「インヤンガイ侵略プロジェクト「夢の上」最終段階に突入」 黒埼壱也が呟くと両手をあげた。「夢を見るがいい。美しい宝石と衣で作り上げた、その夢の上に、足を踏み出して、歩くがいい。……夢なき者が見た夢を見るがいい。力あるものは無力さを知れ。知恵あるものは無知を知れ。願う者は砕かれることを知れ」 世界は暗闇に包まれる。 激しく咳き込んで倒れた黒埼壱也の体を支えたのは華奢な腕だった。 白い騎士服らしいものに身を包んだゴーストが、荒い息の壱也を見下ろす。「ゴースト、壱也はどうなの?」「大丈夫だ。それより、ハングリィ、守りを頼むぜ?」 大剣を背負ったビキニアーマーのハングリィを見つめてゴーストは告げる。「フウマと水薙たちも順調だよなぁ?」「ええ。今、連絡したけど、うまくいってる」「……しっかし、水薙たちも馬鹿だよなぁ。自分たちが銀猫伯爵の裏切りに加担したことを認めるなんて、そのせいであいつ」 ハングリィの目が鋭くなる。「くく、怒るなよ。今回の任務がうまくいったら、シルバィだけは許してくれるってことになってんだろう? お前もあんなデカブツのなにがいいかねぇ」「シルバィはいいやつよ。攻撃を受けたときに守ってくれた……だから、今度は私が守るの。シルバィをね」 ハングリィの真剣な目にゴーストは小馬鹿にしたように肩を竦めた。「まぁ、それ言ったら前線から引いたフウマが、わざわざ、蟲の世話のために出てきたのも驚きだ」「フウマはきぃちゃんが好きだったもの。百足のやつが死んで狂ったきぃのために蟲に人になる術を与えたのも、蟲が百足のように振舞う芝居に合わせてきぃを満足させていたのも、あいつだもの。罪滅ぼしなんじゃないの?」「へー。それは驚きだな。……どこまでも憎悪の連鎖は続くねぇ。護りたいから、大切なものを失ったから、いいね、いいねぇ」「あんたは、なんのために戦うの? お気に入りのカワイコちゃんをほっておいていいの?」「出かける前にうんと抱擁とキスをしたからいいのさ。……俺サマが戦う理由? 命令もあるが、そうだなぁ。世界が一つ終わる瞬間が、たまらなく好きなのさ」 「夢の上」。 インヤンガイおいて一年に渡る長期の侵略作戦名。 世界樹旅団の狂気の蟲使い百足兵衛の作り出した麻薬「夢の上」によってインヤンガイは静かに狂い始めた。平和を保っていた人々は新たな力を欲して争い、そのタイミングで世界図書館の不信を煽る形で世界樹旅団は連続殺人を起し、インヤンガイと世界図書館のなかをこじらせた。 ロストナンバーたちに味方していた鳳凰連合もまた罠にはめられ、崩壊寸前まで陥った。 外の敵を警戒するなか、さらにはインヤンガイに住む者同士も敵対し、均衡は崩れようとしていた。 世界図書館の活躍により、「カルナバル」において鳳凰連合は勝利、ヴェルシーナの人質も解放された。 しかし、そのあとインヤンガイの住人たちのなかで血なまぐさい殺し合いが行われた。男たちが突然に親しい女を殺していくという凄惨な事件の犯人たちは数時間後には骨と皮となった無残な死体で発見されるという奇妙なものであった。 ――まま……まま ――まま……まま、どこ? ――まま、まま、まま、まま、どこ、どこにいるの? それは殺し損ねた最後の蟲の仕業であった。 本体は一匹のムカデである。しかし、それは霊力を食らい、育ち、分裂し、それを人間の体内に侵入させることで操っていた。タチの悪いことに、ムカデの分身は体内から霊力を食べ、育ち、最後は宿主を殺し、新しい宿主を探し出す。 本体のムカデ以外は分裂能力なく、大きくなってもせいぜい五十センチ弱。たいした攻撃手段は持たないが、すでに十匹にも増殖していた。「……さぁ、母親を探して、殺しつづけ、負の種をまき散らしていくがいい」 ムカデの傍らにはフウマ=小太郎がついており、指示を出していた。 さらにはその日の夜、突然として地区に一つの要塞が現れた。 地区一つを見下ろすほどに大きい、それは不吉な黒薔薇。 旅団に属するドンガッシュの能力によって出現した「災禍の城」であった。 雑踏とした町並みは中世の石の建物へと変わった。 その中央に位置する要塞は生き物のように地区の霊力を根こそぎに奪い取り、「リフォームされた世界」の人々は強制的に眠らせて、起きている者がいるとすればムカデに操られた人形のみという静寂と闇に落ちた世界が生まれた。「作戦は上々だな。霊力を利用して黒埼があの力を広範囲に影響を与えているのか」「『共感』能力であるな。今はこの要塞の霊力と、さらにはムカデとハングリィの力を使い、地区一つを覆う『無効化』を発動しているそうだ」 要塞の花びらの箇所にいる黒いコートの水薙と銀のケンタウロスのシルバィが語り合う。 彼らは銀猫伯爵の裏切りに加担したとして、処分を受けることとなった。 どんな任務内容においても否定権がない――それは、命令にたいして絶対服従を意味し、言葉はちがえど処刑と同じだけの意味があった。 黒埼壱也の能力は「共感」、二人以上の能力者の力を合わせ、使うというものだ。それは力を借りる能力者の潜在意識に強く働きかけるもので、精神にもかなりの影響を与える。 いま、現在、壱也は要塞の吸収する霊力を借り受けることで地区一つに、ハングリィとムカデの力を合わせて他者の精神に働きかけて無効化を発動していた。「もし、世界図書が来たとしても、ここでは能力はほとんど使えぬが……そう長くはもたぬと黒埼殿は言っていた」「だろうな。そもそも長期戦にするつもりはないのさ。すぐに育ったワームを放つ」「うむ。……では、彼らが来るのを待つか。あまり動き回らぬように、まだ要塞は目覚めていないが、時間の問題だ」「ある一定の人数に達した場合、すべてを排除にかかるんだよな?」「うむ。弱い者から排除し、最終的にはこのなかには一人しか存在せぬようにするため要塞そのものが生き物のように武装している。気をつけよ、世界図書館が入ってくればいやでも排除システムが動く」「……壱也たちはワームのところだな?」「うむ。最後の仕上げとして放つべきワームの支度をしている。朝には終わるだろう」「そうか。すべて、終わる。ようやく……シルバィ、悪かったな。俺が……伯爵を庇ったのに、お前まで巻き込んで」「よい。あれは拙者の選んだこと。ここにいることも含めてな」「……一人でもいい、あいつらを巻き込んで死んでやる。必ず……! ハイキ、クルス、お前たちを待たせたりはしないからな」 世界は落ちていく、闇のなかに。★ ★ ★「旅団が動いた」 黒猫にゃんこ――現在はダンディな三十代のスーツ姿の黒が告げた。「それも、大々的にな。あいつらにとっちゃ、これが仕上げなんだろう。ある一つの地区で能力がほとんど使えない状態になっている」 黒はかいつまんで状況を説明したあと、さらに細かな情報を提供した。「この要塞はドンガッシュの能力によって出現したものだ。つまりは、存在するだけで世界のバランスを破壊してしまう。現に霊力が奪われて大変なことになっている」 現在、要塞「災禍の花」の守りをしているのは水薙とシルバィ。 その周りの街のなかではムカデが操る人間がいるそうだ。さらにはムカデは複数に分裂しており、本体は隠れているという。それらに指示を出しているのはフウマ=小太郎という男だそうだ。「それの要塞とは別の所にいるのが黒埼壱也、ゴースト、ハングリィ。これは現地人の協力者であるマフィアが調べておいてくれたことだが……あいつら、ヴェルシーナの人間を人質にとったときに所有する空家がどれだけあるかとか聞いていたらしい。それでこの地区の北には空家が五個ほどあると教えているから、そこに潜伏している可能性は高い。これだけ絞り込めれば見つけることは容易いだろう? 必要ならば、ヴェルシーナからもっと細かい情報の提供も頼める。ただし、壱也の能力を考えると警戒はしておいたほうがいい。こいつらは育てたワームを放つつもりだからはやめに叩いたほうがいい。とはいえ、ここら辺にはムカデが操っている現地人もいるからな。操られているだけの奴を殺すことは……お前たちの判断に任せるが、俺は個人としては無益な殺生はあまりすすめない」 黒は尻尾を振った。「この地区は今、能力がほとんど使えない状態だがトラベルギアは使えるし、セクタンもいけるはずだ」
