――とうとうここまで来た。 重厚なオーク材の扉を目の前にしてシュマイト・ハーケズヤは一つ息を吐く。 「本来ならば、この想いを外に漏らすべきではないのだろが……」 意を決してシュマイトはドアノブを回した。 ――ガチ 「なんだ?」 だがドアに何か引っかかっているのか、押しても引いても開かない。 ガチガチと何度か扉を揺するがびくともしなかった。 「休み……なのか?」 緊張のあまり、その可能性がある事すらシュマイトは失念していたのだ。 「ハッ、なんて事だ」 ドンと扉を叩き、額を扉に押し付けた。 俯いた顔には琥珀色の髪が覆い、シュマイトの表情を隠す。 「せっかく意を決して来たというのに、閉まっているとはな……」 やはり、この想いは吐露すべきではないのか。この先ずっと、この想いを抱えて生きろと……そういう事なのだな。 シュマイトは落胆して唇を噛む。 しばらく扉に背を預けているといくぶん気分が落ち着いた。 「まあ、こうしていても何も始まらんな。せっかくここまで来たんだ、ぶらりと探索でもするのもいいだろう」 それで少しでも気が晴れれば儲けものというものだ。 寂れた路地裏の奥の奥とあってめぼしい店舗などはないようだ。 それでも時折ぽつりぽつりと点在している店は商売する気があるのかないのか。もしかしたら秘密の品物でも扱っているのかもしれない。 シュマイトはちらりと視線を向けるだけで覗き込むような真似はしなかった。 「トラブルに巻き込まれるのはごめんだからな」 そんな調子で今まで探索していると、突き当たりに『占い』の文字が掲げられた看板が目に飛び込んできた。 誘われるようにシュマイトはその店に足を向けた。 シュマイトがそっと扉を押すと、カランカランと軽やかな音を立てて扉が開く。思いのほか賑やかな音を立てた扉にシュマイトはドキリとした。 店の中はほんのり薄暗く、色とりどりの電飾が店の中を照らしており、所狭しと開運グッズや魔除けといった物が並べられている。 だが、肝心の占いをする為のテーブルが見当たらない。 「ここは占いをする店ではないのか?」 素朴な疑問を口にすると、 「あら、いらっしゃい」 と女性に声を掛けられた。 店主と思われるこの女性は齢三十から四十といったところか。怪しげな物を置いている割にはおとっりとした雰囲気の、どちらかというと花屋にでも勤めているような風情を漂わせていた。 「すまない、ここは占いをする店ではないのだろうか? 商品を売るだけの店なのか?」 「あら、ふふ、ごめんなさい。貴女は占いを希望されているのね」 そう言うと、手に持った杖の先でトントンと軽く床を打つ。 すると今までそこになかったテーブルと椅子が姿を現した。 「驚いたな、貴女は魔術師なのか?」 「そうね、そう言う人もいるわね。魔術師、魔女、錬金術師……妖精の女王なんて呼ぶ人もいたわ。人によって呼び方は様々なのよ」 女主人はクスクスと笑いながら言った。 特に定まった呼び方はないのだと暗に女店主は明かす。 「その……実はこの店に入ったのはまったくの偶然で、占いをしてもらおうと訪れたわけではないのだ。……すまない」 「あら、謝らなくていいのよ。この店に導かれたって事はきっと何か縁があるのだわ。そう思わなくて?」 そう……なのだろうか。 目的の場所が閉まっていたかわりにここへ導かれたと、そういう事なのだろうか? ならば、ここで打ち明けてみてもいいのだろうか。 「占いではなくて悩みを聞いて欲しいのだが、かまわないだろうか? できれば同世代の女性に意見を言ってもらいたいのだが……。いや、貴女が相手だと不服と言う訳ではないのだが」 シュマイトの言葉に女店主は気分を害するでもなく、「ちょっと待ってて」と奥へ姿を消した。 「ハァイ、おまたせ」 女店主の代わりに姿を現したのはアニメの魔法少女が着ているような服を纏った、声の可愛らしい女の子だ。こういうのを鈴を転がしたような声と言うのだろうか。にこやかでとても元気がいい。歳もシュマイトと同じくらいに見え、一応は条件をクリアしていた。 「さ、座って座って」 女の子がシュマイトを椅子に座らせて、ニコニコと笑顔を向けてくる。 この子で大丈夫なんだろうか……。 若干不安を覚えながらシュマイトは口を開く。 「すまないが、これから話すことはあまり人に知られたくないものなのだ。こう、遮るものが何もないところでは話しにくいのだが……」 「あ、気が利かなくてゴメンなさい! すぐ準備するわね」 少女がステッキを自分の頭上でクルクルと回すと壁が、テーブルをコンコンと叩くとシュマイトと少女の間に衝立が現れた。 衝立は腕が一本通るくらいの隙間がテーブルとの間に開いており、それより上は曇りガラスのようになっていて相手の表情などは読み取れないようになっている。 「これでいいかしら?」 「ああ、すまない。これで充分だ」 ふうと息を吐いてシュマイトは語り始めた。 「……わたしは今、悩んでいる事がある。自分の心の中にだけ閉じ込めておくのはもう苦しくなってな、吐き出させてもらう。……あまり面白い話ではないが、できればキミの意見など聞かせてもらえると助かる」 「ええ、いいわよ。なんでも言っちゃって」 軽い調子の彼女に苦笑しながらシュマイトは続ける。 