「今回は護衛、というよりも顔合わせだな」 五大組織が衝突し、一時とはいえ情勢が不安定になったことから各地区で単発的な小競り合いが起こるようになったなかに一つ気になる事件が起きたという。「安心しろ、それにお前らがかかわっているとは思ってないさ」 依頼主であるリョンはいやそうに顔を顰めた。 美龍会の戦闘員が襲われ、一人は重体、もう一人は行方不明。 その事件のあと美龍会は早速、同盟相手であるヴェルシーナと鳳凰連合に食事会を申し込んだ。「美龍会のやつはうちを疑ってるんだろうな。怪我が問題なんだよ」 重傷者の体はまるで大きな獣に食われたように、上半身の半分以上の肉が抉りとられていたという。「あいつは死んだし、ただの似せたもんだと思うが……とりあえず飯を食いに行け。エバはお前らのことが気になっていてな。ぜひとも旅人を護衛にとご指名だ。大丈夫だ。いきなり食いつかれたりはしないさ」★ ★ ★ 天に近い高級料理店の個室を使用した食事会。ヴェルシーナのハワード・アデルはロイド、オーガスト、美龍会のエバ・ヒ・ヨウファは老人のヴェ・リーと隻腕隻眼の稿。鳳凰連合のフォンは旅人を護衛につけて臨んだ。 食事そのものは至極穏やかに続いた。「旅人ってのはぁ、これか。へー。面白い。一匹ほしいぜ……以前、ちょっとしたいざこざでうちの鬼一を殺したな。つまりは、その程度には強いんだろう? 別にあの一件を根にもっていねぇよ。ありゃ、奪いあいだ。俺の組織の掟は力だ。力こそが全て、強い者が勝ち、奪う。殺されたのは、それだけテメェらが強ってことだ」 品定めするように旅人を見たエバは不遜に笑う。食事はデザートにさしかかろうとしたとき、エバに電話だとボーイが子機をもってきた。『……たすけ、たすけ……エバさま、エバさま、エバさまっ、ちがう、……たすけ……かんけい、ない』「! ……その声はヒュアン! 行方のわからん、うちのやつだ。おい、ヒュアン、生きてるのか、どこにいる!」『エバさま! エバさま、あああ、エバさま、助けて……ここは、暗くて、見えな、ががあああああああああああああ! エバさまぁああああ、たすけてください、エバさまぁああああ、にげ……ケモノ、あかい、け……こいつは、あなたをころそう……が、はっ……』 一方的に通話が途絶えた子機をエバは見つめた。「敵は俺をどうやら月までぶっ飛ばしたいらしいな。本当はここでテメェらのことを探るつもりだったが、やめだ。狩りに行く」「待て、待つんだ。エバ、どうみてもこれは挑発だろう。みすみす罠に飛び込むつもりか?」 ハワードが止めるのにエバは肩を竦めた。「俺ぁよ、殺しは好きじゃねぇ。だが可愛い部下を傷つけられてへらへらしてるほど人間出来てねぇんだぁ! 24年前、俺はクソアマに身内を全て殺された。二度と同じことをさせねぇって決めてんだよ。邪魔するなら、まずはてめぇを殺すぞ。まだらの狼」「……いい度胸だ。力馬鹿の君が私に勝つと? 朱天鬼」「やめろ」 即発の両者に割って入ったのはフォンだった。「エバ、敵をうまく誘き出す手伝いをさせてくれないか? お前も、旅人がいかに使えるか見たいと言っていいだろう? どうだ」「……自分のところの始末は自分でつける、といいたいが……てめぇを俺は疑ってらぁ。このままじりじりと疑うよりはテメェに始末させたほうがいいって判断力はあるぜ」「話が通じて助かる」 フォンが嫣然と笑うのにエバは鼻を鳴らした。「ただし、フォン、てめぇが出来なきゃ、俺はてめぇも、そこにいる旅人どももすべて殺すからなぁ。その覚悟しておけ。なんかわかれば連絡しろ」 フォンの提案で本来、エバが乗る車にフォン、リョンと旅人たちが乗り込み、わざと美龍会のアジトに向けて進んでいるといきなり車が重力を無視して浮いた。「いかん、全員、飛び降りろ!」 乗っていた車は何か大きな獣に食われたように大破、爆破するなかで一人の男が現れた。 白いチャイナ服、額には赤い布を巻いた――両手が人の手ではありえない大きさに、獣のような五本の鋭い爪を持った男が立っていた。「カン!」 カンと言われた男は悠々とした身のこなしで警戒するリョンを見つめた。「久しいな、同胞……フォン隊長も……なぜ。私は美龍会の車を襲ったはず……」 カンは困惑しながら首を傾げた。「カン、お前……なにをしたのかわかっているのか?」「もちろん、わかっているさ、リョン。私の今の任務は美龍会の長、エバを殺すこと」 カンの回答にリョンは絶句し、フォンは冷めた目をしてカンを見ていた。「死んで感覚が麻痺したせいで、ずいぶんと肉体が使いづらかったが、それもあの白い薬のおかげで、生きていた頃のように使うことができるようになった。そうだ、あの薬が必要なんだ。私には……この状態を保つためにも……!」「死者……つまり、お前は死んだ自覚はあるんだな。……ハッ、それで運悪く目覚めて、暴れたいから薬に手を出したと?」 リョンは憐れみをこめてカンに言い返した。「ずっと夢を見るんだ。同胞たちの、戦場の夢を! そこから抜け出すには薬がいるんだ。