主。世界司書はまた非協力的罰ゲーム中なのだろうかと生温い同情を浮かべながら、いい加減に慣れ出したらしい一人がひょっとして季節イベント? と問いかけた。「時期的に今度は節分として、どうして退治される側なんだ」「いつも退治する側では、一方的で楽しくないだろう」 たまには退治されるのも一興と深く頷く店主に、とりあえずルール説明はと誰かが水を向けた。「君たちには鬼になってもらい、福兎を連れて宝船を目指してもらう」「……ごめん、話の腰を折って悪いけど、節分以外に色々混じったよな!?」 暇だったのかと誰かの力一杯の突っ込みに、店主は現在進行形で暇だが? とにこやかに笑った。思わず全員で続ける言葉を失していると、気にした様子もない店主は勝手に話を進める。「勿論、途中には様々な罠が仕掛けてある。それを掻い潜って宝船に辿り着けば、鬼の勝ちだ」 場所は聖夜前にも使ったチェンバーの森でと、簡易な地図を出して示される。「ツリーとなった樅木がある場所から、それぞれ福兎を最低一羽は連れて森を抜け、前に広がる川に浮かべた宝船を目指してもらう」「福兎って言うのは、具体的に?」「サイズとしては小さい物だ」 見本にと掌の上に取り出されるのは、雪兎然とした布でできた小さい物だった。「中には石が入っていて、お守りみたいな物だ。守り通してくれた福兎は、そのまま進呈しよう」 少しは石の効果があるはずだと笑う店主に、聞いていた内の一人が手を上げた。「因みに妨害って、どのくらいのレベル?」「それはルートによりけり、だな。ひたすら人工的な障害物が待っている場合もあれば、鬼の振りをして近寄ってきて掏っていく場合もある。中には心情に訴えかけてきて、福兎を置いて行かせたりもするだろう」「ちょっと待て! 何だ、その人間不信に陥りそうな罠は!!」 もうちょっと素直な障害物走にならなかったのかと上がる批難に、店主はぽんと手を打った。「勿論、基本的に豆を投げつけられる場合もあるぞ」「問題はそこじゃない!!」「まぁ、それらをどう潜り抜けるかは君たち次第だ。一年の運試しとでも思ってくれ」 いっそ気軽にそう告げた店主は、複雑な顔をしている面々にくすりと笑い、「それでは、気が向いた方の参加をお待ちしている」 少しばかり丁寧に頭を下げた店主は、特別な福兎も用意しておくから興味がある方は是非来てくれと笑顔で手を上げると楽しそうな足取りで離れて行った。
臣雀に託された福兎は、薄いオレンジのふっくらしたそれだった。見るなり、ちっちゃくてかーわいいー! と歓声を上げて頬擦りするほどだった福兎は、雀の中で絶対的な庇護対象になったらしい。 「宝船まで、あたしが絶対に連れてってあげるからねっ」 一番乗り目指して頑張るぞー! と福兎を片手に拳を突き上げて宣言した通り、森を真っ直ぐに突っ切るルートを邁進している。 「矢でも鉄砲でも持ってどーんとこい、風の呪符を使って吹っ飛ばしちゃうからね」 福兎を大事に掌に乗せたまま突っ走り、足元に張られたロープは軽々と飛び越え、落とし穴らしきあからさまな落ち葉の固まりも助走をつけて飛び越してしまう。ご機嫌に順調に走っていると、少し前方からせーの! と掛け声がかかった。 何となく嫌な予感がして、掌に乗せていた福兎を腹巻の中に片付ける。ほぼ同時に横合いから網を投げかけられたのを見つけて少し前方に突き出している枝に捕まり、くるりと一回転するとその勢いでより前方へと着地する。 マイクロミニのチャイナ服からぴらりと覗くのは、虎柄の毛糸のパンツ。どうやら腹巻と合わせた鬼コーディネイトらしい。 「ちょっとびっくりしたけど、まだまだだねー!」 そんな事では捕まえられないよと可愛らしく指を揺らした雀は、しょんぼりと網を回収している何人かにじゃあねと手を振ってまた走り出す。 「この調子だと、呪符を使うまでもなく一番乗りできるかもっ」 順調だねと福兎を取り出して笑いかけると、前方に蹲っている人影を見つけた。何となく足を緩めて観察すると、どうやらしくしくと泣いているらしい。側まで行って足を止め、どうしたの? と声をかけると長い兎耳がぴこんと揺れた。 「よくぞ聞いてくださいましたー。実は先ほど猟師が森へとやってきてー、事もあろうに私の子を狩って行ってしまったのですー」 ああ悲しいひどすぎると両手で顔を覆って嘆く兎の声はどこか野太く、口調も棒読み極まりなかったが、雀は話を聞いただけで酷いとじわりと涙を滲ませた。 「分かった、あたしがその猟師さんから取り返してきてあげるよっ」 「い、いえいえいえー、子供はほらあのあれー、もう食べられちゃったのでー」 「そんな、酷いよ! 何も悪いことしてないのに可哀想、猟師さんのばかああああ」 貰い泣きというより本格的に号泣して嘆く雀に、やり難いとの小さなぼやきは聞こえてないらしい。とりあえず気を取り直したらしい兎は、それでーと雀の手をつついた。 