オルガンの音が鳴り響き、赤いバージンロードしずしずと歩く人影がある。 このハイデルベルク城のチャペルはアーチ状の高い天井を持つバロック様式で、空間の広さが独特の開放感を作り出している。 祭壇で微笑む二人の天使が、今まさに夫婦になろうとする二人を祝福するように微笑んでいた。 60人ほどの参列客が見守る中、粛々と式は進んでいく。誰もが祭壇前の新郎新婦を注視していた。 だから、その場にいた人達が後方に突如出現した女性に気がついたのは、女性が祭壇に向けて走りだしたからだ。『オスヴァルト! なんで!? どうしてっ!?』 どう見ても日本人顔の新郎が、理解の出来ぬ言語で叫びかけられて振り返る。『オスヴァル……ト?』 女性――それもウエディングドレス姿なものだから、参列客たちがざわつき始める。待機していた係員が部外者である彼女を連れだそうとするが、いくら声をかけても彼女には理解できていないようで。『ねえ、どこ!? オスヴァルトはどこ! お願い、彼を返して……。私を、帰して……』 わあっ……バージンロードに座り込んで泣く女性。新郎は何が起こったのかわからない様子できょとんとしているが、新婦は(誤った)理解が早い。「私以外に女がいたのね!? 最低っ!」 交換したばかりの指輪を外して新郎に投げつけて、こちらもわぁっと泣きだしてしまう。慰めようとする新郎を振り払って。新婦の母が新婦を抱きしめて新郎を責めている。『どうして、どうしてなのっ!?』 乱入してきた女性は取り乱したままで、係員達が何を言っても通じないようだ。しかたがないので無理矢理引っ張りだそうとすると……。 シュンッ!「「え?」」 女性を取り押さえていた係員達の目が点となる。参列客たちも何があったのかわからない様子だ。これは余興なのか、どういう仕掛けなのか、余興にしても不謹慎じゃないか――あらゆる意見が飛んだが、一つだけ言えるのはこれが余興ではないということ。 この日を皮切りに、この後も数件同じ事件が発生したのである。 何語かもわからない言葉を話すその女性については、何一つわからないままだ。 *-*-* この日司書室を訪れたユリアナ・エイジェルステットは、籠いっぱいにお手製のリングピローを入れていた。クッションタイプのものからサムシング・ブルーになぞらえたもの、フラワーアレンジメントボックスにしたもの、プリザーブドフラワーを使ったもの……様々だ。手芸が得意な彼女は壱番世界の雑貨屋に、作品をおいてもらっているらしい。緋穂がプリザーブドフラワーの提供をしたため、こうして完成品を見せに来てくれたらしい。「でですね、久々にドイツの知人から連絡があったんですけど……どうやらドイツのハイデルベルク城のチャペルに変な女性が現れるらしいんです」「え、ドイツ?」 連絡を取り合っているということは年齢をごまかせる程度の年数の付き合いの相手なのだろう。あまり付き合いが長引くようなら離れなくてはならないのはロストナンバーの宿命。ユリアナは続ける。「ええ。なんでも結婚式のある日、結婚式の最中に突然チャペルに現れて、何事か叫んでは泣き崩れるんだそうです」「新郎の元恋人とかじゃなくて?」「はい。新郎には全く心当たりはなく。そしてその女性は新郎が目的の男性じゃないとわかったからか、それとも何か別の事情があるかはわからないのですが、突然消えてしまうんだそうです」 ユリアナの言葉に、パラパラと導きの書をめくっていた緋穂の手が止まる。「それって……」「転移能力を持ったロストナンバーなんじゃないかと思うんですけど……」「うん……あのね」 なぜかいつもより歯切れの悪い緋穂に、ユリアナは小首を傾げる。「多分それって、さっき導きの書に出た予言だと思うんだ」「えっ……」「もう募集出したから、そろそろ誰か来てくれるんじゃないかなー」 こんこんっ。 言った側から司書室の扉がノックされた。 *-*-* 普段は別の場所で依頼の説明をすることが多い緋穂だが、今日は司書室で説明を行うらしい。知り合いから聞いた話が転移してきたロストナンバーに関するものならば、なおさら放っては置けないとユリアナもこの依頼を受けることにした。「今回覚醒したロストナンバーが現れるのは、壱番世界ドイツのハイデルベルク城のチャペルだよ。