「この地には忘れられた王族が静かに暮らしてるようじゃ」 椅子に泰然と腰掛け、ジョヴァンニ・コルレオーネは湖水色の眼を温厚な笑みに細める。 資料として持ち込んだ、広大なヴォロスの片隅を描いた地図の一角を、整えた爪の指先で指し示す。 古に栄えた王国の名だけが遺され、シエラフィ地方と呼ばれるその地には、かつて種を違えるふたつの一族が共に暮らしていたと言う。 地を這う者と翼持つ者と呼ばれた彼らは、けれどその昔、袂を別ち互いに互いを滅ぼし合った。戦の末、敗れた翼持つ者はシエラフィから姿を消し、――翼持つ者の呪い受けた地を這う者も、同胞を滅ぼしてまで死守しようとした王城を追われるように離れ、シエラフィと呼ばれた王国は滅んだ。 ただ、王城だけが永の時と樹々に埋れながらも遺された。 草原に囲まれ、緩やかな丘の態を成した森で、かつての王城は樹蔦に呑まれ、時に呑まれようとしていたが、――今は、王城の代わりにひともとの大樹が聳えている。「報告書で見つけた地なんじゃがの」 大樹が生えるまで、またそれから暫くは大小様々ないざこざがあったが、現地の住人には旅人と認識されているロストナンバー達の活躍により、ほぼ全ての事柄が終息を得ている。「先日、儂の知り合いでもあるロストナンバーに真理数が浮かんでの」 どうやら彼は、と地図には小さな森として描かれている元王城を指先でなぞる。「ここへの帰属を考えているようじゃ」 本題を切り出そうと、老紳士は穏かな笑みを浮かべる。「よい機会じゃから儂も足を運んでみたいと思うての」 古の王国に思いを馳せるもよし、一族の苦難に際し砂漠から飛んで来たという飛空船を見学するもよし、現地の人々と交流して宴を催すもよし、――思いつく遊興を指折り数える。「楽しいひと時になると思うぞい」 山羊のように柔和な老紳士は好々爺然と笑う。 王城であった大樹の内は、巨大な虚となっている。元は宝物庫だったと言う大樹の虚の央には、もうひともと、幹を捩れさせた樹が空を目指す。樹の根元には黒い柩が据え置かれている。その黒柩に腰掛けて、白狼の仮面被った少女が一人。「うん、」 天井に代わり、蜘蛛の巣にも似て縦横に走る緑の梢が空を支える。 金色の木洩れ陽を白狼の仮面に受けて、少女は黒柩の上から飛び降りる。「よく来たよく来た」 幼い声音で、孫を迎える口調で、シエラフィの最後の王は旅人達を歓迎する。「先触れは受けとるからの。ゆるりと楽しんで行け」 ほれシロ、と黒柩の傍らに控える、同じく白狼の仮面を被った少年を手招く。シロと呼ばれた少年の肩には血の色した翼と鱗持つ小さな蛇がへばりついている。「何をして遊ぼうかの? 私に何ぞ話でも聞かせてくれるかの? 永く此処にのみ居る故、世事に疎うての」 はしゃぐ王から少し離れ、翼ある蛇を肩に乗せた少年は小さく頭を下げる。「城の外庭で炊き出しやってる。クロ、……あ、ええと、おれの父親やら一族の皆やらがたぶん酒盛りやってる」 混ざる?、と頭を傾げ、「城の横にでっかい飛空船があったの、見た? 船に乗って砂漠から来た人達は大体みんな砂駝鳥に乗って砂漠に帰ったけど、何人かは船に残って生活してる。爺さん婆さんと何羽かの砂駝鳥だけだけど。船本体は根っこが生えちゃって飛べないんだけどさ、小型の飛空船はあるから、銀狼婆に頼めばきっと乗せてくれるよ」 船入る?、と反対側に頭を傾げる。 それとも、と白狼の仮面を持ち上げ、シロは悪戯小僧の笑顔を覗かせる。こそり、囁く。「地下、潜ってみる? 元々こいつが寝てたとこなんだけどさ、……元々は城くらいでっかかったから、結構でーっかい隙間が空いてんだ。で、樹の根が入り組んで階段みたくなってんの。宝物庫から落ちた宝物が根っこに絡んできらきら光ってたりするんだ。ちょっと暗いけど、何にも怖いことないからさ、おれと行ってみない?」「何ぞ見つかれば知らせておくれ」 案外耳聡い幼い王がすかさず口を割り込ませ、のんびりと笑う。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