「あなたが手にお持ちの福兎ー、食べられた我が子にそっくりでー。よければ一つ私にくださいなー」 黍団子かよと後ろからぼそりと突っ込みが入ったが、うっせぇ馬鹿と吐き捨てた兎はくださいなと繰り返して雀に手を突き出している。 雀は泣くのも忘れて後退り、必死に言葉を探す。 「うう、気持ちはわかるけど駄目だよ渡せないよ、宝船まで届けるって約束したんだもん! ごめんね!」 本当にごめんと謝りながら踵を返した雀に、顔を覆って泣いていた兎がちっと舌打ちした。 「しょうがねぇ、こうなったら力尽くで奪い取れ!」 「てか、最初からそうやっとけばよかったんじゃね?」 「うるせぇ、いいから追え」 かかれと後ろから聞こえてくる声にちらりと振り返ると、何やら柄の悪い兎耳の団体様が大量に追いかけてくる。 「おいてけ~」 「おいてけ~」 あまり熱の篭らない声は妙に寒々しく、怖いと頬を引き攣らせた雀は福兎を腹巻に収めると追ってくる兎耳から逃れるべく一旦木の影に潜み、そのままするすると登った。しばらくここで遣り過ごそうと息を吐いた雀は、少し遠い視線の先に白っぽい塊を見つけて目を細めた。 (犬かな、……でも羽があるようにも見える?) ひょっとして鬼友かもと思い当たり、兎耳が迫っていると忠告すべきかと立ち上がりかけたが、その前に綺麗な四色の羽を使って鬼友らしき存在は通り過ぎて行った。速いなぁと感心して音が出ないように拍手していると、雀を見失った兎耳たちが話している声が聞こえてきた。 ばれないようにと息を潜めていると、短く会話した兎耳たちは三々五々と散っていく。雀が潜む木の下に残ったのは二人で──よく見ればそれは兎の着ぐるみを着た野郎の二人連れだった──、 「お前がぽーっとしてるから見過ごすんだよ、この馬鹿!」 「俺のせいじゃないだろ、大体あんな作り話で奪おうってほうが間違ってんだよ、何だよ猟師に食われた子供ってさ!」 「しょうがねえだろ、他に言いようがなかったんだだからよ! 文句があるならお前がやれ!」 唸るように怒鳴り合った二人はしばらく睨み合っていたが、言っててもしょうがねえかと溜め息をついてそこから立ち去った。 「……んー……、つまりさっきのあれは嘘だったってこと?」 木の上で首を傾げた雀は、何だそっかと笑顔になった。 「食べられた子供兎はいないんだね。ならよかった!」 じゃあ心置きなく宝船に向かおう! と木の上から軽く飛び降りた。 シーアールシーゼロは託されたレモンイエローの福兎を何羽も連れて森に入ると、顎先に指を当てて考え込んだ。この依頼を受けるに当たって調べたところ、節分というのは鬼を退治するという儀式らしい。それでは鬼の役を仰せつかったゼロとして、やるべきは一つ。 「勝利のために有効な行動を取りつつきちんと敗北する方法を思考するのです。可能な限り勝利に近づいた後敗北することで、節分の儀式をドラマチックに完遂するのです!」 福兎を宝船に届けるという役目は、他の鬼に任せる。とにかく一人でも鬼が退治されればこの儀式も成り立つはずで、ならばゼロは見事それを成し遂げるのみだ。 頑張るのですと密かに盛り上がっているらしいゼロは、前方からふらふらと歩いてくる人影を見つけて首を傾げた。 見た目で人を判断するのはよくない。様々な世界があるのだ、様々な人種がいて不思議はない。中にはいい年をしたおっさんが、可愛すぎる兎の着ぐるみを着ていてもおかしくないところだってあるのかもしれない。 それに生来の物ではなかったとしても、ひょっとしたら趣味なのかもしれないし性癖なのかもしれないし風習なのかもしれない。人それぞれ事情はあるものだ、あんまりまじまじ見ては失礼だろう。 そう思ってそっと視線を外すと、着ぐるみがぐわあと頭を抱えて蹲った。 「頼むからやめて、見てはいけない物を見たようにそっと視線を外すのはやめてくれ! 違うんだ、これには深いわけがあるんだっ。これを着て森を練り歩くか、福兎を持って来ないとお前の弱味をばら撒くぞって恐ろしい店主に脅されてるだけなんだーっ」 「そうでしたか。よかったのです、病気ではないのですね」 「やめてっ、病気って何の病気、俺はどんな病人と思われてんの!? 違うからねっ、福兎さえあったらこんな格好はしないですんでるんだ、そう、福兎さえあったら!」 可哀想な俺を救おうここは人助けと思ってと両手を突き出され、ゼロは大事にしまっていた福兎を取り出した。そうそれそれと目を輝かせる着ぐるみに、どうぞと差し出すとよっしゃ一羽ゲットー! と飛び上がって喜ばれる。 いい事をしたのですとこちらも嬉しい気分になって先に進んでいると、さっきとは別の兎の着ぐるみが前から歩いてきた。また福兎を望まれるのだろうかと眺めていると、わざとらしく目を逸らして鼻歌など歌いながら近寄ってきた着ぐるみはゼロの身体に軽くぶつかった。 