クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号1151-15745 オファー日2012-04-13(金) 22:32

オファーPC ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)コンダクター 男 73歳 ご隠居

<ノベル>

 迷宮から抜け出すには注意深く飛ばなければいけないよ。低きを進めば霧に捕われ、高みに昇れば太陽に焼かれてしまうから。
 天と地の間を慎重に、根気良く進むのだ。
 バランスひとつ誤ればあっという間に墜ちてしまうよ――。

 青年は煉瓦の床に這いつくばり、何かを拾い集めていた。青。黄。緑。赤。色彩の欠片のような羽根が散らばっている。青年は、落ちている羽根で翼を編もうとしていた。
「足りない」
 青年は瞳を伏せて呻いた。満月の、蒼白な光が青年の背中を冷やしている。ここは塔の最上階だ。滑らかな円窓のみが外界と青年を繋いでいる。
「足りないんだ」
 今はこれ以上の羽根は手に入らない。手近な物で間に合わせるしかない。青年は燭台の蝋燭に火を点し、作りかけの翼の上に垂らした。涙のように滴る蝋は、瞬く間に固まって羽根どうしを繋いでいく。
 暗闇の底で青年は翼作りに没頭した。迷宮のようなこの塔から抜け出すには窓から飛び立つしかない。
 チチ、チチチ……。
 可憐なさえずりが払暁を告げる。振り返ると、窓辺に止まった青い小鳥がぽろりと何かを落とした。
 いびつで不完全な真珠だった。
 青年は真珠を拾い上げ、吸い寄せられるように窓辺に近付いた。青い鳥が逃げていく。青年は窓から身を乗り出して外を俯瞰した。明け方の霧が世界を隠蔽している。

 銃声が霧を引き裂いた。

 弾丸は残響の尾を曳き、白い闇に呑み込まれていく。
「……外したな」
 ジョヴァンニ・コルレオーネが耳を澄まながら呟く。傍らで、双子の兄が舌打ちしながら猟銃を構え直した。
「もう一度だ」
 兄はやみくもに照準を合わせようとしている。ジョヴァンニ青年は眉を顰めた。銃の先には濃密な霧が広がるばかりだ。
「引き上げよう、兄さん。この視界では厳しい」
「――何だと?」
 兄の視線がジョヴァンニを突き刺した。
「俺に指図するのか。何様のつもりだ」
 ジョヴァンニは詫びることもできずに顎を引いた。血走った兄の眼は、狩りの不調に苛立つ猛獣そのものであった。
 兄の不満と不機嫌は今に始まったことではない。兄弟仲もずっと前からぎくしゃくしている。ジョヴァンニは原因を知っていた。恐らくは、兄も。
 霧の緞帳を銃声が揺さぶる。二発。三発。十発近く撃ったところで兄はようやく猟銃を下ろした。そしてジョヴァンニに向かって言い放った。
「運が良かったな」
 ジョヴァンニはひょいと眉を持ち上げた。音を聞く限り、兄の弾はすべて外れた筈だ。
「獲物が命拾いしたということだ」
 兄は意味深な言葉を残して背を向けた。

 迷宮の塔で青年は翼を編み続ける。もっと。もっと羽根が欲しい。
 小鳥は夜明け前にやって来ては真珠を落としていった。どれもこれもが型崩れの、バロック真珠と呼ばれる類の物だ。
 円かな月が欠けていく。翼は未だ完成しない。
「足りない」
 青年はいつかのように呻いた。
 チチッ……。
 小鳥がやってくる。朝が近い。明け切らぬ天は、小鳥も青年もサファイアブルーに染め上げている。
 青い鳥の嘴から、雫のように真珠が落ちた。やはりバロック真珠であった。
 青く染まったいびつな珠に青年はふと瞳を揺らす。
 パールのネックレスを贈ったら女は喜んでくれるだろうか。