チャペルで結婚式が行われていると、そこに突然出没して、本人にはその気はないんだろうけど結果的に結婚式をぶち壊しちゃってる」 突然異世界へ飛ばされたこと、言葉が通じないことを考えれば混乱するのは当たり前だ。しかしそれが結果的に他人の晴れ舞台を、人間関係を壊しているのならばそのまま放置しておく訳にはいかない。「ディアスポラしてきたのはアガーテさんっていう20代半ばくらいの金髪の女性。外見的には壱番世界の人と変わりはないよ。彼女は結婚式の時に覚醒したみたいで、ウエディングドレス姿なんだ」 幸せの絶頂で異世界へ飛ばされるなんて、本人にとってはどれほどの驚きと悲しみだろう。「お城とチャペルが出身世界のものに似ているみたいでね、まだ混乱しているみたいなんだ。多分、チャペルに入って結婚式を無事に挙げれば悪い夢が覚めると思ってて、チャペルで行われている結婚式に突然現れるの」「突然?」 緋穂の言葉に集まったロストナンバーのうちの一人が声を上げる。彼女は「そう、突然」といって頷いた。「彼女は転移能力を持っているみたいでね、式の最中にどこからか飛んできて、新郎に声をかけるの。でも違う人だとわかったら混乱がピークになって、またどこかへ転移してしまう――地元では幽霊ではないけど不思議な女性が現れるって噂になっていて、式のキャンセルも出てるみたい」 確かにせっかくの晴れ舞台をいわくつきの場所で、そしてぶち壊される可能性のある場所では行いたくはないだろう。「彼女は事情が飲み込めていないし、元の世界へ戻りたい一心で何度も何度もチャペルに来るみたいなんだ」 今からいけば、丁度キャンセルのあった日程に間に合うという。式が行われていれば現れるので、現地の人達の協力を得て偽の式を行なっておびき寄せるのが良いだろう。チャペルの係員や神父もこの事態に困り果てているというから、協力して貰うのは簡単だ。「彼女をおびき寄せたら、どうやって逃がさないようにするか考えて。混乱して、絶望して飛び去るから、彼女を落ち着かせれば転移は封じられると思う」 少なくとも言葉が通じれば、彼女も聞く耳を持つだろう。「あとさ、無事に彼女を保護できたら、彼女に気分転換してもらうのも兼ねて、ドイツ観光してきたらどうかな?」 ハイデルベルクには歴史ある学生酒場やアンティークショップがたくさん有り、ノスタルジックなムードがいっぱいだ。近郊の郷土料理を扱ったレストランや、『ハイデルベルク学生のキス』というメダルほどの大きさのチョコレートを扱っている店もある。小さなカフェでは手作りケーキが美味しい。 ちょっと足を伸ばせばローテンブルクまで行けるだろう。ロマンチック街道のハイライトであるローテンブルクは三角屋根にピンクやクリームの壁といったおとぎ話のような建物が多く、一気に絵本の中に入ったような錯覚が味わえる。人形とおもちゃ博物館は大人が見ても楽しめる。 一年中クリスマスなお店の本店も有名だ。そのクリスマスヴィレッジは一度見ておいて損はない。以前は日本の鎌倉にもあったらしいが……。 クマさんがいっぱいのテディランドやかわいい手作り陶器の店、地元産ワインが有名な店もある。ローテンブルク名物のお菓子、シュネーバルも食べて見る価値はあるだろう。ハムとチーズをマッシュポテトで包んで焼いたカルトッフェル・コルドンブルーはとても大きいものもあるので、皆で取り分けるのも楽しい。「少しでも気分を軽くして0世界に来て欲しいしね。心のケアも頼んだよ」 緋穂は人数分のチケットと、ドイツのガイドブックを差し出した。
●花嫁を迎えに ガッ――ドスッ……ズルズル……。 ウエディングドレスの裾が舞い、ヴェールが宙でひらひらとはためいている。 それを着ていた当の本人は――壁にしたたかに打ち付けられて、意識を飛ばして床に倒れ込んでいた。 川原 撫子のぐーでの一発が決まったのだ。顎が粉砕骨折しているかもしれない。 (自業自得) 撫子は怒っていた。これまでないほどに怒っていた。だって彼女は一体何組の幸せをぶち壊したのか。 「せめて3回目くらいで気付きなさいよ!」 意識が無さそうなのは分かっているが叫ばずにはいられない。 錯乱しているならギアで水をぶっかけて壁に叩きつけてやろうかとも思った。でもお城があまりにも素敵なのと、復旧費用が嵩みそうなのでぎりぎりの所で踏みとどまって。一発殴って壁に叩きつけるだけで勘弁してやった。 