力を奮える薬がっ!」 カンは狂ったように訴えるのにそれまで黙っていたフォンが不意に口を開いた。「お前のその行為を私は見逃すことのできない立場にいる。それは理解できるか? ならば、提案しよう。任務を放棄し、逃亡しろ。逃げる手は私が作ってやる」「フォン、それは」 リョンが顔を強張らせた。ここでカンの逃亡を手伝うことは美龍会のエバを敵に回すことだ。「任務を放棄するか? カン」「任務放棄?」 幼子のようにカンはフォンの言葉を繰り返す。「そうだ。そのまま逃亡しろ、薬は自分で手に入れればいいだろう」「……お前は、誰だ」 カンは静かに問うた。「フォン隊長の皮をかぶったお前は誰だと聞いている。答えろ、人食い獣。あの方が任務放棄など絶対に言うはずがない! ……平和を欲して戦いつづけたあの人が! 理想を持ったあの人が!」「任務放棄はしないか? カン」「黙れ、魂食いの悪魔、ケダモノめ! 私は、死んだ。死んだが、決してこの魂だけは、フォン隊長のためにも、だから決して任務を放棄しない。あの方のためにも! ……殺してやる、隊長を愚弄した貴様は! そうだ。鳳凰の名を冠する、浄化の赤を背負ったあの方のために!」 激昂したカンは自分の額に巻いた赤い布に触れると、すっと表情を消して素早く地面を蹴って建物の壁を蹴って飛んで去っていく。それを見つめるフォンは静かに、笑った。「魂までは落ちてはないようだな、カン」★ ★ ★ 翌日、旅人たちをリョンは呼びだした。 カン・ハイシュア。 鳳凰連合の幹部の一人で、現在幹部のリュウの父親にあたる。以前、リュウが鳳凰連合を裏切った際に自殺した男だ。 カンの遺体はボスであるフォンと相談役のリョンの二名が発見、確認後、葬式もあげずに素早く、葬った。しかし、調べると墓の下には遺体も、灰もなかった。 インヤンガイでは暴霊の被害から遺体は火葬して灰にすることが一般的だが、カンが死亡した当時、フォンが狙われていることと、他組織から幹部の死を隠蔽するために金を握らせた墓守りにすべて任せたのだが、「調べたら、その墓守りの馬鹿が、死体を売ったと吐きやがった。薬のことも言っていて不審に思って調べたら、死体を売った先はハオ家だ。あそこは呪術に長けているからな、死体に術を施すことも不可能じゃない。それに【夢の上】のまがいものを作っただろう? あの薬は飲むことで身体能力を爆発的に向上させることができる。生きてる人間が使用しづつければ肉体が壊れるが、死体ならもともと死んでるから問題ないってことさ。ハオ家はカンのヤツは仮初の命を与えられた上に、薬漬けにされたのさ」 インヤンガイには危険すぎることから使用が禁じられている【禁呪】が存在する。 他人の肉体を奪う【魂渡り】と並ぶ危険な術で、【呪石】という術がある。【呪石】とは、大勢の人間の命を集めて作られた石を死者の肉体に埋め込むことで、石に溜まった霊力が魂のかわりに死体を生前のように意思を目覚めさせて、動かすことができるようにするという術だ。「……カンはな、軍人ってよりも傭兵だ。元々戦場奴隷として殺しの技術を叩きこまれたクチだ。暗殺に失敗したあいつはフォンに拾われて、心底陶酔していた」 リョンは淡々と説明した。「カンの武器は、あの手だ。戦場で敵に捕まったとき拷問の末、斬り落とされたものでな。機械をつけたのさ。あれでどんなものでも噛み殺す……ついでにいうと身体能力も通常よりも高いし、絶対音感で無音殺人術の使い手。戦場じゃあ、一番厄介な奴さ。あいつは任務を全うするといったからにはエバを狙うだろう。エバが殺されるわけにはいかん。なんとしてもその前に仕留めてくれ。どうせ、もう死んでる。死体を燃やすか、動けないほどに肉体を砕くか、肉体のどこかについている仮初の魂を与えている【呪石】を破壊すればいい」※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。
鳳凰連合の用意した部屋に五人は集まっていた。 「なによ、あのエバっていう人間。この私に対してあの態度、気にいらないわ。こっちは頼まれて来てあげたって言うのに! ……まぁ良いわ。こんな不幸せな依頼、さっさと終わらせて私達の実力を思い知らせてやるまでよ」 幸せの魔女はソファに腰掛けて肩にかかる髪をぞんざいに手で払い、悪態をついた。 「あれは私たちぃ、みんなにたいしてってきがしまぁすよぉ?」 川原撫子が可愛らしい声でフォローに回る。 「そうだよぉ~、むしろフォンのボスを挑発してるみたいだし」 リーリス・キャロンは幸せの魔女の前のソファに腰かけて、足をぶらぶらさせながらテーブルの上に人数分用意されている薄茶色の紅茶に口をつける。 「まぁリーリスさん、あれはね、私とあなたに」ここで、幸せの魔女は撫子、ジューン、ジャック・ハートの三人と鳳凰連合のこともまるっと無視した。「喧嘩を売っているのよ! 絶対に!」 息まく幸せの魔女にリーリスは小首を傾げた。 「どうするのー?」 