▼壱番世界にて あなたたちロストナンバーは今回、壱番世界での依頼がありました。作戦的にもやや規模が大きく、数日をまたいでの大掛かりなものになる予定でした――が、滞りないどころかいたって快調に仕事は進み、大きな被害もなく作戦は完了。帰りのロストレイルがやって来るまでかなりの空き時間ができてしまいました。 そんなとき、とあるコンダクターが皆に提案しました。「じゃあせっかくだし、〝壱番世界のお正月〟を体験してみない?」 ――というわけで、仕事をいつもより手早く終えて、予想以上に時間を余らせてしまったあなたたちロストナンバーは少しの間、この壱番世界に滞在することとなりました。 凶悪な特殊能力者が跋扈(ばっこ)するような危険な世界でもなく、常識さえ守れば比較的平和で、穏やかなこの壱番世界。クリスマスシーズンを過ぎて、今は年越しのムードが漂っています。 あるコンダクターが、都心からやや離れた場所にちょっとした別荘を持っており、そこを借りることになりました。この別荘を拠点にし、色々とやることができます。 電車に乗って都心部に出て、ショッピングや観光をするのもいいでしょう。遊園地もデパートも賑わっています。 ちょっとおめかしをして、新年を祝う人々が集まる街中を歩いたりするのも、また一興かも。 街には出ず、別荘のお庭でお正月な遊びをするのも、いいかもしれません。凧揚げとか羽子板とか。住宅がまばらな所なので、都心とは違って広々としています。 もしかしたら、別荘が汚いからと張り切って大掃除をし、気が付けば年越しを迎えてしまってしょんぼりするひとも、いるかもしれません。 あるいは寒さがどうしても苦手なあなたは、こたつという魔物からどうしても抜け出せず、ずっとお家の中に潜っているのかもしれません。ただ室内でも楽しめるお正月特有のものはたくさんあるので、それに触れてみるのもいいでしょう。 あるいは寒さは我慢して、その年初めての日の出を見るため、高い場所に登ったり、海岸に出たりするのでしょうか。降り積もった雪と戯れてみるのも面白いかも。 壱番世界とはほど遠い異世界出身のツーリストはこれを機に、壱番世界の魅力に触れてみませんか? 逆にコンダクターの皆さんは、仲間たちに壱番世界の文化を教えてあげては如何でしょうか? ――これは、とあるロストナンバー達の、ちょっとした冬休み。
▼お昼過ぎ、別荘にて 大規模な作戦を予定していただけあって、今回の件で壱番世界に残留するロストナンバーは全員で20名ほど。かなりの人数で別荘に押しかけることとなったが、その程度の人数など全く問題でないほどにそこは広かった。 「すごいな……こんなに広くて大きい家を別に構えてるなんて」 大勢でぞろぞろと別荘の敷地内を歩く中で、相沢・優(あいざわ・ゆう)は感嘆した様子で周囲に視線を移している。一般の中流家庭で育った彼にとって、別荘を持つこと事態がとてつもないことであるし、しかもその別荘がこれまた広いことに驚きを隠せない。まさにTVや映画の中でしかお目にかかれないような、それは家というよりもお屋敷だった。 時代劇で見るような古き日本のお屋敷で、白い漆喰の壁で敷地を囲んでおり、その中には砂利を敷き詰めた広いお庭がある。大きな池があり、綺麗に葉を整えられた松の木が何本も立ち並ぶ。 そうした光景をどこか懐かしげに見つめているのは、ほのかだ。白い小袖の上に緋色の着物を羽織った格好をしており、この別荘の雰囲気にもよく合っている。それもそのはずで、彼女のいた異世界は壱番世界の古き日本に酷似していた。和の情緒あふれるこの屋敷の作りや匂いは、彼女にとっては身近なものだったのだ。 「ほのかさん、何だかこの屋敷に住んでいても自然な感じですよね」 「あら、そうかしら……ふふ」 優が気さくに声をかける。ほのかは口許に手をあてて、小さく笑った。 「このようなお屋敷に泊めて戴けるのだもの。何かお返しをしなくてはね……」 「確かに、タダで泊まらせてもらうには豪華すぎますもんね。俺は料理が得意なんで、何か作って振舞おうと思ってます」 「私も、御節料理か何かを作ろうと思っているの。……でも、この世界での買い物は不安で……」 壱番世界で過去に何かあったのだろうか、顔を曇らせるほのか。 「じゃあ、買出し一緒に行きますか? この辺りの土地は詳しくないけど、これでもこの世界出身の人間だから」 「まぁ……それは心強いわ。どうかお願いします」 「わ、大丈夫ですよ! そんなに頭下げなくても」 ゆったりと丁寧な動作で厳かに頭をたれるほのかに、優は少し慌てた様子。 「失礼。買出しに行くと言ったか?」 そんな二人に近寄ってきたのは、飛天・鴉刃(ひてん・えば)だ。東洋の龍を擬人化したような姿をしており、その身体は黒き鱗に覆われている。植物のつるのように長いひげを揺らしながら、彼女は問いかけてきた。 「この地の酒は旨いと、別荘の主から聞いた。買出しに行くなら私も同行したいのだが、構わぬか?」 「えぇ、全然OKですよ」 「私も構いませんわ……」 「っと、それじゃあ玄関にも着いたみたいだし、荷物を置いたらまたここに集合して、買出し組は街に繰り出しましょうか」 優の提案に二人は頷き、荷物を持ってまずは各々の部屋へと足を向けた。そして一部のメンバーを連れて、夕食の買出しに向かったのである。 ▼お昼過ぎ別荘内、こたつ部屋にて 「この世界には、いかなる存在も幸せな眠りの虜にする〝こたつ〟という寝具があると聞きました」 「幸せ、の単語を聞いたらじっとしてるわけにいかないわ!」 シーアールシー・ゼロの「幸せ」という言葉に食いついてきたのは、幸せの魔女だ。彼女たちは買出し組には含まれておらず、ゆったりとした時間を屋敷の中で過ごしている。そしてこたつという魔物に捕らわれ、既にその体はそこから抜け出せなくなっていた。屋敷主のコンダクターから半纏を借りて羽織り、すっかり日本の冬を満喫している。 「うー、あったかいわ。これは幸せね。贅沢の極みだわ」 「はい、ぬくぬくですー」 ほっこりした様子で、ゆるーく呟く二人。