――インヤンガイ。 疑惑と喧騒に満ちた、不夜城たる世界。 続くビル、入り組んだ迷宮の如き都市の群れ。 そのどこかで、探偵が、マフィアが、ロストナンバー達が、今日も世界に彩りを添える。 そんな場所が、最近更に物騒になっているようだ。 薄暗い路地。その一角で嗤うモノが一人。短く切られた白い髪、血のように赤く光る瞳の男がナイフ片手に問いかける。「なあ? あんたらの所為なんだろう? インヤンガイがぶっこわれそうなのはさぁ……!」 その言葉は、目の前にいる『真理数』の無い存在……ロストナンバーの少年へ向けられた物だった。 彼の目には、『真理数』が見える人と、見えない人がいた。そして彼は『かつて真理数を失った事がある人』も見分ける事ができた。「あんたらのお仲間さんがよぉ、ひっかきまわしてんだろう? なぁ? 他人(ひと)の日常ぶっこわして、何が楽しいんだぁ? あぁ?」 焦点の合っていない目で睨み、鞭を握る相手目掛け、ナイフを振るう。それは確かにかわせた筈の一撃。けれどもそれは、ぐいんっ、と伸びたように……少年の頚動脈を切りつけていた。 ――音を立てて吹き上がる真紅。 男は、手を赤く染めて下がる少年の目を見、再びナイフを振るう。風が切れ、鞭が白銀目掛け舞い踊るも、それは意味と重みを失い、地に落ちた。「……!」「くたばれ、鬼子(グイズ)」 殺人鬼は嗤う。少年へ三度ナイフを振るって。いや、何度も何度も突き立てて。 たとえ息絶えたとしても、男はその手を止めなかった。・・・・・・・・・・・・・ ――0世界。「世界計の破片が、発見されました。場所はインヤンガイ。そして、所持者は殺人鬼です」 現れた世界司書、リベル・セヴァンは淡々と冷静に依頼を説明する。 依頼内容はある意味とても簡単だ。『世界計の破片』を持つ殺人鬼を倒し、破片を回収する事なのだから。また、今回は殺人鬼の殺害もやむおえない、と前置きしつつリベルが『導きの書』を捲り、再び説明を開始する。 殺人鬼の名はスライ。元々とあるマフィアに所属していた暗殺者である。しかし、彼が仕事をしている間に大元の組織は何者かによって解体されていた。 それ以降、フリーとして活動していたようだが、何らかの原因で世界計の破片を取り込んでしまったようだ。「得てしまった知識と能力からロストナンバー、とりわけ『世界図書館』の所属者を深く恨んでいます。……説得をしても通用しないでしょう」 その上、元ロストナンバーすらも恨みの対象であるらしく、既に2人程犠牲になっているそうだ。 精神的にも侵食されているのだろう、会話が成立するかも少し怪しいらしい。その為、出会ったら即戦闘に移行するだろう。 裏社会では『無音』という二つ名を持つ程の暗殺者だ。足は足音や気配を消す為に改造が施され、その上ジャンプ力などが上がっていたり、壁を歩けたりするようだ。また、目にもなにか仕込まれており、暗視が可能である。 戦闘スタイルは、ナイフと格闘術を巧みに操り、素早く相手を仕留めるという物。破片から得た超人的な自己再生能力と合わさると中々手ごわい相手である。 そんな相手が、今度は人気のない路地でロストナンバーの少年を襲うという。今からいけば予言に出た対象が襲われる前に、スライと遭遇する事ができるだろう。「今回の戦場と、スライが破片により得た能力に関してはこちらの資料をご覧下さい。では、ご武運を」 リベルは貴方にインヤンガイ行きのチケットを手渡すと、『導きの書』を閉ざし、深々と頭を下げた。 ロストレイルに揺られながら、貴方は資料を読み、ため息をつく。世界計の破片を取り込んだ殺人鬼との戦いは、きっと骨が折れる事だろう。 それでも、引き受けたからには……。
