ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
仕立てて欲しい服があると、やってきた少女は十五歳。 長い黒髪に、壱番世界の伝統装束に良く似た着物姿。 少女は花篝と名乗った。 同居人の勧めで『ジ・グローブ』の戸を叩いたという。 そこで仕立屋リリイが任されたのは、壱番世界の少女たちが好む、はやりの衣装だった。 報せを受けて再び店を訪れた少女は、試着室のカーテンに身を隠すようにして姿を現そうとしない。 「……このような服を着るのは初めてですので、少し気恥ずかしいです」 まだ幼さを残す少女だ。 合わせて持参したヒールをはくのも慣れない様子で、足取りもおぼつかないらしい。 恥じらう姿がなんとも愛らしく、リリイはダンスに誘うように少女の手を取り、「こちらへ」とうながした。 少女を店内にある大鏡の前へ導くと、不安げな瞳が、翠のドレスに身を包んだ女を見あげる。 「おかしくはありませんか……?」 少女は漆黒の髪に、淡い桜色の花を散らした衣装をまとっている。 上着はインディゴブルーのショート丈Gジャンだ。 どちらもリリイが壱番世界の衣装資料をもとに、依頼人に合うよう仕立てたものだ。 「おかしいだなんて、とんでもない。良く似合っていてよ」 「わたくしの世界の服よりもずっと動きやすそうですけれど……足に風があたって、なんだか心許無い気分になります」 「大丈夫。すぐに慣れるわ。それより生地はどう?」 ワンピースの柄はいくつかの生地を取り寄せ、その中から少女のイメージに合うものを選んだ。 花篝がそのすそをつまみ上げ、手にした花の色に目を細める。 そこには瑞々しい花弁が、生地いっぱいに散りばめられていた。 「わたくしは、この花模様が気に入っております」 どんな時でも、心安らぐ。 それは、最愛の桜の花色だった。 「ジャケットのサイズも良さそうかしら? 着丈が短めだから、脚を細く、長く見せる効果があるのよ」 「これは……?」 花篝が指し示したのは、袖口まわりのレースだ。 見ると衿元と袖口の内側に花模様のレースが配され、デニムブルーと白の対比が美しい。 「この素材の青は、そのままだとすこし主張が強すぎると思ったから。こうしてレースを置くいて、雰囲気を和らげてみたの」 袖口を折り返すとレースが表にあらわれるしかけで、魅せ方を工夫できるという。 「いろいろと考えたうえでの素敵な服、本当にありがとうございます――」 けれど、と言葉をにごす花篝を見つめ、リリイが続きをうながす。 「……わたくしの髪は壱番世界の方々よりずっと長いですから、このまま着ると変かもしれません」 確かに、腰よりも長く流れる黒髪は、華やかなワンピースに合わせるには、少しばかり重苦しいように感じられる。 「そうね、では、編み込んでみてはどうかしら」 そうして花篝に手鏡を持たせて椅子に座らせると、リリイは背後に立って少女の髪をいじりはじめた。 頭の上側から髪をすくい、ひと束の三つ編みに。後ろ側に残した髪も、ひとつの束に編み込んでいき、やや左位置にまとめる。 最初に編んだ髪を、カチューシャのようにぐるりと頭に巻き付け、ピンを使って固定。左側にまとめた束でお団子を作ると、こちらには大小の花のコサージュを飾りつけた。 襟足に残した少量の髪を前に流し、「完成よ」と、花篝の肩を叩く。 渡された手鏡を覗きこむと、長い髪がすっきりとまとめられ、いつもより雰囲気が軽やかに見えるようだ。 色とりどりのコサージュも良く目立ち、髪色の印象を和らげている。 リリイは髪を巻きつけるのと、お団子を置くのがポイントだと告げ、 「慣れるまでひとりで結うのは難しいかもしれないわね。でももし誰か手伝ってくれるひとがいるなら、私が編み方を教えるから連れていらっしゃい」 リリイの申し出に、花篝は驚いて振り返った。 「服を注文していなくとも、お店を訪れて構わないのですか?」 「あら。愛らしい女の子のお手伝いができるなら、大歓迎よ」 女主人は微笑み、 「貴方の髪はとても美しいわ。黒髪はどんな色の衣装にも良く合うけれど、淡い色と合わせると、繊細さや、儚さが増して、女性らしさが惹きたつの」 リリイは微笑んで花篝の髪を撫でる。 花篝の華奢な体型もあって、花柄の衣装に身を包んだ姿は実に可憐だ。 「衣装は身体だけで着るものではないわ。『こころ』で着るの」 「……こころ、ですか?」 「ええ。自分が好むものを身につけるんですもの。自信をもって、堂々としていらっしゃい。そうすれば衣装は、自ずと『貴方のものになる』わ」 リリイの言葉は、それまで知らなかった衣装の世界を、次々と開いていく。 壱番世界のワンピースは、花篝が初めて身につけるものだった。 これまで身につけてきた装束と違い、ふわふわと軽やかで、肌に重ねるにはなんとも頼りない。 けれど、その儚げな装いに、こころ惹かれた。 ――着てみたい。 ――でも、似合わないかもしれない。 最初はひけ目を感じていた。 リリイから連絡がくるまでは、重苦しい不安で胸がいっぱいだった。 けれど、少なくとも今、鏡に映る自分の姿を見つめながら、暗い気持ちはみじんも抱いていない。 リリイと一緒に鏡を見通していると、素直な気持ちで改めて自分と向かい合っているような。そんな、不思議と穏やかな気持ちになれるのだ。 「あとは、このハイヒールですね……」 着替えてからはき続けていたが、かかとの高さにはなかなか慣れそうにない。 「あら。私も、最初は随分と苦労したものよ」 「そうなのですか? わたくし、リリイ様はどんなくつも最初から美しくはきこなすのだとばかり……」 花篝の言葉に、翠のドレスの女は、その場でくるりと回ってみせる。 円弧を描く美しいターン。 そうしていたずらっぽく片目を閉じ、かかとを鳴らした。 「貴婦人は一日にしてならず、よ」 「素敵な服を仕立てて下さって、ありがとうございました」 支払いを終え、店を出る前に花篝が頭をさげる。 「次に伺う時には、わたくしの出身世界の着物の仕立てをお願い致してもよろしいでしょうか?」 「ええ。レディの魅力を惹き出すお手伝い。よろこんでお受けするわ」 言葉とともに、一通のカードが差しだされる。 女主人の表情を伺いながら受け取ったそこには、リリイが催すファッションショーの案内が書かれていた。 「お噂はうかがっておりました。……わたくしも、ご招待いただけるのですか?」 「このショーなら、ターミナル中からいろんなひとが集まるわ。きっと、ファッションの勉強にもなると思うの」 参加すれば、壱番世界の衣装はもちろん、異世界の衣装を間近で見ることのできる貴重な機会となるだろう。 「ありがとうございます。わたくし、きっとまいります」 手にしたカードをそっと両手で包みこみ、花篝が再度深く頭をさげる。 顔をあげた少女の表情は、あたたかく朗らかで。 「自信をお持ちなさい。女性はその気さえあれば、いくらでも美しくなれるのよ」 リリイも思わず微笑み返した。 跳ねるように駆けていく少女の背中を見送りながら、準備中のファッションショーに想いを馳せる。 日々の仕事をこなしながらも、ショーは成功させなければならない。 どちらにしても、リリイにとって充実の日々が続くことは間違いない。 次の客は夕方にやってくる予定だ。 それまでは休息がてらティータイムを楽しもうと、仕立屋の主人は店の奥へと戻っていった。 了
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