――ピッ ――骨格の定着、順調です ――ピッ ――HSF注入レベル3 ――ピッ ――記憶洗浄完了しています 「忘れたのか?」 ――ピッ 「体は覚えているだろう」 ――ピッ 「私は知りたいのさ」 ブラックアウト リバース 黒曜石の割れたところの温い光。 その表面に垣間見える映像。 割れた闇。 笑い声。 スタート 「……さん、いつもお世話になっているお礼です。いつも寒そうにしていらっしゃったから」 「これは、手編みですか? なんて素敵なマフラーでしょう」 「おい! お前だけのプレゼントみたいに言うなよ! ……さん、これみんなからなんですよ! ……が毛糸を選んで、……が編んで、……がラッピングをして、お金はみんなで出し合ったんです」 「ふふ、そういうことです! いつもありがとうございます!」 雪のちらつく、真っ黒な夜のことだ。 明るく温かいホテルを背に、いつも通りに背を伸ばし立ち。 休憩に入ったスタッフルームでのことだった。赤く火照った頬の若いスタッフが2人、笑顔で駆け寄って来て渡してくれたのだ。 「本当はみんなで揃って渡したかったんですけど、いきなり予約が入ってしまったからみんなてんてこ舞いで」 「……が『クラッカーだ、シャンパンだ!』って張り切ってたのは、……が止めたんすよ!だって、掃除が大変だと……さんが怒るでしょう?」 すぐにお礼の言葉が出て来なかったが、2人は交互に話しかけてくれていた。 そこで支配人が突然入ってきて、 「あ、支配人!」 2人が慌てて背を伸ばした。 しかし、支配人はちらりとこちらを見て、口角を上げていったんだ。 「うん、なかなかいいね。いつもお疲れ様」 厳しく恐がられがちな人だった。でも私は温かい人だと知っていた。長く、務めた職場だった。 「あー、支配人にも、一応、ご出資いただいたんですよ。うーん、出来たの報告してなかったから怒ってるのかな」 「バカ、そういうとこはちゃんとしとけよ」 「だって『安っぽいとか、しょぼい』とか言われたらいたたまれないじゃん」 「そんなことないですよ」 私はそこで、そっと口を挟んだのだ。 2人は目を丸くしてこちらを見ていた。 「とてもとても素敵ですから、支配人もきっとそんなことは言われないでしょう」 そう言うと、2人は顔を緩めた。 「本当にありがとうございます」 「ありがとう」 天涯孤独だった。 寂しくなかったのは、素晴らしい職場に出会えたからだ。 勿論、嫌な客もいた。気の合うスタッフも、気の合わないスタッフも、入ったり辞めたり移り変わりがあった。 「貴方に憧れて、このホテルに来たんです」と、若者に言われた時の誇らしさ。 マフラーを渡してくれた2人は、しばらくして結婚したのだ。私に最初に打ち明けてくれた。「支配人に言いづらくって!」と眉を寄せた彼女。 そうだ、あの時。 あの寒い夜。 マフラーを受け取った時。 『私も何か編もう、編み方を知らないから覚えよう』 思ったはずだ。 出来てなかった。 まだ出来ていなかった。 『帰りたい』 『帰りたい』 「帰りたいか?」 ――ピッ ――ピッ 「これならお客さまもお気に召すと思いますよ? ええ、勿論ちょっと歳はいっちまってますがね、しかし入ってみれば年齢なんて気にならない身の軽さに驚くはずです。これは最新の技術を用いて出来うる限りの加工を施した、最高スペックの『義骸』ですからね」 「記憶は」 「へい」 「記憶は消してあるのだろう?」 「ええ、勿論ですとも。記憶と人格は完全洗浄。これは基本ですからな」 「ふむ」 その死体売り――正しくは『義骸』売り。実体を持たないものや、出歩くと色々差し支えるような妖しいもの達が入って使う容器としての『体』を取り扱う商人――は、手を蝿の様に擦りながら、つらつらと商売文句を垂れ流している。 「ドアマン……だな?」 「は?」 「この骸の生前の仕事さ」 「はああ、確かにそうでございますね。何処かでお見かけになったとか?」 