マスカダイン・F・ 羽空はインヤンガイの街にいた。 たった一夜でなにもかも失われた。 しかし。 太陽が昇ればインヤンガイは日常をはじめる。なにかが欠けたところで無くしたものなどないかのように、まるではじめから存在しなかったように。 いびつな形で天に伸びる建物、店や屋台が軒を連ねて喧騒の絶えない大通り、物乞いや掏りがいる昏い細道。 頭は真っ白のまま、涙も出ないマスカダインはそのなかを歩いていく。 感情という感情は停止し、足元の黒いアスファルトの下に沈んだように無しかない。人間にとってもっともラクな逃亡の一つである、停止をマスカダインは選んだ。 守りたいもの、自分を動かし歩かせていたものがなくなってしまった。 笑わせる人がいなきゃ道化師の存在する意味なんてない。 街はさざめく。人が行きかい、笑いあい、ときとして言い合い、慌ただしい呼吸を繰り返す。 罪悪や喪う辛さから逃げる事をやめたボクはこんどこそ生きてはいけない。 あの人を失ったら ボクは死ぬと思ったのにまだくすぶってる 笑ってくれたんだよ! ありがとうなんていうんだよ! ボクを一人にして! この世界を守りたいと思った。闇から救い上げたいと思った。けど、もうなくなっちゃった! ボクたち旅人って、災悪でしかないの? 空は紺碧が広がり、世界は光を灯す。ざわめきのなかにある沈黙がマスカダインを包む。 視界いっぱいにインヤンガイの街は灯りに溢れていた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>マスカダイン・F・ 羽空=========
鈍色の空から蜘蛛の糸のような細い光が不揃いな蜂の巣に見える改築に改築を繰り返された建物群のなかに落ちる。 マスカダイン・F・ 羽空はそのなかをあてもなく走っていた。 森羅万象を復活させる! 森羅万象とは美龍会の長であるエバが所有していた穢れた魂を封じ、それを墨とする壺のことだ。 霊力都市・インヤンガイにおいて悪霊、暴霊といったエネルギー源が、その性質ゆえに暴走することはさして珍しいことではない。そうしたトラブルを解決するために探偵は存在し、手に余るものはロストナンバーたちに依頼される。 生者の手によって心残りをなくして消えていくものもあれば、武力を持って消滅するものもある。 消えるしかない魂を憐れんだ美龍会の長は、時間をかけて魂を墨に変えることで理に帰すのが森羅万象。 それは先日、一人のロストナンバーの狂気が破壊してしまった。 マスカダインは破壊の現場に居合わせ、壺のなかにいた霊が、鬼となったのを目撃し、仲間たちと協力して退治をした。しかし、霊災によって街が二つ、封鎖された。 マスカダインはそれに責任を感じ、インヤンガイに留まっていた。 何も考えられなかったのは一時のこと。 罪悪感は嫌悪を、嫌悪は己の深淵を覗かせる。 すべてを壊したのは、ボクの内の鬼だ。 ボクはボクが許されなくて。存在が恐ろしくて。ずっと自分を殺せるものを求めてた。 あの時貴方が撃たせてくれたのは、ボクの鬼だったんだ シロガネさん やっぱりあなたはボクの森羅万象だったんだよ 数多の破壊と喪失を踏超えて生き続けたその訳を知れた。 ボクは特別願いを叶える力が強過ぎたんだ ボクは希望に踊らされてたんじゃない ボク自身が希望だったんだ だから 死から街をとりもどす! その一心でマスカダインは摩天楼の輝きを宿す街中を歩き回る。あてなどないが、道すがら人々に声をかけて術者のことを聞こうと試みた――成果はあがらない。 インヤンガイの人間は目まぐるしく入れ替わる陰と陽のなかを生きている。誰かを容易く信用することが命取りであることを心得ている。 術者は基本的に危険な存在だ。それをほいほいと口にする愚者はいない。むしろ、そんなことを堂々と尋ねてくるマスカダインを警戒してみな遠巻きにする。 「どうしてなのね、だって……ここにボクが居るから、同じ心を抱く人は必ずいる」 マスカダインはそう信じて人に声をかけていくが、街を見捨てることはさして珍しくない。ささやかな忘却は陰と陽を作り上げる土台に過ぎない。 いくら声をかけても、誰もマスカダインに応じる者はいない。 マスカダインは何日もインヤンガイに滞在し続けて声をかけ続けた。はじめは埒があかなかったが、滞在して理解した。術者は夜に裏道などでひっそりと店を開けているのだ。そういうものはだいたい三流である場合が大概だが、マスカダインは気にせず向かっていった。小さな者から辿っていればいずれは隠居した術者などと巡り会えると踏んだのだ。 