ゼロが用意したみかんを仲良くつまんでいると、どたたと騒々しく廊下を駆ける足音が近づいてくる。がららと勢い良く戸をあけて、滑り込むようにこたつへ潜り込んだ小さい体躯は、臣・雀(おみ・すずめ)だ。それと一緒に、同じような年頃のロストナンバーの子どもたちも数人、慌しく入り込んでくる。皆、外で遊んでいたためか、ぶるぶると体を震わせている。雀の、お団子状に結った髪から伸びる房がさららと揺れている。 「うー、外寒かったぁ。ちょっと暖まらせて!」 「いいですよ、皆さんどうぞー」 「ちょっとあなた達、戸は開けたら閉めなさいよ。冷たい空気が入ってきて、幸せが逃げてしまうでしょう!」 まったりとした様子で返すゼロ。一方、魔女は唇をとがらせて抗議したが、一刻も早く幸せを閉じ込めたいので、隙間風が入ってくる戸を自分で手早くぱたんと閉めた。 「ごめんね、ありがとっ。……あれ? こたつに何か入ってる。あ、にゃんこだ!」 「え、にゃんこー?」 「ほんと? 雀ちゃん、みせてみせてーっ」 雀がこたつの掛け布団をめくると、そこには先客がいたようだ。ぱぁっと明るく弾んだ声音が漏れ、友達数人と黄色いはしゃぎ声をあげる。腕を突っ込み、微動だにしない猫をずるると引っ張ってくる。――不思議と、生物特有の重さやあたたかさは感じない。 「これ、にゃんこのぬいぐるみじゃなーい?」 雀たちが猫のぬいぐるみをぽふぽふと弄んでいると、ゼロがしゅぴっと指を立てて自慢げに解説し始めた。 「こたつには猫とみかんを組み合わせるのが正式だそうなので、ぬいぐるみの猫を用意したのです」 「わ、そうなんだ? ゼロちゃん、物知りだね!」 「へぇ、なるほどね。動物も幸せを求めて、このこたつに入り込むのね」 うんうんと納得した様子で頷く魔女。雀たちお子様組はこのぬいぐるみが気に入ったようで、顔を綻ばせてぎゅむーと抱っこしたり、撫で回したりしている。 「ところでこたつは、冬の日本でのみその力を発揮するのだそうですよー」 「え、味噌の力? それは幸せな力なのかしら」 「なんだかおいしそー」 「それと、子どもはお年玉がもらえるそうです」 「あたしたち、子どもだからもらえるね! やったぁ」 「オトシダマ? 何か落とすの?」 「爆弾じゃないでしょうかー」 ゼロが覚えている壱番世界の間違った知識に、彼女たちが毒されていくことは誰も知る由はなかった。 ▼お昼過ぎ、敷地内のお庭にて 「じゃ、俺は外でもぶらついてくらァ。そこらの自然ン中でゆるりとさせてもらうぜ」 屋敷の裏手にある小さな山へと向かうべく、庭を歩いているのはマフ・タークスだ。身長は80cmとかなりの小柄な獣人だが、その外見は愛らしさよりも野性的な魅力を内包している。声はからからとしたハスキーボイスであるし、猫型獣人にも似た体躯は無駄なく鍛えられ、流れるようにしなやかなシルエットをしている。格闘などの体術を己の武器としているため、肉体は作りこまれているのだ。 マフは屋敷の庭園を歩いているが、無駄に広くて道が入り組んでおり、裏手にあるという山まで中々足を伸ばせない。 「なかなかいい別荘だな。ま、オレ様が住んでた庭園にゃ劣るがな……って、なんだァこりゃ」 蛇のような長い舌をちろちろとさせながらけだるそうに歩いていると、建物の陰になって薄暗い、ひらけた庭に出た。そこは手入れがされていないのか、雑草と思わしき草が厳しい寒さに負けまいと、野ざらしの地面にぽつぽつ点在している。 「チ、雑草だらけじゃねェか。建物がまあまあでも、これじゃあ台無しだぜ」 思わずしかめっ面になり、双眸を鋭く細めた。表向きは中々の美しさがあったこの別荘だが、細かいところまでは管理が行き届いていないのだろうか。そう思うと、どこかむず痒さがこみ上げてきて、マフはそわそわと体を揺らす。 「……確かショウガツを明かす前にゃ、大掃除とかするんだったか。仕方ねェ、片すとすっか」 マフが手をかざすと音もなく光の粒子が集結し、トラベルギアが顕現する。鎌の形状をしているが、柄の長さは1m半を超え、刃もその大きさに見合った巨大なものだ。 「こんなトコにオレ様を泊めようなんざ、百万年早ェっての」 口ではぶつぶつと乱暴に言いながらも丁寧に、しかも手際よく雑草を刈り取り、一箇所にまとめていく。かなり手馴れた様子だ。 と、そんな彼の小さな体に、ひょこひょことまとわりついてくる、もっと小さな何かがあった。こすぐったさを感じ、全身を風呂上りのわんこみたいにばたばたと揺らし、それを振り払う。その正体は、ごくごく小さなクモだった。 手入れのされていない庭先だ、一匹や二匹程度はいるだろう。でもその数は何だか普通ではなく、大群と言ってもいいほどの具合だった。振り払っても振り払ってもクモはマフに飛び掛ってくる。 「っでぇーい、なんでこんなにクモが多いんだ。クソ、こら、まとわり付くな! あっちいきやがれ!」 「――おぉ、すまぬな。すぐ下がらせよう」 マフがクモを相手に声を荒げていると、涼しげな声が耳に入ってきた。ゆったりとした足取りで歩いてきたのは、古風な衣装に身を包む、子どものような姿をした人物。葛木・やまと(かつらぎ・-)だった。少年にも少女にも見える中性的な顔立ち、声音をしている。やまとが仕草ひとつで合図すると、マフに飛び掛っていたクモたちは散るように逃げ去って、姿を消した。 「なんだ、てめェの仕業か?」 「わしのせいとは人聞きの悪い。わしはクモの化身であり神であるでな、この世界の同族に挨拶をしておったところじゃ」 体毛の中にクモが残っていないか確かめつつ、マフは眉根をしかめて問いかける。やまとは彼のそんな態度は気にも留めず、庭の周囲をのんびりと眺めながら返した。 「で、なんでクモが俺に飛びついてくるんだよ」 「さしずめ、領域を荒らされたと勘違いしたのじゃろうて。以後、手は出さぬようにとわしからは言っておくでな、そなたは掃除に励むがよい」 手をひらひらとさせながら、散歩のような足取りでやまとはどこかへ行ってしまう。 「チ、少しくらい手伝う気はねェのかってんだ」 忌々しげに舌打ちをするが、マフは掃除の続きを再開することにした。 