クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-11926 オファー日2011-08-23(火) 19:11

オファーPC ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127)ツーリスト 男 27歳 精霊術師

<ノベル>

 柔らかな陽射しが、カーテンの隙間から射し込む。

 赤を滲ませた鮮やかな暁の色が、視界の端に映る。
 ヴィヴァーシュ・ソレイユはふと顔を上げて、闇を拭い去ろうとする穏やかな光をその隻眼に浴びた。
「……ああ、」
 もうこんな時間、か。
 ぽつりと零した独り言も、乾いた喉の奥で掠れて消える。軽く眉を顰めて、手の中の書物に視線を落とした。紙面の端に綴られた、終わりの一文が浮かびあがるようにして目につく。
 また、読書に没頭しすぎていたようだ。
 最後に時間を認識したのは、この本を読み始めた頃であったように思う。その時にはまだ、窓からは冷淡な月の光が忍び込んでいたはずなのだが。過ぎ去った時間に思いを寄せながら、腰掛ける椅子に深く背を預けた。
 ヴィヴァーシュがターミナルでの住まいとして借りているこのホテルには、『時間』が存在する。停滞した0世界の中でも定められた時の流れに合わせ、朝になれば日が昇り、夜になれば月が昇る。
 壱番世界ほどに複雑な満ち欠けはないにせよ、宿とする客たちのことを慮ってか、チェンバーの主がそう設定したのだと言う。
 己が身に受けた加護と、負った傷のために、ヴィヴァーシュは闇の濃い夜を厭う。このホテル、このチェンバーを仮宿にと選んだのも、日の流れはあれど月の欠ける夜はないためだった。
 趣味の良い書物ばかりを集めた小さな図書室を借りて、昼も夜もなく読書に没入する。決して健康的とは言えないであろう生活を送っている自覚はあるが、特に気に病む事もない。
 読み終えた書の表紙を閉ざし、ふと息を吐いて、――そして、途方に暮れる。
 この図書室に収められている書物はあらかた読み終えてしまった。今のところは受けている依頼もなく、日はまだ昇り始めたばかり。さてこれから何をしようかと、カーテン越しに空を仰ぐ。東に面した窓からは燦々と陽が降り注ぎ、ヴィヴァーシュに睡眠の選択肢を与えない。
 暁を過ぎる日の眩しさにひとつ目を眇めたところで、ヴィヴァーシュは不意に、数日前に読んだ本の続きを見つけられていないことを思い出した。それは古典的でオーソドックスな壱番世界の推理小説であり、上巻と下巻に別れている内の、下巻だけがこの図書室には置かれていなかったのだ。書架の何処かに紛れてしまったのか、と特に気にせず他の書物に目を通していたが、ほとんどに目を通した今になっても見当たらないと言うのは奇妙な話だ。或いは初めから、上巻だけしか置かれていなかったのだろうか。
 窓の外から射し込む光は、暁の色を振り払い、柔らかに澄みはじめている。カーテンを掻き分ければ、木々の合間を駆ける風が見える。精霊の息吹を、やさしげな声にも似た何かを聴く。
 良い季候だ。外を出歩いて、本を探しに往くのも悪くはない。
 手にしていた本を書架に戻し、図書室を辞して、ヴィヴァーシュはホテルを後にした。
 擦れ合う葉の合間から降り懸かる陽は美しく、緑の隻眼を細めて微笑む。
 蔓草の装飾が施された銀の煙草入れを開き、取り出した一本を唇に挟む。眼帯の奥の傷が痛むわけではないが、もう片方の目を長く行使していたせいか軽い頭痛を覚え、それを和らげるために火を点けた。鎮痛の効果を持つ紫煙の香りが、肺の奥へと沁み込んで行く。静かに一つ息を吐いて、再び空を仰ぐ。ホテルのあるチェンバーは疾うに過ぎ去り、今彼の目の前に広がるのはただ無機質に青い、晴れやかな空。何処から降るともつかぬ光が街を照らす。
 0世界は日の流れを持たず、四季の流れをも持たない。ただそこに停滞しているだけの、静謐な世界だ。
 だが、それゆえに過ごしやすい、と静寂を好むヴィヴァーシュはそう感じる。