――御馳走だ 囁きが零れる。 マフィアのアジトで今回の依頼を受けた者たちは最終準備を整えた。 「うーん、ボク、何をすればいいのかなぁ」 ふんわりとした茶色の髪に白い衣服のベルファルド・ロックテイラーは珍しく真面目に悩んでいた。 その様子に白いドレスの幸せの魔女は嫣然と微笑んだ。 「私たちが一緒にいるだけで、何も恐れることはないわ。ベルファルドさん」 「魔女さん。あ、言い忘れていたけど、おかえりなさい。……けど、運の良さしか武器のないボクがここにいても、なにもできないと思うけど」 「あら、そんな些細なこと。私とあなたが一緒にいるということが大切なんだから」 依頼の内容を聞いた幸せの魔女はそこらへんをのほほんと歩いていたベルファルドを魔法で見つけ出すと、ろくな説明もせずに首根っこを掴んで二枚のチケットを持ってロストレイルに飛び乗ったのだ。 じりじりと迫ってくる幸せの魔女に後ろに逃げていたベルファルドの背中が壁にあたる。 「わかった。わかりました! ダイスは使えるみたいだし、やってみるよ!」 最後は懇願のような悲鳴をあげた。 「うふふ、そうでなくっちゃ、ベルファルドさん」 「もう、魔女さんは強引だなぁ。あ、ところで、帰ったらボクに言いたいことって?」 「まぁ、それをここで聞くなんて大胆なんだから! けど、いいわ、そういうベルファルドさんも……まだ貴方に伝えていない言葉があったわね。無事に帰還したら必ず伝えようと思っていたのよ」 ナラゴニアでの依頼のとき、ベルファルドは亡命者を連れての帰還を選んだが、幸せの魔女は潜伏を選んだ。別れ際、幸せの魔女はベルファルドに帰ったら言いたいことがあると口にした。 いろいろとあって今まで顔を合わせていなかった二人は、ここで改めて、その約束を果たそうとした。 (本当はそういうことしてる暇じゃないけど、話題逸らさないと魔女さん怖いし) ベルファルドとしては必死である。 「あ、わかった! もしかして、魔女さん」 「ベルファルドさん?」 二人はしばし見つめ合う。 「ボクがいつも同じ服着てるってこと? けど、それなら魔女さんも……あいたぁ! ちょ、魔女さん、怖い、怖いよ」 「デリカシーのない人は幸せの剣に突かれてしまうのよ? あらやぁねぇ、鞘にいれたままなのは優しさよ?」 にっこりと幸せの魔女は微笑む。 「え、えーと」 「まぁ、それがベルファルドさんだものね。仕方ないわねぇ」 幸せの魔女がベルファルドの右手をとり、自分の懐に引き寄せる。鼻先がぶつかりあうほどの至近距離で美しい獣のような瞳と無垢な黒い瞳が言葉のない会話を交わす。そっと幸せの魔女はベルファルドのほっそりとした身に我が身を擦り寄せて、耳朶にねっとりと紡ぐ。 「この戦いが終わったら……私を食べて」 「え? ええ~! 魔女さんって御菓子とかで出来ているの? あ、もしかしてワタを食べる? 違う? それとも綿あめを一緒に食べたいの? え、なんで、そんな睨むの?」 ベルファルドのぼけた反応に幸せの魔女の笑みはどんどん冷めていった。 「魔女のおねえさんったら、ふられてるぅ~」 金色の髪に青いドレスが可愛らしい人形のようなリーリス・キャロンがけらけらと笑うのに、幸せの魔女は鋭く睨む。 「おい、大切なときなんだから、喧嘩するなよ! ったく、余裕あるよな。俺らはぴりぴりしてるのに」 窘めたのは白衣姿の坂上健。 いつもなら優しげな笑みを浮かべているセリカ・カミシロはアジトにつくとまず空屋の詳細な場所を地図で確認、そのあとは小型の銃、弾丸を借りると地下の訓練室で試し撃ちをした。覚醒前にひととおりのことは習ったことがあると本人が語るように、その姿はとても様になっている。更に小型のサバイバルナイフを太腿に隠した。小柄な肉体に似合わないほどの武装には一つの決意があった。 健自身、どうしても許せない相手のことを考えて内心、両手に溢れそうな苛立ちと焦燥に悩んでいた。 たんたんと自分の武器の手入れをする青い鎧の戦士のロイ・ベイロードとバイクの点検をする黒いジャケット姿の風雅慎はひどく落ちついている。 「なるほどな」 ぽつりと慎が言葉を漏らす。 「勘が鈍ってるな。しかし、俺の目標はでかいからな。見逃すことはないだろう」 「あそこを目指すのか」 ロイの声に慎は目を眇めた。 「ああ。あんたもか?」 ロイは力強く頷いた。 「インヤンガイの一連の出来事は報告書で読んだが……旅団はやはり侵略し、破壊するだけの連中のようだ。魔族と大して変わらない。今回の企み、阻止する必要がある。同じ目的なら、協力しあえるとありがたい」 「ふん、気が向いたらな」 ロイと慎がささやかな会話をする。 健は魔女たちの睨みあいに苦笑いを漏らしていた。 「いいんじゃないの? 余裕があるなんて頼りになるじゃない」 「そうかもって、酒臭っ!」 「あら、悪い?」 ベージュスーツ、タイガースカート姿なのに、なぜか片手にはメスカル入りスキットルを持ってちびちびと飲む臼木桂花に健は呆れた顔をした。 「なによ、やることはちゃんとやれば文句ないでしょ?」 「酔ってないか、あんた」 「酔ってないわよ、たぶん」 眼鏡越しに睨む桂花。 「たぶん、かよ!」 思わず健は叫んだ。 「うっさいわね。私には、これがあるもの」 桂花が差し出したのは玩具のような銃。ターミナルで武器マニアとして知られている健はあからさまに顔を険しくさせるような代物だ。それで戦えるのか、いや、トラベルギアなら、どんな姿でも油断出来ないことは健もわかっている。 「ゲーセンの玩具だって思ったでしょ? まぁね、これはゲーセンの玩具だわねぇ。銃身から直接弾丸が発射されるわけでもないし連射もできないし、ホーミングの機能もない。でもジャミングしなけりゃ反動もない。弾込めも要らない、種類も効果も好き放題。金属探知機にもかからないからどこでも持っていける。いいことづくしで気に入ってるの、アタシ」 「う、うらやましく、なんか……ちょっとある」 血の涙を流す思いで日々壱番世界の警察さま、世間さまの目、金属探知機と戦っている健は素直に桂花の愛する相棒の前に頭をさげた。 「わかればいいのよ、わかれば。ついでにヒーリング機能もあるんだから、効果は小さいけど」 「ヒーリング……なら、怪我を負った仲間がいたら助けてやってくれよ、頼む」 「……人はいつか必ず死ぬものだし、運が良ければ生きるわよ。気にしても仕方ないんじゃない?」 「そうかも、しれねぇけど……俺はいやなんだよ」 この依頼に参加している以上、避けることは難しくとも、仲間から怪我人は出てほしくないのが健の願いだ。 桂花は冷ややかな目で健を見たあと、肩を竦めた。積極的に人を殺す気はないが、自分も周りの者の生死も運だと諦念にも似た気持ちで受け入れている桂花に仲間の安全を第一に考える健の考えは少しばかり青臭く見えるのは仕方がない。 「キキキ! 健ちゃんは甘いわねぇ! この世は弱者が強者に食べられるのが当たり前なのよ? 互いに食べたり、食べられたりがね! この世で一番の強者である私が全部食べてやるんだから!」 「あら、誰かと思えば、蜘蛛がこんなところに迷い込んで、おばかさんなことを口にしているわねぇ」 幸せの魔女を蜘蛛の魔女がきっと睨みつける。奥歯の音がするほど噛みしめた口は一文字に結ばれる。癇癪持ちの彼女がわめいたり、怒鳴ったりしないのはそれだけ怒りと嫌悪と憎悪の深さを表していた。 「私の邪魔したら殺すからね」 「それはこっちの台詞よ。私の邪魔をしたら殺すわよ」 二人の魔女には他者が迂闊に入ることも理解することもできない深淵のような、破局した絆が存在していた。 睨みあいは一分。互いに顔を逸らした。 「いきなり仲間割れか?」 「みたいだな。大切なときに、よりによって」 慎の言葉に健は頭をかいた。 「まぁ、同じ目的地にいかなきゃいいだろう」 「……それについて一つ提案だけど、みんなで、先に黒埼を叩いておかない?」 セリカの提案にロイが首を横に振った。 