撫子の知人ではないけれど、ターミナルにはこの花嫁と同じような境遇の人がいるのを知っている。彼女はこんな悪質なことをしなかったはずだ。 許せなかった。どうしてもどうしても許せなかった。 撫子は深呼吸をひとつ。そしてただ今脳内で再生した怒りの衝動を落ち着かせる。脳内再生通りにやってやりたいけど、流石に撫子の力で殴っては軽い怪我では済まない。保護対象を個人的衝動で怪我をさせるのは、さすがに色々な意味でまずいのではないかと思い至って自分を落ち着かせようとする。 「終わった後、ローテンブルク観光するんだ」 ぼそっ。 「素敵な赤い屋根の家々を見ながら城壁を歩いて、市庁舎とプレーンラインも見て」 ぼそぼそっ。 「シュバイネハクセもシュネーバルも食べたい。……うん、これなら少しは我慢出来そう」 「どうした? 撫子」 新郎役を務めるマルチェロ・キルシュ――ロキはすでに支度を終えている。というのも彼の格好は厳密には白いタキシードではないからだ。自前の生成りのロングコートに白いシャツ、淡いベージュ色のズボン。一見しただけでは新郎と見まごう姿。本当の白タキシードは本番までとっておくつもりだろうか。 「ロキさん! な、なんでもないですぅ」 「そうか? 何か様子が変だったけど。ところで撫子は花嫁役じゃないんだな」 ロキの言葉に撫子もつられて新婦控室の扉を見る。その部屋の中には今、吉備 サクラと幸せの魔女、ユリアナ・エイジェルステットがいるはずだ。 「私は花嫁役パスですぅ☆ 取り押え役に回りますからぁ☆」 「なるほど。期待してる」 「はい☆」 支度にはまだ時間がかかりそうだなと、ロキは廊下の椅子に腰を掛けた。 *-*-* 現地についてハイデルベルク城に入るなり、 「ハイデルベルク城素敵ですっ! 是非ウェディングドレス着たいです! ……バトルで決めると絶対誰にも勝てないので、じゃんけんにしませんか」 と目をハートマークにして言い募ったサクラは、他の二人の答えを待たずに交渉を続けた。 「婚期が遅れるなんて迷信です! 着たいです着たいです! 機会譲ってくれるなら、お好きな服を作ってプレゼントします!」 「じゃあ一着お願いしようかしら」 元々新婦役は誰も立候補者がいない場合にのみ引き受けようと考えていた幸せの魔女は飄々と「譲ってあげるわ」という顔をして服を作って貰う約束を取り付ける。 「新しいお洋服ほしいですぅ! でも私はぁ」 「お願いします、お願いします!」 元から新婦役を引き受けるつもりはありませんでしたからぁ、と続けようとした撫子の言葉はサクラの勢いに遮られてしまって。 「わかりましたぁ☆」 こちらも手作り服と引換に契約成立と相成ったのである。 そして新婦控室では幸せの魔女がウキウキ生き生きとしていた。 「このドレスなんか似合うんじゃないかしら?」 「そうですか?」 そっと、サクラの身体にあてがって、ボディラインを確かめたり。 ――観光が出来ると聞いて来て見たけど……色々と面倒そうな依頼ねぇ。 ――私はね、この世で1番「不幸な存在」というものが大嫌いなの。 ――これが依頼じゃなかったら、そのアガーテさんとやらを宙吊りにして百叩きの刑に処してるところだわ。 少し前までこんな殺伐とした心中でいたのが嘘のようだ。 「こっちも似合いそう。貴女……可愛らしいスタイルをしているわねぇ」 妙に慣れた手つきでさわさわしているのだが、ドレスを合わせてもらっているのだと思うとサクラも変に口出しできない。 「ほら、ファスナーを上げてあげるわ。一人じゃ無理でしょう?」 ドレスを纏った後、背中のファスナーをあげるのに合わせて小指で背中をツツーっと触れてみたり。 新婦役を譲ってもらった手前、サクラも変に口出し(以下略)。 「きめの細かい肌をしているのね。メイクのノリがいいわ。はい、口を少しだけ開けてちょうだい」 メイクを施しては、小指に取った紅を、サクラの半開きの口に塗ってあげて。その光景はなんとも背徳的だ。 サクラはコスプレ慣れしているため自分でもメイクはできるが、借りた衣装を汚すわけにも行かないし思ったより動きづらいのでやってもらえるなら有りがたかったので……変に口(以下略)。 ヘアセットとなった時、幸せの魔女はサクラの耳元に口を寄せて。 「少し髪が痛んでいるわ。トリートメントはしているの?」 