 ◇


 午前帯の穏やかな空気が流れる中、ふと目についた、小さな古書店へと足を向けた。
 扉がカランと音を立て、こちらへ目を向けた人物に首肯だけで会釈を送る。カウンターに座って本を捲る、随分と若い、子供と呼んでも差し支えなさそうな容姿の――店番だろうか。少年はかすかに笑んで、手振りだけでヴィヴァーシュを招き入れた。
 穏やかに射し込む陽射し、古めかしい調度品に、乾いた紙の匂い。何処か仮宿の図書室にも似た雰囲気をもった店。よい場所を見つけた、と心の内だけで静かに笑み零す。本を探そうと、視線を彷徨わせた。
 ややあって、高い棚の上に目的の本を発見する。御丁寧にも下巻のみが残されている。手を伸ばしてそれを取った。
 色あせた文庫本。手に取ってみれば、確かに読み込まれていただろうと思えるほどに柔らかくはあったが、しかし決して保存状態は悪くない。よほど大事に扱われていた事が分かる。ページをぱらぱらと捲って、図書室に置かれていた上巻と表記の揺れがないかを確かめる、その手が何かに気がついて止まった。
 ひらり、開いたままのページから、小さな紙片が滑り落ちる。
「……?」
 地面に落ちたそれを、訝しく思って拾い上げた。ノートの端を切り取ったような粗雑な破り目を残すそれは、長く本の合間に挟まれていたせいか不自然な所で折れてしまっている。
 開いてみれば、掠れたインクで文字が綴られていた。

『赤き蛇が首を擡げる先へ』

 流麗な筆跡の示す意味を計りかねて、僅かに首を傾げる。
 本の内容と何か関わりが、と考えてみるも、紙片の挟まれていたページにはそれらしき記述は見られない。
「失礼」
 カウンターに腰掛ける少年へ歩み寄れば、無邪気な笑みが彼を迎えた。
「こんなものが挟まれていたのですが」
「ん……おや」
 差し出した紙片を興味深げに覗き込む、その唇から零れた声は、容姿に似合わず随分と皺枯れていた。古紙の乾いた匂いに似た、時の流れを感じさせる声だ。
 少年のあどけない容姿には不釣り合いで、しかし不思議と違和感は覚えない。
「買い取る時に中身は確認しているんだけど……見落としたのかね」
「もしくは、この本を手にしたどなたかが挟んでいったのか」
「気になるようなら、こっちで処分するが」
「……いえ」
 主人の申し出に、首を振ることで遠慮の意を示す。この古書店を訪れたことにも、この本と出逢ったことにも、この紙片を見つけたことにもすべて、意味があるように思えた。――謎かけめいた、この一文にも。
「折角なので、栞代わりにでも」
 ナレッジキューブで代金を支払って、店の外へと足を向ける。
「そう。それじゃあまた、御贔屓に」
 老爺めいた声で、幼い少年は立ち去るヴィヴァーシュへと声をかける。再び首肯で会釈を返し、扉を押して店を後にした。ドアベルの音を、背中に聴く。