「いや、これだけの人数だ。一つにまとまって動くよりは、災禍と百足のこともあるから三手に別れたほうがいいだろう。トラベルギアしか使えない状態でワームと戦うのは得策ではないからな」 「リーリスもそう思うわ。まぁ、もともと、壱也お兄ちゃんのところに説得にいこうと思ってたのよね。なら少人数のほうがいいかも」 「説得できるのか?」 健が眉間に皺を寄せる。 「壱也お兄ちゃんのこと調べたときに、幼馴染の人に助けてほしいってお願いされたのよね。そのとき、一緒にいたハーデお姉ちゃんもシャンテルちゃんも同意しちゃったから……だったら、少人数だったら壱也お兄ちゃんを護衛している旅団には見つからないし、リーリスとかだったらお兄ちゃんも油断してくれると思うのよね? 三手に別れてそれぞれ旅団を相手にしていたら、そっちに注意が逸れて、接近しやすいもの。うまくしたら能力が使えるようになるでしょ? みんなで一緒の行動だとトラベルギアしか使えないままでもしものときすごくピンチになると思うの」 「決まりだな」 慎が太い声ではっきりと告げた。 「それぞれに得意分野が違うんだ。やりたいことをやればいい。それが最善ってやつなんじゃないのか?」 「そうね。わかったわ」 セリカはあっさりと自分の案をひっこめたあと自分の右手首に赤黒く染まった銀の鈴がついた黒いリボンをまきつける。 「……もう少しだけ、借りるわね」 「セリカお姉ちゃん、それ」 リーリスにセリカは悲しみなど少しも見せずに微笑んだ。 喜んでいた。 良質な食事は、それにとっては無上の歓びであった。このところ、そうしたチャンスが多いことも、一つの悦びだ。 今回も期待できそうだ。 たとえ、ドアボーイが閉店ですよ、と言ったところでかまうことはない。ドアは開くのを待つのではない。自分でこじ開ければ良いのだ。 それは世界という名の食卓の前に腰かけて、色とりどりの食材に、手をくわえていく。 調理もまた一つの娯楽であることを心得ていた。 焦りは禁物。 仕込みこそ丁寧に。 ――オードブルを 囁きが落ちる。 ――食事は長く楽しみたい 囁きが、囁きが、囁きが……堕ちる。 「ポッポ、ミネルヴァの眼で道案内、頼んだぞ」 健がポッポを空中へと放す。 「行くぜ」 荒馬のように唸るバイクに跨った慎、その後ろにはちゃんとヘルメットをかぶった健。横には蜘蛛の魔女とロイが並ぶ。 要塞を狙うことでまとまったグループは、先行を買って出た。 慎はバイク移動、蜘蛛の魔女は自慢の脚による移動力があるからだ。 「落ちたら捨てていくからな」 要塞までの最短ルートをナビするのと引き換えにバイクの後ろに乗ることを許された健だが、慎の対応はそっけない。男同士で優しくされたら健としても居心地が悪いだけだが。 一方、ロイは蜘蛛の魔女の説得に手間取っていた。 「蜘蛛の魔女、頼むぞ」 「えー! なんで私がぁ~……あきらかに重そうじゃないのよ!」 「一人で先行するほうが危険だ」 「この私が危険? はっ、ばかにしないでよぉ! この最強の私が危険な目に合うわけないじゃないのよ」 ふんと鼻息荒く、小さな胸を張る蜘蛛の魔女にロイは自分の個性豊かすぎる仲間たちを思い出した。 「俺は人間だからな、運んでもらわないと出遅れる。蜘蛛の魔女の力をぜひとも借りたい。最強の蜘蛛の魔女なら、俺を運ぶのも容易いだろう? 慎のバイクについていくのも」 「……ふ、ふん、あたりまえじゃないのよ!」 そこまで言われて「出来ない」と言えるはずもない。 「仕方ないから、私が力を貸してあげる。ただの人間じゃあ仕方ないものね! 私が最強だってところ見せてあげるんだから」 「ああ、頼む」 さすが、個性豊かな仲間たちをまとめているリーダーだけはある。 「大丈夫かなぁ」 見送ったベルファルドの顔は不安げだった。アジトから出る前に、全員に一列に並んでもらい、ダイスを投げた。 結果は2. ダイスがここまで低い数字を出したのは珍しいことでベルファルドを不安にさせた。 「大丈夫よ、ベルファルドさん、さぁ、私たちのために行きましょう」 蜘蛛の魔女が消えて機嫌が良くなった幸せの魔女はにこりと微笑んでベルファルドの片腕を恋人のように絡める。 「うん。ボクは魔女さんが行くところに一緒に行くよ」 「私たちは運命共同体ですものね」 健がポッポからの目の情報をノートで送ってくれる予定だ。 「それより、小さな子がいないわよ」 桂花がちびちびと飲みつつ呟く。 「リーリスは、黒埼を説得に行くっていっていたわ」 セリカが答える。 「一人のほうがいいからって……何かあったときは逃げるって言ってたから、信用しましょう……百足だけど、私が呼び寄せる事が出来るかもしれないから試してみたいの」 自分の手首についている鈴を見つめてセリカは言う。 「あら、じゃあ、セリカさんに蟲のことはお願いするわ。私は、傍にいるっていう人を相手にするから……色男さん、フウマって言ったかしらねぇ」 「私は、適当にフォローさせてもらうわよ」 ちびちびと酒を飲みつつ、桂花が言う。 五分後、彼らは走り出した。 囮になるというセリカを先頭に、静寂のなかで人の動く気配がする方向へと向かった。すると、すぐに手足をだらしなく動かした操り人形のような人間たちにセリカは手を掲げて鈴を鳴らせる。 「ここよ! 出てきなさい!」 この鈴でおびき寄せられれば……セリカの前に操られた人間たちが近づいてくる。 ――こっちが安全だよ ――こっちにおいで ――こっちに行ったら助かる ――こっちに ――こっち 囁きが、囁きが、囁きが落ちる。 セリカはその声を聞いて目を瞬かせた。 「これは、百足の? っ!」 予想以上の人間が蟻のように群がってくるのに戸惑った。流石に操られてだけの人間を銃で撃ち殺すわけにはいかない。 「頭を伏せて」 桂花が撃ったのは麻酔弾。これで動きをとめてくれればと思ったが、進行は止まらない。意識を乗ってられているので五感はほぼ失われているせいだ。 「っ」 一人が桂花に襲いかかってきた。せっかくの上着には無造作に伸ばされた手でよって乱暴に引き裂かれる。桂花は顔色一つ変えず、眼鏡の奥の瞳を細め、今度は氷結弾を放って動きを止めると顔を銃底のかたい部分で殴った。かっつんと鼻の折れる音とともに鼻血を吹きだして前のりに倒れる。 「痛ぁー……倍返しにするわよ。コンチクショウ」 桂花は群がる敵の足を狙って氷結弾を放ちはじめた。 桂花が遠距離の敵を牽制するのに、幸せの魔女も負けてはいない。 「この剣の効果、試してみましょうか」 くす。 花弁のような唇に残忍な笑みを浮かべて取り出したのは――夢破れの剣。 多くを不幸にし、殺していった剣は司書である黒猫にゃんこが厳重に保管していたのを幸せの魔女は魔法を使って見つけ出すと無断で失敬してきたのだ。 「鳴くまで待とう、不如帰……とは良く言ったものね。長い事待った甲斐があったわ。蜘蛛の魔女は本当にお馬鹿さんねぇ、こんな面白いものを簡単に手放すなんて」 夢破れた人の涙色をした透明な剣を見て幸せの魔女はうっとりと微笑んだ。百足対策として不幸をまるで感じる感覚が麻痺するハッピーキノコを食べておいたせいか、いつも以上にその微笑みは幸福に満たされていた。 「ま、魔女さん、それはだめなんじゃ?」 ベルファルドが叫ぶ。 「あら、大丈夫よ。私とあなたが一緒ですもの。……さぁて、試してみましょうか? き、れ、ろ!」 幸せの魔女が剣を振るう。狙うは操られている人間の体内にいる百足――まずは桂花が拘束した人間を試し斬りする、すぐに動かなくなった。 「あら、簡単ねぇ、簡単すぎて逆につまらないくらいだわ。今度は動いているのでも狙ってみましょうか?」 「魔女さん、気を付けないと」 「ベルファルドさんったら! ありがとう。後ろに隠れていてもいいのよ?」 先ほどから自分の横にいるベルファルドに幸せの魔女は微笑む。 「一緒にいるよ。ナラゴニアで別れちゃったあとも気が気じゃなかったから……頼りにしてるし、ボクもさ、決めたんだ。大切な人を危険なとこに残さないって! こうして一緒にいたらなにかあっても護られるって!」 