クリエイター櫻井文規(wogu2578)
管理番号1156-15369 オファー日2012-02-01(水) 00:39

オファーPC ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)コンダクター 男 73歳 ご隠居

<ノベル>

 目を閉じて深く風を吸い込み、それをゆっくりと吐き出しながら、ジョヴァンニ・コルレオーネは静かに瞼を持ち上げた。
 視界に映るのは、糸のようにたなびく白い雲を浮かべた碧空だった。けれども目線を移ろわせればその先、遠く西の端が緩やかな朱に染まりつつあるのが知れる。ほどなく世界は夕闇に覆われ、やがてゆっくりと夜の帳の中に溶けていくのだ。
 広い庭には一面に咲き誇る薔薇の芳香が広がっている。ゆったりと流れる風が薔薇の香りを包み込み、そうしてひとり佇むジョヴァンニの髪を静かに撫でて過ぎていった。
 ――ルクレツィア
 ジョヴァンニは、再び視線を空へと向けて眦を細めた。最愛の、亡き妻の名を口にする。大切な、無二のその名を。応える声はもちろん、あるはずもなく。けれどもそれに代わるようにして、薔薇がさわりと頭を垂れた。
 ――明日はドロテアが嫁いでいくのだよ
 風が芳香をはらみ空を目指す。舞い上がる薔薇の気配に頬をゆるめ、ジョヴァンニはもう一度妻を呼んだ。
 ――早いものだね
 双子の兄との確執、愛する妻と過ごした日々。妻との間に生まれた愛する娘。薔薇園を走り回り蝶を追いかける幼い娘、見守るように静かに息を引き取った妻。
 君はあの日、最期の瞬間、幸せだったと微笑んでくれたね。あの微笑みで、私がどれほどに救われたか。――君は知っているのだろうか。
 息を引き取った妻のそばに膝をつき、緩やかに少しずつ冷たくなっていく細い手に唇を寄せた。恭しく、またとない女神に永劫を誓約するかのような丁寧な所作で。
 あの日から幾度も朝と夜とを過ごしてきたが、心は今なお褪せることはない。
 病で痩せ細っていく母の姿を、幼いドロテアに見せるのはしのびなかった。母との面識を得ることが出来ず、娘はたびたび頬をふくらませていたものだ。幼かった娘の、それすらも愛らしく思えたあの表情を思い出しながら、ジョヴァンニは胸ポケットにしまいこんでいた一枚の写真を恭しく取り出した。
 齢を重ねた自分と、時を止めいつまでも若く美しいままのルクレツィア。写真の中の妻は、やわらかな陽射しのような微笑をたたえ、まっすぐにジョヴァンニの目を見返してくる。
「君はドロテアに何と声をかけるのだろうね」
 ささやくように言葉を落とす。応えはない。空はゆったりと夜の色に染まりつつあった。夕風が吹き、薔薇を揺らす。
 ジョヴァンニはもう一度妻に微笑みかけると、暮れ合いの空を仰ぎみて静かに目を伏せた。頬を撫ぜる風は一層の夜気を含み、日中のそれとは異なり、肌寒さを色濃くしている。
 夜の風の冷たさから妻を守るように、ジョヴァンニは妻の写真を大切にしまいこんだ。

 まさに雲ひとつない快晴にめぐまれた翌日。教会が有する一室のドアを軽く一度ノックする。
「ドロテア」
「お父様? お入りになって」
 ドアの向こうにいるドロテアの声が応えた。ジョヴァンニはわずかに息を整える。――感慨深くもあり、緊張もする。これから娘は父親の手を離れ、新しい手の中に渡っていくのだ。
 ノブをまわし押し開ける。薔薇の香を含んだ風が吹き流れてきて、ジョヴァンニは思わず目を細めた。
 壁の一面にある窓が開いている。窓の向こうには色とりどりの薔薇が咲いていた。真白なレースのカーテンが薫風を受けて揺れている。その窓の近く、シンプルな木製の椅子の上に、純白の花嫁が座っていた。
「たったいま仕度が済んだところよ。このドレス、張り切って選んでみたのだけれど、どう?」
 そう言って椅子を立ちくるりとまわったドロテアは、蝶を追いかけて遊んでいたあの幼いころそのままに、ふわりと悪戯めいた笑みを見せた。
「……ああ、そうだね」
 応えたものの、ジョヴァンニはわずかに声を飲む。
 眼前にいる娘が、あまりにも亡き妻に似ていた。否、微笑むその顔は確かにドロテアのものだ。――しかしルクレツィアもまた、時おりこんなふうに悪戯めいた微笑みを浮かべることもあった。遠く、けれども褪せることを知らない追憶の中、ルクレツィアが純白の花嫁衣裳をまとい笑みを浮かべる。風が流れ、ジョヴァンニの髪を穏やかに撫でた。
「どうしたの? お父様」
 気がつけばすぐ近くにまで歩み寄って来ていたドロテアの顔があり、気遣うような色を浮かべた双眸で父親の顔を覗きこんでいた。
「……ああ、大丈夫だよ」
 返し、ジョヴァンニは娘の艶やかな髪をそっと撫でる。これから純白のヴェールをかぶり、その下に満面の幸福を浮かべるのであろう、美しい愛娘。
「あんまり綺麗で見とれていたのさ。母様にそっくりだよ、ドロテア」
「本当?」
 薔薇の花がほころぶような笑みを浮かべ、ドロテアは嬉しそうに飛び跳ねた。
「ああ、本当だ。母様がもしもここにいたら、見分けがつかないかもしれないね」
「まあ、お父様ったら」
 ジョヴァンニが冗談めいて告げると、娘は喜色を浮かべた表情を浮かべつつも、父親をたしなめるように頬をふくらませた。その顔はやはり、幼いころのあのままだ。
「おめでとう、ドロテア」
 頭を撫でながらジョヴァンニはふわりと微笑みを浮かべる。
「ありがとう、お父様」
 その手に自分の手を重ねながら、ドロテアもまたゆったりと笑ってうなずいた。

