カタッ。 ―― ―――……アクセス ――――……承認、データ収集、ログ解析……完了……データ不足、データ不足、データ不足 【星には届かない 星には届かない 星には届かない……とどか、ない】 何度目かになる結果に少女は苛立ちにも似た舌打ちをもらした。 そばで不安げに声をあげる可愛いペットを両手で抱きしめた。切実に祈るように。諦めきれないというように。「まだ、まだよ、もう一度、やるの」 ★『月陰花園』は美しい夢の街だ。 昼間も賑やかだが、夜こそ本領発揮とばかりに鮮やかな光が灯る。その下で人々は駆引、騙し合いが――決して美しい色だけではないが、さざ波のように鮮やかに夜を彩る。 鏡を見て、黒髪に鮮やかな着物をまとったまだ小間使いの雫は何度目かのため息をついた。世話してくれる姐は愛しい男からの指名に浮き足たって部屋にしけこんでいる。こうなるとしばらく用事は言いつけられないだろう。その間に飯を食べ、別の用意をしなくちゃいけない。けれど。 雫がこの街に来たのはずいぶんと幼いときだった。貧しさゆえに家族と引き離されてここへとやってきた。ささいな不幸を嘆いてばかりもいられない。ここで生きるしかないのだ。あと一週間もしたら店に出すと言われて心がどんどんと沈んでいく。 この鮮やかな街にいる女と同じ。売れなくなれば女たちの世話をする世話婆に落ちて、朽ちていくのか。ここから出られる幸運なんぞ自分にあるのだろうか? 最近鏡を見て雫はため息を漏らす。黒髪はさして珍しくもない、小さすぎる茶色の目、そばかすのついた頬。不細工ではないが、とりたてて美人でもない。 ため息が漏れた。自分の未来がわかる。十六歳。若くもなく、歳をとってもいない。けれどこの街で、世界というものをずいぶんと幼いときから見てきたからわかる自分の未来。歳相応の葛藤を抱えた心に見えすぎる安易な未来への抵抗を感じて憂鬱が押し寄せる。 けど、どうしようもない。私は ちり、ちりり。 部屋の電球が瞬いた。 顔をあげたとき、ぱっと光が消えた。「え、なに」 ――迷っているのね 知らない少女の声がして雫は困惑した。 ――変えてあげましょうか? 変えられないと諦めるなら ――ちょうだい。どうせ、そんなものだって思うなら 雫は息を飲んだ。世界が光と闇に彩られるなかに、手が伸びて、視界を覆い――★ ★ ★「行方不明?」 その場に集まったロストナンバーたちの声に黒猫にゃんこ――現在顔は黒猫、身体は女の子のまりあちゃんである。 その横には鳴海がどこか憎めない笑みを浮かべて立っていた。「そうなの。鳴海さんからまりあね、相談を受けて、一緒に調べたんだけど、『月陰花園』に住んでいる女性の小間使いの一人が突然、眠り続けて三日後いきなり起きたと思ったら逃亡しちゃったんですって」 まりあが濁した言い方をするが月陰花園が花街であることをロストナンバーたちは心得ている。「正確には、今から一週間前のことです」 鳴海は真面目な口調でまりあの言葉を補充した。 さる女の小間使いが部屋で気絶していた。はじめは眠っているだけかと思ってほっておいた。しかし、一晩たっても娘は起きず、これはおかしいと医者を呼ぶか身体に異常はなく、次は術者に見てもらったが呪いの類ではないという。 そうして三日後、娘は突如として消えてしまった。「それも部屋は荒らされたあとや誰かが来た形跡はなく、自分で消えたみたいなんです。三日間も何も食べず飲まずで、あ、その眠っている間、店の人たちが定期的に砂糖水で唇を湿らせてやっていたそうですが、普通に動ける状況ではないはずなんです」「それで気になったんだけど、ああいうところだからね、街そのものの警備もかなりしっかりしているはずなのよね。監視カメラとか見張りさんとか。けど、そういうのにも、その娘さん、シズクちゃんの姿はぜんぜん映ってなかったし、目撃した人がいないの。だから街のなかかしらって思ったんだけど……なんだか別の街に移動しているの。ううん、行方不明になってからずっと移動しているみたいで、居場所がここって特定できないの。