「決まっているわ、あの人の持つ幸せを根こそぎまるっと、ずずぃーと奪い取ってしまうのよ。ああ、もちろん、この依頼のあとにね? 依頼はちゃんとこなすわよ? やぁね!」 「魔女さんだめですぅうう! 幸せを奪ったのが私たちだってばれたら困りますぅ。せめて、えーと、水虫になって困るように祈るとか、それくらいしにましょうよ!」 「まぁ、撫子さんったら! あなたもなかなかなことを考えるじゃない。いいわよ、この依頼のあとにリーリスさん、私、それにあなたでお礼をしにいきましょうか」 「えー、リーリス、めんどくさーい」 「ジューンさぁん、ジャックさぁん、魔女さんを止めてくださぁい」 いつの間にかソファで仁王立ちしている魔女を止めようと必死の撫子は、ジャック、ジューンに助けを求めた。 しかし、ジャックは押し黙ったままだ。リョンから依頼内容を聞いたときから、いや、昨日、カンと遭遇したときからずっと彼はこの調子だ。 たいしてジューンは目を伏せていたのをぱちり、と開ける。ピンク色の瞳がゆっくりと撫子を見る。 「本件を特記事項β6-25、テロリストコントロール下のクリーチャーによる殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、クリーチャーに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA2、A7。保安部提出記録収集開始……申し訳ありません、データ処理をしていました。なにをすればいいんでしょうか?」 「あ、あうっ……ジューンさんのこと、私個人的に、ものすごく興味あっていろいろと聞きたいんですけど、とりあえず、魔女さん、ソファの上に靴を履いたまま、立っちゃいけませんよぉ! ほら、作戦会議をって、リーリスちゃん?」 紅茶を全て飲みほしたリーリスはテーブルにそれを置くと立ちあがってにこりと笑った。 「じゃあ、リーリス、行くね?」 「どこにですかぁ!」 「あっちの護衛だよぉ? だって、こっちには四人もいるんでしょ? エバって人を直接、護衛する人がいると思うのよぉ」 「オイ、美龍会のエバにばれたら困るって言われただろうがヨォ」 ジャックがリーリスを睨むように見た。 「リーリスさん、あなたが行く場所がどこかわからないと作戦に支障があるのではないでしょうか?」 ジューンも懸念を示す。 それにリーリスの赤い瞳の輝きが増した。血を滴らせたような紅色へ。 ジャックの眉間にくっきりと二つ、皺が刻まれた。 「んふふ。そこらへんはうまくやるわ。だって、あの人、私たちに興味あるんでしょ? だったら、私たちがどれだけ使えるかって、売り込めばいいと思うの! 大丈夫よ、リーリスは魔術師の卵なんだから、簡単に負けないし、ノートで連絡するから! じゃあ、みんなはがんばってね!」 リーリスはそれだけ言うとにこにこと笑って背を向けたが、すぐに何か思いついたように振り返った。 「ジャックのおじちゃん、迷ってると大怪我しちゃうわよ? んふふ」 ジャックとリーリスは見つめ合う。ふふっとリーリスは笑ってスキップしながら部屋を出て行った。 「チッ。オイ、やることやっちまうかァ? どうせ、ああいうのが動くのは夜だからナ」 「は、はい。あのですねぇ、私、今から、ちょっと行きたいところがあるんですよぉ」 なんとかソファから幸せの魔女を降ろすことに成功した撫子は遠慮がちに手をあげた。 「ここのお知り合いの人に、お話をうかがおうって思うんですぅ。いいでしょうか? みなさんが他のことをするなら、夜にここに集まるようにしましょう?」 「そうね。それぞれやるべきことをするにしても、今のうちに英気を養うのも大切ね」 怒りを収めた幸せの魔女が嫣然と微笑む。 「お前が行こうっていうのは、リュウのところかァ?」 撫子は頷いた。 「あら、やだ。撫子さんたら、殿方の部屋に突撃だなんて昼間からだいた」 「ちがいまぁす!」 「リュウさんでしたら、私も、以前、お会いしました」 瀕死のリュウを助けたことがジューンにはある。 「まぁ! それって、私だけが面識がないってことなの! だったら、直接、その顔を拝みにいかなくちゃいけないわね!」 「うう、けど、こんな大勢で押しかけたら、迷惑かも」 「気にしなくていい」 不意に太い声が割り込んだのに全員が振り返ると、黒いチャイナ服、片方の肩には赤い布を巻きつけたリュウが前に立っていた。 「茶は、足りているか? あと、菓子類を」 「まぁ、包子ね! 気が効くじゃない!」 リュウの手に包子が盛られた皿に目敏く気が付いた幸せの魔女は、皿ごと奪い取り、一個目をぱくりと食べる。 「リュウさん」 「お前たちの世話をするようにと言われている」 撫子は言いづらそうに俯いて、おなかの上に置いた手をもじもじと動かしていたがすくっと立ち上がってリュウの前に歩み寄った。 「……あ、あの、私たち、貴方のお父様の……カンさんの遺体を破壊しに行きますぅ。ハオ家が遺体を呪石で操って殺人に使用したんですぅ」 リュウは黙っている。 