 ◇

 昼過ぎの駅前広場は、人で溢れている。
 待ち合わせか、ロストレイルを待っているのか、或いは当て所もなく散策しているのか。それぞれに理由を持ちながら、様々な人種のロストナンバー達が集い、そして別れる場所だ。
 前館長の銅像前を過ぎ様、幾人ものツーリストと擦れ違う。失礼、と声をかけ、足早にその空間を通り抜ける。知らず、眉間に皺が寄る。
 人通りの多い場所は苦手だ。決して嫌いなわけではないのだが、慣れない。眼帯の奥に隠しているはずの傷が疼くようにも感じる。覚醒してから暫くの時間がたち、ある程度人との関わりを持つようにはなったが、やはりまだ一人で過ごす方が楽だと感じる。
 泳ぐように人の合間を縫って、どちらとも知らぬ方向へむかう。何かにいざなわれるようにして。
 やがて、人の少なくなってきた所で足を緩めた。
 いつの間にやら画廊街の外れの方まで歩いて来ていたらしい。意匠的な街灯が光も燈さずに路の端に佇んでいる。硝子張りのウィンドウと、様々な筆致の画が並ぶ通りの中央で、不意に立ち止まって先程購入した本を取り出す。褪せた色の表紙の下に、赤煉瓦の石畳が鮮やかに映える。
 ページを開いて、紙片を取り出す。其処に綴られる文字に、やはり変わりはなかった。文章が増えたわけでもなければ、消えたわけでもない。ただ短い言葉のみが記されている。
 先、とあるからには、何かの場所を示しているのか。それともまた違う何かを? 思考に浸りはじめた意識を留めて、顎に宛てた手で口許を隠し、ヴィヴァーシュはかすかに笑みを刷いた。
 古書に挟まれていた、意味深な一文。――まるで推理小説の暗号のようではないか。
 紙片を挟んだ人物も、それを期待してこの本を選んだのだろうかと、そんな考えにまで辿り着く。ならば壱番世界の人物なのだろうか。否、ターミナル内であれば、読むのはコンダクターに限るまい。たとえば自分のように。
 ゆっくりと、歩みを再開する。流れる思考は止めないままに。
 趣味でこの辺りをよく利用するヴィヴァーシュには、“暗号”の示すものに思い当たる節があった。首を擡げる蛇。画廊街の隅、細い十字路の中央に、一体の彫像が佇んでいるのだ。
 細く長い蛇に巻きつかれ、微笑む幼い少女の像。
 簡素な石台に乗せられて、一人と一匹の像はヴィヴァーシュを出迎える。少女の掲げる指先は彼方を指差し、それに巻き付いた蛇は彼女の方へと振り返る。まるで恋人同士といった風情の、楽しげな談笑すら聞こえそうな容だ。――だが、
(赤き蛇、ではないか)
 やはり、と嘆息する。像は作られてから長い時間が経っているようで、既にその全身は緑青に覆われ、崩落を見せ始めていたのだ。青い少女の華奢な指先は欠け、緑の蛇もまた小さな右目を喪っている。錆びついた色彩で、しかしかれらは幸せそうに笑う。それは、長い長い時間を共に過ごしてきた夫婦の見せる表情にも似ていた。
 はたと、ヴィヴァーシュは思い至る。
 この紙片が書かれたのが、今よりもずっと前であったなら。その人物の眼には、どんな景色が見えていたのだろうかと、思いを馳せる。
 蛇と少女の銅像が、緑に覆われる前の色彩。
「……なるほど」
 そっと手を伸ばし、傷をつけぬように緑青の像をなぞる。頭の一部を欠いてなお、かつて赤銅であったはずの蛇はまっすぐに一点を見据えたまま動かない。
 赤い蛇が首を擡げる、その先へと目を向ける。
 ヴィヴァーシュが歩いてきた道と十字に交差する道の先、蛇は一軒の民家を指し示す。硝子張りのウィンドウには何も飾られていない、見るからに空家と言った様子の建物。しかし誘われるように、ヴィヴァーシュはその家へと足を向けた。ドアノブに手を伸ばせば、鍵の存在も感じさせぬようにするりと廻る。
 扉を開いた、その先は緑に覆われていた。
 チェンバーか、と驚きを表情に出す事なく受け容れる。軽く覗いてみたところで、人の気配はない。それどころか、生物の気配も。
 どうやら無人の空間のようだ。また一歩、足を踏み出した。石畳が途切れて、革靴の音が土に紛れて聴こえなくなる。ターミナルの街が、人の営みが遠くなる。繁る葉に光が翳り、しかし足を止めることなく森の中を往く。
 魔法空間の空は何処までも青く、緑は何処までも深い。
 隻眼が映すのは、ただ青と緑の景色だけ。境さえも滲み、喪われてしまいそうな色彩の調和に、美しいと息を零す。太い幹に背中を預ける。
 緑に滲む光の中で、隻眼を閉ざす。風も吹かず鳥も棲まぬこの森は、ひどく静かだ。
 こうしてひとり、静謐の中で思索に耽る。その瞬間を、いとおしいと思う。読書であれ、とりとめもない考えであれ、それはツーリストとなってから変わらぬ趣味の一つだ。だからこそ、変化を持たないこの世界に、停滞する景色に、安心できるのかもしれない。
 葉擦れの音一つない沈黙。静まり返る森は海の底にも似て、瞼の裏で光が穏やかに揺れる。何気なく腕を組もうとして、右手に古書を抱えたままであったことを思い出す。
 じっくりと読むのは後でもよい。今はただ、この静寂を愛することにしよう、と考えて、何ともなくページを捲っていった。
 先に開いた項を探り当てる。
 ポケットに仕舞い込んでいた紙片を取り出して、その間へと滑り込ませ、静かに閉じた。

 真実、その紙片が何を示したかったのかは定かではない。
 ただ、穏やかな時間を得られた僥倖に、ヴィヴァーシュは微笑む。
 充ちる光と、緑の匂いに身をゆだねた。

クリエイターコメントいつもお世話になっております。そして大変お待たせいたしました。
オファー、ありがとうございました!

インドアな休日の過ごし方、という御指定でしたが、随分と外を歩いていただいたようにも思います。古書を通じた出会いと、誘いの先にある森での穏やかな時間をイメージして描かせていただきました。
また、ホテルやチェンバーの設定など様々に捏造しておりますが、PL様のイメージに添えていれば幸いです。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2011-11-23(水) 13:30

 

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