そう囁いた時。 「その台詞!」 「え?」 がばっという効果音が相応しい勢いでサクラが振り向いたので、幸せの魔女は少しだけ驚いて手を止めて。 「『幽霊文書』の鵜飼の台詞とそっくりです! あのシーンは錬馬の背後に鵜飼が回って――」 やばい、サクラのスイッチが入ってしまった。さすがにこれは予想していなかったのか、幸せの魔女は一瞬目を見開いた後、笑って。 「あら、サクラさんもあの台詞、ご存知なの?」 ――なんだか話が合ってしまったようです。 「えっと、あの、外にお二人をおまたせして……」 ユリアナがおずおずと止めに入るまで、二人の『幽霊文書』トークは盛り上がっていったのである。 *-*-* 「やけに遅かったな……」 「ごめんなさい、サクラさんと盛り上がってしまって」 涼しい顔で控え室から出る幸せの魔女。孤児院で働く同僚である彼女のことだ、どんな事があったのか何となく解ってしまって苦笑いするロキ。 「わあ、サクラさん綺麗ですぅ☆」 撫子の歓声を受けて入り口に視線を向ければ、しずしずと出てくるドレス姿のサクラが。 デコルテのでるタイプのプリンセスラインのウエディングドレスには共布の薔薇の花とひだがついていて、照明に当たればその光沢がキラキラと輝いて眩しいほどに花嫁を輝かせる。ロングのヴェールは今はユリアナが持っているが、チャペルで広がる様はとても素敵に違いない。 「似合うよ」 「よく似合っているわ。私のお嫁さんにしてしまいたい位」 幸せの魔女の言葉は比喩でも冗談でもなくきっと本気だ。 三つ編みを解いた黒髪は緩やかなウェーブを描いていて、ヴェールも相まって今までとは違う彼女の魅力を引き出している。 「ドレス姿には十分酔いましたので、作戦会議と行きましょう」 サクラが絹手袋に包まれた人差し指をすっと立てた。一同が真剣な表情に変わる。 「会場設営だけして貰って、参列者その他は私の幻覚ってどうでしょう? その方が何かあっても誤魔化しやすいと思います」 「確かにそれは一理ありますね~。アガーテさんが現れてからすぐに幻覚掛けてもらうことになりますが、大丈夫ですかぁ?」 「彼女は混乱しているようだし、最初は新郎しか見ていないと思うわ」 「魔女さんの魔法と川原さんの腕力に期待してますから。絶対アガーテさんを説得しましょう!」 サクラの提案に撫子が同意して、不安点を幸せの魔女が払拭する。案外いいトリオなのかもしれないとふと、ロキは思ったりもして。 「ところで、アガーテさんはどこで結婚式を知るんでしょう? 言葉は分からないですよね? だったら何らかの方法でここをチェックしていると思います。見てると辛い物をチェックすると心がささくれちゃうので、音かなぁと思うんですけど……」 確かにサクラの言う通り、アガーテがどうやってチャペルで結婚式が行われていることを察知しているのかはわからない。視覚なのか、音なのか、気配なのか……」 「頑張ってノーパソ持って来たので、これで人ごみの音を再生すると幻覚が本物らしくなるかと。だってここの音源まではチェックできなかったんです」 「それでしたら、オルガンの演奏は私がしましょう。演奏の係員を入れると何かあった時のごまかしが大変ですしね」 「はい、お願いできると助かります、ユリアナさん」 人混みの音はサクラのノーパソから、式で使われるオルガンの生演奏はユリアナが行う事で話がまとまった。 「私は取り押さえに回りますぅ☆ 闖入者は大体どの辺に現れますかぁ?」 「話によれば、列席者の後方、扉を入ってすぐくらいの位置らしい。バージンロードの始まり辺りか」 それが愛する人の元へ再び歩いて行き、帰りたいというアガーテの心を感じさせて、撫子の問いに答えたロキは何となく黙った。バージンロードがアガーテにとっては『愛しい人の元へ帰る道』に見えているのかもしれない。 チャペルへと移動して、五人は会場を設営してもらっている間に下見をする。アガーテの大体の出現位置を確認し、撫子はすぐにタックルを掛けられる通路側の席に座る。幸せの魔女もその反対側の椅子に腰を掛けた。ユリアナは楽譜をもらい、音を抑えたオルガンで練習している。 「……ここがこんな素敵なお城で良かったですぅ。水で内装駄目にする訳に行きませんからぁ、ギリギリ経済観念が勝りそうですぅ」 なんとも切実な言葉だが、それは撫子の秘められた怒りが導き出したものでもある。 