「それで、あのですね、よかったら、リュウさん、レイさん、それにフォン君のフルネームを教えてくださぁいい」 「何故?」 リュウが小首を傾げて尋ねたのに撫子は顔をあげて、真っ直ぐにリュウを見つめた。 「大事な方のフルネームを聞けば正気に戻るかもって思いましてぇ……あのカンさんが、正気だって私には思えないんですぅ」 「今はハオ家の傀儡だからナ」 ジャックが不機嫌に鼻を鳴らす。 「いま、あの方は人としての尊厳を著しく踏みにじられている状態です」 死体を操るハオ家の行動には撫子、ジャック、ジューンはあまり好意的な印象はない。 「俺はヨ、変な話だが、このタイミングだってことにはちょっと感謝してるゼ、もっと早ければ、お前とレイの間で骨肉の争いの一つも起こりそうだからナァ」 ジャックはリュウの真意を探るように問う。 レイとは既に死亡しているが、鳳凰連合に属していたリュウとは腹違いの兄弟で、実の父のカンを巡り、複雑な関係であった。 そのため今回、リュウが父であるカンを庇おうと出てくる可能性は否定できない。 「私は、私ですねぇ、リュウさんがカンさんを庇ったら……私たちはぁ全滅かもしれませんけど、例え死者であっても会いたい気持ち、分かりますからぁ。それで全滅したら私たちの力量不足ですぅ。貴方がカンさんを庇うのは、誰にも止められないですぅ」 撫子は賢明に言葉を探し、選び、紡ぐ。こんなことを口にするはいけないが、嘘はつけない。仲間たちから批判されてもそれは甘んじて受けるつもりだ。 撫子はリュウを見つめたまま、その手をとった。 「貴方は貴方のしたいようにして下さいぃ。例え正気でなくても、これがお父様に会える最後の機会ですぅ。それに私、信じてるんですぅ。リュウさんは鳳凰連合を愛してる、この地域の人たちを愛してるってぇ。だから例え貴方がカンさんを庇って私たちを全滅させたとしても……貴方は絶対、カンさんがエバ様を殺すのだけは止めて下さいますぅ。私はそれで充分ですぅ」 「きみは」 「あらあら、手を握り合うなんて、撫子さんたら、大胆ねぇ」 幸せの魔女は最後の一個になった包子ををぱくりと食べて満たされた猫のように微笑んだ。 「私がいるのによ? この幸せの魔女である私が! 不幸はおよびじゃないのよ? ふふ」 指を舐めながら宣言する幸せの魔女に真っ赤になったり、あわあわしながら撫子はリュウを見た。 「ボスのフルネームは、フォン・ユィション……レイのフルネームは、黎譲。俺は、リュウと言っても、あの人はわからないだろうな」 「そんなことないですよぉ。だって、子どもの」 「あの人は、俺が戦えるようになるまで一度も名を呼んだことはない。そういう人だ。母の名も一度も覚えようとはしなかった。レイにしても、レイとしか知らないだろう」 撫子の言葉をリュウは早口で遮った。 「俺はあの人を庇わない。そんな必要はないからだ。あの人は恐ろしく強く、冷酷だ。俺が知るなかで、あの人に勝てるのは、ボスとリョンくらいだ」 「たいした自信だナ」 「俺がこの部屋に入ったのにお前たちは気がついていなかっただろう? あれは無音殺人術の初歩だ。一切の音も立てずに獲物に近づき、殺す。それにあの人は俺と同じで」 ジャックは膨れ上がった殺気に立ちあがったときには間合いにリュウが飛び込んでいた。咄嗟に風でカードを作るが、フェイント。左手が伸び、ジャックはリュウの首を、リュウはジャックの首を掴む。 撫子が驚きに瞠目する。 「魔女さん、いまの見えました?」 「……ちらっと」 「ジューンさんは」 「視えましたが、かなりのスピードでした」 女性陣三人が小声で話すのにリュウはジャックと睨みあったまま。 「体内のアドレナリンを自分の意志で使用し、心臓の動きを速めて肉体の限界を越えたスピードで動く」 リュウはさっとジャックから離れると、ひどく疲れたようにため息をついた。 「俺があの人から受け継いだことだ。あの人はこれを俺よりもずっと的確に使うことが出来る……本当は、これはひどく体力がいるが……死人であるあの人にはもうそんな感覚もないだろうな」 ジャックの眉根が寄った。 「フン、テメェの親父の強さはわかったゼ。だからコエーってことか?」 「あの人は自分の両親も、家族も、飼い犬すら必要なら殺す、そんな人だ」 淡々と、小声で、撫子たちには聞かれないようにリュウはジャックにのみ語り、すぐに背を向けた。 「また必要なものがあれば言ってくれ。ではな」 リュウが部屋を出て行ったあと撫子が声をあげた。 「あぁの! まだ聞くことがあったので、行ってきます!」 部屋を飛び出す撫子に幸せの魔女が呑気な声で「撫子さぁん、私はデリンジャーがほしいから、お願いしておいてねぇ」と、それにはぁーいと返事をしながらきょろきょろと走りながら廊下を駆けていく。 「リュウさん」 長い廊下の端に、我が身を抱いているリュウを見つけた。その背中が傷ついているようで撫子はいてもたってもいられなくなった。 