なにか探してるみたいにふらふらしてるのよ」 まりあの黒い耳がぴくりと動く。「なんだかやーな感じで、このままにしておけないのよね。どうやって逃げているのかもそうだけど、これって本人の意志ではないとしたら可愛そうなことにシズクちゃん本人は、お店に帰れなくなっちゃう、のよね?」 まりあはちらりと鳴海を伺いみた。鳴海も静かに頷いた。 この手の店は正式な形で足を洗う以外で姿を消すとは逃亡ととられてしまう。そうなれば本人は重い罰を受ける決まりである。 それに雫はあと少しで売り出す前であった。逃亡を図ったとなれば罪も重いが迷信深いインヤンガイで売りだす前に悪霊がついたとなれば、不吉とされて一生を店の裏方で過ごすこととなってしまう。「キーワードは、星よ」 まりあは呟いた。「この星っていまいち意味がわからないけど……あと、シズクちゃんの周りには悪霊が集まっているみたいで会ったら戦うことになると思うの。退治はよろしく! ちゃんと見つけて、原因を払って返してあげて。お願いね」「私からもお願いします。とても気になるので…… この街のなかだけなら、ある程度担当しているんですが、そこから出た外の街だとまりあさんのほうが詳しいので、お忙しい中、いろいろと手伝って頂きました。…ありがとうございます」「あらん、まりあ、愛しい鳴海さんのためにもがんばったのよ。え、お礼? いいわよ、いいわよ。まりあに寿退社を提供してくれたらぁ~」 つつっとまりあが寄っていくとびくぅと鳴海が蛇に睨まれた蛙のように震え上がり、後ろに下がる。 ロストナンバーたちは、鳴海の悲痛な助けを求める視線を無視して一刻も早い事件解決のために駆けだしていった。★ ★ ★ 街のなか、少女はふらふらと歩き出す。限界近い身体。暗い路地のなか。さざ波の音がする。それは死人たちの声だ。少女は顔をあげる。とたんにさざめきが苦悶の声とかわり、潰された。「アクセス、データ、処理、完了……操作、開始。……邪魔、しないで。……ほし、ほしを、こんどこそ……あつめなくちゃ、ほしを……ねぇ、そうしたら、こんどこそ、せいこう、する、よね? カケ……」 ぐったりとした少女のまわりに形もない、悪意の霊たちがうずまく。 この身体が死んだら、とって食らうと狙って。死にゆく身体に霊たちがまた一人、また一人で集まりだす。けれど少女は気が付かず、ふらふらと歩いていく。
ジャック・ハートは濃い緑瞳を細めて遠い、灰色と青色の混じった渾沌の空を睨みつけたあと背後にいる星川征秀を一瞥した。 「ロメオ以外で組んで仕事すンのは初めてだナ、征秀。ここに居る俺ァロメオの俺たァ別人だ……弁えろヨ、ヒャハハハハ」 「……わかっているさ」 征秀は苦笑いで応じ、眼鏡の縁をそっと手でなぞった。 ジャックと征秀はターミナルのホストクラブの同僚だ。その仕事では陽気な一面しか互いに知らないが世界図書館の正式な依頼をこなすとなればそんなノリではやってはいけない。とくにインヤンガイは危険が多い。 「二人とも待ってほしいのねー。お願いがあるの」 遅れて続くのは銀の道化師マスカダイン・F・ 羽空と落ち着いた白のシャツと黒のスカート姿の大人びた雰囲気の吉備サクラ。 サクラは保護対象である雫のこともだが特に親しくしているマスカダインのことが気になって一緒に依頼に行きたいと口にした。 ――私に出来ることは少ないかもしれませんが、マスダさんにはいろいろとお世話になってますから、お手伝いさせてください。もちろん、雫ちゃんのことも気になりますし マスカダインはびっくりして目を瞬かせたあと、にこりと笑った。 ――ありがとうなのね! サクラちゃん。危険もあると思うけど、一緒に、雫ちゃんを助けよう! サクラという心強い味方を得たマスカダインは真剣な顔でジャックと征秀を見つめて提案した。 「雫ちゃんの未来の為にも噂を広げぬよう内密捜査心掛けたいのね。ボクたち旅人だし、それは出来ると思うのね!」 「そう、だな。