「おっと、ごめんよー」 「いいえ、お気になさらずです」 答えながら振り返ると着ぐるみの手にゼロが持っていた福兎が握られているが、気づかなかった事にしようと決めて歩を進める。 着実に負けを演出しているのですと内心でガッツポーズを作りつつ、澄ました顔で歩くのも演出の内だ。福兎が少しずつ減ったくらいで大騒ぎするのは、鬼の美学に反する。でも少しスピードアップは図ったほうがいいかもしれないと思うのは、ゼロの足にこの森は些か広く、且つ罠がなくとも歩きやすくなかったから。 森を越えるほどではなく、ゴールが早くなりすぎない程度に調整して巨大化する。トラベルギアの制限のおかげで巨大化しても森を傷つける心配がない分、少しは速く進めるというものだろう。 「後は目一杯、罠に引っかかって行くのです」 自分が引っかかれば後に続く鬼仲間は回避できるし、妨害する側としても誰かが引っかからないとつまらないだろう。これぞ鬼の美学と、ちょっぴし違う方向に理解してしまったゼロが目線で罠を探しつつ歩いていると、みゅっ、みゅっと短い鳴き声が聞こえた気がして顔を巡らせた。 少し遠くの木の枝に見つけたのは、鞄が引っかかってそのまま持ち上げられたらしく、必死にもがいている誰かの姿。 「大変なのです。今助けるのです!」 慌てて駆け寄り、地面につかない足をじたばたと動かしている多分鬼仲間──鬼の角がついたカチューシャをしているから、確かだろう──をそっと木から下ろした。ゼロが手を離すとしゅるりとした猫の尻尾を揺らし、もふもふの可愛らしい獣人は丸っこい目を何度か瞬かせた。 「ありがとう、ありがとう。ぼく、引っかかってた」 助けてくれた、嬉しいと見上げてくる相手に、どう致しましてなのですと笑顔になる。 「ゼロは鬼なので退治されねばならないのです、でも他の鬼が勝利するのはめでたいのです」 「今日のぼく、ぼく、鬼? みゅ……、鬼、退治……退治されるの、やだ」 心なし耳を伏しがちにしてしょんぼりと言われ、大丈夫なのですと請け負う。 「全員が退治されねばならないルールはないのです」 だからまた困ってたら助けるのですと笑顔を向けると、ぴこぴこっと頭の上で獣耳が動いた。 「ありがとう、……ありがとう」 「では、ゼロは別のルートを行くのです。気をつけてくださいなのです」 「きみも、つけて。気をつけて」 「はいなのです!」 それではと手を振ると彼の尻尾がゆらりと揺れ、小さく手を振り返された。 フェリシアは少し邪魔になるなまはげのお面を頭の上にずらし、ぷはっと息を吐いた。節分というエキゾチックなお祭りにせっかく参加できるのだからと張り切って色々と用意したのだが、どうやら方向がずれていたらしい。 福兎を受け取りに店主のところに向かうと、フェリシアの姿を見た店主──兄のほう──が無言でTシャツとホットパンツを差し出してきた。気づいた妹は素敵な格好だなと笑ってくれたが、兄の出すそれらは受け取ってくれと勧められた。 「君が着用しているそれは、いざという時の為に下に着ている物だ。風邪を引いても大変だから、他の野郎どものためにも着てやってくれ」 でも下はこっちのほうがいいなと虎縞を用意してくれたので、用意してもらった服を着たのだが。森に入ってしばらく、いざっていつだろうとちょっぴり疑問を覚えている。 「さっきから、会う人ごとにびっくりされている気がする……。はっ、そういえば何か掛け声があったのに忘れてる!?」 出会ったら言わなくちゃいけないんだっけとうんうんと唸って思い出そうと努めていると、いきなり少し遠くに森の木々から頭一つ飛び出した存在を見た気がして目を瞬かせた。 幼い頃から森の中で過ごす時間の多かったフェリシアにとって、休憩場所といえば木の上だ。罠にも引っかかり難いからと枝の上に座っていたのだが、その彼女のまだ上に頭が飛び出している。どこかしら眠そうな気もする白い姿は、失敗なのですと頭をかくとしゅるしゅると縮んでいく。 今のは何だろうと確かめたげに身を乗り出させた時、今度は何だよーと下から声が聞こえてきた。どうやらフェリシアがいる木の下を、誰かが通りかかったらしい。 「うるせぇな、基本に返るんだよ。鬼を見たら豆撒いとけ」 「豆って、こんなので鬼退治できんのかよ? 大体何で豆なんだ、鬼の好物なのか、投げたら飛びつくのか?」 「知るか、お前は言われたことをやってりゃいいんだよっ」 何やら揉めながら通って行くおっさんイン兎の着ぐるみの話に、フェリシアはついはいはいと手を上げて飛び降りていた。どわっと声を上げて飛び退る着ぐるみを放って、フェリシアは目をきらきらさせて説明する。 「豆は「魔滅」に通じ、鬼にぶつけることによって邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるんです! 