「まずは祝辞を述べさせてくれたまえ」 ジョヴァンニ・コルレオーネの柔らかな視線の先には、宝物庫の中央の樹の元に立つシエラ王と、王に再訪の挨拶をしていたキース・サバインが居る。 「心優しく勇敢な百獣の王と、君が庇護する幼き王に祝福あれ」 王侯貴族を思わせる優雅な仕種に、キースは背筋を伸ばして照れて笑い、幼い王は白狼の仮面を胸に、古風で風変わりなお辞儀で応じる。 「帰属おめでとう、キース君」 友人の肩を叩き、ジョヴァンニは眩しげに微笑む。 「ここに居る方全員が寛いでお話できるよう、皆様にお茶を配っても宜しいでしょうか」 王の周囲に集う旅人達の輪から、バスケットを抱えたジューンが控えめに進み出る。 「出来ましたら王、貴方にも」 丁寧な申し出に、王は嬉しげに頷く。 ジューンは早速お茶会の準備に取り掛かる。樹の根が縦横に這う床に出来るだけ座り心地の良いようにレジャーシートを広げ(ジューンが歩く度に樹の根が軋み、王が不思議そうに首を傾げた)、手伝いを申し出るキースを笑顔でそっと止め、お茶とサンドイッチを用意する。 「おひさしぶりなのですー」 シーアールシー・ゼロが王に片手を上げる。ゼロの真似をして片手を上げる王とぱちんとハイタッチして、 「蛇さんもこんにちはなのですー」 樹の根元でじっと旅人達を窺う、翼持つ小さな蛇の傍にしゃがみこむ。恐れ気もなく顔を近づけ、冷たい鱗の頭を撫でる。ついでに頬もすりすりする。 しばらく戸惑っていた蛇は、けれど屈託の無い銀の少女に釣られてケケケと笑った。 ジューンからお茶を貰い、ゼロは透明虹色のチェス盤と花やおばけの形した駒を取り出す。 「これは昨日見た夢の欠片をぎゅーってした物なのです」 進呈するのです、と王にその不思議なチェス盤を差し出す。王と差し向かい、ルールを説明しつつレッツプレイ。駒を動かす度、幻の花弁が散った。 遊びながら、ゼロは色んな世界で聞いた色んなお話を、ふわふわと語る。 「こんな感じ、かな?」 ゼロの話した不思議な世界を鮮やかに描き、イェンス・カルヴィネンは王とゼロに見せる。花の色した夕空を、青空色した竜と妖精と、それから銀色の少女が踊っている。 眼を輝かせる王に、イェンスは悪戯っぽく笑む。絵筆を握り、銀色の少女の隣に白狼の仮面を背に負う少女をさらさらと描き足す。行けるはずのない外の世界に自分を入り込ませる術を見つけて、王は目を丸くする。歓声を上げる。 「ここに居ても頭の中の世界は無限だ。何でも出来て何処でも行ける」 作家から贈られた分厚いノートとヴォロス語に訳した本を、王は両腕一杯に抱き締める。 「物語を書いてごらん。たくさん、たくさん。きっと皆も喜ぶ」 「書く? どんな風に?」 王は首を傾げる。イェンスは明るく頷き、ノートの一枚を捲る。例えばこんな、と話しながら新しい物語を綴り始める。 それは例えば、青い海に住む人々のお話。 「こんな海に、行った事があります」 イェンスの描く絵の海を見て、司馬ユキノがとある海の底で人魚と話した思い出を語る。イェンスはユキノの語る人魚を物語に、絵の中に描き込む。 「こんな所にも」 ユキノは大量の写真のアルバムを王の前に広げる。それは、ユキノが今までに旅した場所を撮ったもの。