空気はひんやりと冷たいが、お昼過ぎの日差しは体を温めてくれる。そんな陽のもとで掃除を続けていると、数人のロストナンバーたちが差し入れを片手にマフのもとへやってきた。 「マフ、差し入れ持って来たぜ」 「てゆーか、掃除するなら一声かけろよ、水臭いな」 何やらやまとから、マフが裏庭を一人で頑張って掃除している、と聞いてやってきたらしい。少し目をぱちくりとさせていたマフだが、にやりと笑って傍の石に腰掛けた。 「素人にゃ任せておけねーからな。ま、手土産に茶菓子と酒を持参とは、気がきくじゃねーか。このあとはテメェらも手伝いやがれよ」 しばし、お茶の時間。裏庭で明るい笑い声が響く。 ▼夕暮れ頃、別荘にて 買出し組が帰宅し、料理のスキルを持つ面々は台所に集まり、夕飯の支度に追われている。包丁がまな板を叩く音、鍋と蓋がかち合う音、ぐつぐつと具が煮込まれる音などが、炊事場から聞こえてくる。 「数の子が高価だったり、お餅はつくのではなかったりしたのは……少し驚いたわ」 そんなことを呟きながら、大勢の仲間たちと台所に立っているほのか。口を動かしながらも、きびきびと手は動かす様は、料理に手馴れている空気を漂わせていた。 「……何かすごいな、皆」 主に女性陣に占領されている台所の中にも、数は少ないながら男性の顔は見受けられる。趣味で料理をたしなむ優もその一人だったが、レシピ無しに難しい料理をてきぱきと作り上げていくほのかたちの様子に、口をぽかんとあけてただ感嘆とするしかない。 趣味で手料理はせずとも食事ができるのが壱番世界だが、そうした便利な文化のない世界の住人達は、手料理を当たり前のように毎日作りこなしている。そうした生活の根底の部分が違うと、こうも技術に差がつくものなのかと、優は感心の目で彼女達の料理裁きに視線を向けている。 「ほのかさん、包丁裁きとかすごい手馴れてますよね。しかもレシピなしで、御節料理作っちゃうなんて。まだ自分には真似できそうにないですよ」 栗きんとん用にふかした薩摩芋をつぶしながら、優が話す。 「偶然、壱番世界と私の世界が似通っていたから、できるようなものよ……。それに、私だってこの世界でのお買い物は不安だったし、厨(※)の使い方も違うから……。互いに、できる部分は埋め合わせをすれば、それでいいと思うの……」 相変わらず、川のせせらぎのように静かな口調で返すほのか。それに反して、手元の動作は無駄がなく手早い。 「わたし達に……長寿や子宝祈願の食材は皮肉かもしれないけれど」 ほのかが、そっと口にする。 自らの世界を失ったロストナンバーは、年老いることがない。しかし不老であるが故に、故郷である世界の時間軸とは切り離された、時のさまよい人となってしまう。また不老であり命が半永久的に続くからか、子を成すことも叶わない。そうした意味では、御節料理にこめられた長寿・子宝・先見性などの祈願は、意地の悪い冗談かもしれなかった。 「でも、皆でこうして集まり、ともに過ごせることは……とても幸せなことだと思うわ。それをお祝いしましょう。御節料理は大晦日の夜から食べる物、年迎えの膳だもの……。――さ、皆もそろそろ、お腹を空かせている頃でしょう」 やがて盛り付けも終わり、後は運ぶだけとなった。目の前に広がる色とりどりの品々は、まるで金銀財宝のように輝いて見える。お屠蘇(※)、三つ肴(※)、雑煮(※)、煮しめ。三つ肴と煮しめは、内側が赤・外側は黒の塗装がされた、四角い漆器の容器(重箱)に詰められている。この別荘に泊まる20名前後の分が用意されているため、量も凄まじい。完成、と誰かが口にすると、ぱちぱちと小さな拍手が巻き起こった。 ▼年越し前の夜、別荘にて 「いただきまーす!」 広い座敷部屋に集ったロストナンバーたちが、声をそろえて食前の挨拶をした。せっかくだから壱番世界の慣習を真似て、ということらしい。 まるでひとつの芸術作品のように、料理が煌びやかに詰められている重箱に箸をつけ、口に運んでいく。お酒を嗜む(※)者には酒が注がれ、未成年の子どもたちにはジュースのボトルとコップが渡される。わいわいがやがやと笑い声やはしゃぎ声が飛び交い、賑やかだ。 「〝ハツモウデ〟とは、幸を願いながら神に祈りを捧げると聞いたのです。だからゼロは、葛木さんにお祈りするのですー」 ゼロはそんなことを言いながら、やまとの前で正座をし、手をすり合わせつつヘコヘコとお辞儀をした。雀などの、ちびっこロストナンバーたち数人も面白がってまねっこし、三つ指ついて深くお辞儀をする。 「ほぅ、よく分かっておるようじゃの。結構、結構」 故郷の世界では神として崇められていたやまとは、まんざら悪い気はしないらしい。満足そうな表情でこくこくと頷きなら、祝い酒を傾け上機嫌な様子だ。 「ゼロ、初詣は年が明けてからお参りすることだから……お願いごとするのは、まだちょっと気が早いよ」 優が苦笑しながら、ゼロの間違った壱番世界知識にきちんと訂正を入れる。ゼロは「そうなんですかー?」と淡白な表情で小首を傾げるだけで、きちんと理解してくれたかどうかは不明だけれど。 「な。そ、そうだったの?」 優の言葉を耳に入れた魔女が、タイの焼き物をお皿にいっぱい確保するのも中断して、弾けるように顔を向けてきた。わなわなと唇を震わせている。 「ちょっと、ゼロ! 貴方、私に間違った知識を教えたわね」 「えへへ、どう致しまして~なのです」 「誉めてないわよ! ちぃ、こうなったら――」 ゆる、と綻んだ顔で照れくさそうにするゼロに、魔女はすかさず突っ込みを入れた。魔女は舌打ちをすると、鬼気せまる形相で優にずいいっと顔を近づけてくる。 「今、近くにいるコンダクターは相沢優、貴方だけ……しかし、私は容赦はしない。観念して教えなさい、壱番世界のオショーガツーというものを……! 洗いざらい全て!」 「べ、別にいいけど、ちょっと落ち着いて……!」 どうどうと魔女をなだめる優であった。 「……で、なんであのマジョって奴は、焼いたタイだけあんなに一人で、たらふく皿に盛ってンだ?」 