ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
その日、『ジ・グローブ』を訪れた音成梓の姿を見るなり、女店主リリイ・ハムレットは穏やかな調子で言った。 「ごめんなさい、ここは飲食店ではないの。働き口を探しているなら、別の店をあたってくださる?」 翠のドレスに身を包んだ女は丁寧に言葉を紡ぎ、 「ごきげんよう」 ――バタン。 おだやかな微笑を向けたまま、扉の向こうに消えていった。 無慈悲に閉ざされた扉をまえに、梓はしばしその場にしゃがみこむ。 「はっ」 と我に返るころには、数分が経過していた。 出会い頭の数十秒で、その日の目的を木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのだから無理もない。 「いやいやいや。こんなところでめげてる場合じゃないし!」 すっくと立ちあがり、エプロンの裾をはたく。 梓は気を取りなおしたように衿を正すと、再び仕立屋の扉を開いた。 「しっつれーします!」 視線を巡らせると、店内の中央テーブルでリリイが生地を広げて吟味している。 「あら。さっきのひと」と言わんばかりの視線を向け、見やる。 「まだ、何か御用かしら?」 今度こそ、誤解されてはたまらない。 梓は声楽で鍛えた声をもって、店の外にまで通る声で告げた。 「俺は、客! リリイさんに服を頼みに着たんだ!」 数分後。 『ジ・グローブ』の女主人リリイと、その店を訪れた客人・音成梓は、同じテーブルについて言葉を交わしていた。 「早とちりをしてしまって、ごめんなさい」 テーブルの上に客人と自身用のお茶を出しながら、女店主は静かに頭をさげる。 「や、美人に頭をさげられるってーのは、居心地が悪いから。もういいって」 リリイに悪意があったわけでないことは、一連の様子を見ていればわかる。 それに、女店主が勘違いをしたのも無理はない。 梓は持ち前のウェイターの制服に身を包み、一見すると職場を抜け出してきたように見えなくもない。 「てっきり、どこかの店を追い出されてきたのかと」 すでに事情は説明し、誤解はとけていた。 納得はしてもらえたものの、出会い頭の第一印象もあって、リリイはしばらく梓を求職者と信じて疑わなかったという。 「ま、この格好じゃーな……」 リリイは梓の身につけたモノトーンの制服を見つめる。 「その制服では確かに、『バンドのボーカル』ではなくて、『歌うウェイター』にしか見えないものね」 「歌って踊れるウェイターってのも、間違ってはいないんだけど」と髪をかきむしり、 「看板ボーカルとして歌うからには、ちゃんとした衣装が欲しいんだよな。今まで店用のを流用して着てたからさぁ、やっぱりちょーっと地味でね」 黒のベストを見下ろしながら、どうも自身の衣装に納得がいかない様子だ。 「その衣装が、気に入らない、と?」 「……いや。ずっとこれで歌ってきたから。ファンからは『ウェイターバンド』って呼ばれることもあるんだぜ」 仕立屋の問いかけに、梓は自身の思考をたどる。 客人の表情をうかがい、リリイは頷いた。 「愛称で呼ばれるのは素敵ね。私には、親しみをこめて呼ばれているように感じるわ」 「そう! 俺もまんざらじゃないんだ。だから、この衣装も捨てがたくってさぁ」 嬉しそうに破顔する梓の笑顔から、彼の想いは言葉以上に伝わってくる。 誰が、どんな思いで作った衣装にせよ、仕立てを生業とするリリイにとって、服が愛されるということほど嬉しいことはない。 「好きなのね。歌うことが」 「ああ。『みんなと歌う』のが、な」 先ほど受けた依頼の内容を思いかえす。 梓のその言葉をもって、リリイはすでに頭の中で組み上げつつあったデザインを完成させた。 ティーカップを受け皿に戻すと、女主人然とした態度で、おごそかに告げる。 「ご要望、承知しました。貴方の舞台を彩る衣装、お仕立てさせていただきますわ」 数日の後。 それほど時を待たずして、梓の元に『ジ・グローブ』からの連絡が入った。 「リリイさん、邪魔するぜー」 勝手知ったる様子で再び店の扉を開けば、リリイが衣装を手に佇んでいる。 「さっそく、着ていただけますわね?」 よほど自信があるのだろうか。 女店主の浮かべた笑みに気圧され、梓は黙って服を受け取り、試着室へと向かう。 仕立てられた服は、梓が所望したとおりウェイターの制服を基本の形としたものだ。 白いシャツは定番のレギュラーカラーで、比翼の前立てはウェイターらしい清潔感のある仕上がりだった。 黒のネクタイにはやりすぎない程度のクラッシュ加工を。 ベストは両脇や合わせ部分に、飾りベルトをいくつも重ねている。 エプロンは黒を基調としながら、アクセントに赤のタータンチェック柄をあしらっていた。全体にはクロスとトライバル紋が施され、見る者の目を惹きつける。 パンツにはパンクロックの象徴としても良く見られる、ボンデージベルトを。これはウェイター服としての機能性を考慮して、自由に取り外しができるようになっていた。 最後に、リリイの心付けであろう。刺繍の施された腕章と、セクタン用の帽子が添えられている。エプロンと同じように、タータンチェックの生地をワンポイントに置いたもので、衣装のアレンジに使えそうだ。 ウェイター服としての形式をとりながら、随所にあしらったクロムシルバーのピンやチェーンの装飾が独特の世界観とセンスを発揮する。 赤の配色がこれまでにないカジュアルさを主張し、仕事着としてではない、『魅せるための衣装』としての存在感を主張していた。 「……すっげえ!」 試着室から出た梓は、リリイの手腕を手放しで褒め称えた。 「おれ、裁縫のこととか良くわかんねーけど、リリイさんやっぱ凄えよ! 違和感とか全然ないし、これを着ると、気合いが入るっていうか……。しかも、超美人なリリイさんのお手製とくれば、もう次のライブが待ちきれないってもんだぜ!」 その様子を見て、リリイは先日、言葉を交わした時に感じたのだと切りだした。 「貴方は、『衣装を自分のものにできるひと』だわ」 「……はい?」 その言葉の真意をつかめない梓に、リリイは静かに言葉を紡ぐ。 「あのモノトーンの制服と、私が仕立てた衣装。どちらであっても、貴方の魅力が損なわれることはない、ということよ」 人物、それ自体に魅力がある。 そういった者は、どんなぼろをまとっていようと、どんな豪奢な衣装に身を包もうと、その者の印象が衣装によって左右されることはない。 「でももし、私の仕立てた衣装で、貴方が今まで以上に輝くことができたなら――」 ひと息置き、梓を見つめる。 客人に向かい合うと、そのオレンジの髪にクロムシルバーの髪留めを添えた。 衣装と一緒に手配していたものらしい。 鈍色の輝きを見つめ、リリイが満足そうに微笑む。 「……それは、とても素敵なことだわ」 梓はその心づくしに、人好きのする笑顔を返した。 「見てもらいたいなー、これ着て歌ってる俺の晴れ姿! 一曲歌ってる間にホレさせる自信あるぜ? ……なーんてな」 歌を聴けば、また違った梓の一面を知ることができるだろう。 リリイは頷き、笑いかえす。 「次があるなら、今度は貴方の歌を聴いた後で、なにか仕立ててみたいわ」 第一印象はあまり良くなかったけれど。 そう重ねて、初めて出会った時を思い出したようにくすりと笑った。 了
このライターへメールを送る