 幸せの青い鳥が飛び去っていく。青年の翼は小さく、外界の霧は未だ晴れない。

 朝靄の中から帰還した兄弟に女は眉を顰めた。兄弟の髪はしっとりと濡れ、頬に張り付いている。
「風邪を引いてしまうわ」
 女はスカートを翻し、タオルを取りに走った。滑らかな足取りに惑いは見えない。ほっそりした背中を見送り、ジョヴァンニは密やかに息をついた。
「すっかり板についている」
 呟いた後で、慌てて口をつぐむ。心の断片が唇から滑り落ちてしまった。それを察したのかどうか、兄は鼻で笑った。
「当り前だろう。この家の妻になる女だぞ」
 女がタオルを手に戻って来た。柔らかな白布が兄に、次いでジョヴァンニに手渡される。ジョヴァンニは努めて無造作に鬢を拭った。途端にふんわりとした香りに包まれ、手が凍りつく。不意打ちの芳香はどんな香水よりも甘美に胸を揺さぶった。
「ジョヴァンニ。何かまずかった?」
 女が気遣わしげにジョヴァンニを見上げている。優しい瞳。柔らかな声音。まぎれもない親愛の証。
「木偶にも気を使ってやるのか。ルクレツィアはまるで聖母だな」
 兄が鼻で笑う。ルクレツィアと呼ばれた女は朗らかに微笑んだ。
「だって義理の姉弟になるのよ。ねえ?」
 美しい笑みはジョヴァンニへも平等に向けられる。
「行こう。着替えを手伝ってくれ」
 兄は無造作に女の髪を撫で、所有の証のようにして抱き寄せた。絹糸のような髪の毛からタオルと同じ香りが立ち上り、ジョヴァンニの前でほどけていく。
 美しい女だ。
 このまま時が止まれば良い。せめて残り香が消えぬように。
 ――それで満足する筈だと、懸命に自分に言い聞かせ続けている。

 キィ……ン。
 氷の粒のように真珠が落ちる。煉瓦床を転がり、青年の膝にぶつかって止まる。青年は真珠を拾い上げ、テグスに通していった。蜘蛛の糸のようなテグスにバロック真珠が連なっている。
 もう少し集めればネックレスになるだろうか。蝋で固めた翼ももうじき完成する。だが、あと少しだけ羽根が足りぬのだ。
 軽やかな羽ばたきと共に青い鳥がやってくる。いつものように舞い降りた小鳥は、歪んだ真珠をぽとりと落とした。
「これだけか」
 青年は小鳥に問うた。夜明け前の青の中で小鳥はただ首を傾げた。
「これだけか?」
 青年の語気が珍しく荒ぶる。幸せの青い鳥は再び首を傾げる。
「足りないんだ。もっとくれ」
 鳥は答えない。
「どこから持って来るんだ」
 沈黙。静寂。
「もっとよこせ!」
 青い鳥の前で、むき出しの怒声だけがこだまする。
 太陽の気配がじりじりと迫り、青い世界が煮詰められていく。青年は苛々と鳥に背を向けた。作りかけの、まだらで継ぎだらけの翼が目に入る。せめてこの翼が完成すれば真珠を探しに行けるかも知れない。
 青年はのろのろと振り返った。視線の先で、小鳥が青いシルエットとなってわだかまっている。
「よこせ」
 ヂッ、と小鳥が悲鳴を上げた。青年の手が蛇のような勢いで小鳥を鷲掴みにしたのだ。青年は一息に鳥を締め上げた。鳥は羽毛を撒き散らしながら痙攣し、やがて動かなくなった。
 手の中の熱が引いていく。
 キィン、キィン、キィン。鳥の瞼からいびつな真珠が次々と転がり落ちる。鳥の死骸が、青年の手の中で泣いていた。
 青年の唇がのろのろとめくれていく。
「……簡単じゃないか」
 こうやって手に入れれば良かったのだ。
 バロック真珠はテグスで編んだ。手作りの翼は、鳥の死体から羽根をむしって完成させた。
 地平線から太陽が生まれ、真っ白な朝日が暗闇を追い立てる。
 青年は息を呑んだ。
 小鳥の羽は純白だった。鳥は、明け方の青い闇に染まっていただけだったのだ。
 しかし青年は振り返らなかった。今更どうにもならぬ。継ぎ接ぎだらけの蝋の翼を負い、イカロスのように飛び立った。

