窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
「……ふう」 ブルーインブルーへの旅を終えた帰り。 雪峰時光は、ロストレイル車中からディラックの空を物憂げに見つめていた。 「……どうかしたんですか?」 ふいに、遠慮がちに声がかかる。 時光の顔を覗きこんでいたのは、ロストレイルの乗務員である柊マナだ。 先ほどワゴン販売で車中を巡回していた時から、心ここにあらずといった様子の時光が気になっていたらしい。 「もし具合が悪いのであれば、車内に常備している薬があります。遠慮なく言ってくださいね」 少々ぼんやりしているだけのつもりが、はた目にはよほど深刻に映ったらしい。 時光はそうではないと否定しようとして、そこで、改めてマナの顔を見やった。 「……そうでござった。マナ殿がいたでござるな!」 「え? ええ。今日はブルーインブルーへの往復便に乗務予定で、この列車に乗り合わせていますけど」 要領を得ない時光の返答に、マナはさらに困惑する。 「いや、すまぬマナ殿。この拙者を哀れと思って、少々頼み事を引き受けて下さらぬか」 どうやら時光は、その頼み事にまつわることで先ほどからうわの空であったらしい。 「ちょうどワゴンの巡回も終えて、手も空いたところです」 お役に立てるのであればと、マナが破顔する。 「それで、どういった頼み事なんですか?」 マナの問いかけに対する、時光の説明はこうだ。 「拙者、ブルーインブルーで翡翠を買ってきたのでござる。その……ぷれぜんと用なのでござるが」 「素敵じゃないですか! お相手の方は、きっと喜ばれますよ」 合いの手を入れるマナに、時光は「うっ」と言葉を詰まらせる。 「……いや。渡す時の事を考えると、どうにも緊張して」 その弱気な言葉に、マナが「ああ」と頷く。 先ほどから深刻な様子だったのは、おそらく渡す時の事を考えていたからなのだろう。 「でござるから、宜しければ……拙者の相手役として、渡す時のしみゅれーしょんに付きあって下さらぬか? 一度、りはーさるをしておけば、緊張しなくて済むかもしれぬでござる」 想いを寄せる相手への贈りものともなれば、誰であれ緊張することがあるだろう。 マナとて、時光の気持ちは理解できる。 「そういうことでしたら、喜んで。お客様の旅の想い出を、より良いものとするためにお力添えするのも、私たち乗務員の務めです」 かたじけないと頭をさげる時光によると、渡し方は三通り考えているという。 「では……行くでござるよ」 神妙な様子で、時光が言った。 まずは、一番目。 急に時光がマナから視線をそらし、おどおどとした様子をとりはじめる。 「どうかしたんですか?」と声をかけようとして、そういった態度も含めて『渡し方』のうちと気付く。 「そ、その……拙者、たまたま、この宝石を見つけて……そして、貴殿に似合いそうだと思い、購入した次第でござるよ。どうか受け取ってはくださらんか?」 時光がぎこちない手つきで、手にしていたそれをマナの手のひらへポトリと落とした。 「……」 マナの手のひらの上には、ブルーインブルー産の果物が乗っている。実物を使うのは気がひけるからと、贈りものに見立てたものだ。 マナは果物をしばし見つめた後、 「次、いってみましょうか」 おもむろに顔をあげ、神妙な顔つきでうながすしかなかった。 続いて、二番目。 今度は時光が肩をいからせ、むんっと胸を張っている。 これが今度の前準備であるらしい。 すーっと息を吸うと、これまでとは明らかに別格の声量で告げた。 「拙者、これを貴殿のために買って来申した。受け取って下され、それが情けと思うて……!」 一息に告げた後、がばっと頭をさげる。 あまりの声量に、同じ車両の乗客がなんだなんだと二人の様子をうかがっている。 そんなことよりマナの反応が重要と、時光は周囲の様子などまるで意に介していない。 マナは好奇の視線を受け、消えいりたい衝動にかられながらも、 「ええと、じゃあ、次を……」 身を縮めながら、時光をうながした。 さて、三番目である。 時光は肩の力を抜き、先ほどとはうって変わって穏やかな様子だ。 だが、その表情はどこか憂いを帯びているようにも見える。 「この宝石を見た時、貴殿の顔が思い浮かんだのでござる。……すぐに買ってしまったでござるよ。どうか、受け取っては下さらぬか。そして喜んでくだされば、拙者は至福の至り。……どうか、お頼み申す」 抑揚をつけ、最後はささやくように告げる。 そっと手に果物――実際には翡翠となるはず――を乗せるしぐさも、どことなく優しげだ。 りはーさるを終えた時光が今度こそいつもの調子に戻り、相手役にたずねた。 「……さて、マナ殿。どの言い方が一番良いと思うでござるか? おなごの立場にたって教えて欲しいでござる」 マナはしばらく考えていたが、やがてうんと頷くと、時光の眼を見据えて口をひらいた。 「どの時光さんも、素敵だと思います。正直、私にはとても選べそうにありません」 ハッキリとそう告げられ、時光は戸惑ってしまう。 「……む。その言葉はありがたいが、それでは振りだしに戻ってしまうでござるな」 再び眉間にしわを寄せはじめた時光に、マナが慌ててフォローする。 「渡し方がダメと、言っているわけではないんですよ」 マナは慎重に言葉を選んだ。 「大切なのは、『時光さんが相手の方を想う気持ちが、きちんとこもっているかどうか』だと思うんです」 「相手を想う、気持ち……」 「そうです。それさえあれば、どんな言葉や、伝え方であろうと、時光さんの想いは相手の方に届くと思うんです」 「こんな回答しかできなくて、すみません」 頭をさげるマナに、雪峰は慌てて手を振る。 「マナ殿が謝ることはないでござる。……拙者、言葉面にばかりこだわって、一番大事なことを忘れるところでござった」 それまでの緊張した面持ちが消え、時光が安堵した表情を浮かべる。 「口先だけの言葉って、気付いちゃうと思うんですよね」 「女のひとはみんな勘が良いですから」と、いたずらっぽくマナが微笑む。 「結局は、いつも通りが一番ということでござるかな」 「はい。偽りのない、素直な言葉を添えて渡すのが、一番だと思います」 それもそうだと時光が頷く。 「いや、すまぬなあ。拙者、女人の友人は本当に少なく……。そうでござる。しみゅれーしょんに付きあって頂いた礼に、この果物をさしあげるでござる」 それは、先ほどから翡翠の代わりにと使っていたブルーインブルーの果物だった。 「良いんですか?」 「勤務中に時間をとらせてしまったのだから、遠慮なく受けとって欲しいでござるよ」 マナは「ありがたく頂戴いたします」とうやうやしく告げ、 「せっかくですから、一緒にいただきましょう」 ぱっと身をひるがえすと、ナイフと取り皿を取りに乗務員室へ向かった。 その姿を見送りながら、時光は懐に手をあてる。 胸元には、贈りものとして買い求めた宝石が忍ばせてあった。 ――喜んでもらえたら嬉しい。 ――気に入ってもらえれば、なお嬉しい。 そしてなによりも、石を眼にした時思い浮かんだ彼の女性のそばに、この石をおいて欲しいと願う。 「拙者の、偽りのない想いを込めて……」 窓の外には、いまだ延々と虚無の空間が広がっていた。 なにげなく、ガラスに映る自身の顔を見つめる。 その表情が思いがけずおだやかで、時光は静かに微笑んだ。 了
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