オープニング

 ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。
 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。
 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。
 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。
 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。
 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。

●ご案内
このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)
・それを見つけるための方法
・目的のものを見つけた場合の反応や行動
などを書くようにして下さい。

「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。

品目ソロシナリオ 管理番号550
クリエイター錦木(wznf9181)
クリエイターコメントブルーインブルーの夏はからっとしていてすごしやすそうですね。
うらやましいことしきりです。

せっかくのソロシナリオですし、フリーダムに、何でもやってみるのサの精神でどーんと参りましょうや。

それでは、よい旅を。

参加者
プレリュード(cepu5863)ツーリスト 女 27歳 魔法使い

ノベル

 ブルーインブルーを訪れてしばらく経つと、波の音は意識に上らなくなる。代わりにプレリュードの耳を楽しませているのは、街角ごとに奏でられる旅芸人たちの楽の音だった。
 肌もあらわな踊り子が指先をひるがえす。その手のひらには小ぶりの貝が挟まれていて、踊りの合間にカチカチと軽いリズムを添えていた。
 跳ねる足首には、淡い桃色の貝を連ねた飾り輪。こちらはしゃらりと。空気の動かぬ炎天下、ほんの少しの間だけ吹く清風のような、ひんやりとした音を立てる。
 その背後、踊り歌を奏でる男が抱えているのは二枚貝の竪琴。ごつごつした法螺貝に皮を張った横抱きの小太鼓に、茶白のまだら貝を加工した長い、長い笛。
 海上都市ジャンクヘヴンは、大いなる海の恩恵を惜しみなく与えられた稀有な都市だった。魚に海草、紅珊瑚。その中には貝だってもちろん含まれる。
 プレリュードが訪れたのは、ジャンクヘヴンの中でも貝を楽器に加工することを生業とする者たちが集まる職人街だった。土地柄、こうした芸人の一座も多く集まるようで、街角ごとに異なった音色が響いている。
「暑……」
 さらけ出された首筋を焦がす熱気に、思わず泣き言が漏れる。
 まっすぐで力強い陽光は、プレリュードの故郷――ライフィーリスにはないものだ。あの土地はいつだって夜の闇と青白い月光に抱かれていた。
 ライフィーリスにないものはもうひとつある。それは音楽だ。
 日々を魔獣におびえつつ過ごしているライフィーリス人に娯楽を楽しむ余裕は少ない。皆無だったと言っていい。
 だからプレリュードが初めて「音楽」というものに触れたのもロストナンバーになってからだ。年の初めのインヤンガイ、巡節祭で感じた未知の喜びは、普段から音楽に親しんで過ごしてきた者には、おそらく理解し難しいだろう。こんな簡単に人の気持ちを安らかに、豊かにしてくれるものが存在するなんて思いもしなかった。
 ジャンクヘヴンで貝を使った楽器があると知った時、そしてそれを商う街区が《駅》の近場だと知った時は、チャンスだと思った。
 踊り子が指先まで力をこめて見得を切る。取り囲む観客から拍手が沸いた。わずかばかりの気持ちを籠に投げ入れて、プレリュードはその場を後にする。どんな楽器があるか、ちょっと見ようと思っただけなのに、ずいぶん長居してしまった。見物中ずっと太陽の下にさらされっぱなしだった首筋を撫でると、ぴりっとした痛みが肌を刺す。
「今度は日傘も持ってこようかしら」
 足元をふらつかせながら商店街を目指す。白壁の高級楽器店もあれば、板子の上に絨毯を敷いただけの露店商人もいた。
(さて、何がいいかしら)
 音楽の教育などまったく受けていないから、扱いに特別な知識がいるものは遠慮したい。だからといって太鼓もちょっと、だ。それ一つで一曲、なめらかに演奏できるものが良い。
「そこのお姉さん、どうだい。うちのは良い音が出るよ」
 声をかけてきたのは黒く日焼けした老人だった。並べられているのは乳白色の二枚貝だ。飾りだろうか、貝の内側のふちに沿って、いびつな真珠が並べられている。
 見本代わりに老人が抱えているそれの内側には、灰色の糸を寄り合わせた弦が張られている。ひどく見覚えがあった。
「これ、さっきあっちにいた旅芸人の人が弾いてたわ」
「そうかい。きっとジャンクヘヴンの出身なんだろう。故郷の音を弾いてくれるってなぁ嬉しいね。俺のとこで買ったのだともっと良いんだが」
「さわっても?」
「弾いてもくれ」
 腕に一抱えもある二枚貝は、肉厚な見た目に反してずっと軽い。これなら長い曲を演奏していても腕がしびれなくて良さそうだ。
 貝を縛っていた十字紐を解くと、それは勝手にぱかりと口を開けてプレリュードを驚かせる。
 先ほど演奏を聴いていたときには気づかなかったが、貝の内側には水に濡れた金属の光沢が渦を巻いて貼り付けられている。螺鈿と言うやつだろうか。波模様はブルーインブルーの日差しに鈍く輝いていた。
 弦を固定しているのは、ふちにそって飾られたふぞろいの真珠だ。貝のふちに開けた穴から弦が通され、外側に取り付けた真珠に巻き付けて固定されている。
 つめの先で弦を撫でる。竪琴弾きの姿が頭をよぎった。音の半分はそのままジャンクヘヴンの空気を揺らし、もう半分は貝の内側に掘り込まれた溝に幾重にも反射して、返ってくる頃には微細な振動に柔らかく揺れていた。
「これを頂戴」
「お姉さんならそう言ってくれると思ったよ」
 からかうような口調だが、老人の目には嘘ではない笑いじわがしっかりと刻まれている。
「大事にしてやってくれ」
「もちろん。ところで予言者さん、一つ教えてほしいのだけど。この辺で飲み物を売っている店はないかしら?」