変な噂が流れたら、大変だって司書も言っていたし」 征秀が同意した。雫のことは心配だが、この事件の犯人についてのほうが気にかかった。 犯人……司書に頼んで、出発ぎりぎりまでインヤンガイの報告書に目を通して星のキーワードにひっかかったのは額に星の刺青を施したカケボシという探偵。 彼はある依頼でロストナンバーが救出しようとして失敗していた相手だ。 「マスカダイン、テメェの提案、まァ受けてもいいが、派手にしちまう場合もあるってことはわかってンだろうナ? 暴霊が大量にいるっていうんだゼ? 戦うとなりゃあ、手加減できねェ」 「うん。わかってるのね。そこはジャックくんにお任せなのね! けど、ボクは出来るかぎり戦いを回避しようと思うのね!」 「ヨシ、月陰花園にある雫の部屋と店の再調査からだよナァ」 ジャックの提案に全員が頷いた。 月陰花園にある小さな平屋の桔梗という店が雫の家だ。 マスカダインは仲間たちを先導して裏口から店を訪ね、この事件を捜査しにきた探偵だと名乗ってなかにいれてもらった。そのときジャックは周囲に目を向けて壺中天に繋がりそうなものがないかを念入りに探る。今回は普段はあまり使わない精神感応もフルパワー状態にしている。これは他者に気がつかれないのが不可能だが、気が付かれてもそれはそれでもいいと判断したのだ。 雫の部屋は畳四畳ほどの小さなもので、物らしいものは置いていない。唯一あるのは箪笥くらいのもので、これは元から店にあったものだ。 売られた娘は、持ち物がほとんどない所有していない。 「とくになに気になるものはないし」 征秀は室内をざっと見て結論し、ちらりとジャックを見る。 「なにか、わかるか?」 「いやァ。探ってるが時間が経ちすぎてンのもあるみてェだナ」 ジャックが白い歯を噛んで舌打ちする。 「別の手に出るしかねェナ」 「うーん、うーん、そうなのね! 別の手よ! 探偵さんに頼もうと思うのよ。前に、カンダータで機械に強い人にお願いしたことあるのね! この街の探偵さんにあたってみよう!」 「ま、妥当な手は、それだナ」 マスカダインの提案に、まず店の女将に頼んで探偵、とくにサイバー関係に強い者を紹介してもらった。 その探偵は街の端にある平屋に暮らしていた。事前に女将が電話していたのか玄関口前に四人がたどり着くと、赤い着物を着た娘、否、人形がちょこんと立って出迎える。ぎりぎりと魂の軋むような音をたてて頭をさげる。 「こ、チ、らデス」 片言の声を漏らして、娘はぎぃぎぃと動いて建物のなかへと四人を案内する。 サクラはびっくりして思わずマスカダインの腕にしがみつく。マスカダインも人形相手とはいえどこか毒々しい雰囲気を持つそれにおっかなびっくりで腰が引けてしまっていた。 「行くゾ」 ジャックがまず家のなかにはいる。 「おい、土足で」 征秀が思わず止めたが 「人形の奴は何も言ってねェぜ」 「まぁ、確かに……咄嗟のときに裸足もまずいからな。俺とジャックが先行するから、二人は後ろから来てくれ」 「けど、戦いにきたわけじゃないよ」 マスカダインが弱弱しく反論するのに征秀は微笑んだ。 「信用することは大切だが、探偵とはいえ見ず知らずな相手だからな、気を付けたほうがいい。なにかのときはマスカダインがサクラを守ってほしい」 「わ、私も戦えます……ギアで、みなさんの援護を」 足手まといになりたくないサクラが声をあげる。 「サクラのギアの力は貴重だ。マスカダインにしても接近戦向きじゃない。俺とジャックは接近戦でもいける」 その言葉にマスカダインはこくんと頷いた。征秀が背中を任せてくれているとわかったのだ。それはサクラも同じで、表情からは先ほどの怯えはなくなり、真剣な決意した顔に変化していて力強く頷いた。 「サクラちゃんはボクの後ろにいてね」 「あ、はい。ありがとうございます。あの、マスダさん……大丈夫ですか?」 「え?」 「無理しないで下さい。