「ベルファルドさん、そんなにも私のことを」 「うん、とっても大切だよ」 友達として、という大切な言葉が抜けているのは決してわざとではない。ついでにいうと、これが幸せの魔女限定というのでもないのはベルファルドがたらしとか天然ボケのせいでは断じてない。多少、言葉が足りなかっただけである。 「いちゃいちゃするのはいいけど、来たわよ、あれ」 桂花が見据えた先に、影が揺らぐ。 かつん、かつんとかたいものが石に擦れる音……壁を伝って現れたのはムカデだった。 ――まま 一般の美意識を持つ者ならまず嫌悪を抱くほどの無数の足と、平べったい甲羅に覆われた身体をうねうねと動かして向かってきた。 「そうよ、こっちよ!」 セリカは叫び、銃を構える。狙うは柔らかな目、口内、体の節目……ぎりぎりまで近付いてきたのを狙う。 「こっちも行くわよ」 桂花が構える。 「こいつの甲羅は任せて頂戴……き、れ」 幸せの魔女が剣を振るうと同時に、ムカデの背から俊敏に現れたそれが振り上げた剣を黒い鞘が受け止める。 「!」 鞘から刀を抜くと幸せの魔女に斬りかかる。 「だめだ」 ベルファルドの左肩に刀が落ちる。斬る、というよりは叩くという動きだった。 骨が砕かれる一撃にベルファルドは悲痛な声をあげて、地面に転がる。幸せの魔女は夢破れの剣を引いて、目の前の黒い影に突き刺した。本来はフェンシングのような剣技を得意とする彼女の突き技は躊躇いがなく一直線に――黒い影を突き刺したが、ゆらっとそれが揺らいだ。見ると、黒い布しかない。 「どこにっ……っ!」 背後から羽交い締めされた状態で幸せの魔女は空中へと飛ぶ。 おおよそ五メートルほどまで飛び、空中で影は幸せの魔女の首を片腕で捕え、背中に足を乗せるとばたつく足をもう片方の腕で縛り、そのまま腹部から落下していく。それも影は一メートルほどのところで幸せの魔女の背中を蹴って飛び去り、さらなる加速する。 「魔女さん!」 ベルファルドは自分をクッションにして、幸せの魔女を受け止めた。 「っ、ベルファルドさん!」 幸せの魔女自身、打撃の痛みに、息も絶え絶えだが下敷きになったベルファルドに叫んだ。 「よかった、無事、で……ボクの幸運、ちょっとは効果、あったみた、で」 ごふっとベルファルドは血を吐き出す。 「ベルファルドさん! ……あなたは」 身体にぴったりとくっついた黒装束に顔には狐の面を被った男は右手に刀を構えて、ゆらりっと動いた。 「顔を見せてくれないのかしら、色男さん……フウマさんだったかしら? ナラゴニアといい、ここでもお世話になったわね……貴方から奪われた幸せ、利子をつけて返してもらうわよ。たった今、奪った分も含めてね!」 幸せの魔女は冷ややかに告げると、夢破れの剣を片手に立ち上がった。 「殺しはしないわ、その両手両足を切り落として首輪をつけてペットとして飼い慣らしてあげるから」 狐面をつけたフウマは幸せの魔女を無視して背を向ける。向かったのは百足と戦うセリカたちの元だった。 百足と対峙した桂花は試しにダムダム弾を放つが、攻撃力があっても貫通力のない弾はまるで小石のように甲羅に弾かれる。 「口や節目なら効果あるかもしれないわ!」 「……なら動きを止めないとね」 桂花はすぐさまに氷結弾に切り替えた。 百足がセリカの前に来ると動きをとめたのに後ろの足に狙いを定め撃つ。後ろ足が凍りついたことに百足は大きく半身を起こすといやいやと顔を横にふる。 ――まま! たすけて! 操られた人間たちは百足とセリカを取り囲むと桂花にだけ突進してきた。多勢に無勢な状態で桂花は後ろに逃げるしかない。 セリカと百足が見つめ合う。 百足は足の氷を乱暴に破ると、セリカに顔を寄せてきた。そのチャンスにセリカは構えた銃で目を狙う。片目を打たれて百足が大きく身体をのけ反らせるのにセリカは今度は口を狙おうとして、手に痛みが走った。黒い手裏剣がふかぶかと手の甲に突き刺さっていた。 「夢結!」 フウマが声をあげ、百足の上に駆け昇ると、その頭に手を置いて叫んだ。 「落ちつきなさい! この女は母ではない!」 百足の嘆きに、操られた人間たちが凶暴な叫びをあげると桂花と幸せの魔女、ベルファルドに襲いかかる。 「桂花さん、ベルファルドさんを助けてちょうだい!」 「ボクは平気だから、戦って! ……けど、あのムカデ……こども?」 なんとか自力で起き上がり、幸せの魔女に庇われたベルファルドは嘆くムカデを見つめた。 セリカはじっと見ていた。 ――ままは ――ままは、わたしが、 ――ままは、わたしが、きらいなんだ!! 心に直接訴えてくる声――泣きじゃくる少女の映像となって心に流れて込んでくる。 「私のことを母親だと思っているの? ……これが、あるから?」 セリカは自分の手につけている鈴つきのリボンに視線を走らせると、再び手裏剣がセリカの腕を突き刺した。 「ああっ!」 セリカが痛みに悶えると、百足は頭上にいるフウマを振り落として地面に叩きるとセリカを傷つけたことに激怒したように威嚇の声をあげた。フウマは百足には一切攻撃を与えず、セリカに近づくと乱暴に結んだ二つのうち片方の髪の毛を掴むと、ひきずるようにして建物の小道に逃げた。 「離して!」 入り組んだ小道のなかで、フウマはセリカを投げ捨てた。 「誰かが干渉しているようだが……この際、見逃しましょう。報告は聞いている……渡しなさい。トラベルギアが力を封じるというならば」 セリカは身をかたくして、狐面のフウマを睨みつけた。 「あの子は、魂を食べてしか生きられない。トラベルギアが本当に力を抑えられるというならば、それを使えば……あの子が死ぬことだけ避けられる」 「あなた、何が目的でこんな……私は、きぃちゃんを止められなかった。だから、今度こそ退治するためにここにきたの」 「……目的? あの女と約束した。忘れ形見を護ると、何を犠牲にしても……百足は、夢結は、失敗作で魂を食べ続けてしか生きられない。この世界を侵略したあと世界樹はあの子を始末するつもりだ。俺はどっちでもいいんだ。世界樹も、世界図書館も……侵略に手を貸すふりをして、お前たちからトラベルギアさえ奪えれば、あの子が生かせるなら」 セリカは首を横に振った。トラベルギアは個に合わせたもので、セリカのものを与えたところであの百足を止める事は出来ない。 フウマは諦めたように手をおろした。 「あの子が生きれる場所はないのか……そうだな。あの子は愛を知らない、飢えしか知らない、母を知らない……夢破れの剣がここにある地点で、望みはないと思っていた……せめて、返してもらう」 「なにを……あ」 フウマは刀を振る。セリカの腕にあったリボンが斬り落とされ、瞬時に燃えて塵となる。残った鈴だけがフウマの手の中にあった。セリカが立ち上がって手を伸ばすと、両脚に手裏剣が刺さっていた。 「これは、俺のものだ……きぃ、もっとはやく、護っていれば」 フウマの仮面をとる。瞳から零れ落ちる透明な涙が鈴を濡らす。 セリカは不意に視界に落ちる影に顔をあげると、そこには狂った百足がいた。 ――まま、まま、ままが、わたし、きらいなら、こんなせかい、こわれ ちゃえ! セリカのなかに流れ込んだのは泣き続ける少女の狂った笑い。母を求めながら、それがいないと理解したとき、百足のなかの純粋な渇望は容易く狂気に変わった。それに味方も敵も存在などない。 百足はまず手前にいたフウマの首筋に噛みついた。フウマは本来回避できる攻撃をあえて避けず、百足が食らうままに任せた。 フウマの目的は、ただ百足を護ること。百足が追い詰められた際には自分の命を差し出すためにも傍にいたのだ。 百足の分身たちが地面を這いめぐり、人間を操りだす。 「私は」 セリカは恐怖と闘いながら奮い立つ。食べつくしたフウマの肉体を投げ捨てたムカデを見据えて、銃の引き金をひき、咆哮をあげながら突進する。 「行くわよ!」 背後から駆けつけた幸せの魔女が夢破れの剣を振るいあげる。 「き、れ、ろ!」 距離を斬り、一気にセリカのところまで三人は飛ぶ。 幸せの魔女に操られた人間が群がるのにベルファルドは迷った。 