鬼の好物だから投げるんじゃありませんっ」 そのくらい常識ですよと胸を張って解説した披露したフェリシアに、着ぐるみたちは何やらドン引いている気配がする。その視線に気づいたフェリシアははっとしてお面を被り直し、プラスチックのバットを振り上げた。 「わるいごはいねがー!」 「いねがーじゃねぇだろ! 俺らが言うのもあれだけど、何だその格好」 「それはあれか、店主に続いた悪ふざけか。実は鬼側じゃなくて俺ら側? ついでにちょっと調子に乗ってみたか」 「っ、そんなことは兎の着ぐるみを着たおっさんに言われる覚えはありませんっ」 悪ふざけじゃないもんと力一杯主張するのに、誰がおっさんだごらぁっと違うところに反応して怒鳴り返される。 「俺はまだぴっちぴちの三十代だぞ、おっさんてのはあの世界司書みたいなやる気のない枯れた奴を指すんだろがっ」 「俺なんかこいつより年下だもんねっ。人におっさんって言う奴がおっさんなんだぞ!」 「お生憎様ですー、私なんかまだぴっちぴちの十四です!」 「かぁっ、生意気な嬢ちゃんだな……! そんなふざけた格好してる時点で敵だ、敵!」 言うなり鬼は外と豆を投げつけてくる兎の着ぐるみに、フェリシアはきらーんと眼鏡を輝かせてバットを構えた。お面の下だから分からないなんて、野暮な突っ込みは無用だ。そんなことより纏まって飛んでくる豆に狙いを定め、掛け声と共にバットを振り抜いた。 豆はバットの真芯にジャストミート、勿論投げた着ぐるみたちを急襲している。 「ぎゃーっ! 俺らは純粋な兎だぞ、鬼じゃないんだぞ! 何で攻撃されなくちゃなんないんだっ」 「つか豆を打ち返すな、反則だろがそんなもん!」 「反撃も予想できないなんてまだまだすぎるぞ、モモタロウども!」 ふははははと高笑いをするフェリシアの脳内では、どうやら鬼退治する者=モモタロウという式が出来上がっているらしい。もう突っ込めねぇ相手にしてらんねえと頭を抱えた着ぐるみたちが逃げるのを、待て待てーと追いかけ始める。彼女の中で、ちょっぴり趣旨が変わったのは否めない。 けれど逃げる着ぐるみを追いかけた先で何やら甘い匂いを嗅ぎつけ、思わずそちらに目をやった。不自然に誂えられたテーブルの上、並ぶのはケーキにお団子、パフェにプリン、生菓子等の甘味三昧。 「っ、なんてスイーツパラダイス……!」 怪しすぎる罠に決まっていると囁く声は聞こえるが、女の子たるもの甘い物には釣られてナンボだ。ふらふらと足をそちらに向けたが最後、色々ぶっ飛んでなまはげのお面も外して両手を合わせた。 「いっただきまーす!」 「節分というのは斯様に楽しげな行事なのだな!」 預かった若草色の福兎を撫でながら、イスタ・フォーはご満悦な様子で森の中をゆったりと歩いていた。特に急ぐ様子が見られないのは、古代中国皇帝が着ていそうな豪華な衣装の為だろう。足場の悪い森の中では確実に転びそうだ、慎重に足を進めたほうが──、 一瞬目を離した隙に、びたんっ、と擬音をつけたくなるほど見事に、顔面から地面に倒れ伏したイスタの足元には草を結んで作ったトラップがある。草陰で軽くざわつきが起こるほどの勢いだったが、身体を起こしたイスタは服の埃を払い、少し先まで飛ばしてしまった福兎をのんびりと拾い上げた。自分の服を払うより慎重な手つきで福兎を払い、にっこりと微笑む。 「余の手にかかれば、福兎を守りとおすことなど造作もないことよ」 いやいや今確実に吹っ飛ばしてましたよね!? と小声を努めつつも突っ込まずにいられない何人かの声が草陰から聞こえるが、福兎の無事を確認したイスタには届いてないらしい。何事もなかったかのようにまた歩を進め出し、その先もあまりに安すぎるトラップに見事にかかり倒した。 丁度胸の辺りに張られた見え難いロープに先を阻まれたり、ゴールはこちらの看板に従って逆方向に進んだり、上から落ちてきた籠にすっぽり収まったり、シリコンで特注したらしいトラバサミに引っかかって動けなくなったり等々、等々。 仕掛けた側でさえ、そこまで頑張らなくてもと遠い目をしそうに悉く引っかかるイスタは、どんどんと森の中を迷走している。 「案外ゴールは遠いようである。だが案ずるでないぞ、余が必ず送り届けてやろう」 大船に乗った気でいよと福兎に話しかけつつ進んでいるイスタは、少し先の木の根元に蹲っている人影を見つけて首を傾げた。 「これ、そのようなところで何をしておる? 具合でも悪いのか」 「あー、丁度いいところにー。急な差込に襲われて困っておりますー、どうぞお助、」 「それはいかん! どこが痛いのだ、腹か、背中か? 擦ってやろう、さあ、横になるがいい!」 助けてと言う前にひどく心配そうに色々と勧めてくるイスタに、兎の着ぐるみは頬を引き攣らせつつ頭を振った。 「それよりもお持ちの福兎が薬になるので、譲って頂けたらー」 「そうか、それで助かるのならばいくらでも持っていくがよい。