 思慮深く飛ばねばならぬ。大地の霧に呑まれぬように。天空の炎に焼かれぬように。

 純白の薔薇が朝霧に煙り、こうべを垂れている。憂鬱に濡れた花弁をひと撫でし、ジョヴァンニはようやく立ち上がった。兄が待っている。狩りの供を務めねばならない。
 身の回りの準備は兄の婚約者が整えてくれた。
「気をつけてね」
 微笑と共にハンチング帽が差し出される。ジョヴァンニはアイスブルーの瞳を揺らした。胸が焼かれる思いだった。
 きっと、この身は地獄に落ちるだろう。既に辺獄に片足を突っ込んでいる。これ以上進めば煉獄で焼かれよう。
 今ならまだ引き返せる。まだ間に合う。
「……ルクレツィア」
 それでも感情は止まらない。
「どうしたの?」
 目の前の女はあまりに美しい。このまま時が止まれば良い。この笑顔を見つめ続けられるように。
 ――それだけで良いのかと身の内が粘つく。
 それで足りるのか、と。
「いいや」
 ジョヴァンニはゆっくりとかぶりを振り、心を凍らせた。
「いつもありがとう。行って来るよ」
 軽やかに帽子を受け取り、背を向けた。
 二頭の馬が霧中を駆ける。獣の吐息は熱く、霧よりも濃い。兄はしきりに馬の腹を蹴る。負けじとジョヴァンニも手綱を繰る。
 狩り場に着き、馬を木に繋いだ。駆け足の興奮が止まぬ馬はしきりに土を蹴りつけている。
「どうだ。たまには競わないか」
 猟銃を担いだ兄は不敵に笑った。
「俺と貴様と、別々に動こう。どちらが多く獲物を仕留めるか勝負だ」
「危険だ」
 ジョヴァンニは冷静に反対した。この濃霧では誤射を招きかねない。
「逃げるのか。負けるのが怖いんだろう?」
 兄はせせら笑いながら白い闇の奥に消えていく。
 生き物のように霧がたゆたう。馬の鼻息が静寂を揺さぶる。

 青年は注意深く羽ばたいていた。天と地の中間を選び、慎重に渡っていく。背筋を冷たい汗が伝う。少しも乱れてはならない。均衡を保つには全神経を集中させねばならぬ。
 この翼でどこに行くのだろう。どこまで飛べば彼女にまみえるだろう。永遠に天地の狭間を彷徨わねばならぬのか。さりとて昇れば焼かれてしまう。墜ちれば潰れて死ぬだけだ。
 外もまた迷宮ではないか。
 動揺がわずかに体を震わせ、翼が傾いだ。眼下の霧が迫る。墜ちる。
 霧の中から黒光りする筒が飛び出した。猟銃だ。青年はアイスブルーの眼を見開いた。霧の中から、ジョヴァンニ・コルレオーネと同じ顔の男が狙っている――。

 銃声が霧を引き裂いた。
 イカロスは撃たれ、まっさかさまに墜ちていく。
 刹那、青年の呼吸が止まった。撃たれたのは青年ではなかった。青年の後ろを危なっかしく飛んでいた、青年と瓜二つの男だった。

 ジョヴァンニは呆然と兄の棺を見下ろした。
「どうして。どうして……」
 兄の婚約者が棺に取り縋って啜り泣いている。
 兄は無謀運転の末に死んだということになっている。ジョヴァンニを支持する勢力が勝手に仕組んだことだ。ジョヴァンニは兄の陰になるよう努めてきた。兄と彼女の幸せを願い続けていた心に偽りはない。
 だが、兄がいなくなればと考えたことは一瞬たりともなかっただろうか。
「ジャンカルロ」
 女は兄を呼び続けている。姿かたちも、遺伝子までもがジョヴァンニと同じ男の名を。
 兄と彼女は政略結婚で結びついていた。この女の家柄はコルレオーネ家に必要だ。完璧で正当な理由だった。
「ルクレツィア」
 唇を濡らす熱を隠し、華奢な肩にそっと手を置く。肩にこぼれる絹の髪が震える。
「君を幸せにする……兄さんの分まで」
 彼女がゆっくりと振り返った。宝石のような瞳から次々と涙が転がり落ちていく。女の涙は真珠のようだと人は言う。ならば、彼女の涙はバロック真珠のごとく千々に乱れていただろう。
 それすら美しいと、ジョヴァンニは密やかに高揚した。

 青年は老い、ひとり時を止めた。
 彼は今なお飛び続けている。イカロスの翼で、永遠に。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。

恥ずかしながら、ギリシャ神話のイカロスを今回初めて知りました。有名な歌でしか知りませんでしたが、ああいうお話だったんですね。
お兄様もまた、イカロスのように危うい均衡を保っていらしたんじゃないかと拝察します。

さて、イカロスを撃墜したのはどなただったのでしょう。解釈はPL様のお心の中に(いつも同じことを言っているような)。

楽しんでいただければ幸いです。
ご発注、ありがとうございました。
公開日時2012-04-21(土) 21:40

 

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