タイの代わりにブリの焼き物をもしゃもしゃと食べながら、マフは隣に座っていたほのかに訊いた。賑やかな空気の中でも、しっとりと静かにしているほのかが、緑茶を飲む手を休めて答える。 「もともと、御節にタイが含まれているのは……タイという名前の魚を、〝めでたい〟という言葉に掛けているのよ」 「タイだから〝めでタイ〟ってか? ただの駄洒落じゃねぇか」 「でも……縁担ぎにはなるでしょう?」 「ようはラッキーアイテムってことか……ナントカなマジョの考えそうなこったな。――で、おいガキ。さっきからなんだオメーは」 マフが、ほのかとは反対方向にくるりと顔を向けると、頬に小さくて軽い、それでいてちくちくする何かが当たる感触があった。 「にゃんこ……にゃんこ……!」 「俺は猫じゃねェ」 雀が目をきらきらと輝かせた期待の眼差しで、ねこじゃらしをふんふんと振っていた。じゃれないかな、じゃれないかな、と視線で訴えている。 じとりと目を細めて雀を睨んでいたマフだが、そうした意識とは無関係に、片手が勝手に動いてねこじゃらしをぱしんと払ってしまう。 「ゼロお姉ちゃん、でっかい本物のにゃんこがいたー!」 「だから猫じゃねーって言ってんだろ。返せ、その狗尾草(※)! 俺が裏庭で見っけたンだぞ!」 思わず立ち上がり追いかけようとするマフを見ると、雀は「きゃー」と嬉しそうな叫びを上げて、ばたばたと逃げていく。 そうして空いたほのかの隣に、へべれけになったやまとが一升瓶を持ってやってきて、なだれ込むように座った。顔は真っ赤で、ヒックとしゃっくりをしている。だいぶ酔いが回っているのか、視点が微動だにしない。完全に目が据わっている。 「そなた、確かほのかと言ったな……おぬし、供物の匂いがする」 やまとは鼻をふんふんさせながら、ほのかの肩に寄りかかる。ほのかが覚醒したきっかけは、神への捧げ物として海に投げ込まれ、そこで死に瀕したことからだ。暗い過去であるには違いないので、ほのかは進んでそれを話してはいなかったのだが、そうして物や命を捧げてもらう立場であったやまとは、ほのかに何か感じるものがあったのだろう。 「海神の花嫁、神の嫁……というところか。いやいや、勘違いするでないぞ。別に貶めたい(※)わけではない。わしが言うのもなんじゃが、そうして身を賭さなければならぬ立場も辛かろうて。よっておぬしには特別に、わしと酒を酌み交わす権利を与えようぞ」 と一方的に話すと、やまとは真っ赤な盃(※)ふたつをほのかに差し出した。ほのかは、相変わらずにゆったりとした仕草で盃を受け取ると酒を注ぎ、そのひとつを厳かな動作で彼に返した。自分の酒も注ぐと、二人は同時に辛い酒を飲み下す。 「ふふ、おぬしの酌で飲めば味も格別な気がするのう。さて、今宵は無礼講の宴会じゃ。一曲、わしがそなたのために奏でてやろう」 言うが早いか、やまとは指から細い糸を大量に出すと、さっと編み上げて即興の弦楽器を作ってしまった。それを使い、和のテイストに溢れた曲を、見事な腕前で披露する。 ほのかは、その様子を静かな面持ちで見守っている。淡い表情ににじむ感情は分かりづらいかもしれないけれど、どこか懐かしさを感じて落ち着いてるような様子だった。 † 「おぉ、飛天殿。先ほどからいい飲みっぷり。ささ、もう一杯」 「うむ、かたじけない」 酒を嗜むロストナンバーたちは飛天を中心に集まり、互いに酒を飲み交わしている。この一角にいる者たちは、既に結構な量の酒を飲み干しており皆、顔にほんのりと朱を走らせている。 「しかし酒もいいが……初詣に行きたい」 ツルのように長いヒゲを揺らしながら、飛天は注がれた熱燗(※)を一気に飲み干し、ぷはーと熱い吐息を漏らす。 「確か晴れ着、と言ったか。壱番世界の女性の、美しい正装と聞くが着てみたいものである。私とて女性であるしな」 「そんな、自分を卑下しないでくださいよー。飛天さんのスレンダーな体つき、かっこいいじゃないですか」 酒飲み仲間の一人である女性のロストナンバーからそんなフォローが入るも、飛天は小さく首を左右に振る。 「そんな部分は戦士としては優秀な証やもしれん……だが私とて女性だ。時には華やかに着飾ってもみたい……しかし、こんな身体では格好がつきそうにもない」 鍛えられてしなやか、だが戦の傷痕がいくつも付いた肢体に目を落とし、飛天はしんみりと溜息をつく。だが、はっとすると頭に手をあて、苦笑しながら首を振る。 「――むぅ、すまない。少し酔いが回りすぎて、口が滑ったようだ」 「それなら初詣よ!」 飛天の呟きだけではなく、その部屋の喧騒にも訴えるような勢いで、幸せの魔女の凛とした声が響いた。思わず皆の視線が彼女に殺到する。誰もが一度口を閉ざし、沈黙する。 「ハッピーなニューイヤーだもの。きっと街には幸せが溢れているに違いないわ。そんな特別な日に出掛けないのは愚の骨頂。おめかしして街を散策よ!」 握りこぶしを天に掲げ、そう高らかに言い放つ魔女。ちなみにもう一方の手は、脅迫するようにお正月知識を喋らされていた、優の首を強く握り締めている。お出かけ宣言に熱が入るあまり、首を絞める力が強くなってしまっていた。なので何だか優の顔色は青白く、口端から魂のようなものがひょろろと漏れていたが、皆は魔女に視線を向けていたため誰も気付いてくれなかった。 「それに私、一度でいいから振袖とか着てみたかったし! 女性陣は皆でおめかししてお出かけ、そうそれがいいわ」 家主である某コンダクターも、家族のお下がりでよければ振袖の数着くらいはあるはずだと言うことで、初詣はお洒落をして外に繰り出すこととなった。 それでも、戦士らし過ぎる己の体つきに似合うかどうか不安な面持ちの飛天へ、魔女は立てた指をくるくると回しながら、 「幸せは自分の手でつかむもの。二の足を踏んでいたら、幸せが逃げちゃうわ」 と、歌うように口ずさんだ。 ▼お正月の朝、別荘にて 「ア・ハッピー・ニュー・イヤー! お菓子か悪戯か!」 年が明けた朝の別荘。