いや、福兎と言わず余にできることがあれば何なりと申してみよ!」 真剣に真摯に手までしっかと握って申し出るイスタに、やめてくれーっと着ぐるみが顔を逸らした。 「そんなきらっきらした目で俺を見るなっ、何かもーどんだけ薄汚れてんだよ俺ってかこんな役もう嫌だーっ!」 俺には無理無理無理と頭を振った着ぐるみは、動かぬほうがよいと止めるイスタの手を取り直して目を逸らしたまま言う。 「いやあのあなたのお気持ちだけで助かったって言うかもう大丈夫ですから頼むので先に行ってくださいっ」 「しかし困っておる者を置いて先に行くなど、」 「本当に! もうすっかり元気溌剌今ならフルマラソンにも出場できる勢いでばっちり回復したのでっ!」 俺のせいで足を止めさせるほうが申し訳なくて心が痛いっと目を逸らしたまま顔を伏せた着ぐるみに、イスタは感極まったようにそうかとぎゅっと手を握った。 「病にあってなお余の心配をしてくれるとは、何とも素晴らしい心根である。そなたの気遣いを無駄にせぬのが、余にできる最大の事であるな!」 ああええまぁそんな感じでと頷いた着ぐるみに大きく頷いたイスタは、あらん限りを尽くして着ぐるみを気遣った後に立ち上がった。 「養生しておるのだぞ、宝船に着けば余は必ずそなを助けに参る!」 「あー……えー……お待ちしています……」 もう逆らえないと弱々しく手を上げた着ぐるみに力強く頷いたイスタは急ぎ宝船へと足を向け、少し先にあった落とし穴に呆気なくすとんと落ちた。 「──これは困った」 落ちてしまったと案外深い穴の底から上を見上げたイスタは、上がろうと尽力するもどうにもならない。冠の上から飛んで穴の外を回っている小鳥型メカのPちゃんにも、残念ながら助けるのは不可能だろう。 しばらくはそこを飛んでいるPちゃんを見上げていたイスタが、助けての文字花火でも打ち上げるべきかと行動に移りかけた時、あれと誰かが覗き込んできた。 「ひょっとして中にいるのは、福兎運び中の人?」 「そうである。すまぬが手を貸してもらえぬか」 「オッケー、ちょっと待って!」 軽く請け負った声がごそごそしている気配がしたと思えば、イスタの身体がふわりと浮き上がり、気づけば穴の外まで運ばれていた。 「助かったぞ、ありがとう! 今のはどうやったのだ?」 「ふふ、風の呪符を使って運んだだけだよ。お礼はいらないよ、鬼友だもん!」 困った時は助け合いと指を立てたマイクロミニチャイナ服の少女に、イスタはほんわりと笑った。 フラーダは預かった海の底みたいな青い福兎をもふもふの身体に突っ込み、銜えた地図をあまり見ないまま軽い足取りで森の中を走っていた。 「うきゅ、フラーダ、鬼ー。宝船、目指す!」 ご機嫌に跳ねるような足取りで進むフラーダにとって、足場の悪い森もさほどの苦ではない。色の違う四枚の羽で補助して余計に飛ぶような速さだが、抜きん出て先頭を行っているかと言えばそうではない。森に棲息する小動物が顔を出せばそちらに気を取られるし、甘い香りのする野草を見つければ鼻を寄せて嗅ぎに行く。美味しそうな赤い実を見つければ食べてしまう、と案外寄り道三昧だからだ。 いっそ妨害しなくても辿り着けないんじゃないかなーといった空気が流れないでもないが、やはり試みるべきだろうと気を取り直したらしい何人かが、満足そうに地図を銜え直して走り出そうとしたフラーダに攻撃を加える。 パチンコを使ってフラーダに緩く投げつけられるのは、毬栗。中身のないそれがひゅんひゅんと投げつけられ、身を捻ってかわしたはずのフラーダはけれど落ちた毬を踏んでしまった。 「っ、痛いー! いやー!」 きゅーっと痛そうに鳴いたフラーダは風の魔法を使って上空に飛び上がり、踏みつけた足を痛そうに揺らす。ここいや、と泣きそうにしたフラーダは、用心して地面に戻らずそのまま滑空してゴールを目指し始める。 しばらくはそうして順調に進んでいたが、やがてくんくんと鼻を動かして美味しそうな匂いを嗅ぎつけ、そろりと地面に戻った。匂いの源はどこかと顔を巡らせると、前方から走ってくる兎の着ぐるみが何やら美味しそうな匂いをさせている。 「ぎゃー! なまはげの次は狼ー!」 「待て待て、あいつが銜えてんの地図だろ。あれだ、狼でも犬でもなく鬼だ」 本当はもっふりがご自慢の竜なのだが、フラーダは訂正するより美味しい匂いを辿るほうが忙しい。 じゃあ退治するのかと一人が桝から取り上げて投げつけてきたのは炒り豆らしく、目をきらきらさせたフラーダは大きく口を開けて全部キャッチし、満足そうに噛み砕く。 「豆ー。おいしいー」 「……今度は全部食われてんぞ」 「つかもー鬼ならたまには豆で倒れろよ、節分だろよぉ」 「きゅ。豆、欲しい。豆投げて」 早く早くと尻尾を盛んに揺らして急かすフラーダに、喜ばれてんぞおいと着ぐるみが頬を引き攣らせる。