 それからジョヴァンニは娘の手をとって部屋を後にした。
 ヴァージンロードを歩き進み、神と牧師、そしてドロテアが選んだ男が待つ場所へと向かう。ヴェールで見え隠れするドロテアの目はまっすぐに愛する男を見据えていた。
 妻の手に唇を寄せたときのように、恭しく。ジョヴァンニは横目に娘の表情を検めた後、細く白い娘の手を握りなおして一歩一歩足を進めた。パイプオルガンの荘厳な音がチャペルの中に響く。
 ドロテアは、もしかしたらこのまま走り出して恋人の腕に飛び込みたい衝動にかられているかもしれない。駆けていくその背中を、ジョヴァンニは静かに押してやるのだ。しあわせにおなり。そう声をかけ、微笑みながら。
 やがてドロテアは父親の手を離れ、恋人の隣へとおさまった。ジョヴァンニは信徒席の最前列に腰をおろし、式の流れを見守る。
 指輪が交換され、久遠の愛を誓う接吻がかわされる。互いに揺るぎのない真実の心を寄せ合う若い恋人たちは、いま、神の御前で夫婦となり祝福をうけたのだ。
 式が滞りなく終わると、教会内は新たに生まれた夫婦それぞれの友人や列席した客人たちによる祝福で満たされる。隅々まで行き渡る幸いたる空気に沸く教会を、しかし、ジョヴァンニはひとりひっそりと離れた。
  
 向かったのは敷地を同じくする墓所だ。妻が永遠の眠りについているその場所で、ジョヴァンニは懺悔するように俯き言葉を落とす。
「私は良い父親ではなかった」
 しぼりだすように一言告げた。
 仕事にかまけ、娘にはずいぶんと寂しい思いをさせただろう。幼くして母と永別し、それだけでもきっとドロテアの心には深い傷を残したはずだ。それなのに。
 ――まして、
 悔いるように目を細め、ジョヴァンニは自らの両手に目を向ける。
 まして、この手は拭い去ることが出来ようはずもないほどに汚れてしまっているのだ。数多の血を流してきた。この手は落とすことの出来ない罪で穢れている。
 いつかこの身が死を迎えた後も、きっと、自分は妻のいる場所へは行けないだろう。楽園に通じている門は、ジョヴァンニには狭き門となって扉を閉ざしてしまうに違いない。
「……すまなかった」
 ひっそりと落とした悔恨は、誰に向けた懺悔であるのか。自分でもわからないままに、ジョヴァンニはかたく目を閉じた。

「良い父親かどうか決めるのは私よ、お父様」

 声がした。驚き顔をあげたジョヴァンニの目に、純白のドレスから動きやすいデザインのなされた薄青のドレスに着替えたドロテアの笑顔が映る。その向こうには高く円い蒼穹が広がっていた。
「……ドロテア」
「父様は父様よ。世界でたった一人きり、私の自慢の父親」
 迷いなくそう言って、娘はやはり悪戯めいた笑みを浮かべた。それから小走りに父親のそばに近寄って、父親の腕に飛び跳ねるようにしてつかまった。
「きっと母様も同じことを言うわ。”あなたが良い夫であったか。私がしあわせであったかどうかを決めるのは私よ”って」
 そう続けて笑う娘は、やはりルクレツィアによく似ている。ジョヴァンニはつかの間声を飲み、それからゆるゆると頬をゆるめ、娘の手をとって静かにうなずいた。
「……そう、だね」
 
 風が舞い上がる。薔薇の香が広がっている。
 ――愛しているよ、ルクレツィア。永遠に。
「しあわせにおなり、ドロテア。……誰よりも」
「ええ。私、しあわせよ。これまでも、今も。そしてこれからも」
 父親の手を握り返し娘も笑う。

 遠く、教会の鐘が高い空を目指し鳴り響いていた。
     

  

クリエイターコメントこのたびはプライベートノベルのオファーありがとうございました。お届けまで大変お待たせしてしまい、申し訳ありません。
捏造暴走歓迎とのお言葉に甘えまして、ルクレツィア様やドロテア様に関する描写など、わりと妄想に走らせていただきました。イメージと違ってしまっていましたら申し訳ないです!!

ジョヴァンニ様はきっとルクレツィア様が遺した言葉でも救われているのだろうとは思いましたが、ドロテア様からの赦しを得たことで、初めて楔から脱せたのではないかなと、プレイングを拝見し考えました。
少しでもお楽しみいただけていましたらさいわいです。

それではまたのご縁、お待ちしております。
公開日時2012-03-26(月) 22:30

 

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