「準備が整いました」 「ありがとうございます。じゃあ後は俺達に任せてください」 「お願い致します」 係員達が次々と頭を下げて退室していく。彼らも仕事がなくなるのは困るし、何より大切な式がぶち壊されていくことに心を痛めている。祈る思いで退室したことだろう。 「サクラ、準備はいいか?」 「はい、始めましょう」 ロキの問いかけにサクラがはっきりと答える。こちらを向いているユリアナに視線で合図をして、サクラはパソコンで音源を再生した。 ジャーン……ジャジャジャジャーン…… ピンと張り詰めた静謐な空気の中に、和音が満ちる。響くオルガンの音が、式の始まりを告げていた。 正面の祭壇で微笑む天使像を見つめるようにして立っているロキとサクラは、ただ立っているだけではなかった。その背中全部が目になったかように神経を集中させ、アガーテの出現に備えている。 ポロポロポロポロン……ジャジャジャジャーン…… オルガンと騒音が響き続けてどれくらい経っただろうか、撫子と幸せの魔女は近くのバージンロード上の空気が少し変わったのを感じた。咄嗟に身構える。すると―― ――シュンッ! 突然、気配が増えた。丁度撫子の斜め後ろあたりに彼女は出現した。 「オスヴァルト!」 ウエディングドレス姿の彼女が叫んだ。サクラは振り向いて、彼女に参列客と神父の幻覚を見せる。ロキはそのまま前を向いていた。 「オスヴァルト! ねえ、どうして私以外の人――」 アガーテの言葉が途切れた。代わりにどっと倒れる音がして。撫子が素早く彼女の身体を押さえ込んだのだ。 「落ち着きなさい、アガーテ! あんたオスヴァルトに会った時、貴方に会うために何組もの結婚式をぶち壊してきました♪ とか言うつもり!? オスヴァルトに会いたいなら、落ち着いて私たちの話を聞きなさい!」 それでも彼女が暴れようとするものだから、幸せの魔女がすっと細身の剣をアガーテの首元に近づける。 「盛り上がってる所に失礼。ヘタに動くんじゃないわよ、少しでも動いたら……頭と体がサヨナラの挨拶を交わす事になるわ」 すうっ……アガーテが息を飲んだのが撫子には分かった。 「アガーテさん! お家へ、オスヴァルトさんの所に帰りたいなら、私たちの話を聞いて下さい!」 サクラがドレスをたくしあげて駆け寄ってくる。ロキもその後ろからゆっくりと歩んできた。 床の上から顔を上げてロキを見たアガーテの顔色が落胆のものに変わった。あの新郎がオスヴァルトではないことに気がついたのだ。 「今この場から逃げても、大切な人のところへ帰れるわけじゃない」 辛い事実だけれど誰かが告げねばならない。家業を継ぐことから逃げた自分に言う資格はないかもしれないと思いつつ、ロキはゆっくりと言葉を紡ぐ。 「でも、きっと彼はあなたの帰りを待ってる」 もし自分の恋人がアガーテと同じ境遇になったら――考える。けれどもいくら考えても答えはひとつだ。 愛する人が挙式のさなか行方不明になったとしたら……無事を祈り、いつまでも待つだろう。いつの日にか再会できることを信じて……。 「私……帰れない、の?」 言葉が通じる驚きよりも、帰れないという現実のほうが衝撃的だったのだろう、アガーテは押さえつけられて苦しそうにしながらも声を絞り出す。 「帰れるかは貴女次第……貴女は世界から弾き出されたからぁ」 「撫子」 険のある言い方をしたからだろうか、穏やかだが制するようなロキの声にごめんなさぁい、と撫子は答える。 「だって、結婚式は女の子の夢なんですぅ…結婚式テロ許せなかったんですぅ」 べそをかきそうな声で撫子。結婚式という憧れの晴れ舞台を壊された今までの花嫁たちが可哀想で、どうしても許せなかったのだ。 「俺達の拠点に、来てくれないか? あなたが元の場所に帰る手伝いをしたいんだ」 「帰れる可能性がゼロというわけじゃないんです。私達の仲間には、自分のいた場所を探している人達がいます。だから、一緒に行きましょう」 ロキとサクラが手を差し出した。幸せの魔女はアガーテが落ち着いたと見ると剣を仕舞い、撫子はゆっくりと戒めの手を緩める。 「あなた達は、私がどうして突然知らない所に来てしまったのか、知っているのね? なら……教えて」 何も分からなくて、怖くて怖くて仕方なかった。