「リュウさん」 「なんだ」 すぐにリュウは姿勢をただした。 「あの、聞き忘れたことがあってぇ……リュウさんは、先ほど、庇わないって、まるで殺す前提みたいなことをおっしゃっていて」 「あの人は、きっと、俺もレイも殺すだろう。そして俺も、あの人を見たら、今度こそ殺そうとすると思う」 「今度こそ?」 「俺が、以前、ボスに牙を剥いたのは……たぶん、あの人が殺せないから、あの人の大切にしていたものを壊してやりたかったのもあるんだ。俺は、あの人が怖い……死んでいるからこそ、ほっとしているくらいだ」 「そんな」 「それで聞きたいことはなんだ」 「……戦いの癖とかは、先ほどのを見ましたぁけど、ほかにはありますか? コマンドワードとか」 「元々、真っ当な訓練は受けていないからな、我流で癖はなかったと思う。……俺の場合は、精神的に弱いからコマンドワードはあるが、他の人間は基本的に自分で切り替えるものなんだ」 「そうなんですかぁ。気になってたんですけどぉ、赤い布を、みなさん、つけてますよね。それってなにか意味があるんですか?」 撫子の目がリュウの肩にくくられている赤い布を見る。 「戦場で仲間を見分けるためのもので、幹部はみな、この布を持っている」 「あ、あの、よかったら、私の胸で泣きますかぁ!」 リュウは目を丸めるのに撫子は真っ赤になった。 「あの、泣きたいときはぁ、我慢しちゃだめなんですよぉ! 私ぃ、勝手にリュウさんとお父さんはすごく仲がいいって思っていて、それで知らなくて、ごめんなさいぃ」 「……年上なのに心配させてすまない。あと、胸を貸すのは恋人にだけにするものだぞ? 撫子、ありがとう」 リュウはようやく、笑みを見せた。 ☆ ☆ ☆ リーリスは、美龍会の建物の前に来た。 木造の門、そこから先には砂利をひいた、立派な黒瓦の屋敷。魅力で侵入は容易かった。次に精神感応しようとしたとき、すっと屋敷の玄関が開き、ヴェ・リーが出迎えた。 「エバさまでしたら、庭で部下たちに稽古をつけておりますぞ。さて、行きましょうか」 「リーリスがきたのわかったの?」 「長生きすると、カンが鋭くなるのですよ。ささ、おいでなさい」 リーリスは黙ったままじっとヴェの背を見つめ、歩きだした。 立派な庭で、エバと数名の若者が向かいあい、稽古をしていた。リーリスが庭に入ると全員が動きを止めた。 リーリスはスキップしてエバに近づいた。 「こんにちはー。リーリスね、質問があって来たの。ここでは力がすべてなのに、何であんな弱いおじちゃんを護衛にしてるの?」 リーリスが指差したのはエバの背後にいた稿だ。片目だけがぎょろりと動いてリーリスを見る。 「リーリスは強い人って好きよ。だからお兄さんは大好き。けど、弱いあのおじちゃんは嫌い。ねぇ、リーリスお手伝いしたいの。けど、それには実力を認められないとだめなんでしょ? あのおじちゃんでリーリスの腕試ししない?」 リーリスの言葉にエバが吹きだした。 「いや、わりいわりい。まさか、この歳になってお兄ちゃんだからなぁ……若作りしたかいがあったってもんだ。それに告白されちまったぜぇ、お前ら」 豪快に笑うエバの言葉に周りにいた若者たちもつられたように笑う。ただ稿だけはじっとリーリスを見つめていた。その唇は閉ざされたままで、屈辱に対する反撃はない。リーリスは目を細める。赤い目が輝く。 エバは頭をかいた。 「アテがはずれたが、いいぜ。可愛い客人の申し出だ。稿、仮面はつけるな。やれ」 エバの言葉に若者たちがさっと後ろにさがり、リーリスと稿を取り囲んで円を作る。 リーリスは笑って、稿に近づくと唇をゆっくりと動かし、小声で囁いた。 「おじちゃん、稿だっけ? お前は敬愛するボスの前で小娘にここまで恥をかかされて平気な男か。強者に噛み付く矜持の持ち合わせもないか」 冷ややかな声に――風が斬ってリーリスの首を狙った一撃。さっと後ろに避ける。と、稿は前に出る。低く――気が付くと口にナイフをくわえて、犬のように向かってくる。そのスピードにリーリスは内心、感心した。 「ふふ、けど、リーリスの勝ち!」 リーリスが赤い目が輝くと、稿は咄嗟に口にくわえていたナイフを歯で器用に動かして、投げた。 さらっ。 ナイフが塵となって消える。それに稿は後ろとへ逃げた。そのあとにある石、砂、草が塵となって消えていく。 池まで追い込められた稿はズボンから銃を取り出すと、リーリスを狙い撃った。 「はずれー。ふふ、あたらな……!」 リーリスの上に瓦が落ちてくるのに、咄嗟にそれを塵にする。その隙をついて稿が一気に間合いを詰める。リーリスの赤い目が紅蓮に燃える。じゅわっと稿の手、足を塵化させるて動きをとめると、稿は最後のあがきとばかりに口にあるナイフを放つが、それも塵にして消した。 リーリスはスカートのポケットからここにくるまでに手に入れた人間の眼玉を取り出すと、わざとゆっくりと近づいた。両足両手がなくても噛みつこうとするのに心を魅了で縛ろうとして気が付いた。 