朝食を取ってまったりとしてる面々がいる座敷に、たん、と勢いよく戸をあけて登場したのは振袖姿の魔女。私服と同じ白を基調とし、濃い桃色や橙色の花柄が映える着物に身を包んでいる。普段はそのままにして流している金色の髪も、後ろで結って綺麗に整えている。 「……それはハロウィンの挨拶よ」 「え」 しずしずと廊下を通りがかったほのかの指摘を受けて、魔女はショックを受けた様子だ。空いた口がふさがらない。外には出かけず、皆が帰ってきた後の料理の仕込みをするつもりのほのかは、いつもの真っ白な小袖に腕を通していた。 「ちょっとゼロ、また嘘を教えたわね! ゼロ、どこにいるのっ」 誤った知識の発信源はゼロであったらしい。ぷんすかと怒りの湯気を立たせつつ、どたばたと廊下を走っていく。 「だいじょーぶだよ、飛天さん! 早く皆に見せてあげなよーっ」 「いや、だがな……まだ心の準備が」 ぐいぐいと雀に引っ張られるようにして姿を見せたのは、振袖を着込んだ飛天だった。全身を包む鱗を同じ黒を基調にし、鮮やかな紅色や金色の刺繍が美しい着物だ。落ち着かないのか不安なのか、飛天は少ししおらしく遠慮がちだ。 「飛天さんの体型にも、よく合ってると思うよ!」 「……それは褒め言葉と受け取って良いのか? 非常に複雑な気分なのであるが」 でも確かに、雀の言う通りによく似合っていて、皆は揃って「おー」と感嘆の声を漏らしたし、まばらにも拍手さえわき起こった。 慣れない賞賛に飛天は戸惑いがちだったが、頬をかきながら「……感謝する」と礼を呟く。その姿は、皆の目にとても微笑ましく映った。 「雀さんは着物、着ないの? 子ども用のもあるって言ってたけど」 携帯で壱番世界の友人にあけおめメールを送信し終えた優が問いかかけた。 「私はいいの! ちょっと動きづらそうだし、私にはこーゆーのがいちばん!」 雀はぴょん、とその場で跳ねてみせる。彼女はふかふかのイヤーマフに、ボンボンの付いたマフラーに手袋、ホットパンツにニーソックスと、防寒対策ばっちり&動きやすい格好の服装だ。普段からちょこちょこと元気に動きまわる彼女には、ちょっと着物は窮屈なのかもしれない。飛天をずいずいと引っ張ってくる前は、外の庭でお子様ロストナンバーたちと雪遊びに夢中だったくらいだ。夜の間に降ったであろう雪は、広い庭園に僅かながら雪化粧をさせていた。 「お尻を冷やさないよう毛糸のパンツも装備したしね!」 「あはは、そっか。でも今日、雪積もってるくらいだから短パンじゃ寒くないか?」 防寒具の装備は充分なようだが、下はズボンでなくて大丈夫かなと、以前から雀の知り合いでもあった優は心配する。 けど雀は「大丈夫! 子どもは風の子、元気な子。女の子は足が命――って聞いたから!」と明るく答えた。足が命だから短パン、という結論についてはよく分からなかったけど、優は「そっか」と笑みを漏らし、彼女の頭をぽふぽふと撫でた。 そこへ、何かをやり終えてすっきりとした面持ちの魔女が戻ってきて、「さ、報復は終わったし早く行きましょう。ハツモウデ!」と急かしてくる。 ゼロに対してどんな復讐をしたのかは、怖いので誰も聞かなかった。 ▼午前中、近くの街の神社にて 公共の交通機関を利用して、初詣組のメンバーは街に繰り出した。半分以上は一緒に出かけており、屋敷に残っているのはほんの数人たらずだ。ぞろぞろと皆で街にやってきたわけだが、そんな人数など埋もれてしまうくらいに、街は人でごった返していた。 そう簡単に身動きが取れそうもない状況に、飛天が空を飛んで近道でもしようかと提案した。 「壱番世界では、龍は非実在ながら縁起が良いとされるらしいな。ならば、偶然目撃されても縁起が良かった幻、で済まされたりはしないだろうか」 と述べていたものの、さすがに昼間から飛行は目立つということで、普通に歩いて向かうことにした。 † 例外なく、神社も大勢の人が行き交いしている。皆が晴れ着に身を包んでいる。厚い服を着込んでいても、寒そうに身を震わせている者もいる。人が詰め寄せる時期だからか、儲けを狙っていくつかの屋台が連なっている。 空は濃い灰色の雲に覆われており、ちらほらと雪がちらつき始めた。それくらいに寒い陽気であったが、つんとした寒さに顔を引き締めて、真剣にお賽銭を投げ込み、何かを願う者もいる。 (私のいた世界でも、先祖をまつる祭りごとはあったが……新年早々、皆で神頼みとはな) 小銭を木箱に投げて祈ったり、小さな木の板に願いを記しているそうした人々の様子に、飛天は目を向けながら苦笑する。 (まぁ、私もここに来ている身で言うことではないが) 事前に教えられたとおり、きちんとした型で丁寧にお辞儀や合掌をし、飛天は願いを想う。 (女性としての魅力が高まって欲しい。特に胸、胸、胸) 隣にいた誰とも知らぬ一般人は、飛天から放たれる無言の覇気に悪寒を感じ、びくりと肩を弾ませていた。 † (受験とロストレと同時進行だけど、どうか無事合格できますように……!) 受験生の参拝も多い中、優もその中の一人に含まれている。大学の合格を祈願し、ぱんぱんと力強く手を合わせた。 そんな彼の隣に引っ付いているお子様ロストナンバー(温和で面倒見のいい彼が保護者役なのだ)の中に、雀の姿もあった。長蛇の列を少しずつ進み、時には人のかたまりに押し流されそうになりながらもようやくたどり着いたので、もう少し疲れ気味だ。 でもその疲労を振り払うかのように首を左右にぶんぶん振ると、優以上の強さで勢い良く合掌し、ぐむーとかたく双眸を閉じる。 (今年こそ兄貴が見つかりますように) 雀は元々、行方不明になった兄を追っている最中に覚醒した経歴を持つ。兄が自分と同じように世界をさ迷い歩く存在になってるかどうかは分からないし、あるいは迷子になってるのは自分だけで、兄はもとの世界に残っているのかもしれない。 その辺りは分からなかったが、大好きな兄との再会を願って、小さいおなごは無垢に願うのだった。 だから。 視界の隅によぎった見覚えのある人影に、雀は弾むように顔を向けて。個性のない灰色に見える大勢の人の中で、まるでその後姿だけがきちんと色を持ってるように見えたそのひと――兄に似た後姿を見かけた時に、雀は。