 果汁と乳のカクテルで喉を潤して、ようやく人心地ついた。
 ジャンクヘヴンの住宅地に構えられたこの店は、地域の住人の憩いの場らしい。ほろ屋根の元、あちこちのテーブルから談笑がもれ聞こえ、テーブルの合間を走り抜け、板子に石灰で絵をつづる子供たちの、甲高い嬌声に掻き消える。
 見るともなしにぼんやりと通りを眺める。日陰と日向、明暗の差は強い。通りの向こうでは、大きなおなかを抱えた女性が洗濯物を干していた。
「あら奥さん代わろうかい」
「なんのまだまだ。こんな日の洗濯物は手前で干したくてねぇ」
「奥さんってば働き者だねぇ。私ン時ァお姑さんにまかせっきりで」
「あの腹見りゃあ誰だってそうするさね。五人兄弟だったんだろ?」
「六人さね」
そんな会話が聞くともなしに聞こえてきて、気づいたら微笑んでいた。
 そのまま立ち話を始めてしまった女性たちの前を、魚の切り身を満載した荷車が通り過ぎる。荷車を引くのは筋骨たくましい青年だ。顔見知りなのか、板子に石灰で落書きをしていた子供たちがたたっと駆け寄る。二言、三言言葉を交わすと、子供たちはきゃあと歓声を上げて荷車の通ってきた道を走り去っていった。
「……あの、今の子たちはどうしたのかしら? 港のほうで何か?」
「大したことじゃねぇんだが、琴くじらが上がったぞってつい言っちまってな」
「琴くじら?」
「海魔の一種だけど、良いもんだぜ。大人しくて。あんたも持ってる竪琴だって弦に使われてんなぁ琴くじらのひげだ」
「海魔!?」
 竪琴が腕から抜けそうになって、あわてて抱きとめた。
「ひげ以外にも骨やら皮やら色々取れる。肉だって美味いし身体もでけぇ。ありがたいもんだぜ」
 じゃあなと片手を挙げて、青年は荷車を引いて去っていく。
 青年の後姿が建物の陰に隠れて見えなくなるまで、プレリュードは見送っていた。それからすとん、と脱力して椅子に戻る。湧き上がってきたのは心の底からの感嘆だ。あの獰猛な海魔も、ジャンクヘヴンの人にかかっては、日常を豊かにするための存在になってしまうなんて。
 この世界の人々は、なんて生きることに懸命なんだろう!
 ライフィーリスにも獰猛な魔獣がいたが、彼らを加工しようなんて酔狂な考えを持った者には終ぞ出会ったことがない。
「最初の一人になるのも、悪くはないかもしれないけど……まずは楽器の練習をしなくてはね」
 いつかあの場所に戻る時、琴を奏でる日のために。
 恐ろしい魔獣たちを克服するのに必要なのは、もしかしたら力ではなく、心の安らぎなのかもしれないから。

クリエイターコメント大変お待たせいたしました。
丸い真珠も可愛いけど、ごてっとしたバロックパールにも浪漫があると思うのです。なので装飾兼弦留めに使ってみました(丸いと巻けないし)
貝竪琴、使わないときは弦をはずしてお部屋のインテリアや小物入れにもどうぞです。
素敵な旅路を描くお手伝いをさせていただき、ありがとうございます。
公開日時2010-06-01(火) 23:30

 

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