マスダさん、みんなの道化師なんでしょう? マスダさんに何かあったら悲しい人はきっといっぱい居ますから」 マスカダインにいろいろと気を遣ってもらえるのは嬉しいがやはり彼が無理をしているようにサクラには思えて、ついストレートに口にした。 「私はマスダさんが心配で、ちょっとでも役に立ちたいんです」 「サクラちゃん……うん、うん! ありがとうなのね! とっても嬉しいの! だからね、今はボクに守られてほしいのよ!」 マスカダインはサクラの言葉に本当に嬉しそうに笑って大きく何度も頷くと、その両手をとって親愛と、その優しさが嬉しさを態度で示すようにしっかりと握手した。 マスカダインが笑顔になってくれて、サクラも嬉しくてはにかむ。 木造の廊下を進み、突き当りを右に曲がると洋風のソファと白いカーテン、長いテーブルにはちゃんとお茶と御菓子が置いてある。けれど探偵はいなかった。 「歓迎されてるにしても、相手がいないのはな」 征秀は眉根を寄せた。ジャックも周囲を見回して、警戒しているが、探偵がどこにいるのか掴めていないらしい。 とこ、とことこ。 再び人形の娘がやってきたのにマスカダインが腰をかがめる。 「どうしたのね? えっと、その小さな画面は」 「ご、しょ もぅううの、品」 マスカダインは目を瞬かせてサクラを見る。サクラも不思議そうだ。 「これが?」 「もしかして、ボクたちの依頼内容を聞いて、すでにやってくれたのかな?」 人形娘はこくんと頷いた。 ジャックが危険はないかを透視で確認後、再生のスイッチを押す。ノイズ。なんの変哲もない道路の光景。いきなりブウウウィン。激しいノイズがはいって画面が揺れた一分後、再び風景は戻る。 「これは」 征秀が眉根を寄せて、画面に釘付けとなった。 「つまり、監視カメラを操作した人がいたってことですよね?」 とサクラ。 「雫さん、誰にも見つからずに他の街区へ移動したんですよね? そういう話、少し前にあった気がします。……不老不死の実験と神隠し事件、でしょうか。あの、ここに来る前にその事件について気になって調べました」 「サクラもか? 俺も調べたんだ。イヴっていう娘が関わっている事件だよな? 確か、その娘が連れていた化け物は……記憶を食べれると報告されていたからな」 「はい。星に拘るならイヴちゃんかもと思います。あの時消えた探偵さん、カケボシさんでしたよね?」 「やっぱり、真相は壺中天か」 「可能性はありますよね!」 サクラは真相に近づいていく興奮に声をあげる。 「イヴちゃんは電脳と現実を自由に行き来できるんですよ! 雫さんはイヴちゃんに引っ張り回されているのかも。それなら雫さんが誰にも見つからなかった理由になるかと思います」 「俺は、イヴは転移能力所有者だと思ったが……サクラの推理が正しそうだ。サイバー世界でいろいろと活動しているとなると、難しいな」 征秀は顎を指で撫で思案する。 「あの、星川さん、雫さんの居る場所占えませんか?」 「それは……相手を見て、占ったことは何度かあるが、知らない相手だとな。それに、これは、そんな都合良く、なんでもわかるものじゃないんだ。悪いな」 眼鏡の縁を忙しく撫でながら征秀が詫びるとサクラはしゅんと俯いた。 「そうですね、難しいですよね」 「逆探知みたいなことはできないのね?」 マスカダインが提案し、人形娘を見る。 「む、りぃ」 「どうしてなの?」 「相手、ノ、ホウ、強い、から」 人形娘から返る言葉はとても短いが、理解するには十分だ。 つまりは、探偵のハッキング能力よりも相手――イヴと仮定するが、彼女のほうが各段に腕が上ということだ。 常に移動しているのに、その姿をいくつもの監視カメラに映さないことを考えれば納得もできる。 「んー、難しいのねぇ」 「やっぱり、危険でも、カケボシさんのサイトにアクセスしてみましょう。私がやってみます。みなさんが残っていて、私の状態を見ていだたければ」 「一人はさすがに危険だろう? ……サイバー空間だが、ジャックの精神感応がある程度まで対応できないか? それで危ないと思えばすぐに回線を切ってサクラを助ける」 「俺が調べてほしいのは、咎狗のアジトの場所だ」 「ソンナ、モノ、ないヨ」 人形娘はあっさりと告げる。 