「森羅万象を作りたいのね!」 門をくぐって術者に面と向かって自分の夢を語る。 術者は眉根を寄せただけで、マスカダインに手を振って帰れと示した。 「どうしてよ! 街を死から取り戻そう!」 執念すら感じさせる情熱をふりかざすマスカダインに術者はうんざりとした目で向けた。 「アンタの言ってること意味わからないヨ」 「だめならあなたよりもっとすごい人を教えてほしいの!」 「お断りヨ」 「どうして!」 「仲間の情報を売った者はこの業界ではやっていけないヨ」 「だったらボクが責任をとるよ!」 「出来もしないこと口にしないのネ、アナタ」 術者は呆れた顔をした。 「だって、諦めるなんておかしいよ」 そこまでまくし立ててマスカダインは口を噤んで、下唇を噛みしめてきっと術者を睨みつけた。どうして容易く諦めてしまうのかがわからないのだ。 インヤンガイに生きている術者もまたマスカダインの希望がわかるはずがない。 「ボクは諦めないよ! 教えてくれるまでてこでもここを動かないよ!」 その場に腰かけるマスカダインを術者は鋭い視線を向けた。 「商売の邪魔ヨ、アナタ」 術者の手からひらりと紙が落ちるとそれが狗の形に変化した。マスカダインがぎょっと驚いている隙をついて使い魔はその首根っこを捕まえ、店の外に叩きだした。 「なにするの! 開かない!」 マスカダインが慌てて店のドアを開けようとしたが、堅く閉ざされて開くことはない。 茫然と扉を見つめてマスカダインは項垂れた。 実はこうした門前払いははじめてではない。すでに三回目だ。彼らは一様にマスカダインの言葉に顔を顰め、拒絶した。それでも強硬な態度をとるとこうして外に叩きだされてしまう。 「なんでよ……!」 マスカダインは願っている。 しかし、彼はインヤンガイの流儀を知らない。方法も、手順も。マスカタインは自分の考えのみで行動した。 ぽつぽつと雨が降りだした。 インヤンガイの夜はときどき気まぐれな娼婦のように天候は変化する。初夏を迎えて夜すら蒸し暑いというのに時折、誰かをあざけるように霧雨が零れ落ちる。 マスカダインは憂鬱に沈みながら歩き出す。 そろそろ宿に泊まる金も底を尽きる。インヤンガイにこれ以上の滞在は出来ない。 冷たい雨粒はマスカダインを濡らし、灰色に染めていく。 もうこれ以上の滞在が不可能になった日。マスカダインはいつものように術者の店が集まった路地に赴くと真っ暗だった。店という店の扉を閉められて闇しかない。まるで礼儀知らずな訪問者を否定するように。 そこに小さな灯りがあらわれた。橙色のほのかな明かりは鬼灯から漏れるものであった。 それを持つのは灰色のチャイナ服に布で顔を隠している男だ。唯一晒されているのは左目だけで、それは鷲のように鋭い眼光でマスカタインを見据えた。 「お前か、最近の営業妨害は」 「キミは……」 「この街の術者を束ねる者だ」 「だったらお願い、森羅万象を復活させたいの! ただ復活させるだけじゃないのね! 今度の森羅万象は魂を閉じ込めるものじゃなくて、優しく照らす灯がいいのね!」 ようやく可能性を見つけ出してマスカダインは早口に声をあげる。男は微動だにしない。 「お前は森羅万象を知らんようだな」 「知ってるよ! 持ったこともあるよ! 魂を吸い込んで、墨にするんでしょ! ボク、一度、エバさんに貸してもらったことがあるよ! それに、それにね、壺が割れたのも立ち会ったから」 「なら、わかるだろう」 「なにが! キミたちはやる前から諦めて、そんなのおかしいよ! ここにいる人たちの力を合わせれば……ボクだって、ボクの世界の力を合わせて」 「なぜ」 「なぜって、それって当たり前のことよ」 マスカダインの言葉を男は迷惑そうに嗤った。 街を捨てることはさして珍しいことではない、助けて共倒れるなど滑稽を通り越した愚者の行動。 そもそも、封鎖された街と今マスカダインが滞在している街はなんら関係ない。たまたまこの街を通ると封鎖された街に行けるというだけで、恩も義理もないのだ。 マスカタインは自分の価値観を振りかざし、わめきたるのに街の忍耐がとうとう切れた。 「お前には二度とこの街に入ってほしくない」 「っ、ボクは森羅万象を作りたいんだ!」 「森羅万象は、美龍会の長、エバ様のみが作れる秘法だ」 マスカダインは目をぱちくりする。 森羅万象は美龍会の強さの源であるアヤカシの面を作るために必要な墨を生み出す壺だ。つまりは、アヤカシの面を含めて、森羅万象とは美龍会の秘法。 自分の組織の強さを他者に漏らす者はいない。 