小暗い悪意うずまくインヤンガイ。しかしそんな世界にも、活気ある人々の暮らしは存在する。生きている以上、人は食事をする。実は、インヤンガイは豊かな食文化の花咲く世界であることを、旅人たちは知っていただろうか――? インヤンガイのどの街区にも、貧富を問わず美食を求める人々が多くいる。そこには多種多様な食材と、料理人たちとが集まり、香ばしい油の匂いが街中を覆っているのだ。いつしか、インヤンガイを冒険旅行で訪れた旅人たちも、帰りの列車までの時間にインヤンガイで食事をしていくことが多くなっていた。 今日もまた、ひとりの旅人がインヤンガイの美味を求めて街区を歩いている。 厄介な事件を終えて、すっかり空腹だ。 通りの両側には屋台が立ち並び、蒸し物の湯気と、焼き物の煙がもうもうと立ち上っている。 インヤンガイの住人たちでごったがえしているのは安い食堂。建物の上階には、瀟洒な茶店。路地の奥にはいささかあやしげな珍味を扱う店。さらに上層、街区を見下ろす階層には贅を尽くした高級店が営業している。 さて、何を食べようか。●ご案内このソロシナリオでは「インヤンガイで食事をする場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけて好味路で食事をすることにしました。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが食べたいもの・食べてみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!インヤンガイではさまざまな危険がありますが、このシナリオでは特に危険な事件などは起こらないものとします。
「情報屋さん、お仕事お疲れさま!」 情報屋は自分の頭一つほどの低くある収穫の秋に目にする稲穂のような髪の毛の持ち主であるコレット・ネロに目を向けた。 「トウチカさんも犬さんのこと、後のことを全部押し付けちゃってごめんなさい」 律義に頭をさげるコレットに情報屋は明るく笑った。 「気にしないでください。コレット嬢こそ、今回はお疲れ様です」 「私はなにも……あ、そうだ。ごはんはまだですよね? 奢らせて。それくらいさせてもらってもいいでしょう?」 事件のあと始末に追われた情報屋は時間を忘れていたが、空を見れば茜色に染まり、そろそろ夕飯の時刻だ。 コレットの薄い緑の眸に見つめられて情報屋は目をぱちぱちさせたあと 「それって、コレット嬢、俺のことをナンパしてます?」 その言葉を理解するのにはたっぷり一分ほどの時間がコレットには必要だった。 頬を真っ赤にしたコレットを見て情報屋はくっくっと悪戯が成功した子供のように笑った。 「コレット嬢はなにが食べたいですか? あなただっておなかが減っているでしょう?」 「……私は、情報屋さんの好きなお店があればそこでいいけど……出来れば、デザートが美味しいお店がいいです」 うまくはぐらかされたとコレットは感じながら見上げると情報屋は思案するように顎を指で名だ。 「俺のですか? ……じゃあ、あそこかな。……コレット嬢、店につくまでこいつのことをお願いします」 情報屋が差し出したのは、コレットが身を呈して守った子犬だ。 子犬もコレットのことを覚えていたのか腕の中に抱くと甘えた声で鳴いて、生温かい舌で舐めてくる。 「この子」 「これからの飼い主に引き渡しにいこうかと思って。さて、行きましょう」 夕暮れの時刻は道に眩いオレンジ色の灯りが灯され、さまざまな匂いが混じった湯気が漂うなかを歩いて、入ったのは屋根はあるが、壁のない開けた店だ。カウンターにはずらりと食べ物が並び、その奥には熊のように大きな五十代も後半くらいの厳つい顔をした店主がいた。 店主は情報屋とコレットに気が付いて顔をあげると目を丸めた。 「コレット嬢、子犬を彼に渡してあげてください」 「はい。あの、この子のこと、お願いします」 コレットが差し出すと熊のような店主は子犬を両手で大切そうに受け取った。 この人がこの子の飼い主になるのかしら、コレットが不思議そうに見つめていると、手がとられてやんわりとひかれた。 「疲れたでしょう、はやく座りましょう」 カウンターからほど近い質素な木製のテーブルに二人は腰を下ろした。 つい気になってコレットがカウンターに視線を向けると店主と子犬が見つめ合ったまま動かないでいる。 「ここのいい番犬になりますよ。もし会いたければまたこの店を訪ねればいいのですし」 その言葉にコレットは情報屋を見つめてはにかんだ笑みを浮かべて頷いた。 