「自己暗示しているの? ふぅん」 髪の毛を掴んで、眼帯をとると眼玉を埋め込む。激痛をわざと与えるが稿は顔を歪めるだけで悲鳴をあげない。 「前に会ったときは声が出てたよね、おじちゃん。自己暗示のせいかな? まぁ、いいや。あのね、片目の男って嫌いよ。殺したくなるくらいに。だから選ばせてあげる。両目を潰されるのと片目を治すのと……どっちが良い?」 リーリスが毒の笑みを浮かべるのに、片目違いの瞳がじっとリーリスを睨みつける。 「両目いらないのね? じゃあ、つぶさなーい。だって、片目じゃない男って興味ないもの。それにこうしたほうが、屈辱的でしょ? ふふ」 稿の眼が激昂を湛え、身を捻って――拍手が割り込んだ。 「おお、すげぇなぁ。稿の目がもどっちまったぜ! かわりに両手両足なくしちまったけどなぁ。見せて見ろ! お嬢ちゃん、すげぇなぁ」 稿の頭を撫でたあとその顔を見てエバは笑うと、次にリーリスの頭を撫でた。 「やーん、髪の毛がくしゃくしゃになっちゃう!」 「なにいってんだぁ、女はちょっと乱れたほうが美人なんだぜ。うちの稿の負けだなぁ。よっこいせっと」 逞しい腕に抱きあげられた稿が慌てたように身動きしたのをエバがやんわりと抑えた。 「そんな顔すんな、てめぇのがんばりは俺がちゃんと見たからよ。このお嬢ちゃんは、お前じゃ勝てねぇよ。ヴェ、悪いが、稿を頼む。サシで話す」 ヴェが稿を受け取り、その場にいた若者たちを連れて去っていった。 庭が静かになると、エバは池の前に腰をおろして、ごぞごそとする。リーリスも横にいって覗きこむと、酒瓶をとり出していた。 「ヴェのじじいはうるせぇから、黙ってろよ」 リーリスはくすくすと笑って横に腰かける。 「わかった! 座興としては面白かったでしょ? リーリス、喜んで欲しかったからがんばったのよ?」 「何を探りにきた」 「なにを? ただ強い人が好きなだけだもん」 「俺の屋敷の連中を誘惑する毒婦がよくいうぜ。わざわざ二人きりになったんだ。ちゃんと答えな」 無防備に笑うエバにリーリスは理由を考える。これは信用と駆引き。もしここでリーリスに襲われても、殺されないと自負しているのか。殺されればそれこそ戦争が起こることも計算している。 「……ハオ家がみんなの仲違いを狙ってるから。味方は守りたいし強くあってほしいもの。だからここにきたの。お兄ちゃん、なんとなくわかっていたの? なのに、わざわざ私たちのこと挑発したの?」 「お前らのことが知りたかったからな。しっかし、計算して稿を狙ったかと思ったぜ。へー。片目の男に振られたのか、毒婦」 むぅとリーリスが頬を膨らませると、エバの懐から取り出された包子が差し出された。それを受け取ってぱくっとリーリスは食べる。 「くくくっ。まぁ、今回はお嬢ちゃんの誘惑に負けてやろう。俺は命がけっていうのは好きさ。打算や駆引きのないモンもなぁ。そうか、そうか、片目の男にふられたかぁ」 「むぅ」 「俺を誘惑するには、セクシーな女になりな。ついでにいえば、脚本を書いて、そこで踊らせたいなら、もっと考えな。俺は舞台の袖でにやにや笑う下種は唾棄するほど嫌いだが、一緒に踊りたいなら踊ってはやる。今日は何があっても屋敷から出ないでいているから、お前さんも一緒に見ようぜ」 煙管をくわえてにやにやと笑うエバにリーリスは輝いていない赤い目で見つめ返して、口元を緩めて、本当に楽しそうに笑った。 「いいわ。お兄ちゃんにリーリス、誘惑されてあげる」 ☆ ☆ ☆ 「両腕奪って終わりにしてェゼ」 手加減して勝てる相手ではないことはジャックも理解している。リュウの技はかなりの熟練だが、それをカンは上回る。 しかし、自分の雷と風でかく乱し、ジューンの協力があれば呪石の箇所は特定し、抉りだすことは出来るだろう。もしくは、電力で遺体を残さず灰にする…… カンは死んだ。けれど死に切れずにまだここにいる。それがどうしてかクィーンの顔を一瞬だけ思い出させた。 死にたいのに死ねないということは、ただの呪いかもしれない。 幸いなのは、ここには説得の余地を考えている者が自分以外にもいる。なら両手を奪い取れば…… 夕暮れの時刻。 リーリスからノートに、今日、エバは屋敷から何があっても一歩たりとも外に出ないと連絡がきた。 どういうやりとりをしたのかは不明だが、これはチャンスであることはかわりはない。 「リーリスさんったら、それでこそ、私のお友達ね」 幸せの魔女はふふっと笑う。 「屋敷の周りを護衛すればいいんでしょ? 撫子さんが地図を用意してくれたし。奇襲がしやすい場所を考えればいいわよね」 「私たちそれぞれ単独でクリーチャーと互角に戦うことは可能と考えます。屋敷を囲むようにし、それぞれが足止め、その間に仲間が急行するのではどうでしょうか? マイク型の無線も借りてきました。呪石を抉り出すより、電磁波と電撃で細胞を死滅させてから呪石を取り出し破壊するのが合理的と考えます」 ジューンは全員に無線を渡しながら淡々と答えた。 「あのクリーチャーは見つかっては拙い物的証拠である筈です。