周囲を省みることなく走り出して、そのひとを追ってしまった。思わず一人で走り出してしまった。 しばらくしてから雀の迷子に気付いて、皆で捜索したのは語られないお話だ。 残念なことに兄は見間違えだったそうで、雀は少ししょんぼりしていたそうだ。 † 「つまらん、やる」 「……ほんと? ありがと!」 何の感慨もない様子でやまとが差し出した紙切れを、雀は満面の笑みで受け取った。沈みがちだった表情に明るさが差した。 祈願を済ませた面々が、おみくじを引いていた。皆、それぞれの結果に一喜一憂しているが、やまとはつまらなそうにしている。もとは神さまであった彼は、どちらかと言うと運を与える側だったこともあり、おみくじの魅力が分からないのだ。 頭の後ろで手を組み、唇を尖らせているやまと。――彼はちらりと、皆の様子を確認する。皆はおみくじを引いたり、その結果を見せ合うのに気を取られている。思わずにまーりと悪戯っぽく口許を緩めたやまとは、そろりそろりと忍び足でその場を抜け出そうとし――。 「お前、また何か企んでいるな」 「ぎく」 ぎら、と鋭い視線を投じてきた飛天の言葉を背中で受け止め、やまとは思わず歩みを止めた。 クモの糸を使って賽銭箱からお賽銭を持ち帰るいたずらをしようとし、発見されて叱られたばかりなのだ。こっそりどきどきと実行するいたずらが面白かったらしく、懲りずにまたやろうとしたようだ。 「分かった分かった、もうやめにする。……まったく、わしに賽銭を投げた方がご利益あるのじゃぞ」 手をひらひらと振りつつ、ぶちぶちと文句を呟くやまとだった。 「それに、おみくじだってただの神の気まぐれの結果であろうに。ようは自分で何とかせぬ心意気がなければ意味はない。そのようなものに翻弄されおって」 「気まぐれだろうと何だろうと、どれだけ稀少なものを獲得できたかが重要なのよ。運がいいことは幸せなのだから」 魔女は己のおみくじの結果を一心不乱に凝視しながらやまとに答えた。 「中吉ね。運は一気に放出しすぎても後で反動がきてしまうから、これくらいが丁度いいのだわ――ん?」 魔女は何かを察したようで、ば、と勢い良くおみくじから顔をそらし、とある方向を見やった。大量に赤い袋を売り出している出店がある。 「優、あれは何?」 「あぁ、福袋じゃないかな。中に色々と詰められているだけど、一種のおみくじみたいなもので、たまに高級な物とか入ってるんだ」 「へぇ、福袋。ハッピーバッグなのね……ふふふ、私の〝幸せの魔法〟がささやいてるわ。きっとあそこには幸せが眠ってる」 魔女は笑っているのだけれど、それがちょっと狂気的なところもあるので、皆は苦笑するしかない。でもそんなのは気にせず、魔女は人が殺到する福袋の出店へと駆けていき、人だかりの中へ身を投じた。 「ふふふ、無駄よ。幾ら中身が見えないように取り繕っても、私の前では裸も同然。私は幸せの魔女。幸せを追い求め、決してそれを逃がさない残酷な魔女……」 ちなみに紙切れ一枚が当たったと思いきや、実は鍋の具材セットと交換できる券が当たったようで、結果は上々とのことでした。 ▼一方その頃、別荘にて 「ち、あのクモのガキの仕業だな……」 たっぷりと寝てからゆっくり起床し、朝食でも昼食でもない微妙な時間にごはんを食べ終えて庭に出てきたマフは、とあるものを見上げて顔をしかめた。 屋敷の外壁にスプレー缶で落書きがされていたのだ。拙い運びで「やまと参上」とか書かれている。 「昨日の夜、酔ったままふらふら出かけたと思ったら、こんなことしてやがったのか」 年越し前に、屋敷の外も内もせっかく綺麗に掃除したマフにとっては、自分の仕事が汚されたようで納得いかない。彼が掃除する義務はなかったが、やはり泊めてもらっている義理と、掃除に対する誇りのようなものがあったので、彼は悪態を吐きながらも、いそいそと落書きの掃除に取り掛かった。 しばらくすると、さらに遅い時間に起床してきたゼロが、およよと涙を流しながら縁側の廊下を歩いてきた。端整な顔立ちに油性ペンで思いっきり落書きがされており、その凄惨さにマフは笑うどころか、「な、なんだオメェ」と、驚きに目を丸くするしかなかった。偽りの知識を教えたとして(ゼロに嘘のつもりはないのだけど)、魔女が報復をした結果だった。 落書きは顔全部、余すところなく描かれている。瞼には目、鼻下にヒゲ、額に「肉」の文字、頬にぐるぐると乱暴な円、口端によだれっぽいもの、などなど。 不器用に洗面所の冷たい水で顔をこすっていたそうなのだが、それで汚れが落ちるはずもなく、誰かに助けを求めてふらふらしていたというわけだ。 「つーか、そんだけ落書きされてて何で起きねェんだ、おめーは」 「ふぇぇ、だって~」 かくして、廊下にちょこんと正座させたゼロの頬を、マフがお湯を含ませたタオルでごしごしと拭いてあげていた。マフの身長は80cm程なため、彼女が立ったままだと届かないのである。半・猫型獣人のマフに介抱される少女の図だ。 † 時間は少し過ぎて、ちょうど3時のおやつの頃合だ。 屋敷に残っているのは、マフにゼロとほのか、あとは2~3人のロストナンバーのみ。半数以上は初詣に出かけ、まだ帰って来ていない。 マフは庭先で、どこからか取り出してきた七輪を使い、もちを焼いている。なぜか頭にウサ耳を着けているのだが、これはゼロが「兎さんを讃える年だと聞いたので、ウサ耳を用意してきたのです~」と言いながら持ってきたものだ。始めは「そんなの着けてられっか」と拒否したマフだが、ゼロが今にも泣き出しそうになったので、仕方なく着けてあげている。でも頭に2本の黒い角を生やすマフにとっては、ちょっと邪魔だったのだけど。 ゼロは、残ってる仲間と一緒に、さっきまではお庭に積もった雪で遊んでいたようだが、今は一緒に書初めをしている。世間知らずな彼女に、仲間は親切に色々と教えてあげているようだ。墨汁が跳ねて顔についてしまっているが、真剣な様子で筆の使い方を教わっている。 