「ベルファルドさん、行って! 私は幸せの魔女よ! どんな災いだって退ける!」 その声にベルファルドと桂花は迷わなかった。 操られた人間を桂花が氷結弾で動きを封じるとベルファルドが前に出ると、ダイスを百足に向けて投げた。――1. 「セリカさん! いまだぁ!」 ダイスの数字は低かった。しかし、ベルファルドはありったけの声で叫んだ。 百足の動きが鈍りだしたときセリカは持っていた銃弾を使い果たした。怪我をした百足が大口を開けて襲いかかってくるのに隠してあったナイフを叩きつける。 ――まま、まま、ままぁ! 血を噴き出す百足は大きくのちうちまわる。セリカは必死に百足の口元にある牙にしがみついて、動きを封じる。 「桂花、銃弾をお願い!」 暴れる百足の腹にダムダム弾を撃つ。弾は貫通し、百足の体内を破壊した。 ☆ ☆ ☆ 「こっちだな?」 「おう!」 バイク越しに話しかけられた健は叫び返す。 健の案内によって極力、人の少ない道を進むが、血の匂いを嗅いだ獣のように操られた人間たちが現れる。慎はそれらを相手にせず、驚くべきバイクテクニックでじぐざぐに走り、障害物を避けて災禍まで真っ直ぐに進む。その上でロイと巨大な蜘蛛の脚をくるくると器用に動かしながら、建物と屋根を跳びはねて移動する蜘蛛の魔女。 幸いにも地上にしか操られた者はいないので、障害はなかったが、災禍の前にはそれ以上に大きな建物はないので地上に降りるしかない。 蜘蛛の魔女は舌打ちすると脚を使い、彗星のように落ちて地上に着地する。 「ほら、降りてよ! ほんと、石で出来た薔薇なんて美的センスがないじゃないの? ふん、こんなものしか用意できなかったコンチキチに私達が負けるはずないんだからね」 「オレはこの世界には相応しいと思うがな」 「けど、入口らしいものはないみたいだぜ」 バイクを止めた慎の見上げる後ろで健はポッポの目から災禍に入口がないことを知ると顔を険しくさせた。 「一気に叩くぞ」 慎がバイクを唸らせる。 「建物をか? おい、無茶するなよ」 「気が向いたら迎えにきてやる。降りろ」 そう言われたらただの人間である健はバイクから降りるしかない。此処で足をひっぱるわけにはいかない。 慎が触れたのは腰につけた変身ベルト。 「お前らは、時間を稼いでくれ」 災禍の周りにはすでに追ってきた人間たちが取り囲みだしている。健はトンファーを抜き、蜘蛛の魔女は牙をむき出しに、キキ! と鳴くと獰猛な脚をうごめかした。ロイは鞘ごと剣を構える。 ――。 放たれた矢の如く人間たちが襲いかかってくる。ロイが地面を蹴って一人の胴を薙ぎ払い、さらに素早い動きでもう一人を叩く。それはまるで風車のような滑らかな、それでいて畏怖すら感じさせる動きだった。 健は向かってくる人間の攻撃を受け流す。蜘蛛の魔女はそのよろけた人間たちを脚で殴り、掴んで、投げ飛ばしていった。 「健ちゃんはホントに甘いわね! 私があんたの背を護ってあげるの、ありがたく思いなさいよ!」 「ああ、助かるぜ!」 ぶるる……バイクのエンジンを唸らせ、慎は災禍の壁に向けて突進した。壁とぶつかるぎりぎりの瞬間、ベルトに手を伸ばし、カードをセットする。 「変身っ!」 電子音が軽快に鳴り響き、一瞬の爆ぜる光に包まれた慎がバトルスーツ姿となる。それらにバイクもまた力を得たかのように高らかに吼えた。 ばきぃ! バイクが壁に衝突した際、壁にひびがはいると熱されたバイクのエンジンが限界を迎えて爆発する。 激しい爆発音と風圧があたりを包む。 「慎さん!」 健が叫ぶと、紅蓮の炎と壁に穴を開き――慎が立っていた。 「こいつらの相手をしていてもキリがない。行くぞ!」 ロイが怒鳴ると健は蜘蛛の魔女とともに駆けだした。その後ろをロイは護りながら災禍のなかに侵入する。 ――ここから絶対に逃げない 健は一瞬足を止めて、怪訝な顔をした。今、何かの囁きが聞こえてきがした。 「健、走れ!」 ロイが怒鳴る。 「っ!」 いきなり足元に矢が放たれて健は冷や汗をかいた。 「なっ! どんなホラ―屋敷だよ、こりゃあ! ポッポ、中を偵察してきてくれ!」 転げそうになった健の手をロイの掴んで駆けていく。その上空では待機していたポッポが健の命令ではばたきながら飛んでいく。 災禍の内部は螺旋階段で出来ていた。 人の気配はないのに、悲しい女の悲鳴のような音が聞こえてくる。 「キキ! 私が弱者? 笑わせないでよ。生まれた時から強者である私が一番強いに決まってるじゃない! 私ったら最強なんだから!」 矢を脚で叩き落としながら蜘蛛の魔女が宣言すると、ぴたり、と矢が落ちてこなくなったが、いきなり左右の壁がいきなりぱかりと開くと甲冑の剣を持った騎士が現れる。 「おい、刺激するなよ! 後ろは……」 無数の甲冑の騎士が剣を構えているのに健の顔が強張った。 「ふ、ふん! こ、こんなやつら私だったら大丈夫なんだからね!」 強気に蜘蛛の魔女が言い返すが、その顔は若干、いや、かなりひきつっていた。 「任せろ」 静かに慎は言うと、カードをセットし、その姿を変化させる。パワータイプの姿になると、甲冑に真っ直ぐに突撃、拳を打ちこむ。 どん! 空気を震わせるほどのパワーが甲冑たちをまとめて薙ぎ払っていく。 「こいつら、スピードはたいしたことがないぞ!」 背後から襲ってくる甲冑たちの剣を盾で受け止め、突き技を繰り出して押し倒したロイが叫ぶ。 「こいつら中身のない雑魚じゃない!」 甲冑のなかがからだとわかると蜘蛛の魔女は脚を動かす。 「っ、俺も……ポッポ! 上からくるぞ!」 健が叫ぶやいなや無数の剣が天井から落ちてくる。 「こんなものぉ!」 「はぁああ!」 蜘蛛の魔女は脚を傘のようにして我が身を護り、慎の拳が高く振り上げられて剣を砕く。健は二人が剣の攻撃を防ぐ隙をついて甲冑たちが斬りかかってくるのに破裂手榴弾を投げた。 爆発音が轟き、甲冑の数体が吹っ飛ばされるが、それでもまだ溢れてくる。 「火力不足かよ、ちくしょう!」 「いや、十分だ」 慎が告げる。 雨のように振り続く剣がようやくおさまると慎と蜘蛛の魔女はほぼ同時に前へと駆け出る。二人の重い一撃に甲冑が薙ぎ払われ、道が出来ていく。 「壁から出てきたなら、こうしてやるわぁ!」 甲冑が出てくる入口に魔女は到達すると、蜘蛛の脚で壁をしめにかかった。がちゃがちゃと苛立ちの音をあげる甲冑たちが剣を隙間から出して蜘蛛の魔女の脚を突き刺したが、それを無視して力技で扉を閉めてしまう。 「えーい! 慎、左のは!」 「これで問題ないだろう」 慎はそのパワーを使い、入口を叩き潰して甲冑たちの出現を封じるという荒技に出た。 階段を進むなか、ポッポのおかげでいくつかのトラップは何とかくぐりぬけることに成功したが、健は持ってきた爆弾をすべて使い尽くしてしまった。 災禍の上に出ると――花弁の部分は剥き出しの石、その中央にある花托の部分がもりあがり、細い光を放っていた。 殺風景なせいだろう、鎧のケンタウロスのシルバィと黒いコートの水薙の姿はすぐに見つけることができた。 「水薙!」 健が叫んだ。その顔を見たとき、どうしようもない怒りが湧きあがってきた。 「お前、なにしてんだよ!」 水薙が片手をあげると、その背後に――小さな大砲が現れた。 「まさか……こんな建物をたてる能力はなかったよな? だって、水使いだもんな。なら、ここを操っているのは……ドンガッシュに自分の魂を売り渡しちまったのか? なんでだよ、あんたの帰りたい世界って、こんなものなのかよ! こんな殺伐としたものが」 「黙れ」 低く、強い声だった。 「この世界を否定することは俺が許さない。もし、もう一言でも否定するなら、お前たち全てを殺す」 「うるせぇ! 俺は言うぜ! お前がクルスを連れていったんだろう! ハイキのマスターとして生きる目的を与えてやったんだろう! 俺よりも大人なんだろう! 仲間たちに信頼されてたんだろう! なのに、なのになんでだよ! 仲間を巻き込んで、こんなことしてんだよ!」 水薙は健が叫びたいように、言いたいように言わせた。 健の叫びは、そのまま彼自身の傷であった。