沖縄の綺麗な海や故郷の自然溢れる遠野、砂漠に泳ぐクジラ、竜刻の影響で野菜やお菓子でいっぱいになった場所…… 「よければ、アルバムをプレゼントさせてください」 「良いのか?」 夢中になって話に耳を傾ける王に、身振り手振りを加えてアルバムを捲るユキノに、素晴らしいスピードで物語を作り上げていくイェンスに、ジューンは満遍なく給仕をする。 星の海の中にある都市に住んでいたジューンにとっては、重力も風も地を流れる水も、未だに全て珍しい。けれどそれを言えば、大地に住む王はびっくりしてしまうだろうか。それとも、そんな土地もあるのかと笑うだろうか。 シエラを離れて見守りながら、キースは帰属の準備の為にまず持って来た狩りの道具や調理器具を宝物庫の隅に置く。 「せめてベッドと机くらいは用意しておきたいなぁ」 まだ寝るところさえない、近く自分が住処とする場所を見回して呟く。シエラの周りには皆が居るし、今回は帰属の準備をしていよう。 「私も、この大地に根付いて生きていこうと決めたの。貴女やその先祖のように――宜しくね」 東野楽園は静かに微笑む。 「私はエデン。理想郷を指す言葉よ」 貴女はシエラというの、と唄うように問われ、王は頷く。 「シエラは大地を指す。美しき大地、じゃの」 対抗するように応じて照れる王と楽園は笑みを交わす。 楽園が話すのは長い旅の内に見聞きした事。楽園に問われて王が語るは、王が知る限りのヴォロスの歴史やシエラフィと呼ばれる土地の古いしきたり。 話し疲れて一息吐く王を、楽園は優しい姉のように膝枕する。王は僅かに躊躇い、けれど楽園が金糸雀のような声でマザーグースを口ずさみ始めると、くすぐったそうに眼を閉じ身体を丸めた。 無事メイムの夢守になったら、と楽園はそっと王の髪を撫でる。 (こうして沢山の人を癒してあげたい) 王に代わり、ゼロとチェスを打っていた翼持つ蛇がぺたりと地に伏した。大負けに負けた蛇は、よたよたと宙を飛ぶ。地下への入り口に当たる樹の根元に立つ白狼の仮面の少年の肩に止まる。 「僕も行ってもいいかな」 楽園の膝枕で転寝し始めた王の傍に、仲間の話を取り入れ書き上げた一編の物語を置いて、イェンスが立ち上がる。イェンスの後を追い、オウルフォームのガウェインが翼を羽ばたかせる。 大人一人が通れるほどの樹の根の組み合わさった入り口を少年と共に潜る。 ガウェインの眼を通して、イェンスは視る。 人間よりも太い根が絡み合って形作る緩く暗い下り坂を、その先にぽっかりと開ける空間を、樹の根が作り出した空間の天井に床に埋まりこんで星のように瞬く金銀の硬貨を。 創作意欲を刺激され、作家の眼が星を呑んで輝く。 床の端に供えられた小さな花束を、花束の傍に膝を突いて静かに祈る相沢優を見つけ、イェンスは撮影の許可を貰おうと少年に掛けようとした言葉を閉ざす。その代わり、光煌く暗闇に、夢見る少年のような瞳を凝らす。シャッターを切るように瞬く。 ハナ、と小さな蛇が鳴く。優が祈りに伏せていた眼を開ける。イェンスに向けて小さく頭を下げる。 「これ、見つけたんだ」 持ち上げて開いた掌から、淡い光が零れ落ちる。光を閉じ込めた小さなペンダントを手に優は立ち上がる。 「シエラに返して来るよ」 「後で王からそのペンダントに纏わる話を聞けないかなあ」 「伝えておきます」 作家の熱意に、呪いに喰われた人々の魂の安息を祈った青年は頷き、王の元へ至る道を戻る。 「足元気をつけ……」 優の背中に声を掛けて奥に進もうとした途端、イェンスは樹の根に足を取られて転んだ。 「あれ?」 のんびりした悲鳴と一緒に、作家の身体は奥に続く急な坂道を転げ落ちる。 ごろごろ落ちた先には、別の空間。