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――彼女はそう言って、泣いた。 その謝罪は、結婚式を壊してしまったカップルや、施設の人達に向けたものだろうか。 ●おまたせしましたドイツ観光! 詳しい事情は伏せたままだがチャペルの人にもう『女性の幽霊は出ない』とロキとサクラが話して安心させて、その間にアガーテはこっそりと洋服に着替えさせられて城の外へと出ていた。この洋服はロキが観光時に彼女を目立たせないためにと考えて、ユリアナに服を貸して欲しいと頼んでおいたものである。さすがにウエディングドレスのまま観光に出る訳にはいかないのであった。 街並みや雰囲気が故郷と似ているのだろう、ドイツの街並みを見渡したアガーテは一瞬泣きそうな表情をしたが、すぐにそれを隠した。泣いてばかりでは何も変わらないということをさっき身を持って学んだばかりだ。 相談の結果、まずはハイデルベルクでスイーツを購入して、移動の間にそれらをいただきながらローテンブルクへ向かうことになった。 「やっぱり歴史のある街並みはいいな……ん?」 くいくいくい。ロキの肩にぶら下がるようにしてマスコットのふりをしていたセクタン、ヘルブリンディがロボットフォーム特有の手でロキの髪の毛をひっぱる。 「わかった、わかったから髪の毛を引っ張らないでくれよ、ヘルブリンディ。甘いもの、だろ?」 「ロキさんのセクタンは甘いモノが好きなんですね。うちのゆりりんは何が好きなのかしら」 セクタンに催促されるロキを見て、サクラは自らのセクタンを思う。セクたんは皆同じはずなのに、時折個性の強い個体が混ざっているから不思議だ。 「レープクーヘン美味しそうですぅ~」 「ニュルンベルガーソーセージもテイクアウトできるかしら? え? 私が可愛いから特別に? あらいやだ嬉しいわ」 撫子が3袋ほど(もちろんみんなで食べる分だ、多分)手にとったのはスパイスが入ったクッキー、レープクーヘン。蜂蜜がたっぷり入っていて自然な甘さである。オレンジやレモンの皮、ナッツ類。そこにシナモンやグローブ、アニスなどの東洋由来の香辛料を入れる。ショウガやナツメグを入れる場合もあるようだ。 今回撫子が購入したのはオレンジの皮だけで風味漬けした、いうなればプレーン一袋、ミルクチョコレートとホワイトチョコレートをかけたものがセットになっているのを一袋、イチゴ味のチョコでコーティングされているのを一袋。 幸せの魔女はオープンカフェ風の食堂のおじさんにニュルンベルガーソーセージのテイクアウトをお願いしていた。ラオホビーアを飲んでいる酔客の間を縫って行く姿は優雅。そして普段はテイクアウトされていない、炭火でカリッと焼いた中指ほどの大きさのソーセージをたっぷりと勝ち取ってくる。その香りだけでお腹が鳴ってしまいそうな良い匂い。 ハイデルベルクにも、近くの地域の料理を扱う店が多いようだった。 ロキはセクタンに急かされて『ハイデルベルク学生のキス』というメダルほどの大きさのチョコレートを買った。そしてウズウズしているセクタンに「仕方がないな」と苦笑して1つあげて。 サクラはりんご入りのケーキを一台買っている。あまりに大きいんじゃないかという声が上がったが、実はドイツのケーキは大きさの割に甘さが控えめなので、ぱくぱくと食べれてしまうことが多い。見た目こそはフランス菓子のような派手さはないものの、素朴でつい懐かしくなる味が多い。 各自移動中のおやつを手に入れて、今度はローテンブルクへ向かう。どちらかと言うとこっちをメインに楽しみたい者が多いだろう。なんといってもロマンチック街道のハイライトだ。 「魔女さぁん、ソーセージもらってもいいですかぁ?」 「ええ、どうぞ」 あまりに食欲を刺激する匂いに我慢出来ないと撫子が猫なで声で申し出る。幸せの魔女は撫子が差し出したプレーンのレープクーヘンと交換にソーセージを渡す。そして串に三本ほどソーセージを刺して、ずいっと差し出したのはアガーテの眼前。 「え……」 「とりあえず食べなさい」 ぼーっと風景を眺めていた彼女は驚いて、幸せの魔女の顔を見た。剣を突きつけられた時の恐怖が未だあるのだろうか、少し表情がこわばっている。だが。 「今の貴女には幸せが足りていないわ。