ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。！注意！魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
「ドレスを仕立てたいのじゃ」 訪れた客――黒藤虚月は、仕立屋の中央テーブルに案内されるなりそう言った。 「よ、洋服とやらに、また挑戦してみようと思ってのう」 告げる虚月の衣装は壱番世界の和服に似たもので、普段はなかなか洋服には手を出さないという。 「良い考えと思いますわ。これからイベントの増える時期だもの。一着あれば、急なお誘いにもあわてずにすむはず」 リリイは胸の前で手を合わせ、虚月の申し出に賛同する。 「いまリリイ殿が着ておるドレスに似ておるが。その、脚を出してない方じゃー！」 『脚を出していない』の部分を強調され、リリイは己の脚元を省みた。 後姿はなんのへんてつもないドレスに見えるが、正面は大胆に大きく開き、短めのスカートとロングブーツの間からは素肌がのぞいている。 脚とスタイルに自信がないと着こなすことが難しいと、ターミナルではもっぱらうわさの――そしてリリイの特徴ともなっている翡翠色のドレスだ。 「これはわたくしの特注ですもの」と前置きし、 「心配なさらずとも、細部のデザインはこれからお伺いして、お客様のお好みに仕立てあげますわ」 虚月はひとまず、『リリイの着るドレス』が仕立て基準でないことに安堵する。 「何故ドレスかというとな、やっぱり、慣れねばならぬかな、と思ったのよ」 昨年、ハロウィンの際にドレスを着用したが、着慣れぬものを急に身にまとったために始終落ちつかなかったという。 「昔なじみには、笑われるわ、で……。それいらい、着ておらんかったのじゃよ」 端正な容姿に似合わず、身を縮めるようにして語る客の言葉に、リリイは珍しく破顔してみせる。 「苦手意識と向き合ってでもドレスを着ようという貴方の考え方、わたくし、好きよ」 そうして店内の棚からいくつかの書籍を取りだし、虚月の前に並べる。 リリイは気になるデザイン画をテーブルの上に広げ、手元の紙にイメージを書きとめていく。 「脚を出すのがお嫌ということは、あまり肌を露出しない方が良いのかしら。でも貴方のスタイルを、野暮ったく布で隠してしまうのももったいないわ」 「しかし、生足出しは慣れぬのじゃー！」 さきほど念を押したにもかかわらず、露出スタイルについて蒸し返されそうになりあわてて拒否する。 「あら。脚を出さずとも、ラインが見えるだけでも男性は喜んでよ？」 「必要以上に注目されずとも良いのじゃ！」 依頼主に強く否定され、リリイは少し考えるそぶりを見せ、 「わかったわ。露出が増え過ぎないよう、そしてなにより下品になりすぎないよう、それでいて貴方の魅力を引き出せるよう、機能美を追求したデザインにしてみましょう」 そうして簡単な打ち合わせを終えると、リリイはさっそく客の去った店内で生地の型を取りはじめた。 数日後、ドレス完成の報せを受けた虚月は、再び『ジ・グローブ』に足を運んでいた。 ドレスの着用方法について説明を受けた後、大鏡の前で着用感を確かめる。 「うむ、やはり故郷の服とは違うのう。着付けにも一苦労じゃ」 「貴方の肌には淡い色が映えると思ったのだけど、どうかしら？」 リリイは露出を気にする虚月でも、シーンに合わせて多彩な着こなしができるよう重ね着のできるドレスを仕立てていた。 シャンパンゴールドのワンピースドレスに、黒いレース地の羽織り。 ワンピースはホルターネックで、豊満な胸が美しく強調されるよう深くV字に開いている。 背中の開いたデザインでやや露出度が高いが、生地の色合いが上品さを演出し、下品な印象はまったく受けない。 遠目には白にも見える清楚さがあり、生地全体に入った精緻な刺繍がドレスの確かさを物語っている。 首周りはシンプルにまとめているので、インパクトのあるアクセサリーをあわせればより映えるだろう。 「むう、落ち着かぬ。落ち着かぬが……前よりは妾にあっておる気がする」 鏡に映る姿をまじまじと見つめる虚月のそばに立ち、そのウエストにワンピースと同じ生地で仕立てたコサージュを飾りつける。 これも、リリイが手ずから作ったものだ。 「ウエストラインがすっきりしていて、足元にボリュームがあるから全体のスタイルが良く見えるの。背筋を伸ばして、堂々と着てちょうだい」 スカート部分はひざ下からふんわりと広がるマーメイドライン。 裾のもたつきがなく、足運びがスムーズに行えるのもポイントだ。 店の中をためしに歩いてみたが、 「うむ。これは歩きやすいのじゃ」 「シルエットが洗練されていて子どもっぽさがないから、大人の女性の魅力を惹きだすのにもおすすめよ」 次はこれね、と渡されたのが、セットで仕立てた黒いレース地の羽織りだった。 シャンパンゴールドと黒のコントラストが美しく、羽織ればより高級感が増して見える。 「ワンピースだけでは夜会向きだけれど、胸元や背中の露出が気になるときや昼間はこれを羽織ってみてちょうだい」 袖はパフスリーブでふくらみをもたせ、手首周りにティアードフリルをあしらった。 各所にボリュームを持たせることで腕をほそく見せるよう効果がある。 ヒップの部分に大きく結んだリボンをあしらうことでボリュームを出し、シルエットに変化をもたせている。 前開きはマーメイドラインに合わせて留めることもできるが、開いたままでもひるがえる様子が軽やかだ。 「おお。これなら背中も開いておらぬし、重宝しそうじゃのう！」 最後にリリイが渡したのは、ワンピースと同じ生地で仕立てたグローブだった。 ワンピースのみの時にあわせる肘上までのロング丈と、羽織りをあわせた時の手首丈のものだ。 「くくく、これで万全じゃな。さて、同居人達がどのような反応をするか。楽しみじゃの」 そうして今一度鏡の中の姿を見つめ、寂しげにつぶやく。 「夫に見せられぬのは、悲しいがの……」 虚月の背に、リリイが静かに語りかける。 「貴方がいつまでも美しく在れば、だんな様もきっと喜んでくださるのではなくて？」 「……そういうものじゃろうか？」 問いかける客人に、「少なくともわたくしなら、愛したひとにはいつまでも美しく、華々しく在って欲しいと思うわ」と続け、提案する。 「手首丈のグローブなら普段使いもできそうだし、ドレスだけでなく、普段着も洋装にしてみてはどうかしら」 「そうじゃのう……。すぐには無理かもしれぬが、少しずつなら考えてみんこともない」 試着を終えた虚月は、帰り支度を整えながら微笑をかえす。 「貴方にその気があるなら、いつでも相談にいらっしゃいな」 「なにからなにまで、リリイ殿には世話になったのう」 そうして深々と頭をさげ、 「いずれまた、機会があればぜひご教授願おうかの」 「ええ、待っているわ。お茶とお菓子を用意して歓迎してよ」 見送る客人の後姿が晴れやかに見え、リリイはひと仕事終えたことに安堵の息を吐いた。 そこへ、外歩きの散歩から戻ったオセロが通りがかる。 リリイはふと問いかけた。 「ねえオセロ。貴方はこのドレス、わたくしに似合っているとお思いよね？」 このドレス、とは、いうまでもなく翡翠色のドレスのことである。 白黒のまだらの猫は眠たそうに主人を見上げると、「にゃあ」と気のない返事をして店に入っていく。 リリイは飼い猫のそぶりに憤慨しつつ、手早く店じまいをはじめるのだった。 了
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