護りたいものを護ろうと今まで必死になってきた。けれど、大切な人たちは誰一人、健には相談せず、進んでいってしまった。 「……っ、なにか言えよ! あんたは誰かの希望になれたのに、それを自分で放棄したのかよ。ちくしょう!」 鋭いランスが掲げられた。 「水薙殿にそれ以上の言葉、拙者が許さん」 「シルバィ……いいんだ。好きにいわせてやれ」 「否、水薙殿が好きでこのようなことをしていると思っているのか! 裏切ったお前たちがそれを言うのか!」 静かな怒りに健は右頬を叩かれたように黙った。 「お前たちは、何のために戦う。しゃべれる内に教えろ。オレはどっちでも構わないがな」 慎の問いに水薙もシルバィも答えようとはしない。答えるべき言葉がないのか、それとも答えたくないのか。 「お前たちは戦いを望んでいるのか?」 「黙れ。無粋な会話は終わりだ。時間が惜しい、殺し合いをはじめよう……シルバィ」 「うむ」 健がまだ言い足りない顔をするが、その肩をロイが叩いた。 「来るぞ」 「っ! くそぉ!」 ほぼ同時だった。 世界樹旅団たちが地を蹴って向かっていくのと、迎え撃つ世界図書館が駆けだした。 蜘蛛の魔女は無造作に飛び回り、サブマシンガンを水薙に向けて撃つ。それを彼は腕で顔を防ぎ、間合いを詰めてきた。 「麻痺しなさい!」 鋭い爪を腕に突きさすと水薙は腕を無造作にちぎって、投げた。 「爆弾だ!」 健が叫ぶ。 爆発に吹っ飛ばされた蜘蛛の魔女が地面に叩きつけられると、大砲が光を集めて――閃光を放つ。 「やべぇ!」 健がぎりぎりのところで蜘蛛の魔女の腕を掴んで庇う。蜘蛛の魔女が先ほどまでいたその場所を閃光は鋭く走り、地面を抉り、雲に穴が開いた。 「うそ、だろう……あんなものがあったら、ひとたまりもないぜ」 茫然とする健は水薙に視線を向けた。彼は何も見ていない。それが健にはたまらなく腹が立った。 「なんでそんな顔して、戦ってんだよ! ……わりぃ、隙を作ってくれないか?」 「ふん、仕方ないわね! 協力してあげるわよ!」 シルバィはロイと慎を相手に健闘していた。鋭いランスの突き技をロイは剣と盾で受け、タイミングをはかった慎のパンチとキックが炸裂する。シルバィは本能的に慎のパンチを恐れ、バックステップで回避、慎を狙い、反撃の隙を与えないように猛然と突く。 「っ、スピードか。だったら、こっちらもそれでいくぜ! ロイ」 「任せろ!」 戦い慣れた二人はすでに互いの呼吸を理解していた。慎が変身する時間を稼ぐためロイがシルバィと向かいあい、剣とランスを打ち合わせる。 剣戟に、火花が散る。 シルバィが、いきなり後ろに引いて嘶いた。 LaLaLaLaLaLaLaLaLaLa! 前足をあげて後ろ足二本で立つ、その姿はまさに巨人だった。ロイを圧倒すると、その体勢でランスを両腕操り、ハンマーのように振り下ろした。さすがに、剣で受け止めきれるものではないとロイは判断して盾に手をかけると、その前に割り込む影があった。慎だ。彼は両手を頭上でクロスさせ、ランスを受け止める。 「くっ……!」 「耐えろ、慎!」 ロイは盾を捨て、両手に剣を握りしめるとシルバィの胸を突き刺した。空洞を真っ直ぐに貫いた感覚はまるで手ごたえがない。 「うおおおおおおおおおおおおっ!」 ロイが力の限り叫び、突進するのにシルバィも抗う。 「我が剣殿よ、どうか、我に勝利をっ!」 「させるかぁああああ!」 慎のパワーが、シルバィに勝った。ランスを薙ぎ払うとロイの手に手を重ねる。 「いくぞおおおおお」 「うおおおおおおおおお」 二人の咆哮が空気を震わせ、爆ぜる――! シルバィは吹き飛ばされ、地面に倒れる。よろよろと起き上がった、その胸にはロイの剣で打ち砕かれた穴を中心にひびが入っている。 「……我が剣殿、せめて……護るというならば……我が存在が、たった一人の主を護るために作られたというならば! ああああああああ!」 シルバィは叫びあげると、立ち上がり猛然とロイと慎に襲いかかった。 片腕を失った状態の水薙は冷ややかに健を見つめていた。 蜘蛛の魔女が高く跳びあがり襲いかかるのに水薙は逃げない。真正面から片方しかない腕で殴りかかる。乱暴な一撃に蜘蛛の魔女は吹き飛ばされるが、彼女は彼女のするべきことを果たした。 隙をついて健は水薙の間合いに入ると、手に持っていたトンファーを離し、拳を握りしめると右頬を殴り飛ばした。地面に崩れる水薙は口から血を滴らせて、健を睨みつける。 「っ、立てよ! まだ立てるんだろう! なんだよ、さんざん偉そうなこと言って、ふぬけやがってよ!」 水薙がふらつきながら立ち上がろうとしたとき、その背に閃光が走った。 災禍の大砲が水薙を撃ったのだ。いくら鉄壁の護りを発揮するコートでも、その一撃は防ぎきれなかったのか、倒れた水薙の背中は素肌まで見え、赤くただれていた。それだけで済んだのは奇跡といってもいい。 ごほっと水薙は血を零し、立ち上がれないのにロイと慎を薙ぎ払ったシルバィは突如として、持っていたランスをその背に投げた。 ランスによって水薙の左肩が突かれ、地面に縫いとめられる。 一体、何が起こっているのか、健は唖然とした。 「なんで、あんたは仲間じゃ」 「殺さねば、殺さねば……主以外は殺さねば! 弱い者などいらぬ、ああ、ああああああああああああああああああああああああ! 破壊してくれ! 拙者たちを破壊してくれ! たった一人、この要塞の主君を護るためだけに作られた! しかし、もう主君もいないというのに! ただただ殺していくしかない! 拙者たちは誰も、何も護れない! あああああああああああああああ!」 悲痛な悲鳴が意味するのはシルバィこそがこの要塞の主であること。否、この要塞の宝具。――弱い者を排除しつづけるトラップの一つが、なんの因果か覚醒したのがシルバィとネファイラなのだ。 水薙とシルバィがいても要塞のトラップは発動しなかったからくり。水薙が要塞の主のふりをしたのは、自分に敵をひきつけて、シルバィの死亡を少しでも回避するための演技だった。 「ああああああああああああああああ!」 狂いの悲鳴を最期に、シルバィはぴたりと何も言わなくなると水薙の元に駆けると、ランスを乱暴に引き抜き、その身体を蹴り飛ばし、要塞から排除にかかった。 次に狙うのは健だった。 「させないわよ!」 蜘蛛の魔女が前に出て脚をうごめかすと、ふっと風が凪ぎ――脚がまとめて二つ斬り落とされた。ランスが蜘蛛の魔女と健の肩を貫いて壁に縫いつけた。 「はぁああああああ!」 慎が殴りかかるのにシルバィはまるでダンスのステップを踏むように動き、拳を避け、後ろ足でキックを放った。 「っ! うお!」 その足を両手で受け止めた慎は投げた。 「ロイ!」 「任せろ!」 ロイが地面に叩きつけられたシルバィの体を貫くが、やはり、手ごたえはない。 「くっ!」 ロイを薙ぎ払ったシルバィは立ち上がると、突然と走り出した。花の中心にある光から剣を取り出した。 それはシルバィの相棒であるネファイラであった。本来は美しい刃は無数の蜘蛛の巣のようなひびが入っていた。 ドンガッシュの能力で作り上げた世界はダメージを受けた場合、それは己に転移する。 LaLaLaLaLaLaLaLaLaLa LaLaLaLaLaLaLaLaLaLa! それは要塞自身の雄たけびだった。 「ラグナロク!」 シルバィが持つ最強にして最悪の技。 この技を発動すればひび割れた剣が砕けることも、もう要塞の一部と帰すことを選んだシルバィはわからない。 力の発動から生まれる大気の威圧はロイに片膝をつかせ、慎の自由を奪った。最悪なのは壁に縫いつけられた健だ。倒れることもできない身体は限界を迎えて、内臓が潰されるほどのダメージに血を吐き出す。 「しっかりなさいよ!」 蜘蛛の魔女にしても同じことだが、ぎりぎりのところで耐えていた。 「うおおおおおおおおおおおおおお!」 慎が、気合いの入った声をあげた。シルバィの声を聞いたから、彼が引き下がれないことを慎は理解したから。だからこそ 最後まで付き合ってやるしかない。自分のすべてで応えてやる! 「うおおおおおおおおおおおおおおおっ! 