公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
「悪い事をしました」 一一一は膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、そう切り出した。 その表情はどことなく重く、後悔や罪悪感といった色々が綯い交ぜになった感情に支配されていて、一言で表現するのなら……『悲痛』。普段の一には全くといっていいほど似つかわしくない単語ではあるが、そう言い表すのが最も相応しいようにみえる。 「悪い事だって分かってました。イタズラじゃ済まされないって」 「では、何故それを?」 告解を受ける者が当然のように浮かぶ疑問を口にする。そう問われるのは分かっていたはずの一はそれでも、言葉を選びながらゆっくりと答えた。 「……どうしても、会いたい人が居ました。会って、話をしたい人が」 その言葉選びだけを見ればまるで片想いに焦がれる少女のようだったが、眉根に深く寄った皺はそんな想像を許さないほどの真剣な影を一の面差しに作る。 「ホワイトタワーに忍び込んで、顔を隠された囚人と会う。それがこの世界でどんなに罪深いことか、分かってるつもりだったんです。……いえ、今も理解はしているんですよ」 「……ふむ」 ホワイトタワーという単語を、告解を受ける者も若干の驚きでもって耳に入れる。確かに、そもそもそれを『しようと思い立つ者』がこのターミナルにそう居ないという点では、一の犯した悪事は相当に大きい。 「でも、楽しかった。悪いことを、楽しんでしまいました」 一の目の前にあったのは、誰もがそこにあることを知っているのに、誰も開けようとしない箱。それを開けようと手を掛けることは果たして善と悪のどちらに偏っているのだろう。 「本当の事なんて誰にも分からない。そんな前提で、物語を書くように想像を巡らせるだけのお喋り。……そう思ってしまえば、あれが悪い事なんだって事実から目を逸らすことが出来ました」 表面的な事実として、昔話から紡がれる『物語』を聞かせて欲しいという囚人のリクエストに、一は応えただけだった。平和なターミナルに住まう無関心なその他大勢ならばそこで思考が止まるであろう、巧妙なやり方で与えられた『盾』について、一はどこかで何かに気づき、よしとしなかった。 「最初は招待状を頂いて、皆が認める方法で正式に会いに行きました。だから、二度目に手紙が届いた時……求められている事なんだ、応えなきゃいけない、そう思ったのかもしれません」 二度に渡る囚人との会話で一に芽生えたのは、萎むことを知らない好奇心。秘密を暴きたい、もっと知りたい、シュレディンガーの猫が生きているのか死んでいるのか確かめたい。そんな個人的な欲求を納めて、無意識のうちにきれいな行動原理として携行するのに、一が自覚している強い正義感という性分は実にちょうどいいものだったのだろう。だが、結果として一はその矛盾に気づいてしまった。 「誰かにとって悪い事なのだとしても、私は囚人さんが抱えている秘密を知りたいんです」 全てにとってそうであると言える善行はなく、悪行もまたそれに準じる。一がそんな風に開き直れないのは、この気持ちの出所が欲求と快楽という、利己的な感情故なのだろうか。 「秘密を暴くのは悪い事なんでしょうか? それとも結果的には良い事に繋がると思いますか?」 顔を上げ、一は格子窓に向かって搾り出すような声で問う。どうとでも答えを出せる問いかけに、正解などありはしない。だけど一には分からない。 「……すみません、変な事を聞いてしまいました。誰かに答えを聞いても仕方のない事だとは分かってるんです」 嘘や隠し事が良い事だとはどうしても思えない、だがそれを無理に暴いて白日の下に晒すという行為は果たして良い事か? それについての答えは出ない、それでも心は求める。 __知りたい 芽生えてしまった気持ちを抑える術を、一は持たない。 「だから、悪い事をしにいきます」 「自身の心に従うと?」 告解を受ける者は決して否定も肯定もせず、ただ一の意志を確かめる為であることを殊更強調するように、静かな調子で問いかけた。一はまだ迷いながらも小さく頷き、今からするであろう事への懺悔に決意を込めて口を開く。 「人の家に忍び込んで、大切なものを盗みにいくんです。……それはきっと良い事ではないと思います、相手が誰でも、大切なものが他の誰かのものだったとしても」 『ある善行は誰かにとっての悪行であり、ある悪行は誰かにとっての善行である』告解を受ける者はそう言いかけて口を噤んだ。その、それこそどうとでも取れるひとつの答えを、他人の口から聞いたところでこの名も知らぬ少女はきっと納得しないだろう……短いやり取りのなかで、そういう妙な確信が生まれた為だった。 「やると決めたのは自分です。アリッサに頼まれたからじゃなくて、囚人さんの為でもなくて、自分が知りたいから」 その瞳に浮かんだ迷いの色はまだ、消えていない。だがそこに重ねられた意志の色は、迷いの色と混ざり合い、善悪では測れない美しい色をしているのだろう。告解を受ける者はそれを思い、出しかけた言葉を組み替えて今度は一の耳に届ける。 「何故、そうしたか? 何故、そうしなかったか? 仮に君のいう"悪い事"で君が人々から謗りを受けるとして、どちらの言葉で問われるのが君にとってより"善い"か。君にはもう、その答えが出ているようだ」 「……はい」 迷わぬことは幸せかもしれない。考えないこと、見ないふりは幸せかもしれない。だがそれを自身に許すことが難しいほどに、一の探究心は大きく育っていた。 「ならば背中を押す必要も、引き留める必要も無いだろうね。他に言っておきたいことはあるかな」 「……そうですね、全部終わったらもう一度、あの囚人さんに会いに行きたいです」 閉ざされ守られた秘密を暴き、大切な物を盗み出した後の自分がどうなっているかは分からない。でも、だからこそあの囚人と話すべきこと、話せることがあるかもしれない。 「あ、これって死亡フラグですかね? やっぱり撤回していいですか、いや会いに行きたいのは変わらないんですけど!」 「ははは。残念ながら聞き届けてしまったよ」 告解を受ける者は、今まで慎重に抑えていた感情を一の言葉で始めて顕にした。そして笑ってしまった非礼を詫びるように、こう続ける。 「もし無事に帰って来たのなら、その囚人に会いに行く前に、わたしのところにも来ておくれ。これでフラグは回避だろう?」 「分かりました、約束します。その代わり」 一自身、この部屋がどういう部屋なのかは知っている。だけど今日打ち明けた秘密は、念を押したくなるくらいには大きく重たい。 「分かっているよ、今日の言葉たちは君とわたしの秘密だからね」 「ありがとうございます。……行ってきますね」 一はソファから立ち上がり、格子窓に向かって頭を下げた。 告解室では今日も、打ち明け置いていかれた秘密たちが主を待っている。
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