低い天井から宝珠の付いた杖が吊り下がり、蒼白い光に満ちて明るい。 「大丈夫かい?」 青空色の天井を背に、眼鏡を掛けたボーイッシュな容貌のダイアモンド・ドジスンが作家を覗き込む。ダイアの足元で、デフォルトフォームの身代わり童子が英国風の懐中時計を握り締め、ダイアと同じような仕種で作家を窺う。 ダイアと、慌てて追いかけて来た白狼の少年に照れくさそうに笑い、イェンスは痛む身体を擦る。 居合わせた吉備サクラが、心配げにイェンスの背中を撫でる。ありがとう、とサクラにも笑いかけて、作家はサクラの傍らに置かれたスケッチブックに気付いた。開きっ放しのページには、地下への道すがらに走り書いたのだろう、様々の意匠が描きこまれている。 作家の視線に気付いて、サクラは僅かに笑む。スケッチを拾い、別のページに文字を書き込む。 『珍しい意匠は服のデザインに使えますから』 ふと、天井の青い光が動く。ダイアが手を伸ばし、光放つ宝珠の杖を取ろうとしている。サクラが一緒に引っ張れば、杖は容易く二人の手の中に納まった。 「王様に返さないとね」 『私はもう少しここを散策します』 女性二人から宝珠の杖を受け取り、荷物係を承った白狼の少年は素直に頷く。 『奥には未知の物があるかもしれないと思いませんか?』 楽しげに微笑み、サクラは独りを選ぶ。角灯を手に、どんどんと奥に進む。道を作る樹の根の隙間に身体を捩じ込む。このまま帰れなくなる場所はないだろうか。ずっと地下に潜って行けば、もしかするとそんな場所が―― 憑かれたように深みを目指すサクラの手に、不意に痛みが刺す。思わず視線を落とせば、オウルフォームのゆりりんがサクラの手を必死に突いている。 戻るも進むも出来なくなって座り込むサクラの耳に、帰ろう、と小さな声が聞こえた。蹲る視界の隅、小さな翼持つ蛇が居る。帰るよ、と翼を羽ばたかせる蛇に逆らう意味も見出せず、サクラはのろのろと立ち上がる。無言で蛇の後を辿る。 樹の根が何者かの意志を受けて動く。サクラの前に、サクラが楽に通れる程の道を開く。暗闇に光の筋が差し込む。急な上り坂のその果てに、サクラは宝物庫の外、森の大樹の根元に押し出された。 暗闇に慣れ切った眼に木洩れ陽が眩く降り注ぐ。 「手伝うよー」 キースがのんびりと城の外庭を横切る。 「わたしもお手伝いしたいです!」 ミルカ・アハティアラが宴会準備に忙しい狼の仮面を被った一族の女達の輪へ跳ねるような足取りで駆けて行く。ミルカの顔を知る女達が歓迎の声を上げ、ミルカにこれを味見しろあれを食べてみろと賑やかに勧める。 「ルサちゃん、焦げるッス!」 氏家ミチルが大きな肉塊を焼きながら大騒ぎする。 「今行きます」 ルサンチマンが慌てず騒がず、手慣れた仕種で薪を割り、火加減を調整し、その片手間に野菜を刻み焼付け煮込む。 「儂の生まれ年の葡萄酒じゃ、味は保証するよ」 ジョヴァンニからワインを手渡されれば適温を見極め冷やし、 「呑めると聞いたのでな」 百田十三が抱えた酒樽を置けばその周りに敷物を広げ、同じく十三が持ち込んだ羊羹や干肉を手頃な皿に盛り付けて出す。正に八面六臂の活躍に、狼面の女達が感嘆の声をあげる。ついでにこれを食べろあれを食べろとつまみ食いを推奨する。 「来ない訳にはいくまい?」 十三は丼ほどもあるマイ杯はとりあえず脇に置き、茶道具一式を整える。大賑わいの女達の輪から押し出されて来た黒狼面の男に、先にどうだと茶を勧める。 「手伝おう」 イルファーンは流れるような自然な手つきで狼面の女の一人が運ぶ鍋を取り上げる。白皙の青年に見惚れる女達の視線には気付かず、イルファーンは大樹の森を見遣る。 