「なにを食べます?」 「私は……情報屋さんと同じものがいいです」 「俺と?」 情報屋が怪訝な顔をするのにこくこくと頷いた。 「んー、けど、ゲテモノ料理かもしれませんよ? 虫とか動物の目玉とかはいってる」 目を丸めて驚くコレットに情報屋は人の悪い笑みを浮かべた。それでからかわれたのだとコレットは気がついた。 「ふふ、デザートはどうします? 流石に詳しくないので食べたいものを教えてください」 「杏仁豆腐がいいな」 「了解。……じゃあ、茶を飲みましょうか」 情報屋が呼ぶとワゴンを押した娘がやってきた。手早く料理を注文した、ワゴンの娘は薄い茶を淹れてテーブルに置いてくれた。 情報屋は慣れたようにテーブルを指でとんとんと叩くと、娘はにこっと笑って去って行った。 「今のは?」 「茶を淹れてくれた礼はああやってするんですよ」 「へぇ……私も、今度、やってみます」 匂いのよい茶を楽しんでいると、さっそく料理がやってきた。 薄い色をつけたスープ、見るからに辛そうな真っ赤なエビの炒め物、きつね色にあげた丸い団子、よく煮込まれた魚と、さらには白飯がついているので、かなりのボリュームがある。 どれも見た目だけではどんな味がするか予想できないので、コレットは一つ一つの期待をこめて味わった。 あっさりした塩味のスープ、辛いがぷりぷりとした歯ごたえのあるエビ、噛むとじわりと甘みのある団子、やや辛みの強い味がよく染み込んだ魚。 どれもこれも美味しく、箸が進む。 「俺は特にここのスープには目がないんです。さっぱりしていてうまいし、食欲が出て腹いっぱい食べられる」 「……そうかも」 「気に入ったら好きなだけ食べていいんですよ?」 「けど、それだと……杏仁豆腐がはいらなくなっちゃう」 とても魅力的な誘惑だがこのあとのデザートのことを考えると我慢も必要だ。 「……コレット嬢って、みんなから可愛らしいっていわれるでしょう?」 突然の言葉にコレットはきょとんとした顔をして情報屋を見た。 「あなたを見ていると、ほら、つい手を伸ばして頭を撫でたくなる。お友達に言われません?」 「どうかな。ただ、頭を撫でたくなるなんて犬さんみたい」 「コレット嬢が犬だったら、とっても美しい毛並みで可愛いでしょうに……デザート来ましたよ」 情報屋が言うと、小さな皿に品よく盛られた一口サイズの大きさに切り取られた杏仁豆腐を置かれた。 早速スプーンでひと口。 つるっと口のなかにはいると、杏仁豆腐は冷たく、口のなかに控えめな甘さを広がる。 夢中で食べて満足して顔をあげると、情報屋と目があった。 「え、あ、ごめんなさい。私ったら、好きなものばっかり食べちゃって」 「普段はデザートなんて食べないから、いい経験になりましたよ。満足しましたか?」 「はい。おいしかったです。おなかいっぱい! ……今日は犬さんを助けれて、情報屋さんの好きなものも知ることが出来て素敵な日だったわ……これで」 コレットは躊躇いながら情報屋を見つめた。 「情報屋さんの本名も教えてくれたら、すごく嬉しんだけど」 情報屋の顔から笑顔を消して険しくなったのにコレットは冷や水をかけられたように戸惑い、つい俯いてしまったが、すぐに何か言おうとしたとき、不意に頭を撫でられた。 「今日の仕事のご褒美にコレット嬢の頭を撫でさせてくださいね」 「ご褒美、ですか?」 「とっても癒し効果がありますよ。コレット嬢の頭は」 また、うまくはぐらかされたとコレットが感じたとき、情報屋は笑みを深くしたままつけくわえた。 「俺のことをよく知った上で、それでも名前を呼んでもいいと思ったら尋ねてください。そのときは素直にお答えします」 きょとんと眼を丸めたあと、コレットは頷いた。 「じゃあ、いつか、教えてね」 「ええ」 それがそう遠くないことだと情報屋の眸を見てコレットは確信した。 「……あ、そろそろロストレイルの出発時刻だから、戻らなくっちゃ」 「じゃあ、そこまで送りますよ」 二人は店を出て、明るいオレンジに照らされた闇のなかを歩いた。 駅につくのにコレットは足を止めて情報屋を見上げた。 「今日は楽しかったわ、ありがとう。……次に来る時はもっと楽しい用事だといいな」 「祭りのときには是非来てください。ご案内しますから……では、また。コレット嬢」 情報屋が手をふると、コレットも手を振り返した。
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