ブルーインブルー。 青い空、青い海、煌めく太陽。 その場所は、ねっとりとした湿度で、見るからに居心地が悪そうに見えた。 船底に設けられた鉄格子つき檻の中、仁科あかりは浅く息をはく。 こころなしか、右サイドで一つに纏めた髪がしょんぼりと垂れている気がする。 深く吸えば、水の腐った臭いや木と油脂の臭いで、吐き気を覚えるからだ。 それでも船の揺れで酸っぱいものがこみ上げてきて、目の端にうっすらと涙が浮かんだ。 何度か試した仮病で注意を引き、檻の中に入ってきたときに抜け出そうと試したが、そういったことを考える囚われ人が多いのか騙されてはくれなかった。 この手が駄目なら、別の策を考えるしかない。 海賊の本拠地は、浅瀬が邪魔をして船が入りにくくなっているため、操船技術に不安のある船が入り込めば、船の腹に大穴を開けて沈むしかない。 (だめ、不安になっちゃ) いまは、あかりだけではなく、同じ檻の中にいる証人である人物のこともある。 変に不安を抱かせることは、得策ではない。 元々は動物を閉じ込めておく檻なのだろう。 獣の臭いが染みついていて、落ち着くにも落ち着けないのか、証人の男性は壊れかけの木箱に座りカタカタと足を鳴らしている。 自分達を捕らえた海賊は上手く逃げた仲間のことには気づいていない。 (バーミヤンが救援をつれて来てれる筈だもの。大丈夫) あかりは橡のことをバーミヤンと呼んでいる。 「大丈夫。仲間が助けてくれるから」 証人とあかりの二人だけ閉じ込めて、海賊の本拠地に連れて行き、一生そこに閉じ込めるなり、殺すなりすればいいと考えているのかも知れなかった。 *** あかりに隠れるように木箱と木箱の間に押し込められ、決して出てこないようにと言い含められた橡は、海賊が船に乗り込み、船が出港してから、ようやく出た。 「そうだ、こうしてはおられん。あかり殿と証人殿をお救いせねば」 橡は青い和装の襟を直すと、わたわたと走り出した。 あかりの言葉を思い出す。 『海軍に駆け込んで、訳を説明してわたしたちの乗っている船を追ってきて』 港では荷の上げ下ろしで人でごった返している。 「おい、気をつけろ!」 危うくぶつかりかけ、乱暴な言葉が橡に降りかかる。 「すまぬ!」 いつもなら、立ち止まり丁寧に詫びをいれるところだが、簡単な詫びを口にするだけで、目的の建物へと進む。 苦手である筈の人混みも、大事なことをまえにすると、吹き飛んでしまうらしい。 海軍の旗が掲げられた建物に駆け込もうとして、警備の者に押し留められた。 「用件を述べられよ」 「頼む! 助けて欲しいのだ」 続けて、海賊に攫われた事情を説明する。 「それは大事。話の分かる人物を連れてくる。ここで待っておれ」 がらんとした部屋に取り残された橡は落ち着く気にもなれず、立ったまま扉が開くのを待っていた。 乱雑な複数の靴音が近づき、ばん、と乱暴に開いた。体格のがっしりした男達が濃紺の海軍制服に身をつつみ、現れる。塩の匂いが鼻腔を擽る。 「海賊の知らせをくれた男だな。案内を頼むぞ。出港準備急げと伝達しろ!」 「イエッサー!」 部下を走らせ、自分達も続く。 橡は船を出してくれるのだと思うと、ほっと肩の力を抜いた。 言われたとをこなすことが出来た安心感と、危険な状況にあるに違いないあかり達を救えるという希望。 海軍の男達は体格が良いだけに歩幅も大きい。 追いつくために、足早に歩を進めると、大きな船が見えてきた。 出港準備万端なのか、急勾配の木製の橋を登り、船の腹に開いた入口へと乗り込む。 船員の走り回る中を抜け、操舵室に入った。 扉は開け放たれたままだ。 ひとりの空間でゆっくりしたいと心の片隅で思いつつも、まだ何も解決していないと、自分を叱咤する。 (あかり殿だけではなく、もし他にも攫われた人が居たなら、助けられるかもしれぬ) 海賊は海軍も追っており、渡りに船だったらしい。 海賊にとって知られたくない情報を抱えた証人は、今まで海賊が攫った人間を管理していた。 攫った人物の身元情報を流そうとしたのは、恋人が堅気の人間だったからだ。 恋人は、証人の男性が真っ当な職に就いていないのは、うすうす感じているようで、このままではいけないと思ったのだという。 だから、証人の男性に請うたのだ。 恋人の言葉が後押しになり、不運な事故で亡くなることにし、別の名を持った人間として別の場所で生活を始めようと考えて、行動を移したのだが、足抜けは海賊に発覚し、追われることになったのだった。 (あかり殿も証人殿も、良い結末を迎えられたらいいのでござるが……) 人のことを思い、行動する橡。 勢いのついた海軍の3隻の船は出港した。 *** あかりはトラベルギアである牙で縁取られた禍々しい仮面をつけ、顔に仮面がとりつき離れないと身体全体を揺らし、鉄格子にぶつかる。 