――インヤンガイ・某街区の路地。 (確か、ここだったカ?) どこか澱んだ雰囲気を漂わせる路地に、一人の若い男が現れる。小さく溜息を吐くと、ジャック・ハートは意識を研ぎ澄ます。 (さて、お手並み拝見ってトコだナ……) 途端に、彼の目が彼方此方を『透視』していく。緑色から紫へと変色した双眸が、ありとあらゆる壁を通して敵を探っていく。 そうしながら宣戦布告しようとした。が、しかし、小柄な少年が視界に映る。ジャックの推測が正しければ、『導きの書』に浮かび上がった、哀れな犠牲者となるロストナンバーであろう。彼は速やかに少年へと向かっていった。 「奇遇だね! こんな所で仲間に出会えるなんて!」 少年はジャックを見るなり、楽しげに話しかける。しかし、こうしている間にも殺人鬼が彼を狙っているかもしれない。そう考えたジャックは簡単に事情を話すと、深呼吸をし、虚空に叫んだ。 (もう、近くにいるんだロ? 来やがれ、俺サマが相手してやるゼ!) ――? ? ? 男は路地を徘徊していた。彼の50メートル先には、ロストナンバーが存在する。それが、彼にはわかっていた。 (2人か。ツイてる。だが……) 音もなく、風を切る。壁を走り、妨害する物や人目を避けて、風のように目標へ向かう。その最中、『精神』に突き刺さる、若い男の声。それに反応した男は、ふと、足を止めた。 『来てやったぜぇ、スラーイ! テメェのボスを殺した俺サマがナァ!!』 ヒャハハハハ、と楽しげに笑うその声に、唾液が湧くのを感じた。喉を鳴らしてそれを飲み込むと、彼――スライ――は体を震わせ、くぐもった笑いを漏らす。焦点の合わない赤い瞳に、どろりとした炎がぼぅ、と浮かび上がる。恨み辛み、そして嗜虐欲に彩られた双眸が、声の方へと向けられる。 『近くにいるんだろォ? さぁ、俺サマと遊ぼうゼェ?』 なおも続く挑発に、男は更に笑う。それはだんだんと甲高い物へと変わり、空間いっぱいに広がっていく。 「おもしれぇ! そっちがソの気ならよぉ、手加減いらねぇよなあ? なあ……数失者!!」 言うなり、走る速度を上げる。2人とも逃がさず殺す為に。インヤンガイを揺るがす因子であろうロストナンバーを殺す為に。そして、自分を挑発した相手と戦うために。 (早く相手してぇなァ! あのガキよりも、お前を滅茶苦茶にしてぇよ!!) 殺人鬼はニタァ、と笑うと、思いっきり屋根を踏みつけ、虚空へと跳ねた。 ――路地・再び。 (!?) ジャックは、いきなり現れた存在に、自然と心が踊った。白い髪の男は楽しげに笑いながら近づいてくる。 (思った以上に素早いじゃねぇカ) けれども、ジャックはとても落ち着いていた。その傍らでは少年がトラベルギアである鞭を取り出している。どうやら、ジャックと共に戦うつもりらしい。 「テメェは、このバカと命のやり取りをする必要ねェ」 「けれども……」 「俺サマは、こういうバカの相手に慣れてるからヨ。任せとケ」 戸惑う少年の肩を叩き、小さく笑う。そうしている間にも、殺人鬼・スライは近づいているのだ。ジャックは少年を背後に庇い、精神を研ぎ澄ます。 「来たカ!」 緑色の目が、風を捉える。銀の閃きが見えた途端、少年を戦闘圏内から離脱させる。ジャックは迷わず少年を『移動』させる。その刹那、確かにこんな声が聞こえた。 ――ご武運を、お兄さん! (ったく、あの坊主はヨォ……) 精神感応で感じた言葉が、くすぐったかった。同時に覚える禍々しい意識。それはただ一色の殺意に彩られ、標的を壊す事だけに集中し……上から落ちてくる! 「そぉおらぁあっ!」 声に混じって切られる空気。銀の軌道を先読みしてバリアを展開する。