遺品の押収が必要かどうか私には分かりかねます。例え遺品の押収が必要であったとしても、クリーチャーの元の人物像が分からないよう完全に炭化させる必要があると思います」 「けど、もしかしたらカンさん、正気に戻るかもしれませんしぃ」 「私も可能性はあると思うけど」 「戦術は皆様に従いますが、クリーチャー処理について譲る気はございません」 撫子と幸せの魔女の言葉にジューンはきっぱりと言い返した。ちらりとジャックはジューンを見て鼻を鳴らした。 「ハッ、どうなるかわかりゃしねぇんだ。俺らの考えがうまくいって捕まえらたら、てめぇのその処理を邪魔してもいいってこったナ?」 いま、カンがどういう状態なのかは不明であるが、最悪の場合、仲間同士での意見を衝突する可能性もある。 「死者だからって理由で簡単に消滅させたかねェンだヨ! フォンのクソジジィの本音がそう言ってらァ! 大事な部下を、2度も死なせたかねェッてナ!」 「ジューンさぁん、ごめんなさい。私も諦めたくないんです。魔女さぁん」 がしぃと撫子は、幸せの魔女の手をとった。 「お願いでぇす。カンさんを正気にかえしたいんです。もし、もしですよ、ジューンさんが言う様に炭にするにしても、その前に、正気に私はかえってほしいんです。ですから、協力してくださぁい!」 「あらあら、情熱的なご依頼ね。しかたないわ。撫子さんとは依頼で知り合った仲ですし。そのぶん、ジャックさん、がんばって一人で働いてちょうだいね? じゃあ、私と撫子さんは二人で、大切なことをするから」 「え、あのぉ」 撫子を連れて幸せの魔女は歩きだす。それにジューンはジャックに頭をさげて歩きだした。ジャックは空を見ると、動き出した。 「ふふ、不幸である以上、それは私たちに触れることはできない。どうかしら?」 幸せの魔女は、自分と撫子に幸せの魔法を施す。これでカンが攻撃してきても当たることはない。 「ありがとうございまぁす。……私、どうしても、カンさんから言葉がほしいんです」 「まぁ、撫子さんたら貪欲ね。そういうの嫌いじゃないわ」 後ろから撫子に抱きついていた幸せの魔女はその気配に気がついてぱっと離れた。暗闇から影がふらふらと近づいてくる。 「あらあら! こんな無力な女の子たちに向かってくるなんて、本当にひどい殿方ね! ふふ、撫子さん、しっかりと守ってちょうだいね?」 「は、はいっ! カンさん、あの、え」 ふらふらと近づいてきた人影は――小汚いホームレスだった。しかし、その目はうつろで、口から血を零している。 撫子の全身から恐怖がこみあげる。なにかおかしい。ちらりと視線を下に向けて、そのホームレスの腹が真っ赤なことと、カチカチカチ、時計の音が―― ホームレスが爆発した。 ジューンはその音を聞くと、駆けだそうとして、足を止めた。センサーが異物を感知する。 「……スキャン開始。あれは……犬?」 野良犬の腹にはなにか、異物がくくりつけられている。かちかちかちと時計の音がする。 そして爆発音。 もし、あのまま犬を追いかければ巻き込まれた可能性もある。 「敵は私たちの存在を考えた上で……侵入しやすい場所からわざと爆発している。でしたら、残りは」 ジャックは本能的にそれを感じ取って空間移動で一メートルほど移動、それと対峙した。 カンが闇の中を飛躍し、ジャックに襲いかかる。鋭い片腕が伸びる。それをカードし、ジャックは後ろに下がる。 「聞け。元は鳳凰連合フォン・ユィションの部下、今はハオ家の哀れな傀儡のカン・ハイシュア。鳳凰連合と美龍会の手打ちを邪魔した罪は重いぞ。フォン・ユィションからの伝言だ……死して償え」 カンは低く構える。 「……飼い主に牙を剥くってことかァ!」 ジャックが放った同心円状に広がる、美しい金色のサンダーレイン。カンが後ろに逃れようとする隙をついて、更にウィンドウカッターを放つ。それは真っ直ぐにカンの両腕を狙うが、素早く動いた腕は力任せに風の刃を受け止め、潰した。驚くほどにかたい手だ。 「お前たちはあの人が決して言わないことを言うんだな」 「なにがだ」 「あの人が任務放棄を私に促すはずがない」 カンはきっぱりと告げた。 「一度引き受けた任務を放棄しろと、あの人がいうはずがない!」 カンが飛び出したとき、ジャックの体に真正面から衝撃が走った。 「テメェは考えることもできねぇのか!」 「考える? 俺はあの人の武器だ。道具だ。それだけ十分だ。だが、もう」 ターミナルに来てから精神感応を意図的に遮断していたジャックのなかに、強烈な感情はまるで抗いがたい激流のように叩きつけられる。 ノイズ混じりの感情。恐怖、激昂、祈り。炎、転がる死体、笑いかけている。ノイズ。誇りであり、よすが。たった一つだけ、任務を達成する。仲間を守る。命令。ノイズ。笑いかける男が白い薬を差し出す。さぁ、あなたの誇りをあげましょう。この任務を達成するのですよ。ノイズ。任務を果たす、それが唯一、己をここに繋ぎとめてくれる。死んだとしても、まだ。