「カキゾメでは、抱負を書くのですか? じゃあえっと〝安寧安息安泰安心安定安全安眠安逸〟の呪符を書くのですー」 「……ゼロちゃん、それはちょっと長いと思うよ……」 そんな突っ込みを受けながら、習字を楽しむゼロであった。 「というか、ゼロちゃん、そんな薄着で寒くないの?」 「ゼロは寒さを感じないので、雪の中でもへっちゃらなのですー」 ゼロが自己主張するかのように、ぶんぶんと腕を動かした。筆を持ったままだったので墨汁が周囲に飛び散る。 「えぇい、また掃除の手間増やす気か、オメーは!」 はしゃぐゼロを止めようと、マフが七輪を放り出して駆け寄って、彼女にねこぱんちした。 「つーか何か上に着ろよ。見てるこっちが寒いっつーの」 「えへへ」 「なんで照れンだよ」 かみ合ってないやり取りをする二人。平和なようです。 † 「あんた、ほんとにそれ、海潜って取ってきたのか?」 「えぇ……私、幽体離脱ができるから……魚に憑依して、砂浜に打ち上げられに行って……憑依から戻った私が、それを捕りに行ったの。幽体で海に潜れば、深海にでも何処までもいけるから……」 「わぁ、すごいですー。漁師さんなのですー」 縁側で仲間ともちをほお張りながら、マフとゼロは感嘆の呟きを漏らした。 ふらりと出かけたと思ったら、新鮮なアンコウを何匹も魚籠(※)に入れて帰って来たほのか。獲物は、即席で作った吊るし台にぷらぷらと吊るし上げられている。 「……アンコウはぬめるから、まな板ではさばき辛いの。だからこうして、あごに鉤を引っ掛けて吊るしてそのままさばくのよ……」 そう言いながらほのかは、形の様々な包丁を用意し、それを手馴れた様子で研ぐ。 「……色んなヤツがロストナンバーになってるが、何だか改めてそのすごさの片鱗を感じた気がするぜ」 「そうかしら……でもありがとう。ふふふ……」 「ほ、ほのかさん。包丁持ったまま笑ってると、ちょっと怖いですー!」 体格の小さいマフの後ろで、びくびくとおびえるゼロの姿に、皆が笑う。 かくして、ほのかによるアンコウの解体ショーが始まり、小さな拍手と喝采がそれを彩った。 † ほのかたちは庭先から調理場に移動しており、そこでアンコウを鍋にする調理が進んでいる。 ほのかがてきぱきと料理をしていく様子を、マフやゼロたちは後ろからのぞき見るだけだ。料理に手馴れている者は今はほのかしかいないため、手を出してはかえって邪魔になると思い、様子を見るだけに努めている。 華麗な一方で力強くもある包丁捌きは無駄がなく、あっという間に料理の具材となったアンコウ。もうほとんど影も形もなく、残っているのは顔と骨くらいのものだ。肉はもちろん、内臓も皮もすべてが具材となっている。 「……すげぇ。ほとんど料理になっちまった」 「アンコウさん、すっからかんなのですー」 マフとゼロは元アンコウだったそれを物珍しそうにつつく。 「その内、御節とお雑煮だけでは飽いてしまうだろうから……。冬はやはり、鍋でしょう? ――あら、やだ。お野菜が少ないわね」 ほのかが、野菜が無造作に突っ込まれている籠を確かめながら言った。 「ん? じゃあ裏庭の野菜置き場、見てきてやろうか?」 「あ、ゼロもいきますー」 「えぇ、お願いします」 ぴょんこと小さく跳ねて、元気良く手をあげ、はーいと意思表示するゼロ。二人は裏庭にある、野菜を保存してある小屋に向かった。 「ありゃ、あんまねェぞ。これ、足りンのか……?」 「買出し、行かないとダメでしょうかー?」 とりあえずあるだけの野菜を籠につめ、小屋を出て再び厨房へ向かう。その途中、お出かけから帰ってきた初詣組の面々とひょっこり顔を合わせることになった。 「ただいまー! あ、ゼロちゃんとにゃんこー!」 「だから、にゃんこじゃねェって言ってンだろ!」 抱きついてもふもふしようとする雀やお子様ロストナンバーの手を、マフはひょいひょいと軽快に避ける。 「む? 何やら良い匂いがするのぅ」 くんくんとやまとが鼻先をひくつかせる。優もそれに気付いた様子で、ここからは見えない厨房の方向に顔を向けた。 「ほんとだ。何か料理でもやってるの? ほのかさんかな」 「あ、そうなんですよー。ほのかさんがアンコウで包丁ずばばーで、海に潜って野菜がなくて顔に落書きがあってお掃除で、カキゾメが楽しくてあーうーっ!」 「きちんと順序追って、落ち着いて喋れ! 意味わかんねェよ!」 テンションも高く矢継ぎ早に話し出すゼロに、すぺん、とマフがねこぱんち。慌ててるゼロに代わって、マフが今の状況を簡単に説明する。 「それなら丁度いい。鍋の具材セットを持ち帰ったところだ」 「この幸せは、私が招き入れてあげたのよ。感謝しなさいね」 飛天が、手に提げた袋を見せながら言った。鍋に使えそうな野菜がたくさん顔をのぞかせており、ビニール袋ははちきれんばかりだ。その隣で魔女が胸を張り、ふふんと自慢げに自己主張している。 「それじゃ、俺は厨房に行ってくるよ。ほのかさんを手伝ってあげないと」 優は、先日にも共に料理をした調理組ロストナンバーを引き連れると、具材セットを手に厨房へ足を運んだ。 ▼夕食時、別荘にて 魔女が幸福を求める一心に引き当てた大量の野菜を、ほのかや優などの調理組が刻み、味噌の味付けをしてぐつぐつと煮込んだ。完成したアンコウ鍋を皆で囲み、今はそれをつついている。 「それにしても、この集まりも終わりかァ。朝には帰りの便が来るンだったっけな。あっという間だったな……っと、アチチ!」 口に運んだ豆腐が思いのほか熱かったため、マフが身体を弾ませた。小さな笑いが起こる。 「猫舌なんだから、にゃんこは気をつけないとダメだよ! ――でも、ほんとにもうおしまいだけど、楽しかったーっ。たくさん遊んだし、いっぱいおいしいもの食べれたし」 お冷をついっと何気なくマフに差し出す雀は、子どもなりに気遣いができる娘のようだ。屋敷に来てからの楽しかった数日間が彼女の脳裏をよぎり、ふふふと幸せそうな笑い声を漏らす。 「初詣の屋台で、あれだけ綿飴やりんご飴を食べておったのに、まだ食べれるとはのぅ。