「崩壊、シタヨ」 「崩壊?」 「最近、地震、やぁ、街の消滅、その消滅させ、ら、れた街の一つ、アジト、あって、みんな、死んで、崩壊」 「ヘッ、気持ちわりぃ組織がなくなって万々歳だナ」 ジャックは白い歯を見せて笑った。 「だったらマフィアの、ハワードにあたってみるか。俺は悪いが一人で行動するぜ?」 「むりぃ、だとおもうぅ」 「なにがですか?」 「バランス、なくなる、まふぃあ、の、はわーど・あでる、いそがしい」 「いそがしい、か。そうだな。今の、この世界はかなり危ういものな」 征秀は納得した。 「確かに、アポなしで会うのは、難しいだろう。相手が相手だ、ジャック、突然の訪問は失礼にあたるんじゃないのか?」 いままで均衡を保っていた組織同士が、何者かによって破壊された。急激な崩壊は決して世界に良い結果を与えない。 崩れてしまう多くの街、彷徨う人間をどうにかするため、大手のマフィア組織の一つであるハワード・アデルは奔走し、経済を回し、維持し、人々の生活の影響を最小限に留めるために多忙を極めている状態だ。 なにより、彼は世界図書館のことを嫌ってもいる。現在は一人娘が保護されている手前、敵対せず、最低限の協力関係を結んでいる状態で、とてもアポなしで面会に応じることはないだろう。 「ボクも出来れば、ジャックくんには、一緒にいてほしいのね。もしものときは、みんなで協力したほうがいいと思うし」 「お願いします、ジャックさん、私の、考えた作戦にはジャックさんの協力がいるんです」 三人から言われると、とくにサクラが危険を伴う行動のフォローできる唯一の存在が自分となればジャックも仕方なく頷いた。 「マァ、咎狗はないんダ、ハワードのやつにあたっても仕方ねェからナ」 サクラは探偵から近くに壺中天の場所を聞きだし、そちらへと移動した。そのとき征秀は二手に分かれることを提案した。 「サクラは、ネットでカケボシの情報を流してほしいんだ。俺とマスカダインは雫ちゃんを追いかける」 探偵に征秀は博打覚悟で問うた 「その監視カメラなんかに誰かの手がくわえられたときと同じ状態に、そうだな……サイバー影響とか、環境とか、なにか変化があると思うんだ。それと同じ状態に最近なった場所を教えてくれ」 と頼んだのだ。むろん、可能性の戦いで、もしかしたら、はずれているかもしれないが、サクラとジャックがなにかするのに自分たちだけ何も出来ずに手をこまねいているわけにはいかなかった。 「ボクも、協力するよ! 香りのいい御菓子ももらってきたのね」 「オイ、そんなもの食ったら、死ぬンじゃねェのか」 ジャックが苦笑いする。 「三日絶食すりゃァ固い物喰っても死ぬからなァ」 そういってあたたかいコンソメスープの入った水筒と柔らかなパンのはいった袋を差し出した。 「そっか。そうだね。栄養にいい御菓子にしたけど、いきなり食べたら、おなかがびっくりしちゃうもんね! これでまずおなかを整えて、そのあと、御菓子を食べてもらえるといいな! ありがとう、ジャックくん」 ジャックから託された食料をマスカダインは大切そうに両手に握ると、その託された重みを絶対に手放さないと言いたげに頷いた。 なにかあればノートで連絡、サクラとジャックは二人で情報の拡散。征秀とマスカダインは現実の雫がいる場所を探すこととなった。 ジャックは三十分にはなにがあっても帰れ、と告げた。いくら精神感応していても、サイバー空間では直接手出しできないことを危惧しての約束だ。 サクラはまず司書から聞いていたアドレスに接続しようとするが 【現在、アクセス権限は存在しません】 そっけない否定。 壺中天にダイブしたあとコニュニケーションゾーン――憩いの場が存在するので、そちらでまず情報と征秀に言われたようにカケボシを見たという噂を探すことに専念した。 そこでサクラは再び、カケボシの事務所を尋ねようとしたが 【現在、そのアクセス先は閉鎖されています】 そっけない否定。 