ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階（きざはし）・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか？このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの（「美味しい魚が食べられるお店」など）・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
眩しいほどの晴天。波打つ音。子どもたちが駆けまわり、軒を連ねる店の前に並ぶ新鮮な魚介類が太陽の日差しを反射して人々の目を誘惑する。その近くに並べられたテーブルでは三人ほどの恰幅のよい男たちが盤上ゲームを繰り広げ、黒々としたアルコール度の高い酒を飲みかわしている。吹く風は乾燥して、なまあたたかく、はじめてここにきたときのようにジャック・ハートの黒髪を弄ぶ。 何も変わっていないようにジャックの目には映る。驚くほど豊かで心地よい世界。 はじめて訪れた世界。 そこは自分の生きてきた環境とまったく違い、単純に嫌悪した。 何も変わらない日常。いいや、そんなことはない。砂浜を染める波がときとして弱いように、強いように、日々変化は広がっている。 ジャック・ハートは透視能力をフルパワーにして歩き出す。 そうしてはっきりと視ることのできるのは制限された半径50メートルまで。そこから先はまるで夜の、いいや、枯れた井戸の底のような暗闇ばかり。 方向を考えて一歩、進もうと浮かせた足は彷徨って踏み出す。ささいなことだが、今のジャックにとっては大切なことだ。 しっかりと頭のなかでシュミレーションして方向を定め、進まなくては迷って時間の無駄をしてしまうからだ。 波の音がするのにずんずんと坂道を進む。木の板で出来た頼りない道は少しでも足への力のいれかたを誤れば容易く底が抜けて海のなかにまっさかさまに落ちてしまいそうだ。それでも迷いなく、ずんずんとジャックは進んでいく。真っ直ぐに。迷いはない。頼るものもない。ときおり、風にのって人の楽しげな声がする。アルコールの香り、花の甘さ、海の塩辛い、匂い。五感が世界の豊かさをジャックに教えてくれる。 俺は馴染もうとした。 奪うな。 侵すな。 護れ。 共存しろ。 突きつけられて、乱暴に変えられた生き方を掴もうとした。けど、それは指の間をすり抜けた。全部。 波の音がする。それがどんどん大きく、大きくなっていく。なにもかも飲み込もうとするように。それは耳にする者によっては陽気な歌声と同じ。 日々変化していく日常の声。 ここにはじめてきたときの気持ちをいまだに覚えている。けれど、あのときよりもずっと悪い。 自分はジャックだとあのときは知っていた。けれど、いまは、自分がジャック足り得ないと自覚している。 足は進む、体は進む。心は進む。 ジャックであることは誇りだった。だが、役目は別の人間が受け継ぐものでずっと自分のものではないこともわかっていた。 けれど 最近まで自分はジャックだった。 氏族の盾、守護者、他に守られることなど一切ない、一人で生きていける強者。 しかし。それはターミナルに来て変わった。波がいつも同じと限らないように。満ちて、引いてを繰り返す。そのなかでときとして戯れるように、ときとして無言でなにもかも奪っていくかのように。 音がする。 ジャックは進む、進む、進む。 覚醒してから狙ったように零れ落ちた紗砂のような言葉の礫。それに足を、心を止める、問いかける。違うと否定して持ち直しても、視界のなかにちらちらと浮かんでは消えて、また浮かんでくる。まるで無数の気泡のように。 ジャックは足を止める。 前にも ジャックは振り返る。ゆっくりと。 後ろにも 道などない。 子どもの笑い声のような波の音がする。それに進み続けたジャックは本当の意味で足をとめ、顔をあげる。ようやく降りてきた坂道は終わりを迎えて終点。 なにもない、ただ広がるのは眩い紺碧。陸に近ければ近いほどにその色は透明度を増し、淡い翠のグラデーションを作り上げる。 乾いた、熱い風が吹いてジャックの全身を嬲る。 波の音がする。繰り返し。繰り返し。 ジャックの故郷は決して豊かではない。たとえロストレイルをなんとか奪い取って、戻ったところで食料プラントの余剰があるとは考えづらい。名前のない、役目のない自分が生きていくためのものはない。 どう転んでも生きる道がない 波の音がする。繰り返し。繰り返し。 掟のために死ぬ。 掟という絶対にジャックは従い、それを守り、正しいのだと示すのだ。意味があるのだと知らしめるために。 波の音がする。それに混じって人の声がする。それらに背を向けて、見るべきものは視たのだと言いたげに歩き出す。ここまでくるのに歩いてきた道へと再び、一歩を踏み出す。今度は迷いもなく、躊躇いもなく。近くに寄り添う母の歌声のような波の音から遠ざかっていく。人の声も、鮮やかな色に染められた世界からも。 ジャックは進む、進む、進む。 「俺はもう楽な道は選ばない、絶対に……絶対にだ」 ジャックは噛みしめるように呟く。 声に出して、自分に言い聞かせるように。そうして己自身に誓うように。ジャック・ハートという名に示すように。 ロストレイルに戻るのは散策したときよりもずっと短時間で済んでしまった。 チケットを差しだしてなかへとはいった。広い車内は外の茹だるような暑さがまるで嘘のように快適だ。 ジャック以外はいないのに、どすどすと大股で歩いてふかふかのクッションの詰まった席に乱暴に腰を下ろす。両手を頭の後ろに組んで、つと窓から外の景色を見る。 紺碧。 けれどもう音は聞こえない。 匂いもない。 ジャックは何も考えていないような顔でじっと外の景色を見つめる。たくましい胸のなかには仄暗い怒りを抱いて。その日がくるときを、チャンスをじっと待つのだ。 そのために満ちては引くことを永遠と繰り返す波の音のように、今まで変わらない仮面をかぶり続けるのだ
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