美しいが辺鄙なこの地で暮らすなら不便も多くあるだろうに、と忙しく立ち働く狼の仮面の人々に視線を巡らせて、女達の視線を真直ぐに受け止める。 絶世の美青年に躊躇いのない微笑を返され、妙齢の女達は年甲斐もない黄色い悲鳴を上げた。女達の声が己に向けられたものとは夢にも思わず、イルファーンは鍋を運ぶ仕事に戻る。 人々は明るく逞しく生命力に溢れている、人間が大好きな精霊はおっとりと思い、嬉しくなる。 「肉焼けたッス!」 ミチルの歓声を合図に、宴の場に定められた大樹の根元の一角に人々が集まる。肉が切り分けられ、炒った木の実や茸が、野菜や肉が溶けるまで煮込まれたスープが、皿に盛られる。 ジョヴァンニのワインが、十三の酒が、一族の男達が醸した蜂蜜酒が、それぞれの杯を満たす。 「皆でご飯、楽しいです!」 ミルカが満面の笑みで跳ね回り、 「肴を選ぶようなことはせんよ」 十三が巨大な杯に満ちる酒を一息に飲み干し、 「楽しい酒だ」 アマリリス・リーゼンブルグが一族の男達に次々と注がれる酒を豪快に干し、 「美酒の返礼を。少しでも慰めになればいいのだが……」 イルファーンが花の香りの風を撒き華やかな炎を躍らせ、故郷に伝わる舞を演じ、 「自分、歌うッス! シャス!」 ミチルがその小柄な外見を裏切る豊かな声量を披露する。ルサンチマンは笑い声溢れる宴の隅で酒と料理を静かに堪能する。 キースが飲み物の瓶を手に、王の元へ向かう為に宴の場をそっと離れる。 友人の背中を見送って、ジョヴァンニはグラスを傾け、ヴォロスの月を仰ぐ。 己は残る寿命が十年二十年であろうと、壱番世界に再帰属する。永遠に生きる事は望まぬ。 「一期一会の縁、じゃな」 あと幾度見られるか知れぬヴォロスの月が映る杯を干す。老紳士は若者のように頬を上気させ、 「お美しいご婦人、一曲いかがかね」 隣に座る狼面の女に手を差し伸ばす。 イルファーンとミチルに代わり、老紳士と女が宴の輪の中心に躍り出る。 お疲れ、と一族の女達に渡された飲物を一息に飲んで、ミチルの眼が据わった。ルサンチマンの前に正座する。 「ルサちゃん」 真摯な眼でルサンチマンを見詰める。 狭い世界しか知らない彼女に、知ってほしかった。楽しさを。『心』を。無感情に見詰め返してくるルサンチマンににっこりと笑いかける。そうして、 「一つ分けてくらさいッス!」 ルサンチマンの豊満な胸を鷲掴みする。胸を掴まれたまま、ルサンチマンは常になく大慌てに慌てる。 「胸は分割できません!」 「ルサちゃん大好きッス」 叱り付けるのと、ミチルが腰に抱きつき胸に顔を埋めるのは同時。 ルサンチマンは途方に暮れる。笑顔のミチルを見下ろし、私は知らない事ばかりだと思う。世界は、興味深いことに満ちている。 「ルサちゃん、ですか」 ミチルが己を呼ぶ、奇妙な呼び方を唇に乗せてみる。何故だか、不思議な胸の温かさが心地よかった。 ふわり、柔らかな風が踊る。風は甘い酒の匂いを含んでいる。 白銀の翼を羽ばたかせ、アマリリスは凛とした瞳を酔いに和らげる。緑豊かな森を見渡して、己が生まれ、そして捨てた故郷を思い出す。 「どうだ」 横から十三が羊羹と干肉を差し出す。大量の酒を飲んでいても、その顔色はほぼ変わっていない。 「潰れてはもったいないぞ」 アマリリスの酔いを見て取り、注ごうとした酒瓶を濃い茶の碗に換える。 「ありがとう」 十三が淹れた茶を素直に含み、アマリリスは宴に笑う人々を眺める。此処で起きた事の詳細は知らない。けれど色々な事があって、その上でのこの酒盛りなのだろう。 「良い酒だ」 「良い酒だな」 延々と酒を酌み交わす巨躯の酒豪と白銀の翼の麗人の傍ら、イルファーンは穏かに宴を見守る。