探偵が告げたように咎狗は崩壊してしたので、カケボシのいた探偵事務所もまた閉鎖、データが削除されてしまった可能性がある。 事務所の主であるカケボシが消滅したことを考えると、サーバそのものがカケボシの魂をサイバー空間に留めておくためのもので、カケボシが離れたので役目を終えて消滅したとも推測できる。 「せっかくですし、出来るだけ噂を流しておきましょう」 サクラは五分後には現実に戻ると決めて出来るだけ噂を探すことにした。現実世界に戻ったあとジャックと合流して、マスカダインと征秀にノート連絡をしよう。 サクラは自分に出来ることに懸命に働いた。 征秀とマスカダインは情報を頼りに、暗い建物の裏手にきていた。人一人が通るのがやっとなくらいの狭い道いっぱいに漂う悪臭に思わず二人は顔をしかめた。 「こんなところにいたら、雫ちゃんも大変なのよ」 「そうだな。けれど、人の気配はないし」 雫を助けることも重要だが、まずは自分たちの安全を確保するためにも二人は油断せず周囲を警戒する。 「……ここに、いたかもしれないんだな。きっと」 「探偵さんは三十分くらい前だっていったよね」 「ああ。そうだとすれば、けっこう歩ける……いや、もうかなりふらふなはずだからな。そんな遠くにはいけないか」 征秀は焦りを覚えるのはマスカダインも同じだ。このままでは雫は死んでしまう。 「……っ、やって、みるか」 マスカダインが不思議そうに見つめるのに征秀は深呼吸を繰り返したあと、そっと眼鏡の縁に手をかけた。 サクラの提案にはじめは無理だと思ったが、試してみる価値はある。 ――可能性をはじめから否定しちゃ、いけない、よな 眼鏡をとって征秀は広くなった視野で暗い世界を見る。そこに、ぱっと浮かんだのは白いワンピースの少女だ。 ふふ、ふふふ 妖艶な笑みを浮かべて駆けていく。 「待ってくれ!」 「え、ちょ、待って!」 走り出す征秀にマスカダインも後に続いた。 目の奥の痛みとこめかみから鋭い頭痛がして征秀は足を止めると、すぐに眼鏡をかけた。あまりにも長時間視たせいだ。けれど、あれだけはっきり見えたのは珍しい。それに、いつもの視る感じとも違っていた。 「この、近く、か?」 「あそこ!」 マスカダインが声をあげた先に黒い、禍々しい渦が存在していた。征秀はギアを構えるのに、マスカダインを一瞥する。 こくんとマスカダインは頷いてギアを手にすると、ぎゅっと下唇を噛みしめて、征秀の後ろにまわる。 事前に彼女を見つけたときの対応も二人はすでに打ち合わせしていた。 征秀は周囲に視線を向けて、一人しか少女がいないのに不安を覚えた。イヴは消えてしまったのか、それとも 「雫」 返事はなく、幼い身体はぐったりしているのに征秀は試しに呼ぶ。この間にマスカダインが背を守りつつ、ジャックたちに連絡をとる。 「イヴ」 ぴくり、と身体が動く。 「……イヴ、君なのか。雫の身体を乗っ取っているのか」 司書がいっていたとおりの少女だ。けれどその瞳は虚ろで、遠い。 「イヴ、もしかしてカケボシを蘇らせようとしているのではないか?」 ぴくりと彼女、イヴは顔を強張らせた。 「そのためにカケボシの痕跡を集めている?」 「……そう、よ」 乾いて、かすれた声だ。 「邪魔、しないで」 「邪魔はしない!」咄嗟に征秀は言い返していた。強く。瞳と声に心を託して。 「俺に、協力できるなら協力する」 イヴは黙っている。信じていいのか、いけないのか、わからないという顔だ。 「あのね、ボクらは事件の原因を「退治」しにきたんじゃなくて、このままじゃこの子が壊れてしまうから「助けに」きたんだ」 マスカダインが遠慮がちに声をかけた。医学知識はないが、雫の身体が限界近いのは一目瞭然だ。 「大切な人、探す気持ち……今のボク、わかるから。何かに困ってこんな事したのなら、キミを手伝う事が出来るかもしれないしさ。なかよくなって色んなおはなし聞かせてほしいな」 優しい声でマスカダインは告げるのにイヴは困惑した顔だ。