「まあそんなとこだな」 『帰りたい』 『仲間の元に』 「興味深いね」 「は? 何でございますか?」 「良い骸だと言ったのさ」 「えぇ、えぇ、そうでございましょう!」 死体売りはまた捲し立てるように、その骸を褒め称え始める。飽きもせずに何度も。その、加工の質は本物だろうが特別に美しくもない、その骸を褒め称える。 「ちょっと確認したいのだが」 「はい?」 「この骸を買い取った業者はどこに金を支払ったかわかるか?」 「はあ……あの私はその、加工済みの義骸を仕入れて販売しておりますので、加工業者と販売業者はまったく別の業者なので……」 「そんなことはわかっている。でも調べればわかるだろう? 何せVIP仕様の“血統書付”の義骸だからな」 「ははは、血統書はついておりませんがな、ええ勿論御調べできますとも。少々お待ちを」 死体売りは額の汗をゴテゴテとレースのついたハンカチで拭いながら、裏へと下がっていった。 『死んだら』 『死んだら死体は売ってくれ、代金は職場と。職場にいる、仲間に』 「そんなに大事なものかね」 『会いたい』 「帰りたいのか」 『帰りたい』 「私はおまえではないよ」 『……には手袋を、……には靴下、いや複雑なものは無理だろうか、支配人の部屋の花瓶置き、……には膝かけ』 「お客様! わかりましたよ、ええ、お待たせいたしました」 「この義骸を買おう。その代金の支払い先は住所をメモに書いて貰えるかな?」 「は! ご購入を決めていただき誠にありがとうございます! ええ、必ずともお客様にはご満足いただけるかと!」 「どこのホテルだった?」 「え。えぇ “賢者の脳髄市”のホテルですな。Le point du chemin……」 「ふーん」 「あ、ただいま契約書をお持ちいたします」 また裏へ駆けてゆく死体売りの。丸い体。 「ここから出たら、毛糸を買おう。そしてホテルに向かう。仕事なんてはじめてじゃないか。まったく楽しみだ。さあ“帰して”やるよ、嬉しいか?」 『……には手袋を、……には靴下、いや複雑なものは無理だろうか、支配人の部屋の花瓶置き、……には膝かけ』 「記憶から人格の再生、丁寧に慇懃にしなくてはなりませんね?」 『いらっしゃいませ』 「いらっしゃいませ」 『これは……様、このような寒い日にようこそお越し下さいました』 「その寒い夜に」 『私も何か編もう』 「……はまだホテルに居りますでしょうか。これから編み物を覚えて、プレゼントは間に合いますかどうか」 「大分雰囲気が変わりましたな、お客様。ええ勿論、変ではございません。 話し方を姿に合わせるお客様は多いんですよ、性別まで変えていかれる方もございますからな!」 「誠に新鮮な気分でございます」 軽い軽いと言われていた筈の体は存外重い。事前に説明を受けていたはずの呼吸もわずらわしく、感触というのも何と不可思議なものか。 「こちらがメモでございます。お泊りになられるのですか?」 「いえ、就職先に」 「なんと! 貴方のような方が働かれるような場所ではございませんよ!」 「姿に、合わせるのでございます」 死体売りは口をパクパクと動かした。そして慌てたように汗を拭くと何とか言葉を絞りだした。 「はああ、失礼いたしました。高貴な方の考えはわたくしのような者には理解できないこともございます。ええ、そういう“お遊び”なのでしょう? ああ、いえ、まったく結構な御趣味かと」 「近くで毛糸を売っているお店をご存じですか?」 「は? ああ、手芸店ですか……そうですな――おい! おまえ! おまえがいつも行く手芸店はどこだったか!?」 死体売りは裏に向かって大声で叫んだ。返ってくる女の声を聞く。 「こちらもメモにいたしましょう。ええ、お客様は神様ですからね、このくらいはサービスでございますよ」 『ありがとう』 「ありがとうございます」 (終)
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