全部、オレらぶつこけてこい!」 全身に纏う闘気が慎を包む。 閃光が、要塞の半分を吹き飛ばしながら慎たちを飲みこもうとする。 慎は逃げない。その背には仲間たちがいる彼は。 「慎! ……魔法が、使える! よし、キュア!」 ロイは自分の身を回復するとありったけの力で走り出し、慎の横に駆けた。 「お前」 慎が驚いた声をあげるのにロイは剣を構える。 「お前にだけ、任せるわけにはいかない! 行くぞ! ……ボルティクスラッシャアアアア」 ロイが両手に握りしめ、掲げた剣は白い力――それは稲妻だ。――帯びて、一メートル以上の大剣と化すと振り下ろされた。 「きりさけぇええええ!」 閃光と閃光がぶつかりあう。 「行くぞぉぉぉ! インフィニット・アイテール!」 ぶつかった巨大な力が打ち消し合ったタイミングで慎がシルバィに己のすべての力を叩きこむ。剣が砕け散る――シルバィの手が伸びて、慎の首を締めあげる。 「させん!」 ロイが突進し、剣をシルバィのなかに突きさす。 「〇距離だ。食らうがいい!! ギガボルトぉぉぉぉ!」 慎がしっかりとその両手を握りしめてシルバィを逃がさない。 轟! 雷撃はシルバィの身を内側から貫き、その美しい甲冑は黒く焦げた。シルバィは足を踏みならし猛る。 「まだ動くか……!」 「くっ」 ロイと慎の顔に緊張が走る。 「シルバィ!」 背後から悲痛な声がすると、落とされはずの水薙がいた。彼は己の血を操ってぎりぎり要塞にしがみつき昇ってきたのだ。 「シルバィっ! もうやめろ、もういい! 今すぐに壱也に連絡してドンガッシュの力を無効化させる。だから、動くなっ!」 這いながら呼びかける水薙の悲鳴にたけ狂っていたシルバィの動きが一瞬とはいえ止まった。 「礼を、言わなくては……いけないな。ようやく、自由に、なれ……すまぬ、すまない……せめて、水薙殿を、……助け……く」 再びシルバィはたけ狂い、ロイと慎を薙ぎ払うと咆哮をあげた。 次の瞬間、その銀の鎧の全身にひびを入り、脚先から砕けていく。 「シルバィ!」 水薙はよろけながら、駆け寄ろうとするが、要塞もまた限界を迎えていた。花弁にはひびが入り、崩壊直前だ。 「おい、お前はどうする」 慎は声をかける。 「こちらに来るか? お前のことを歓迎する奴もいるだろう。オレは面倒なのは嫌いだがな」 水薙は慎を睨みつけると、ふらりと立ち上がり首を横に振った。 「水薙!」 なんとかランスを引き抜いた蜘蛛の魔女のおかげで自由になった健は叫ぶ。 「あんたはそれでいいのかよ!」 「……俺は、ここから逃げない。俺は……これ以上」 そのとき機械音が轟き、水薙は弾かれたように顔をあげると懐からウットパットを取り出した。 水薙はそれをじっと見つめると祈るように抱きしめた。 「……仲間が、あんたを求めてんだろう! なら生きろよ! 」 じれった健が叫ぶと駆けだした。動けない水薙の片腕を掴んでひきずるのに慎もくわわった。 「もう時間がない! 迷うな!」 水薙は反論しなかった。 「しかし、このまま階段を降りていくのは」 「もー! あんたたち、私のこと忘れてない? この蜘蛛の魔女さまを!」 蜘蛛の魔女がヒステリックに叫んだ。 「私の糸はきれないんだからねっ!」 蜘蛛の魔女が弾力のある糸が要塞の床につくと、彼女はそのまま一気に地上に落ちた。 「バンジージャンプかよ!」 「迷う暇はない。俺がこいつを背負って降りる。ロイは健を背負え」 蜘蛛の魔女が残した糸を掴んで水薙を背負った慎が続き、ロイが健を運んで地上に降りる。全員が地上に降りたと同時に、要塞はその姿が、まるで花が枯れるように消えた。 健は呆然と立ちつくす水薙を見た。その手にしっかりと握られたままのウットパットの画面にちらりと目にはいった。 『送信者:カップ=ラーメン 本文: 死にたいなら構いませんが、何かしたいなら手伝いますよ』 と。 「水薙、あんたには、あんたには仲間がいるんだ。まだ」 「……助けられたことには礼を言う。シルバィのことも含めて……俺はここで捕まるわけにはいかない、カップが、あいつが俺を呼んでる……悪いが、俺を連行するというなら殺されても抵抗する」 水薙はウットパットを口にくわえると、片手に血の剣が生み、構えると後ろへとじりじりと退避していく。 「待ちなさいよ!」 「待て、蜘蛛の魔女、追うな」 ロイが止めるよりもはやく蜘蛛の魔女が襲いかかろうとしたが、水薙は血の剣を矢に変えて撃つと赤い霧に変化して視界を遮る。 「おい、坊や」 「なんだよ!」 「名前は?」 水薙の問いに健はぐっと拳を握りしめた。 「健、坂上健だ! ちゃんと覚えろよ!」 霧が晴れたとき、水薙の姿はなかった。ただ地上に転々と血のあとがついていた。 「このあとを追えば、あいつ捕まえられるんじゃないの! あれだけ血を流して深手なんだから!」 「いや、捕獲しようとすれば死ぬつもりだ。……すぐに会うことになるだろう、そうだろう、健……旅団もこれで余裕がなくなるはずだ」 「ああ、たぶんな」 ロイの声に健は滴り落ちた血のあとをじっと見つめて拳を握りしめた。 慎は変身を解き、前髪を風に揺るがせながら目を眇めた。 「……どうやらオレはオレの世界を救う前にやるべきことができたようだな」 ☆ ☆ ☆ 力が使えるようになったリーリスは鳩の姿で、精神感応を全開にセリカから得た情報を元に旅団が隠れているアジトに辿りついた。 近くの木の枝にとまって窓からなかを覗き見ると、ハングリィが悲鳴をあげた。 「シルバィ、シルバィ! うそでしょ! 壱也、あんたは言ったわよね? この件が終わったらドンガッシュの力を無効化して、シルバィを助けてくれるって! 今すぐに無効化して! シルバィを助けて!」 胸倉を掴まれた壱也は首を横に振る。 「今更無効化してもシルバィは死んでる」 「っっ! この役立たず! シルバィが死んだ? くそ、ちくしょう! あいつら、あいつら殺してやる、殺してやる!」 壱也を部屋の隅に投げ飛ばしたハングリィは憎しみと悲しみに支配されて泣くのにゴーストは冷ややかに見ていたが、ふいに振り返った。リーリスはぎょっとするとゴーストはにっと笑った。 「面白いことをする奴がいるじゃないか。ふふ、自殺できないように心を削いだわけだ。まぁ、俺には通じないけどね。さてと、ちょっと用事があるから行ってくる。お前はお客さんを相手してやりな」 ハングリィが顔をあげてリーリスを捕えた。 やだわ。 リーリスは舌打ちすると、すぐに窓からなかにはいるとその姿を少女に戻した。幸いなのは力が戻っているということだ。 「ふーん、自分は手を下さないんだぁ?」 「まだ、完璧じゃないからね。あなたの相手をしている暇はないのよ。ああ、ちょっとだけサービスしてあげる」 ゴーストが片腕を動かすと、リーリスの影が動いた。とたんにリーリスの全身に苦痛が走った。細胞の一つひとつが打ち砕かれていくような、けれど、それは実際に体が破壊されているわけではない。 「苦痛の記憶、あなたにあげるわ。じゃあ、あとはうまくやれよ。ハングリィ、こいつ、物理的な攻撃じゃ死なないから、食ってやれ」 大剣を構えたハングリィが襲いかかってくるのにリーリスは後ろに逃げる。 乱闘を見てにやにやと笑うゴーストはひらひらと手をふって去っていく。 「悪いけど、ここ、通してくれない? おねぇさん」 赤い瞳をリーリスが輝かせるが、ハングリィの攻撃は止まらない。 「そんなもの、効かないわよ。私にはね!」 特殊能力を一切と受け付けないハングリィはリーリスの魅了も弾き飛ばし、敵意をむき出しに剣を振るってくる。 「っ」 なんとか避けた、と思った瞬間、ハングリィが口を大きく開けて、リーリスの腕にかぶりついた。 それは肉が引き裂かれる痛みだったのか、ゴーストが残した激痛の記憶だったのか。 ハングリィはなんとリーリスの片腕の柔らかな肉を食いちぎった。 「私はね、なんでも食べれるの。魔法とかそういう特殊なことは一切通じない。私が触れれば、それは私の現実になる。いつもおなかがすいてるの。あんた、なかなかおいしいじゃない。ずたずたに引き裂いて食べてあげるわ!」 