そもそも美龍会の長は名のある呪術師の生まれ。術を巡っての血生臭い争いの末に作り上げられた過去がある。 「そんなの調べたら」 「元の一族は滅んだ。それに、森羅万象とアヤカシは美龍会のみに伝わるものだ。そんなことも知らないのか」 美龍会のアジトはすでに崩壊し、調べることは不可能だ。 「そもそも、森羅万象が割れた場所に居合わせなら、わかるだろうに」 「なにが」 「噂では聞いているが、あんなものをつくろうなんて狂気の沙汰だ」 「生まれ変われない魂なんてない。今なら、ボクそう言えるんだ。この世界は言霊で動いてるなら、ボク、また寄り添いたい魂があるんだよ」 マスカダインはわからないという顔をしていた。 「術は使えば、それは術者に跳ね返る」 壺が割れてはじめに死んだのは、誰でもない森羅万象の所有者にして作り手であるエバであった。 簡単な理屈だ。何事も得れば代価が必要となる。 森羅万象が存在出来たのはエバが誰よりも街を守ろうと、そこに住む者たちを愛し、救おうとしたにほかならない。 たとえ、その結果、自分が悲惨な形で死ぬことすら受け入れて作り出したのだ。 エバは願った。望みに相応しいだけの力と覚悟を持っていた。だからあの街の者たちはエバを慕い、事件のときも必死になって森羅万象を守ろうとしていた。 マスカダインは願っても、力も方法も、知識もない。自分の願いがこの世界の誰かの命で成立することすら知らなかった。 「だって、ボク、とんでもない嘘つきなんだ。自分のこと信じられなくて、選ばれていたのにそれすら信じられなくて、託してくれたのに、自分じゃ手を伸ばせられなくて」 再び雨が降りだした。 ぽつぽつと誰かを笑っているような雨が。 「ボクはシロガネさんが好きだったんだ。誰よりも何よりも一番好きだったんだ。世界の為だの人の為だの耳障りのいい言葉で逸らして誤魔化して自分を生んだ感情がおぞましくて同じ気持ちが恐ろしくて直視することが出来なかった」 男は背を向けるのにマスカダインはなおも叫び続ける。 「ボク羽空っていうんだ。だからあの人と飛びたいんだ。森羅万象を復活させたら、鬼だって生き返るんだよね! 鬼になって、ボクが倒した人がいるんだ。シロガネさんって」 「……結局、お前はお前の願望に俺たち、無関係な者を犠牲になれと言っているにすぎない」 男はあっさり吐き捨てる。マスカタインに反論の余地はない。なぜなら自分で耳障りのいい言葉だと認めた。無知であるがゆうにインヤンガイの街がどういう作りなのか、彼ら住民のことも、森羅万象がどれだけのものなのかも知らなかった。知ろうとすらしなかった。自分の価値観が、考えが正しいと信じていたからだ。 「森羅万象は墨になるまで本来外に出さないものだ。鬼は、理から外れた化け物だ。殺せば魂は永遠に失われる」 「そんな、」 マスカダインは絶句した。 「キミ、どうしてそんなこと知ってるの。そんなに詳しいなら」 「昔、そのシロガネという鬼姫と殺し合いをして、身体の半分をもっていかれたのさ」 男が布をめくると、その下は言葉を失うほどにひどい有様なのが赤々と燃える炎によって映された。 極度の疲れから吐き気を催してマスカダインは顔を逸らした。 男はマスカタインの前に来ると、その額を細い指で叩いた。 「二度とこの街に入れないように術をかけておいた。これ以上、人の家に土足で立ち入って騒ぎ散らすのはやめてもらおうか」 男は背を向けると、鬼灯を揺らしながら去っていった。 マスカダインにその背にかける言葉はない。 黙って両手で顔を覆い、涙を流した。 もしかしたら事件後はじめて流した涙だったのかもしれない。なにか希望を見つけて、それに夢中になることで悲しみを忘れようとしていた。願いを持って、それが叶えば悲しみは帳消しになるとも思っていた。 悲しみはただの悲しみでしかない。それを忘れることも、なかったことにすることもできない。 嘲笑うように雨が降っている。 そしてすべてを濃い灰色に染めて、沈めて、溺れさせてしまう。 闇しかない街のなかで、マスカダインは希望がなくなることでようやく自分に悲しみを与えることを許す事が出来た。 雨が降る。なにもかも覆い尽す。それが涙を隠して、流していく。枯れ果てた涙の声も雨音が包んでしまう。 それがマスカタインに、無常な街が唯一許し、叶えた願いだった。 深い奈落のような沈黙の夜はマスカダインに悲しみを好きなだけ溺れる願いを叶えた。
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