だから、任務放棄しろというあの男はフォン隊長ではない。ありえない! あの人は、決してそんなことは言わない。任務を妨害する、あれは……あの魂食いの魔物を否定する。フォン隊長を信じているから! ノイズ。 どこまで現実か、はたまた幻か、それすらわからずとも、わからなくてもいいのだ。ただ任務を達成するという目的のためだけに今、動いているのだから。 ジャックの頭のなかでフォンの言葉が蘇る。任務を放棄するか、その問いにカンの激昂したことを。 そして、フォンは――笑った。 あのクソジジ! あいつはあれでカンが正気か試したのか! 任務を放棄すれば、それはフォンの知るカンではない。だから殺す道を安易に選べただろう。 正気であれば任務放棄をカンは絶対にしない。 それでもジャックは、あの日の夜にはっきりと読んだのだ。それはもしかしたらフォンがジャックにあえて読ませたのかもしれない。任務放棄をカンが否定したときに、もう死ぬな。と。フォンは立場からカンを殺すことしか出来ない。けれど旅人にはそれ以外が出来る可能性もある。託された祈りはとても小さかった。 カンはジャックに背を向けて飛びのき、駆け――雷撃が右肩を撃ち貫いた。 「っ、なら、俺の今の任務っていうのは、エバを守ることだァ! テメェと殺し合いをしてもナァ!」 カンはようやくジャックを見た。 「どうしても止まらねェなら俺が止めてやらァ……テンペスト!」 雷撃にカンがバックステップをとりながら、再びの接近。ジャックはカンと向き合う。 言葉ではなく、力がぶつかりあう。カンは人では考えられないスピードで迫ってくる以上、ガードは不要だ。 獣に横腹を食われたときのように衝撃を無視して、間近にある大手と肩の付け根を狙った雷が突いて、外す。にぃとカンが笑った。こいつ、わざと! 片腕を切り落として、蹴った。 「ジャックさぁあん」 背後から迫ってくる撫子たちの声がする。 「来るなぁ!」 ジャックを、鉤爪に仕込まれた爆弾が、吹き飛ばす。咄嗟の空間移動での回避。しかし、横腹をかなりもっていかれた。 「ジャックさん!」 「撫子、水だァ! ジューンっ! 絶対に屋敷のなかにいれるナァ! オイ、魔女、あいつの石はどこにあるんだぁ! 俺は探してる暇はねェんダ!」 片腕のカンが駆けだそうとしたのにジャックの雷撃が行く手を塞ぐ。その背後を幸せの魔女が剣で突くのに、カンは地面を蹴って飛び、さらに剣先に一度だけ足をつけてさらに飛躍した。その衝撃に幸せの魔女が前のりに転がる。カンは片腕だけで、屋敷の壁によじのぼろうとした。 「まったく、なんて人なの! ……「呪石を破壊する幸せ」、先のでわかったわ。あの布の下よ!」 「いかせませんぇ!」 撫子の噴射した水は無防備なカンを空中に弾き飛ばす。なすすべもない攻撃に地面に転がり、水を全身にかぶったカンは、それに気が付いて顔をあげた。 「これでしまいだぁ!」 ジャックの雷撃。カンは咄嗟の判断でもう片方の腕も自ら叩き落とした。そして身だけを残して回避。水を受けた大手は爆発し燃える。 カンの行く手に立ちふさがるジューン。カンは獰猛と喉笛を噛みついたが、ジューンは微動だにしない。それに両脚を胴に巻きつけて締め技にも、やはりびくともしない。 「私にはききません」 「……っ!」 「あなたはそんなこともわからないのですね」 シェーンの片腕がカンの首を締めあげる。左腕が腹を貫いた。 濡れた全身に最大出力で電磁波と電撃を放つ。それにカンの額の赤い布が真っ先に燃え、額につけていた石が――黒く輝く。 「……っ!」 ジューンの雷撃から漏れた火花が服に引火し燃える。 ジューンは、己の肉体が破壊されるという危険性については考えない。自分がカンを抑えていれば仲間たちにも危険は及ばない。 青白い雷と赤い炎に包まれて、カンが問う。 「……にんむは」 ジューンはその言葉にこの場で一番正しい言葉を探し、告げた。 「……任務は、終了しました」 その言葉にカンはほっとしたように微笑み、じわじわと炭へと変わっていく。 もう抵抗できないと判断して首を掴んでいた手を離して額の石をとるとぱんっと音をたててジューンの手のなかで、砕け散た。 「ジューンさぁん、燃えてますぅ! 水、水!」 撫子とジャックが急いでジューンの後ろにまわりこんで、カンから引き離す。そして急いで水を出して服や髪の毛についた火を消す。ジューンはじっと燃えて、灰となっていくものを見ていた。 「この方はこれでやっと人としての尊厳を取り戻せたのです。クリーチャーではなく」 ジューンは淡々と、告げる。仲間たちがカンを生かそうとしたのに、ジューンだけはカンを殺すことを選択したのは、カンの肉体が残っていることが物理的に依頼主の不利になるのもあるが、彼女のなかにある何かが――カンに最後の尊厳を取り戻させたいと思ったのかもしれない。 残った炭は人であったものとしてはあまりにも少なく、あがる煙は天へと向けて細く、細く――そして、途切れた。
このライターへメールを送る