証人は突然始まった状況に驚き、叫ぶ。 今回はあかりの声だけでなく、証人の男性の声、それも大声が響いたものだから、見張りの男性が、何事かと近づいて来る。 (やった……!) 「は、早く外して……! 取れないの!」 切羽詰まったあかりの声。 「くそ! 何なんだ!」 そう言いながら、男が檻の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。 入ってこようとする男の顔に仮面をつけたあかりがタックルする。 仮面が噛みつき、男を攻撃した。 「~~~~!!」 痛みに何も言えずに、汚れた床に転がる。 追いかけられても困るので、男は証人の男性と一緒に檻に放り込んで、鍵は男の届かない場所に放り投げる。 「逃げるよ!」 あかりは先に立ち、甲板を目指す。 仮面を外し、証人と共に折から脱出した。仮面は斬るための武器にもなる。 甲板は、海賊たちが忙しく立ち動いている。 だが、再び船倉に潜る選択肢はない。 騒がしいのは、海賊船を追いかけてくる船影が見え、戦闘準備に入っているためらしかった。 「もしかして……?」 喜びの表情が浮かぶが、この中の突破するのは難しいとあかりは感じていた。 追い込まれれば、海へと飛び込むしかない。 船の速度は速く、高さもある。 上手く飛び込まなければ、海面に打ちつけられて大怪我をするだろう。 一緒に証人の男性も連れて行かねばならない。 「女が逃げて居るぞ!」 「こっち!」 あかりが証人の男性の手を取り、船尾へと逃げる。 「バーミヤン、わたしはここよ!」 手を振り、居場所を知らせる。 「この女!」 海賊が逃げ道を塞ぎ、取り囲む。 海軍の旗艦が速度を上げて、横付けして乗り込もうとする。 船体に楔を撃ち込まれる。楔には縄が結びつけられており、何本も同時に行われ、距離が近くなった。 更に、木製の橋を渡すべく、船員が運ぶ。 橡が縄を足場にして、身軽な身体捌きで海賊船へと乗り込む。 「あかり殿!」 あかりと証人の男性を取り囲む海賊のひとりを目も止まらぬ剣捌きで床に転がした。 血は出ては居ない。 峰打ちだ。 包囲の一角を崩し、あかりの元へと到達する。 あかりと証人の男性を背にし、橡が立つ。 「勝負、よろしいか」 凛とした表情を浮かべ、刀を柄に手を掛けたまま問う。 「くそ、海軍の奴らがなだれ込んでくる前に殺しちまえ!」 「バーミヤン!」 「あかり殿は、証人殿を」 「分かったわ」 橡の邪魔にならぬように、証人の男と共に一歩下がる。 橡が一歩踏み込んだと思ったら、取り囲んでいた海賊達は倒れていた。 「相変わらず凄いね」 取り込まれたときは凄く怖かった筈なのに、橡が迎えに来てくれた安心感からか、感じていた怖さは既に消えていた。 「あかり殿、証人殿も無事で何よりでござる」 あかりと違い、未だに恐怖に囚われている証人の男性。 海賊船には、海軍が乗り込んで、海賊達が縄に繋がれて行く光景が広がっていた。 海に逃げようとする者達も次々と捕らえられていく。 「証人殿、これからは貴殿も家族を持つ身。守りたい者を守れるように、安心して暮らせるように戦って欲しい」 「……努力はする」 「人の価値や可能性は一つではない。俺は変われた。お主もきっとやれる」 橡は引きこもってばかりだった自分を思い出し、今の自分を自覚する。 人は人と関係を持って、変わってゆく。 自分もそうだったと、これまで出会った人々の顔を思い浮かべる。 海軍の船に乗り移り、港へと寄港した。 調書作成のために、引き留められたが、それも無事に終え、建物の外に出た。 空はすっかり夜空に変わっていた。 証人の男の事はもう大丈夫だろう。 後ろ姿を見送り、あかりと橡はロストレイルに乗り込んだ。 *** 向かい合うように座り、あかりは橡を眩しそうに見つめる。 (バーミヤン、成長したよね) 「バーミヤン、もう分かるよね」 橡の同居人である奇兵衛が、なぜ橡を邸に居づらくするのか。 その理由を問うた。 橡には答えは出ていた。 口に出さずに、橡はあかりに頷いて見せた。 すぐに気付はしなかった理由。 それは外にだし、見聞を広めさせるためだ。 世界は広い。 橡の知らないことがまだまだある。 未知の世界は、怖いか? 違う。 未知の世界は、驚きに満ちている。 「奇兵衛への見方を検めよう」 ぽつりと橡は呟いた。 少し照れた表情を浮かべて。 「うん」 「まだ少し苦手な部分はあるが」 「慣れていけばいいよ」 お茶の入ったカップを掲げてる。 「お疲れ、そしてこれからもよろしく」 そう言って、あかりは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
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