が、それよりも早く飛び込む切っ先がジャックの掌を掠めた。虚空にふわり、紅が散ると白い髪の殺人鬼はニヤリ、と笑った。 僅かな痛み。けれども何事もなかったかのように手を前に出し、風の刃を繰り出す。先ほどよりも派手に紅が散り、鈍い音と共に殺人鬼の右腕が切り落とされた。しかし、ジャックは目撃する。殺人鬼が笑うと同時に、淡い光を放ちながら腕が再生していく様を。 (!?) 予想以上の速さに、目を疑う。その合間にも殺人鬼は痛みを知らないのか、止まる事無くナイフを振るってくる。 (へぇ……) 体が熱くなる一方、ジャックの脳裏は澄み渡り、楽しみを覚えた。相手は考えていた以上に強敵のようだ。バリアで弾き、アクセラレーションで軌道を変えてナイフをやり過ごしつつも、ジャックはにぃ、と獰猛な笑みを浮かべた。 再び、ナイフが褐色の肌を滑る。今度はジャックの右肩を、より深く掠めて。腕を紅い雫が流れていくのを気にしないまま、違いざまに風を飛ばせば今度は壁を伝って逃れる。そうかと思えば、ブーメランのように戻っては鋭い蹴りを放ってきた。 空気を震わせる鈍い音。バリアで蹴りを弾き、僅かに下がるジャック。妙に強い振動が骨へと伝わって腕を痺れさせる。 「ククッ、あんまり遅ェから、俺サマにビビッて逃げたかと思ったゼェ、弱虫スラーイ?」 「そっちこそ、のこのこ出てくるったぁマヌケだぜぇ、数失者ぁ!」 挑発し合い、どちらからともなくぶつかり合う。触れるか、触れないかというきわどい距離で、ジャックが瞬時に意識を集中させ、心臓を『視』ようとするも、それよりもナイフを受け流すことに集中しなければいけなかった。僅かに『視』える心臓。しかし、破片の位置がいまいち掴めない。 舌打ちと共に放たれた疾風が、殺人鬼の腕を切り飛ばす。それでも僅かな光が溢れ、腕が再生していく。その速さに口笛を吹くと、殺人鬼が楽しげに笑った。 「余裕あるみてぇだなぁ? 直ぐにバラバラのグチョグチョにしてやるよぉおお?」 「けっ、言ってロ」 そう言いながらも、内心で舌打ちする。目の前の殺人鬼は、アクセラレーション能力を持つジャックになんの遜色もなく追いついていた。それどころか、それ以上の速度を出す事もできた。足を改造しているとは聞いていたが、ここまで素早く動けるとは思わなかった。 ジャックが放ったカマイタチをうまく受け流すと、殺人鬼は愉快そうに笑い声を上げる。まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようだ。大振りのナイフをくるくる弄び、ステップを踏んでいる。どうやら、奴はそう簡単にジャックを殺すつもりではないらしい。 「へぇ……?」 「ハートのジャック、だからナ」 ジャックはふん、と鼻を鳴らした。そうしながらも見える殺人鬼の内心にぽつり、と呟く。 (気持ちいいまでに黒々としてやがるナ) 彼は5秒事に精神感応で殺人鬼の動きを見ているが、見えてくるものはロストナンバーと元ロストナンバーに対する明確で純粋な殺意のみ。呪詛とも言えるその言葉はこの一言に尽きる。 ――殺す―― (どこをどうしたらこうなるんだヨ? ったく、こいつは厄介だナ……) 音もなく伸びる殺人鬼の腕。アクセラレーションで別の方向へはねやるも、すぐさま拳が飛んでくる。反応しきれず、ジャックがバリアを展開する前に鳩尾へと叩き込まれた。 僅かに集中力が途切れる。同時に襲い掛かる銀色が、音を立てて紅に染まる。僅かにテンポが遅れれば、ジャックは右耳を飛ばされていただろう。幸い、頬を掠めた程度で住んではいるが、それでも傷はやや深い。 「まだまだ」 追いすがり、伸びた殺人鬼の足をバリアで弾く。