以前身を寄せた砂漠の集落でも、折に触れ宴が催されていた。 白き精霊は、いつか砂漠の月を仰いだように、森の空に浮かぶヴォロスの月を仰ぐ。 (親しき人々が生きるこの地がとこしえに安らかにあらん) 心より、祈る。 砂漠走る為に特化した蹄で砂駝鳥が必死に逃げる。逃げる巨鳥を追って、 「でっかい、旨そう!」 ルンが船内を駆けて行く。 「わあっ?!」 巨鳥にぶつかられそうになって、船外への出入り口で狼面の老人達と話し込んでいたミルカが悲鳴をあげる。 暴れる砂駝鳥の手綱を、宴の場から抜け出してきたルサンチマンが手早く取る。老人達が数人がかりで砂駝鳥の暴走を止める。 「喰っていいか?」 いかんよ、と老人に断られると、 「そうか、残念」 ルンはあっさりと頷いた。 「庭、酒盛り。行かないのか?」 「爺婆には賑やかに過ぎてな」 首を振る老人達に、ルンは考え込む。 年寄り、知恵大切。 生きてる、大切。 お前たちも、行けばいい。 折れるは、年上から。 上手くやる、秘訣。 でも。ルンはもうちょっと考え込む。 「こっちも宴会、すればいい」 森で獲物を取ってこようと駆け出そうとして、ルンの鋭敏な鼻は気付いた。外から獲物のにおいがする。他の砂駝鳥達の騒ぎ声がする。 ルンやミルカ達が船外に出ると、外庭の宴の場とは反対側にあたる箱舟の陰で、玖郎が何処からか狩って来た人間の倍ほどある鰐を囲み、砂駝鳥達が大舞踏会を繰り広げていた。 ルサンチマンが持つ手綱を振り払い、砂駝鳥が玖郎の傍に走り寄る。羽毛の巨体に歓喜の抱擁を受けながら、玖郎は砂駝鳥の嘴を撫でる。 本来砂地に棲まうであろう種にとり、船内を移動する生活では不自由が多いのではないか。ヒトよりも鳥に近しい天狗はそう考える。折角の足も持ち腐れよう。せめて多少なりと鬱憤を晴らせまいかと、蜥蜴を食う彼らの嘴にあうような、且つ皆に行き渡る大物を獲って来た。 「おれもはじめて食う」 玖郎の獲物の周囲で歓喜の舞を踊っていた砂駝鳥達が、玖郎を獲物の前に押し出す。一番に食えと玖郎の背中を嘴で優しく押す。 「剥いだ皮はここのひとにやろう」 「ルン、やる!」 「手伝います」 ルンとルサンチマンが手伝いを申し出る。解体されていく鰐を砂駝鳥達が囲む。時折我慢出来ずに興奮した鳴き声を空に響かせる。 声を聞きつけ、翼持つ朱色の仔蛇がふらふらと空から降る。玖郎は己の肩にへばりつこうとする蛇に手を貸し、ちらりと首を傾げる。呪いの根源であったフィーは食物を摂るのだろうか。 食性の見当がつけられず、 「血の方がよいか」 鰐肉の一片を掌に乗せながら問うてみる。蛇は舌を出しつつ様子を窺い、おもむろに咥えて一呑みにした。 解体が終わり様始まる砂駝鳥達の宴会を眺めながら、ルサンチマンは箱舟を終の棲家と決めた老人達に話を乞う。人の営みや、この地での出来事、 「自分が誰か、何か分からないのです。……どうすれば」 己自身の事に対する相談事。 ルサンチマンに相談を持ちかけられた赤狼の仮面の老翁は、 「人と関わり、交われ。まあ、まずは私らと世間話じゃ」 おどけて言い、ルサちゃんのお尻を揉もうとして周囲の爺婆から袋叩きにされた。 ミルカはあの時無我夢中で護ろうとした巨大な飛行船を見仰ぐ。老人達が言っていた。箱舟自体が墓のようなものだと。 瞳を伏せ、そっと黙祷する。 「飛空船ってこう、オーパーツの塊みたいな気がしませんかぁ☆いやぁん萌え萌えですぅ鼻血でそうですぅ☆」 ふわりと宙に浮かぶ小型飛空船の甲板で、川原撫子はロボットフォームの壱号を胸に抱えて頬を桃色に染める。 「自分も乗せてくださいッス!」 