幸せというのはね、まずは三大欲求を満たす所から始まるのよ」 思ったより優しい声色と優しい言葉に、アガーテの視界が曇っていく。 「はい……ありがとう」 串を受け取ったアガーテはその瞳から雫が溢れるのも構わずに、ソーセージにかじりついた。 きっと食べる心の余裕なんてなかったのだろう。彼女の転移能力を使えば食料を手に入れることなんて簡単であるように思えるが、そもそも思いつめていてお腹なんて減らなかったのかもしれない。 ぐぅ~……。 食べ物を意識したからか、盛大にアガーテの腹が鳴き声を上げた。 くす……思わずサクラは笑ってしまい、ケーキを1ピース差し出す。 「少し落ち着いたみたいですね。お腹が鳴ったのがその証拠です」 「言葉も通じなくて不安だったよな。知らない所で何日も過ごすのは辛かっただろう」 紳士としてレディのお腹の音は聞かなかったふりをして、ロキはチョコレートを何枚か彼女の手に載せる。 「……ローテンブルクには美味しいお店がいっぱいあるはずですからぁ、腹ごしらえのしがいはあると思いますぅ」 よそ見をしたままぼそっと告げて、撫子はレープクーヘンを何枚か、チョコレートの上に置いた。 アガーテは目をまあるくして、そのあと全てを1つずつ、または一口ずつかじって。 「美味しいです……ありがとう」 泣いたまま、笑った。 心なしか顔色も少しは良くなっているように見えた。 *-*-* ローテンブルクについた一行はレーダー門から歩いてシュピタール門を目指す。その途中にあるプレーンラインは小さな広場で、木組みの家と塔の織り成す風景がとても絵になっている絶好の撮影ポイントだ。 「テレビで見るよりもステキですぅ☆」 これを見たいと思っていた撫子の機嫌は少し直ったようで、嬉々としながら城壁へと向かう。ロキは些細な事でもアガーテを気遣うようにしており、そのおかげで彼女も安心して見知らぬ土地を歩けているようだった。 「本当に、おもちゃのような世界ですね」 赤い屋根の建物が続くローテンブルクを城壁から見下ろして、サクラがため息を付いた。『中世の宝石箱』と称されるローテンブルクは中世の町並みがそのまま残っていて、メルヘンの世界へタイムスリップした心地になる。門塔はどれも似たような形をしており、赤い屋根の建物に囲まれるように立っていた。 二頭立ての馬車が走っているのは本当に中世のようで、観光客も乗ることができると知るとサクラは「観光地の人力車のようなものですね」とぼそっと呟いた。 「お上手ですわ」 大道芸人が気になって足を止めた幸せの魔女は、幸運にも大道芸人の目に止まったのか、ぽんっと突然手元に出現した花束をプレゼントされる。周りの観客の歓声をよそに、涼しい笑顔で礼を言って。 ロストナンバーの中にはもっと凄いことが出来る人もいるだろう。けれどもただの人間が不思議な現象をを起こすのだから素晴らしいのだ、こんなにも歓声を得られるのだと静かに分析したりもして。 「すごいですぅ☆」 マルクト広場の市庁舎は見上げると圧倒的な迫力を持っていて、圧倒されてしまう。まるで美しく歳を重ねた老紳士のようで、ため息が漏れそうだ。 「仕掛け時計が動く時間みたいですよ! 運が良かったですね!」 サクラが指さした方向を皆で見ると、市議宴会場前に集まった観光客達が一様に時計を見つめていた。有名な仕掛け時計の動く時間らしい。 長針がてっぺんに到達すると、時計の左右両窓が開き、人形が出てきて動き始めた。最近の仕掛け時計に比べれば地味であるかも知れないが、ずっと昔の人がこれを作ったのだと考えると感慨深いものがある。観光客達が声を上げるのも分る。 人形はしばらく動いてそいて、元の場所へと帰っていった。少しばかり余韻に浸った後、幸せの魔女が口を開く。 「さあ、次はドイツ料理に舌鼓を打ちに行きましょう」 その言葉に反対する者はいなかった。 *-*-* 一同が選んだのは、比較的リーズナブルでかつ量の多そうな料理店。六人でテーブルを囲んで早速注文……すると女性陣の注文が止まらなくて、ロキは苦笑し続けるしかなかった。 「そんなに食べる……んだよな」 何となく、撫子と幸せの魔女を交互に見て。問いかけを肯定に変えるのであった。 しばらくしてテーブルに運ばれてきたのは、ソーセージとポテトの盛り合わせ。その皿が大きくて、ポテトは山盛りだ。「サービスしておいたよ」と店主が笑ってサムズアップ。 