まだ? と首を傾げて近寄って行くと、鬼退治って何ー! と頭を抱えてる一人の横で、もう一人が何か思いついたような顔を向けてきた。 「お前、豆が欲しいんだな?」 「欲しい、欲しい!」 思わず尻尾を揺らして答えると、着ぐるみはよぉしそれじゃ交換条件といこうじゃねぇかと豆の入った桝を高く持ち上げた。 「俺たちは豆をやる、お前は福兎を出す。な、悪い条件じゃないだろ?」 「うきゅ……きゅー、でも……」 福兎を宝船に運ばなければならない。でも豆は欲しい。福兎は渡しちゃいけない。でも豆は食べたい。 フラーダはうんうんと唸ってしばらく葛藤した後、 「うきゅ、豆欲しいー!」 自分の欲求に素直に従って福兎を取り出し、よぉっしいい子だと誉めた着ぐるみに桝一杯の豆を貰った。喜んだフラーダは貰った桝から豆を頬張っていたが、それがなくなった頃にもっと美味しそうな匂いが別の場所から漂ってきた。 「おいしい、匂い!」 甘いと豆の時より三割増しで目を輝かせたフラーダは、もうすっかり宝船のことなど忘れてそちらに足を向けた。ふらふらと向かった先では、テーブルの上に数々のお菓子が夢のように並んでいる。 「お菓子ー!」 歓声を上げてテーブルに駆け寄ると、うわあなんてもっふもふ! と悲鳴みたいな声が聞こえた。ふと顔を上げると先にそこにいたのだろう、既にお菓子を食べていた少女がフラーダを見ている。フラーダは彼女を見上げて、軽く首を傾げた。 「うきゅ。これ、食べていい?」 「勿論ですよ、がんがん食べちゃってください! あなたも鬼ですか?」 「フラーダ、鬼」 うんうんと頷きながらも既に心はお菓子に向いていて、食べるーと宣言するなり片っ端から堪能していく。いい食べっぷりですねーと少女が感心する間にもテーブルの上のお菓子はフラーダのお腹に納まっていき、最後のケーキを食べるとさすがにお腹が一杯になってころんとテーブルの上に転がった。 「お腹いっぱいー。一眠りー」 「え、フラーダさん? 確かにますます真ん丸くなって可愛らしいですけど、宝船を目指すのはどうなっちゃったんですか!」 うっかり私も食べきりましたけど本来の目的はと軽く揺らしてくる声も子守唄に近く、まんぞくーとフラーダはそのまま眠りに落ちた。 木に引っかかっていたところを助けられた後、キリル・ディクローズは慎重に鞄を持ち直して宝船を目指していた。 わすれもの屋の店主から預かったのは、夜みたいに深い藍色の福兎。キリルの手にちょこんと乗せられた福兎をじっと見つめ、 「この子、この子を宝船、宝船まで送ればいい? 送る、送り続けること、手紙屋の仕事。必ず、必ず届けます」 生真面目に宣言したまま、無事に送り届けなければならない。大事に収めた鞄ごと落とさないように失くさないようにしっかりと押さえ、罠があるらしい道を慎重な足取りで、でもなるべく足早に進む。 時折木の根の間に何故か出来立てほかほかのパンが籠に積み上げられていたり、こっちが近道といった看板などは目についたが、キリルは最初に決めた道順を守って黙々と足を進める。配達優先、寄道厳禁。できる手紙屋さんは、迂闊な罠には引っかからない。 「ああ、そこをいく方ー。どうか話を聞いてもらえませんかー」 「……みゅっ」 弱々しい声に思わず足を止めると、何故か兎の着ぐるみが木の影から顔を覗かせている。何度か目を瞬かせて眺めていると、着ぐるみはそうと手を出してきた。 「もし福兎をお持ちなら、一つ分けてくださいなー。子供に買ってくると約束したのにどこも売り切れでー、ああこのままでは私は家に帰れませんー」 福兎さえあったら福兎さえー! と、よよよと泣き崩れる着ぐるみに、キリルの耳はぴくぴくっと動いてへにゃりと伏せられた。 「ごめん、ごめん、福兎は無理。福兎、あげられない」 「ああっ! そうですね、そうですよねー、こんな見ず知らずの兎に福兎はもらえませんねー。ああでもこれではお家に帰れないー」 家には十を頭に七人の子供が福兎を楽しみにしているのにとますます激しく嘆く着ぐるみの言葉に、キリルの尻尾は困ったようにくにゃりと垂れる。視線をふらりと揺らしたキリルはそうと鞄を開き、ごそごそと何かを取り出した。 「これ、これあげる。福兎は駄目、駄目だけど。代わりに」 言ってそっと着ぐるみの手に渡したのは、福兎と同じくらいの大きさの袋に入った飴玉。着ぐるみはしばらく黙ってそれを眺めた後、何故かくっと目頭を押さえた。 「どうしよう俺もー子供の情けが身に沁みて……。つか何やってんだろう俺、こんなとこで」 「突然我に返るな、気合入れろ! 坊主、悪いが福兎は置いてってもらうぜー!」 がーっと叫んで反対側から飛び出してきた別の着ぐるみに、キリルの尻尾は思わずぶわっと毛を逆立てた。鞄を抱いて逃げ出そうとしたところを後ろから捕まえられ、奪われないようにぎゅっと強く抱き抱える。 「おぉおぉ、そんな後生大事に抱えてりゃそこに持ってますって言って、痛って!」 