「おなかぺこぺこなんてかわいそう。けど、ごめんね、食べられてあげるわけにはいかないの」 リーリスは浮遊すると部屋の隅で荒い息遣いで倒れている壱也まで飛ぶ。ハングリィの剣がリーリスの片足を叩き切るがあとで回復できると無視する。壱也を後ろから抱きしめて屋敷から飛び出し、空中に逃げた。 近くにあった建物の屋上にリーリスは壱也を降ろした。 「お兄ちゃん、起きて」 「……世界図書館の……?」 「私、真人お兄ちゃんとあかりおねぇちゃんから伝言を預かってるの。たとえ人を殺しても戻ってきてほしいって、ずっと待ってるって。ねぇお兄ちゃん、誰かの嘆きや憎悪で壊れちゃうほど世界は脆くないわよ? 数が集まれば力になるけど、より多くの力に叩き潰されるだけよ? ねぇ、お兄ちゃんが戦わなくちゃいけない相手は別にいるでしょ?」 リーリスは小首を傾げる。 あかりと真人の名に壱也の顔は少しだけ歪んだ。壱也は好きで旅団に協力しているわけではない。 たまたま覚醒し、旅団に拾われ、そこで彼は戦うしかなかった。 迷いをリーリスは敏感に感じ取る。 「壱番世界を狙わないと、クランチと取引をした。そんなことをあいつが護るはずもなかったが」 「お兄ちゃん」 壱也は自分が侵略に手を貸す代わりに、壱番世界にだけは手を出さないとクランチと交渉した。けれどそれは聞きとられることはなかった。いいや、はじめからクランチは応じるつもりなどなかった。 結果が出ないと責め立て、壱番世界を侵略し、プレッシャーを与えて壱也を自分の好きに操り続けた。 「世界なんてどうでもいい、ただ、俺は、二人に、あの二人にだけは生きてほしかった。言い訳はしない。殺したければ殺せばいい。それだけのことをしたんだ」 「大丈夫だよ」 リーリスは優しく語る。それには多少の嘘も交じっているが。 「もう、いいんだよ」 リーリスはそのままヴェルシーナの屋敷まで気を失った壱也を連れていった。マフィアたちを相手にリーリスは壱也の身柄を引き渡す。 「このお兄ちゃんね、友達の命を握られて仕方なく戦っていたの。貴方たちならこの意味わかるでしょ? だから匿ってほしいの」 魅了全開のリーリスの言葉に反論できる者などいるはずもなかった。 何かを感じて治癒されたベルファルドははっと顔をあげた。 ふわりっと全員の前に降り立ったのは女だった。彼女が片手をあげると、突如として百足とフウマの遺体が黒い影に飲みこまれた。 「あなたは! 何者!」 幸せの魔女が剣を構えるのにベルファルドは目を見開いた。 「……キミ、もしかして、シャドウ?」 女は、ゴーストは微笑む。 「あら、あの? まぁまぁ、素敵ね。ここであなたも倒せるなんて! いますぐに……き、れ、ろ」 幸せの魔女が振り下ろした剣は、なぜか、ベルファルドの足が斬られた。それは誰にしても予想外のことだった。 幸せの魔女は突然と我を無くしたように笑いだした。 「きれろ、きれろ、きれろ! あははははははははは! 不幸の魔女、愛してる!」 夢が、夢が、彼女を支配する。もう散ってしまった夢が、破れてしまった夢が、幸せの魔女の心を飲みこんでいく。 「あーあ、馬鹿ね。矢部の剣を使えるのは、旅団でも銀猫伯爵一人だけだったと聞いてなかった? そして、その剣が使用されるたびにどんなことが起こったのか聞いてなかった? 使用者も、その周辺の奴の夢も、命も全部食らっていく剣を」 「幸せの魔女さんっ!」 ベルファルドが飛び出す。桂花が覚醒弾をほぼ同時に撃つ。 振り上げられた剣は幸せの魔女の体がふらついた拍子に、運良くもベルファルドの右横に突き刺さり、ぱきんと音をたてて柄と剣の――五ミリ程度のつなぎの部分が割れた。 どんな攻撃も、重みも防ぐ剣であるが、それには唯一の弱点。 固定されたつなぎの部分は、他の部分と違い、とても脆いのだ。 幸せの魔女が倒れ込むのをセリカが支える。 折れた剣と柄も黒い影が飲みこんで、消してしまう。そして、いきなり現れた炎がベルファルドとゴーストの二人を包んで壁となって燃えあがる。 「運悪く、折れちまったねぇ。ごちそうさま」 「……キミのことずっと考えていたんだ。自分を大事にしろって言ったけど、君は自分がないからこんなことしてるんだって、けど、違った。君は君だからそうしてるんだね? だから、ボクは君の行動を阻止する。ボクの意思も君に負けてない」 「それで?」 「え」 「俺は俺だと言うが、何者だろうねぇ。俺は……死んだ女の体、シャドウという記憶……ねぇ、あなたのいう私ってなに?」 ゴーストが微笑む。ふっとその顔から表情が失われた。ベルファルドは怪訝な顔をした、今まで感じていた不愉快さが失われていく。これは。 「……銀猫伯爵、助けて……けれど、あの人は死んだ。裏切られて、死んだ、だから」 それはゴーストがのっとった女の記憶。もし、記憶が魂と呼ぶならば、それはずっとゴーストのなかにあった。 「もしかして、マチルダさん? 生きて」 ベルファルドが手を伸ばそうとしたとき、彼女の衣服が黒く染まった。黒い翼がマチルダを覆い尽くし、その顔に鴉の仮面があらわれる。 「もう、私はいない。抵抗、できない……私はもう花じゃない。白鳥にはなれない……愛を失った大鴉! う、うけけけけけけけけけけっ! ありがとう、幸運な男、お前の運の良さをずっと待っていたよ。この体、奪ったはいいけど、マチルダの記憶がずっと邪魔でなぁ。けど抵抗され続けていたから、お前が必要だったんだよ」 「ボクの力? ……まさか」 ベルファルドは蒼白になる。敵の運をとことんさげる力によって、マチルダは抗う力を失い、先ほど、ゴーストによって飲まれたのだ。 「ようやく、手に入れた! 絶望の大鴉! ふふふ、ありがとう。だから答えてあげる」 ゴーストは小首を傾げた。 「ねぇ、ベルファルド、俺は何者だろうねぇ。お前が肯定した俺というものは、所詮は、お前の記憶のものでしかないだろう?」 ベルファルドは混乱する。 「キミは」 「ねぇ、ベルファルド」 囁かれる言葉とともに周りから悲鳴が走るのにベルファルドが振りかえると、桂花も、セリカも蹲っている。 「フウマの貝の力と夢破れの剣の力を使用してみたんだ。自分たちの一番楽しい思い出を見て、失っていく様子を繰り返し続ける。ちょっと遊びのつもりが、わりと効いたようだねぇ。フウマの幻影は痛みとかそういうのでは抜け出せないからなぁ」 「ひどい!」 「けどお前は夢を見ない、過去も見ない。だから、この力は使っても意味がない。ねぇ、それであなたは何者なの? ベルファルド」 ゴーストは逆に問いかけるが、答えは元より期待してなかったようだ。すぐに背を向けてしまった。 「俺はね、ナラゴニアにいる可愛い子のためにも、何者かにはなってやりたい。あの子の手を握りしめていてやりたいからね。もう、やめるつもりだったけど、見つけちまったからねえ。ふふ、あの子が俺を肯定してくれたら、何かなれるかもね。さて、そろそろあの子のためにも帰らないと……そうそう、素敵なことを教えてあげる。ワームは放たれたから、今回はお前たちの負けだよ。じゃあね」 ゴーストの姿が黒い羽に包まれて消えるのに止めることはできなかった。 「ワームが……」 ☆ ☆ ☆ リラックスして待っていた。なんといっても彼らは憎み合っているのだし、勝手に料理が出来上がる。デザートくらいはのんびりと食べたものだ。一応捕まえて拷問出来るようにとも配慮するため旅団たちのなかから自殺する意志は削ぎ落していた。それが面白い具合に働いた。戦う彼らは自殺ではなく、護ることを選んで死んだ。生き残った者のなかには絶望のなか、立ち上がった者も、憎しみに囚われて剣を振るうことを選んだ者もいる。意志を消滅させること自体は別段難しくはない、今まで養殖のものも食べていたので、慣れた味つけもたまには欲しくなるが、まぁ、それもそれ。 今回は、これで。 ごちそうさま。 美食家のNADはそこそこの満足感を堪能したのち、次の美食に心を馳せた。
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