いや、しかし中々に旨い鍋じゃ」 お子様たちの食べっぷりを何ともなしに眺めながら、やまとも鍋に箸をつける。食事の最中にいたずらをするのも勿体無いようで、大人しくしているようだ。 離れた場所に座るほのかに、くいくいと手招きをする。 「おぅい、ほのか。酌をせい」 「テメーはダメだ。酔うと何すっか分からねェ。また壁に落書きすんじゃねーだろな?」 マフがやまとの手から酒と盃を取り上げる。 「はて、わしには覚えがない」 やまとはすました顔でとぼけながら、マフの非難を訴える視線もそっぽを向いてやり過ごした。 「うん、なるほどなぁ」 一方、優はどこか気難しい表情で鍋をつついていた。具をひとつ口へ運び咀嚼するのも目を閉じながらで、ゆっくりと味わっているようだ。味付けはほのかがしてくれたのだが、そのバランスの絶妙さに優は舌を巻いた。彼もそれなりに料理は嗜むし、手馴れた料理であれば目分量で味の調節もできる。けれど、約20名というこれだけの大人数ともなれば目分量にも誤差が生じるものだし、丁度いい味付けは難しくなる。 それでも、ほのかの味付けは濃くなりすぎず薄くもなく、具の味も生かした味付けになっていて――一言で言えばもう、単純に「うまい!」の一押しなのだ。 「……いかがしたの? 優さん」 「あ、えぇ。ほのかさんの味付け、すごいなってしみじみ思いまして。何か悔しくて、どうにか業を盗めないかな、って思って」 いたずらっぽく優が笑い、ほのかも口許に手をあててくすくすと笑む。 「やっぱり経験の差ですかね……魚を直接、生きたまま捌くなんてやったことないしなぁ」 「でも、料理に一番大切なことは……もう、優さんは分かっているようだわ」 「え、そうなんですか?」 きょとんとする優に、ほのかが頷く。 「料理を楽しもうとする気持ち、料理を美味しくしようとする向上心……それが一番の、味付けの材料よ」 「はは、なるほど。じゃあいつか、その向上心とやらでほのかさんの舌をうならせてみせますよ」 「ふふ……楽しみにしてるわ」 「ところで、アンコウってどう捌いたんです?」 「えぇ……少しコツがいるのだけれど」 料理談義に花を咲かせる二人だ。 「しかし、こうしてのんびりするのもまた乙であるな。旨い酒も飲めたし、土産の酒も買えた」 「ほんとね。念願の晴れ着も着れたし、壱番世界をとても堪能できたわ! 幸せを思う存分満喫できた……お鍋も美味しいし」 酒を傾けながらゆるりとしている飛天の横で、魔女はうっとりとした表情で笑む。 「偶然とはいえ、良い休暇になった。改めて、この屋敷の主に感謝をしたい」 「まぁ、ここに来れば幸せが待ってるって、私は分かっていたけどね」 「その幸せも、ここの主のおかげだろう。素直に礼を言え」 「言われなくてもそのつもりだわ」 非難するような声音ではなく、淡々と飛天がそう口にする。魔女は唇を尖らせて、ぷいと横を向いてしまう。 でもその後、この屋敷を休暇場所として提供してくれたコンダクターの人物に、魔女は花のような笑みを向けた。 「ほんとに、ありがとう。私、幸せよ」 「ゼロも楽しかったですよー」 お箸を持ったままゼロが横でぶんぶんと手を振るものだから、汁が飛んで皆が声をあげるのだけど、当の本人は気付いていない様子。 「カキゾメもしましたし、カルタもユキダルマもハゴイタも、おいしかったですー」 「雪だるまはまぁ喰えるが、他は喰いモンじゃねーだろ」 「えへへー」 「だからなんで照れる」 マフとゼロのやり取りに、あははと笑いが起こった。 「……本当に、お世話になりました。ありがとう……」 「ありがとね! 楽しかったよーっ!」 ほのかが恭しく頭を垂れたのに続き、雀も感謝を口にする。 「わしもそれなりに楽しむことはできた。中々、居心地が良かったぞ。誘われればまた来てやるのも、やぶさかではないのう」 座敷でころんと横になり、腕まくらをして満足そうにしているやまとも、遠まわしに礼を述べる。 「そういえば、近くに海もありましたしねー。ゼロ、海も行ってみたいですー」 「少し気が早い。まだ年が明けたばかりだぞ」 「予約は早めに入れておくのですー」 「……お前はここを、普通の宿か何かと勘違いしていないか?」 「ほぇ?」 ゼロの希望に飛天が冷静に突っ込みを入れるが、ゼロの反応が薄かったので、少し頭を抱えた。 「また機会があったら……って言うのも変かもしれないけど。でも、今回は本当にお世話になりました」 優が頭を下げるのにならって、この別荘にお世話になった面々も続いて頭を下げる。当の別荘主のコンダクターも、わたわたと恐縮した様子でへこへことお辞儀をした。 「さて皆、明日は早い。乗り遅れてしまっては迷惑もかかるし、そろそろ仕舞いにして早めに床に着かんか?」 飛天の言葉に賛同し、皆が頷く。 「それでは……夕食の最後も、この世界の決まりにならうとしましょう……?」 ほのかが静々と言い、手を手をそっと合わせ、各々もやや遅れて同じようにする。そうした風習に慣れていないマフやゼロには、子どもの雀がお手本を見せ、真似するように言っている。 皆が一旦、おしゃべりの口を閉じて静かにする。そして優の一言にならって、全員が同じ言葉を口にした。 「ごちそうさまでした」 「ごちそうさまでした……」 「ごちそーさまでしたーっ!」 「ごちそーさまですー」 「ン、ごっそさん」 「ご馳走様、だ」 「ごちそうさま、よ」 「うむ、馳走になったぞ」 † その後、皆で協力して片付けをし、お世話になった別荘を軽くお掃除。明日の準備をしてから早めに布団に入って、床に就きます。そして朝早くにやってきたロストレイルに搭乗し、一同は別荘を後にしました。 後に提出された報告書は、このお屋敷で過ごした「ちょっとした冬休み」のことが、内容の大半を占めていました。 そんな報告書の表題は、『壱番世界における凶悪ワームの殲滅作戦』から『ロストナンバー休日紀行』へと差し替えがされたとか、されなかったとか。 <おしまい>
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