ぱちっときたと顔を押さえた着ぐるみは、抵抗して繰り出したねこぱんちを食らった場所を押さえてキリルから手を離した。 「みゅみゅーっ!」 その隙を衝いて駆け出すと、逃げたぞーと呑気な声が後ろから届く。 「逃げたのは見りゃ分かるんだよ! お前も追いかけろよ!」 「いや俺はこれも貰ったし無理。やるならお前が一人でやってこい」 「あーくそ、この役立たず!」 吐き捨てて追いかけてくる気配を感じ、『阻む者』のアーティファクトで壁を作る。何だこりゃと戸惑う声を壁越しに聞きながら側の茂みにぱっと身を潜ませ、壁を遠回りして追いかけてきた着ぐるみを息を潜めて遣り過ごす。 しばらく探されていたが、やがて諦めたように戻って行ったのを確かめてもまだしばらく小さくなったまま様子を探っていたキリルは、完全に人の気配がなくなってからそっと立ち上がった。 「みゅ。福兎、福兎は無事」 鞄にそっと手を入れて確認し、改めて宝船を目指し始める。ただ一度追われたせいで背後により気を配ってしまい、足元が疎かになっていたらしい。かくっと躓いたかと思った時には浅い落とし穴に落ちていて、鬼の角をつけたカチューシャがずれた。 「みゅー。失敗」 鞄からは手を離さないままカチューシャを戻し、ごそごそと穴から這い出ると目の前でびたんっと誰かが転んだ。何度か目を瞬かせ、長すぎる自分の裾を踏んで転んだらしい相手に恐る恐る声をかける。 「大丈夫、……大丈夫?」 「やはり走るのはよくない、転ぶからな」 福兎も痛そうであろうと手にしていた若草色の福兎を申し訳なさそうに撫でたその人に、自分は痛くないのだろうかとぼんやりと考える。けれどふと目が合ったその人は、カチューシャを見てそなたも鬼友であるなとにっこりと笑いかけてきた。 「そろそろゴールであろう。もう少し頑張るのだぞ」 「みゅっ。きみも、きみも」 「余は大丈夫である。そなたこそ、困った事があれば何なりと申せ」 自信たっぷりに頼り甲斐のあることを告げる相手は、今転んだから以上に何やらぼろぼろだ。土や葉っぱを引っ付け放題なところを見ると、悉く色んな罠に引っかかったのではなかろうか。 それでも心から善意で告げてくれるのが分かる相手に、キリルは耳をぴくぴくっと動かした。 「宝船、宝船まで、もう少し。一緒、一緒に行く?」 キリルが持つ藍色も、彼が持つ若草色も、同じ福兎。それならどちらも無事にお届けするのは手紙屋の使命、かもしれない? フェリシアはぐっすりお休みなフラーダを抱えたまま宝船に向かい、結構重いとちょっとお疲れ気味だった。 「もふもふが幸せだから頑張るけどっ。フラーダさん、そろそろ起きないですかー」 引き摺りますよ、引き摺っちゃいますよと声をかけつつ、森を抜けたところでいきなり上から網が降ってきた。 「っ、ちょっと待ってください、森を抜けての投網は卑怯ですよ!」 「残念だったな、嬢ちゃん! その状態ではバットも使えまいっ」 「さっきの着ぐるみの人たち! 逃げたんじゃなかったんですかっ」 「甘いぜ、俺たちは何度でも蘇るっ」 「誰がいつ死んだんだよ」 馬鹿かと相方に吐き捨てた着ぐるみAは、そんなことよりと豆の入った桝を取り出した。フラーダを抱え、網に囚われている今、豆を投げられたなら大分不利だ。 「さーて、さっきの仕返しといこうじゃねぇか!」 「か弱い乙女とも可愛らしい生物を前に、よくそんな悪辣なことができますね!」 「何とでも言いな、福兎を届けさせない為なら何でもやる。だがしかし、俺も鬼じゃねぇ! ここで福兎を置いてくなら投げないでやるが?」 「くっ、卑怯な……!」 冷静に考えれば、豆を投げられるだけだ。当たったところで苛っとする程度、恩着せがましく言える事でもないし、いっそお好きにと受け流せる事態だが。 両者共に楽しんでいるなら、突っ込みは野暮というものだろうか。 「……この身に代えても福兎とフラーダさんは守る! 投げたいなら私一人に投げなさい!」 「はーん、いい度胸だ。じゃあ遠慮なくそうさせてもらうぜ!」 悪役よろしく高笑いする着ぐるみAが豆を掴んで投げようとしたところに、そうはさせない! と宝船から高らかな宣言が聞こえる。 「鬼友のピンチを見過ごすわけにはいかないよ!」 あたしが相手よとびしっと着ぐるみを指したのは、少し前にゴールしていた雀。とうっと宝船の縁から飛び降りて華麗に着地し、びしっと呪符を構えた。 「福兎のお届けを邪魔はさせない!」 「いやいや、宝船に着いた奴は出てくんなよ」 「困ってる鬼友を見捨てるなんてできないよ!」 網を外しなさいと指を突きつける雀を眺め、何か面倒臭い事になってきたと着ぐるみAが目を逸らした先に、キリルとイスタが森を抜けて出てきた。 「これは何事であろうか」 「大変、大変。捕まってる……、福兎、福兎と鬼」 助ける、助けると鞄を抱いたままもフェリシアたちに駆け寄ろうとしたキリルを、フェリシアが頭を振って留める。 