ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
ターミナルの仕立て屋『ジ・グローブ』。 女主人であるリリイは店内テーブルで本日の客人――フェイ リアンと語らいながら、発注を受けているところだった。 向かいに座した少年は、十一というにはあまりにも礼儀正しい。 店を訪れた時の挨拶から些事に至るまで、マニュアルもかくやという徹底された教養が垣間みえる。 尋ねてみれば、かつて暮らしていた世界では王に仕えるための教育を受けていたという。 「それで、大人びて見えるのね」 ティーカップにいれたての紅茶を注ぎながら、リリイが納得する。 フェイはそれには応えず、じっと注がれた紅茶を見つめていた。 その様子は一見無愛想な反応のように思えたが、褒められた子どもが、反応に困って素直に礼を言えずにいる――。 処世術にうとい少年の、淡泊さのようにも思える。 「この服はもとの世界を放逐された時から持っているもので、いくつかある着替えと一緒に、大事に着てきました」 身につけていた装束は特に上等の生地を用いたものではなかったが、少年がまとうと、どことなく気品を帯びてみえる。 「大切な武器をしまうにも良い、というより、そのためにあつらえたようなものではありますが……」 どこか恥じたような物言いに、リリイは不思議そうに言葉を重ねる。 「機能美に優れた衣装は、芸術にも匹敵するものよ。武具を収めながらも、貴方に不都合がないよう、入念に、手間暇をかけて仕立てられているのだから」 仕立屋を営む者として、フェイの衣装をあつらえた者には親近感を抱く。 彼はすべてを明かさなかったが、装束の下には相当数の武器が隠されているという。 少年の衣装は、はた目には一般人が身につける平服と何ら変わりがない。身につけた暗器の存在を、シルエットから気取られぬよう収めた手腕は見事としか言いようがない。 もっとも、少年の服の下に武具を仕込むなど、穏やかな話ではない。 誰が、何の目的でそれを仕立てたのかは知るよしもないが、その装束がこれまで少年を助けてきたというのなら、その服にも何らかの意義があったといえるのだろう。 「はい。ですが、依頼を受けて冒険旅行に出るときはともかく、ターミナルではこの街に合った服を着てみたいと思うようになりました」 リリイは思わず、手にしていたティーカップを受け皿に戻した。 「0世界のこの街並み、風景に合った服をひとそろえ、お願いしたいのです。このような街に住む、私くらいの歳の少年が、友人と遊びに出かけるときに着ているようなものを」 顔を上げた少年の眼を、正面から見据える。 「……武具を収める必要は?」 「ありません」 女店主の問いかけに、フェイは即座に答えを返した。 「……」 リリイは口をつぐみ、思考を一巡させる。 その沈黙に、少年は女主人の機嫌を損ねたと思ったらしい。 慌てた調子で言葉を継ぐ。 「……すみません。せっかく服を仕立てていただくのに、こんな注文は、なんだか妙ですね」 「いいえ」 間髪を入れず、否定する。 「貴方は依頼主ですもの。『妙な注文』というものはありえないわ」 リリイは即座に言い切ってみせた。 「私は仕立屋。『ジ・グローブ』の女主人リリイ・ハムレット。お客様の要望を、衣装という形にして届けるのが務め」 それは、職人の持つ誇りから口をついてでたのかもしれない。 リリイはすぐにいつもの穏やかな表情を取りもどし、告げた。 「かしこまりました、お客様。心を込めて、お仕立てさせていただきますわ」 数日後。 フェイのもとに、『ジ・グローブ』から衣装が仕上がったという報せが届いた。 ほどなく店を訪れると、先日語らったテーブルの前にリリイが立っている。 「いらっしゃい。待っていたわ」 さっそく試着して欲しいというリリイに頷きかえし、支度をする。 「ひとまずはブラウスにパンツ、ベスト。あと、ソックスを履いたら呼んでちょうだい」 フェイは手渡された衣装を胸に抱え、導かれるままに試着室に入った。 これまで身につけてきた装束とは、また違った呼び名を持つ衣装。 広げた白の半袖ブラウスを感慨深げに広げる。 武具を隠し持つための機能など、どこにも見られない。 「……そうお願いしたんですから、当たり前ですよね」 肌身離さず持ち合わせていた武具をひとつひとつ取り外していく。 渡された衣装はターミナルでも良く見かける形なので、着方に迷うことはなかった。 ブラウスとパンツを着付け、ベストを頭から被る。 腕利きのリリイが仕立てただけあて、サイズはまったく問題がなかった。 違和感があるとすれば、それは足下に収めた武具を身につける必要がないという事実だ。 フェイは武具を見下ろすと、そっと、手荷物の中へ押しやった。 寸刻の後。 リリイは試着室から現れたフェイを見るなり、店にある大鏡の前へ押しやった。 清潔感のある白いブラウスは、袖と衿元に入れられた紺のラインが引き締まった印象を与える。 膝丈のパンツはブルーのタータンチェック柄。 ブラウスの上にまとった紺のニットベストは、左胸にアーガイル柄があしらわれていた。 足下は紺のソックスで、こちらもワンポイントにアーガイルの刺繍が添えられている。 それまで着ていた装束の印象とは異なる、成長期の少年らしい、ファッショナブルな洋装だ。 「どうかしら?」 リリイの問いかけに、鏡を見つめていたフェイが顔をあげる。 かけていた眼鏡を押しあげ、じっくりと己の衣装を見定める。 「……なんだか、不思議な感じがします。でもきっと、すぐに慣れますよね」 「貴方さえ気に入れば、ね。さあ、これも合わせてみてちょうだい」 女主人は満足げに微笑み、そばに置いてあったロングブーツを取り出した。 正面は編み上げになっており、脚に合わせて靴紐を結び直す必要がある。黒の本革で仕立てられただけあって、履くと、少し重みを感じた。 しかし、それまで身に武具を仕込んでいたことを思えば、その重量感がどこか心地良くも思えた。 ブーツをはき終えるや否や、リリイは少年の襟元に天鵞絨の細いリボンタイを結んだ。 続けて揃えられた黒髪をいじり、同じ天鵞絨のリボンで下方に結い直す。 どちらも同じブルーのリボンだ。 そうして仕上げとばかりに、濃紺のベレー帽を頭の上に乗せる。 「ベレーと同じ素材で仕立てたジャケットもあるの。寒い場所で着てちょうだい」 濃紺に白のラインが入った上着を見せ、一緒に渡しておくわとリリイが微笑む。 上から下まで、本当に『ひとそろえ』だった。 鏡の中に現れた少年は、リリイの店内の雰囲気にも良く馴染んでいる。 「……ありがとうございます」 少年の表情には、大きな変化こそ見られなかった。 しかし、続く言葉に、リリイは目を細めた。 「いつまでも大事に着たいので、長く着られるような、手入れの方法を教えていただけますか?」 その申し出を断る仕立屋がどこにいるだろう。 リリイは満面の笑顔で応えた。 「ええ。喜んで」 手にした荷物からは武具の重みが伝わる。 胸に去来する違和感がある。 けれどそれは、寂しさとは違う。 ――この石畳の街が、帰ってくる場所なのだ。 そう思えるように。 そうなるように。 まずは、この衣装からだ。 フェイはベレー帽が飛ばないようにしっかり押さえると、住み処に向かって駆けだした。 了
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