そうしながらも、破片の位置を捉えようと集中しつつ、攻撃は弾き、受け流す。 (クソッ、ちょこまかちょこまかすんじゃねェ) 苛立ち混じりに、トラベルギアである鉈に手を伸ばした。そしてニヤリ、と笑う。 「それはこっちの台詞だぜ、スラーイ……!」 同時に彼はアクセラレーション能力を全開にし、殺人鬼へと突き進んだ。 路地に響き渡る金属音、破壊音。そして、風の音。ジャックと殺人鬼がタイマンでぶつかり合い、放たれる音がその空気を震わせる。 何度ぶつかり、何度切られただろうか? しかし、そんな些細な事はジャックにとってどうでもよかった。それ以上に、どうしたら殺人鬼の心臓に刺さった破片が『視』えるのか。それが問題だった。『視』る事に集中すると、防御が疎かになってしまう。それほどまでに相手は素早かったのだ。 「!」 我に返った時、殺人鬼はジャックの懐に入っていた。同時に、衝撃が顎に走る。殺人鬼の放った掌打がきまったようだ。息がつまり、思わず鉈を手放す。しかし、それだけでは終わらない。 「よっ、と」 起き上がろうとしたジャックを、豪速で蹴り飛ばした。体内で鈍い音がし、肋骨が折れた事がなんとなく判った。口の中に鉄っぽい味が広がる中、更に圧力が胸へと伸し掛った。 「くっ……」 「あんたらの所為で、インヤンガイが壊れそうなんだよなぁ? 異世界人(よそもの)が他人の日常、引っ掻き回すんじゃねぇよ」 ミシミシと音を立てて足がめり込む。口元から血が滴る中、ジャックの目が見開かれる。 「あんたもそうなんだろぉ? だったらよぉ、その腹かっさばいてグチャグチャにしてやんよぉ! あんたらがココを弄りまわしたようになぁああっ!」 踏みつけられながらもジャックはニッ、と笑う。その時、確かに、心臓に刺さった世界計の破片がはっきり『視』えたのた。同時に、勝利を確信した。 「ハンッ、テメェが俺に勝てる訳ねェだろが」 「あぁん? 巫山戯たコト言ってんじゃねぇ!」 ジャックの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。殺人鬼が再び踏みつけようと足を上げた瞬間……! ――バチィッ!! 体内で強力な電撃が発生し、彼の口から獣のような悲鳴があがる。焦げた臭いが路地へと漂うその中、瞬時に背後へ『跳』んだジャックは、気合と共に背中へと腕を突き刺す。すると、炭化した体が完全に再生するよりも早く心臓がつかみ出され、ぬめりとした血に覆われた破片が姿を現した。 「バカか、テメェは。何で俺サマがテメェなンかの日常の面倒みなきゃならねェンだヨ」 そう言いながら破片を抜けば、物言わぬ炭となった体が、冷たい路地でぼろり、と崩れる。それでも、炭に出来なかった手足が、もげた頭が残っていた。 「俺が命賭けンのは俺がツレと認めたヤツだけ。そして……」 ジャックの手が動けば風が舞い、手足を細かな塵に変える。そして、右足に念動を込めて頭を踏みつぶせば、真っ赤な大輪の花が路地に咲いた。そうしながらも、ジャックは嘯く。 ――俺のツレの人生ぶっ壊したヤツラは全員殺す、それだけだ。 (機会さえ巡ってくればよぉ、この街でマフィアのボスなんざ言ってる輩は皆殺しだ。それが、ココの流儀だろがヨ) 安心しろ、とでも言うように路地に背を向け、ジャックは歩く。……と、彼の目の前にあの少年が現れた。呼吸を整えながら、少年はジャックを見つめる。 「……あの、殺人鬼は……?」 「くたばったゼ。破片がなきゃ、タダの凡人ヨォ」 その問いに、ジャックは世界計の破片を見せながら答えた。 (終)
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