「せめて、あなたたちだけでも宝船に!」 私たちの事はいいですからと告げるフェリシアに、キリルはみゅっと鳴いて足を止めた。細い尻尾が、不安を示すようにゆらりと揺らぐ。 何やってんの豆投げねぇのと着ぐるみBが相方を窺うと、そなた! とイスタが声を上げた。 「あそこで待っているよう申したのに、何をしておるのだ!」 身体は大丈夫なのかと心配そうに声をかけられた着ぐるみBは、うわっと顔を引き攣らせるとくたくたとその場に座り込んだ。 「あ、あなたのことが心配でー、居ても立ってもいられず参りましたがー、やはり私はここまでのようですー」 「いかん! しっかりせよ、気を確かに持つのだ!」 「こら、いきなり仮病ってんじゃねぇ!」 「無理無理、俺もうこんな純粋な奴らと向き合ってらんない。後は任せたっ」 「任すな!」 俺を一人にするなと悲鳴を上げる着ぐるみAには答えず、着ぐるみBはイスタに声をかけられるままそこに蹲っている。雀もすっかりそちらに気を取られていて、 「大変、病気なんだったら宝船に運ぶ?」 手伝うよと手を貸しに行き、その間にキリルは網を除けるべく奮闘を始めていた。フェリシアもそれを手伝っていて、気づいた着ぐるみAは面倒そうに頭をかいた。 「あーくそ、こうなりゃ自棄だ。とりあえず鬼は外ー!」 もはや何の意味も見出せないまま着ぐるみAが豆を投げると、ぱちっと目を覚ましたフラーダが届きそうにない豆を風を使ってまで自分の口に運んだ。 「豆ー! 食べるー!」 「フラーダさん、あんなに食べたのにまだ食べるんですか」 「網、網、引っ張ったら駄目。駄目」 外れないと網を掴んだままのキリルは引っ張られてよろめいているが、フラーダはすっかり豆に気を取られていて気づかない。 「豆ー! 欲しい、食べる!」 「っ、ええい、もう好きなだけ食え!」 でも宝船には向かわせないと明後日のほうに豆を投げた着ぐるみAだったが、森から出てきたばかりのゼロがその先にいた。着いてしまったのです、と反省しているゼロは元の大きさに戻っていたが、投げられた豆を見てぱっと顔を輝かせた。豆ー! と騒ぐフラーダにも気づいた様子はなく、投げられた豆を受けたゼロはドラマチックな負けを演出する為に巨大化しながら倒れていく。 「や、やられたーなのです。派手な爆発はできなくて、申し訳ないのですー」 叶う限りのスローモーションで謝罪しながら倒れ込んだゼロは、何だこれと頭を抱えている着ぐるみAに指を向けた。 「えっと、これで勝ったと思わないで欲しいのです。いずれ新たな季節イベントがターミナルを……ぱたっ」 擬音と共に倒れたゼロに着ぐるみAは遠い目を向け、フラーダも豆ーと悲しそうにしょんぼりしている。今の間にと網を外したフェリシアは、キリルと協力して着ぐるみAに網を投げかけた。 「これはお返しします! さあ、皆さんも今の間に宝船へ!」 「しかし、この者は病なのだ。見捨てるわけにはいかぬ」 「一緒、一緒に行く。宝船、宝船にいる、店主。きっと、助けてくれる」 「そうだね! この人も連れて宝船に乗っちゃおう!」 イスタや雀がもう一人の着ぐるみBに手を貸して宝船に向かうのを見て、フェリシアはキリルにフラーダを任せて倒れているゼロに向かった。 「あなたも一緒に、」 「いいえ、ゼロは退治される鬼なのです。完遂できて満足なのです」 「せっかくここまで来たのに、いいんですか」 「はいなのです。ドラマチックな負けを演出できたのです!」 満足そうに笑うゼロに促されるので、心を残しつつも宝船に向かう。俺も助けていけと騒ぐ囚われの着ぐるみAの声はさらりと聞かなかった事にして甲板に上がると、店主が声をかけてきた。 「無事に辿り着いたようだな」 「はい。福兎も無事ですよ!」 大量に預かっていった福兎を取り出して告げると、店主はほうと目を瞠って薄いピンクの福兎を取り上げた。 「この子は君に渡っていたか」 「他の子も可愛いですけど、特別可愛いですよねー!」 一目で気に入ってしまいましたと笑顔になると、それはよかったと頷いた店主がフェリシアの手に福兎を戻した。 「これが今回、特別に用意した恋兎だ。恋が実る、若しくは運命の出会いを齎すお守りだ」 バレンタインも近いことだからなと笑った店主にフェリシアがわたわたしていると、負けた客人にも声をかけてこようと踵を返しかけた店主が振り返った。 「そうだ、勝敗に関係なく参加してくれた客人には料理を振舞うので、どうか食べていってほしい」 宝船に因んだ縁起物だと店主の声に、食べるー! と元気一杯な声はフラーダだろうか。探すように視線を巡らせた先で、お届け完了とちょっとだけ嬉しそうにしたキリルの尻尾がふわりと揺れた。
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