「わたしには親しくしている友人がいてな、その二人に非道い感情を向けているのだ。その友人の一人は同性、もう一人は異性で同性の方をA、異性の方をBとして話をしよう」 少女は静かにシュマイトの話を聞いている。 「友人AがBに惹かれつつあったのはわたしも知っていた。だが、彼女は惚れっぽい性格をしていてな、今度もミーハー的な軽い気持ちで彼への恋心を語っていると思ったのだ。だが、それはわたしのとんだ思い違いで、彼女は本気だった」 自嘲するようにシュマイトはわらう。 「友人BもAに気があって、先日めでたく恋人同士になったわけだが、情けない事にわたしは二人の事を素直に祝福できないでいるのだ。彼女の一番はわたしだと思っていたのにと裏切られた気分になってな」 彼女が困っている時に助けられるのが自分である事、苦しんでいる時に傍にいて励ませられる事がシュマイトにとっての幸せだった。 「それで、あなたは二人の事が嫌いになっちゃったの?」 「いいや、今でも二人はわたしにとって大事な友人だ。その気持ちは変わらない。でも駄目なのだ。二人が一緒にいると不安でたまらなくなる」 「寂しくて?」 「どうなのかな? とにかくわたしはBにAが奪われてしまうような気がして嫉妬で気が狂いそうになってしまって……。この思いが理不尽なものだと分かっているのに止められないのだ」 一つ溜息が出た。 「AもBもわたしの醜い嫉妬など知らず、笑顔でわたしに接してくれる。わたしはAと表向きは穏やかにティータイムを過ごし、Bと共に孤児院の教職で働いてきた。だが内心、その度に胸が苦しくなっていたのだ。実のところAへの友情を裏切っているのはわたしの方なのだ。隙あらばBからAを奪い返そうと機会を狙っているのだからな」 その場所は自分のものなのだと主張して。 「……醜いだろう?」 「そうかしら? その感情はごく自然なものだと私は思うけどな。誰だって一番親しいと思っている人が自分の傍から離れていったら寂しいものよ」 第一印象とは裏腹に、彼女の対応はとても落ち着いたものだった。 だからだろうか、彼女の落ち着いた態度に知らず安心して、この屈折した胸の内を曝け出せるのは。 「……わたしは醜い感情を持つ今の自分が嫌いだ。わたしはAが好きだし、Bも大切な友人だ。それゆえに、友人として二人の幸せを喜べない自分が嫌なのだ」 自分で自分の感情を上手く制御できないなんて。 「優しいのね」 「え?」 衝立の隙間から白い手が伸びてシュマイトの手を握る。 「あなたは優しいからそんなに苦しんでいるんじゃないの?」 優しい? わたしが? 「わたしは優しくなどない。彼と言葉を交わすとき、おもわず皮肉を言ってしまうような奴だぞ。Aに再び振り向いて欲しくて、みっともなく足掻いているような人間なんだ!」 シュマイトは激情のまま吐き出した。 「ねえ、本当に自分勝手な人間はそんな事では悩まないわ。あなたがそうやって悩んでるのって……」 「ああ、本当は二人の仲を認めたい。受け入れたいと思っているのだ。だが、それが……たったそれだけの事がこんなにも難しい」 シュマイトは項垂れ、膝の上に置いた拳をギュッと握る。 衝立の向こうの少女が席を立った気配がしてシュマイトは顔を上げる。 ところが、目の前には少女ではなく女主人が柔らかな笑みを浮かべて立っていた。 少女がこの密室から出た気配も、女主人が入ってきた気配もなかったのにどういう事だろうか。 女主人は腰を屈め、シュマイトの両手を握った。 「貴女は既に自分がすべき事を理解しているわ。ただ、今は受け入れる心の余裕がないだけ。貴女にはもう少し時間が必要なのね」 時間をかければこの醜い感情も薄らいでいくのだろうか。 「それに、貴女がお友達を大事に思っているように、お友達も貴女の事を大事に思っているはずよ。お友達が貴女から離れて行くんじゃない。今の関係がほんの少し変わるだけ」 シュマイトがはっとして女主人を見詰めると、彼女は笑みを深めた。 「たとえお友達が恋人同士になっても、貴女が彼女のお友達である事には変わりないわ。彼氏と喧嘩したり、彼氏に相談できない事がきっと出てくると思うの。そういう時に頼りになるのは貴女なんじゃなくて?」 ああ、そうか。 「そう……だな。話を聞いてもらって幾分気持ちが楽になったようだ。感謝する。」 本当は何も心配する事などなかったのだ。 シュマイトが立ち上がって礼を述べると二人を取り巻いていた壁やテーブルなどが消え、店内は訪れたときの様相を取り戻していた。 「お力になれてなによりだわ」 女主人の言葉にシュマイトは笑顔を返した。 カランカランと軽い音を立てて扉は開く。 店を出かけてシュマイトはふと足を止めた。 「ところで、先程の少女の正体は聞かない方がいいのだろうな?」 シュマイトの問い掛けに女主人は笑う。 「世の中には知らなくていい事もあるのよ」 「……だな」 シュマイトは唇に笑みを乗せ、今度こそ店を後にした。 大丈夫、大丈夫だ。 私はきっとこの試練を乗り越えられる。 シュマイトの背後で店は姿を消したが、振り返らずに歩いて行くシュマイトは知るよしもなかった。
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