続いて撫子が食べたかったシュバイネハクセが運ばれてきた。これは簡単に言えばローストした豚脚だ。皮がパリパリになるまでローストされて、マスタードとホースラディッシュ、唐辛子とともに出てきた。撫子の瞳はまたしてもキラキラだ。 「お先に頂きますぅ!」 ぱむっと食べればパリパリの皮の下からジューシーな肉汁が溢れて、ほっぺが落ちそう。 続いて運ばれてきたカルトッフェル・コルドンブルーはハムとチーズをマッシュポテトで包んで焼いたもので、メガサイズで登場したが何故かそれがふた皿。 「とりわけようか。サクラ、アガーテ、ユリアナ、順番にお皿を――」 声をかけてふと幸せの魔女を見たロキは一瞬動きを止めて。 「――」 ナイフとフォークを優雅に使いながら、幸せの魔女はもう一皿のカルトッフェル・コルドンブルーを端から大胆に食べ始めていた。一皿食べるつもりだろうか。 「こっちは取り分けよう」 苦笑して取り分けにかかるロキ。先に皿をもらったサクラがいただきますと声に出して、ナイフで一口サイズに切っていただく。 「ん~!」 ハムの肉汁とチーズがまろやかにからみ合って、マッシュポテトがそれを逃がさない。言葉にならない美味しさである。 ロキの頼んだマウルタッシェンはパスタ生地の中にひき肉、ほうれん草、パン粉、玉ねぎを詰めてパセリやナツメグでフレーバーを加えたものである。ラヴィオリに似ているがそれよりも大きく、この店の物は12cm位あるため、一人分は二つほどだ。それでも十分なほどボリュームがある。パスタ生地に染み込んだ肉汁入りのスープも美味しい。 この店の主人はバイエルン出身らしく、メニューにソーセージも多い。 サクラが頼んだカレー・ヴルストは極太のソーセージを焼いてケチャップとカレー粉をまぶしただけだが、根強い人気を誇る味である。 自家製のヴァイスブルストも風味付けの香辛料が効いていて、この組み合わせは各家庭や店によって違うのだとか。プレッツェルの添えられたそれを、幸せの魔女は優雅に皮から取り出して食べている。非常に傷みやすいとされているヴァイスブルストはこの地にこなければ食べられないものの1つだろう。 クネーデルにハンバーグ、アイスバインにフレンキッシェカルフェン。ザワークラフトにアウフラウフ。デザートにバウムクーヘンとクラップフェン。 これだけ食べればお腹がいっぱいどころか通常は食べ過ぎだが、それでも全部平らげてしまうのがこの一同。いや、全員が大食いというわけではないのだが。だが一度にこんなにもたくさんのドイツ料理を味わえる機会などなかなか無いだろう。少しずつ味見をさせてもらえたのだから、感謝するべきなのかもしれない。 「あ、シュネーバルは持ち帰りたいですぅ☆」 撫子の希望で、ドイツ料理を堪能した一行はシュネーバルを買い求めることにした。道路に面した店の店頭に並んでいるシュネーバルを物色する。 シュネーバルとはスノーボールという意味で、中世に誕生して今なお食べ続けられている伝統的な菓子である。小麦粉、砂糖、バター、ラム酒からできていて、その生地を球体の型に入れて揚げ、粉砂糖をふりかけるお菓子である。 最近はひも状に伸ばした生地をぐるぐると球体に纏めて揚げる方法も取られている。サクッとした歯ざわりのドーナツを想像すると良いだろう。 粉砂糖だけでなく、チョコレートやナッツをまぶしたものもあって、迷ってしまう。 皆それぞれ好きな種類を好きなだけ注文する中で、撫子は直径10センチほどの大きいサイズを幾つかと、別の袋にミニサイズの詰め合わせを買っていた。そして支払いが終わるとそれを持ってつかつかとアガーテの前へ行き。 「これ、あんたの分よ」 「え……」 「花嫁さん達に悪いと思っているなら、これを食べる度に思い出して詫びなさい。全部食べたら……少しは許されたと思って前に進みなさい」 ぶっきらぼうな物言いだが、優しさも感じられる。いつまでも後ろ向きでいるんじゃないという叱咤激励、それが含まれているようであった。 「はい」 頷いて、アガーテは袋を受け取った。とてもすぐには食べ切れそうにはないけれど、新しい地について、ゆっくり自分を振り返りながら食べればいいのだ。 【了】
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