マスカダインはすぐに水筒とパンを取り出す。 「お願い、食べてね、このままだと死んじゃうのよ」 「食べる? なに、それ」 「食事だよ、おなかへったでしょ」 「? わかんない、そんなもの」 「食事を、知らないのか」 征秀が驚くのにイヴは目を瞬かせて、小首を傾げる。 イヴはとても純粋に「食事」の意味がわからないようだ。だから雫が今にも死にそうだというのに一向に食べる気配がないのだ。それが征秀には本当に幼子に見えた。なにも、知らないのだ。イヴは、この世界の理を、ルールを、人の命というものを 胸がずきりと痛む。 この無垢な迷子の少女のためなら、危険を犯しても、協力したいと気持ちが動いていた。 「イヴ、こっちにきてくれ。頼むから。俺たちは敵じゃない。君の望みをかなえる手伝いをしたいんだ」 「いや! カケボシは、あなたたちのせいで、いなくなっちゃったじゃないの!」 イヴは声を荒らげた。弱り切った身体は今にも崩れてしまいそうなほどに脆い。けれど 「私は、ずっと、ずっとカケボシといたかったのに! お前たちがカケボシをそそのかしたんだ! 私は止めたのに、カケボシはいっちゃったの! ずっと一緒にいようっていっのたにうそつき、うそつき、カケボシのうそつき!」 高ぶった気持ちのままイヴは悲鳴のように叫ぶ。それが征秀にも、マスカダインの胸にも痛みを走らせた。 それに悪霊たちが唸り声をあげたのに征秀とマスカダインはやむなく戦闘態勢をとる。 イヴの怒りと悲しみが深ければ深いほどに、周囲にいる暴霊たちはそれに感化され暴れ出す。イヴには悪霊たちを操る力があるようだ。 ギアで必死に悪霊を防ぎ、いなしながら征秀たちは距離を縮める。 「だから、よみがえらせるの」 「よみがえるって、イヴ、それは」 「データよ」 ふふっとイヴは笑う。 「お前たちに出来ることなんてないの。もう騙されないもの。奪わせないもの」 「君がカケボシの痕跡を集めているのはわかった。けど、そんなこと人間相手には」 「だって、この世界はすべてデータで出来ているんだもの」 イヴの正論、もしくは狂論。 魂のデータ化。 このインヤンガイのエネルギーは霊力だ。それを人々は生活の維持のためにさまざまな力へと転化する術をもっている。 壺中天 一時的に肉体から切り放たされた魂が落ちる霊力によってつくられたサイバー空間。魂のデータ。魂のソフトウェア化。 暴霊は壺中天に入ってシステムに悪影響を及ぼす。魂のデータ。 インヤンガイの霊力をエネルギーとするその術ならば、魂という目に見えない、けれどそれすらデータ化することは可能。なぜならば、サイバー空間そのものが霊力によって出来ているのだから。 イヴはカケボシを作るためのデータを集めた。 しかし、もともとあったカケボシは失われてしまった。事務所もなくなって、そこにあったカケボシのデータも。 はじめから存在していたものをデータ化するのと、僅かな記憶でしかないものから本物と同じものを生み出すのでは難易度が違う。 けれど イヴの正論、もしくは狂論。たった一人に会いたいと願って、すがった奇跡。 ばちいん! 金色が吠え、飛ぶ。 「あ!」 マスカダインが声をあげた。頭上に転移したのはジャックと、それにお姫様抱っこされたサクラだ。 マスカダインの連絡を受けて、駆けつけたのだ。 「ライトニング!」 ばちいんと音をたてて雷撃が飛ぶ。周囲の建物などの被害までは考慮しないために散るアスファルトの欠片から雫を守るように風の刃が狭い通路を奔る。 「ジャックくんー、元気なのはいいことなのね! けど、だめなのよ! ここに住んでる人もいるんだよ!」 「そ、そうですよ、ジャックさん、それに、星川さんにもあたります!」 「あぁん、俺サマがそんなへまするかァ」 サクラはジャックが地面に下ろしてくれると、すぐに雫に駆け寄ろうとしたが、暴霊が多いさに立ち止まった。ここで無茶をしてみんなに心配かけるわけにはいかない。 「犯人はイヴさんだって書いてましたが……雫さんは絶対に渡しません! 