酔い醒ましに船内を歩き、甲板に辿り着いたミチルが船端にかじりつく。浮かびかけの飛空船によじ登る。撫子と一緒に船首まで行き、流れ来る風を全身に受けて飛び跳ねる。大きく伸びをして、風と共に歌う。 「気持ちのいい声だね」 そう広くは無い甲板の真中に座り、拳大の竜刻を手に飛空船を空へ押し上げながら、銀狼の仮面被った老婆が笑う。銀狼婆の隣にちょこんと座って、ゼロが動じない仕種でお茶を淹れる。お茶受けに持参した沢庵を置く。 ミチルの歌に力を得たように、船は更に高く速く空を走る。 「アザッス!」 森の風を胸いっぱいに吸い込んで、ミチルが感謝の雄叫びを上げた。銀狼婆に深々と頭を下げ、お礼にとマッサージに取り掛かる。 「遠くはもう無理だと思いますけどぉ、近場をゆっくりも無理でしょぉかぁ?」 撫子の言葉を境に、船は森の上空をのんびりと周回に入る。 「あの、質問なんですけどぉ、教えて貰ったら私達でも飛空船を飛ばしたり飛ばすお手伝いしたりするのは可能でしょぉかぁ?」 「ゼロもお手伝いしたいのです。竜刻使いの修行や心得や基礎を教えてくださいなのです」 ミチルのマッサージを受けつつゼロの淹れてくれたお茶を啜り、老竜刻使いは掌の竜刻を握り締める。 「生まれた時から使うて居るからの」 「修行しても無理なのです?」 「銀狼さん一人だけ疲れなくても済みますしぃ、ずっとお空からここを眺められますぅ☆ って、思ったんですがぁ……」 竜刻の使い方を会得出来ず、撫子とゼロはしょんぼりと肩を落とす。 「酢コンブどうスか?」 落ち込む二人に、ミチルがおやつを差し出す。銀狼婆にも酢コンブを勧め、横に座って流れる景色をのんびりと眺める。 気を取り直したゼロがお茶を啜り、沢庵を齧る。 「これをこの地で作ることは出来るでしょうか」 ゼロとミチルと並んで沢庵を齧り、銀狼婆は不思議な味だねえと笑う。ヴォロス沢庵の作り方やこの地での新しい噂話に花を咲かせ始める三人の脇で、撫子は船を、元は城であり戦場であった森を、遠く眺める。 「ここ素敵ですぅ……」 王が住まい、いずれは己も住まう宝物庫に向かいながら、キースは相棒を思って少し目を伏せる。帰属を決めてから、少し気まずい。ここに来るまでの車内でも、あまり喋ってくれなかった。 (……フォッカー、どこにいるんだろうー?) 樹の根が作る隧道のような道の先、月の光に満ちて宝物庫がある。飲み物を持って来たよと告げようとして、キースは足を止める。 部屋の中央から天へと伸びる樹の元、キースに背を向ける格好で、相棒であるフォッカーが立っている。 「王様」 背筋を伸ばして、フォッカーは相棒のキースが一緒にいたいと思った人をまっすぐ瞳に映す。キースが帰属したいと思っている場所を確かめる。 キースの姿が見えない内に、この人に伝えておきたいことがあった。 「うん」 優が地下から持ち帰ったペンダントの物語をイェンスに語り終え、王はフォッカーと向き合う。 「おいら、何年もキースとおんなじ家に住んできたのにゃ」 フォッカーの真剣な瞳に、王は居住まいを正して頷く。 「キースは頼りになるように見えて頼りないところがあるし、凄くマイペースなのにゃ」 だから、とキースの相棒は、相棒の為に頭を下げる。 「迷惑をかけるかもしれないけどよろしくお願いしますのにゃ」 王が此方こそと頭を下げる。フォッカーが笑い、王が笑う。 いつか、寂しくないと言いながらも寂しそうな目をしていたシエラを、優は思い出す。 (でも今は違う) それに心底安堵して、微笑む。 終
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