起きて下さい雫さん! それでも貴女の人生を、他人に喰い潰されて終わるのは嫌でしょう!?」 その言葉にイヴがびくりと止まると、操り人形のようにぐったりとしたあと 「だまれぇ! だまれぇ! 何も知らないくせに! ……私の人生? 人生? 食い潰される? このままだってそうじゃない! 私の人生なんて、親に売られて、人にこき使われて、その挙句に今度は男に媚び売って、ずっとそうじゃないかぁ!」 少女がかすれた声で悲鳴を――雫があげる。 「食い潰されるだけじゃない!」 「それは違うよ!」 マスカダインが声をあげた。 「ボクは男だから……君の痛みをわかれないかもしれないけど、キミが見つけられれば、必ず悲しいことだけなわけじゃないよ。お姐さんも好きな人と出会えたんだよね」 マスカダインは雫がどうしてイヴに乗っ取られたのか考えた。悪霊などが物や人に乗っ取る事件は多々あるが、その原因は肉体の主の精神的な心に小さな隙間が存在することが多い。 サクラの言葉が雫を目覚めさせ、それでマスカダインはようやく理解した。 「君は今まで生き抜いてきた強い子なのね。願いを手にできる力もきっとあるよ。君のこと美しいって呼んでくれる人もいる」 希望を与えようとする言葉に雫は怒りを滾らせる目に涙をこぼす。 欺瞞を見抜く目だ。 容易く希望なんてものは与えられない。与えたところで失えばまた深い絶望があるだけだ。 「自分の強さを信じて! だって、ここまで生き抜きぬいたんだから、そんな自分のこと、誇りにして!」 暴霊がほとんど滅したのにマスカダインが近づいて、雫の手をとった。 なにか言いたいがそうしたらきっと欺瞞になるとわかったからだ。雫は泣きながらも、じっと睨みつけてくる。 悪霊のほとんどはジャックと征秀によって消え、雫が目を伏せたのに気力を使い切ったマスカダインが倒れそうになるのにサクラが慌てて、その背中を支えた。 「大丈夫ですか!?」 「う、うん、こ、腰ぬけたかなの」 「オイオイ、しっかりしろヨ。とりあえず、あの娘には食い物もやらねェとナ」 ふらりと雫の肉体が倒れるのを征秀が、抱きとめる。 「イヴ! イヴ!」 薄らと、少女が目を開ける。 「イヴ? イヴなのか? ……俺は、嘘はつかない。協力する、君はどこにいるんだ」 「……わたし」 「イヴ?」 「最後に、もういちど、カケボシに、会いたい、な。あい、たい」 「イヴ」 切実な祈りのような、そう、届くことのない星に必死に手を伸ばす無垢な祈りに征秀は目を見張る。 「どこなんだ。イヴ、君は」 「エルシオン」 その言葉を残して幼い肉体は意識を無くし、目覚めたときには雫だった。彼女はパンを食べて、スープを飲み、落ち着いて、医者に運ばれた。 健康状態は衰弱しているだけで問題なかったが、イヴに乗っ取られていたときの記憶はまるでなくなっていた。 幸いにも雫は無事に店に帰れることとなった。雫は落ち着いて元気になると去っていく四人に頭をさげて礼をつくした。 「みなさんがいたから、私、帰ってこられたんです。ありがとう。強くなるわ」 とぎこちなく、微笑んだ。 ★ ほし、ほし、ほし……あなたはどこ? あの男は言ったわ。協力するって。けど、信じていいの? ぶーぶーとペットが鳴いている。だめだよ、イヴ。信じちゃだめ。だって、みんな、きみのこと知ったら消えちゃうよ。囁きに理解する。そうよ、あの男だって、私のことを見たらきっと、ああ、はやく、はやく、はやくしなくちゃ。 いくつも並ぶデータ。何度も何度も繰り返すのに集まらなくて、足りなくて、出来ない。 「不足しているんだわ。データが、もっと、集めなくちゃ。エネルギーも足りないんだわ、ねぇ。はやくエネルギーを」 いくつもの画面。そのひとつに、黒い空に銀の軌跡を描く景色が再生される。 「次こそ、ぜったい、ブーたん、協力、して」 もう時間がないの、
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